BLUE AND BLUE
第3話
作者 くま
私とアキトさんの生活は日常となり、にわか雨に慌てて取り込んだ洗濯 物とか、
ちょっとした勘違いによるお風呂場でのニアミスとか、少しずつ互いの 男女を感じながらも、
そして互いの心の距離を縮めながら、私たちは二人で何事もなく生活し ていました。
そんな平穏そのものの日常にどっぷりと浸かり、私は随分と油断してい たのかも知れません。
二人で過ごした2回目の夏も終わり、
時折残暑がかんじられるものの、季節も随分と秋めいて来た頃の事でし た。
調理師学校の短期研修に参加したアキトさんが、帰ってこなかったので す。
修行に専念したいからよほどのことが無い限り連絡はしないで欲しい。
アキトさんに言われたその言葉どおりに、
私はアキトさんが帰ってくるのを指折り数えて待ちました。
その短期研修も空けてアキトさんが帰ってくるその日。
私はアキトさんを驚かせようと、何時もより少し豪華な食事を用意しました。
ですが、どれだけ待ってもアキトさんは帰って来ませんでした。
これまでも何度かありましたが、
そういうイベント明けの宴会に巻き込まれて、
酔いつぶれてしまい、同級生の家かどこかに泊まったのでしょう。
瞬間、頭をよぎった良くない考えを打ち消し、そんな風に私は考えた私 は、
冷めてしまった食事を、ため息を吐きながらも片付ける事にしました。
翌日、アキトさんと同じ調理師学校に通っている男性が訊ねて来ました。
アキトさんよりも3つ年上の方で、名前はなんとかリョウヤさん。
ファミリーネームは忘れてしまいました。
同じ教室に通う方の中でも、アキトさんに随分と良くして頂いてる方です。
もっとも、アキトさんが何かに巻き込まれるのも、この人を通じてとい うのが多いのですけれど。
アキトさんに言わせると、自分では絶対に敵わない人、なのだそうです。
訊ねてきたリョウヤさんはこう言いました。
「研修に参加しなかったアキトのヤツに、お土産を持ってきたんだ」
その言葉の意味をすぐには理解できないながらも、私は差し出された一つの包みを受け取ります。
そして平静を装いながらも、リョウヤさんの言葉の意味をようやく理解しました。
「ん?アキトはどうした?」
「まだ、寝てるんです。
ここのところ私の仕事が忙しかったので、昨日も夜中までつき合わせちゃいましたから」
動揺を押し殺し、外向きの笑みを向けて、私はリョウヤさんに答えます。
「ったく、しょうがねえ兄貴だな、アキトのヤローは。
妹さんの方はピンシャンしてるってのによ」
「兄と違って、私は慣れてますから」
そんな風に毒づくリョウヤさんに、私はにっこりと笑みで返します。
アキトさんを兄と呼ぶのは、私たちが兄妹いうことになっているからです。
頭に『義理の』と付くのですが、出会う人皆にそこまで話したりはしてません。
察しの良い人は、こちらが何も言わずとも解っているみたいですけれど。
「ふーん、そんなもんかね」
「ええ、そんなものですよ」
肩をすくめ、そう続けリョウヤさんに、やはり笑顔で答える私。
「ま、いーや、アキトが目を覚ましたら、よろしく言っておいてくれ、じゃ、お邪魔さん」
台詞と共に軽く手を上げて、話は終わったとばかりに私に背を向けるリョウヤさん。
「お土産、ありがとうございました」
私はペコリとその背に向けてお辞儀をします。
そこで、手を振りながら立ち去ろうとしていたリョウヤさんが、ぴたりと足を止めました。
「何があったか俺には解らんが、あんま、無理すんなよ」
振り返ったリョウヤさんは、とても真剣な表情で私にそう告げてきます。
その指摘に私は二の句を継げませんでした。
そしてリョウヤさんは、私の反応を待たずに、そそくさと行ってしまいました。
彼が立ち去った方向を、私はただ見つめていました。
アキトさんの言っていた、敵わない人とは、こういう事なのでしょうか。
リョウヤさんはお土産と共に貴重な、
それでいて決して良いものとは言えない情報を持ってきてくれました。
それは、アキトさんが私に嘘をついてまでどこかへ行ってしまったという事実です。
彼が去った後、わたしはアキトさんの行動の手がかりになるものを探し始めます。
そしてそれはいとも簡単に見つけられました。
アキトさんの部屋の机の上に置かれたいた私宛の手紙。
そこにはこんなことが書かれていました。
「どうしても一人で行かなければならない用事が出来た。
何処へ行くかは言えないけれど、
2、3ヶ月ぐらいで戻れるはずだから心配しないで欲しい。
あと、嘘をついてゴメン」
最後は私への謝罪で締めくくられたアキトさん直筆の手紙。
手紙には、心配しないでと在りましたが、私は心配せずには居れませんでした。
と同時に、私はまだアキトさんに信頼されてない部分があるのだと知り、ショックでした。
だからといって落ち込んでいる暇はありません。
アキトさんが、何処へ言ったのか?
手書には具体的なことが書いてありませんでしたが、
それでも私はアキトさんが言ったであろう場所を必死に考えます。
おそらく往復するのに三ヶ月ほどかかり、そしてもちろん私がすぐに探しに行けないような場所。
アキトさんのこれまでの最大行動範囲は、それこそ調理師学校で短期研修に行ったところぐらいです。
あとは、故郷である火星ぐらいしか…。
火星?
自分が思い浮かべた惑星の名に戦慄を覚えつつも、
私は壁にかけてあるカレンダーに目を向けます。
今日は9月30日。
以前の歴史で言えば、明日がいわゆる火星開戦の日。
そして以前のアキトさんが、ボソンジャンプで初めて地球へと跳んだ日でもあります。
ぐるぐると良く無い考えが私の頭をめぐり、
私は身体の芯の部分から凍っていくような寒気を覚えます。
思いついてしまった認めたくない推測が現実でないことを祈りつつ、
仕事以外では普段決して使うことの無い、IFS用の端末に手を伸ばしました。
火星行きの定期シャトルが出ている宇宙空港にアクセスし、
公開されている定期便の乗員名簿を確認します。
アキトさんが家を出てから1週間以内。
その時期に出発したのは5本の定期便。
その5本の定期便の何処にも、テンカワアキトの名はありませんでした。
良かった。
私の悪い予感は当たらずに済んだ。
アキトさんは火星に行ってはいなかった。
私はほっと胸を撫で下ろします。
そもそも、さっき調べた定期便の日程では、今現在でも火星に着いていないはず。
知らなかったこととは言え、その推測は私の杞憂に過ぎなかったのでしょう。
もし、この5本の定期便のどれかに、アキトさんが乗っていたとしても、
開戦してしまえば、当然火星には行けず、Uターンして地球に戻ってくるだけのことです。
そう、定期便では…。
自分で呟いたその言葉に気が付いた私は、
サーと血の気が引くのを感じながら、再び宇宙空港にアクセスし、
この一月あまりの全てのシャトルの発着状況を確認します。
そして私の頭をよぎった悪い方の予想通りに、
アキトさんが出かけた翌日に、火星に向けて出発した臨時便のシャトルを発見しました。
積載量を重視した鈍足な定期便と違い、
臨時便のシャトルは速度を重視して運行されていました。
定期便が大量の物資と人員を運ぶのに対し、
臨時便は基本的には人員のみしか運びません。
持ち込める手荷物もアタッシュケース一つのみ。
それ以外は別料金がかかるほどシビアです。
その分、到着までの日程は半分以下、という速度を実現しています。
そして運搬効率の悪さは、その料金に反映されていて、
定期便の10倍以上の料金設定がされてます。
そんな高額チケットを買えるほど、アキトさんの懐事情は良くなかったはずです。
それにアキトさんが、急いで火星に向かう意味も解りません。
疑問を感じつつも、私はその臨時便に付いて調べていきます。
案の定、臨時便の乗員名簿は非公開でした。
政府要人も使うものですし、当然の措置だとは思います。
もちろん、そこで私は諦めたりはしません。
普通の生活を送ると決めた時に、自ら封印したハッキングを行う事にしました。
多少腕はさび付いてる感は在りましたが、空港のデータベースに侵入し、
部外秘であるはずの臨時便の乗員名簿に辿り着きます。
そして私はそこに、見つけたくない『テンカワアキト』の文字を確認しました。
その文字を見つけた瞬間、先ほどとは違うレベルで血の気が引いていく気がしました。
目の前が暗くなるのと同時に、力を失った私の身体が傾いでいくのを感じます。
ああ、きっと私はこれから気を失うんだ。
そんな思考を最後に、私の意識は本当に闇に閉ざされました。
次に私が目を覚ましたのは、あと少しで日付が変わりそうな時間でした。
12時間以上私は気を失っていた事になります。
今起きているこの現実を、認めたくないという思いが強かった所為かもしれません。
でも、本当にアキトさんはこの私のそばには居なくて、
おそらく火星で始まりかけている戦争に巻き込まれようとしている。
そして今の私には何もできる事が無く、精々出来るのは何かに祈ることぐらい。
それでも私は、例え信じていない神にだって祈ります。
どうかアキトさんを無事に帰してください、と。
私の祈りが天に通じたとは思いません。
ですがそれでも、私が祈り始めて8時間も経った頃のことです。
アキトさんは帰って来ました。
ボソンの光と共に。
呆然と立ち尽くしたまま、
見開かれていたアキトさんの瞳に意思が戻り、
アキトさんに駆け寄った私と目が合います。
「…ルリ……ちゃん?」
そんなアキトさんの呟きに対し、私はその胸に飛び込むことで答えます。
突然の私の行動に、アキトさんは私を支えきれず、
そのまま二人して床に倒れこんでしまいました。
アキトさんの胸板に頬を寄せることとなった私の耳に、ト
クントクンというアキトさんの確かな鼓動の音が聞こえて来ます。
良かった。
本当に良かった。
アキトさんが無事で本当に良かった。
私は信じても居ない神に、この時ばかりは感謝しました。
「…お帰りなさいアキトさん。本当に無事でよかった」
アキトさんの胸に顔をうずめたままの私の言葉。
ですがアキトさんは、それに答えることなく呆然と私を見つめてきます。
そして、私を支えながら自分も起き上がりました。
「えっと、ルリちゃん?ここは?いや、俺はどうして?」
事態が飲み込めてないのでしょう、
アキトさんは混乱のままに私にそう聞き返してきます。
「アキトさんがどうしたのかは知りません。
ですが、ここは私たちの家です。
とにかく、お帰りなさい、アキトさん」
吐いた嘘にちくりと胸を痛めながら、私は笑顔を作りそう答えます。
「あ、う、うん、ただいま…」
釈然としない様子のアキトさんはとりあえずそう答えました。
そして、はっとした表情を見せて左右を見渡すと、慌てた様子で私に問いかけてきます。
「ルリちゃん、アイちゃんを知らないか?
え、あ、えーと俺の腰ぐらいの背丈でショートカットの女の子。
俺と一緒に居たはずなんだけど…」
私の肩を掴み真剣に問いかけてくるアキトさんの言葉に、
私は心臓が止まりそうなぐらい驚きました。
どうして今回も前回と同じような事になっているですか?!
これが歴史の修正力と言うものなのでしょうか。
その驚きをなるべく押し殺し、私は首をゆっくりと横に振ります。
「解りません、ここにはアキトさんしか帰ってきていません」
「…そう……なんだ」
失望にアキトさんはがっくりと肩を落とします。
知っていることを話さないと決めた私の胸が再び痛みます。
本当は全てを話してしまった方が良いのかも知れません。
ですが、その所為でアキトさんが私から離れていってしまったら…。
そう考えると私は何も話す事ができません。
私はきっと臆病者で、
それでもただ、アキトさんと私の今の暮らしを守りたいんです。
そんな私の前で、アキトさんは何かをぶつぶつと呟き、
突如駆け出して、キッチンのシンクで嘔吐しました。
胃の中のもの全てを吐き出すように、それ以上に何かを吐き出し苦しむアキトさん。
私はそっとその背をさすることしか出来ませんでした。
全てを吐き出し、力なくその場に座り込んだアキトさん。
その汚れてしまった顔を、私は軽く絞ったタオルで拭います。
私にされるがままになっていたアキトさんでしたが、今度はがたがたと震えだしました。
私はガチガチと歯を打ち鳴らし振るえるアキトさんの頭を、そっと自分の胸の中に抱き寄せます。
「る、ルリちゃん?」
「良いんです、何も言わなくても。
私がアキトさんの側に居ます。
だから安心してください」
アキトさんの髪の毛を軽く指で梳きながら、耳元でゆっくりと、
そして、出来うるならば、その心が癒されるように祈りながら言葉を続けます。
しばらくそうして髪を梳いていると、何時しか震えも収まり…。
そうやって落ち着いたアキトさんは、私の胸の中で眠りに落ちました。
そんなことがあり、その日の晩。
私とアキトさんは肉体関係を持ちました。
夜中に悲鳴を上げて起きるという行為を、
幾度か繰り返したアキトさんに、
生まれたままの姿になった私は唇を重ねます。
「る、ルリちゃん!?」
「良いんです。私が側に居ます。だから大丈夫です」
突然の私の行為に戸惑うアキトさんを、私はゆっくりと押し倒します。
そして二人はそのままに、影を重ねていって…。
行為を終えた私たちは、同じベッドの同じシーツの中に居ました。
私にその色々な思いを行為としてぶつけてきたアキトさんは、
私の隣に穏やかな顔ですやすやと寝息を立てて眠っています。
好きだ、
愛してる、
そんな言葉など欠片も無い。
だた、内に溜め込んだ何かを、
私にぶつけるだけの、
ただ、それだけの交わり合い。
ですが、アキトさんがこんなに穏やかな顔で眠れるのなら、私には何の不満も在りません。
むしろ、こうして私だけがアキトさんを慰め、支えていられるという事実に、充足感すら感じていました。
確かに、この時の私は、本当に幸福感に包まれていました。
この後に巻き込まれるであろう、戦争という嵐のうねりを予感しながらも。
続く
あとがき
というわけで、ルリ視点の続きパート2でした。
今回、形はどうあれ、ルリとアキト(黄)が結ばれました。
正直、こういった展開は読めていた方も多いかもしれませんね。
まあ、どれだけの方がこの話を読んでいただいてるのか解りませんが…。
作中の時間的には、ナデシコ本編1話の冒頭部分に入ったところです。
先は長そうですが、続けていくつもりですので、今後も読んでやっていただければ幸いです。
ではまた。