Road to the star seed
3−1
私とオリンポス、についてもう少し。
初めてその幻影を見たのは、もの心付く前、だったと思う。幻影、脳内映像なので、記録に残っていないので。(たぶん、視覚を通しての映像以外は記録対象外なのだと思う。そうでなければ容量がパンクするのだろう)
当然というか。その頃はまだ、両親が死んだ、という事実が理解出来ていなかった。
何とはなし、初めて巡りあったその光景と、両親を、何故か意味付けしてしまっていた。
”そこ”へいけば、両親に会えると思い込んでしまったのだ。幼児のたわいもない思い込みだ。
しばらくして、遺族会主催のアルテミス事故5回忌に私も参列することで、誤解は解かれた。
しかしナゾが残った。では、あの光景は何だというのか。
それは、エントリクラスでの「太陽系の星たち」という授業だった。
探査機が持ち帰った映像をヴァーチャネットで体験するという趣旨で、内側から順に映像が展開された。
灼熱の星、水星、同じく金星、母なる地球、次々に披露されるめくるめく光景に私を含め生徒たちは歓声を上げていた。
そして次に再生された映像に、他の生徒たちが同じ様な歓声を上げさざめく中、一人息をのみ絶句していた。
『これは、太陽系最大の山、火星のオリンポス山頂からの眺望です・・・』
ナレーションの声もあまり耳に入って来なかった。ただあれが、これが、オリンポス山であることだけは判って、それだけで十分だった。
それから数日ほど、ぼーっとして過ごしたのもよく覚えている。
私は、運命という言葉があまり好きじゃない。
それはたぶん、私自身が運命的存在だからだろう。
幼少期に両親を失い、ワケの判らない幻覚を繰り返し見せられ。
それが、運命だというなら。
決着を付けたい。
そんなことを考えていたその日、私は正に運命そのものに見舞われた。
「ミキ・カズサさんですね。突然なことで失礼致します」
かっきり午後11:00。
約束通りに二人はやってきた。
一人はいかにも学者ですというやせぎすな男。
もう一方は、学者よりも刑事か何かみたいな眼光鋭く引き締まった男。
学者の方が、似つかわしい優しい声で切り出した。
「こうして検体に接するのは初めてです。見事だ」
ホントに実験室のマウスでも前にしたみたいな態度でげんなりする。
「失礼、彼はこのプロジェクトに携わってから、一度キミを見てみたいと御執心だったんでね」
刑事の方はずいぶんと人がましい。
まて、そういう私もかなり失礼だったのでは。
「本日は、どういった御用件でしょう」
学者の方が少し背筋を伸ばした。
「本日付けでプロジェクトは正式に中止、スタッフは解散しました。貴方は、自由です」
あ?。ハナシがよめなかった。
「貴方は人間ではない」
悔恨、憐憫、憤怒・・・様々な感情を抑えた、実に人間味溢れた態度で刑事が言った。ように見えた。
「人間じゃない、って・・・」
「プロジェクト名通り、ハイブリッド・エンジェル。それが貴方です」
「羽でも生えてそう」
「環境によっては、生えます」
「え?え?」
「現に、あのとき、貴方は閉鎖系を発生させ、宇宙空間に浮いていた」
冗談じゃない、とようやく気付いた。
本気なのだ、いや。
本当なのだ。
「そして現に、人間ではない貴方は人間向け仕様のナノマシンで拒絶反応が出て困っている、そうですね」
・・・そう、その通りだった。
「貴方は、人間ではないのです」
私はぽかんとしていて、反応出来なかった。
ドラマなんかだとこういうとき、やめて、とか叫んで頭を抱えるのが絵になるんじゃないかとかバカなコトを思いながら。
その後はロクに反応出来なかった。
こうしてテープ起こしみたいな作業をしているのは正にその非人間ならではの完全記録能力によるものだ。
彼らは告げた。
純粋天使計画は、名前の通り、人間の遺伝子を元に、そこからテロメア等の有害情報を排し、最良の人間を創り出す計画であったこと。その第0号が私であったこと。私はサンプリング用の第0号であったが、ナノマシンの発達発展が”計画”の計算外であったこと。今日のナノマシンの機能は、”計画”を十分に代替し得ること。依って、”計画”が中止されたこと。私は人間ではないが、引き続き連邦市民としての待遇、資格を得ること。
自ら望まずにこの世に生を受けた私の今後の”人生”を、アンオフィシャルだが元スタッフ達は支援する用意があること。
「じゃ、一つだけ」
と、私は言ったらしい。
「私をオリンポスに連れてって!」
3−2
連合を屈服せしめその領土を併呑し、群島勢力をほぼ封じ込め国力を地道に削る裏で、連邦は更に地味に宇宙開発を続行していた。
即ち、火星移住計画である。
その計画の先遣隊となる45名は既に火星表土に閉鎖系を構築し、定住しつつ生存圏の拡張にこれ努めていた。
同時に、後のテラフォーミングを睨んだ各種データの採取や基礎研究もおさおさ怠りない。
また、火星と地球・月を連絡する定期航路も、「マーズランナー」の名称の元、月1本の規模ではあるが既に就航している。地球のスカイフックの港を発し月でスイングバイした後、火星を目指す航路だ。
年に一度、人員の入れ替えが行われる。
古参を休息させる作業と、新人の教育だ。
マーズランナーの旅客スペースは10名。
この狭き門を巡って毎年地球・月圏では壮絶なサヴァイバルが行われる。
宇宙開発の現場は一種の危険職で、決して時代の花形などではない。
戦争と同様に世間一般の関心は低いが、それでも十分に狭き門ではある。
火星開発は宇宙開発公社の一部局であり、それは環境省の隷下になる。
まず、一般公務員となり、次に環境省に配属され、更に宇宙開発公社の社員になり、最後に火星開発局に配属されること。これでようやくスタートラインだ。
火星開発局でももちろん開発の最前線ばかりではない、むしろその99%がバックアップとしてデスクワークをしたり機材のメンテナンス、”機材の”開発、”地上での”実験といった地味な作業でそのまま役割を終えることになる。志願は当然自由だが、これも当然受理されるとは限らず、受理されたとて過酷な選抜が待っているのは既にお分かりの通りだ。
そこに、奇妙なウワサが流れた。
今回のセンバツには、シード権を獲得した者がいる、というウワサだ。
「誰、それ?」
「いや、何でも凄いコネがあるらしい」
「それって不正じゃん」
「在り得ないね、ばかばかしい。連邦規約違反だ」
「しかも、人間じゃないんだってさ」
「人間でないなら何だよ」
「天使、らしい」
「ますますばかばかしい」
だが、ウワサは執拗だった。
その年は何ごともなく終わったが、ウワサだけが残った。
候補生の一人は、シード権を獲得した、天使だ、火星クラスには天使が混じっている・・・。
3−3
入学のときから気になるコだった。
始めに興味を覚えたのは、彼女がまとう、どことなく落ち着いた雰囲気だった。
巧く言葉に表せないが、まるでベテラン、の様な。
しかしすぐに、実際の彼女がそうでないことが判った。
常に教室の最前列に陣取り、しゃかりきになってノートを取るのだ。
もう誰もが、この”火星クラス”の大部分を占める研修の過程は、云わば根性試しで、余程の事情がない限り、全員、最終過程に進めるということを、最近では不文律として知っていた。本番は、最終過程でデータセル・ナノマシンをマウントされてからの厳密な審問から始まることを。
だから、座学でも必要なのは要点を押さえることで、ゴリゴリノートを取るのは二の次であり、極端なハナシ、理解さえ出来れば全くノートなど取る必要は無い。今どきメモライザも使わせず、ペンとノートの筆記のみを許可する、などナンセンスもいいところだ。
それが彼女は、一言一句漏らさずにノートに書き留め様としているかの様だったのだ。
とんだベテランがいたものだ。
直正は、自分のカンが外れたのに伴い、最初に感じた興味も無くしていた。
しばらくして、彼女との”再会”を果たしたのは、何度目かのランチのときだった。
食堂の、彼女がいつも隅の方で一人で食べているそこへ、なぜかその日は割り込んでみた。
「ここ、空いてる?」
どうぞ、と関心なさげな声。
それで彼女を間近にして初めて、食事でも外さないその大きなサングラスのせいで、美醜すら区別が付かないのを発見した。
「ちょっと、はなし、いい?」
別に、というまた気の無い返事。
「いつも、教室の最前列にいるね」
ええ、必死だから
それは、初めての直正と彼女との接触だった。
「もしかして・・・ナノマシン障害?」
まさかねと軽いカンジでたずねると。
「ええ、一種の、ね」
ええ、マジかよ?!。
直正は一足跳びに相手のプロフィールの急所を直撃してしまったのを、今更後悔したがもう手遅れだった。
ナノマシン障害・・・いつの世も、何らかの事情で福音から見放されたものは存在する。
ナノマシンが提供する、データ、スキル、フィジカルなものも含めて。それら、現代技術の粋の救いから見放された哀れな子羊たち。ナノマシン障害は一種、”限りない不幸”の代名詞だった。
言葉を失ってしまった直正に、今度は彼女の方から触れてきた。
「だから、ホラ」
顔から外してみせたそれはサングラスではなく、データ・グラスだった。
「特別許可貰ってるけど、焼け石に水、かな」
そういって、彼女はわらった。
すなおに、かわいい、と思った。
「あーえー、その、付き合わない、オレ達」
「今はパス。1秒でも惜しいから」
あっさり秒殺されるも。
「研修が終わったあとなら、いいわよ」
やった!ナイスリカバリオレ様!直正は勢いこんで。
「オレ、小倉直正」
彼女も屈託なく応えてみせた。
「ミキ・カズサよ。純系日系?」
「親は両方ともね」
「私は、父方がそうだったから」
他愛もない会話、だが直正の心は昂ぶった。
先ほど、ちらりと見えた素顔は、飛びっきりで、直正の理想に近いとすら言えるモノだった。
有体に言って、いわゆる一つのワンアイラヴだったのだ。
3−4
正直まいった。
なぜ、人類は、ヒトゲノムを解析して私のようなヒトモドキを創り出すヒマを持ちながら、しかし一方有史以来、常に社会が求めて来たであろうツールについては不完全なのだろう。
例えば、男女の交際マニュアルについて、だ。
この年になるまで、そういうこととは無縁だった。誘われなかったし、こちらから誘ったコトもなかった。
自分が純粋天使というヒトモドキであることを知ってからは、積極的にそういう場から離れてきた。
それが、火星クラスに入ってからこんなことになるなんて。
不覚だ。
彼は無論、私の正体など知らないだろう。
それで、私が彼を受け入れる場合、私は彼をたぶらかす悪女、という役回りになるのだろうか。
私だって、性を与えられた以上、そうしたことは楽しんでみたい!。
いや、性的欲求を私は完全にシャットアウト出来る、そういう機能は純粋天使のそれとして付与されているがそういうこととは別に、だもちろん。
あー。
色恋沙汰はホントに非生産的だ。設計者が人間の理想形としては生殖能力以外での最小限の機能以外をオミットせんとした理由もま、良く判らんでもない・・・。
でも、まちがってる。非効率、非能率、確かにそうかもしれない。
でもそれこそが、人間の本質であるかもしれないではないか。
だが、しかし。
取り敢えず、効率と能率を最大限に要求される受験勉強を著しく阻害することだけは間違いない。
回答を保留しておいたのは正解だった。
仕方ないので今夜はもうねよ。
3−5
そして、研修最終日。
今年は、全員が合格だった。
「ようやく、追いついたわ・・・今年は例年に比べてアップデートが少なかったから」
直正はいぶかしんだ。
「それって、まるで去年も受講したみたいだね」
彼女は謎めいた微笑みを浮かべただけだった。
「ここまで来れば、もう一息」
また謎めいた台詞をはく。むしろここからが大変だというのに。
実は、審問の設問そのものは、結構単純で、例えば次の様な出題。
『火星の地表で貴方は作業車で遠方まで調査に出向きました。しかしその帰途、事故を起こし立ち往生。基地までの移動時間は作業車で約2時間、酸素残量は約3時間。貴方が取るべき最善の手段は?』
模範解答として考えられるのは、単純に、『基地へ状況を報告、閉鎖系を活性化させた後に別命あるまで待機』等の常識的回答だが、その常識的判断を矢つぎ早に、常に的確に、特に危機の際にも持ち得るか否かを面接官10人の揺さぶりを受けながらその前で試されることとなる。
「ああ、そのくらいなら大丈夫」
直正は、奇妙な感覚に囚われつつあった。
もしかしたら、彼女こそが・・・天使なんじゃないのか、と。
その確信は、受講番号では最後尾だった彼女が、データセルマウント後の最終審査では一番に呼ばれ、極めて短時間に涼しい顔で出てきてから・・・。直正の疑念は確信に変わった。
理由は判らない、だが・・・彼女こそが、シード権を獲得した、天使なのだ、と。
調査官達も瞠目していた。
総ての設問に淀みなく回答したばかりか最後には設問の矛盾点まで衝いてきたのだから。
流石は純粋天使、と恐れ入っていた。
そして、最終審査後の、合格者の発表・・・。
再び、ミキの名前がトップに。
次いで・・・下から二番目に直正の名前もあった。
火星への道は、拓かれたのだった。
残された者は、そのバックアップに当たることになるが、約100日に及ぶ研修は、参加者全員にチームとしての一体感を醸成するに十分な濃密な時間を与えていた。敗者は勝者を称え、勝者はその付託を受け、旅立つ。そういうことだった。
その輪から少し離れたところにいる彼女へ、直正は近づいた。
「合格、おめでとう」
「貴方もね」
「うん、有難う」
二人の周囲には、周辺の狂騒が届かない、ブラインドカーテンがある様な、静謐な空間があった。
「・・・キミが、天使だったんだな」
「・・・天使というより、堕天使ね。翼はないわ。飛べない、天使よ」
「そうか・・・」
何がそうなのか判らなかったが、直正はなんとなくうなずいた。
と。
「なーに二人してしんみりしてんだよ」
「お祝いの席なんだからもっとぱーっといこうぜ
「ほらほら」
二人も喧騒の中に巻き込まれていった・・・。
ちょっとした打ち上げパーティはすぐに散会となった。
明日から直ぐに各員のスケジュールは始まる。
今しかない。
直正は思い切ってミキを誘ってみた。
「どう、このあと、時間」
「どーしよーかなー」
ミキは悪戯っぽく笑ってみせ、しばし直正の反応をたのしむ様子だったが。
「うそよ。約束は守るわ」
結局、うなずいてみせた。
ここは、行政組織を集中させた、官庁島だった。
であるので、娯楽や、ロマンチックな施設とは完全に無縁で、初デートのシチュエーションとしてはおよそ最悪といえた。
「とりあえず、展望窓にする?」
直正はニガ笑いとともに提案した。リラクゼーションスペースであり、ここでは広大な島内での唯一のデート・スポットとしても利用されている。
「定番?」
ミキの方は内心の苦笑を隠して応じた。
彼はまだ、自分のことを何も知らないらしい。
でも、妙な詮索好きよりは、いいかも。
”そこ”で両親が死んだし私も遭難した、といったら、どんな顔をするか。
展望窓は、島の構造にもよるが、外壁に一定間隔で設置されている。窓としてもそうだが、同時に植樹がされており、補助的な天然の浄化施設としても機能しており、また森林浴の場としても提供されていた。
で。
冷静に考察すれば十分予見しえた事態であったのだが、エンジニア2人で宇宙空間を眺めてみても、殆ど空気は変わらなかった。
ただ。
ふたり、ならんでぶらぶらと歩くだけ。
むしろ、その方がよかった。
「親父がヤクザな商売でね。その反動か公務員さ」
「ヤクザって?」
「探偵、っていうか便利屋っていうか。連合のテロリストともやりあったとか。息子の僕にも正体不明」
「ふーん」
直正は直正で、意外になにやら複雑な背景を背負っているようで。否。
「日系だと、ほら、いろいろあるから」
「そうよねー」
その通りだった。
WW3で故国を焼失した日系人は、一時期、完全に国家の庇護下から外れ、地球連邦に編入されるまでの間、様々な局面で、各人が独自の才覚での行動を必要とされた。
「正直、じつは火星への興味はそれほど強くなくて。同期のみんなには悪いコトしたかもしれないけど。でも」
直正は、じっとミキの眼を見ながら。
「こうして、会えた」
ミキも素直に視線を絡めて応じた。
「嫌い、じゃないわよ。たぶん」
しかし、口では戯れてみる。
「ほかにいるの」
「今はいないわ」
「じゃ、一番だ」
「明快ね」
実際、悪くなかった。古今東西、若い男女が理由を見つけては互いにひっつき、こうして楽しむワケだわ、と。
直正は言葉を切り、足を止め、ミキに改めて向き直って、告げた。
「ミキ・カズサさん」
「なんでしょうか」
ミキも調子を合わせ。
「キス、してもいいですか」
ミキは答える代わりに、軽く眼を閉じてあげた。
それから、何度か唇を合わせるたびに、少しずつ、確実に、お互いの間で何かが昂ぶっていくのが判った。
二人の夜を過ごす時間は、まだ、あった。
「その日にキスしてシケ込んでー。ああ、インランだったんだ」
「忙しかったし、これからも忙しいし。いいじゃないタマには」
「タマにはねー」
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