NOTHING HURT
作者 くま
軽い振動を伴って、船体が格納庫に固定された。
此処から先はオートメーションで船体チェックからメンテに入る為、
あえて私自身がしなければならない事は何一つない。
つまり、ひと段落着いたということだ。
ふう。
私はユーチャリスの艦長席で独り息を吐いた。
何百と繰り返した作業ではあるけれど、やはり船体の車庫入れは緊張を伴うものだ。
そのため息にも似た私の吐息を、咎める者は誰も居なかった。
ブリッジの要員は私独りなのだから、当たり前では在るけれど。
ワンマンオペレーションと言えば聞こえは良いが、
要するに経費削減の為に船に搭載されたAIの補助を受け、
私が全部の作業をやるという事だ。
通常の数人分の仕事を必然的にこなす事になる私には、
それ相応の負担がかかり、疲労の度合いも相当なものだ。
広大な宇宙空間を航行するだけならともかく、
車庫入れ、つまりドッグ兼格納庫への格納のような細かい作業は余計にだ。
もっと大きな格納庫にすればまだましになるのだが、我が社にそこまでの余裕はないのが現状だ。
『任務完了!』
『お疲れ様でした』
そんな私を気遣ってか、この船のAIであるオモイカネがメッセージを表示する。
何回かのヴァージョンアップをしているAIでは在るけれど、
開発者のこだわりなのか、こうした無駄とも思えるアクションを起こす ことがある。
基本的に独りである私が、それで幾分救われている部分も、無きにしもあらずではあるけれど。
左右に首を回し、凝りを解すような動作をしながら、パイロットシート兼艦長席から立ち上がる。
ふと、ブリッジの壁に貼ったカレンダーに目が行った。
(その珍しい紙製のカレンダーは昨年末にネルガルから貰ったものだ)
宇宙を航行していると狂いがちになる曜日感覚を再起動させ、
今日が何日であるのかを、なんとか思い出す。
そして、あらかじめカレンダーに付けていた印に気が付いた。
そうだった、明日だった。
今の今まですっかり忘れていたのだが、それもやむを得ない事でもあるのかもしれない。
ともあれ、飛込みの依頼がなければ取れるはずの7日間の休暇の内、
1日分のスケジュールが埋まる事になった。
火星の後継者。
自らをそう名乗る者達が起こした軍事クーデターが終結してから、もう すでに10年という年月が流れていた。
その間、世界は平穏で…という訳でもなかった。
相変わらず木星圏と地球との間には火種が燻っている状況だった。
そして大きなもので2回、小競り合いなら数えるのもバカらしいぐらい、世界は闘争に包まれていた。
相手を殴れ無いほど疲労するまで相手を殴りつけ、
インターバルをとって回復したら、また殴り合いを始める。
一度振り上げた拳を降ろす事が出来ない両政府は、自陣の疲弊も構わずそれを繰り返したのだ。
和平という名の一時的な休息をはさみつつ。
その背景には近年の無人兵器の発展が天井知らずな事がある。
そのおかげで人的な損害が極僅かに抑えられているので、
木星、地球、両政府への市民からの不満がそれほどでもないのだ。
これでどちらかの生産能力が大幅に勝っていれば結果は違うのだろう。
資源が枯渇気味ながら、その資金力を持ってして兵器を量産する地球側と、
木星の衛星軌道の豊富な資源を生かし、低コストながらプラント設備を中心にして兵器を量産する木星連合。
物的には互いに均衡状態で、それに加えて人的被害が少ないからこそ、戦争状態が長引いているのだ。
人が死なない戦争は殆どゲームのようなものに成り下がりつつある、とも捉える事が出来るのかもしれない。
その事が幸か不幸か、少なくとも私には解らないけれど。
ただ、今あるこの状況のおかげで、我が社のような宇宙を航路とする運搬業が重宝されているのだろう。
まあ大仰に我が社とは言ったけれど、
その実体は、私がオーナー兼社長兼従業員である文字通りのワンマン経営の会社でしかない。
けれど、会社の業績はそれなりに好調。
前年対比数%増で、ここ数年の利益は右肩上がりだ。
おかげで会社の設立時の借入金の返済も去年終わって、名実ともにこの会社が私のものになっていた。
将来的なものは今はまだ決めていないが、今しばらくはこうしてこの会社を続けていくのだと私は考えている。
それは10年前には想像できなかった私の姿でもあるが…。
その後、格納庫に直ぐ傍に建てられた自宅へと戻った私は、
殆ど使うことの無いキッチンでコップ一杯の水を飲み干すと、
そのまま自室へと向かい、私にはやや大きすぎるベッドへと倒れこむ。
しばらく使っていなかった事もあり、多少ホコリくさかったのは仕方が無い。
ウリバタケさんに頼んで掃除用のロボットでも作ってもらおうか?
けど、絶対に変形とか自爆の機能が付くし…。
意味も無くそんな事を考えてしまった私は、意識しないうちに疲労が溜まっていたのだろうか。
ベッドの上で服も着替えるのも億劫になってしまい、2分もしない内に夢のなかへと旅立った。
翌日、多少残るだるさを大きく伸びをして打ち消した私は、今日がその日であることを思い出した。
特に急ぐ訳でもなかったし、冷凍ものの朝食を済ませて、ゆっくりと出かける準備をする。
準備と言っても、そう大したものでもない。
用意したのは携帯型の音楽プレイヤーと昼食、それに私の趣味である絵を描くためのキャンパス。
格好は…まあ、ラフなものでも良いだろう。
ただ色だけはソレらしく、黒で統一したモノに私は着替える事にする。
そうして、おおよそ10時を回った頃に、用意したものを手に私は家を出た。
私の家と我が社の格納庫は、火星のユートピアコロニー跡地の直ぐ傍にあった。
いまだ再開発が開始すらされていないユートピアコロニー跡は、完全にゴーストタウンであり、
その分、その近辺に私が何を作ろうが咎める者は居なかった。
不謹慎かも知れないが、私の家と我が社の格納庫は、
放置されたままのユートピアコロニーの廃材をふんだんに利用している。
ウリバタケさん謹製の工作機械などは持ち込んだが、
それ以外の材料は殆どがユートピアコロニーにあった物を無断で利用していた。
良い事では無いと理解はしているが、何分当時の私にはお金が無かったので仕方が無い。
そんな経緯からユートピアコロニーの跡地近辺にある私の家から、
例年の如く目的の場所へと私は歩いて向かう事にしていた。
目的地であるそこは元は広大な草原だったらしいけれど、
チューリップ落下の衝撃波で地表ごと持っていかれ、今では荒野と化している場所でもある。
その荒野の真ん中に私の目的の場所があった。
奇妙なオブジェにも似たソレを中心に10mほどだけ、草が生え緑の大地を取り戻している。
もちろんソレは本来的にはオブジェなどではなく、
エステバリスの部品を組んで作られたあの人の、テンカワアキトの墓標だった。
例年の様に何事も無くそこに付いた私ではあったけれど、何時もと違って先客が居たのには驚いた。
この場所にあの人が眠る事は誰にも言っていない。
それこそ、会社の事で色々と世話になっているネルガルのブロスさんやら改造屋のウリバタケさんにもだ。
この女性は一体誰なのだろう?
昔ならいざ知らず、廃墟と化したユートピアコロニーの近辺で単なる通 りすがりとは考えれない。
じっと目をこらし、こちらへとニコニコと笑みを向ける女性と対峙する。
歳の頃は30前ぐらいに見える。
若作りと言う訳でもないのだけれど、なぜか年齢不詳というのが正しい気がする。
そして女性が次に取った行動で私は全てを理解した。
「生前は宅の主人が随分とお世話になりました」
ペコリと頭を下げて、彼女は私に告げた。
そう、彼女の名はミスマルユリカだった。
「アキトの最後の様子、聞かせてもらえませんか?」
持っていた音楽プレイヤーからお経を流し、あの人の墓の前で手を合わせた私とミスマルさん。
古い習慣によると7回忌というものに当たるらしいので、例年よりもお経の種類を増やしていた。
そのまま二人して黙って手を合わせ、20分ほどのそれが終る。
そして、ミスマルさんが唐突にそう訊ねてきた。
私はしばし戸惑い、そして当時を思い出しながらそれを語る事にした。
あの人の最後はあっけないものだった。
当時に起こっていた小競り合いに参加した後に、あの人が倒れた。
ナノマシンの暴走により、元々弱っていた内臓系の機能に障害が出たのだ。
発熱するナノマシンはあの人の身体を内側から灼き、内蔵をただのたんぱく質の塊に変えてしまった。
うつ伏せに倒れたあの人意を、窒息しないように仰向けにする事は出来たが、
それ以外に当時の私があの人の為に出来る事は何も無かった。
ただ、あの人が苦しんでいるのを見るだけの私。
そのまま私だけに見取られる形で、20分も経たない内にあの人は帰らぬ人となった。
熱にうなされたあの人の言葉を、私は今でも一字一句違わずに覚えていた。
「ユリカ、また二人であの草原を…」
私の言葉を聞いて、ミスマルさんはポロポロと泣き始めてしまった。
私にはあの時と同じに、如何する事も出来ずに、その様子を見ている事しか出来ない。
「ごめんなさいね、みっともない所を見せちゃって…」
戸惑う私を泣きながらも気遣うミスマルさん。
こうした場合の咄嗟の対応がまだ出来ない私を、正直自分自身でも苦々しく思う。
一応は会社の経営者ではあるものの、
限られた範囲での人間関係しか持って居ない私は、世間的に見てやはり未熟者なのだ。
「いえ、気になさらないでください」
何とかそう返す事はできたものの、そのまま涙を流し続けるミスマルさんに、
私はどう接していいのか、やはりわからないままだった。
何とか落ち着いてきたミスマルさんと話をする。
話題としては先ずは私の事だった。
あの人が逝ってから、私が会社を興し、運送業を始めて、今まで生きてきた事を話していた。
その間には色々とお世話になった人も居て、そのお世話になった人の殆どが、
ミスマルさんが艦長をしていた戦艦ナデシコのクルーの人たちだったのは驚きが隠せない。
それはつまり私を取り巻く人の縁というものが、あの人あっての事だったと思い知る事でも合った。
死んでからもあの人が私を助けてくれていた事に、改めて感謝を感じた瞬間でもあった。
「それで、ミスマルさんは今まで何を?」
私は浮かんだ疑問をそのまま口にした。
火星の後継者からミスマルさんは救い出され、
ホシノルリ達の保護下に入ったのを私はデータとして知っていた。
その後、ホシノルリ達とは幾度か接触する機会を得たが、そこにミスマルさんの姿は無かった。
あの人から聞いた性格が変わってないのなら、自らが出張ってくる筈だったのに…だ。
訊ねる私に、ミスマルさんはまず沈黙で答えた。
困ったような表情を浮かべ、それでも笑みを崩さない。
「あの「あんまり、いい話じゃないんだけどね…」
言い難ければ言わなくても良い。
そう続けようとした言葉はミスマルさんに遮られた。
ミスマルさんの意を汲み私はじっとその言葉に耳を傾ける。
「私がちゃんと目を覚ましたのは5年前なの。
ルリちゃん達に助けられたあの時、一時的には意識が戻ったんだけれど、
その後直ぐにまた眠っちゃってね、気が付いたら5年も経っていた。
アキトとの新婚旅行の途中で誘拐されて、色々な実験に使われて…、
その中で意識を飛ばしてからって考えると、我ながら随分と長い間眠っていたなって思うんだ」
遠い火星の空を見上げながら語るミスマルさん。
彼女の脳裏に浮かぶ風景がどんなモノなのか私には解らない。
ただ、実験云々については私も経験があるように、それがけっして心地よいものでない事は確かな事だろう。
「それで、私が眠っている間に皆変わっちゃって…。
もちろん、変わってない人たちも居たけれど、少なくとも私の周りの人たちは大きく変わっちゃってた。
お父様はもう軍から引退していたし、ルリちゃんは何時の間にか、連合軍のお偉いさんになってたし、
ジュン君も結婚して2児のパパで軍を辞めてサラリーマンだし、アキトは私が寝てる間に死んじゃってたし…」
あげていた視線を目の前の墓標に移し、声を詰まらせるミスマルさん。
ミスマルさんの言葉の通り、彼女の周り人物の状況はあの当時とは随分と違っていた。
元ミスマル提督は年齢と同僚が亡くなった事を機に引退し、
あのホシノルリは、地位と引き換えに前線から排除され位だけは高い連合軍の閑職へ、
ミスマルさんの幼馴染のジュンさんは婿養子に入り、
その妻に促されるまま幹部候補生として軍からネルガルへと引き抜かれていった。
そしてあの人は、私が言った様に、この世を去ってからもう随分と経つ。
「何だか、私ひとりだけ、皆から取り残されちゃったなって、この頃…何時も思うんだ」
体調が悪くって、伏せているときは特にね。
と更に続けられた言葉に、私はやはり答える事が出来ない。
最初、此処に居るミスマルさんに対し、何を今更?と思ってしまった私ではあったが、
今は罪悪感すら感じていたからだ。
「…あ」
不意にミスマルさんの身体が揺らぎ、私は地に倒れようとする彼女の身体を何とか支える事に成功する。
そして感じるのは、違和感というよりも彼女の身体の異常性だった。
やたらと高い体温は、普通ではありえないほどだ。
そうした経験は無いが、高熱を出している患者よりも酷い状態に私には思えた。
「…ばれちゃった…かな?」
バツが悪そうに告げるミスマルさん。
そして彼女からかすかに匂うニオイに、私はあの時を思い出す。
そう、あの人が逝ってしまった時の事を。
「アキトと同じ症状だって、イネスさんに言われてるの。
もう長くない、ともね。
あ、でもちっとも辛くは無いの。
もう二年も前から、痛覚は感じなくなってるから。
けど、流石に此処へ来る時のジャンプの負担は大きかったみたいだね。
沢山お薬使ってるのに、もう身体が言う事を聞かないんだ」
自力では立つ事が出来ないのか、私の腕に縋りながら続けるミスマルさん。
そんな彼女からは死のニオイが私に伝わってくる。
抽象的なものではなく、あの人が逝った時の、内側から人の身体が焼けるニオイが。
「もう、だめなのかな?」
何かを悟ったのか、ミスマルさんが私に問いかけてくる。
「多分、もうダメだと思います」
私はそんな彼女に慰めではなく、辛い現実をぶつけていた。
「そっか、ダメなんだ…」
「はい。逝ってしまった時のあの人と同じですから」
力なく呟くミスマルさんへ、更に非情な言葉を告げる私。
「そっか、アキトと一緒なんだ。だったら良いかな」
死の淵にありながらも、穏やかに笑みを浮かべるミスマルさん。
痛覚が無いとは言っていたけれど、どうしてそこまで穏やかに笑みを向けられるのか私には解らない。
「それでね、あなたにお願いがあるんだ」
かけるべき言葉を失った私にミスマルさんが切り出した。
「貴女の亡骸をあの人の隣に…という事ですか?」
おおよそ予想のつく内容を私は問い返す形で確認をする。
「うん、お願いできるかな?」
私の言葉を肯定するミスマルさん。
もちろん私には断る理由など殆ど無い。
「ええ、解りました、こうして会えたのもあの人の導きなのかも知れないですし、
それに貴女が傍に居てくれた方が、あの人も喜びます」
そして私はややも安堵しながらそう答えていた。
幾年越しになるけれど、これでようやくあの人の最後の言葉をかなえる事ができるのだから。
「ありがとう。聞いていた通り、ラピスちゃんはいい娘だよね。
こんな私を気遣ってくれて。皆が言っていた通りに、アキトの自慢の娘なんだね」
今更ちゃん付けで呼ばれるのはいささか想定外ではあった。
そしてどこからそんな話が出たのかは、私には解らない。
けれど、ミスマルさんの言う皆が、私の知り合いであろう事は推測できた。
だが私は、私をそんなに良い人間だとは思っていない。
今回の事もミスマルさんでは無く自分の為であるし、私はもっと碌でも無い輩なのだ。
「いいえ、違いますよ」
そして、私は頭を振って、その言葉を否定する。
陰るミスマルさんの表情に構わず、さらに言葉を重ねる事にする。
「あの人の中には、何時も貴女が居ました。
だから、私が今こうして在るのは、あの人と貴女のお陰でもあります。
そういう意味では、私はあの人と貴女の娘なんだと思いますよ。
もし私が誇れるような人間だとするなら、あの人の中にあったユリカさん自身を誇ってください」
暗く沈みかけて彼女の表情が、一転して明るくなっていく。
重ねた言葉は本心とはかけ離れたものだった。
けれど、私の薄っぺらな言葉で、もうじき逝ってしまうこの人が救われるなら、私は進んで嘘を吐く。
単なる自己満足が為に行われる行為に、正直、反吐がでそうだった。
「うん、そうだね、ラピスちゃんは私とアキトの自慢の娘だったんだね。
そんな自慢の娘の腕の中で終わるなんて、私は幸せ者だよね」
けれど、ユリカさんは本当に嬉しそう告げながら、私に笑みを見せてくる。
「ええ、そうですね。きっと、ユリカさんみたいな人を、三国一の幸せ者って言うんですよ」
そして、私は再び薄っぺらい嘘を重ねる事しか出来なくて。
「うん、きっとそうだね。…ありがとう、ラピスちゃん」
再び、ユリカさんは目を細めて満面の笑みでそれに応えて…。
そのまま、
もう二度と目を開く事はなかった…。
どれだけそうして居たのかはよく解らない。
彼女の亡骸を抱えながら、歪む視界に私は違和感を覚えていた。
頬を伝いユリカさんの上に落ちる雫。
そして私はようやく理解した。
もはや傷付く事など無いと思っていた私が、7年前にとうに枯れたはずの涙を流していた事を。
終
あとがき
最後まで読んでいただき、有難うございました。
某お絵かき掲示板の絵師さんの言葉からお題をいただき、
劇場版のアフターものを書いてみる事にしたのですが…。
何故だか、こういう話になってしまいました。
書き終えた今では、お題に対して自分の力が及んでいなかったのだと考えております。
次は自分の力量に合った最低踏み台クロス系でも書こうと考えています。
では、また。