悪魔番長の孫

1話

作者 くま

 

 

 

 

 

 

 

 

五月のある晴れた日の午後。

この碧空高校に入学してから1ヶ月も経ち、新生活に対する新鮮味も薄れ、

高校生活も単なる一日常と化してきた放課後の事だった。

掃除当番だった僕は、同じグループの皆が用事が在るからという事で帰ってしまったのもあって、

一人で北校舎の東階段の四階から一階までの清掃を終え、

掃除が終わった事の報告を職員室の山川先生に告げて教室に戻って来た。

教室には授業が終わってから一時間近くも経っていることもあり、

クラスメイトの姿は何処にも見当たらなかった。

 

「さて、帰るとしますか」

 

誰へ向けるでもなくそう呟いて、机に架けてあったカバンを手に取り帰ることにした。

僕が進んで入りたいと思うようなめぼしいクラブが無かった事もあり、

帰宅部に所属する事になった僕からしてみればそれは当然の行為だった。

いつも一緒に登下校している幼馴染はいるけれど、

今日は友人達とCDを買いに行くとかで駅前まで行くそうだ。

普段なら一緒にと誘われる筈だけど、掃除当番だった僕はこうして一人残される事になった。

四六時中一緒にいる事を考えれば、こうして一人で下校するのも珍しい事なのかもしれない。

廊下を抜け正面玄関の靴箱から靴を出して履き替えた僕は、そのまま校外へと足を向ける。

歩きながら考えているのは冷蔵庫の中身と晩御飯のメニュー。

僕の両親は3年ほど前から家を離れて働いているので、

晩に限らず食事は全て自分で用意しなければならない。

両親の居ない家には姉も居るのだが、姉は家事を一切やらず全て僕に任せている状況だった。

コレは別に姉が悪いわけでもなくて、僕が家事をするのが好きで、

姉よりも上手く家事が出切るって事が原因だった。

 

「お前の方が上手くできるんだから、お前がやるのが当然だろう。

 その方が断然効率も良いしな。まあ、お前がどうしても言うのなら考えてやらんでもない。

 オレが皿を洗った時の事を考えれば、随分と高くつきそうな気はするがな」

 

皿洗いの時に3割の皿を割ったと言う実績を持つ姉の言葉は重く、

姉には絶対に家事を任せないと僕は決心していた。

そんな決意の下、グランドから聞こえてくる運動部員の掛け声を背にうけて、

晩ご飯のメニューを考えながら歩いていく。

校門まで30mの地点まで近づいたところで、僕は違和感を感じて立ち止まる。

その違和感の正体は一人の女子生徒だった。

腰までありそうな黒髪をしたその人は遠めに見てもウチの制服を着ているし、

カバンを手にしてない事も放課後だから頷ける。

けど校門の中央で腕を組んで仁王立ちしているのは妙な感じがする。

待ち合わせというよりも待ち伏せといった風に思えて仕方が無い。

まあ、どのみち僕には関係が無いな。

そう結論を出して、僕は再び足を動かし始めた。

校門に近づくにつれてその女生徒の容姿も明らかになる。

その女生徒が着ているのはやはりウチの制服で、襟元に付けている校章の色から2年生の先輩だと解る。

背丈は僕より少し低いぐらいで、それでも170センチ弱ははありそうに見える。

女性にしてはけっこう高い方に入るだろう。

細身なのだが、すらっとと言うより引き締まっていると言う感じだ。

何となく覚えのあるというか、姉と同じような印象を受ける先輩だった。

そしてなにより特徴的だったのは、その先輩が美人だった事だ。

大きな瞳にすっきりとした鼻筋、そしてやわらかそうな唇、

それらが見事なバランスで、整った輪郭の中に配置されている。

そして僕の視線はその人へと向けられたまま止まっていた。

はっきり言えば、僕はその人に見とれていたのだ。

 

「ん?どうした、少年。私の顔に何か付いているのか?」

 

そんな不躾な僕の視線に気が付いたのか、

美人で2年の先輩は僕を咎める意味合いも兼ねてかそんな言葉を投げかけてくる。

 

「はい、目と鼻と口がついてます、ってすみません」

 

自分でも珍しいと思えるほどにボーとして頭の廻ってなかった僕は、

あまり考えもせずにそんな事を言ってしまい、慌てて頭を下げる事になった。

 

「まあ、頭を下げてくれるな、少年。君が謝る必要など、何も無いのだからな。

 多少ユニークな答であったとしても、見ず知らずの私にこうして答えてくれるだけで暁光というものだ」

 

恐る恐る表情を覗う僕に、先輩は軽い笑みすら浮かべてそんな軽口を続けてくれる。

僕はほっと胸を撫で下ろして改めてその先輩に目を向けることになる。

 

「えっと、じろじろ見てしまってすいません。先輩が美人なのでつい目が行ってしまって…」

 

先ずは不躾な視線を送ってしまった事を改めて謝り、その理由を告げる。

もちろんそれはお世辞なんかじゃなくて、僕は本心から先輩の事を美人だと思っていた。

 

「ま、言われ慣れてはいる事だけれど、君のようなコに面と向かって言われるのは悪い気はしないねぇ。

 けど、それだけじゃない、君はこうも思ったはずだ。こんな先輩この学校に居ただろうか?とね」

 

そう続けられた先輩の言葉に、ああそう言えば、と心の中で頷く僕。

確かにこの先輩のような人がいたら一年生の間でも話題に上がるだろうし、どうしても目立つはずだ。

特に姉に言わせれば悪友である黒田君なんかは、小躍りして騒ぎそうな気がする。

この学校に入学してから1月以上経つけど、そういった話は聞いた事がなった。

僕と入れ違いで卒業した姉の事はよく耳にするけど、この先輩の話が出ないのは随分と奇妙に思える。

 

「おや?予想が外れたかな。君の様に口の上手いタイプは、耳ざといものだと思っていたのだが…」

 

僕の様子に疑問を覚えたのか、先輩がやや首を傾げてそんな言葉を投げかけてくる。

 

「えっと、それは先輩の勘違いですよ。

 僕は耳ざといというより鈍いって言われる方ですし、口も上手くなんてないです。

 幼馴染にもバカ正直に言わずにちゃんと影響を考えてから話せって良く言われますし」

 

先輩に話した言葉の通りに僕は鈍いらしい。

自分では自覚が無いけど、周りの友人達の共通認識では僕が鈍いというのは確定事項だった。

黒田君に言わせると、環境に恵まれすぎてるからお前は鈍いんだ、ということらしい。

その意味が良く解らないという事が、きっと鈍いという事なんだろう。

 

「ふむ、そうなのか?中々に興味深いな君は」


「え?それってどういう」


「まあ、こちらの話だ君が気にする必要は無いよ。

 ともかく私がこんな事を言うのも、君達1年が私の姿を見たことが無いという確証があっての事でね。

 何せ私は4月から1度も登校した事が無かったのだよ。

 そういえば、今が2年に上がってからの初めて登校という事になるのか…」

 

聞き返そうとした僕の言葉を遮り、先輩はそんな事を告げてきた。

最後にはぽんと手を打ち何事も無いかのように話している。

けど、そんな風に学校に来れないなんて、何か理由があっての事なんだろうか?

見た目には不健康そうには見えないとなると、家庭の事情というやつなんだろうか。

でもひょっとしたら、いじめなのかもしれない。

美人だからといって得だけをする訳じゃない、と話には聞いた事があるし…。

 

「それにしても一月もかかるとは、やはり目標の設定が高すぎたのかもしれんな。

 己をさいなむ為とは言え、流石に全盛期の頃のホーストは無理しすぎたか」

 

そんな事を言い一人で納得している先輩。

その内容は良く理解できなかったけれど、僕は思い切って話し掛ける事にした。

 

「あの、それで、先輩は此処で何をしてるんですか?」

 

とは言え初対面の僕がそんな先輩の事情に踏み込むわけにもいかず、

僕はとりあえず別の疑問を先輩にぶつけるだけだった。

ホーストが何なのか聞いた方が良かったかも?と少しだけ思った。

 

「何をしているか?

 と訊かれれば、人を待っていた、と答えるのが正しいのだろうね。

 それと、見納めかな?」


「見納め?」

 

笑みを苦笑いに変えた先輩の言葉を、僕はオウム返しに聞き返す。

 

「ああ、実はこの学校を辞めようと考えていてね。

 だから今日はコレを職員室に届けに行くつもりで登校して来たのさ。

 つい最近、学校側からの催促も在った事だしね」

 

そう言って先輩が取り出したのは毛筆の立派な字が書かれた一通の書状だった。

『退学届』の3文字が堂々と書状の表に鎮座している。

 

「ところがそこから先がなんとも間の抜けた話でね。

 職員室などに縁のない学園生活を送っていた私は、それが校舎のどこにあるか知らなくてね。

 誰か案内をしてくれそうな人が通るのを待ちがてら、こうして学び舎を見納めしていたのさ。

 まあ、一番の問題はこんな時間に学校に来た事なんだろうけどね」

 

カラカラと笑い大仰な身振りを交えて語る先輩の言葉は、僕の頭の中に上手く入ってこなかった。

この先輩が学校を辞めてしまう、その事が僕の思考の邪魔をしていた。

つい今しがた知り合った名前も知らない先輩であるはずなのに、

僕はこの先輩が学校を辞めてしまう事をとてもいやな事だと感じていた。

 

「あの、どうして辞めちゃうんですか?」

 

僕が踏み込んではいけない事だ、そう認識しながらも僕の口は疑問を紡いでいた。

その理由を僕が聞いたとしても、

その原因を解決する事も、そして先輩が辞めるのを止める事も出来はしない。

だけど、僕は…。

 

「どうして、か…。

 簡単に言えば、私が随分とロマンチストだったから…という事になるんだろうねぇ。

 自分でも、その意外性に驚く事にね」

 

けど、先輩の口からは僕の予想とは随分とかけ離れた言葉が返ってきた。

 

「おおよそ半年前に、私がこの碧空校に転校して来たのも偶然なんかじゃなくてねぇ。

 この学校に居た三年生の先輩に憧れての事だったんだよ。

 その頃に家のゴタゴタもあってね、丁度良い機会だと考えた私は、

 その先輩と同じ学校に通う為だけにこの学校に転校してきた。

 けど、その人は3年で、今年の春に卒業してしまった。

 もちろんその人の卒業は覚悟してたけど、その人が最後に私に向けた言葉がショックでね。

 今でも一字一句間違えずに思い出せるよ。

 『オレはお前が大嫌いだ。二度とその面を見せるな』

 はは、結構キツイ言葉だろ?

 流石に私にも痛手でね、こうして一月以上も引きこもって居たという訳さ」

 

あからさまに表情を暗くして、僕に力なない笑みを向けてくる先輩。

僕が投げかけた疑問が、先輩の表情に影を落としている。

そのこと自体が僕にはショックで、胸の奥がキリキリと痛む。

 

「ま、自分が随分とナーバスな人間だと知覚できたのは大きな収穫だったがね。

 ああ、君までそう暗い顔をする事は無いさ。

 未だに割り切れない私が未熟者なだけなのだからね」

 

あわてて表情を作りなおし、前と同じような笑みを浮かべる先輩。

僕の所為で嫌な事を思い出したはずなのに…。

 

「あの、先輩、勝手なお願いなんですけれど、学校を辞めないで貰えませんか?

 何と言うか、その、折角転入してまでこの学校に入ったんですし、勿体無いと思います。

 ああ、違うな、僕は先輩が居ない学校よりも、先輩が居る学校の方が良いです。

 だから、辞めないで貰えませんか?」

 

そう続けた言葉に先輩は驚いた表情を見せた。

それも当然の反応だろう。見ず知らずの後輩からいきなりそんな事を言われたのだ。

辞める覚悟をしてきた先輩にしてみれば、驚くなと言う方に無理がある。

一瞬驚きに目を見開いた先輩だけど、直ぐにその眼差しを厳しいものへと変えていく。

値踏みをするような視線を僕に向け、コレまでとは違った固いトーンで僕に問いかけてくる。

 

「辞めないでくれ、か。

 君は一体何様のつもりだい?安い同情で私を引き止めると言うのなら御免こうむるよ。

 まさか、君が言っていた様に、私が美人だからと言う理由で、引きとめようって言うんじゃないだろうね?」

 

ジロリ。

コレまでとは打って変って睨むような視線を先輩は僕にぶつけてくる。

威圧感すら伴うそれに怯みそうになる僕だったけど、

そこは経験がモノを言い、何とか真正面からそれを受け止める。

少しだけ姉の所業に感謝をしながらだったけど。

しばらくの沈黙の後、僕は深く大きく息を吸って、沈黙の間に必死に考えた言葉を口にする。

 

「何様と問われれば、見ず知らずの後輩です、としか僕には答えようがありません。

 もちろんそんな僕に先輩を引き止める資格なんて無いんでしょう。

 けど、先輩を引き止めたいっていう気持ちは本物です。

 それは別に先輩の容姿が云々って訳ではなくて…。

 こうして僕と先輩は偶然出会ったわけですし、きっと僕と先輩には何かの縁があるんだと僕は思うんです。

 それに縁だけじゃなくて、先輩みたいにユニークな人と、

 もっと仲良くなりたいって思うのは、当然のことじゃないですか」

 

先輩の視線に負けじとじっとにらみ返すように視線を合わせ、僕ははっきりと先輩に答えていた。

すこし緊張はしていたけれど、僕の思った以上に僕の口はスムーズに動き、先輩に言うべき事を全て言えた。

再び視線だけを交えた沈黙が続き、そして先に動いたのは先輩の方だった。

すっと肩の力を抜いて息を吐き、何かをリセットするように瞳を閉じる。

同時に緊張の最中にあった僕も、ほっと息を吐き何時の間にか入っていた肩の力を抜く。

再び大きな瞳を開いた先輩は、手に持っていた退学届と書かれた書状をびりびりと破り始めた。

 

「合格だよ、少年。

 正直、私は君の言葉に心を動かされた。

 君の様なユニークな後輩がいる此処に、また通っても良いと今の私は思えているよ」

 

千切った書状が紙片となり風に巻かれて空に舞う中、先輩は僕ににっこりと微笑んで見せる。

今日見た中での一番の笑顔に、僕は自分の心音が早まるのを感じていた。

 

「まあ、そういうわけで、ユニークな先輩で悪いんだが、これから私と仲良くしてくれるかな?」


「ユニークな後輩でしかない僕なんかで良ければ、喜んで」

 

言葉と供に差し出された先輩の右手を、僕もまた答えながらにぎり返す。

平静を装っていたけれど、僕は随分と緊張していて、

握った手が汗ばんでいないかとそんな事ばかり気になっていた。

 

「ふむ、そう言えば君の名前を聞いていないな」


「そう言えばそうですね、僕も先輩の名前を知りません」

 

仲良くしようと握手を交わしながら、お互いの名前も知らなかった事に僕らは改めて気がついた。

 

「私の名前は荊木かなめ。植物のイバラに木と書いてイバラギ。

 あーイバラは草冠に刑罰の刑のイバラの方だ。かなめはひらがなでカナメ」


「僕は北野健一です。北の野原でキタノ。

 健康の健に簡単な方の漢数字の一でケンイチです」

 

互いの名前を交換する僕たち。

先輩にならい僕も名前の漢字での表記を説明する。

後で辞書を引こうと思ったことは内緒にしておこう。

 

「ふむ、では君の事は健一君と…。

 いや、それはどうにも私の性に合わないな。

 では、健一と呼び捨てで呼んで構わないかな?

 ああ、無論、私の事も呼び捨て呼んでくれて構わない」


「いえ、その僕が呼び捨てにされる分には良いんですけど、

 先輩を呼び捨てにするのはちょと気が引けます。

 だから荊木先輩って呼ばせてもらいますね」


「残念ながらそれは却下させてもらうよ。

 私が健一の事を健一と名で呼ぶ以上、君も私の事をを名で呼ぶべきだろうに。

 あまり強要するものでは無い事は承知の上だが、やはり対等な関係に在りたいと私は考えるのでね。

 それと、正直私は、自分の苗字が好きでは無くなってしまったのだよ」

 

苦笑いをしてそう告げる先輩。

先ほどの話にあった家のゴタゴタというのが関係しているのかもしれない。

そして、そうまで言われて先輩の事を苗字で呼べるほど、僕は人が悪くないつもりだ。

 

「解りましたよ、かなめ先輩。この呼び方で良いですか?」


「ふむ、まあ、妥協点としてはそんなものか。とりあえずはそれで良しとしよう」


「そうしてくれると助かります」

 

先輩の呼び方に対する僕の提案にあからさまに不満顔で答える先輩。

僕自身としては間違った主張をしていないつもりだけれど、何故だか申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「それにしても、北野…か。

 ひょっとすると健一にはお姉さんが居て、去年までこの学校に通ってなかったかね?」

 

苗字を名乗った時点で、僕はその事に触れられるのを何となく予想をしていた。

目を引くほど珍しい苗字ではないのだけれど、今2年の先輩が姉を知ってる可能性は十二分にあったからだ。

 

「…やはり知ってるんですね、姉の事は」


「ははは、まあ、君の姉さんは色々と有名だからね」

 

ため息交じりに答える僕に、先輩も苦笑交じりで答える。

どの様に有名なのかを明確に口しなかったのは先輩の優しさなのかも知れない。

僕の姉はこの近辺で良くない意味合いで有名だった。

姉はこの碧空高校の番長だったのだ。

僕が聞いた話ではスケ番では無くて番長だというところがミソらしい。

とある抗争で一人で100人を病院送りにしたとか、

最終的には県内の全地域を支配下に置いたとか、

姉の武勇伝として眉唾ものの話がゴロゴロしている。

ただその眉唾物の話を全て否定できないのが姉だ。

僕が生まれた頃には既にウチの道場で修行を始めていたという姉は、武道家として確かに強い。

家には姉が女子空手の大会で取ってきたトロフィー等がゴロゴロしてるし、

ほぼ毎日、練習相手という名の動くサンドバックになってきた僕はその実力を良く解っているつもりだ。

圧倒的な実力を持つ番長らしかった姉。

それでも一般の生徒には評判が良く、芯の通った男気溢れる番長という事になっている。

姉の評判としては良いのか悪いのか、弟としては悩むところでは在るけれど。

そんな姉も今では大学生になっている。

ただ、隣町の美大に通う事になったと言う事には僕は正直驚いた。

たまに絵を描いているのを見かけることはあったけど、

姉が絵で上の学校に行けるほどの腕前を持ってるなんて事を僕は知らなかった。

ただ美大に進んだ姉はここ2ヶ月くらいすっと様子が変で、

何も理由を告げてくれない事もあり僕にはそれが心配だった。

 

「どうした、健一?君の姉さんの事で何かあるのかい?」

 

察しが良いのか、僕の考えていた姉の事を先輩が訊ねてくる。

 

「ええ、姉の様子が最近どうにも変なんですよ。

 落ち込んでる訳でもないんですけど、何かイライラしてるというか…。

 何が在ったのかって聞いても、何でも無いとしか答えくれないし。僕としてはお手上げなんですよ」


「きっと君の姉さんのその態度は、心配をかけたくないからなんだろうね。

 まあ、妹しかやってこなかった私では、この言葉にも説得力が無いとは思うけどね」

 

そう言ってまた苦笑いを見せる先輩。

ただその苦笑いも何処と無く陰を感じさせるものだった。

そう言えば先輩は家で揉め事があってこの碧空高校に転入してきたんだっけ。

それに気がついてしまった僕はこれ以上姉の話をするのが躊躇われ、とりあえず別の話を振る事にした。

 

「そういえば、先輩はこれから如何す…」

 

言いかけた言葉が止まったのは突如吹いてきた強風の所為だった。

正確に言えばその強風が僕の目の前に立っている先輩のスカートを大きく捲り上げた所為。

そして姉の下着姿なら見慣れている僕でも、やはり他の女の人の下着には少なからず興味があって、

それが美人のものとなれば尚更だった訳で。

すの口の形のまま固まって、視線だけはそこに釘付けになってという事だった。

確かに突発的な強風では在ったけれど、先輩は腕を組んだまま何もせず、

風にスカートをはためかせたままで突っ立って居た。

 

「……」


「……見たのかい?」

 

言葉を失う僕に向け先輩は短く冷淡な声でそう問い掛けてくる。

誰が何をという言葉は抜けていたが、その意味合いは僕にも十二分に理解できた。

 

「いや、そのですね、先輩がスカートを押さえてくれないからというかですね。

 いやほら、僕が押さえるのもかなり問題があるというかですね。

 だから偶然に目に入ってしまったというか、その…」


「確かに健一の言うとおりに、吹かれる風のなすがままになって、

 公衆の面前に不用意に晒してしまった非は私に在るのだろうね。…けど、見たんだね」


「……はい」

 

しどろもどろ僕のいい訳に対して、先輩からそう返されては素直に認めるほか無いわけで。

そして僕に出切る事は、力なく答えて項垂れる事でしかない。

 

「はは、まあ、そうしょげるなよ、風の悪戯に一々腹など立てないし、

 見られたこと自体を私は気にしてない。精々、早く忘れる事だ」

 

落ち込む僕に反比例するように、至って軽い口調で続ける先輩。

その言葉の何処にも怒気は感じられず、先輩が本気でそう思ってると僕には感じられた。

 

「…と普通のヤツなら、そう切り捨てていたところなんだけどねぇ」

 

ほっと胸を撫で下ろしたところに重ねられた先輩の言葉は、

そのちゃかすような口調も相まって、非常に気になって仕方が無い。

先輩が何かを企んでいるようにしか僕には聞こえなかった。

 

「…ふむ、そうだな。健一、君に貸し一つだ。

 で、早速で悪いが、その貸しを返して貰おうと思う。

 というわけで一緒に帰ろうか」


「へ?」

 

全く話について行けなかった僕の腕をとり自分の腕を絡めてくる先輩。

 

「ああ、簡単に言えば、許してやるから私の言う事を一つ聞けという意味だな。

 さっき思いついたんだが、私は君にしてもらいたい事が在ってね。

 で、それは私の家でないと出来ないことなんだよ」


「だから、一緒に帰ろうと?」


「そういうことだよ」

 

そのままぎゅっと絡めた僕の腕を引いて歩き出す先輩。

僕は腕を振り解くことが出来ずにそのまま引きずられる様に先輩に付いていく事になる。

もちろん物理的には振りほどく事は可能だろう。

けど、二の腕に伝わる柔らかな感触は僕のような年頃の男子にとって、

逆らえない何かが在ったりするわけで…。

 

「まさか、断るなんて事は無いだろうね。

 不可抗力かも知れないが、君は私の下着を見てそれで欲情したんだろう?

 だったら、私の頼みを一つぐらい頼まれてやってもバチは当たるまいて」

 

腕を組んだままそんな言葉を続けてくる先輩。

他人に下着を見られる事なんて如何でも良いような事を言いっていた気もするけど、

どうして僕だけ特別扱いなんだろうか?

でも、先輩の言葉を否定する要素を僕は何一つ持たない訳で。

現に今だってこの二の腕に感じる柔らかさに少なからず興奮を覚えていたりする訳だし…。

口を開くとぼろが出そうで、僕はただ黙って先輩の言葉を聞いていた。

けど先輩は突然組んでいた腕を解くと僕の正面に回りこみ、僕に向けて頭を下げてきた…。

 

「すまない、失言だった。

 君が欲情しているというのは、私の勝手な想像だ。

 それなのに私は、それを咎めるような口をきいてしまった。

 土下座をしろといわれれば、この場で何度でもして見せよう。

 だから、私を許してくれまいか」

 

そう言って深々と頭を下げる先輩。

ひょっとして僕が黙り込んでしまったのを、僕が怒ったと勘違いしたのだろうか?

 

「あの、その、頭を上げてください、かなめ先輩。

 そんな風に頭を下げられると僕が困ります。

 というかですね、先輩の言うとおりに僕はさっきの偶然にドキドキしてたんです。

 だからその、そういうのは止めてください。

 そもそも、失言というか、先輩は結構下品な話題でも話すんだなって意外に思ってただけですし」


「そ、そうなのか?」


「はい、そうです。ちょっと親近感も湧いたりしましたし。

 それに僕の方が先輩に許して貰わないといけない筈ですよね?

 先輩が僕に何をさせるつもりなのかは知りませんけど、早く先輩の家に行きましょう」

 

そう告げながら、先ほど先輩が絡めていた腕を差し出す僕。

 

「そうか、欲情していたのか…」

 

僕の腕を再び取りながら、嬉しそうに何故だかそこだけ繰り返す先輩。

 

「いや、その、そこだけ繰り返さなくても…」

 

ちょっと回りの目が気になった僕は、視線を左右に振りながらそんな言葉を返していた。

幸いにも周りに人は居らず、先輩の欲情発言は誰にも聞かれずに済んだようすだった。

 

「ははは、まあ、気にするな、それよりも先を急ごうか。

 と言っても私の家は此処から歩いて10分程度の距離でね、歩き疲れる心配はしなくても済むよ」

 

再び僕の腕を引きながらの先輩の言葉。

ふにふにと伝わる感触に緩みそうになる頬に渇を入れて平静を装った僕は、

10分という時間の短さを悔やみつつ先輩と一緒に歩いていく。

取り留めのない話をしながら、腕を組んだまま先輩の家へと。

それは確かに幸福を感じた10分間だった。


 



続く


あとがき

なんとなく、ラブコメが書きたくなったので書いてました。

ラブでコメってるかは、甚だ疑問ですが…。

とりあえず、次の話までは構想済みですので、そのうちに書くつもりです。

よろしければ次の話も読んでやってください。

ではまたー

 

PS あーこの話は『エンジェル伝説』と『ROOM NO.1301』のクロスだったりします。

   とは言えそのジュニア達の話なので個々の話の主人公達は名前ぐらいしか出てきません。

   オリものとして読んでいただければ良いかと思います。

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