この話は「-
affection -
想いは巡る」の後日談となります。まずはそちらの方を先にお読みになってください。 |
Martian Successor Nadesico : case after the
affection, 2204 A.D.
- starlight -
光を君に
Written by f(x)
今日はラピスとのはじめてのデートだった。
女の子と僕がデートをする、そんな日が僕にも来るようになったんだなと思ってしまったのは、今から4時間ほど前のこと。
気合の入ったラピスのお洒落に対して、僕はこれでいいのかと一瞬考えてしまうような、Tシャツとジーンズとシャツを羽織るだけのラフな格好。
ミナトさんから言われた、「男の子のオシャレは、あまりごちゃごちゃ着飾らない方がいい」というアドバイスに従ってみたつもり。アクセサリーとかそもそ
も持っていないし、サブロウタさんみたいに背もあって身体が締まっている人ならカッコイイと僕も思うけど、僕がつけても違和感しか感じない。
結局、手持ちの服の中で、自分が一番気に入っているパターンで出かけることにした。
「おはよ!ハリ」
待ち合わせ場所は官舎を出てすぐの公園。待ち合わせの時間の5分前についたら、既にラピスはいた。
「おはよう、ラピス。早いね」
「だって、やっとハリとデートできるんだから」
嬉しそうに笑うラピス。
ラピスと一緒にいたところを火星の後継者の残党兵士に襲われた事件からそろそろ約1年。ベッドから起き上がれるようになるまで3ヶ月かかり、リハビリと
治療で現場に復帰できるまでに3ヶ月かかり、ナデシコに復帰して哨戒任務で地球を離れて4ヶ月がたった。
またサセボに戻ってきて与えられた10日間のクルーへの一斉休暇のその初日。
あの日以来、ラピスは本当に良くしてくれた。
バイザーを通さないと目が見えなくなった僕の隣にいてくれる彼女。
「ねぇねぇ、どこに連れていってくれるの?」
僕の右腕に左腕を絡ませてくるラピス。
この笑顔が僕にもたらす充足感は、とても大きなものだ。
と、思ったのもつかの間。
サセボで一番大きいショッピング・アーケードで買い物して、食事して、映画見て、時間が余ったら夕方あたりに公園でなどというプランは、買い物と食事の
段階で頓挫してしまった。
時間を追うごとに、ラピスの機嫌がどんどん悪くなっていくのだ。
原因は独特な僕らの容姿にある。ラピスの独特な髪の色も目立つが、恐らくそれ以上に僕のバイザーが目立ち過ぎるのだと思う。
通り過ぎる人が僕たちを見て笑っている。
好意的な視線もあるが、その殆どが僕に向けられた「なに、この子」という目だ。
以前、アキトさんがつけていたバイザーほど酷くは無いにしても、サングラスと呼ぶには厳つく、分厚く独特な形をしている。さっきのアクセサリーが似合わ
ない話とも重なって、コスプレか何かかと思われているか、単純に奇特な格好に見えるのか。
そんな僕に対する嘲笑含みの視線に対して、僕が居心地の悪さを感じる以上にラピスが腹立てているのだ。
気にしなければいいのだろうけど、ナデシコという閉鎖環境の中で日々を過ごす僕らにとって、クルー以外の人の目に晒されることはほとんど無い。クルーは
事情を知ってくれているし、見慣れてもいるものであっても、一歩外に出ればバイザーをつけている僕がいかに景色の中に「溶け込めていない」かがわかる。
そして最後は、ファーストフードでのランチ中、僕らと同い年くらいだと思われる女の子たちの無遠慮な笑い声。指差してなにあれーへんなのーと笑われて、
怒りと恥ずかしさを覚えたけど、それ以上にラピスが爆発した。
立ち上がってその子たちに怒鳴ろうとしかけたところを、僕は手で引っ張って止めさせた。
目に涙をためているラピスに、僕は帰ろうというのが精一杯。
官舎に戻ってきてラピスは泣きながら僕にしがみついて怒っていた。
「みんな酷いよ。ハリがどうしてこれつけているのか知りもしないくせに、変とかかっこ悪いとか」
「いいんだよ、ラピス」
「だって!あんまりだよ!」
僕は真っ直ぐにラピスを抱きしめた。
僕のために怒ってくれるラピスが嬉しかった。
「ありがとう」
泣いているラピスの背中をさする。ラピスの両手が僕の背中にしがみついて、少しずつ泣き声が落ち着いてくる。
「ありがとう、ラピス」
じっと僕を見る潤んだ瞳が、瞼を閉じる。僅かに押し出された口元がキスをねだっている。僕も目を閉じて(目を閉じるとバイザー経由の視野情報がミュート
されるようになっている)、顔を近づけていく。
唇と唇が触れ合う直前で、唇より先にバイザーがラピスの額にゴチンとぶつかった。
◆
休暇だというのに、放り出すにはキリの悪い仕事を片付けてから休暇に入るつもりでいたために、私はまだナデシコ内の医療室併設のラボの中にいた。
こんな状態だから医療室に来るクルーもいないし、唐突に始まる警戒態勢も無いし。きちんと事前に申請も出してあるから、電源供給が不安定になることもな
く集中していい仕事ができる。
人がいなくなると集中できるっていうのは困ったものよね。
「さて、と」
休憩がてらコーヒーでもいれようかと立ち上がったところで、医療室のドアが開く音がした。
「イネスー、いる?」
意外な人の声が。
「ラピス?どうしたの?」
「あ、うん、ちょっと相談したいことがあって。今、時間大丈夫?」
そういってちょっと困ったような複雑な顔をしているラピスを見る。
思えばこの子も随分変わった。
この子とアキト君がナデシコに来てから、もうそろそろ1年半になろうとしている。
私はアキトのすべてと言い切ったユーチャリス時代。
研究所生まれという生い立ち、実験体として育てられたトラウマ、一度は消えうせた感情、そして保護するアキト君とのリンクと、アキト君の置かれた状況に
依存する他人との接点の少なさから、感情にも表情にも乏しい子だった。
誰もが何とかしたいと思った。でも、アキト君とのリンクに依存した精神状態が問題を複雑にさせていた。結果的にはアキト君と共にナデシコに投降し、ハル
カ・ミナトという新保護者の下で新しい生活を始めたラピス。
精神的リンクという依存関係だけではなく、ユリカさんやルリと正式な結婚生活に入るアキト君への恋愛感情に綺麗に折り合いをつけたラピス。
ナデシコなくしてこの子の成長は無かったと言っても過言ではない。
ルリの言うところのバカばっかではないが、この子には親身になってくれるバカたちが必要だったのだ。それも沢山の。私とエリナとアカツキ君とアキト君の
4人だけでは行き詰ってたところに、ナデシコというブレイクスルーが、ラピスの飛躍的な成長の鍵となった。
「ええ、大丈夫よ。ちょうど休憩しようとしていたの。コーヒー入れるけど、ラピスも飲む?」
「ミルクとお砂糖はある?」
「当然よ」
私はブラック派だけど、コーヒーを嗜むものとしては、ポーションミルクとコーヒーシュガーを切らすことがあってはならないのよ。
「うん、じゃあいただくー。実は、私おやつ持ってきたんだ」
そういってテーブルに広げられるドーナツ。
「あら、いいわね」
私の笑みにラピスも笑顔になる。
本当に愛らしい女の子になっていくことが私にも嬉しい。一度はアキト君と一緒ならこの子の母親になってもいいと思ったこともあっただけに、今でもそんな
想いでラピスに接してしまう。
「それで、相談ってなあに?」
「うん、ハリのことなんだけど」
「ハーリー君?頼られるのは嬉しいけど、恋愛相談ならもっと適任者がいるのではなくて?」
「ううん、違うの。ハリのバイザーのことなの」
そろそろそんな話が来る頃かなとは、正直思っていた。
「さっき、ハリと二人でサセボに買い物に出たんだけど、みんながハリを変な目で見るの。ハリはイネスのおかげでバイザーで見れるだけで十分って言うけど、
私はどうにかならないかなぁって」
確かにあのバイザーで街に出れば、そういう奇異な視線に晒されても不思議ではない。
以前のアキト君はそんなことを毛ほども気にしなかったし、今までもナデシコの中にいる限りは気にすることは無いが、一端船を降りてしまえばそういったこ
とがネックになることは私も考えていた。
「あ、あのね。バイザーを作ってくれたイネスには、私も凄く感謝してるんだよ?」
私のことにまで気が回るようになったことも、また成長の証と言える。
「ふふふ。ありがとう、ラピス。でもいいのよ、私に気を使わなくて。それにラピスの気持ちもわかるから協力するわ」
「本当?!ありがとうイネス」
やらなければならないのは、装着していることに違和感を覚えない形にまで小型化していく必要性、か。
「ラピスとしては、どんな形にしてほしいの?」
「あのね、これはムチャなのを分かってて言うことだから、あくまでも理想として聞いてほしいんだけど、ハリって、メガネにあわないじゃない?」
「そうかしら?」
ラピスにメガネ属性は無し、と。
「うん。で、装着しているのがわからないくらい小さいのがいいなーって・・・無理よね。ごめんねメチャクチャ言って」
「いえ、あながちメチャクチャではないわよ」
「本当?!」
「ええ、アイデアはあるのよ。ただ実現可能かどうかは調べてみないとなんともいえないけれど」
◆
こんにちは。テンカワ・ルリです。
私たちは今、ホウメイさんのお店、「日々平穏」に来ています。
来ているのは、私とユリカさんとアキトさん。そしてウリバタケさんと奥さん、そして3人の子供たち。一番下の女の子は、最後に奥さんにお会いしたときに
はまだお腹の中。
それがもう2歳になろうとしています。
今日のメインゲストはウリタバケ夫人とその子供たち。
ウリバタケさん本人はオマケです。
私たちが結婚してそろそろ1年になろうとしています。
ユリカさんが子供欲しいと言い出したのです。そういう意味では私も、いずれ産みたいと思います。
そんな私たちが、ウリバタケさんの奥さんの労をねぎらい、子育てのお話を聞き、また同時に仕事で長期不在にさせてしまいがちな、家族の方々への艦長から
のお詫びを兼ねています。
アキトさんとホウメイさんがウリバタケ家にご馳走を振舞います。
「おいしー!」
お兄ちゃんたちである二人の男の子。見ていて気持ちがいいという表現がありますが、この二人はまさにそんな食べっぷりです。
そして長女で末っ子のミコトちゃん。
危なっかしく歩くその姿、またカタコトでお母さんでないと正確には聞き取れない不思議な言葉を喋ります。
そのミコトちゃんは、すっかり私に懐いてくれて、私の膝の上で小さなお椀に小分けして冷ましたチャーハンを食べています。
「おいしい?」
私の問いかけにこくこく頷いています。
私もいつかこんな子が欲しいです。アキトさん。
今日はお店を貸切ではありません。ありませんけど、店の1/3を私たちが借り切っているような状況です。お店を使わせてくれる条件として、アキトさんが
ホウメイさんの手伝いをすること。
かつての師弟タッグの復活です。
そして、また一人お客さんが、やってきます。
「お、アララギじゃねーか」
入ってきたお客を見つけて、ウリバタケさんが声を掛けます。って、アララギ中佐?
「おや、ご無沙汰しております。テンカワ提督にルリ中佐」
ビシっと決まった敬礼を子供たちが真似をします。
「ご一緒します?」
ユリカさんが声をかけます。私は、この人ちょっと苦手なんです。
「お邪魔じゃありませんか?」
「おう邪魔だからあっち行け」
「ではテンカワ提督のお隣に失礼させていただきます」
「おめー話きけー!」
そんなウリバタケさんとアララギさんのやり取りで店内が笑いに包まれます。私たちと直接関係のない他のお客さんも笑っています。
「ルリ中佐、弟殿のハリ君、最近宇宙軍内でも評判が上がってきていますな」
「そうなんですか?」
初耳です。本当に。
「どんな評判なんですか?」
ユリカさんが割り込んできます。
「もう一人の電子の妖精ラピス・ラズリを命懸けで身を挺して助けた少年。結果、視覚障害を負いながらも、ラピス・ラズリ殿と互いを支えあって前向きに生き
て現場に復帰したハリ君への賞賛の声をよく聞くようになりました。特に元木連の女性兵士の間で評価が高いのです」
木連の兵士の方が熱血なのは男性だけではなくて、女性もですか。
「木連にも女性兵士がいたんですね」
「どちらかといえば後方勤務中心でしたが。木連では、前線は男の仕事という意識が強かったですからな」
「それって女性差別にあたりませんか?」
「ルリ中佐、仰りたいことはわかります。ですが、当時の男女比率のバランスが酷く悪かった木連にあっては女性を危険な前線に置くなどというのは持っての他
だったのです」
「まぁ、女を守りたいってのは男のエゴだからな。いいか、ヒロト、タケル、お前たちも女を守る男になるんだぞ」
「でも父さんは母さんまもってないけどいいの?」
「俺はいいんだよ」
「「よくありません!」」
私とユリカさんがウリバタケさんをジト目で睨みます。ウリバタケさんの奥さんもウリバタケさんをジト目で見てます。
膝の上のミコトちゃんがキョトンとした顔をして私と、お母さんの顔を見ています。
私はこの子の長く柔らかい髪を撫でながら考えます。
「家族でナデシコにやってきませんか?」
「ちょっルリ坊?」
「ウリバタケさんに決定権はありません。奥様に聞いているんです」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。子供たちの学校もありますし。私は地上に残ります」
寂しげな表情も伺えますが、やはり母は強し、なのでしょうか。
「なんならミコト連れてってもいいぞ?」
私はウリバタケさんにニッコリと笑顔を見せます。最上級の笑顔です。
「冗談でも、もう一度言ったら半殺しにしますよ?」
「お、おう・・」
「家族は大切です。子供にはお父さんとお母さんの両方が必要なんです」
私はミコトちゃんの髪を撫で続けます。
「私もルリちゃんの言うことに賛成〜」
「セイヤさん、俺もルリの言うことに賛成だ」
今まで話に加わらなかったアキトさんもカウンター越しの厨房から援護射撃です。考えてみたら、この3人、みんな両親がまともにいないのです。遺伝上だけ
とは言え一応健在な私はまだ良い方で、ユリカさんもお母さんを亡くされていますし、アキトさんにいたってはテロで同時に両親二人を失ったのです。皆が自分
のことを思い返しています。
「ミコトちゃんだって、お父さんと一緒にいたいよねぇ?」
ユリカさんが私の膝の上のミコトちゃんに話しかけます。
ところが、元気良く首を横に振ったミコトちゃんに、店内は再び笑いに包まれてしまいました。
「それにしても、ハーリー君、そうか評価上がっているんだ」
ユリカさんも喜んでくれているのが、私も嬉しいです。
「姉の私としては、誇らしいような、こそばゆいような不思議な気分ですね」
「それが肉親の情ってヤツだよ。血は繋がっていなくても、しっかりと心の繋がった姉弟だということさ」
ホウメイさんの言葉に、笑顔で肯く私たち。
「ユリカも嬉しそうだな」
「だって、ハーリー君は私たちにとっても弟だもん」
「そうだな」
アキトさんがどんぶりを洗いながら、静かに微笑みます。そんな笑みに、私は家族を肌で感じることができるんです。
「何より軍人としてでなく、人間として賞賛されてるってところがいいな」
ウリバタケさんの言葉に私たちは全員黙って頷いて。
◆
ゲームで遊んでいたところをラピスからコミニュケで呼び出され、僕はいまナデシコに向かっている。
そういえば、ナデシコに来てとは言われたけど、どこに行けばいいのか聞き忘れている僕も抜けているといえば抜けている。
「オモイカネ、ラピスが今どこにいるか教えて」
【ラピスなら、医療室にドクター・イネスと一緒にいるよ】
「ありがとう、オモイカネ」
【どういたしまして】【お安い御用だよ】【この幸せもの!】【ラヴラヴ♪】
・・・AIにまで冷やかされるのってどうなの?
そして医療室。そこに待っていたのは信じられない光景。
ホワイトボードを使って幸せ一杯に《説明》しているイネス博士と、それを目を輝かせながら聞き入っているラピス。
えーっと。
入っていいのかな。っていうか、むしろ入りたくないな・・・。
「あら、ハーリー君。いらっしゃい、ちょうど、ラピスに説明していたところなのよ。ハーリー君も聞いてちょうだい?」
目をキラキラ輝かせるイネス博士、そして同じように目を輝かせるラピスに腕を絡まれ、僕にもはや退路は残っていないじゃん。
「コンタクトレンズ・・・ですか?」
「コンタクトレンズって何?」
「コンタクトレンズというのは、19世紀に発明された視力補正のための医療機器よ。今では外科手術や、ナノマシンによる眼筋補正が一般的だけど、まだ一部
では使われているのよ。分かりやすく言うと目にくっつけるメガネといったところかしら?」
「目にくっつけるんですか?痛くないんですか?」
「ええ、痛くはないわ。眼球の形にフィットしやすいように柔らかい素材でできているし、厳密には直接眼球に触れているわけではなくて、角膜の上の涙の膜の
上に浮いている状態だから」
「で、そのコンタクトレンズがどうしたんです?」
「つまり、バイザーの視覚素子をコンタクトレンズ上に配置することで、ハーリー君をバイザーから解放しようということよ」
「できるんですか?!」
「理論上はね。ただ、様々な問題点が今後浮かぶでしょうし、実用化にいたるまでのハードルは低くはないの。そこで、ハーリー君。言葉は悪いけど、実験に付
き合ってもらえないかしら?」
「これが実用化されれば、バイザーをつける必要はなくなるわけですか?」
「完全に不要になるとはまだ約束できないわ。でも、短時間の間ならバイザーなしで過ごせるようになるはずよ。たとえば、デートの間くらいはね」
そういってイネスさんはラピスにウインクする。
そうか、ラピスが頼んだんだ。このことを。
こんなに僕のことを親身に考えてくれるラピス。僕には勿体無いほど優しい女の子。彼女の想いに応えたい。それがいつも僕の原動力であり続けてきたのだか
ら。
「やります。もうラピスにあんな思いさせたくないですから」
◆
俺の隣で、アオイ・ジュンがノビている。
「つーかさぁ、ジュン、お前パイロット用のIFS持ってる癖に、ジェットコースターごときでノビてるって、情けなさすぎね?」
今日はオフなので、軍内における上下関係ではなく、あくまでもファーストネームで呼ぶ。
「・・・ホットケ。僕は元々パイロットじゃないんだよ」
「ジュン君。はい」
そういってユキナちゃんがジュンの隣に座って飲み物を渡す。
いくらこの二人でも、こんな場所で膝枕はやらんだろう。・・・やっても不思議は無いけど。
「ありがと・・」
「ジュン君が落ち着いたら、休憩がてら食事にでもしましょうか」
ミナトさんがそう提案する。
「賛成〜」
「サブロウタ君もいいよね?」
「いいよ〜」
今日は俺とミナトさん、ユキナちゃんとジュンという、まぁ俗に言うダブルデートでテーマパークというヤツだ。
「それにしても、ミナトとサブロウタさんが、そーんな関係になっちゃったんだぁ。私ぜんぜん気づかなかったなぁ」
ユキナちゃんが隣でニヤニヤ笑って。
女の子ってこういう話題好きだよなぁ。
「なによ、ユキナ。文句でもあるの?」
ちょっと口を尖らせるミナトさん。大人の女性の魅力の上に、こういう可愛さが同居するアンバランスさがこの人の魅力なわけだが。
「いーえ。むしろ嬉しいの。ミナトってば、自分の幸せそっちのけなんだもん。私も、きっとラピラピも感謝してる。でも、ミナトにも幸せになって欲しいの。
というわけでぇ!サブロウタさん、ミナトを泣かせたら、ナデシコ女性クルー総出でお仕置きだからね」
そりゃ命に関わりかねないな。
だが、ユキナちゃんの言うことも良くわかる。この人の性格なのだろうが、自分の幸せを後回しにして、保護を必要としている子の保護者になろうとする。
ユキナちゃんの時は、ミナトさん自身のためでもあったのかもしれない。が、テンカワ夫妻が連れ去られて軍に復帰するまでの間のルリ艦長、そして今のラピ
スちゃんの保護者役は本来であればこの人が努めなくても良いはずのことだ。それをあえて名乗り出て、立ち直る手伝いをする包容力。
きっとこの人との間に生まれた子は、優しい子になるに違いない。
・・・って!俺何考えてんだ!
「泣かせはしないさ」
「んー。なーんか、サブロウタさんぽくないなぁ。木連時代の熱血はどこいっちゃったの?」
「いや、もう熱血は、正直食傷気味。それにしても、未だに俺のどこがミナトさんに気に入られたのかわからないんだけど」
「・・・純粋なところ、かな」
この人、サラっととんでもないこと言うな。っていうか、そこの二人。なにキョトンとした顔してんの。
「純粋?サブロウタが?マジで言ってますか?ミナトさん」
「大マジよ。ルリルリのためにね」
「うわぁぁ!ちょっとまった、ミナトさん!それはマジで秘密!」
「「あやしーぃ」」
フフフと笑うミナトさん。マジで心臓に悪いから。するとユキナちゃんが俺の両頬を引っ張る。
「ゆひははん?」
「ルリィに何したの」
グイーっと引っ張られる。いつぞや、俺がハーリーにやったように。
「いへへへへへ」
「何笑ってんの」
「わはっへはいっへ。ほほふほふいはいんふへほ」
「何言ってんのかわかんないわよー!白状しなさいってのー!」
何言っているのかわからん状態で白状しろというのか君は。
「はぁぁ、しあわせ」
ミナトさん、どこに幸せ感じるポイントがあったんかわからないけど、うっとりしてないで、ユキナちゃん止めてくれよ。
◆
「と、いうわけで、この休暇の間、実験に付き合ってもらうからね」
ニッコリとイネスさんが笑う。
ああ、イネスさん素敵です。とても可憐です。とても30代には見えません。
それだけに、なんか怖いんですケド。
「えー、休暇が実験で潰れちゃうの?」
「だって、任務に戻ったら実験どころじゃないわよ?ハーリー君も、ラピスも仕事があるんだし」
「まぁ、そうですね」
「そうかもしれないけど」
「大丈夫よ、ラピス。あなたのハーリー君を取ったりはしないわよ。それに実験にはあなたも参加してもらいたいの」
「私も一緒?ならいいよ!」
なんでやねん。
「なぁに、ハリ。その顔は。私と一緒じゃやなわーけー?」
ユキナさんが憑依してませんか?
「いやいや、そうじゃなくて。せっかくの休暇なんだから、ラピスは他に遊んでていいのに」
「やーだ。ハリと一緒じゃない休暇なんて面白くないもん」
「上手くいけば、休暇の間にプロトタイプが間に合えば、最終日あたりにはデートできるかもしれなくてよ?」
というイネスさんの言葉に、ラピスの目の色が変わる。
「ハリ!気合入れていくよ!」
「ま、気合入れるのは明日からやるとして、今日はここまで。二人ともこの後予定はある?」
二人で首を横に振る。
「なら、夕飯を一緒に食べに行かない?久しぶりにお寿司が食べたいのよ。奢るから一緒にネ」
「いくいく!」
ラピスは速攻決断。ラピスが行くなら、僕の予定も同時に確定。
というわけで、このあと3人でサセボ市内の江戸前寿司のお店に。板前さんに、綺麗なお母さんと呼ばれたイネスさんが「お母さんじゃないわよ」と怒り、ラ
ピスが「イネスがお母さんだったら良かったのに」と呟いた一言でイネスさんはラピスを抱きしめて号泣。
僕も普段まず見ることのない喜怒哀楽の激しいイネスさん。
さすがに板前さんも突然号泣しだしたイネスさんにあせっています。
「イネス、イネス?ごめんね?私、イネスに嫌なこと言っちゃった?」
ラピスも焦ってる。
「違うの。ごめんね、ラピス。ハーリー君も、みっともないとこ見せてゴメンね」
「なぁ、ねーさんよ。すまねーな、俺の不用意な一言がいけねーんだよな。おねーさんみたいな美人泣かしたとあっちゃあ男が廃る。侘びに一品、タダで握らせ
てくれよ」
板前さん、チャキチャキの江戸っ子か何かですか。絶滅危惧種の。
「じゃあ、大トロ」
転んでもタダで起きないところがイネスさんです。
落ち着きを取り戻したイネスさん。握り寿司初体験のラピス。
「おいしい!」
「本当、寿司食べるのって久しぶりだけど、本当に美味しいわ」
「おう、どんどん食べてってくれー」
何故か、この板前さんの見てて連想したのが「梅さん」という名前なんだけど、誰だっけ、梅さん。
「イネス、もう大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。実は、あなたがまだナデシコに来る前のことよ」
ここはナデシコじゃないので、アキトさんの話を意図的にぼかして言うことに、僕もラピスもすぐに気がついた。
「ラピスを娘として引き取ることも考えた時期があったの」
「「え?」」
僕だけでなくラピスもビックリしてた。
「結果的には話は流れたけど、一時はそのつもりでいたから。だから、さっきのラピスの一言、すごく嬉しかったのよ」
そういって微笑んだイネスさん。僕が知るイネスさんの表情の中でも一番、見とれるほどに綺麗だった。見とれていたら、ラピスに足踏まれたけど。
◆
俺はミナトさんを初めて抱いた。
今、俺の隣で寝息を立てているミナトさんを起こさないように、静かにベッドから起き上がり、シャワーでも浴びて汗を洗い流すことにした。
ジュンとユキナちゃんの二人とは夕食の後、別行動を取っている。あの二人もひょっとしたら今頃は、同じことをしているのかもしれない。
ジュンのやつはともかく、ユキナちゃんのこととそしてミナトさんのことを思うと、俺は複雑な気持ちにならざるを得ない。
まだ地球との和平が成立する以前から、白鳥九十九の妹としての白鳥ユキナとは面識があった。
当時は、ゲキガンガーを否定し熱血を小馬鹿にする小生意気な少女だと思っていた。が、今にして思えば、あのときのユキナちゃんの言葉が、戦争という現実
を現場にいた俺たち以上に、正しく理解していたのは皮肉な話だと思う。
戦争に正義や悪という価値観は無意味だ。
木連の外を見ず、ゲキガンガーを聖典として中だけを見ているうちは、自分たちと異なる価値観を持つ正義が存在するなど考えもしなかったし、それを悪と切
り捨てるだけでよかった。
自分の信じる正義だけを声高に叫ぶ。
自分の正義だけが絶対だと思い込む。
まるで1000年前の中世の十字軍のようだ。人類が地球の外に出るようになっても、愚かさはまるで変わっていない。
ふざけた話だが、そんなふざけた戦争を俺たちはしていた。その結果、白鳥ユキナは残された肉親を失った。
その後、いろんなことがあった末に、彼女はミナトさんのところに落ち着いた。
ゲキガンガーや熱血を否定していたユキナちゃんであっても、彼女もまた木連人だ。当初はミナトさんのことを兄を誘惑した、極悪人だとさえ考えたかもしれ
ない。
あれから5年が過ぎた。
ユキナちゃんも着実に大人になりつつあるし、尻に敷かれはするだろうがジュンの奴も、肝心なところで押さえるところはキッチリ押さえる奴だから、この先
の二人のことはあまり心配していない。
むしろ、ミナトさんの方が心配だった。
この人は自分の幸せを後回しにしがちなところがある。
そのことに気づいたとき、何とかしたいという気持ちと、俺でいいのかという悩みの二律背反に少し悩んだ。俺にその資格があるのか。俺にミナトさんを受け
止めるだけの器があるのか。
そんな俺の悩みとは裏腹に、ミナトさんは俺に少しずつ心を開いてくれる。俺も気がつけば、墓場まで持ち越すつもりだった感情を吐露してた。
ホシノ・ルリへの感情。
自分の中で折り合いはついているし、求めているわけでもない。だが、完全に消え去っているわけでもない。僅かに残る思慕の情。そんなものを中途半端に抱
いたまま、ミナトさんとどう向き合えというのか、という迷いが俺に付きまとった。
俺はそんな自分の感情をミナトさんに打ち明けた。それが俺の示せる誠意だと思ったからだ。
だが、驚いたことにそんな俺の言葉を聴いて、ミナトさんは微笑んだ。
「忘れられなくて、当然」と。
ミナトさんの中に残る白鳥九十九への情。そしてそれ以前に交際した男性への情。それは時間とともにやがて薄らぎ、ほとんど自覚することのできなくなるほ
どに小さくなりはしたとしても、完全に消えることは無い。
人は、それを「経験」と呼ぶのだから、と。
誰もが経験する幾多の出会いと幾多の別れ。戦時においては、死別というものも珍しくは無い。
その想いを含めたものがその人を形作るのであり、過去や想いを否定するのは、その個人を否定するのと同じである。そう、最近思えるようになってきた。
異なる世界で、異なる文化で、それぞれの歴史を育んできた俺たち。戦うことしか知らない、俺のような若造を包み込んでくれる年上の女性。
迷いに迷って、覚悟が完全に決まったのは、実はついさっきだ。
ユキナちゃんに言われたのだ。
「絶対、ミナトを幸せにしてあげてね」と。
そのときの表情は、今まで俺が見たどの白鳥ユキナの表情にも当てはまらない。
逃げることを許さない真摯な目。
無責任を認めない厳しい視線。
俺は、覚悟を決めた。
覚悟を決めたからこそ、俺は初めてミナトさんを抱いた。
彼女は拒まなかった。むしろ積極的に受け入れ、そして求めてくれた。
シャワーから出ると、ミナトさんはまどろみながらも、ベッドの中で目を覚ましていた。
「サブロウタくん」
これまでの関係の中で、初めて聞く甘えるような声。
ナデシコの中でお姉さんであり続けた彼女は、心のどこかで誰かにすがり甘えたがっていたのかもしれない。
俺はまたベッドの中に潜り込む。
「サブロウタくん」
ベッドの中で抱きつかれ、腕が背中に回される。
「ミナトさん」
俺は胸元にある彼女の髪をやさしく撫でていく。
「ミナトさん、聞いてほしい」
ん?という表情で俺を見上げている。
「俺はあなたを幸せにしたい。今までみたいな曖昧な関係ではなく、今日を持って、将来の結婚を前提にした恋人になってほしいんだ」
僅かな沈黙のあと、ミナトさんの腕の力が強くなって背中を回してくる。
「必ず。必ずミナトさんを幸せにする」
「ミナトって呼んで。『さん』はもう要らないでしょ?」
「わかったよ、ミナト」
そしてミナトが半身を起き上がらせると、ベッドで頬杖をつきながら寝そべっていた俺を上から押し倒し、キスで唇を塞がれた。
長くむさぼるようなキスを続けた後で、彼女は俺の胸板に覆いかぶさる。
「ひとつだけ、お願い。たとえこの先、貴方の居場所が戦場だとしても、私は貴方についていく。私だけを安全なところにおいて危険なところに行こうとしない
で。危険なところに行くにしたって、私も連れていって」
「もしそうなった場合、ユキナちゃんやラピちゃんはどうするんだ?」
「どうするのがいいと思う?」
一瞬考えるが、思ったままのことを伝えることにする。
「厳しいようだけど、本人に判断を委ねるしかないと思う。安全なところにいてほしいと思うのはこちらのエゴであって、安全な状況でも一人孤独に置かれるの
は幸せとは言えない。だからユキナちゃんだってナデシコにやってきたんだと思う」
「ユキナの場合、面白半分でしょうけどね」
まぁ、あの子なら、確かに。と思って苦笑が出てしまう。
「危険な状況には自分の身を守るだけでこれまではよかったけど、これからはミナトも守っていかないとね」
それは彼女に言った言葉というよりも、むしろ自分自身に対する覚悟と決意の確認のつもりだった。その言葉の後でミナトは、再び半身を起こして俺の唇を塞
いだ。
「合格よ、サブロウタ」
「へ?」
「守るからついて来いって言ってくれたのは貴方が初めてよ。だから私は貴方についていく。安全なところで待っていてほしいって男の人は言うけど、私は孤独
に耐えられるほど強い女じゃないわ。ユキナやラピラピを引き取ったのもそう。あの子たちを孤独にさせたくなかったのも当然あるけど、それ以上に私が孤独を
嫌がったの。私の都合であの子たちを側に置いたの。ひどい女よね」
「俺は木連時代の白鳥ユキナも、ユーチャリスのころのラピス・ラズリも見ている。あの頃と比べても、今ミナトの側にいるあの二人は間違いなく幸せな筈だ。
それはハルカ・ミナトのおかげであって、そんな風に自分を卑下するような言葉はあの二人を悲しませるだけだ」
「・・・ユキナ、九十九さんを離れてサブロウタ君と一緒になることを許してくれるかな」
「許してくれるさ。俺、ユキナちゃんに言われたんだよ。正面から大真面目な顔で『ミナトを絶対幸せにしろ』って。あの子は本気で、ミナトさんの幸せを願っ
ている。・・・俺がこんなことを言っていいのかわからないけど、白鳥九十九の存在に縛られ続けることをユキナちゃんも、そして白鳥九十九も望んでいないは
ずだ」
静かな嗚咽が聞こえてくる。
「ミナト・・?」
急に胸元に屈みこんだミナトを覗き込もうとした行為は、彼女の手で押しとどめられた。
「見ちゃだめ」
俺の胸元に、落ちてくる熱い雫はおそらくミナトの涙だろう。
俺は静かにミナトの頭を、髪を、静かに撫でる。
この人はどれだけ遠回りしたのだろう。俺は必ずこの人を・・・。
◆
翌日、イネスさんのいる診療室を訪れるとすでにイネスさんと、ラピスが待っていた。
「おはよ、ハリ」
「おはよう、ラピス。イネスさん」
「おはよう、ハーリー君。それじゃ早速だけど、説明するわね」
「お願いします」
「昨日の夜のうちに、プロトタイプのレンズはすでに作ってみたわ。でも、まだこれは試作とは呼べない実験的なものよ。いくらハーリー君がIFSを持ってい
るといっても、まだレンズ側が不十分でそのままでは映像を捉えることができないの。そこで、一時的にラピスと精神リンクを張ってほしいのだけど、問題が起
こる可能性があるわ」
「問題あるの?以前、アキトとやってたあれでしょ?」
「そう。でもね、あの頃のあなたたちは、ラピスは感情面が今と比べてかなり弱かったし、アキト君もかなり感情を殺していたのよ。それでもアキト君の感情が
ラピスに流れることがあったでしょ?」
「うん」
「ましてや、今のあなたたちの感情レベルではどんなフィードバックが起こるかわからないのよ。とりあえずあの頃のフィードバック・レシオの1/5に下げた
状態ではじめるけど、もし気分が悪くなったりするようだったら、すぐに実験を中止するから言ってちょうだいね」
「わかりました」
「それじゃ二人とも、診察台の上に横になってくれるかしら」
そういわれて僕たちは診察台の上に横になる。
「ハーリー君はバイザーを外してくれる?」
「はい」
僕の視界は闇に包まれる。
「それじゃ、リンク接続するわよ。痛みは無いけど、違和感があるようだったら、すぐに言ってね」
「はい」
その直後、キンという甲高い音が一瞬頭に響いたかと思うと、さまざまなイメージが頭の中に飛び込んできた。
これは・・・・
ラピスの記憶?
アキトとの関係に別れを告げて、私はミナトの部屋に戻ってきた。
「泣いていいのよ」
ミナトが私を抱きしめて、背中をやさしくさすってくれる。
わかってる。アキトに必要なのは私じゃない。ユリカとルリだってわかってる。でも、ひょっとしたら、もしかしたら、私にも可能性があるんじゃないかって
心のどこかで期待してた。
でも、もう私の居場所はアキトの隣には無い。
「ねぇラピラピは、初めて好きになった人がアキト君だったんだね」
私は無言で頷く。
「つらい想いは決して無駄にならないのよ。流した涙の分、次はもっと素敵な恋をするの」
「できるのかな。私に」
あまりに普通の人と違いすぎる生い立ちの私。自信が無い。
「私、ほかの人を好きになってもいいの?」
「当たり前よ。ラピラピはマシンチャイルドである前に女の子なんだから。幸せになるまで、何度でも恋をするの。自分は特殊だから、なんて考えてはダメよ」
「お、おはようございます」
珍しくハーリー君が遅刻してきた。
「ハーリー。5分遅刻だぞ。惜しかったが、遅刻は遅刻だ」
「はい、ごめんなさい」
サブロウタさんに指摘されて、頭を下げるハーリー君。
「まぁ、お前のその様子じゃ急いで来たのもわかるし、お前が遅刻するのも珍しいしな。艦長には黙っておいてやるよ」
「はい、ありがとうございます」
『甘いです、サブロウタさん』
「どぅええー艦長!」
『サブロウタさんの言うとおり、ハーリー君の遅刻は珍しいですし、今回は許してあげます』
「ほ、ありがとうございます」
『そのかわり次、遅刻してきたら、ブリッジ全員にランチおごってもらいます』
「おお!そりゃいいね!」
「うぇええ?!」
「んじゃ、俺はフカヒレラーメン大盛り頼もうっと」
「ちょ、なんですか、その極悪に高そうなラーメンは!」
「細かいこと気にすんなっての。要は遅刻しなきゃいいんだよ」
「まぁ、そうですけどね」
そういってハーリー君は私の隣に。隣に来たハーリー君を見て、私はドキっとした。
「おはようハーリー君。その髪型・・」
「え、ああ、おはよう。寝坊しちゃったからね、髪整えてる時間が無くて、寝癖がまだ残ってるよね」
確かに後ろの髪が少し跳ねている。
でも、私は、ドキドキしてハーリー君の顔が見れない。
どうしたんだろう。ハーリー君と一緒にいるのは楽しいけれど、こんな気持ちになったことは初めて。
なんでこんなにドキドキするんだろう。ってずっとわからなくて。仕事が手につかなくて。
大丈夫?ってハーリー君が私の顔を覗き込んだら、余計に意識しちゃって。
なんで?どうして?しばらく疑問に思っていたら、唐突に答えがひらめいてしまった。
髪の毛をまとめていないハーリー君って、どことなく、ユーチャリスにいた頃のアキトに似てるんだ、ということに。
まだアキトのこと気にしてる。それだけじゃない、アキトのことをハーリー君に重ねて、どきどきしてるなんて。
私、最低だ。
「キッカケなんて、最初はそんなものよ?」
ミナトはそう慰めてくれた。でも、私はどこか納得できない。
そんな風にハーリー君のことを、一瞬でも見てたなんてハーリー君知ったら、きっと私のこと嫌いになる。それは嫌。
ハーリー君の隣で仕事するのは楽しい。
ハーリー君を見ているのが楽しい。
そんなハーリー君に、嫌われたく無い。
「いいのよ、きっかけは誰かに似ていたなんて良くあることよ。この先、ラピラピがずっとハーリー君のことを、アキト君に似てたからという理由だけで気にす
るようなら問題だけど、次第にハーリー君自身を見るようになるか、それとも一時的な感情なのか、どちらにせよゆっくり考えて、心が感じる通りに動けばいい
のよ」
そんな私の気持ちとは関係なく、ハーリー君はルリのことばかりを見てる。
嫌な気持ちになる。ルリが笑うとハーリー君が笑顔になる。ルリが素っ気無いとハーリー君の元気が無くなる。
どうして?
どうしてルリなの?
ルリはもうアキトがいるのに。
私を見て。私に微笑んで。
どうしてルリを見るの。
どうしてそれが嫌なの。
そうか、私、嫉妬してるんだ。ハーリー君がルリばかりを見ていることに。
それは私がハーリー君を好きだから?
ハーリー君は・・・きっとルリのことが好きなんだよね?
「そうだねぇ。私だったら、プッシュするかな。ダメだよ、ラピ。待ってるだけじゃ。たまにはラピから声をかけていかなきゃ。ところで、ラピが好きになった
人って誰なの?」
ハーリー君。あ、ユキナ意外そうな顔してる。
「え、ごめんごめん。ハーリー君のどこがいいところ?」
一緒にいると楽しいところ、かな。
「だったら、ラピから声かけてもっと楽しい時間をすごすのよ」
「ハーリー君、お昼一緒に食べない?」
初めて私のほうからハーリー君を食事に誘った。ブリッジのみんなが私たちを見てて、結構恥ずかしかった・・
「え、うん。あ、でも、オペレーター二人が離れるのはまずいかも」
あ、そうだった。そうだよね。そんな基本的なことさえ忘れてたなんて。
私、どうかしてる・・・。
「いいですよ、二人休憩してください」
助け舟を出したのはルリだった。
「でも、艦長」
「オモイカネのオペレートなら私もできますし、しばらくはオモイカネに任せても大丈夫ですから、ハーリー君とラピスは今のうちに食事を取ってきていいです
よ。二人はこれからもオペレーターとしてパートナーになるんですから、仲良くしていくことが大事です」
「わかりました。じゃあ、僕、一度トイレ行って来るから、ちょっと待っててね」
「うん」
そういって一度ハーリー君がブリッジを離れると、ルリが私のところに降りてきた。
「がんばってくださいね、ラピス。応援してますから」
耳元で囁かれた言葉に吃驚してルリを見る。とても優しい笑顔。
ルリに嫉妬していたことが急に恥ずかしくなってくる。
気を使ってくれる。応援してくれる。
ありがとう、そしてごめんなさい。泣いてしまいそうになりそうなところをギリギリで堪えられた。
この日を境にルリに対する嫉妬が随分少なくなった。
ハーリー君がルリのことを好きでもいい。
私はハーリー君のことが好きなんだから。いつか私を見てくれればそれでいいと思えるようになったから。
桜の木の下。ルリとユリカとアキトの結婚するという報告に盛り上がるみんなの後ろで、ひっそりとハーリー君が歩いて離れていく。
やっぱり、ショックなのかな。
落ち込んでいるところに乗じるなんて卑怯なような気もしたけれど、やっぱりハーリー君を放って置けない、そう思って私はハーリー君の後を追いかける。
銃を向けられる。
知らない人。
ハーリー君が私の前に立ちふさがる。
やめて!ハーリー君逃げて!
「もう、逃げないって決めたんだ!」
ハーリー君が突っ込んでいく。
銃声が響く。
相手を押し倒した時の鈍い音。
そして、広がる血溜まり。
私は悲鳴を挙げた後、そこから先のことはしばらく記憶が無い。
ハーリー君、生きててくれた。心の底からホッとした。
でも、その後でイネスから聞かされた事実。
私がハーリー君の視力を奪ってしまった。
私は疫病神かもしれない。そんなことを洩らしてしまったら、ミナトにひっぱたかれた。ミナト、本気で怒ってた。
最初は怒られて悲しかった。
でも私みたいなのでも本気で叱ってくれる人がいるってわかって嬉しかった。
そんな台詞を聞くためにハーリー君は私を助けてくれたんじゃない、ってそう叱られた。
イネスも言っていた。ごめんなさいではなく、ありがとうと伝えろって。
だから私はハーリー君に嫌われてもいいから、要らないって言われるまで、ハーリー君の目になろう。
ハーリー君の意識が戻った。
イネスが言ってた、もう峠は越えたって。
目が見えず体がまだ思うように動かないハーリー君の手を握って、私がここにいることを伝える。
ハーリー君が笑った。
「ラピスさんが無事でよかった」
ハーリー君、こんな大怪我を負ったのにどうしてそんな風に笑えるの?
「僕はもう逃げないって決めたんだ。だからラピスさんを守れた。うぬぼれかもしれないけど、もしこれで少しでも僕が強くなれたなら嬉しいんだ」
でももうハーリー君が傷つくのは嫌。
まだハーリー君はベッドから離れることはできないけれど、イネスがバイザーを用意してくれた。
ハーリー君はオペレータ用IFSを持っているし、ナノマシンを介して視覚補助ができるって。
ハーリー君がバイザーをつける。
見える?
「うん、よく見えるよ」
私は嬉しくて涙が出てきて、ハーリー君に抱きついてしまった。
ハーリー君、びっくりしてたけど、ありがとうって言ってくれた。それは私が言う言葉なのに。
だから私は、想いの全部を込めて伝えた。
「ハーリー君、大好きだよ」って。
ハーリー君、顔を真っ赤にしてたけど、うんって言ってくれた。
私、ハーリー君の隣にいてもいい?
「僕のどこが、ラピスさんに気に入ってもらえたんだろう」
優しいところと、前向きなところと、楽しいところと、強いところ。
ルリのこと、どう思ってるのって聞いた。
聞いちゃいけない気がした。でも、聞かなきゃいけない気もした。
「艦長はもうアキトさんの奥さんだよ。艦長の弟という立場にいることを教えてくれたのはラピスだし、今の僕を見てくれるのもラピスだよ。まだまだ僕は未熟
者だけど、僕のことを好きだって言ってくれたラピスの気持ちに答えたいし、今は誰よりもラピスのことが好きだよ」
焼きもち焼きな子でごめんね。
今日から、ハーリー君のこと、「ハリ」って呼ぶからね!
ナデシコでハリって呼ぶのは私だけの特権だから。
ハリが退院の日。
大勢の人が、退院の見送りにやってきた。ナデシコのクルーのみんな、病院の先生に看護師の人たち。軍やネルガルからも大勢の人が来て、ハリに花束を渡し
てた。
みんながハリの退院を喜んでくれている。それが自分のことのように嬉しい。
一歩引こうとしたら、ユキナに押し戻された。
「ハーリー君の隣にラピがいなくてどうするの」って。
ハリの隣にいたら、ハリが手を握ってくれた。みんなに冷やかされたけど、恥ずかしくは無かった。ハリはすごく誇らしい顔をしていて、大人びた男の顔のよ
うにも見えて、ちょっと見惚れてしまった。
ハリがホシノ姓を名乗ることになった。
「これで僕は艦長の弟になったよ。ラピスは嫌だったらゴメン。でも、これは僕のケジメなんだ」
大丈夫、嫌じゃないよ。
「将来、ラピスはホシノ・ラピス・ラズリになってくれるかな」
もう、バカ!
バカバカバカ!
そんなこと言われたら涙止まらないよ。
私たちまだ13歳だけど、18歳になった時、私がまだハリの隣にいられたら、なりたいな。
ねぇ、ハリ。
そこで突然意識がブツっと途切れて、急に真っ暗になった。
リンクが途切れたのかな。
「ラピス?!」
イネスさんが驚いている。誰かが走って部屋を出て行った。僕はすぐにバイザーを取ってつける。ラピスもイネスさんもいない。
今のはラピスが出て行ったのだろうか?
僕も後を追いかけなきゃ。
ラピスに何があったんだろう。ラピスの記憶が流れ込んだということは、僕の記憶がラピスに流れ込んだんだろうか。
僕の記憶でラピスを不快にさせてしまったんだろうか。心配になって、僕は後を追った。
部屋から飛び出していったラピスを見て、私は慌てて彼女の後を追いかけると同時に、自らの失敗を悟った。ユーチャリスにいた頃とはわけが違う。
元より感情豊かなハーリー君と、彼に感化されて一緒に情緒面での成長著しいラピスでは、あの頃のフィードバック・レシオから1/5に下げた状態でも、ま
だゲインが大きすぎたのだ。
あの二人に精神的な悪影響を及ぼすようなことがあっては、ナデシコの全クルーのみならず、なによりあの二人に対して申し訳が立たない。だが、今は何より
もラピスのことが心配だった。
「イネスさん!」
後ろからハーリー君が追いかけてきた。
「ハーリー君、貴方は大丈夫?」
「僕は大丈夫です。それよりもラピスが」
「ええ、ごめんなさい。私のミスよ。まずはラピスを探さないと、あの子がショックを受けていなければいいけど」
そんな私の言葉にコクンとハーリー君は頷いた。そしておもむろにコミニュケを操作し始める。
「オモイカネ、ラピスの現在位置を教えて。至急なんだ、頼む!」
【ラピスはN61区画の女性用トイレにいるよ】
「ありがとうオモイカネ。イネスさん急ぎましょう」
【ハーリーは入っちゃだめ】【男性厳禁】【ラピスが心配】
「わ、わかってるよ。女子トイレに僕が入れるわけが無いじゃないか。イネスさんにお願いしてもいいですか」
「もちろんよ、そもそものキッカケは私のミスですものね。それよりハーリー君には、原因わかるかしら?」
「原因かどうかはわかりませんが、リンクが始まってからラピスのナデシコに来てからの記憶が僕の中に飛び込んできて・・・」
「そう、ありがとう、やっぱりそれが原因かしら」
「イネスさん、何がいけなかったんでしょう。僕はどうすれば」
「ひとまずここは私に任せてくれるかしら?」
「・・はい、お願いします」
そんな会話を二人で続けているうちに、ラピスがいるというトイレにやってきた。中で嘔吐していたり倒れていなければいいのだけど・・・。
「じゃあ、ハーリー君はここで待っていて頂戴」
私はトイレの中に入っていく。ナデシコの中はセンサーで人の姿を感知して明かりがつくようになっているところがいくつかあるけれど、トイレはその代表的
なもの。私が入る前にすでにセンサーによって明かりがついていたということは、間違いなくこの中にラピスはいる。
ドアから入って曲がり角を曲がった洗面所にラピスはいた。
「ラピス、大丈夫?」
「・・イネス?」
「ごめんなさい、ラピス。私の考えが甘かったみたいで、ラピス、身体は大丈夫?」
「うん・・・身体は平気」
というが、ラピスは明らかに落ち込んでいる表情を伺わせる。
「何があったの?聞いてもいいかしら?」
「・・私の記憶、ハリに見られちゃった・・・。きっとハリ、私のこと軽蔑する」
「どうしてそんな風に思うの?」
「だって、私、一番最初にハリのことを見るようになったきっかけは、ちょっとアキトに似てるなって思ったことだったんだよ。そんな風に別の人の面影を重ね
たなんて、ハリはアキトの代わりじゃないのに、そんな風に思ったら、そんな風に思ってたことがあったって知ったら、きっとハリに嫌われるよ・・・」
もう、この子は。
洗面台の上に両腕を乗せて項垂れるラピスの隣に来て、私はこの子の背中を撫でてあげる。
「ハーリー君のこと、信じないの?」
「う・・・でも!」
「ここにハーリー君と一緒に来たのよ、彼もすぐにラピスを追いかけた。ハーリー君もラピスの記憶を見たって言ってたけど、ラピスのことを嫌ったりしている
ようにはぜんぜん見えないわよ。むしろラピスを心配してる。今、このトイレの外で待ってもらってるの。大丈夫よ、ハーリー君は貴方のことを嫌ったりなんか
しないから」
「大丈夫かな、不安だよ・・・」
「大丈夫。心配しているんだから、早く安心させてあげないと、彼どんどん不安になっちゃうわよ?」
「うう・・・わかった」
「一緒についててあげるから」
「うん」
そういってラピスと二人、トイレを出る。
「あ、ラピス。大丈夫?気分悪い?どこか痛くなったりしてない?」
トイレから出てきたラピスを見かけて、ハーリー君は開口一番にそう告げた。
「うん・・・大丈夫」
「・・ラピス、ごめんね、僕がラピスの記憶を見ちゃったからだよね、そんなつもりは無かったんだけど、本当にゴメン」
「どうしてハリが謝るのよ」
「だって、僕はラピスが好きだし、信じてるけど、それでも、僕の心の汚い部分はラピスに見せたくない。これを見られたらきっとラピスに嫌われると思う。そ
ういう部分はきっとラピスにもあって、僕はその一部をたまたまとは言っても、見てしまったわけだし・・」
「ハーリー君は、そんなラピスが見せなかった一面を見て、ラピスを嫌いになった?」
「なりません!いくらイネスさんでも怒りますよ!」
「ほら、ね?だから大丈夫って言ったでしょ?」
そういって私は二人に微笑みかける。ハーリー君はキョトンとした顔をして、ラピスには安堵の表情が見て取れる。
「どういうことですか?」
「ラピスはね、その記憶が見られたことで、ハーリー君に嫌われたって思ったみたい。それがショックだったのよ」
「もう、バカだな、ラピスは」
「なによぉ」
「僕がラピスのことを嫌いになるわけないだろ?」
そしてラピスは、黙ってハーリー君に抱きついた。
「じゃあ、今度はハリの記憶を見せて」
医療室に戻ってきてラピスはそう言った。
なんか、思いっきり不安だ・・・。
ラピスの記憶のことは、そんなことかと笑えることだったけど、僕のはラピスに嫌われるよ、絶対・・・。でも、僕もラピスの記憶を見てしまったわけだ
し・・・。
「わかったよ・・・」
僕はもう覚悟を決めるしかない・・・のか。
「それじゃもう一度リンクするわよ、今度はさっきのさらに1/10、ユーチャリスにいた頃の1/50に設定するからね」
また、頭の中に一瞬甲高い音が響いた。
頭によぎったのは。
ミナトさんの胸の中に飛び込んだ記憶。
夢の中に出てきた、上半身裸のユキナさんと、ルリ姉さんのうなじと、そして全裸のラピス・・・っ!うわあぁぁー!!なんで!
なんでよりにもよってこんな部分が出てくるんだよ!
もう逃げたい。泣きたい。
絶対、これラピスに嫌われるよ。
「へぇ、ハリ、こんなこと考えてたんだ」
あうあうあう。ラピス、声が冷たいよ。
ショック。絶対ラピスに嫌われたよ。ラピス以外の女の人のことまで妄想したことがあるなんて、ずっと隠しておきたかったのに。
またブチっと意識が切れた。
「ハリ・・・」
「・・はい」
「エッチ!スケベ!変態!」
だから、見せたくなかったのに・・・。
「なんでユキナとルリが出てくるのよ、しかもミナトに至ってはこれ、本当にやったことでしょ!」
あう。
逃げたい。
バチんとラピスの両手が僕の頬を挟む。
ちょっと痛い。
「ユキナやルリのことでエッチな想像するのはヤメテ」
「ゴメン、ラピスに嫌われても仕方が無いよね。わざとじゃないし、意識したわけじゃないけど、夢の中とは言えこんなことを考えたんだから」
「・・・私のことだけ考えるなら、許してあげる」
「ラピス?」
「それに・・・ハリがどうしてもって・・言うなら、私のこと好きにし」
そこまでラピスが言いかけたところでぽかっとイネスさんが、ラピスの頭を叩く。
「いたぁっ!」
それまで僕の頬を押さえていたラピスの両手は、頭を抱え込んでいる。
「もう、あなたたちにはまだ早過ぎよ。こんなところでラブラブ空間を作るのはやめて頂戴?」
そういわれて、僕もラピスも顔を真っ赤にする。
「あの・・・僕、顔洗ってきます」
僕は逃げ出すように、医療室を一度出た。
「あ、ハリ・・」
後ろ髪を引かれるような思いという顔をしてるラピス。
「ラピスは、ハーリー君のこと、嫌いになった?」
という私の問いに、この子は首を横に振った。
「でも、私以外の人でエッチなことを想像されるのは、すごく嫌」
「まぁ、そうでしょうけど、許してあげなさい。ちょうど今のハーリー君の年のくらいの男の子は、こういうことを無意識にあれこれ想像しちゃうのが普通なの
よ?」
「・・・そうなの?」
「そうなの。しかも、ハーリー君も言ってたでしょ。いつもそんなことを考えてたりはしないのよ。意識するならラピスのことを想像するでしょうけど、夢の中
の無意識なところでは身近な女の人が、勝手に出てきちゃうのよ。だんだん大人になるとともに、こういうは落ち着いてくるものだけど、あのくらいの頃の男の
子はみんな、そういう想像をするものなのよ。ラピスだって、夢の中で意識してないのに、ハーリー君が出てきて抱きしめられたりしたことあるでしょ?」
「!!」
真っ赤になった表情が、何でそれを知っているの?!という言葉を物語っている。
「みんな同じなのよ。男の子と女の子では、その出方が違うだけ。だから、許してあげなさい」
「うん・・」
「それにハーリー君の中にラピスもいたんでしょ?」
「・・うん、いた」
「ならよかったじゃない」
そこまで話をしたところで、本当に顔を洗ってきたと思われる、前髪がまだ少しぬれているハーリー君が戻ってきた。
「あの・・ラピス、本当にごめん」
「謝らなくていいよ」
そういってラピスは頭を下げているハーリー君の腕に自分の腕を絡ませる。
そして・・・この子、意識的に、自分の胸をハーリー君の腕に押し付けているわね・・。
「これからは、私以外夢に出てこないくらいにしてやるんだから」
「だからそういうラブラブ空間をここで作るんじゃなーい!」
私はもう怒鳴るしかなかった。
もう、アキト君に頼るわけにも行かないし、誰か私を優しく慰めてくれるようないい男はどこかにいないかしら・・・。
◆
イネスさんの作ってくれるバイザーレンズは、イネスさん自身が言うように、最初のものはとても実用的とは呼べる代物ではなかった。
色の無いモノクロームな景色、ラピスとの精神リンクを介在しても、素子が拾う映像を僕のナノマシンが識別するまでに1秒近い時差があり、なんとも不思議
な視覚体験になったが、それでも自分の目の動きと視覚が連動するというのが久々で、それまで当たり前だったことが、普通にできることの喜びを知るというの
がこういうことなのかと思った。
きっとこれのもっと何百倍もの感動を、五感を回復したアキトさんは感じたんだろうなぁ。
その後、イネスさんが新しいレンズを作るたびに、時間差は無くなり、景色に色がつき、ラピスとのリンクを続ける必要がなくなった。
精神リンクをきることに互いに反対は無かった。
ラピスとも話しあって決めたこと。
僕はラピスが好きだし、信じてる。ラピスも僕のことをそう言ってくれている。
だけど、そうであっても、自分たちの心と記憶のすべてをお互いに曝け出しあえるには、僕たちはまだあまりにも子供なんだ。
見られたくない部分がある。
知られたくない過去がある。
忘れてしまいたくても、取り消せない出来事の上に今の僕たちがある。
僕たちがもっと大人になったら、そういった部分を含めてお互いを理解し合えるのだろうか。たとえばアキトさんと、ルリ姉さんとユリカさんたちのように。
だけど、イネスさんは教えてくれた。
重要なのは理解しあうことでも、互いを知り尽くすことでもない。
理解し合おうとする心が重要なのだと教えてくれた。
今回のラピスとのリンク騒動で、僕たちはそれを少し理解した気がする。
そんなことを考えながら、僕は今まで使っていたバイザーをどうしようか少し思案したあと、部屋の引き出しにしまっておくことにした。
サセボでへんなのと笑われたこのバイザーも、視力を失ってからのこの1年の僕を形作る重要な僕の一部なんだと、格好つけてみる。
このバイザーをはじめてつけたとき。目の前に戻ってきた視界と、真っ先に飛び込んできたラピスの心配そうな表情。このバイザーは、僕とラピスの今を形作
る象徴のように思えてきて、もう要らないから捨てようなどとはこれっぽっちも思わなかった。
そんなことを考えながら、僕はこのバイザーをケースにしまって引き出しの中に収めた。
僕たちは今、またサセボの町を二人で歩いている。
今度はバイザーが無いせいか、以前のような視線に晒されることは無くなった。
「あれ?」
「どうしたの、ラピス」
「あれ、ミナトとサブロウタさんじゃない?」
ラピスが指差す方向には確かにあの二人がいた。けど、ちょっと驚いたのは、サブロウタさんがあの長い髪をバッサリ切り落としていたことだった。
「ミナトー!サブロウタさーん!」
ラピスが二人に声をかける。サブロウタさんとミナトさんも僕たちに気がついたようだ。
「ハーリー、お前、バイザーどうした?」
「イネスさんが、コンタクトレンズ型のバイザーを作ってくれたんですよ」
「へぇ、イネスさんといい、ウリバタケさんといい、いろんなもん作るよなぁ。まぁ、なんにしても良かったじゃねぇか、なあラピちゃん?」
「うん」
隣でラピスがうれしそうに笑う。
「ミナトたちは何してたの?」
「私たちもちょっと買い物をね」
「何を買うの?」
「・・・サブロウタ、教えてもいい?」
「いいよ」
二人でアイコンタクト。なんか大人っていう感じのいい雰囲気出してますねっていうか、ミナトさん、今サブロウタさんを呼び捨てで呼びませんでしたか?
「サブロウタにこれ、買ってもらったの」
そういって口元に左手を添えて・・・指輪?
照れくさそうに鼻の頭をかくサブロウタさんの手にも同じ指輪?
しかも薬指。それって、もしかして。
うふふと笑うミナトさん。
「サブロウタさんも、ついにナンパ師卒業?」
「そういうこと」
髪の毛をバッサリ切り落としたのも、そういう意味なんだろうか。
晴れ晴れとしたサブロウタさんの笑顔が、すごく印象的だった。
「ラピラピ、ユキナには言わないでね」
「えー、教えてあげないの?」
「ううん、ユキナには私たち二人から教えてあげたいから」
「あ、そういうことか。うん、わかった。ユキナもきっと喜ぶよ」
ラピスにしてみれば、ユキナさんも、ミナトさんもお姉さんだもんな。きっと嬉しいんだろうな。
二人と別れて僕たちはまた買い物に戻ったのだけど、しばし僕たちは無言だった。
いつかラピスにも、あんなプレゼントしてあげたいな。とか考えていたら、ラピスの組んでいる腕がきゅっと強くなった。ふとラピスを見ると、潤んだ瞳が僕
に微笑んでいる。
僕の考えなんて、きっとラピスはお見通しかな。
「僕が何考えているか、わかった?」
「うん、バレバレ」
「やっぱり」
「でもね、その気持ちが何より嬉しいんだよ」
リンクなんか無くても僕の気持ちがラピスに届く。
想いが通じるってこういうことを言うのかもしれない。それがとても心地良い。いつまでもこうして二人で歩いて行けますように。
fin
Postscript
最後までお読みいただきありがとうございます。affectionの後日談をお送りいたしました。今回は特に核となるストーリーというよりも、
affectionの中で意図的に削ぎ落としていた部分を、後から振り返るという形で描き、そして次の一歩を踏み出すナデシコのクルーたちという場面を描
いてみたかった、というのがきっかけで書き始めました。
おそらくaffectionを読んでいただいた方の多くが、ラピスがハーリーに傾くまでの経緯の描写が非常に弱いと感じられたと思います。というより、
ほとんど書いていませんでしたから、唐突にハーリーに転んだように見受けられたかもしれません。
ラピス好きな方にはご不満があったかもしれませんが、その心の機微の一端を表現できていると感じていただけると筆者としては嬉しい限りです。
2007年3月
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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