イリヤの空、UFOの夏
あるいはちょっとしたトラブル
作者:出之
7.
「随分と遠方に流れ着いたものだな」
そこに慨嘆の響きは無かった。事実を淡々と発声したのみで。
いや、そもそもの、感情に類する何ものも表現されてはいなかった。無感動、ですら。
ズィーグ星間軍、第三遊覇群、筆頭翅、ボイデ・バクセス・カウツ。
遊覇群は遊撃とは少し、違う。
戦闘機が行う緊急発進を、宇宙艦隊規模に拡大したものと思えばそう間違いではない。
「最初に現地軍が捕捉した時点で全力加速中でした。無警告で迎撃させましたので、航路選定の余地が無かったものかと」
副官が応じる。
「ケツが壊れるまで蹴りつけられた、というところか」
副官は笑わない。カウツ自身も無論。
サムかった、ということではない。感情というものはもとより無いのだ。
ズィーグを一言でいえば昆虫、ハチ、である。
ただし前肢は2対、後肢も2対。
羽はそれほど退化してはいないが、平均2mに迫る巨体を支えることはできず今では滑空すら不可能。飛行能力は失われ、儀典に際して開かれるとき等の外観の美醜を測る指標の一つに、意味を変えている。
彼ら自身が”表情”というものに乏しいからか、知能の発達の過程で、感情という精神的な”揺らぎ”が発生しなかった。
彼らの歴史に、これは非常に有利に作用した。種族の繁栄という一点に見るなら、感情のような知性の雑音は阻害要因以上のものではない。
必要に応じて生き、そして死す。
殆ど理論値最大限界最大効率で彼らは繁殖、繁栄を続け今はこの島宇宙の一角を占める、銀河有数の大勢力として雄飛している。星連で元老会議に就く種族の一つでもある。
「アルカが退きます」
副官が告げる。
「聡いな。噂に違わずよい逃げっぷりだ」
「そのようで。ナイナは如何に」
む。とカウツは、自他共に高評価の適度な太さと形の触覚を軽く、しごく。
「させておけ」
と一言。
この艦隊は旗艦である戦闘母艦の航試中にあった。
探りの目を避け辺境に在り、今回の事態だった。この戦力が即応出来る直近だったのだ。
戦闘母艦。
艦隊旗艦であり、強大な指揮命令能力と絶大な火力、そして膨大な艦載機搭載を誇る、正に文字通り1艦で宇宙戦闘の総てを司る艦種である。
「先行翅の準備は」
カウツが尋ねると。
「準備宜しとの報告が既に」
抜け目なく副官は即答する。
「はい。先行艦載翅準備よろし。」
巣営長も直接回答する。
「出せ」
「出します」
2機の艦載機が射出される。
機、といっても中小の種族が保有する戦闘艦並みのサイズだ。
それは易々と光速に達し、そのまま超光速巡航に突入する。
ペルコムは冗談でなし、泣きたくなった。
さんざん既出の通り、連戦連敗の苦境にあるナイナ軍のフトコロは非常に厳しい、火の車である。一つ、群を出してくれ、それも遠方に、との要請に、はいそれではと応じられる状況にはない。
今回、何とか数だけはそれなりに揃えたが、艦隊を編成する各艦、状態も所属も出自がばらばらだったのものが、全艦揃っての艦隊行動訓練一つ行われることなく、そのまま最前線に投入されている。
一言でいって、当然、ただでさえぐちゃぐちゃのばらばら。
それがアルカの、仕事熱心な艦隊の演習に、無理やり付き合わされるハメに陥った。
向こうにしては謂わば”遊び半分”なのだろうが、こちらは真剣勝負だった。
ズィーグ領内の研究施設から強奪、乗り逃げされた新型機関を搭載した実験機。
それが、ナイナが領有準備を進めていたここ、地球に落着するとは。
領有とはつまり、委任信託の形まで関係を進めてしまうことだ。現地からの要請の形で保護下に置く。
地球及びその星系は、銀河で開設されている様々の航路の、何れに、遠い。
戦略的価値は著しく低い。維持管理を思うと結局、持たない方がマシ。
独力であれば。
原生している種族を巧い具合に育成、自律的に維持管理させその成果にタダ乗りだけ出来れば、ないハナシでは無くなってくる。ナイナもその通り、アルカ攻略のための支援、補助の役割を地球領有に期待していた。
そしてこうした直接攻略と別に、間接的攻略が試みられていた。
中央の有力種族に支援を願い出る。上がった名の一つがズィーグであった。
大きすぎないか、という懸念も何度か出されたが、交渉はそれなり順調に進捗した。
そして、ナイナから提示されたアルカ攻略への支援要請に対し、「検討したい。その価値も認める」という割と前向きな発言が得られた。
しかし、ナイナからの地理的感覚では遥か銀河の対岸に本拠を固めるズィーグの存在は余りに、遠い。
我が忠誠を示すに如何なる方策を以ってありや、なしやと、煩悶していたところに今回の事件、である。
ナイナは1も2もなく跳び付いた。地球駐在部が落着を確認した時点でもう、ズィーグ星務事務局に向かい、標的の回収代行の任を申し立てていた。そして。
今、結果はさんざんだった。
時々、戯れのように照準信号を放ってくる以外、アルカは1発も撃ってこなかった。
アルカが持つ、策敵、探査能力、技術は裏返すとそのまま、妨害攻撃と変わる。
一つの目標が少なくとも千。或いは億、場合によって兆の単位の”影”を纏っている。
それは何もない空間だが、火器管制装置はそこに敵がいると喚き散らす。端から撃ち、また虚信を発して”影”を掻き消さんとするが、間髪置かず別の出力に切り替えられる。
威嚇どころか本気で狙ってかすりもしない。
アルカと戦争を始めたのはどこの痴頭なんだ。ペルコムは言葉の限り叫びたかった。
それはもちろん、諸族頭の総意であり、星治屋どもの失策と怠慢であり最後に、軍の無能の成せる業なのだ。
勝ててさえいれば。そう繰言しながら歴史の深淵に消えていった軍の、その種族の、なんと……。
副官がしきりに叫んでいる。
「司令! 」
副官の声が明瞭な響きとなって届いた。
ペルコムは眼前の事実に引き戻された。
直ぐに気付く。
静かだ。
何が。
アルカが。
居ない。居ない?
ここ短時間での自軍と、強引に手を取られ引きずり込まれ引き回された舞踏会の、その疲労そして倍加する困惑が、ペルコムに指揮権の委譲と僅かな休息を囁いていたが彼は負けなかった、踏み止まっている。
アルカの撤収は、よい。今はそれ以上に情報はない。
そうだ。我々が今ここに展開している大目標は。
「回収は、まだかね」
「まだです。それどころか」
ペルコフは怪訝な目つきで先を促す。
「突入、降下したアルカの一部部隊は標的近隣に展開しました、奴らは直ぐに野戦築城を始めたのですが、撤収の際、それらの一部設備が稼動放置されたままです」
くわ、とペルコムは目を剥いた。
「天祐である。全軍、突撃せよ。緊急避難である。アルカが構築した海上陣地を破壊後、総ての元凶である実験機関を我が方の手により回収する」
配下から初めて、歓声のようなものが上がった。
ようやくこの地獄を抜け出せる、と。歓声、歓喜の叫びだった。
ペルコフは独り、疲れた表情を隠そうともせず黙然と、断じた。
こうしていれば良かったのだ。始めから。責任などあとで幾らでも被ってやればそれで良かった。
とうの昔に、終わっていたものを。
ズィーグが放った先行部隊は、貪欲に情報を貪り後方へ送り伝える目、であり、必要であれば取得した情報を元に、脅威目標へ母艦の攻撃を直協支援として誘導するムチでもあった。大昔の戦艦と弾着観測機との関係に似ていなくもない。
尤も既にお判りの通り、例え単機でも並みの戦闘艦相手なら遅れを取らない。
そして、部隊はその存在を補足し、直ちに母艦へ申し送った。
「ベイファス、本隊は継続して主星を軸に我が方と反航進路にありますが、両用部隊を分離、地球に向け突出させる気配。最新です、ベイファス両用部隊、地球に向け進発。更に打撃戦力が追随。本格介入を企図しあり」
カウツはしばし、無言で下の手をこすり合わせていたが。
「星務がどう躾けているかは知らん。ナイナに退去勧告を出せ。顔は潰すが命までは取らん、とな」
仄かに、いらだちに似たものを織り交ぜながらカウツは令する。
「応答ありません。回線は開いているようですが」
副官の声が僅かに驚愕の響きを伴った。
「……応答あるまで続けてやれ」
カウツは後悔に似た何かを頭脳に宿らせながら思う。
忠義とは不便なものだな、と。肝心要で紙きれに還る。
馬面どもにこうした小器用な真似は無理だったか、と。
ベイファスが傍観に徹するのであったらよし、ナイナのケツを拭いてやるだけだ。
しかし当然、仕掛けてきた。
綺麗な幕引きの時期は過ぎた。
今は、どう、始末をつけるか。
ただそれだけだ。
情報表示面を、そこに表示される青い星をカウツは見る。
地球か。
水球の名が相応しいようだが。
カウツは密かに、その星が持つ外観に高い評価を与えた。そして。
「破砕砲撃準備。目標、地球」
「破砕砲砲撃準備。砲撃照準波勃起させます」
副官が静かに復唱する。
「ナイナの連中、気張るな」
司令の声に。
「戦意は高いようですね、変わらず」
副官はあまり興味なさげだ。
「そうしたものでもないぞ。戦意というのはあれで存外、やっかいだからな」
ベイファス宇宙軍、緊急展開派遣第2群、司令、ダスイナス・バイドベインは諭すでなく、続ける。
「どれだけ堅牢凶悪な兵装を持とうと、兵が戦意を失えば棺桶以上の役にはたたん。戦場を決することもある。太古ではそれが総てだったしな」
とはいえ、と。
「宗主を無視して眼前の戦場にしがみ付くのは、あまり巧い遣り方ではないよな」
「宗主、ですか?」
笑いを含んだ副官の声に。
「ナイナのズィーグ詣では有名だろ?」
とぼけた声で。
ズィーグが発した退去勧告はベイファスでも受信している。
当然そこには、ベイファスへの威嚇も含まれている。
手を出すな、と。
ベイファスを表現するなら、トカゲ男(女)の一言だ。身長は3m前後。
但し、うっすらと体毛をまとっている。ウロコの間から。
そして、冬眠の能力を保持したまま恒温生物への発達を獲得した。
素で冬眠しながら星の海を泳ぎ渡れる能力は、種族繁栄にとってこれも大きなアドバンテージとして作用した。
加えて頑健な体躯。改造された兵は生身で真空暴露に堪える。
彼らもまた、銀河に覇を唱える条件を存分に満たしている。そしてやはり、元老会議の1席を掌中に収めている。
しかしなんだ、とバイドベインはぼやく。
「子供が必死にしがみ付いている玩具を力任せに取り上げる、なんてのはあまり行儀よくないよな、な」
「仕事ですよ、しごとですって」
副官が軽い調子の声を出す。
「まぁなぁ、こんな島のド外れくんだりまで出向いてさぁ、ぶつぶつ」
「先行降下部隊、ナイナに接触します」
「そおか、よしそれじゃ」
バイドベインは声を張ったが。
「楽しいたのしい綱引き合戦の始まりだ、ぞ、と」
カケラも嬉しそうではない。むしろうんざりと。
「照準波投射、準備よろし」
誰が悪いのでもない。
地球種よ。己の不幸を呪うのだな。
カウツは胸中で祈りにも似たものを、何かに捧げだ。もちろん宗教はない、神もない。
地球よ。
「撃て」
告げた。
破砕砲撃というのは、字面ほど力任せな暴力ではない。
寧ろ数学、科学的に対象を破壊、消滅させる。
準備段階としてまず、対象の空間存在情報を読み取り。
得た情報を反転させ。
現在の存在情報に”上書き”攻撃する。
存在情報を消滅させることで、対象を空間から”削除”する。
その、照準波の照射を受けた段階では。
人は、無傷だった。動植物も。
人間が創り上げた建造物を始めとする無機物も。
しかし、深刻な、破滅的な影響……攻撃を受けた一群が、存在した。
存在情報の読み取り。実時間はナノ秒単位の刹那であったが。
電子計算機を機能させるプログラムは、一種の純粋情報である。
無論、個々の機体が狙い打ちされたわけではない。しかし。
地球を覆い瞬時、これ以上ないほど凶悪に吹き荒れ狂った情報的暴風雨に曝され。
地球上に存在する電子計算機、電子機器の殆ど総てが、損害を受け、機能を停止し、そして破壊し尽くされた。
自身、知識として知ってはいるようだった。
だが、実際に見るのは初めて、或いは久しぶりのことなのだろう。
「でけぇ」
呆れて、見上げ、眺め渡した。
全長、約500m。
全幅、約80m。
機体後部の機関部の張り出しが、それだ。全体的には細長い円錐、棒状だが、そこが不自然に出っ張っている。
その張り出しにエンジンらしきものが、計3機。
ジェットエンジンではないようだ。タービンブレードが見えない。
知識があれば、それが真のジェット、スクラムエンジンであることが判るだろう。
飛翔体と聞けばふつう連想する、翼らしきものは一切、ない。
全長500mだぜオイ。
それが飛ぶのか! 。
音速の数十倍で。
しかも。
乗るのか。このおれが。
「何をしている江嶋三尉」
搭乗口に手を掛け振り向いた、佳南の鋭い声が江嶋の背を打つ。
直ぐ声を掛けられたようで、それほど呆けてはいられなかったようだ。
機体は支持架で支えられ、搭乗口にも回り込んでいる。そこから楽に乗り込めた。
キャノピー、ではない。
そこが機体の質量重心なのだろう。機関部の少し前方にハッチがあり、そこから機体中心軸まで降りた場所に操縦席がある。
前後2席。これだけの図体で二人乗りだ。
「孝憲、遅いっ!!」
という声には、出来の悪い部下を叱責する上官、であるより、待ち合わせるといつも平気で5分遅れてくる彼に向けての拗ねた甘えの響きが、意識するとせざるとに関らず漏れ出てしまっている。10分遅刻! だって私はいつも5分早く来てるから。
えええっ、なんでえぇ! ! 。
二尉、ぼ、と顔が真っ赤に染め上がるのをこれは、意識しながら。モトヘ。
「遅いぞ江嶋三尉」
二度叱られた。
一度は恋人として。
二度目は部下として。
待て、恋人?いつフラグ立ってどう回収されたんだ?。まあそれでもいいが。
「申し訳ありません、二尉殿! 」
口と右手が同時に勝手に動く。見えない前席に向けぴしりと、敬礼。
「宜しい。発進前点検、開始する。読み上げ任せる」
完全に士官の声で、佳南が命じる。
「発進前点検、開始します」
江嶋、復唱。
ほぼ同時に。
鈍い音と共に、頭上のハッチが閉じる。
視界が暗闇に閉ざされる。しかし次の瞬間取り囲む壁面全体、操縦席周りの全周表示面が1回瞬き、壁が、天井が、足元にも、外部の光景を映し出す。
浮いているような感覚。
そして眼前に、空中に浮き上がる様々な数値と、指標。
なんだこりゃ。
孝憲の意識はそれらを拒絶しかけるが、眼と頭脳は完全に理解していた。
江嶋三尉の口が動く、読み上げる。
「主機動作」驚いているヒマは無かった。いまさら。
「動作正常」
落ち着いた声で前席、佳南が応える。
「始動準備」
「準備正常」
「電力確認」
「供給正常」
「主機、始動」
「始動、開始」
同時に背後から、巨大な野獣が発する唸り声のような音が1回だけ、轟いた。
その後に続く爆音は、しかし存在しなかった。
ただ、小刻みな振動が伝わってくる。
「主機出力」
「定格上昇」
「出力確認」
「発進十分」
二人は唱和した。
『乙号、発進準備完了! 』
発進準備は管制で続行される。100秒からの秒読みの中、二人は自主点検を進める。
「副機動作 めんどくせえなぁ」
「正常確認 私語しない! 」
「主機動作 なぁ佳南」
「出力定格 タメ口しない! 」
「機体温度 お前、実はいくつだ」
「温度平常 女のコに年、聞くんだへー」
「航法動作 ムリには聞かん」
「正常確認 16と2ヶ月ですけどなにか」
はた、と点検を放り出し。
「そのくらいだよなー。青春まっさかりじゃん」
三尉は、ボヤく。
「わ、私だってせいしゅん、あるもん! 」
二尉、ムキになって反論。
「ふーんそうか。どんなんだ? 」
突っ込みよりはむしろ、ビリなのに脱水でヘタりこみそうなランナーに送る声援の響きで。
「ど、どんなって、えーとえーと、筋トレでしょ、遠泳でしょ、あ、只の遠泳じゃないよ全備重量負荷で! 」
三尉は前席の背に無言で突っ伏す。
「……悪かった。おれが悪かったよですよ二尉殿。そうですねせいしゅんばんざい」
「そ、そうよ! 私だってせいしゅんまっさかりなんだから! ! 」
気まずい沈黙の中、秒読みは最終段階に進む。
「発進、10秒前」
「乙号、各部正常、発進準備以前宜し」
「射出軌条準備宜し」
「5秒前」
「4」
「3」
秒くらいだった。
ふ。
と辺りが暗くなる。
総ての照明が。
電源が。
「どうした!」
「原因不明!」
「非常電源反応なし!」
「なんでもいい電力寄越せ軌条が冷えちまう!」
「手動切り替え!」
暗闇に指示が、怒号が飛び交う
「反応ありません、あ」
「何だ!」
「原因判明、復旧します」
照明が、電力が戻る。
操作卓が息を吹き返す。
「旧型電子設備、ほぼ全滅。切断完了。原因不明です」
「核でも爆発したか?」
「EMP等電磁放射検出されません」
同時に世界では。
例えば飛行場で。
着陸姿勢にある大型旅客機が突然、ギアも出せずにそのまま鉄の塊となって滑走路に叩きつけられる。
上空で旋回していた機体が、バンクの姿勢で空をずるずる横滑り、市街地に落ち辺りを薙ぎ払う。
各駅停車はプラットホームを轟音と共に駆け去り、引き込み線から宙に身を投げる。
時速100kmを越える鉄塊が正面から、或いは互いにカマを掘り合い激突する。
大型タンカーは進路上の総てを撃沈した挙句に港湾施設に突撃する。
工場が爆発している。病院にも修羅場がある。
宇宙種族達がゲームを始めると同時に、地球では少なくない血が流れた。流れ続けた。
しかしそれは、すりむいた傷に血が滲み続ける、程度のものだった。人間にとっては大事だが、大都市の幾つかが焼け落ちたとて、グロスで見れば微々たるものに過ぎない。
だが、これは違った。
その時、今度こそ全地球規模で、叩き付けられた破壊は今この瞬間にも億の単位で死体を積み上げ続けていた。
乙号出撃に際し、相庭二佐の姿も管制室にあった。
海王星軌道から数百kmほどの位置に二点、人類文明がその総力を結集してもなお隔絶、遠く及ばないまでの強大な出力が存在した。のみならずそれは、光速の数パーセントという有り得ない超運動量を示している。両者は太陽を間に挟み反航状の機動を描いていた。彼らからすれば微速を維持しつつ互いの出方を伺っている、というところなのだろうか。
一方、地球近隣では何ものの存在も感知し得ていない。ただ原因不明の、大気上層の擾乱が観測されているだけだ。もっとも、総てが始まったと同時に主に軌道上にある人類の耳目が文字通り全滅してしまってはいたのだがそれにしても。
地球は、地球人のものだ。
二佐は胸中で独語するが、自分自身”日本人”でしかないこの現実が今の事態を招いていることもまた自認している。
改めねばならん。それが今からであっても。
「乙号発進復行、50前から」
「了解、50秒前」
「待て時間が惜しい! 乙号、自機発進する! 」
佳南は復行に割り込む。
「駄目だ佳南!行動時間が!」
我に返った相庭が思わず叫ぶ。
「乙号出る。支持架開放、前扉開け」
「支持架開放。離床宜し」
「前扉開放宜し」
「おまえら、くそ」
「進路宜し。乙号発進許可する」
「乙号、発進」
「発進」
信州の山奥、私有地につき立ち入り禁止のその山麓で。
山は割れこそしなかったが、巨大な鐘を衝くような重い鳴動と共に山腹の一角に深く広い丸い穴が現れ。
そこから何か輝く影が幻のように閃き。
気が付けば、穴もどこに開いていたのか判らない。
乙号は太平洋側に向け飛翔している。
これは基地の構造の問題で、仕方がない。蒸気機関車のターンテーブルのようにはいかない。
『進路、太平洋。定常加速後転針開始、右維持旋回1.3。』
『航法了解』
そして江嶋は気付く。
『私、発音してません』
『乙号の交信支援だ。気にするな」
そっけなく、佳南。
そういう問題か!。
『なんかそれと、時間がゆっくり過ぎる様な』
『保護場の作用だ以下同文だ気にするな三尉』
乙号の通常作戦行動限界は12秒。
それが今回、自機発進により8秒まで削られている。
鼓膜や声帯や言語中枢、それに顔筋を用いた意思伝達と合意形成これを1,2秒でやれというは不可能だし精度が下がるし操作操縦もあるしで絶望的だった。
「速度読み上げ、1」
マッハ、である。
「2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、副機切断、主機全力」
「切断確認。主機出力正常上昇」
スクラムジェットによるマッハ15迄の加速とその切り離しは、自動だ。
主機が地球の大気と重力圏に切り拓く壁と坂を乙号は飛ぶ。
その航路は大気圧にも、重力にも妨害されていない。
「旋回開始」
空がゆっくりと回り、凄まじい勢いで流れていく。このまま地球を半周する軌道になるがそれでも最短だ。
ズィーグの攻撃照準波を受けて。
ベイファスには影響、損害共に皆無だったが、対していたナイナには止めの一撃の格好となった。
老朽艦が、全身から火花を散らしそのまま眼下の海原へ、或いは東シナ海に面する土地へ、市街地へと向かって落ちていく。撃沈されずとも不調を訴えてくる艦は、多い。
「全軍、撤収!」
涙を滲ませながらペルコムは叫んだ。
既に退却の指示もあるし、ペルコムはそして凍りつく。
我々にはズィーグと何の関係もない。
通商条約一本すら締結されていない。あるのは嘘寒い友好関係のみだ。
この戦場に、どれだけの意味があったというのか。
まんまとアゴで使われた、そういうことだな。
ペルコムは再び、全軍撤収の声を上げる。
「ズィーグの旦那、星ごと吹き飛ばすってか?剛毅だねえ」
「全軍、撤収させますか?」
うろたえる副官に。
「まあまて、あれは”ナイナごと”ならで、ウチと一戦交える気はないよさすがに。」
「ナイナ、後退する模様」
「よし!」
バイドベインが勝利、を確信したとき。
「識別不能反応接近!」
「なんだあ」
何が、何だってこの時になって。もう終わりだぞ。
あと一息で回収作業は終了する。
「原生種の模様、あ、標的を攻撃してきます」
「なんだとぉ?!」
雲、一つとて見えない快晴であるのに、東シナ海は台風直下の如く荒れ狂っている。
その波浪の中、ゴムボートが一隻、木の葉の様に揺れていた。
その側面に大きく、CASCADE、のステンシルがある。
乗っているのは全員が軍人、否、第7艦隊旗艦、「カスケード」の乗り組み員だった者達だ。膝を抱えうずくまり足元を見詰めながら何かを呟いている者、頭を抱えただ震えているもの、海原を眺めながらひたすら何かを数えているもの。
ラムソンは合衆国国歌を繰り返し吹いている。
眩く輝く光となって消滅した艦。
溶けるようにぐずぐずと波間に消えた艦。
蜃気楼のように淡い姿になりそのまま消え失せた艦。
ふつうに爆沈する艦。
カスケードは突如転舵してきた僚艦のフリゲートと接触、沈没の已む無きとなった。
このゴムボートとそこに居る一握りの将兵が、第7艦隊に残された最後にして唯一の戦力なのであった。
何がいけなかったのだろう。ラムソンの中で健在な、妙に冴え渡る部分が自問を繰り返している。大陸軍は全く寄せ付けなかった。私の任務はそれで完遂されたはずだ。しかし、我が艦隊は壊滅した。これは私の職掌外ではないのか。私は知らされていなかったのだ。軌道軍なり戦略空軍なりの仕事だろうあれは。なぜ、私の第7艦隊が壊滅せねばならなかったのだ。
だが、彼にはそれを解くべき材料は最後まで与えられていなかった。
そこにいたややマシな状態の、唯一の女性が彼方を指差し突然、自身が引き裂かれるような高く長い悲鳴を上げた、上げ続ける。幸福にもそのまま彼女は発狂出来た。笑い声と共に海面に身を投げる。
或いは健在なりし第7艦隊であっても深刻なダメージを負っていたであろう巨大な水の壁が、全、自然を代表して人間にその尊厳を教育するとでも宣言するかの如く、高層ビル並のサイズの波濤がゆっくりと彼らの視界を閉ざしていった。
それが過ぎ去ったとき、海面には何も存在していなかった。
ゲームを止めさせるにはどうするか。
相手を腕づくで阻止する。
その腕力、体力がもしなかったら。
なら、ゲームそのものを破壊してしまえばよい。駒を盤面から排除する。横から掴んで投げ捨てる。
標的が照準環に収まる。実際はまだ水平線の向こうで視認出来ないのだが。
「照準、よし」
「安全装置解除」
「解除確認」
「出力定格。射撃準備よし」
「MB砲、射撃開始!」
「いっけー!!」
前席は機体制御、そして後席は機関制御並びに、射手、だ。
MB砲、マイクロ・ブラックホール生成投射機。
1秒間で10発の弾丸を発射する。
弾頭1発での威力は質量に換算して約1500億トン
と表現してくると何だかスゴイみたいだが、頑張っても所詮運動兵器、素手でぶん殴ってるのと原理的には大差ない。ように見える、一見。
MBだってブラック・ホールの端くれだ。しっかり特異点を持っている。
どういう意味か。
特異点はこの世、4次元の時空連続体と切り離された存在だ。
MBが蒸発する際が重要だ。
時空連続体の連続性に特異点が干渉するのだ。
どうなるか。連続性が極所的に喪失する。
その一瞬、断続、不連続な存在となるのだ。
この世が同時に、量子的不確定世界であることはご存知の通り。
不確定であるが故、存在は存在し同時に存在しない。よくいうシュレディンガーの猫である。
時空の断続、不連続はこの存在確率を僅かに、極僅かに非、存在閾値に向け押しやる。
MBは質量のみならず対象を、量子的確率論的な性質により攻撃しているのだ。
どうでしょう。尤もらしく聞こえますか?。
「効いてる?!」
「判らん。くそ、あと何秒だ」
「3秒、2.5。」
「全出力をMBに突っ込む」
「ええ?それじゃ」
「後がないんだ!許せ!」
「火力増大!保護場飽和です!防護持ちません!」
バイドベインは難しい顔をしていたが、突然。
笑い出した、実に愉しげに。
「司令?!」
副官が恐ろしげな声を向ける。
「ああ、すまん、大丈夫だ。破壊されたんだな」
限界は突然だった。
乙号には設計段階から自重を支える剛性すら与えられていない。もしそんな性能を求めたが最後、剛性と要求出力の倍々ゲームが始まり全長は数kmに達し反して行動可能時間は1秒を限りなく割り込むだろう。支持架に慎重に横たえられた機体はいうなれば、トウフで出来たF1カーだった。
突如、総ての保護を失い重力井戸の底の分厚い大気に叩き付けられた乙号は、機体各所の応力集中点であっさり破断、べしゃりとばらばら、粉々に空中で砕け散る。
機体が崩壊する中、コクピット自体は堅牢な造りで破壊を免れてはいたがしかし、発生した衝撃は搭乗員を直撃した。
それは緩やかに縦回転していた。
孝憲は薄れゆく意識の中、必死に前席に目を向けた。
がぼ、ぼぼ。蛇口を開いたように口元から血が流れる。あふれる。止まらない。内臓破裂か、ぼんやりと。
前に差し出した手が、握られた。
その手も赤く染まっていた。
か、な、ん。
喉から息が漏れた。
たけ、のり。
答えが聞こえる。
目はもう開かない。
行こう、いっしょに行こう。
返事の代わりに、手が引かれた。
これで、よかったのか。
いいのよ、これで。
幸せになろうね
ああ、そうだ。
緊急出撃後、地上と宇宙の謀略の狭間で身を呈して国を護り散った甲号に続き、乙号もまた初出撃と同時に未帰還と消えた。
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