Fate/stay nitro 外伝 episode ルリ
作者 くま
「み、水を…」
ガンガンと痛む頭を私はなるべく動かさないようにしながら、ゆっくりとベッドから起き上がります。
目指すのはプライベートルームに備え付けとなっている冷蔵庫。
そこから冷えたミネラルウォーターを取りだし、ゴクンと一口だけ飲みます。
口の中を湿らせ次に薬箱から取り出した小さなビンを手にし、覚悟を決めて一気に飲み干します。
う、苦い。
ですがこれもこの酷い二日酔いを止める為に我慢すべき事なのです。
ふと時計に目をやると勤務時間まであと30分しかありません。
私は今だ重い頭をふらつかせながらバスルームへと向うのでした。
フラフラと歩きながら思い出すのは昨日の事です。
妖しげな老人に付き合ってしまった私は、しこたま飲まされた挙句、
日付が変わる頃にようやく自室へと戻る事が出来ました。
何もかもが億劫になっていたその時の私は、
日付が変って10分もしないうちにベッドの中に入っていました。
そして、ふと疑問に思いました。
あの元王様と言う女性との一時は、本当に存在したことなのでしょうか?
いえ、存在したに決まっています。
今あるこの頭痛が、なによりの証拠。
まあ、私がアノ老人に怪しげな薬でも嗅がされて、
1日中白昼夢を見ていたその後遺症が、この頭痛だと言うのなら解りませんが。
念の為、昨日1日の自分自身の行動記録を確認してみましょう。
そこまで考えたところで、私は自分の仕事場であるブリッジまで辿り着いていました。
『艦長、ブッリッジイン』
そんな合成音と共に扉が開き、私は変わらずふらふらとした足取りで中へ。
「おはよーございます、艦長!!」
ピク!
私にかけられるハーリー君の声に、私はこめかみをヒクつかせます。
今の私にとって、ハーリー君の甲高い声はただでさえ酷く頭に響きます。
そして、今の私にとっては元気過ぎる声で、ハリーくんは朝の挨拶をしてくるのです。
「か、艦長、どうしたんです!?」
頭を押さえ俯く私に、ハーリー君は覗きこむ様にして声をかけてきます。
その分私は、その声を耳元で聞く事になるわけで…。
「さ、三郎太さん、大変です!!艦長が!」
で、そこまで騒ぎ立てられたら、私も我慢がなりませんでした。
「………ハーリー君、
五月蝿いです」
予想よりも低く押さえた声が、私の口からは出ていました。
自分の声が頭に響かない様に、と自然とそうなっていました。
すこし、しゃがれている感じもします。
やはり、昨日の影響でしょうか。
ふと、ハリー君の顔を見ると、
何故だか口をへの字に曲げて、目に涙を溜めて泣き出しそうな表情をしていました。
「か、艦長のばかー!!」
そしてハリー君は大声で私に怒鳴りつけると踵を返し、
ブリッジから走って出ていってしまいました。
元気なハリー君と対照的に、
私はがっくりと膝を付きこめかみを両手で抱えてしまいます。
というかそれ以外の行動は取れませんでした。
ええ、今のは効きました。
ハリー君の大声の所為で、
先ほどの三倍増しで頭痛が私の頭の中を駆け巡っています。
ふふふ、これは後できっちりと…。
「艦長、大丈夫っすか?」
そこまで考えたところで、三郎太さんが声をかけて来ます。
私を気遣っているのか、ハリー君とは違い普段よりも小さな声でした。
「一応、大丈夫です。
別に病気ではありませんから」
「解ってますよ。二日酔いでしょ?
あーこれ冷たいオシボリっす。使ってください」
ゆっくりと立ちあがり、艦長席に座る私。
三郎太さんは言葉と共にオシボリを差し出してきます。
私はそれをあり難く受け取ると、軽く広げて顔に押し当てます。
ひんやりとした心地良さに、少しだけ頭痛も引いていく感じがします。
って、どうしてここに冷たいオシボリが?
「オモイカネですよ。
昨日1日行方不明だった艦長の様子が変だって俺に相談してきたんですよ」
そう続ける三郎太さん。
つまりそれはオモイカネが今朝から私の行動を監視していたということなのでしょう。
そんな私の怒気を感じ取ったのか、オモイカネが私の回りにウインドウを展開してきます。
『ゴメンナサイ!!』
『許してルリ!』
そんな風に許しを請うウインドウが幾つもならべられれます。
そのオモイカネの必死さに私も毒気を抜かれ、怒る気になれませんでした。
「しょうがないですね、今回は大目に見ます。
―――けど、次回はありませんよ」
『「りょ、了解」』
そう続ける私の言葉に、オモイカネは元より、何故か三郎太さんまで敬礼で答えてきます。
その顔は引きつっているかのようにも見えます。
そんな二人の態度に少し疑問を抱きながらも、私は端末の操作を開始します。
といっても、自分あてのメールのチェックとかなので多少頭痛がしていても問題はありませんが。
50程の新規メールをザラっと確認すると、一つだけ見慣れぬ相手からのメールが届いていました。
中身はわかりませんが、種類的には映像タイプのメールです。
命令書とか特殊なもの以外は、大抵そっちなんですけどね。
そして、私はそのメールを開いて見ることにしました。
まずそこに映し出されたのは、見覚えのある妖しげな老人の姿でした。
閉ざされた空間で、老人がこちらに背を向けている別の人物と対面している映像がしばらく続きます。
その見覚えのある背中は、確かにあの人、アキトさんのものでした。
それを認識した途端、私は映像から目をそらすことが出来なくなりました。
『貴様、何者だ?
どうやってこの船へ侵入した?』
響いてくるのはアキトさんの声。
腰のリボルバーに、手をのばしながらの問いかけでした。
『ワシは、ただの魔法使い。
故に魔法を使ってここに来た。
ちと、約束が在ったのでな』
アキトさんが突きつけた銃口もお構い無しに、怪しげな老人はそう続けます。
『名前は訊かなんだが、銀色の髪を双房に縛った娘との約束での。
その娘に一仕事してもらう代わりに、
おヌシを、まあ肉体的にのみだが、助ける。そう約束したのだ』
老人が続けた言葉に、アキトさんは動揺しました。
ギラン。
その瞬間、老人の目が光り、
見た目にそぐわぬ俊敏な動きで、手にしていた杖を振りぬきました。
『沢村英二アタック!!』
怪しげな老人は、そう叫びながらアキトさんに向けて杖を振り抜きます。
場外ホームランでも打てそうなくらいに素晴らしいスイングでしたが、
アキトさんの身体を捕らえることなく空振りに終りました。
というか、沢村英二さんは確か投手じゃないですか。
その辺の突っ込みは映像なので出来ませんので、
そのまま突っ込みなしに映像は進みます。
空振りしたはずの老人の杖にも関わらず、アキトさんはガクっと膝を付きました。
一体なにが起きたのか、私には解りませんでした。
『アキト!!』
そのまま起きあがることなく、床に横たわるアキトさん。
その彼に駆け寄る、私と同じ金色の瞳をした一人の少女。
恐らくあの時火星で会話を交わしたラピスと言う少女でしょう。
『おヌシの中にあった全ての機械を取り除かせてもらった。
ついでに、時間限定の治癒魔法もかけておいたわい。
この時より1日、ヌシの身体はヌシ自身の力によって回復するはず。
ま、この言葉も今のおヌシには聞こえておらぬだおろうがな。
そこな娘、こやつが起きたらこの老いぼれの言葉をしかと伝えるがよい。
あー、ちゃんとワシの言葉を聞いておるか?』
老人は倒れたままのアキトさんとその側で彼にすがり付き泣きじゃくる少女にそう告げます。
が泣きじゃくるだけの彼女に対し一つため息を吐くと、
老人の姿を捉えているカメラに向き直ると更に言葉を続けます。
『仕方が無いの…。
人の手によるこの船の九十九神よ。
双房の髪の娘に連絡を取るのじゃ。
治癒の魔法とはいえあくまで自身の力を使うもの。
このまま栄養補給無しでは下手をすると衰弱して死にかねん。
あの娘なら泣きじゃくるだけのそこな娘と違い、それなりの対処ができるじゃろうて。
っと、ちと喋り過ぎた様じゃの。ではな』
老人はそう言い終えると杖を一振りし、煙が薄れる様にその姿を消してしまいました。
そして映像に写し出されるのは十数個の文字列。
それらの文字列は恐らくあの船のAIが表示したもの。
「三郎太さん、これよりこのナデシコBを緊急発進させます。」
「へ?!」
私の突然の宣言に三郎太さんは気の抜けた返事を返してきます。
「緊急発進です、モードをWに設定します。
三郎太さんは早急にハーリー君を連れ戻してきてください」
「ラ、了解」
IFSでナデシコのモード設定を変えながら告げる私にその本気を感じ取った三郎太さん。
ビシッと敬礼を一つするとハーリー君が走っていった方に駆け出しました。
流石三郎太さん、切り替えが早いです。
それに引き換えハ―リー君は…。
やっぱり、後でお仕置です。
5分後、ナデシコBは緊急指令を受け、軍港を発進していました。
その指令は最優先指令であり、
ナデシコBは他の宇宙軍全部隊に優先し任務を遂行する事が求められています。
それは他の部隊がナデシコBの行動を妨げないようにという意味でもありました。
2時間後にはナデシコBに降りた指令が誤まりだったと判明するシロモノですが…。
ちょっとした勘違いの指令です。
日頃行なっていたコトがこんな所で実を…いえ、何でもありません。
とにかくナデシコBは緊急に出航し、とあるポイントへ向っています。
乗員は私と三郎太さんとハーリー君の3人。
ハーリー君に操船を任せ(といっても行き先の座標は解っているので簡単なことです)、
私と三郎太さんは艦載されている別々のエステバリスのコックピットで待機していました。
『艦長――、
一体、このポイントに何があるんですか?』
操船しているハーリー君から、コミニュケを通じそんな問いかけがかけられます。
『艦長、俺も何があるか聞いて無いんですけど?』
とハーリー君に続く様に、三郎太さんからも尋ねられました。
そんな二人に応えるように、私は無言で命令書を二人へと転送します。
とある座標へ向われたし。
それだけを書かれた命令書ですが。
『か、艦長、これ、正規のものじゃなくて、偽「ハーリー君?
私はただ命令書の通りに任務を遂行してるだけです。
何か問題があるのですか?」
ハーリー君の言葉を遮る様に私は聞き返します。
もちろんにっこりと笑顔をつけて。
あまり察しの良くない方のハーリー君でも、
私が何を意図しているかは理解してくれたようでした。
『いえ、何の問題もありません、艦長。
ぼ、僕は操船に集中します』
そう言い残し慌ててコミニュケを閉じました。
『さーて、念の為、機体のチェックをかけときますか』
察しの良い方の三郎太さんはもちろん、
そう言いながら、何事も無かったかのようにコミニュケを閉じます。
何時も通りの二人に苦笑しながらも、
私はある意味巻き込んでしまっている二人に心の中で謝ります。
そのまま私はナデシコBが目標ポイントに到着するまでの30分ほどの時を待ちました。
『か、艦長、アノ船体は!』
ナデシコBのセンサーが捕らえたその船体の画像に、ハーリー君が驚きの声をあげています。
「ハーリー君、ナデシコBは預けます。
三郎太さんは私と一緒に。
エステバリスであの船体に接触を図ります」
『艦『了解。ハリー、ぐずぐずすんな。ハッチ開けろ!』
何か言いたそうにしたハーリー君の言葉を遮ったのは三郎太さんでした。
叱咤とも取れるその言葉に、ハーリー君はようやく動き出しました。
格納庫のハッチが開き、船外への通路が確保されると、
飛び出す様に出ていった三郎太さんのエステバリス。
ライフルを構え周囲への警戒を怠りません。
そして私もエステバリスで出撃します。
が、私はあくまでそれなりにしかエステバリスを操縦できません。
ただ動いているだけの私を庇う様に、三郎太さんのエステバリスが飛び回ります。
そんな状態のまま、私と三郎太さんは目の前の船に向います。
三郎太さんの警戒を無駄にするように、そして私の予想通りに、船からは何の抵抗もありません。
逆に私達を迎え入れるために格納庫のハッチを開いたぐらいでした。
目標の船の内部に入り込んだ私達はエステバリスから降り、船のAIに誘導されるがままに進みます。
そのまま、船の中心部であろう部屋、恐らくブリッジ、に辿り着いた私達は、
その部屋の中央に横たわる人影とそれにすがりつく少女の姿を目にします。
私は手にしていたエステバリスのコックピットに装備されていた救急治療キットを三郎太さんに預け、
二人の元に駆け寄ります。
あの人に、アキトさんにすがり付き、ただ涙する少女の髪を掴み強引に顔を上げさせた私は、
そのまま平手で彼女のその頬を張り飛ばします。
バチン
そして床に倒れた彼女とアキトさんとの間に私は立ち塞がります。
アキトさんから引き剥がされ、暴力を振るわれた彼女は恨みの篭った眼で私を睨みつけてきました。
「何をするの!ホシノ・ルリ!!」
叩かれた頬を押さえ、涙目になりながらも私に敵意の篭った視線を送る彼女。
「では、貴女は何をしていたというのですか、ラピス・ラズリ?」
立ったまま彼女を見下す視線を纏った私は、あえて感情の欠落した声で彼女を問い返します。
「……」
一瞬を見開き、何も言い返せず、黙り込む彼女。
そんな彼女を横目にしながら、私を追いかけてきた三郎太さんに指示を飛ばします。
「三郎太さん、緊急キットの中から栄養剤を出してください。
無針注射の出来るタイプが在ったはずです」
持って来たエステバリス備え付けの緊急キットの中には、簡易であるものの様々なものが入っています。
コックピットを内側から切裂けるような高振動ナイフから傷口をふさぐ為の人工皮膚まで。
そのうちの一つが栄養剤です。
口径経由のものもあれば、今言った様に無針注射のタイプもあります。
栄養剤は誰かが宇宙で漂流しそうになったことで追加されたみたいですけど…。
そして三郎太さんが取り出したそれを、
もどかしげに奪い取った私は迷わずアキトさんの腕に突き刺します。
内蔵されていた栄養剤がゆっくりとアキトさんの血管の中に注入されて行きます。
これでひとまずは安心できるはずです。
すぐさまアキトさんが衰弱死することはないでしょう。
「ラピス・ラズリ、この船に医療施設はありますか?」
「ルリ、あなたには何も教えない!」
アキトさんの方を向いたまま背中越し訊ねる私に、返ってくるのは彼女からの拒絶の言葉。
その言葉に私は苦笑を漏らしつつ、応急キットを片付けている三郎太さんに声をかけます。
「三郎太さん、アキトさんを背負ってもらえますか?
流石に担架は用意して無いですし、私には荷が重過ぎますので」
「了解っす」
片づけを終えた三郎太さんは私の言葉に短くそう答え、
気を失っているアキトさんの真横に立つと、床に寝かされているその身体の下に両腕を刺し込みます。
「よっと」
そんな掛け声と共に事も無げにアキトさんを持ち上げる三郎太さん。
流石現役の軍人さんです、って私もそうですけど。
それよりも三郎太さんの抱き上げ方が問題だと私は思いました。
所謂その、お姫様だっこというやつだったからです。
まあ何と言うか、ヒカルさんとかが喜びそうなシュチュエーションですね。
「だめ!アキトを連れて行かないで!」
そしてアキトさんを抱きかかえたまま、
格納庫へ向おうとした三郎太さんの前に立ち塞がるのはラピスでした。
目に涙を溜め、その小さな身体で両手を一杯に広げ三郎太さんの行く手を阻もうとします。
もちろん、三郎太さんが本気になれば、彼女の制止など何の意味も持たないのは明白です。
ですが私の思った通り、三郎太さんは困ったと言う表情をして私に助けを求める様に視線を送ってきました。
私は小さくため息を吐きつつも、三郎太さんらしいと好ましく思いながらラピスの前に立ちます。
「ごめんなさい、ラピス・ラズリ」
彼女の前に立った私は先ずそうやって頭を下げました。
「暴力を振るった事は謝ります。
ですが、アキトさんはこのまま連れていきます。
私はこの人を死なせたくないんです」
私が頭を下げたことに驚いたラピスでしたが、
更に続けた言葉にはやはり反発し、私をキっと睨みつけてきました。
彼女の予想通りの反応に、私は更に言葉を続けます。
「というわけで、ラピス・ラズリ、貴方に協力してもらいたいのです。
この人が、何時までもとは言いませんが、人並みに私達と一緒に生きていけるように」
私はただ真直ぐにラピスを見つめてそう告げます。
ラピスは私の言葉の意味を考えて、考えて、最後にはコクンと頷いてくれました。
「ありがとう」
私はラピスに感謝の言葉を返しぺこりと頭を下げたのでした。
その後、三郎太さんにアキトさんを運んでもらい、ラピスと一緒にナデシコBへ戻りました。
三郎太さんにアキトさんを医療室へと運び込んでもらった私とラピスは、
彼を医療室から追い出し、ナデシコBが本部に戻るまでの間、これからのことをじっくりと話し合いました。
今は眠っているアキトさんが、この後どうなるのかは、全て彼女にかかっているのですから…。
一ヶ月後、私が確保したテンカワアキトを名乗る人物は無罪放免となりました。
もちろん、一緒に捕らえられたラピス・ラズリという少女と共にです。
そのまま二人は連合宇宙軍ホシノ・ルリ少佐、つまり私の保護観察下に入る事になっています。
そして今日はその二人を引き取る為、私はめったに顔を出さない宇宙軍の本部に来ています。
「おお、ルリ君、よく来てくれた。
久しぶりに元気な姿を見れて義父さんは嬉しいぞ」
「ミスマル提督、実家で2日前に一緒に夕食を取ってます」
「おお、そうだったかね、スマンスマン」
といった何時ものお約束を繰り返した後、本題に入りろうとする私だったのですが、
どうにも提督の歯切れが悪く遅々として話が進みません。
埒があかないと判断した私は、宇宙軍の端末からアクセスできる
(とはいえ、それなりの高官でないとダメですが)
とある場所に保管されたファイルの名前をこそっと告げます。
提督の表情ビシリと固まり、つつーと冷や汗を流しました。
そして私がにっこりと笑みを向けると、提督は慌てて何処かへ内線電話を繋げます。
提督が私には聞こえないように何処かと連絡を取ってから5分後のことでした。
宇宙軍の四人の兵士に護衛される様に、二人の人物が提督と私が居る部屋に入ってきました。
恐らく護衛を専務としているであろう四人の方は部屋の外で待機し、
二人の人物だけが部屋の中へと残されます。
二人のうち一人は少女で、着ている服こそあの時とは違いますが、間違いなくラピス・ラズリです。
そしてもう一人は、いえ、確かにアキトさんなのでしょう。
もしくは昔のアキトさんはこんな感じだったのかな?
そう思わせるような少年と青年の中間ぐらいの男性…。
つまり、アキトさん、若返ってます。
どう見てもハタチを超えた風には見えません。
多めに見積もって高校生ぐらいでしょう。
「提督?」
私は二人の方を向いたまま、背中越しにそう尋ねます。
「いや、あのね、なんというか、あれから彼、縮んでしまってね。
若い頃には良くあることだよね?多分…、はははは」
と提督は焦ったような声で続け最後には誤魔化しの笑いを付けたします。
アキトさんがなぜが若返ったこと。
提督が私と二人が会うのを引き伸ばそうとしていた原因はそれなんでしょう。
確かに、アキトさんが無罪放免となった理由は『テンカワアキトではないと判断されたこと』でした。
一月前、アキトさんを捕らえた私は、治療の為にアキトさんの血液を採取しています。
私はそれを宇宙軍に証拠として提出しています。
もちろん彼がテロリスト『テンカワアキト』ではないという証明の為に。
IFS操作の為のナノマシン等が全く含まれていないかった血液は、彼がテンカワアキトであると同時に、
あの黒い機動兵器を操縦していた人物とは別人であるという事実を示しました。
私が捕らえた彼はテンカワアキトのクローンであり、
宇宙軍を欺く為に用意された違法行為の産物である。
自分が本人だと語るその記憶は後から植え付けられたものである可能性が高く、
自虐的に語られる彼自身の証言は、植え付けられた性格によるものであり、
証拠として到底有効であるとは認め難い。
故にホシノ・ルリ少佐が捕らえた彼とテンカワアキトは別人である。
宇宙軍としての結論はそう下されたのです。
だからこそ、彼は無罪放免となり、
そして一応の重要人物として、私の保護観察下に置かれることとなったのです。
ですが、まさかアキトさんが若返っているとは予想外の展開です。
「ルリちゃん」
すこし考え込んでいた私に、そう声をかけて来たのは若返ったアキトさんでした。
最後に声を聞いたものよりも幾分高めの声色で、
あの時のアキトさんとは、やはり違うのだと私は改めて認識しました。
私は呼びかけてきた彼に、自らの手をかざす事でそっと制止し、逆に私の方から言葉を紡ぎます。
「久しぶりです、ラピス。
そして、初めまして、見知らぬアキトさん。
私は統合宇宙軍少佐ホシノ・ルリです。
今日から貴方達二人は、私の監督下に入ってもらいます。
窮屈だとは思いますが、
しばらくは監視付きの生活を送ってもらう事になります。
貴方達の行動に特に制限を設けるつもりはありませんが、
それなりに自重した生活を送ってください。
あんまり羽目を外し過ぎると、私が怒られちゃいますから。
そういう訳で、よろしくお願いします」
一息にそう言いきった、私はぺこりと頭を下げます。
それに釣られる様に頭を下げたのはラピスだけでした。
アキトさんは私の言葉がずいぶんショックだったようで、
大きく目を見開いたまま固まっていました。
それは私の予想通りの反応でした。
そして私はホッと胸を撫で下ろしている提督の方を振りかえり、
この場を退席することを告げます。
二人を私の監督下に置くということは、
これからは私を含めこの三人で生活をするという事でもあります。
つまり色々と忙しいのです。
その辺の事情は提督も解ってみえるようで、
私のその言葉に黙って頷いて答えます。
「あー、ルリ君」
そのまま、退室しようとした私を提督は呼び止めます。
ことさら神妙な顔の提督に、
少し疑問を憶えながら私は再び提督の前に戻りました。
『なんですか?』
と尋ねる私の耳元に顔を寄せ、
提督は、
『ムスコを頼む』
と私にだけ聞こえる様に短く告げてきました。
そして私は黙ったまま大きく頷くことで提督に答え、
踵を返すとその場を後にしました。
統合宇宙軍本部を出た私達3人は、半ばオートで操縦できるエレカーで官舎へと向います。
と言っても今まで私が入っていた独身者用のワンルームタイプの宿舎ではなく、
家族向けに建てられた部屋数の多いタイプの宿舎です。
とはいえ民間のマンションを借り上げて宿舎にしたというものですけれど。
まあ流石に私の使っていた部屋に3人で住むのは狭過ぎますから…。
かといって、ミスマルの屋敷に戻ると言う選択を選ぶ事は出来ませんでした。
今のアキトさんとユリカさん二人には、きっと時間が必要だと思ったからです。
特にアキトさんがこのような状態になってしまった以上、尚更なことです。
「ルリちゃん」
セミオートとはいえ一応エレカーを運転している私に気を使ったのか、
アキトさんが遠慮がちに声をかけてきました。
「何かありましたか、見知らぬアキトさん」
アキトさんの方をあえて見ず、私はそう問い返します。
今まで色々あったんです、少しぐらいこんな風に意地悪をしても良いんじゃないでしょうか。
「…その呼び方は止めてくれ。
ルリちゃんは全部解ってるんだろう?」
その外見には似合わない自虐的な笑みを浮かべ、アキトさんが尋ねてきます。
そんなアキトさんの様子をチラリと横目で確認した私は逆に問いかけます。
「何を?と聞き返したら、見知らぬアキトさんは怒りますか?」
そんな私の言葉に一瞬驚いたアキトさんでしたが、
すぐに力なく首を振りそのまま黙りこくってしまいます。
そのまましばらく車内には沈黙が満ち、
ただ道路を走るエレカーからの振動音だけが響きました。
「いや怒らないさ。
俺には君のことを如何こう言う資格なんてない。
自分の都合だけで人殺しをした俺には、
立派に軍人をやっている君を責める言葉などは持ってないさ」
そしてしばらく続いた沈黙をやぶったのはアキトさんでした。
やはり外見上の年齢に似合わぬ、何処か諦めたような目をして言葉を紡ぎます。
それよりも私が気に入らなかったのは彼の口から出た言葉でした。
だから私は、彼に言い聞かせる様に話しかけます。
「人を殺したという点では、私も同じですね。
貴方の記憶にもあるかと思いますが、
昔、私はネルガルの建造した戦艦ナデシコで、
メインオペレーターをしていたんです。
私の手で放たれたグラビティーブラストや相転移砲は、
幾人もの木星連合の人達を殺したんです。
両の手では数え切れないほどの命を、この手は奪ってきたんです。
正確な数は、まあ、まあ調べれば解るんでしょうけれど…」
「違う!
俺が殺したのは罪の無い人達で、
君が殺してしまったのは軍人だ。君は何も悪くない」
感情の篭っていない淡々とした私の言葉に、感情も露にアキトさんが反論してきます。
そんなアキトさんに対し、私は前を向いたまま感情を押し殺したまま言葉を続けます。
「それは随分と傲慢な考えですね。
まるで貴方には、人の命を評価することが出来るみたいな言いぐさです。
人殺しの俺とか言いながら随分と偉そうですね。
そうは思いませんか?」
そんな私の疑問にアキトさんはショックを受けた顔をし、
答えることなくうなだれてしまいました。
そんな彼の私は更に言葉を投げかけます。
「見知らぬアキトさん、無知とは時に罪である、そう私は思います。
人を殺す事は良くない事だというのは、
特殊な環境にいる人以外は誰でも知ってることです。
貴方はそう言いますけれど、残された人の哀しみは、
その人が軍人であるかどうかに左右されるものではありません。
諦めの付きやすさという点では違うかも知れませんけれどね。
私が命を奪った事によって、
幾つもの憎悪と哀しみが、この世に産まれたのは確かな事です。
それは事実ですし、私はそれを受け止めようと思ってます」
私は運転するフリをしながら、うなだれるアキトさんにそう告げます。
じっと私の言葉を聞いていたアキトさんでしたが、おもむろに顔を上げ口を開きます。
「ルリちゃんは、強くなったんだね。
でも俺は、そんな風には成れないよ。
俺は、俺自身が赦せないんだ」
そして何かを思いつめる様に目線を落とし、アキトさんは再び黙りこくってしまいます。
そんな彼の様子に温厚な私(本当ですよ?)もいい加減にブチっときました。
うなだれる彼の胸倉を掴み上げこちらを向かせると、
その鼻っ柱にパチキ(でいいんですよね?)をかまします。
三郎太さん直伝、体格差がある場合の喧嘩の始め方です。
ちなみに始めてやってみたのですが、私の額もものすごく痛かったです。
まあアキトさんは両方の穴から鼻血を出してましたから五分といった所でしょうけど。
「いい加減にしてください!
貴方の知っているテンカワアキトは、もう死んだんです。
貴方がどう思うおうとも、そしてどんなに言い繕おうとも、
貴方はテンカワアキトじゃないんです。
貴方がもし、死んでしまったあの人の代わりをして、
貴方のこれからの人生を、贖罪に生きようなんて考えてるのなら、
私はそれを絶対に認めません。
『君の知っているテンカワアキトは死んだ』
なんて格好付けといて、そんなの勝手過ぎます」
意表を突かれたというだけではないのでしょうが、
綺麗に頭突きを入れられたアキトさんに、私はそうまくしたてます。
ポコッ
少しエキサイト気味だった私の頭を、後部座席に座ったラピスが叩いてきます。
「ルリ、うるさい。
話すなら静かに話して。
それと前見て運転して」
そう話す彼女の右手には、丸められた週刊誌のようなものが握られていました。
恐らく私の頭をそれで叩いたのでしょう、
後部座席の彼女の側には、何冊か同じ様な雑誌が詰まれていました。
ポコッ
ラピスがその週刊誌を、今度はアキトさんの頭に落とします。
軽くとはいえ叩かれた事に、何故と問い返すような視線を向けるアキトさんを無視し、
ラピスは丸めていた雑誌を広げ、その中身に視線を落とします。
「アキトもルリもくだらないことを言うのは止めて。
資格があるとかないとか、そんなことはどうでも良いの。
それよりも大事なのは、今日からどうやって食べていくか」
そう続けられたラピスの言葉に、アキトさんは良く解らないと言う顔をします。
雑誌から目線を上げ、そんなアキトさんの顔をチラリと見た後、大仰にため息をつきました。
「アキトはなんにも解ってない。
テンカワアキトでない今のアキトと、今まで一般社会に生きてこなかった私。
私達二人の所有する資産は何もないの。
そして、私達は特に仕事をしている訳でも無い。
社会的にはただのお荷物、厄介物、ニートの引きこもりと同価値の存在。
ルリと一緒に暮らすのは私も賛成だけれど、
ルリにおんぶに抱っこで生きて行くつもりは、私にはないの。
アキトもくだらないことを考えてる暇があるなら、働く先を探した方が良い。
働かざるもの食うべからず。
誰か知らないけれど、昔の偉い人が言っていた」
とアキトさんに告げたラピスは、
自分の側に置いてあった雑誌を1冊アキトさんに差し出しました。
ラピスに言われたとおり、前を見るようにして運転していた私が、
チラッと目線を送り確認したところ、それは就職情報誌でした。
熱心に何かを読んでいるなとは思っていましたが、その手の雑誌だったとは少し驚きです。
どうやらこの3人の中で、最近一番大きく成長したのはラピスだった様です。
「年齢の低い私も仕事を探すのは大変だけど、アキトはもっと大変。
IFSを受けつけなくなったアキトは何が出来るの?
今のアキトの身体は重労働に耐えれるような身体ではないし、
昔取った何とやらのコックは嫌だって言う。
そうやって我侭ばかり言ってるアキトは、
もう少し自分の人生設計を考えた方が良いと思う」
突き付けられた就職情報誌を、
半ば呆然と受け取ったアキトさんに続けられるラピスの言葉。
今、ラピスが言った事は全て本当の事でした。
あれからアキトさんの身体は、IFSというかナノマシンを受けつけなくなりました。
治療用のものですら、何時の間にか体外へ排出してしまう体質になっていたのです。
そしてさらに悪い事に、今までIFSというかナノマシンと共に生きてきたアキトさんの身体は、
それが無くなった事により、大きくバランスを崩しているそうです。
アキトさんを診察した軍医からも、身体に大きな負担をかける行為は止められています。
軽度の負担から、じっくりと時間をかけて身体作りをする必要がある。
そんな風な診断結果が出ているそうです。
そんな身体の持ち主のアキトさんは、ラピスからの言葉にズズンと落ち込みました。
それもそうでしょう、以前は依存されていたラピスから、
人生について語られたのですから当然なのかもしれません。
アキトさんをフォローすると言うわけでないですが、
私はハンドルを握ったままラピスに話しかける事にしました。
「ラピス、世の中には、女性に養ってもらう『ヒモ』と言う生き方も在ります。
貴方さえ良ければ、アキトさんに『ヒモ』をやってもらって、一緒に養う側になりませんか?」
「ひ、ヒモ!?ルリちゃん一体何処からそんな知識を?」
「アノ戦艦を一人で操船していた貴方の実力なら、宇宙軍に入っても十分やっていけますよ?
年齢のことなら、ハーリー君という前例もいることですし、どうですか?」
落ち込むアキトさんが、途中で何言か口にした様ですがそんなものは無視です。
ええ聞こえませんとも。
『ヒモ』の知識を得たのはゴシップだらけの週間誌であること、
ましてや最近はその手の週刊誌を、実は密かな楽しみにしている事は絶対に秘密なのです。
「ルリの話、前半部分は魅力的だけど、後半部分の就職先は嫌。
ルリとキャラがかぶるの目に見えてるもの。それにあのオジさん苦手」
それが目線を落とした冊子をめくりながらのラピスからの答えでした。
キャラがかぶると返されるとは思いませんでしたが、
あまり良い顔をされないとは思ってました。
オジさんことミスマルのおじ様を、ラピスは苦手にしていると聞いていましたから。
もしラピスが宇宙軍に入るとしたら、
当然提督であるミスマルのおじ様とは顔を合わせなければいけません。
その部分に付いて、ラピスの心情的にマイナス要因となってはいるようですが…。
ちなみに、ラピスがミスマルのおじ様を苦手としている理由ですが、
何でも、あのカイゼル髭が生理的に合わないだとか。
生理的なものを直せと言うのは無理でしょうし、
ミスマルのおじ様にトレードマークでもある髭を剃れとは言えません。
どうやらラピスの宇宙軍入りは諦めた方が良さそうですね。
今しばらくは、と私は考えていますけれど。
そんなことを考えている内に、車は宇宙軍が借り上げることになったマンションに付きました。
そして私達は落ち込むアキトさんにハッパをかけながら、持って来た荷物を新居に運び入れます。
といってもアキトさんとラピスの私物の入ったスーツケースを2つ運ぶだけなので、
大した労力は要しませんでしたけれど。
ちなみに私の荷物はもう運び込んであります。
今まで住んでいた独身寮は家具付きのでしたので、私の荷物も大したものは在りませんでした。
更に幸いなことに同じ職場(宇宙軍という意味のですが)で休暇中の人が3人ほど、
私の引越しを手伝ってくれることになりました。
そして、私が何もしないうちに荷物の運搬は済んでしまったのです。
私が今回の引越しでやったことといえば、傷の手当てでした。
別に引越しの時に事故があったとかではなく、
手伝いに来てくれた3人はどうやら怪我をしてるのを我慢して手伝ってくれた様なのです。
ただ怪我といっても殴り合いをしたような生傷ばかりでした。
如何したのかと私が聞いても、
曖昧にお茶を濁されて、結局、怪我の原因は教えて貰えませんでしたけれど。
「さて、今日からココが我が家です」
スーツケースをガラガラと引きながら、
マンションの前に辿り着いた私は、後を付いて来た二人にそう告げます。
『わー凄い』などといた感嘆の声は最初から期待してませんでしたけれど、
その態度は無いんじゃ無いでしょうか。
ラピスは就職情報誌とにらめっこをし、
アキトさんは車中でのことを引きずっているのか、下を向いたまま顔を上げません。
外見はともかく内面はそれなりの年齢を重ねているのだから、と注意しようと思ったのですが、
アキトさんの様子をじっくり観察してみるたところ、どうやら私の勘違いであることが判明しました。
顔を上げないんじゃなくて、上げれない状態だったのです。
ぜーはーぜーはーと肩で息をして、本当に苦しそうでした。
多分大丈夫だろうと、スーツケースを一つ任せたのが間違いだった様です。
私にとっては何でも無い事でしたが、アキトさんにとってはかなりの重労働だった様です。
体格は小さいですけれど、軍人である私は確かに女性の平均的な基準を上回る体力があります。
それでも男性の平均的体力には全然及ばないのです。
外見上からは判断できませんが、今のアキトさんは貧弱であるとしか言い様がありません。
よもやアキトさんの体力の無さがここまで深刻なものとは…。
どうやらアキトさんヒモ説が有力に成りつつあるようです。
そういった多少の不安要素抱えながら、
私とアキトさんとラピス、三人の生活が始まったのです。
3ヶ月後。
「アキト、また仕事をクビなったの?
これで13回目。もっとしっかりして」
朝食の席で、そうアキトさんを責めたてるのはラピスです。
どうやらラピス本来の性格は結構苛烈なものだったらしく、きっぱりとしたもの言いをする娘でした。
私がそれを理解するのに、1週間も時間を要しませんでした。
「いや、だって親方が…」
「言い訳、みっともない」
アキトさんの弁解を一言で切って捨てるラピス。
何時も通りにそのキツイ言葉が向う先はアキトさんでした。
あくまで私の推測ですが、以前と違い情けないところを見せるアキトさんが気に入らないのでしょう。
それだけアキトさんに期待をしていると言うことの裏返しでも在るんですけれど。
ただそのラピスの言葉の裏までは、アキトさんに伝わらないらしく、
アキトさんはラピスによく凹まされていました。
それがいっそうラピスの不機嫌さをと、連鎖してしまい…。
「まあまあ、アキトさんも頑張っているんですし、
ラピスもその辺にしておきましょう」
そんな訳で、何時も私が宥め役を買って出る事になってました。
もちろん、けっこう美味しい役所と知っての事ですが。
「ルリちゃん、ありがとう」
凹まされた所為で瞳を潤ませたアキトさんが、
助け舟を出した私の手を握りながらそう言ってきます。
作戦通りなのですが、
もちろんアキトさんのその行為はラピスの不機嫌に繋がるわけで。
「ルリ、余計なこと言わない。
アキトはちゃんと聞いて。
結果だけじゃなくて過程を誉めてくれるのは学校だけ。
ちゃんと出来ないアキトが誉めてほしいなら、学校へ行けばいい。
学費ぐらいなら、私が出してあげる」
不機嫌を隠そうともせずに、そう続けるラピスの言葉。
それを聞いて再び固まるアキトさん。
まあ、ある意味に当っている言葉だけに私はラピスの言葉を否定はしません。
「じゃあ、その時は私も半分出しましょう」
そして、固まってしまったアキトさんの手を振り解き、
ぽんと手を打った私はそう提案します。
3人で暮らしている以上、アキトさんばかり贔屓するわけにはいきません。
バランスをとって今度はラピスの味方と言うわけです。
それだけでも無いんですけれどね…。
「ねえ、ルリ。アキトが入れそうな学校って何処?」
話の続きなのでしょう、真剣な表情でラピスが私に訊ねてきます。
「外見の年齢的には高校でしょうけれど、
何処に入れるかはアキトさんの学力次第ですね。
一般的に、編入試験は入学試験よりも難しいらしいですから」
まだ固まったままのアキトさんを他所に、ラピスはうむむと考え込みました。
そして考えたままの眉間に皺を寄せた表情で私に聞いてきます
「じゃあ、ミナトの行ってる所はどう?」
ミナトさんの行っている、というか勤め先のことですね。
ユキナさんも通っているあそこの高校、実は結構レベルが高かったりします。
ユキナさんの時もミナトさんが付きっきりで勉強を教えて合格したらしいです。
「アキトさんの最終学歴から判断すると無理ですね。
間違いなく100パーセント無理です。
蟻が象に挑むようなものです」
「そう、残念」
私の言葉に気落ちするラピス。
実はミナトさんの家(といっても二人ですが)とは家族ぐるみの付き合いをしています。
最初こそ、縮んでしまったアキトさんの驚いたお二人でしたが、
流石元ナデシコクルー、直ぐに馴れてその後も随分と懇意にしてもらってます。
2週間に一度ぐらいは互いの家に招き合うような感じで付き合いが続いているのです。
そして人見知りするかと思われたラピスですが、
ミナトさんの人柄に引かれたのか、直ぐに打ち解けていました。
そんな風にラピス自身が随分とミナトさんに懐いていたこともあり、
アキトさんをミナトさんの学校へと考えたのでしょう。
残念ながらそれは、アキトさんの学力不足と言う現実の前に、実現不可能なものなのですが。
「ち、ちくしょう!二人して俺を馬鹿にして!
今日こそ、きちんと続く仕事を見つけてきてやる!」
突如立ちあがり、そう宣言したのはアキトさんでした。
心なしか瞳は潤んでおり、もしかしたらマジ泣きしていたのかもしれません。
「そう、頑張って」
とアキトさんの宣言に素っ気無く返すのはラピス。
アキトさんの方を向きもしないで告げられる言葉に、
アキトさんはくっと歯を食いしばりました。
その表情に表れるのは悔しさ。
アキトさんに割りとぞんざいな口をきいているラピスですが、
アキトさんと違い、きちんと職についていたりします。
ネルガルがリリースするオモイカネクラスのコンピューター、
在宅勤務ですが、その調律師として契約を結んでいるのです。
当然アキトさんもラピスに倣うように、
自分をネルガルのテストパイロットにと話を持ちかけました。
が、ラピスとは違い、全く相手にされませんでした。
実戦経験こそ豊富かもしれませんが、IFSも無く、人並みの体力も無い。
豊富であるはずの実戦経験も、他人に教えられるほど普遍的なものではない。
今のアキトさんはテストパイロットとして全くの役立たずでした。
「ウチも傾きかけてるし、優秀なラピス君はともかく、余計な荷物を抱えるのはちょっとね」
と、友人であるはずの某極楽会長にも、けんもほろろな対応で断られてしまいました。
そんな風にネルガルにも拾われず、今だ職を探し続けているアキトさんより、
在宅勤務のラピスの社会的貢献度が高いのは当然のこと。
中途半端に真面目なアキトさんは、その辺を気にして悔しがるのしょう。
「絶対に見つけてくるから」
意気込みを込め、改めてそう宣言したアキトさんは、
自分の使った食器をシンクに浸けるとそそくさと出かける準備を始めます。
といっても朝食前に着替えを済ませているので、軽く身なりを整えるだけですが。
身支度を終えたアキトさんが、食堂でまだ朝食を食べている私達の所に顔を覗かせます。
「ルリちゃん、ラピス、俺、頑張るよ。
じゃあ、行ってきます」
「「行ってらっしゃい」」
私達と出かけの挨拶を交わし、玄関へと向うアキトさん。
「頑張るだけで良いなら、世の中楽チンだよね?」
ガン!
ラピスがボソリと私に向けて呟いた言葉が聞こえたのか、
アキトさんが玄関に頭をぶつける音が聞こえてきました。
「痛くなんてない!」
ぶつけた頭とラピスの言葉に抉られた心、どちらのことを言っているのか、
アキトさんはそう自分に言い聞かせて出勤というか仕事を探しに出かけました。
それを確認した私は、常時身につけるようになったコミニュケを起動させました。
「今、彼が出ました」
「こちらでも確認した」
と、私が通信を繋げたのは宇宙軍の地上部隊の方々です。
もちろん普通に任務についている方ではなく、
個人を他者の脅威から護衛するというSPのような立場の方です。
そして宇宙軍から開放される時の条件であるアキトさんの監視も兼ねている方達です。
「彼のガードをお願いします」
「お仕事、頑張って」
任務であり、監視を兼ねているとはいえ、アキトさんを守ってくれる方々です。
私とラピスは、ぺこりとコミニュケの向こうに頭を下げます。
「了解」
何時ものとおり、
軽い笑顔と必要最低限にの言葉で短く告げて、通信は終了してしまいます。
毎回違う方が通信に答えてくれるのですが、
何時もこのように短いやり取りで終ってしまいます。
きっと任務を寡黙にそして堅実にこなす方達なのでしょう。
私の一番近くに居る三郎太さんとハーリー君とは大違いです。
いつも殴り合った後のような生傷が見えるのは任務の大変さの現われでしょうか。
そして、在宅勤務をしているラピスにも護衛の人達がいます。
このマンションの近くで今も待機をしているはずです。
そんな風に宇宙軍に負担をかけていることを、私は今でもな悩みます。
生きると言うこと自体、多かれ少なかれ他者に依存する部分はあります。
それでも、宇宙軍に頼りきりの私の選択が正しいのか、今だ疑問はつきません。
「ルリ、また悩んでる?」
朝食を食べる手が止まっていたのでしょう、ラピスが心配そうに訊ねてきます。
「残念だけど、胸の悩みなら諦めた方が」
と続けるラピスを視線で黙らせた私でしたが、
ラピスなりの雰囲気を変える為の冗談だと思い至り、少し反省しました。
自分よりも年下のラピスに気を使わせるのは、あまり良いことでは無いですから。
まあ、マジでそんなことを言っているとしたら、それはもう色々と考えますけど。
ええ、色々と。
「ねえ、何を悩んでいるの?」
「今のような生活が良いのかと思ったんです。
皆さんに色々と迷惑かけて居るわけですし…」
そう続けられるラピスの問いかけに、私は弱音や愚痴とも取れる言葉を漏らします。
アキトさんにはこんなこと言えませんし、色々と共通していることの多いラピスなら、
という部分が、多分にしてあるからです。
ある意味、私はラピスと言う存在に、随分と救われているのかもしれません。
「んー、じゃあ、誰にも文句言われないように、ルリがトップ取れば良い」
私の言葉に少し悩んだラピスでしたが、私が予想だもしない答えを返してくれました。
私と同じ様でいてやはり私とは違うラピスの思考には、私も色々と触発されることがままあります。
ですが、ラピスの言葉が足り無いことが多いので、
直ぐにはそれが何を意味するのか良く解らないことも多いのです。
「トップ、ですか?」
ラピスの真意が今回も理解しきれなかった私は、オウム返しに彼女に聞き返します。
「ルリが一番になるの。宇宙軍で、じゃなくて世界中の一番」
笑いもせず、無表情で答えるラピス。
「私に世界征服でもしろ、というのですか?」
やはりその真意を計りかね、私は問い返します。
まあ、この手の展開のオチは最近読めるようにはなってきてますけど。
「うん、そう『せかいせいふく』。
世界中の人々に制服を着せ、誰が誰だか解らなくさせてしまおう、
というこの策略の為には、先ず『とうだい』に入らないといけない。
『とうだい』は関係者以外立ち入り禁止だから大変なの」
と予想通り、したり顔で肯くラピスの口からは訳の解らない言葉が…。
やはり彼女なりの冗談だったようです。
3人で暮らすようになり、ラピスも時たまこのような冗談を言うようになりました。
元ネタさっぱり解らないのが難点です。
きっとウリバタケさんあたりなら理解できるのかも知れせんが…。
「…ラピス、今のは何処をどの様に突っ込むべきなのですか?」
私はあっさりと白旗を揚げ、ラピスに問い返します。
3人の中ではツッコミ役をすることの多い私ですが、まだまだ勉強不足な点は否めません。
ことあるごとにラピスからも知識を吸収しようとは、しているのですが…。
そう尋ねる私にラピスはやれやれ仕方が無いなあとばかりに肩をすくめて、説め――言葉を続けます。
「『究極超人かよ』とか『米食うアンドロイドじゃあるまいし』が正解だと思う。
もしくは『何処ぞの光画部部長かよ』でも良いと思う。
出典元は20世紀の漫画。
ネルガルにある私用のデータベースに全部入ってる。
私の訓練してるコたちには読ませてるし、ルリも読んでみると良いよ」
なるほど。
と納得しかけた私ですが、後半部分に少し引っかかりました。
ある意味アキトさんの影響なのでしょうか、
ラピスがコアな嗜好を持っているのはこの三月で十二分に理解は出来ました。
今の話からすればその趣味的なものを、
ネルガルからリリースされるオモイカネクラスのコンピューターは持っていることに…。
ただでさえ、右肩下がりな傾向があるネルガルですが、
ラピスにそんなことをさせて本当に大丈夫なのでしょうか?
それ以前に、ラピスは何処からそういった知識を得ているのでしょう?
ウリバタケさんとは確かに仲が良いですが、
どうもそれだけでは無い様に思えてしかたがありません。
一体、何処から見つけてくるのでしょうか。
そんな疑問が顔に出たのか、ラピスから更に補足の説――言葉が続きます。
「データベースのものは電脳世界でも集めてるけど、
ほとんどはアカツキのをスキャンしたの。
代々伝わる蔵書だって言ってた」
とラピスの口からは某極楽会長の名前が。
そう言えば、反発こそしてましたが、アキトさんの趣味的なことに付いて行けてましたね。
そして私は先ほどの考えを訂正します。
ネルガルは右肩下がりではなく、ダメです。
ええ、間違いなくダメでしょう。
つまりそれは、ラピスの仕事もまた将来的に閉塞に向っていると言うことに他なりません。
「ルリがやらないなら、私がしようかな…」
私の思考に関わらず、そんな呟きを漏らすのはラピスでした。
まさか本気で世界制服を考えて居る訳でも無いでしょうが、
そんなことを呟くラピスに、不安を感じないわけではありません。
どうやら私達三人の未来は、私にかかっているようです。
ラピスが先ほど言った通りにするわけではありませんが、
これからはトップを取るつもりで頑張らなければならないようです。
「ラピス、そろそろ時間ですので、私も行ってきます。
ラピスも、お仕事頑張ってください」
「ウン、解ってる。
ルリもお仕事頑張って、行ってらっしゃい」
丁度出勤時間になったこともあり、ラピスとそう言葉を交わし、私達の家をあとにします。
先ほどまでのこともあり、よし、と気合を入れなおした私は、
昨日までとはまた違った決意を胸に自分の職場へと向うのでした。
色々とあった私達ですが、一緒に暮らし始めて三ヶ月経った今、
各々の胸に新たな決意を抱き共に生きて行くことになったのでした。
追記
その日もアキトさんの就職活動は成果ナシでした。
世間様はそうそう甘くは無いと言うことでしょう。
では、そろそろ計画を…いえ何でもありません。
私、少女ですから(ニヤリ)。
あとがき
というわけで、Fate/stay nitro 第参話の後日談的な話でした。
50万ヒット記念にと書き始めたものでしたが、全く間に合いませんでした。
ですので、60万ヒット記念に、いえ、
サンライズキャラ人気投票、三、四位おめでとう記念に投稿させていただきます。
ぶっちゃけ、こじつけですが。
そして最後に挨拶を。
これからも、シルフェニアの発展を影ながら応援させていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
ではまた。