イリヤの空、UFOの夏
あるいはちょっとしたトラブル

作者:出之



 9.

 佳南は少し柔らかくなった。
 以前の彼女には正直、美という純度イレブン・ナインの結晶を精密作業で削り出した彫像の様な、一種近寄り難い、触れるものを引き裂かずにはおかないような危うさが可憐さと並存していたが、今の彼女からはそうした、光強ければ闇また深しという一種妖しい陰影は払拭されている。
 眺めていると。
「?なあに」
 不思議そうな表情で問う。
「ああ、いや。かわいいなと思って」
「きゃ、やだ」
 恥ずかしげに顔を染め俯くさまは、ほんとうにふつうだ。
 江嶋は安堵する。そして問いかけてみる。これで良かったんだよな、佳南。今はいない彼女たちへ向けて。
 そして江嶋は就業した。
 バイドベインの立場と口ぶりから、いきなりどっかの最前線にでも送られるのかと、それならそれで止む負えないと覚悟していたらデスクワーカだった。
 これには江嶋も拍子抜けした。いや助かったが。
 『いますぐ戦るか』という身も蓋もない名称がバイドベインが長を務める一方の組織、警備保障会社の社名だった。独自の艦隊さえ保有する、傭兵会社といえばそう、バイドベインの私兵といえばそれも正しくそう。そこでの資料係りに江嶋は配属され、勤務することになった。役職は主任。部下、ミャウ族出身の作業補助員も一人付けられた。因みにミャウ族というのはネコミミ族だにゃん。ネコ系の哺乳類が知性を獲得し発達した一族である。語尾に”にゃん”は当然付かないざんねん(ざんねん?)。
 職務は情報をひたすら収集すること。何のスキルもコネも権限もないので当然ソースは公開情報、但しもちろん安全保障に関連するコトを。評価も分析も解析もなし。それはまた別の部署が行う。右へ左へがんがん投げ飛ばすだけだ。休まず遅れず定型業務を時間内だけこなし定時で退勤。そんなある種平穏な日常が続き、二人ともそれを喜んだ。が。
 江嶋は直ぐにその意味に気付いた。学習させられているのだと。これは一種のOJTだ。日々の業務に没頭する中、彼の中で次第に銀渦の趨勢が、そこでのベイファスの位置が始め朧げに、そして克明に把握されるようになっていった。
 必然的にその日は来た。
 江嶋はいつものように定時に出勤し朝の挨拶を交わし、漫然と情報をスクラップしていて、手が止まった。漫然と。もう無意識の内に目の前にある情報の断片とベイファス領の最新情勢をリンケージさせ重み付けする、一連のプロセスが彼の内に組みあがってしまっていた。
 だから気付いた。気付いてしまった。
 これは越権なんじゃないかと思いつつ手は勝手に動く。打ち上げた文書をバイドベインへの信書扱いで送付していた。効果は即現れた。
 主任、社長がお呼びです。回線お回してして宜しいですか。
 部下が呼び掛ける。
 返事を待たずにバイドベインは江嶋を回線に引っ張り込んで来た。仮想会議回線だ。
「よく書けてる。よく見たな」
 前略後略。いつもこれ、いきなりだった。
「どうも」
 江嶋が答えるのを待たずに。
「で、これを”どう”するつもりだ」
 どうするって。それを決めるのはお前さんだろ。と顔には出さず仰せのままに待ち受けていると。
「正規のラインはちょっと野暮用で塞がってる。」
 僅かな苛立ちを含んでバイドベインが告げる。
「そうですか」
 平然と応じてみせる。
「気付いたのはお前だ。今はお前がこの件の主務者だ、判るな」
 頷く代わりに江嶋は短い舌だが出し入れしてみせる。
「行ってくれんかな」
 バイドベインの問いに江嶋は怪訝気に答える。
「くれんかな?行け!の間違いだろ?」
 バイドベインは顔を歪める。江嶋もこれだけの付き合いなので、にやりと笑った、のが理解出来た。
「いいぞいいぞ。そうだ命令だ、行ってこい、今これからだ。結果が出るまで戻らんでいい報告も不要だ。ああ、チチュカミを連れて行け」今の部下を随伴していいという。
 江嶋は素直に受け取った。彼の優秀さは既に存分、目の当たりにしている。
 軍の艦籍簿からはとおい昔に除籍され、艦名もなく識別符号のみの、元、教導宙雷艦(この宙雷という兵装からして既に過去の遺物だ)俗称、「逃げ足と耳だけご立派」で本当にその場から出張になった。

 ベイファス。それはフィクションにいう銀河帝国でありまた連邦、でもある。
 伝家の宝刀一振り以外の実権は持たないが皇帝を頭上に戴き、領有する版図は3億六千万の星系。だが各地の自立性向が強く、制度としては緩やかな連邦制を敷く。
 そして単一種族でもない。
 自らその強大な庇護を求め幕下に赴いてきた者、拡大の途上で踏みつけた者、他族から寝返らせた者。あれやこれやで現在、その純血種は過半を割り込む。
「到着まで半月ほどですね」
 ナビに着くチチュカミが告げる。
「そうか。じゃその間精査しよう」
 一時的に付与された管理権限により閲覧可能になった上位情報を加え、更に検討を進める。導かれるものはやはり芳しくない。
 到着したのは銀渦腕末端の一つ。中期進出部。ベイファスの”脆い爪先”に当たる領域の一部だ。
「では始めようか」
 ”表”の駐在部にも存在を秘匿しつつそのまま作業を開始する。
 希望的な観測は外れ、悲観的な推定は的中する、そういうものだ世の中。
 この一画は正に”拡大の途上で踏み付けた”典型事例といっていい場所だった。
 これから星間に雄飛せんと希望に輝いていたその種族を無造作に頭の上から土足で踏み付けにした。だからといってそれが即、搾取であるとかそういうネガティヴな意味に直結するわけではもちろん、ない。地球の歴史でいう植民地経営の維持費破綻に例を引くまでもなく、恒星間植民地経営などその字面からして既に自己矛盾を孕んでいるようなものだし、収奪したにせよ星の海を渡って分捕り品を持ち返ったらやはりそれだけでコスト割れである。どこで採っても鉄は鉄、炭素は炭素、ならコストは当然低減すべし。航宙なんぞは軍隊(含む学者)と移民だけに任せておけばよく、生産産業活動は現地に限る!これ宇宙の鉄則である。航宙交易なぞうそっぱち物語構造が都合必要した法螺に過ぎない。因みに金融もない、というより貨幣経済自体が消失している。冷厳たるエネルギー収支の前に共同幻想など何も意味しない唯の記号でしかないからだ。

 話が逸れた。

 そういうわけでベイファスも逆に、「必要最低限の福祉の提供保障受諾による服属か、死か」の選びようがない二者択一を突き付けて円満に併合、領有を果たした。
 必要最低限の福祉というのは当然、知的存在が社会的存在として満足される保証、つまり最低限の衣食住の無償供与の保障である。知的存在がその知、故にこそ明日を知りその飢えるを恐怖する今日を生きるが為に組織した社会及び各種構造、その存在理由にして目的である食、及び社会存在を裏付けする住、そして文化を添える衣。これを無条件無制限に担保するというのだから訝しがって当然だが、いやならこのまま轢き潰して更地にして入植するよそっちの方がこっちも面倒無いんだけどどうする、と訊かれれば首肯するしかない。そして当然、契約は履行された。つまりベイファス入植者が当地に確保した生産能力の譲渡により現地政府の福祉提供能力を補完、当地の社会不安を一気に解消したのだ。
 ベイファスの、否、ベイファスに代表される様な千万規模の版図を領有する大規模種族の大前提として、そのエネルギー収支は常に巨額な余剰を維持する黒字経営である。でなければ安定まで膨大な蕩尽を必要とする星間入植の継続維持なぞ到底不可能である。未開種族にちょっと”エサをやる”くらいは出来て平然、自治体の定型業務以下の仕事だ。
 最早そこには当初の猜疑も対立構造もその要因も消失したかに見えた。初期では。

 好事魔多し。最初の火の手が上がるまで結局1年保たなかった。
 奴隷の幸福という言葉はあるが、乞食の幸福という言葉は存在しない。
 もちろんベイファスも昨日の今日ではない。さりげなく、無償供与の形にならない様に労務も要請していたし、自助促進の技術移転も推進していた。
 それでも反乱は起こる、何故か。
 もちろん、外部からの介入だ。
 矜持を囁き自尊をくすぐる。種族自決という甘い媚薬だ。

 腕端宙域は一見、銀渦の最辺境の様であり安全な後方であるかに見え事実一面そうであるのだが、同時に最外縁でもありつまり容易に出入りが可能な、護るに難く攻めるに易い領域だ。しかしくどいが辺境は辺境、こんな片田舎に軍事タワーを積み上げたとて兵站はどうする、自重で自壊するは必然、どうしても手薄になる「脆い爪先」の由縁である。だが条件は平等。ガチンコ正面決戦勃発の際の奇襲突破口にするとでもいうならともかく。かくして平時は寝返り寝返らせる不安定化工作謀略合戦の舞台になる。現地民には全くいい面の皮だが。けしかける側はどうでもいい。成功したらおめでとう、公認は任せろ。発火せずとも燻っているだけで、ベイファスの銀央への注意をいくらかでも削げればそれだけでも成功なのだ。そんなこんなであっというまに領内有数の不穏情勢地帯となりおおせた。なら放っとけばよかった?敵に、ズィーグにでもツバを付けられた日には煩わしさ1千万倍である。それは、出来ない。

 もちろんここだけのハナシではない。そうした現在進行形の危機、紛争候補は確認把握されているだけで総数3ケタ、設定閾値次第或いは感知し得ていないものを想定すればもう1ケタ上がるだろう。何しろ母数が億であるから致し方ない数字だろうか。

 そして今、江嶋は現地に居た。
 周辺を廻り調査を続けながらここに辿り着いた。調査、といっても特に何をしたものでもない。ただ軌道上に居座ったまま下界に向け「虫」を撒いただけだ。それが上げてくる情報の奔流に少しばかり、ほんの1週ほど不眠不休でつきあっただけ、である。
 不眠不休といっても休息は取った。主人格が眠る間、就業と同時に実装され今まで使う機会も無かった代理人格が覚醒し業務を継続する。二つの意識にでも体は一つ、流石に疲れたはしたが。
 「虫」は自己増殖を繰り返しながら貪欲に情報を喰らい、精力的に発信する、存在する情報経路に従って拡散する。まず公開情報にもある、それ自体は何の意味も持たない”表”の顔が浮かび上がってくる。通勤、通学する固体数、生産され消費されるエネルギー。産業構造規模。それをてきとうにフィルタリングしている内にもう一つの、あってはならないはずのしかし実相が顕現する。
 判読出来ない固有名詞の群れ。表で有名なもの、高位にあるもの無名のものが等しく混在。命令系統、細胞。そして夥しい数量が示される何かの存在、それらと彼らの定期的なマッチング。
 指一つ動かさず汗一滴流すでなく、目の前で積み上げられリスト化されていくデータの奔流、それを眺めつつ、江嶋は溜息を漏らす、むしろ自身のオペレーションを目の当たりにすることで。実際敵わんよな、なんでこいつら性懲りも無く反乱を続けるんだ?。
 きっかけは偶然といえば偶然だった。ズィーグ側のステートメント。ベイファスの存在を銀渦の安寧を乱す根源悪といつもの様に断じてみせた後、自己防衛を目的とした大規模軍事演習の開催を通告、そのついで、というように現地の意向を圧殺する悪しき統治の場の具体例の一つとしてこの地が挙げられていたのだ。
 そしてここ最近2、3年は手放しで喜んでいいほどの安定、鎮静を示していた。諸外種族の執拗な干渉を撥ね退け、永年の融和と対話の路線が遂に結実したのだ、現地産業も堅調、活性化……。
 活性化。にしては微妙に低くないのかこれは。親善も温情も排した、特に第三者的元地球人の目にデータはそう映った。頭数成長は良好、産業成長も。であるなら本来得られるべき種族総生産期待量を微妙に下回る現在の実勢は何なのか。無いものが、其処には在る。説明がつかない欠損が。
 テロだデモだ抵抗運動だが日常であったのが、この平穏を獲得したのであるから評価が甘くなるのは避けられないだろうそれは判る。だが、事実は異なる。
「真っ黒だな」
 ぼそりと呟いた江嶋に。
「そうですね」
 チチュカミも疲れた声で同意する。実際疲れているはずだ。
 別に手柄を、スタンドプレーを望んだわけではない。ただ見えてしまった疑問をストレートに投げてみただけだ。嵐の前の静けさ、暴挙の前の静穏。そんなもの歴史でも、現実にも江嶋はイヤになるほど見てきた知り尽くしている。実際、ベイファスでも少し余裕があればその内誰かがこの戦争を目的とする”偽りの平和”に気付いていただろう。だが主力のそれは、この件に関してはまるでそれこそが囮であるとでもいうようなズィーグが公表した大規模軍事演習にリソースを奪われてしまっていた。これは当然だ。演習を口実に始められた戦争などそれこそ……ここでもそれは普遍であるに違いない。
 朝鮮、ベトナム、アフガン、中東、そして全世界で。見た、聞いたもの。同じだ、こいつらは大種のコマだ。それが判らないのか。それを知っているのか、知ってなお戦って得たいものがあるというのか。
 江嶋は心底うんざりした。闇は見飽きた。てんしょくしてー。
 だが同時に、バイドベインに見込まれた自分の才も自覚せざる負えなかった。何とも非建設的なと自嘲しつつ。嗅覚はあるのかもしれん、あと悪運も。
 計六個の星系が同一の指揮系統に従い画策している大規模同時武装一斉蜂起。
 このレポの結果がどう処理されるのか。首謀者を暗殺して廻るのかそれこそかつてのバイドベンの艦隊の様に緊急派遣して奇襲、正面から戦意を挫くのか。どうするのかしらん、しらんがもうこの件には関わりたくない。
 だから出来心だった。
「あれさームカつくよなー。ウザいし」
 江嶋は戦術戦闘情報面を指して口を歪める。
「やっちゃいますか」
 チチュカミも平板な調子で応える。
 アレ。付かず離れず追尾してくるスターダストに偽装した所属不明の航宙艦。どこから見ても直径1kに満たないそこらを漂っている微小粉塵なのだが、それが偽装であること、自然物には有り得ない情報特性を持つ物体であることを「足耳」は看破していた。
「能動探査出力最大投射」
 並みの船ならそれだけで情報破壊を免れないような大出力アクティブ・センシングを受けた対象は平然と、そして忽然と消失する。
 要対処至急、任務終了の一報を打電したのみで、江嶋は帰還軌道に乗った。
「50点」
 バイドベインは評点する。
「最後のはマナー違反だ。ま、気持ちは判る」
 そこまで無表情に評すると珍しく満足気な、やわらかい笑顔を見せる。
「よくやった。帰って休め、家族に顔を見せてやれ」
 家族?。
 ああ、確かに。ここ最近平穏な夫婦生活を送っていただけに、佳南の顔が懐かしい、その笑顔が待ち遠しい自分に江嶋は久しぶりに気付く。
 社宅は中層階にある。あまり地面から離れるのを厭うベイファスの習性から高層建造といっても100階は越えないがそれでも居住区の有効活用として課せられた最低限積層で、高層部はまた別の需要はあるがだもんで中層階は一番人気が無く、大抵社宅として賃貸されている。
 52階。ベランダからの眺望は十分だと江嶋は思う。
 その眼下に瞬く、適度に輝く各々の生活の灯を眺めながら。
「夢みたい」
 佳南が囁いた。
「あなたとこうして、毎日過ごしているなんて」
 地球をとおく離れて二人、だけどな。江嶋は僅かに苦笑。
「そんなのどうでもいいわ」
 隣の胸に顔を埋める。
「こうしていられるだけで、しあわせ……」
 江嶋も抱き直し応える。
「おれもだよ」
 地球の番二匹は、そうしてしばらく異界の、今は近所の夜景を陶然と眺め遣っていた。
 帰宅し、江嶋はほんのりとした違和感を覚える。
 ただいまー。すまん、随分遅くなった。
 お帰りなさい、あなた。
 佳南が少し目を潤ませて迎えた。何かを両脇に抱えて。
 ほら、お父さんよ。
 おかえい
 なちゃい
 交互に発声する。

 ……えーと、なに?。

 二卵性双生児。二児の父親だった。



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