星の海原とはよく言ったものだ……とルリは思う。
 本来なら生命の存在さえ許さない無常な真空の空間を、生命の根源である海に例える……それはなんとも大きな皮肉ではなかろうか?

 それでも人が、あえてそれを海と呼ぶのは、そこにかつての開拓者たちのようなロマンを感じ、求めるからなのだろうか。
 あるいは、単にスケールの大きさのせいなのか……

(―――何をくだらないことを考えてるんでしょうね。私は)

 場違いと言うか状況にそぐわない感傷に浸る自分に苦笑するルリ。
 現在は秋と救出の強行軍のさなかであり、同時に軍から逃亡中の身でもある。
 自体が一刻を争う以上、余計なことに思考を咲く余裕など無い……はずだ。
 にもかかわらず、今の自分はそんな哲学的な感情と思考が頭に思い浮かぶほどのゆとりを持っている。

「ふぅ……」

 それは決して悪いことではない。
 むしろありがたいことだ。
 失敗が許されないときこそ、心に余裕を……
 臨機応変な対応のためには、状況に即応できる「ゆとり」が必要不可欠だ。
 今回のように不確定要素の多い作戦(半分ほど無計画に飛び出してきた自分の責任かもしれないが)では、それが何より重要となる。
 その点において、ルリは感謝していた。
 これが自分ひとり、ナデシコ一隻で飛び出していたら、これほどの心のゆとりは得られなかっただろう。
 それはつまり、作戦の成功率を下げ、アキトの命にも関わる。
 その点だけでも、本当にこの二人には感謝してもし足りない。
 未だ正体はつかめないが、人を安心させるこの空気に嘘はないと、ルリは内心で一つ大きく息をついた。

(ああ、そうか)

 ふと、さきほどの感傷への答えが思いついた。
 それはあまりと言えばあまりにも単純で、そしてそれ以上ないくらいに気の利いた、似合いの解だとルリは思った。

(この艦、イルカ型でしたっけね……そういえば)

 クスリと、本当に小さくルリは微笑んだ。
 その両脇に控えた騎士の青年とメイドの娘も、それにつられて優しく微笑んでいた。








 機動戦艦ナデシコ 「IMITATION HEAVEN」

 〜第四話「十六夜の騎士」〜













 ―――地球時間で三時間前

 疾時雨の後部甲板に降ろされたルリとコクヨウは、急ぎ足でブリッジに向かっていた。
 外ではまだ対空砲火が続いているのか、断続的な振動が艦を揺らしている。
 それでも全力砲火では無いからだろう、攻撃は全てディストーションフィールドに弾かれて、船体へは一発も届いていない。
 振動自体も「ああ、ゆれてるかな?」と言った程度のものだった。
 震度にすれば一か二弱といったところだろう。

 ―――おそらくは、自分がいるせいでもあるだろうな……とルリは考える。

 このときのルリは知る由もないが、守備隊へは「ホシノ=ルリ中佐が『誘拐』された」という伝達が為されていた。
 そのため対空砲火を担当する高射砲陣地の兵(ルリファンが特に)も撃墜を前提とした全力砲火を行うことが出来ないでいた。

 ルリの思考を読んだのか、コクヨウが足を止めずに言う。

「傍受した通信によると、ルリ様は私どもに誘拐されたことになっているようです。全力砲火でないのは、恐らくそのおかげでしょう」

 流石に最大威力で攻撃を集中されたら、停船していられません―――とコクヨウは笑う。
 相変わらずブリッジに向かって歩みを進める足には、焦りもよどみも見られない。

「余裕ですね」
 つられて微笑むルリ。

「当然です」とはコクヨウ。
 威厳とは無縁の格好であるはずなのに、メイド服姿の背中からは絶対の自信とそれに支えられた不思議な安心感が感じられる。
 ルリはその背中の持ち主にデジャブを感じた。

(この背中は……なんだか……)

 艦長なのに艦長らしくない。
 それはかつてのナデシコで、自分たちを引っ張っていた背中とどこか似ていた。

 廊下が途切れ、一際大きなゲートが行く手を遮る。コクヨウの接近を感知してゲートが開くとその先には―――

「……すごい」
 全天の空が広がっていた。

「APS―――全天投射スクリーン、機動兵器に採用されていたシステムを改良した、この艦の『要』とも言えるシステムの一つです。さあ、ルリ様はあちらの副長席へ、すぐに発進します」

「あ、はい」

 疾時雨のブリッジは滑らかな凸型が中空へと迫り出すような形をしていた。ルリは促されたとおりに副長席、凸型の左側に設置されたシートにつき、コクヨウは全天を望む中央の一際複雑な構造をしたシートに腰を下ろした。

「ドルフ」

『これにっ。お帰りなさいませ、ミレディ(ご主人様)。そして、お初にお目にかかります、フェアリー。ドルフはこの艦の常駐AIを勤める『ドルフ』です。ドルフィンでドルフです。余りにも単純なネーミングにオイオイとか思いつつ、以後、どうぞお見知りおきをっ』

「なんというか、想像以上に賢い子ですね……”元”連合宇宙軍中佐のホシノ=ルリです。こちらこそ、よろしくお願いします。ドルフ』

 『元』の部分に冗談っぽくアクセントを置きながらルリは言った。
「ぎゅい♪」と、どこかわざとらしいイルカ声を上げてドルフも応える。
 自己紹介の終わりを見計らって、コクヨウがルリに話しかけた。艦長席と副長席は若干距離があるので、会話はウィンドウを介していた。

「よろしいですか?ナイト様の収容を完了しました。コレより当艦は戦闘区域を離脱、そのまま、地球圏絶対防衛線を突破します」

「了解です……私をそそのかしたそのお手並みを拝見しましょう」

 笑いながら挑戦的なことを言うルリ。
 コクヨウはそれに、柔らかく微笑みながら「承知しました」と答えた。
 コクヨウの座る席、艦長席とオペレーターシートを一体化したタクティカルシートの両脇に設置されたコンソールの上にコクヨウの手が置かれる。  その手に物理的ではない力がこめられる。
 シミ一つ無い白く綺麗な手の甲にIFS体質者特有の文様が浮かび上がり、活性化を示す燐光がコマンドと共にコンソールを形成する電子回路へと伝播する。

「……それでは」
 ルージュなど引かなくても十分に瑞々しい桜色の唇の端を僅かに上げ、コクヨウは美しく、挑戦的に微笑みかけた。

「とくと、ご覧ください……」

 その次の瞬間、疾時雨は地球上から姿を消した。








・・・・・・








「―――なんだと?」

「だからぁ、さらわれちゃったんだってさ。君の義娘さん」

 アキトは初めその言葉の意味を理解できなかった。いや、それは理解したくなかったと言うべきかも知れない。
 その証拠に、次の瞬間彼は自らを縛る高速具の存在も忘れて、ヤマサキに飛び掛ろうとした。

「キサマッ!!ルリちゃんをっ!!!」

 拘束具が耳障りな音を立てる。全身を固定するそれらのせいで、アキトは椅子から腰を上げることさえできなかった。
 加えて頭部には、多数の電極がささったヘルメットが装着されていた。
 これらは全て、ルリやユリカを誘い出すためにヤマサキが用意した「オモチャ」であった。
 しかし、肝心のその思惑の対象を奪われたことで、ヤマサキは肩をすくめた。

「残念だけどボクらじゃないんだなぁ、これが……なんかねぇ、宇宙軍が捕縛した正体不明の連中の仕業らしいよ?」

 は〜、やれやれと言った感じで言うヤマサキ。
 一方でアキトは混乱していた。

 火星の後継者ではない?
 なら、クリムゾンでもないのか?
 いや、クリムゾンも一枚岩ではないし……
 何より彼らと火星の後継者は協力体制にあってもイコールではない……
 しかしそれなら、わざわざ一度捕縛されると言うリスクを犯すだろうか?
 そもそも今こうして、ルリちゃんとユリカを誘い出す作戦を実行しようとしているのだから……
 あるいは飛鳥インダストリー……
 いや、もしかしたら宇宙軍の作戦?
 まさか本当に未知の勢力か?

 情報が少なすぎて考えがまとまらない……

 ただ一つ確かなのは、今の状況はヤマサキにも想定外だということだ。
 楽観など出来ないが、それだけは僥倖といえよう。
 対するヤマサキは、オモチャを取り上げられた子供がいじけて負け惜しみをするかのように呟く。

「……まあ、いいや。楽しみは取っておくものらしいしね。ボク、美味しいものは先に食べちゃうタイプなんだけど、たまには趣向を変えてみるのもいいかもね」

「……ふん、ガキがっ」
 アキトは悪態をつく。
「そうだよ?優れた頭脳は常に若々しいだよ?それより良かったね〜?誰かのおかげで、そのオモチャもしばらく用無しだよ?」

「クソ喰らえだっ」

「君も口が減らないねぇ……」
 呆れるように言って、ヤマサキは踵を返した。
 無機質な部屋に拘束されたアキトだけが取り残される。

 ―――アキヤマはああ言ったが、恐らくそう時間をおかないで実験と言う名の遊びは再開されるだろう。
 やつに自制心など期待するほうが間違っている。
 そうなったとき、自分の意思は……果たしてどこまで持つだろう?
 正体不明の連中にさらわれたと言うルリは?果たして今、どうしているだろう?
 マシンチャイルドとして、少女として、ルリには利用価値がありすぎる……

 既に光を感じないはずの目の前が、より一層の闇に包まれた気がした。








・・・・・・








 アキトが際限のない不安に苛まされているころ、ルリは疾時雨のブリッジでナイトとコクヨウを交えた作戦会議を行っていた。
 コクヨウがこの艦の『要』だと語ったスクリーンには、現実の青空に変わって濃紺の渦のような空間を青白い光が進行方向の逆、つまり艦首から艦後方へと流れていくと言う、一世代前のRPGかCGムービーに用いられる『ワープ』のようなグラフィックと『Auto-pilot』の文字が投影されている。
 その中で、目の前にたたずむ二人にルリは再度、確認の声を上げた。

「では、この艦は私のコードを使わなくても防衛ラインを突破できると?」

「そのとおりです」

「とても、信じられません……が……」
 疑いの声を上げるが、ナイトとコクヨウの自信に満ちた眼差しに逆に言いよどむ。

 ルリの戸惑いは当然だ。なぜなら、現在の地球圏絶対防衛線・通称「アークライン」は過去のそれとは全くの別物になっている。
 同盟を結んだ木連の技術。公開された火星の技術。双方を盛り込み、強化改修された防衛ラインは、機動兵器や戦艦の進化からも分かるように、格段の進化を遂げていた。
 ハード面はもちろん。ソフト面も「過去の教訓」を生かして強化され、今やコレを正面から突破することは不可能どころか、自殺行為とさえ言われる。
 だからこそ、ルリは自らの軍用機密コードを使用することを提案したのだが、ナイトとコクヨウは……

「「駄目です」」

 それを即・完全に、コレ以上ないくらい簡潔に、全否定した。
 二人だけではなく、AIのドルフも「絶対拒否」とダメを出した。
 方法はそれしかないと思っていただけに、ルリはその三重の否定に呆気にとられた。
 その隙を見逃さず(?)コクヨウたちが畳み掛ける。

「軍用コードはパーソナルコードと同じです。そんなものを使えば、ルリ様に反逆の意思ありの汚名を着せてしまいます」

「オレ達に脅された……そう言っても、そこに付け込む汚いやつは絶対にいます。だから不許可っ!」

『そんなことになれば、ドルフは兄達に申し訳がたちません』

 三者三様にルリに詰め寄る。それが余りにも必死なので、ルリは気圧された。しかし

「それなら、どうするんですか?」
 と、問う。ルリとナデシコCでさえ、無許可で防衛ラインを突破するには、この方法しかないというのに、彼らには他に策があるのだろうか?
 三人は詰め寄っていた体(一人はウィンドウ)を引き、ニヤリ(一人はニッコリ)と笑った。

「「『それは企業秘密です』」」








・・・・・・








 ……一時間後。

 疾時雨の姿は地球から遥か四万キロ離れたデブリ帯の中にあった。

「……信じ、られません」
 ルリの声は驚きに満ちていた。一時間ちょっと『ワープ画像』が続いたと思ったら次の瞬間、艦は防衛ラインを越えて悠々と星の海原に浮く小石たちを避けていたのだ。
 しかもその間、ナイトもコクヨウも一度もブリッジを離れず、警報一つ、振動すら感じなかった。
 まさか本当に「ワープ」したわけでもあるまいに……
 目の前の光景はCGで自分は担がれているのでは?とも思ったが、データがそれを否定している。
 追求すれば、そのデータもドルフが用意したものなのだから、嘘でないとは言い切れないのだが……ルリには彼らがそこまでする人間には思えなかった。
 しかしそうなれば、結論は一つ……どれだけありえなくても信じられなくても、これは紛れもない現実。
 この艦は、たった一度も攻撃を受けることなく、防衛ラインを突破したのだ。

 艦長がメイドだったり、パイロット兼副長が全身刺青(IFS)だったり、AIが妙に茶目っ気タップリだったり……まったく何から何まで常軌を逸している。
 しかし

「……なるほど、たしかに……」
 その常識はずれの破天荒さが

「お手並み……確かに見させてもらいました」
 まるでかつてのあの艦のようで

「貴方達は……とても頼もしいです」
 ルリにはそれが、頼もしく感じた。

 非常識なほうが頼りがいがあるとは何事だろうと、自分に笑いたくなる。
 そんな非常識の一人が挙手と共に発言権を求めた。

「よろしいでしょうか?アキト様を捜索するにあたって私から一つ提案があるのですが」

「提案?」

「はい」
 頷くコクヨウの頭上で、カチューシャのフリルが揺れる。
 ナイトが「ん」と呟いて先を促した。表情を真剣なものに改めてコクヨウは注げる。

「アキト様の居場所に心当たりがあります。ですので、捜索は私が。ルリ様には艦の制御を。ナイト様は、戦闘の準備をお願いしたいのです」

「それは、かまいませんが……でもアキトさんの心当たりってどういうことですか?」

 核の影響か、あるいはジャミングか、戦場となった宙域は電波状況が悪く、火星の後継者の足取りは全くつかめなかった。
 だからこそ、ミスマル司令やハーリーは周囲からやつらを浮き彫りにしようとしたのだ。
 事の発端を知ったのは、彼らもルリと同じ時なのだから、いくら非常識でもそんなに早く場所を特定できるはずないのだが……
 金の瞳が答えを求めるようにコクヨウを見る。
 しかし、答えは思わぬ場所から上がった。

「コクヨウ、オマエまさか……」

「はい……先ほど『感じました』。この一件、あの男が絡んでいます」

「あの男?」
 ルリは尋ねるが、ナイトは舌打ちをするだけで答えない。コクヨウも目を伏せて沈黙している。
 さっきまでの和やかさが一転、唐突に空気が重くなったことをルリは感じた。
 事情はわからないが、なにか二人にとって無視できないものが「あの男」とやらにはあるらしい。
 やがて、ナイトが絞り出すような声でコクヨウに言った。

「……それで、オマエは、また―――?」

「はい、事が事ですし……あの男の存在を感じる以上、もはや一刻の猶予もありません。通常の索敵手段ではいつかの二の舞です」

 答えるコクヨウの声は淡々としている。対して、ナイトは声を荒げる。

「わかってるのか!?それはオマエ自身の精神に、洒落にならない負担をかけるんだぞ!?下手すりゃオマエがっ―――」
「ナイト様!」
「……っ!?」

 鋭く叫ぶコクヨウ。
 その場の全てが、激昂していたナイトも含めて息を呑む。
 普段の優しさからは想像できないほど苛烈な空気を発したコクヨウは、次の瞬間にはその空気を霧散させた。

「ナイト様……心配してくださって、ありがとうございます」

 元の優しい空気を纏って、コクヨウはナイトに語りかけた。
 ルリにはそこに、優しさ以外の感情があるように感じられた。
 押し黙るナイトに、コクヨウは続ける。

「ご安心ください……私は変わりません……コクヨウは、あのときからずっと……そして、これからもかわらず……ナイト様のお傍に……そして―――」

 ふと、自然な動きで、コクヨウは正面からナイトの背に手を回した。
 慎重的に若干低いコクヨウの顎がナイトの肩に乗る。

「―――なにより、ナイト様にいただいた五年間があるかぎり、『コクヨウ』は負けません」
 囁きは誓い。
 ともすれば、愛の告白とも取れるそれはしかし、確実に、それ以外の確固たる意思をこめて、ナイトの耳と心にしみこんだ。

 唐突にナイトが上着を―――

「―――って、ちょっとナイトさん!?」
 ナイトはいきなり、上着を脱ぎだした。
 いきなりの展開と突然の抱擁に半ば呆然としていたルリだが、ナイトのいきなり(でもないのか?)の乱心に思いっきり焦る。

 今の展開でそう来ますか!?とか、まさか目の前で!?とか、頭の中もいい具合にパニックだ。

 しかし残念ながら(?)、その予想を裏切ってナイトが脱いだのは上着だけで、ナイトはそれをコクヨウに押し付けると、ブリッジの出口に向かって歩き出した。

「ナイト様?」
 コクヨウが戸惑いの声を上げる。

「……『十六夜』の発進準備をしてくる」
 ナイトは背を向けたまま答えた。その声は落ち着いていたが、どこか抑えきれないものを感じさせた。
 その背中に今度はルリが声をかける。

「待ってください―――いいんですか?事情は良くわかりませんが、大事なことなんでしょう?」
 まあ、良くはない……そんな答えが、沈黙したままの背中から伝わってくる。

「……私に気を使ってのことなら、やめてください。短い付き合いですが、私は貴方達のことが好きですよ―――それを傷つけてまで、私は自らの目的を達したいとは思いません」
 それは冷たい発言と取れるかもしれない。しかし未だ背を向けたままのナイトも、ないとの上着を胸に抱くコクヨウにも、その真意は伝わっていた。
 だからコクヨウは告げた。

「……いいえ、すこし違いますよ。ルリ様」

 まるでヒマワリのように微笑んで、コクヨウは
「最初に申し上げましたが……私達も……いいえ、私達が助けたいのです」
 そう言い切った。

「だから全力を尽くす……コクヨウが覚悟を決めたなら、俺がそれを渋るわけには行かない……だから、負けるなよ」
 ナイトはそう言ってブリッジから出て行った。
 コクヨウも押し付けられたナイトの上着をメイド服の上から羽織り、艦長席に就く。

 取り残されたルリはポツリと
「ありがとうございます」と呟いて、副長席に就いた。
 ルリ用に微調整を施された航行システムを携えたドルフが、可愛らしいイルカのアイコンと共にそこで待っていた。








 ×××








 最初にそれに気づいたのは当直を終えて自室に戻ろうとしていた駆逐艦のクルーだった。
 なんとなく窓の外(外の景色を投影したものだが)を眺めた彼は、そこに奇妙なものを発見した。

「なんだ?」

 それは、一本の『槍』だった。
 少なくとも、彼にはそれがそのように見えた。
 何故断言できないのかと聞かれれば、その『槍』らしきものは全長が見えず、柄に当たる部分の半分が途中から霞んで消えていたからだ。
 それでも、その穂先に宿るある種の意思……攻撃性とも言える気配が、そんな中途半端な物体を、あえて『槍』だと認識させていた。

「……なんで、あんなものが?」

 さっき、自分がまだ当直班としてブリッジにいたころは、あんなものは存在していなかったはずだ。
 いぶかしむ彼の目の前で、『槍』がゆっくりとその身を旋回させる。

「は!?」

 その様子を目撃している彼は目を丸くした。
 細いと言っても戦艦規模の『槍』を動かすほど、大質量の物体がぶつかった様子はない。
 動いたのが外的要因ではなく、槍自信のせいだとしても、姿勢制御のスラスター光も見えない。
 と言うか第一、あの細いシルエットのどこにスラスターやエンジンがあると言うのだ。
 どう見ても無理無理な構造と機動ではないか。

 いやそもそも、あの『槍』の存在からしておかしいのだが。

 若干混乱気味の頭で、とりあえずこの事は報告したほうがいいか……いやでもブリッジでもすぐ気づくだろうし、と判断を逡巡すること数瞬。
 その次の瞬間

 彼はその生涯を、強制的に終了させられた。

 彼が目にしていた『槍』
 そこから放たれた、高密度圧縮式重力波砲「グラビティ・スラスター」による一閃が、彼の乗る駆逐艦を含めた艦隊の三分の一をフィールドごと薙ぎ払っていた。

 爆発四散する多数の艦。
 武器弾薬、中には機動兵器を搭載した空母も含まれていたため、その被害は実際に撃たれたものよりも残されたものに文字通り大きな衝撃を与えた。
 爆発による二次被害。
 弾けとんだ艦の破片や弾薬が、周辺の艦と警邏中の機動兵器を巻き込んでいく。
 混迷の中で、生き残った艦が警報を鳴らした。

 たちまち全艦に非常事態宣言が発令され、各艦が臨戦態勢へと移行する。
 砲塔のロックが解除され、フィールド出力が通常モードから戦闘モードへと上昇、各空母が機動兵器を収容するハンガーを開放し、そこから多数の機動兵器が宇宙へと放たれていく。

 それを受けて、艦隊側面に位置していた槍が、その全貌を現す。
 今の今まで隠れていたマリンブルーの船体が、漆黒の空間を切り裂くようにして出現する。
 ボース粒子の乱れなど一切感知できない。
 それは、世界から見ればあまりにも自然に。
 そして、人の目から見ればあまりにも異質に。
 表現するならば「幽然」と、その場に現れた。



 この世界に存在するはずのない、新世代型のナデシコ級三番艦。
 NNC303−A・強襲用機動戦艦「疾時雨」の顕現だった。



 そのブリッジで艦長席に座るコクヨウは、先ほどの一射がもたらした戦果とその後の敵の混乱を見て、唇を禍々しく歪めた。

「みィ〜つけたァ」

 そこから漏れた声は、ぞっとするほど冷たく嗜虐的で、かつ蟲惑なまでに甘かった。
 普段の清楚な彼女からは想像すらできない。倫理を知らない童女のような残酷な愉悦の表情がそこにはあった。
 まるでお気に入りのオモチャかいじり相手を与えられたかのように、嬉々とした様子で、コクヨウは第二射の計算を開始する。

 いきなりの襲撃に戸惑う敵艦隊は未だ、十分な迎撃体制へと移行しきったとは言いがたい。
 特に、密集体系に近い今の配置なら、もう一射でその戦力の数割を削ることが出来る。
 思考が加速する。
 敵艦の位置、距離、角度、フィールド出力、移動予想。
 あらゆる面から最適の放射角と出力をはじき出し、頭の中でそのライン(射線)をトレースする。
 船体各部のスラスターがその意思を組み、想定どおりの攻撃が出来るよう微調整を行う。
 姿勢制御と同時に、船体下部に取り付けられたディストーション・ランサーがエネルギーを充填し。
 全てが、脳裏の裏の銃爪の前で揺れる自らの指に収束された。

 指をかけると、どこからともなく声が響く。

 ―――殺せ。

 それは頭の奥から響く声。

 ―――壊せ。犯せ―――切って、裂いて、取り出して、組み込んで、潰して、砕いて、掻き回せ!

 それこそが、オマエのするべき事なんだと。その声は笑う。
 己のもっとも深い場所、根源の記憶が呻る。

 しかしどこかで、それはいけないことだとも思う。自分はアキトを助けに来たのであって、人殺しをする為に来たのではないと―――

 詭弁だっ!
 否定の声が響く。
 どんな目的があろうとも、その手段として人を殺すことに変わりはない。
 己の勝手な都合で、大多数のものの命を奪うことは否定できない。
 ならばこそ、『せめて楽しむべきじゃないか?』
 失われる命に、つまらない自己満足と偽善を押し付けるくらいなら、せめてその命を有効に使ってやったと笑って報告してやるべきではないだろうか?
 それこそが最も無駄のない供養の仕方だろう?

 でもそれは、勝手な理屈で―――

 だから、勝手な理屈で人を殺すんだから、その後でごめんなさいなんて言っても仕方ないだろう?なら最初から殺さなきゃ良いんだから。
 ほら、早くその銃爪を引け。
 今ならテンカワ=アキトも殺せる。あいつの乗ってる艦もしっかり射程内だ。
 どうせあの男だって、自分は生きててもしかないって思ってるさ。その願いをかなえてやるんだから、コレは人助けだよ。ほら、早く……ほら!

 ふらふらと、促されるままに指が動く。
 頭の中の声は、何かの為の手段としての殺意と、それ自身を目的とした殺意を混同していると思っても、銃爪から指が離れない。

 撃て、撃て、撃て!と、囃し立てる声が当たり一面に木魂する。
 その声に押されるように、銃爪に当てられた指に力をこめ……それを引こうとしたとき

 ふと、耳元でチャリチャリと何か軽い物が擦れる様な音がした―――

『負けるなよ』

『「コクヨウ」。今日からそれが君の名前だ』


「…………っ!」
 はっとなるコクヨウ。
 突然、機動戦闘用のスラスターを噴射させ、疾時雨の軸をずらす。

「きゃっ!?」
『ぎゅい!?』

 副長席のルリとドルフの驚きの声と同時に、臨界に達したエネルギーがDランサーから奔流となって放たれた。
 直前の急機動により射線をずらされたそれは、本来の狙いを大きく逸れ……それでも、多くの艦と機動兵器をフィールドなど物ともせずに撃ち破り、爆散させた。
 その爆炎に照らされながら、コクヨウは息を吐いた。

(危なかった)

 自分自身の精神もだが、なにより、危うくアキトの命まで奪うところだったと言う事実にコクヨウは恐怖した。

 助けに来た相手を殺すなど本末転倒もいいところ……
 やはり、少し長く潜り過ぎたかと、コクヨウは己の迂闊さを猛省する。
 その傍らで、自分を正気に戻してくれた音の正体へ目を向けた。
 コクヨウの耳元、そこには、出撃前にナイトに渡されて肩に羽織っていた彼のジャケット……その襟元に、自分のメイド服の襟についているのと同じ、イルカをあしらった隊章バッジがついていた。
 鈍く光るそれが、布地と擦れてチャリチャリと音を立てる。

 それがまるで、『役に立っただろ?』と言っているようで、コクヨウは思わずジャケットの襟を握って小さくお礼を言った。
「……ありがとうございます……」

 そしてそんなコクヨウの眼前にウィンドウが開く。

『ずいぶんと荒っぽい運転でしたね』

 ウィンドウの中で、ルリが半眼で睨んでいた。
 コクヨウはルリから見えない角度で一筋の汗を流し、先の行動を詫びた。もちろん、アキトを殺すところだったと言う部分は伏せて。

「申し訳ございません。敵の動きが思ったより速かったものですから、急激な射線変更をしてしまいました」

『……そうですか。次からはせめて、一言くらいかけてくださいね』

「はい、本当に申し訳ございません」

 誠心誠意謝罪するコクヨウ。
 それはこの場にいないナイトやアキトに対してでもあった。その謝罪に、実は少し驚いただけでそれほど怒っていなかったルリはアッサリと矛を収めた。
 そして、ブリッジ全体を覆うスクリーンへと目をやる。
 そこには、先の攻撃でだいぶ数を減らしたとはいえ、まだ相当の数の敵が残っていることが脅威度の高い順に色分け表示されていた。

 ここからですね。と、ルリが言う。

『移動中、ドルフにこの艦のシステムを案内してもらいました。コレだけのスペックでどうして?とも思いましたが……今はおいておきましょう。とにかく、これだけの性能とドルフのサポートがあれば、敵艦隊のシステム全てを掌握することも難しくはありません』

 加えて、敵はこちらに電子の妖精がいる事も、この艦にそれだけの電子装備があることも知らない。
 型どおりのプロテクトなど、ルリにとっては無い様な物だ。
 ものの数分で掌握は完了する。
 それが終わるまで疾時雨を守りきれば、こちらの勝ちだ。

 ルリは微笑む。
「任せましたよ」

 コクヨウも微笑む。
「はい、任されました。そして私も―――お任せいたします。ナイト様」








 ×××








「任されようじゃないか」
 ナイトが、愛機である『十六夜』のコクピットの中で笑う。
 それと同時に、抑揚のかけたシステムボイスが機体を調整する。

 声紋照合……
 生体電磁パターン合致……
 IFSリンク正常……
 機体コンディションを通常モードで同調開始……
 知覚同調……
 思考主体シフト……
 機体限界値を+3.5に修正……
 FCS正常稼働……
 ダメージキャンセラー正常稼働……
 ディストーション・コート出力安定……


 感覚が溶けて、機体と一体になっていくのを感じる。
 加速する思考。
 鋭くなる感覚。
 華奢なはずの身体に確かな力と狂気が浸透する。

 そう……それはまるで、己の信じる力の具現たる『刀』の如く。
 研ぎ澄まされた刃にも似た存在に、自分の体が変化する。

 その変化が極限に達したところで、ナイトは『眼』を開けた。
 目の前に並ぶのは、自らの身体に『ちょうどいい』一〇メートルはあろうかと言う数本の長刀と、それをさら分厚くしたかのような長大な斬艦刀。
 ナイトは迷うことなく自らの『手』を伸ばして、二本の長刀を腰に差し、斬艦刀を『背』につけた。

 普段よりも調子がいいな、とナイトは感じる。
 気分の高揚が機体コンディションにも影響しているのか、いつもよりクリアに情報を感じることが出来る。

 これなら、弾幕比九対一の戦場でも切り抜けられる!―――

 そう考えるナイトの目の前で、戦場へのゲートが開く。
 カタパルトデッキへと進入するナイト。
 気圧差を調整するためデッキ内の空気が抜かれ、カタパルトデッキは真空状態となるが、今のナイトにはむしろ空気抵抗が無くなって『身体』が動かしやすくなったくらいにしか感じない。

『カタパルト、エネルギーちゃーじ』

 宣告するドルフの声が戦場へのカウントダウンに聞こえる。
 段々と高まる緊張。狭いカタパルト内で待機する自分が、まるで銃弾になったような錯覚をナイトは憶える。
 そして同時に、その錯覚が対して的外れなものでもないと感じる。
 これからナイトが果たす役割は銃弾のそれと同じだ。
 シューターである疾時雨を狙う輩を討ちぬく。

 ただし、
 その弾丸は自らの意思で曲がったり速度を速めたりして、狙った獲物を確実にしとめる魔弾だったりするが―――

『ゲート開放。進路クリアー』
 発進準備が整ったことをドルフが告げる。
 ナイトは、もはやお決まりとなった定型句を声高に叫んだ。

「十六夜・閃叉、ロード=ナイト!でるっ!」

『いってらっしゃいませご主人様!ぎゅい♪』

「……気ぃ、抜けるなぁ……」

 あまりと言えばあまりのドルフの見送りに、ちょっと微妙な空気を漂わせながら戦場へと「いってくる」ナイトだった。








 ×××








 生き残った空母から発進した火星の後継者の機動兵器部隊……クリムゾングループのステルンクーゲル主体の部隊は、最初、敵艦であるイルカ艦から機動兵器が発進したことに警戒意識を持っていた。
 なぜならそれは、データベースに存在しない未知の機体だったからだ。戦場であればこそ、そのようなことは日常茶飯事なのだから、いちいちそれに怯えて取り乱すようなことは無いが、それでも未知とはそれだけで一つの脅威になる。
 なにせそれだけで、多くのアドバンテージをそのものは得るのだ。
 武装は?射程は?防御力は?機動性は?運動性は?
 宇宙空間ではほんの少しの傷が致命傷になる。そして、その致命傷を与えるに足る武器が溢れかえっている昨今、古の侍よろしく正面から堂々と突っ込むのはよほどのド素人か自殺志願者だ。
 だから初め、部隊を率いる隊長はその機体を警戒していた。しかし

「正気か、やつは?」

 拡大された映像の中に移る敵機動兵器・十六夜の姿を見て、隊長は失笑した。

 十六夜は、正面から突っ込んできた。古の侍よろしく刀を背負って。

 他の武器……ライフルやランチャーを携行している様子は無い。機体サイズとそのスリムさから、ミサイル等を内蔵しているようにも見えない。仮に内臓武器が合ったとしても、あの細身に納まる程度の武器では、木連のジェネレーター技術を応用して作られた新型ジェネレーターが生み出す高出力のディストーションフィールドを突破することは出来ない。
 隊長は笑う。

「ド素人……いいや、自殺志願者か」

 見れば、構え自体に隙は無い。おそらくは木連式の武術の有段者だろう。
 自信有段者である隊長はそう当たりをつけた。
 そしてその上で、自らの武術の腕前と機動兵器による戦闘の違いを履き違えた、敵の馬鹿さ加減に笑った。

「両翼は展開。敵は『畳の上の有段者』だ。接近を許さず蜂の巣にしてやれ」

「「「「「了解」」」」」

 隊長の指示に従って各機が展開。
 ステルンクーゲルの特徴とも言える高出力のジェネレーターが生み出す高出力を背景とした、一機動兵器が持つには強力すぎる火器……レールガンの銃口を十六夜へと向ける。
 敵は見るからに接近戦に特化した機体だ。有段者が乗っているなら、それは確かに脅威だろう。だからこそ接近前に叩くと隊長は判断した。
 この残酷な合理性が、戦場の真髄だ。
 必ずしも、自分が得意な土俵で戦えるとは限らない。
 『畳の上の有段者』は散開したこちらを見て、誰から狙うべきか戸惑ったのだろう。
 動きを止めた。
 ―――そう、止めてしまったのだ。

「馬鹿が、戦場で動きを止めるか!―――撃て!」

 隊長の檄が飛び、呼応した各機がためらい無く引き金を引く。
 放たれた無数の光弾は、圧倒的な加速で彼我の距離を0にする。
 隊長は、その弾丸が十六夜の手足を食い千切り、爆発四散させる未来を幻視した。そして

 弾丸は悉く空を切った。

「なに!?」

 敵は一瞬で身を翻すと、全ての弾丸を後方へと流した。そして動作の流れを止めることなく、身を屈めたかと思うと……

(……警告。敵機動兵器後方に高度の重力反応を感―――)
 と言う、AIのメッセージが終わるまでも無く、先ほどの加速の比ではない爆発的な加速で距離を詰めた十六夜が、部隊の中ほど、隊長機の隣にいた機体に刃をつきたて、引き裂いていた。

「っく!各機散開!距離を取れ!」
 上下に両断され爆発する僚機を横目に、隊長は十六夜から距離を取りながら命令を跳ばす。

 しかし十六夜に乗るナイトにしてみれば、その命令は実はありがたかった。
 いくら遠距離装備と言っても、十六夜の『眼』にはコマ送り同然。
 元々はIFSの可能性を追求するレスキューマシンという名目で開発された十六夜は、機体とパイロットを文字通りの人機一体の関係へと昇華する究極のマンマシンインターフェイスを搭載した、完全人型機動兵器だ。
 その戦闘における真価は、練達の武芸者が十六夜に乗ることで発揮される。
 ナノセカント単位で情報を知覚する圧倒的処理感覚と思考速度。数トンに及ぶ荷重、人では耐え切れない過酷な状況に適合するタフネス。そういった機械の強みと―――
 人間が持つある種の曖昧さに起因した臨機応変のクレバーさと、長い歴史が編み出した戦闘技術の数々といった人間特有の、機械では再現しきれない強みが一体化したとき、十六夜は無敵になる。

 迫り来る弾丸を知覚し、その軌道を予測して、最小限の動きでやり過ごす。
 さらに言えば、銃口の向きだけでどこを狙っているかも丸分かりだ。
 そうやって攻撃を回避しながら、瞬間的な加速で接近し、切り裂いて離脱する。

 本気で十六夜を包囲殲滅するなら、せめて今の十倍は戦力をつれていなければ無理だ。
 でなければ、密集体系で弾幕を張ったほうがいい。
 それならば、流石に僅かな動きで弾丸をやり過ごすというのは難しいし、なにより加速、斬撃、そのまま切り抜けて再突撃という十六夜の基本コンボが使いにくい。

(まあ、そうなったら、外周から地道に削るか、そもそも相手にしないって手もあるけど……なっ!)

 と、また一機、散開して孤立していたステルンクーゲルの首を斬りとばす。
 突然視界を失い動きを止めるその背後に回りこみ、上半身の動力ケーブルを切断すると、レールガンを奪い取って制御系をハッキングする。
 機動兵器程度のプロテクト、それも旧式であれば、その制御を奪うことなど造作も無い。
 一瞬で制御権を奪い取り、最大出力に設定したそれを付近の戦艦に向けて斉射する。

 無数の弾痕を刻まれ、爆発炎上する戦艦。
 その惨状を見て頭に血が上ったのか、付近の戦艦からの砲撃が雨あられと降り注ぐ。
 すぐさま、レールガンとその本来の持ち主であるステルンクーゲルを放り出して回避行動をとるナイト。
 離脱したそのすぐ傍から、件のステルンクーゲルが味方の艦砲射撃を受けて爆発した。

 それを尻目に、ナイトはまた新たな機体に追いすがり、これを一太刀で切り伏せる。

 すかさず撃ち込まれるレールガンの一撃を、片方の刀で受け流し、お返しとばかりに先ほどの加速術……重力制御とブースター運動に体術による加重移動を組み合わせた、機動兵器版縮地法とでも言うべきもの……でもって接近し、股下から脳天までを一気に切り上げる。
 その機体が爆発するのも待たずに、ナイトの十六夜は駆け出す。
 機動兵器相手のデモンストレーションは終わりだ。
 コレだけの力を見せ付ければ、敵はこちらに戦力を割かずにはいられなくなる。それは、疾時雨に向かう敵を少なくすることに繋がる。
 そしてそれをさらに決定的なものにする為に、次は―――

(戦艦を落とす!)

 背部にマウントした一際大きい刀、斬艦刀へと『手』マニュピレーターを伸ばす。
 まさに対戦艦用に開発されたそれは、エネルギーや強度の問題から『もって五太刀、ちょっと使用回数の多い破山剣だと思いな……あ?アレはエネルギー消費武器?馬鹿ヤロー!エネルギー消費系の最強武器ってのは、いざと言うとき使えないことが多いんだぞ!?ったく、大体ちょっと空飛んだくらいでエネルギー消費って何だよ……長丁場になると意外と馬鹿に出来ねぇんだよなぁ、あとEN5消費の武器とかもよ。敵のど真ん中に突っ込んで馬鹿みたいに撃つとエライ事に……』という、すごいんだか使いにくいんだかわからない評価を受ける武器だ。
 しかしその威力は伝説に言うところのそれに負けず劣らず。

『せぇーっの!』

 大上段から振り下ろされたそれは、実際の刃からさらに大規模の重力刃を発生させ。十六夜の接近を警戒して出力を高めていたディストーションフィールドを紙のように切り裂き、その内側の戦艦を苦も無く叩き切った。
 使用回数が少ないとはいえ、機動兵器単体で戦艦を相手に出来るその攻撃力は、戦艦に肉薄できるパイロットにとっては魅力であり、相手にとっては脅威以外の何者でもないだろう。

 まさにその心配を抱いた火星の後継者艦隊は、疾時雨へと向けさせていた部隊の大半を十六夜への対処に戻さざるを得なかった。
 疾時雨もまさか、射程内に味方機動兵器がいる状態で攻撃を仕掛けては来ないだろう、という判断だった。
 これが、斬艦刀に使用制限があると知っていれば、判断は違ったのかもしれないが……現実に彼らはそれを知らず、それゆえにとりえる最良の手段だった。
 そしてまた一隻、艦が火を浮いた。








 ×××








 艦隊旗艦であるゆめみづき級木連式戦艦「しわす」のブリッジでは、被害報告による怒声が響き渡っていた。
 先の疾時雨からの二射、そして、今現在も十六夜によってもたらされている被害。
 たった一隻と一機によるものだとは思えない被害に、総司令は愕然とした。

 すでに艦隊の半数の戦力が無効化され、頼みの綱であったはずの『核』も、最初の砲撃で搭載艦ごと消滅していた。

 そもそも、敵はどうやってこちらの位置を知り、どうやってその存在を隠し、どうやって核搭載艦を割り出したのか?

 ことここに及んで、気にしても仕方ない過去の出来事を追求する。
 それは艦長として、司令として失格の行動だった。

 ブリッジのお客様シートで次々と撃沈されていく味方のマーカーを面白くなさそうな眼で眺めていたヤマサキは、戦闘指揮官である総司令の顔が怒りの赤から戦慄の青に変わって、それが現実逃避の白に変わったあたりで見切りをつけた。

(こりゃだめだ……一緒にいたら下手すりゃ死んじゃうよ)

 結論づけるや、直属の部下を連れて速やかにブリッジから退席する。
 騒然としたブリッジで、直接戦闘に関わらない見学者が数人かけた程度、ブリッジに詰めた人間は誰も気にしなかった。

 廊下を早足で歩きながら、ヤマサキは両脇を固める部下に語りかける。

「なんだか、前にもあったよねぇ。こういうパターン。あの時と違って捕えてるのはお姫様じゃなくて、王子様だけどさ」

「やはり今回もネルガルでしょうか?」

「さあ?ってこれも前回言ったかな……」

 そう言って、目の前に迫ったゲートに身をくぐらせる。
 部屋の中では数名の白衣が、あわただしくデータをまとめているところだった。
 彼らも状況を読み、早くも見切りをつけていたのだろう。で、あれば、彼らの上司たるヤマサキの発言も決まっていた。

「緊急発令!五分で撤収!」

 あわただしさを増す室内。その影で椅子に縛り付けられたままのアキトを眺めて、ヤマサキはため息をついた。

(結局、実験は出来なかったか……)

 この状況でアキトを連れて行くのは脱出の足手まといを増やすだけだ。
 それにもし、相手の目的がアキトだとすれば、それを連れて行くことは、そもそも脱出の意味をなくしてしまう。
 どちらにしても、アキトはこの場においていくのが最適解だ。

(悔しいなぁ……悔しいよ)

 一度ならず二度までも、さらには二度目は正体不明の連中に、自らの楽しみを妨害される。
 ヤマサキには我慢できないことだった。
 だからこそ、ヤマサキは去り際に一つ、『お土産』を残していくことにした。

(たっぷり……楽しむといいさ)

 酷薄な笑みを浮かべて、ヤマサキは手元のコンソールにコマンドを打ち込んだ。








 ×××








 次々と戦果を重ねる十六夜に対処するため攻撃の手が緩んだ疾時雨のブリッジでは、ルリとコクヨウによる電子戦が佳境を迎えていた。

「旗艦プロテクトコード、32番から60番までを解除」

『全体侵攻率92パーセント。93。94。95……兵装リンク、情報管制、姿勢制御機構掌握』

「……おしまい」

 ピーという電子音と共に、目の前の艦隊のすべてが動きを止めた。
 全ての情報を統括する旗艦に干渉したことで、芋づる式に他の艦とそれに連動する機動兵器のシステムをも掌握したのだ。

 いまや火星の後継者は生命維持装置すらルリたちに握られ、全くの無力にされた。
 ナイトの十六夜も刀を納める。
 終わり方としては実にあっけないが、その実、簡単と言っても結構な労働をこなしたルリの口からは、安堵のため息が漏れた。
 そこに機会ゆえに疲れの無いドルフが気遣いからなのか、ことさら明るい声でたずねた。

『彼らをどうしましょう?捕縛します?』

「―――今の私はアキトさんの家族としてここに来てますから。実情はどうあれ、逮捕権はないと考えます。なので―――ここは一市民らしく、おまわりさんに通報するとしましょう……いいですか?」

「もちろんです。私達も、自首しなければいけませんし」

 そう言って笑うコクヨウにルリは少し申し訳ないといった顔をした。
 二人を犯罪者にした原因の大本は自分にあるのだ。二人は自らの意思だというし、それを気にしないでくれとも言うが、やはり気にしてしまう。
 かくなる上は、今回の功績も合わせて、出来る限りの弁護を二人のためにしよう。
 最悪、軍上層部を脅してでも、二人に危害は加えさせない。

 新たな決意に燃えるルリ。

 モニターの中では、十六夜が旗艦に取り付き、ナイトが艦内に乗り込むところだった。
 念のため、艦内の全てのドアと隔壁をロックして保安要員の動きを妨げる。いまさら抵抗することに意味など無いが、なにせ相手は理屈ではない。せめて一太刀と、襲ってくる可能性は十分にある。

 ルリが艦内の様子に集中し、ドルフが掌握状態を維持するべくプロテクトコードを数秒単位で改変する間。コクヨウは疾時雨を「しわす」に寄せる。
 ナイトから通信が入った。

『こちらナイト。アキトさんを発見した。気を失ってるけど、命に別状はないみたいだ。今から戻る』

『大金星っ!ぎゅいー♪』
 ナイトからの報告にドルフがはしゃいだ声?を上げ。
 艦内モニターを見ていたルリがナイトに支えられたアキトの、五体満足の姿に「アキトさん……」と涙ぐむ。

 その一方で、コクヨウは眉を寄せた。

「おかしい……簡単すぎる」

 確かに、全システムを掌握された後となっては抵抗は無意味で、ヤツもそれは十分理解しているだろう。
 生粋の木連軍人ではないヤツなら、いわゆる熱血なノリで反撃してこないのも分かる。しかしそれでも……これは簡単すぎる。
 何かあるかもしれない……

「―――ナイト様っ、出来るだけお早く、疾時雨にお戻りくださいっ」
 すぐにこの宙域を離脱します。そう続けようとしたとき、「しわす」の下部にあるハッチが爆発した。
 すぐさま、その部分の映像を拡大すると、中から一隻の小型艇が猛スピードで発進し、そのまま「しわす」を盾にするような機動で逃走を開始した。

「っく」

 すぐさま対空砲を旋回させるも、「しわす」の無駄に大きな船体が邪魔をする。
 こんなことなら、疾時雨を寄せるのではなかったと後悔するが、もう遅い。

 小型艇はそのまま、疾時雨の射程外へと逃れた。
 コクヨウは確信する。十中八九、ヤツはあの船に乗っている。

 アキト救出と言う第一目標は果たしたが、ヤツを逃がせば同じような悲劇が、この先も起きる。

「それは見過ごせませんっ!ナイト様っ!しばしお待ちを、疾時雨はこれより追撃戦を―――」

 しかしその言葉は、ドルフの発した警告音によってかき消された。

『警告!警告!敵旗艦内部に大規模なボース粒子の増大反応を感知!次元境界線が不安定化―――このままでは強制的に送転移させられる!?ぎゅい!!?』

「っ!?なんですって!?」

「ナイト様っ!はやくっ!」

『分かってる!」
 ウィンドウから、急ぐナイトの息遣いが伝わる。だが―――

『反応、さらに増大!駄目っ!間に合わない!』

「ナイト様っ!!」「アキトさんっ!!」

『―――っ!!ディストーションフィールド出力最大!!光学障壁ON!!対ショック防御―――』

 最後の刹那、悲鳴のようなドルフのオペレーション報告は最後まで響くことは無く。
 「しわす」から放たれたボソンの光は、あたり一面で避難すら出来ずに漂っていた戦艦や機動兵器も巻き込んで拡大した―――

 そのうちに、疾時雨を巻き込んで……

 光が失せた後……その場には、何も残らなかった。




 いや、正確にはたった一つ……

 歪な形にゆがみ、原形をとどめぬほど四肢を破壊されたピンク色のエステバリスが、たった一機、むなしく浮かんでいるのが、後に駆けつけた宇宙軍所属の実験艦。ミスマル=ユリカ率いるナデシコCによって発見された―――






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