狼姫<ROKI>
月光
薄暗闇の中にある異界空間。
市井の者は決して入ることも見ることはおろか、知る事さえできない場所。
神聖さと不気味さを混ぜ合わせたかのような淡い白い光を放つ台座や石像、その他もろもろの調度品が置かれている。
ここは南の番犬所。
魔戒騎士たちの拠点の一つであり、紅蓮騎士が籍を置く処でもある。
そこを管理する南の担当神官『ヴァナル』は、一人の騎士を招き入れ、指令書を渡していた。
「”冬木の地にて溢れしホラーの陰我、狼姫の称号を継ぐ者と共に撃滅せよ。さもなくば、此の世は邪悪なる呪いの神によって殺し尽くされるであろう”」
指令書を魔導火のライターで燃やして開封し、魔界文字の内容を読み上げたのは――紺色のコートを羽織り、首にはカブト虫とクワガタ虫を組み合わせた銀色のペンダントをした茶髪の若い男だ。
「……神官ヴァナル。なぜ英国の管轄である俺を日本に呼び寄せたんですかね?」
「ほかに手の空いている者がいなかったのでな」
煙管から吸った紫煙を吐き出しつつ、ヴァナルは平然と答えた。
石造りの椅子に座りつつ、ヴァナルは目の前で佇む男にこう言った。
「それに、この一件は君の予想以上に深刻だ。今は優秀な魔戒騎士を冬木に送り込まねばならん」
「此の世を殺し尽くす邪悪なる魔……ってヤツですかい?」
ヴァナルは無言で首肯した。
「つーか、今冬木では聖杯戦争の真っ最中の筈ですが、一介の騎士たる俺が踏み入れていいのやら……?」
「話は此方から聖堂教会に通しておく。君が遠慮する必要はない」
「……了解」
魔戒騎士はここにきてようやく指令の内容を理解して受諾した。
「では早速、魔戒道にて冬木へと直行します」
騎士は先程とは打って変わり、きっちりとした礼節ある態度でヴァナルに頭を下げ、速足で番犬所から立ち去って行った。
番犬所で一人になったヴァナルは、戦場へと向かっていった若い騎士の名を呟いていた。
「頼んだぞ、デューク・ブレイブ……」
*****
此処は新都にある外人墓地。
冬木は地方土地ながら多くの外国人が居を構える独特の雰囲気を持っている。
その為、彼らの風習に合うような墓地が出来るのも自然なことといえよう。
ただし、今宵に限って死人らの眠りし大地から、良くない者が噴き出したらしい。
『…………』
それは暗闇に身を潜め、じっと獲物が来るのを待っていた。
少しすると、何処からか一人の若者が懐中電灯とスコップを手にしながら歩いてきた。
よく見ると手にはリードが握られており、その先には首輪の付いた柴犬が追従している。
「……くふ」
若者は不気味な薄ら笑いを浮かべると、適当な墓石の前に立ち、スコップを土に突き立てた。
ザクザクと土を掘っていく若者は、悍ましげな微笑を顔に張り付けている。
まるで、宝物でも探し当てようとしている子供のようにさえ見えた。
「うふふ……これよ、これ」
高い声を押し殺しつつ、若者はスコップを止めた。どうやらお目当ての物を掘り当てたらしい。
若者は身に着けていた冬物ジャケットのジッパーを下すと、懐に仕舞っていた道具の数々を取り出す。
それらの小道具は、銀で出来たフォークとナイフだった。
そう、この若く妖艶な女が掘り出していたのは……。
「あぁぁ……いい」
埋葬されてから一日と経っていない亡骸だったのだ。
この女は墓地の墓守を務める者だが、それを役得にして土中にある棺桶の蓋を開けて中身を確認する。狙い通り、若々しい成人男性が永久の眠りについている。
女は興奮して息を荒げながら顔を赤らめつつ、亡骸の死装束を丁寧に脱がしていき、冷たくなった胸板に舌を這わせていく。
まるで恋人へ愛撫するかのように、女の舌は亡骸の身体を無遠慮に唾液で濡らしていき、そして死の味と匂いを堪能する。
一通り皮の味をしっかり楽しむと、次はナイフとフォークを亡骸の首筋に突き立てて皮膚を裂いていく。
引き裂かれた箇所から流れるドロドロとした赤黒い血液。
循環されることなく死体に留まったせいか、鮮血とは異なり泥のような感触である。
だが女はそれさえも悦びの一つとして死に切った血を啜っていく。
誰も来ることなどない薄気味悪いこの墓場に、淫らな飲血の音がほんの僅かに響いていく。
「グルル……!」
死の甘味を味わいたいのか、柴犬が唸り声をあげている。
(もう少しよ、もう少し待ちなさい。もうすぐそっちにも分けてあげるから)
そして、これこそが『闇』の求めていたモノ。
即ち―――
『同じだ』
―――陰我!
「え……誰?」
女は昂ぶっていた気分が一気に覚めていき、上体を起こして周囲を見渡したが、辺り一面が真っ暗闇で何も見えない。
『共に悦ぼう』
この夜、一つの陰我に一匹の魔獣が憑りついた。
死者の尊厳を貪るケダモノは現世に解き放たれ、この闇夜に相応しい咆哮を星々に向けて吠えた。
*****
時刻は既に夜明けを迎えていた。
切嗣らによって爆破されたホテル跡地では、従業員の手違いによって瓦礫の中に二人の客が残っている可能性が浮上し、レスキュー隊の出番がやってきていた。
最上階のフロアを丸ごと借り切っていた富豪の声明は絶望的だが、せめて亡骸だけはなんとしても発見しようと探索していると、彼らはある物を発見した。
それはどう考えてもビルの建材ではない、直径3メートルはあろう銀色の球体だった。
「……内装品か?展望レストランにあったオブジェとか?」
「それにしちゃ傷一つないってのは不気味じゃありませんか?」
隊員の言う通り、銀色の球体は何の傷もなく、ただそこに鎮座しているだけだ。
「なんか……水銀の雫みたいだな」
主任は思ったことをそのまま言うと、興味本位で球体に触れて見た。
ズブリと主任の指が水銀の雫に沈んだ時、
「―――ッ!」
その瞬間、主任の身体と意識の中に、何かが侵入してきた。
「こいつを運び出さないと……」
「どうか、しましたか……?」
「こいつを運び出さないと……」
「は……?」
隊員は主任の奇妙な言動に不信感を覚えたが、
「トラックに載せるんだ!急げぇっ!」
主任は有無を言わさずに命令を下し、隊員たちは渋々と不気味な物体をトラックの荷台へと積んだ。
その中に何がいるのか、そんな真実など露とも知らずに。
*****
それから数時間後のこと。
冬木教会では、璃正が説教壇に立ち、魔術的な信号を送って呼び寄せた者達を待ち構えていた。
当然それは今回の件を消化すべく、ルールの変更を伝える為に行ったことだ。
尤も、今の状況で生身を晒してまで教会に来るバカなマスターなどいる筈もなく、みな使い魔を向かわせていた。
璃正がこれからしようとする話を使い魔を通して聞き届けようとしているのだろう。
使い魔の数は、表向きには脱落者である綺礼のものを除けば六匹になるはずだったのだが、ここに来ている使い魔は五体。
鳥、蝙蝠、鼠、蟲といった小さな小さな魔性たち。
無論、このルール変更に一枚かんでいる時臣も不自然さを消すために一応手軽な使い魔を放っている。
璃正は一体どの陣営の使い魔がいないのか、と一考したが、そんなものは無意味なこととなる。
――ガラ……――
唐突に、教会の扉が外から開けられた。
璃正は勿論のこと、使い魔たちも予想外な来訪人の登場に目を見張った。
そして、その来訪人とは……。
「――間に合ったか」
「っ――キャスター……!?」
璃正を含め、その場にいる使い魔を目や耳としていたマスターたちは驚愕した。
なにしろ、この程度の雑務で遣わされたのは使い魔ではなくサーヴァントだったのだから。
キャスターは何故か黒いシャツに黒いスラックスという現代の服装で、しかも片手にはスーパーの買い物袋まで引っ提げている。
「……まさか、英霊自らお出ましになるとはな……」
「なに。下らん買い物の帰り道に信号が打ち上げられていたので、ついでに立ち寄っただけだ」
「…………ちなみに、その買い物とは?」
「薬の材料一式を買って来いと――マスターの使い走りだ」
「『『『『『……………………』』』』』」
サーヴァントにお使いをさせるなど、一体どこからツッコめばいいのか一瞬戸惑ったが、璃正は己の職務を思い出すと、一度わざとらしく咳をして間を空け、事の説明にあたることにした。
「諸君らの悲願へと至る道であるところの聖杯戦争が、いま重大な危機に見舞われている。この神聖な儀式たる戦を邪魔立てせんとする無粋な魔物どもの出現は、諸君らも知っているだろう」
つい神父として説教の習慣で、聞き入れる人々の様子を見てしまうが、早く本題に入るべく、老神父は続けた。
「闇の魔獣ホラー。人間の邪心に憑りつきし悍ましい怪物が、何の因果かこの冬木の地に続々と出現するようになっている。彼奴等は人間の魂を喰らい、己の食糧とする悪鬼である」
物心ついた時から教義に従って生きてきた璃正にとってホラーとは、吸血鬼に匹敵する程の大敵だ。
それを語る際の口調にも、自然と怒気や熱気が籠っていく。
「当然のことながら、浅薄な欲望に突き動かされた彼奴等が人間を一斉に喰らっていけば、如何な聖堂教会と魔術教会と言えど、隠蔽し切ることは難しくなる。つまりホラーは聖杯の招来を脅かす危険因子である」
璃正はここにきて本件の重要部位を話すところにまできた。
「よって私は、非常時における監督権限をここに発動し、聖杯戦争の暫定的ルール変更を設定する」
厳かにそれを告げながら、璃正は神父服の片方の袖をまくりあげ、枯れ木のようになりながらも厳しい修業時代を思わせる右腕を見せた。
左腕の皮膚には、マスターたちにとって途轍もない価値を誇るモノが幾つもの刺青として刻まれていた。
「これは、過去の聖杯戦争を通じて回収され、今回の監督役たる私に託された物だ。決着を待たずしてサーヴァントを喪失し、脱落したマスターたちの遺産――彼らが使い残した予備令呪である」
令呪。
それは聖杯戦争の参加資格を示す聖痕。冬木の聖杯にマスターたる資質を認められら証。
そして、サーヴァントに対するブースターであり、強制命令権。
この聖杯戦争において、令呪の使い道が勝利へのカギになるといっても過言ではないほどの重要なアイテムだ。
「私はこれら予備令呪の一つ一つを。私個人の判断によって任意の相手に移譲する権利が与えられている。今現在サーヴァントを統べるところの諸君らにとって、これらの刻印は貴重極ま内価値を持つ筈だ」
その御されるべき立場にある魔術使いの前でこの物言いはどうかと思うが、璃正からすれば知ったことではない話だ。
寧ろこの話を聞き、キャスターの輪廻に対する協力が消極的になれば都合のいいことだ。
「全てのマスターは各々、ホラー殲滅と、出現の原因究明に尽力せよ。そして、見事ホラーの出現を完全に阻止した者には、特例措置として追加の令呪を寄贈する」
これこそがほかのマスターたちを狐狩りに参加させるためのエサ。
そして、時臣の失われた一画の令呪を補填するための作戦でもあった。
「もし単独で成し遂げたのであれば達成者に一つ。他の陣営と共闘しての成果であれば、事に当たった全員に一つずつ――我が腕の令呪が贈られる。そしてホラーの出現する陰我の消滅が確認され次第、改めて従来通りの聖杯戦争を再開するものとする」
ここまで聞くと、他の陣営にとってすれば共通して思うことがあるはず。
明らかにキャスター陣営が有利すぎる、と。
当然だ。んあにせ、ホラーのことをこの面子で一番知り得ているのは魔戒騎士をマスターとするキャスターなのだから。
「質問してもいいかな?」
「どうぞ。尤も、この中で人語を発せるのは私と君だけだがね」
動物型の使い魔というのは俊敏かつ小さいので偵察にはもってこいだが、代わりに喋ることも攻撃することもできないのがネックだ。
「聖堂教会の方で陰我の発生元に心当たりはないのか?」
「あればとっくに腕利きの代行者を遣わしている。なればこそ、諸君らにルールの変更を伝えているのだよ」
「では、一から十までのこと全てを我々に丸投げするというわけか?」
意地の悪い表情でキャスターが訪ねた。
璃正は少しバツの悪そうな顔をしながらも答えた。
「申し訳ないが、そういうことになる。しかし、諸君らの働きは予備令呪と確実に釣り合う物となるだろう」
「……そうか」
キャスターは少し訝しむような目をしながらも、相槌を打つことにした。
「では、私はそろそろ荒家に帰らせてもらうとしよう」
するとキャスターは踵を返して再び教会の扉を開けて礼拝堂から姿を消していった。
扉が締め切る直前、跳躍する素振りを見せたことから、恐らく使い魔たちでは追い切れないだろう。
璃正はこの聖杯戦争に泥を投げつけてくる悪鬼どもの根絶と、親愛なる盟友の血が栄誉を勝ち取ることを、静かに心の内で祈った。
*****
時は過ぎ、とある張れた昼下がりのこと。
一人の運送配達員は、どう考えてもペンネームとしか思えない宛名が書かれた容姿が張り付けられたダンボールを抱えながら、記された住所に在る一軒家を訪ねた。
そして、悪い冗談としか思えない者と遭遇した。
なんというか、褐色の肌をした赤毛の巨漢だった。いや、それだけならいい、まだいい。
ここの人間は外国人の筈だ。ならば、外国の人間が友人として招かれていても可笑しくはない。
ただ、一番気がかりなことと言えば……。
「……あの、こちらはマッケンジー様のお宅で宜しいでしょうか?」
「うむ。それは此処の家主の名字で相違ない」
「……えぇと、征服王イスカンダル様って、いらっしゃいますか?」
「余のことだが」
「……ああ、はい、そうでしたか。アハハ……あ、こちらに受け取りのサイン、お願いします」
「署名か、宜しい」
差し出されたペンと紙にすらすらと名前を書く、古代の甲冑を纏った男。
「では、確かに受け取ったぞ」
「ま、毎度ありがとうございました」
そして――
「ぬん!ふっ!はっ!」
ライダーは玄関のドアを閉めるや否や、甲冑姿を解除すると同時にダンボールを空けて、中にある物を身に着けた。
しかも、裸の上半身から直接纏ったそれを筋骨隆々とした体躯でポージングを取り、これでもかというかと言う程に肉体美を強調している。
「フハハ!この胸板に世界の全図を乗せるとは、ウム!実に小気味よい!」
ライダーの着ている物は冬には出番のない筈の半袖Tシャツだ。
いや、只の半袖Tシャツではなく、『アドミラブル大戦略IV』という世界地図をロゴに組み込んだテレビゲームの関連商品だ。
ライダーがすっかりご機嫌一直線になっていると、二階へと通じる階段から小柄な少年が起きてきた。
「おぅ、起きたか坊主」
呼びかけられたウェイバー・ベルベットは、自分の従者の姿を視界にいれる。
「どうしたんだ?その恰好」
「荷物が届いたのだ」
「……オマエ……その恰好で下に降りたのか?」
「じゃーん!通信販売とやらを試してみたのだ!」
ダンボールの箱を見せびらかしながらニヤニヤと笑う征服王。
「オマエ!二階から出るなって言っただろう!」
「家主の夫妻が外出で不在。貴様も使い魔に感けていたのだ。余が代わりに出るしかあるまい」
「仕方ないだろ。聖堂教会からの呼び出しなんて異例のことなんだから」
異例と言えば、目の前にいる暴君と、英霊をパシリにする女もだが。
サーヴァントはこの世にあらわれる際、聖杯から時代に応じた基礎的知識を与えられる。
ただし、聖杯が戦いとは無縁な事柄を教える筈がないため、この商売法を知り得たのはライダー自身としか言いようがない。
尤も、無邪気に軍事ビデオを見ながら爆撃機の購入を一考したバカ者に対して常識という言葉は当てはまらないのかもしれない。
因みに、代引きで申し込んだこのTシャツの代金は、ウェイバーの財布から数枚の千円札を無断で抜き取ることで払ったのは言うまでもない。
「ま、いいではないか。――昨夜のセイバーを見てな、余も閃いたのだ。当代風の衣装を纏えば、実体化したまま街中に出ても文句はあるまい」
ライダーは何故か肉体というものに固執する性質がある。
その為霊体化も滅多に行うことはなく、マスターであるウェイバーの神経と魔力を擦り減らしていた。
イスカンダルは遠征の際に異国の民族衣装を着こなす、という逸話があるが、それは今ここで証明されたらしい。
一部の歴史家たちからすれば小躍りしそうなくらいのことだが、ウェイバーにとってすれば只の災難である。
こんな余計な知恵をつけさせてくれたセイバー陣営を恨まずにはいられなかった。
「って、ちょっと待て!外に出るなら、ズボンぐらい穿け!」
Tシャツとボクサーパンツだけで外出して闊歩すれば100%警察に職務質問をくらう。
そんな駄サーヴァントの身元引受人になるというシュールな展開は真っ平御免こうむる。
「ん?あぁ、脚絆か。そういえば皆がそれを穿いておったな。――ありゃ必須か?」
「必要不可欠だ!」
ズボンなしで出歩いていい国などそうそうない。
あったとしても発展途上国のごく一部だけだろう。
「先に断わっておくが、ボクはオマエの為に街に出向いて特大ズボンを買ってくるなんてことは、絶対しないからな」
「なんだと!?坊主、貴様、余の覇道に異を唱えると申すか?」
「覇道とオマエのズボンとは、一切合財、金輪際、まったくもって関係ない!」
はい、その通りです。
もし本当に覇道とズボンが関係あるなら、そんな世界はさっさと修正されるべきだろう。
「外を遊び歩く算段なんぞする前に、敵のサーヴァントの一人でも討ち取ってみろ!そしたらズボンでも何でも買ってやる!」
「成程。あい判った。とりあえず敵の御首級を挙げさえすれば、その時は余に、ズボンを穿かすと誓うわけだな!?」」
何でこんなことの為にライダーは真面目になるのか?
多分、街中で自分の偉容を見せつけたり、市場を冷やかしたいんじゃない?」
「オマエ……そんなに現代の恰好で外を出歩きたいのか?」
「騎士王のヤツがやっておったのだ。余も王として遅れをとるわけにはいかん。この服の柄は気に入った。覇者の装束に相応しい」
実際はアーチャーもブランド物の服で固めた服装で繁華街を練り歩き、単独行動スキルに物を言わせた自分勝手ぶりを体現していたりもしたのだが、その辺はウェイバーの為に伏せておこう。
「ただでさえ今はキャスターに有利な状況だってのに……何やってんだよ……」
それを知らぬ苦労人は、自分のサーヴァントのフリーダムぶりに只々溜息をつくばかりであった。
*****
その頃、噂されているキャスター陣営はというと。
――ズリズリ、ゴリゴリ――
マスターの輪廻は荒々しい地面の上で胡坐をかき、片手で擂鉢を、片手で擂粉木を持ち、何かと何かを一緒にを擂り潰していた。
その様子は江戸時代の薬師が新たな薬品開発に没頭しているようにさえ見える。
キャスターはその様子を静かに見守っており、自分をパシリにしてまで仕入れた材料がそのような秘薬となり、今後の糧となるかについて大いに興味があるのだろう。
輪廻はただ黙々と材料を擂鉢の中でゴリゴリと混ぜ合わせていき、丁度いい塩梅になった頃合いを見て、用意していた小皿に中身を移し替える。
更にそこへ別の小皿にある透き通った液体を、中身が移し替えられた小皿に注ぎ込む。
すると、材料が擂り潰されて共に得体の知れない物となった秘薬の元は、瞬く間に液体と反応して別の色を表し、青い薬液となったのである。
この秘薬の名は「リヴァートラの刻」といい、これを飲んで魔導火を身体に当てると、皮膚が燃えることはなく、寧ろ自身が負った傷を癒す効能がある。
味の方は上等とは言い難く、輪廻もこの薬を飲むのには少し抵抗があるものの、いざという時に役に立つ秘薬であることに間違いはないだろう即効薬だ。
魔戒騎士としてでなく、魔戒法師としての素養も併せ持つ輪廻だからこそ、この薬の製造を発想し実行できたといえよう。
キャスターもこの薬の効能を聞いたときは、わざわざ現代の恰好をして買い出しに行った甲斐があったと心から思ったほどだ。
「……よし、完成っと」
幾つかの瓶を満たせる量のリヴァートラの刻を造った輪廻は、早速その青い秘薬を古風な瓶に移し替えて蓋をした。
「ふむ。どうやら私は、マスターの力量を少し見誤っていたらしいな」
皮肉ではなく、本心からの言葉だった。
「それはどうも。……さてと、そろそろ日が沈む頃だし、外のパトロールと洒落込みましょうか」
*****
時はまた更に過ぎていき、場所もアインツベルンの城に飛ぶ。
ここは冬木氏から車で2・3時間もの距離にある郊外の深い森。
200年前にアインツベルンは敵地に居城を構えることを嫌い、若干霊格は落ちる者の世俗の音が聞こえぬこの森の土地を買い占めた。
以来、この城は60年の一度の割合――聖杯戦争におけるアインツベルン陣営の居住空間として機能していた。
無論、ここは魔術師の空間だ。結界の類を張って一般人は辿り着かないよう手を尽くしている。
因みに、アインツベルンが外資系企業の名義でこの広大な土地を買い占めた際、周囲への誤魔化しに当時の管理者が奔走したという哀れで皮肉な逸話もあったという。
アイリスフィールとセイバーはこの城に着くと切嗣と舞弥に合流し、サロンにて状況の確認と今後の対策を練っていた。
サロンには大きなテーブルが置かれており、その上には冬木市全体の地図や戦いに関する資料、更には城中に設置した監視カメラの映像を映したパソコンなどまで置かれている。
「切嗣。ほかのマスターは、本当にホラー狩りに出るのかしら?」
「ある程度はね。だが、ホラーに関しては圧倒的にキャスター陣営にアドバンテージがある」
そう。魔戒騎士である輪廻はこの戦いでほかの誰よりもホラーについて詳しい。
経験があるだけでなく、彼女の指には魔的存在を感知する魔導輪が嵌められているのだから。
「暫くの間はここで休養をとりつつ、使い魔を放って街中を監視するべきだろう。今は情報というものが余りに少なすぎる」
切嗣が堅実的な意見を述べると、アイリスフィールの傍で控えるセイバーがこう言った。
「マスター。確かに情報は少ないかもしれませんが、奴ら化生の者を放置すれば数多くの命が奪われてしまう。あの魔戒騎士と交渉し、同盟を結ぶべきでは?」
「…………」
切嗣はセイバーの言葉に耳を傾けない。セイバーの喋る姿さえ視界に入れようとしない。
「アイリ。この森の結界の術式は、もう把握できたのかい?」
「えぇ、大丈夫。それよりも問題なのは、セイバーの左手の呪いよ」
セイバーの左手――厳密には親指だが、そこには力は欠片ほどにも無く、烏賊の足のようにぶらりとしている。
「貴方がケイネスを仕留めてから十八時間経つけれど、セイバーの腕は完治しないままよ」
基本的にランサーという枠組みに嵌ったディルムッドには、単独行動スキルは備わっていない。
本当にマスターを失ったのなら、とっくに魔力切れをによって消滅しているはずだ。つまり、ケイネスはまだ生きている、或いは主替えが起こったということだ。
「まずは、呪いを解かなければ、今後の戦闘や活動にも支障が出るわ」
「まだその必要はない。今は――特に魔戒騎士の拠点を探り当てることが最優先だ。頃合い見計らって熟したところを、工房を他の陣営にリークさせて狙わせる」
それを聞くと、セイバーは左手にある四本の指に力を込めた。
何かを穢されていることを無意識的に悟り、怒りにも似た感情に任せて。
「セイバーを、戦わせないの?」
「キャスター達の情報欲しさにバカ共が押し入った時こそ、僕らが狩人になる時なんだよ。セイバーが奴らの気を引いてる隙に、僕は側面から叩く」
「マスター。貴方という人は……一体どこまで、卑劣に成り果てる気だ!?」
もう我慢の限界だ。
人生の全てを騎士道の体現に費やしてきたセイバーにとって、切嗣の戦略は悪知恵に等しかった。
「貴方は英霊を侮辱している!なぜ戦いを私に委ねてくれない!?貴方は、自身のサーヴァントである私を、信用できないというのか!?」
セイバーの激昂によってサロンの空気を一気に重苦しい物となっていく。
切嗣も舞弥も、その空気を払拭しようとはせず、ただただ沈黙を守るのみ。
「今は全陣営が休戦の筈でしょ?」
「構わないよ。今回の監督役はどうにも信用できない。何せ息子とはいえ、素知らぬ顔でアサシンのマスターを匿ってる男だ。遠坂ともグルかもしれない。疑ってかかった方がいいだろう」
アイリスフィールは場の空気を転換させるために話しかけるが、切嗣のドライな対応は変わらない。
寧ろこの戦いに潜む影を押し出すようなことを言っている。
「それじゃあ、解散としよう」
切嗣が無感情にそう告げた時、セイバーは納得のいかない顔で俯いていた。
*****
「ヴァルン。今夜の獲物の匂いはどうかしらね?」
輪廻は洞窟から出ると、すぐに自分の左手の中指に収まっている相棒へと呼びかける。
『この気配……位置は、新都の方向だな。ハイエナじみた臭いがプンプンするぞ』
唾棄すべき物を見たかのような口調でヴァルンが言った。
「今度はきっちりと器を得ているホラー……なのよね?」
『ご明察』
流石ね、と輪廻は一言だけ零す。
『おまけに、墓土の臭いまでプンプンさせている』
「そう……外人たちの墓地ね」
新都の冬木教会の近場には、冬木市に住み着いた外人たちの為に造られた墓場がある。
もしかしたら、墓場に眠る霊達の思念がゲートを造り、そこからホラーが侵入したのかもしれない。
「キャスター、連れてって」
「あぁ」
キャスターは実体化すると、すぐに輪廻の身体を抱え込んで跳躍した。
通常の魔術師とは違い、能動的な魔術使いであるキャスターは、一っ跳びで十数メートルもの距離を渡っていく。
この分なら物の数分で墓地に辿り着けそうだ。
*****
一方その頃、輪廻たちが目指す外人墓地ではというと。
「うぅぅ、寒々ッ。さっさと用済ませて帰ろっと」
一人の若い酔っ払いサラリーマンが木陰に立ち、ズボンのチャックを下ろそうとしていた。
大方飲みすぎたビールを排出するつもりなのだろう。
しかし、そこへ―――
「ふふふ」
何やら妖しい女の笑い声が聞こえてきた。
ギョッとした感覚に襲われた男は、急いでチャックを上げてその場を離れようとした――が、
――ジィィ、ズィッ――
(ひ……引っかかったァァァ……!)
先っちょが巻き込まれてトンデモないことになった。
思わず涙目になる男。だが人の目があるのだから、これ以上無様な姿を晒すことはできない。
なんとか痛みに耐えてジッパーを上げなおした。
「あら、痛そうね。痛み止めの塗り薬があるけど、塗ってあげようか?」
「い、いえ!結構です!」
サラリーマンは背筋をピンと伸ばしながら答えた。
場所が場所だけに(しかも女性に)世話になるのはかなり抵抗がある。
「あーらあら、遠慮することはないんじゃないの?」
女性は妖艶な声を出して男の両肩を背後から掴んだ。
男の身体がピクリと動くと、女はそのまま抱きつく体勢に移行し、その豊満な胸を押し付ける。
女っ気のないサラリーマンは多少ながらこの異様な状況に心が沸き立つのを感じた。
「ねえ、私さ、どうあっても欲しい物があるんだけど……もし良かったらくれない?」
「え……?いや、別に貴方が欲しがりそうな物なんて……」
「勘違いしないでね。私が欲しい物はね、貴方自身だから」
次の瞬間、女はスカートで隠れた内腿に縛り付けていた一本のサバイバルナイフを取り出し、サラリーマンの身体に突き立て―――
――ガギンッ!――
られなかった。
何処からか小太刀が投擲され、女が持っていたナイフを弾き落としたのである。
「ふぇ?……あッ」
サラリーマンは間抜けた声を出すと、地面に落ちたナイフを見てやっと自分に置かれた立場を理解したらしい。
妖艶な女は自分の食事の邪魔をした者のいる方向へと睨むような視線を向けた。
「く……魔戒騎士ッ」
怨敵の姿に女の目つきがどんどんキツくなっていく。
サラリーマンはそんな女の姿に恐怖心を覚え出した。
「そこの冴えない人。さっさと逃げなさい、死にたいの?」
と、別の女の声が乱雑な口調に乗って聞こえてきた。
黒い浴衣を金色の帯で締めた、大和撫子を絵に描いた様な美女。
顔つきは実に凛々しく、手に持っている日本刀がそれを際立てていた。
サラリーマンは騎士の言葉通り、全速力で墓地から逃げて去って行った。
後に残ったのは、聖輪廻と、哀れな女だけ。
『若い女だけあって……良い肉の匂いだな、紅蓮騎士』
そこへ聞こえてきたのは魔界語。
ホラーたちが使う闇の言語だ。
しかしそれは、目の前にいる女の、後方から聞こえてきた。
『……成程。此処なら奴に持って来いの環境だな』
ヴァルンはどのようなホラーが棲みついたのかに察しをつけた。
『マスター。奴は死肉ホラーのゾルバリオス。最近は人間に憑依しないことで名が売れ始めている』
「人間に憑依しない?」
ということは、目の前にいる女は紛うことなき人間。
ならホラーそのものはどこにいる。
『グァルルルルル!!』
「―――ッ!」
女の背後から響いた狂犬の咆哮。
輪廻は反射的に地面を蹴って一気に手を届かせると、女の身体を横へと無理やりにどかした。
その直後、一匹の獰猛な柴犬が暗闇から不意を衝くように現れ、輪廻の右腕に噛み付いた。
「ン……!」
鋭い牙が魔法衣の浴衣を貫通して柔肌を破り、生暖かい血液が流れ出てくる。
輪廻はすぐさま柴犬を殴り、口を開けさせて強制的に放り投げた。
柴犬は猫のように見事な着地を見せ、今度は歪に笑って見せた。
『ククク……流石は音に聞こえし女騎士。そこいらの鈍とは違うな』
「何故ワンちゃんなんぞに入り込むのかしらね?」
輪廻は右腕をおさえながら尋ねた。
『―――堪らないんだ。人体よりも優れた嗅覚で肉と血の匂いを、長い耳で断末魔を聞き届け、強靭な顎と牙で骨を噛み砕く快感』
柴犬は言葉を積み重ねるたびにどんどん楽しそうな口調になっていき、それが心から出ている本音だとわかった。
『犬の身体とは本当に良い物だ。それにな、そこの女は最初から我が同胞だったのだよ』
妖艶な女は今となってはチワワのように身をすくませて怯えている。
『付き従えば幾らでも死肉を喰わせてやると言ったら、素直に頷いたぞ。いやはや、ヒトとは斯くも陰我に忠実なものよな』
次の瞬間、
――シャリン!――
輪廻の魔戒剣が音速で抜刀され、柴犬のよく喋る口を縦に切り裂いた。
途端に鳴り響く穢れた絶叫。柴犬の身体は内側からみるみる膨らんでいき、今にも破裂しそうだ。
「キャスター。あのバカにこれ貼って外で待ってて」
「了解した」
輪廻はキャスターにある者を持たせた。
それは顔に貼ることで対象者を強制的に眠らせる呪符の一種。
それを渡されたキャスターは、呪符を女の顔に貼ったと同時にジャンプして外人墓地の外へと向かった。
これで何の憂いもなく剣を振って戦える。
輪廻は魔戒剣の切っ先で頭上に円を描いた。
降り注ぐ神々しい光が輪廻の全身を照らし出す。
そして、憑依体を破り捨ててゾルバリオスが本性を見せると同時に、紅蓮騎士・狼姫が光臨した。
スラリとした真紅の鎧に狼の兜、口元を隠すように巻かれた長い漆黒のマフラーといった出で立ちをした女騎士。
一方でゾルバリオスの姿は実に凶悪で、狂犬をそのまま二本足で経たせたような姿だ。
長く鋭く尖った耳、恐ろしい歯牙の生えた口からは、賤しい唾液が垂れている。
同じイヌ科を模した姿でもロキとゾルバリオスの姿はこうも両極端な物であった。
――ギンッ!――
踏み出しは双方とも同時だった。
土埃を起こし、互いの刃を敵に突き立てんとする。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が夜の墓地に響き、静寂な空気を乱していく。
片や聖なる剣、片や血に濡れた爪。
正反対に位置する武器が衝突すると、その度に火花が散った。
『グルァァァア!!』
「ハァァァアア!!」
ロキとゾルバリオスは互いに雄たけびをあげ、得物を振り回す。
輝く紅と汚い朱が交差し、まさに獣のような接戦を繰り広げている。
だが、その接戦はロキからすれば相手の力量を計るためのもの。
戦闘開始から僅か20秒で、ロキはゾルバリオスの大凡の動きを掴んで見せた。
魔界の砂時計こと魔導刻が指し示すタイムリミットは99.9秒ジャストだ。
(―――ここだ!)
敵の急所を見切ったロキは、断罪剣を刃を寝かせた状態で突きを繰り出し、ゾルバリオスの心臓があるであろう胸に刺し込んだ。
『―――――ッッ!!』
聞くも堪えない断末魔をあげるゾルバリオス。
ロキはそれに耳を傾けずに柄を握る手の力を強めていき、一気に鍔の所まで押し上げていき、切っ先どころか刀身までもがゾルバリオスの背中から貫通した。
丸々とした大きな心臓から溢れだした黒い血は傷口から流れ出るも、それらは断罪剣によって片っ端から浄化されていく。
『ぐっ……クソアマが、図に乗るなァァァ!!』
ゾルバリオスは汚い人語で叫び散らし、最後の力を振り絞り、その牙をロキの首筋に突き立てようとした。
だが、
――ビュンビュン!――
――ドスッ!ドスッ!――
空中から飛来してきた黒白の夫婦剣が、ゾルバリオスの頭と首に命中した。
この奇襲によってゾルバリオスは反撃する機会と力を失い、そのまま此の世から消滅していった。
輪廻は鎧に纏わりついた返り血が浄化されていくのを見ると、すぐさま解除して普段通りの姿となる。
「ふぅ……キャスター、ありがとね」
「感謝されることではない」
振り向くと、そこには赤い外套の魔術使いがいた。
『見事だな、マスター。しかし、まだ……』
「そうね。ゲートの後始末といきましょう」
”断ち切ってくれ、我々の未練を”
”早く魂を斬って”
”助けてくれ、この呪縛から”
墓石の陰から溢れ出てくる死人たちの声。
これらの無念は陰我となり、ホラーの出現箇所たるゲートになってしまう。
今回のゾルバリオスの出現は、此処が教会の近くということもあって立ち入りに遠慮した自分の責任だ。
輪廻は魔戒剣の切っ先を墓石の影、一つ一つに突き刺すことでエレメントを浄化していった。
「……そろそろ魔戒剣に邪気が溜まってきたわね」
『少し歩くが、今なら魔戒道が使える場所がある』
「案内お願いね、ヴァルン。……キャスター、行くわよ」
「あぁ」
*****
アインツベルンの城。
アイリスフィールはサロンでの会議を終えると、少しばかり城の中を歩き回っていた。
如何にアインツベルンの領地とは言えども、ここは彼女にとって初めての場所。きちんと内部構造を知っておくべきと判じたのだろう。
一階、二階、三階等々、粗方のフロアを見終えると、最後に屋上のバルコニーを見ることにした。
しかし、そこにはたった一人の先客がいた。着古したコートに、無精ひげ、これが彼の特徴だった。
「……切嗣」
今の切嗣は殺し屋ではない。
殺し屋の稼業は九年前に止め、その後の時間の全てを聖杯戦争のための準備と、妻子との幸せに時を費やしてきた。
故に、今の彼はかつての衛宮切嗣ではなく、一人の父親であり、一人の脆弱な人間に過ぎない。
「切嗣、あなたは……」
「もし僕が……」
アイリスフィールの戸惑うような声に反応したのか、切嗣は一方的に話をしてきた。
「もし僕が今ここで、何もかも投げ出して逃げると決めたら――あいり、君は一緒に来てくれるか?」
「イリヤは……城にいるあの子は、どうするの?」
「戻って、連れ戻す。邪魔する奴は全員殺す」
それは切嗣にとってどうあっても実現させたい望みの一つ。
1人の家庭人として抱く至極当然の想い。
「それから先は――僕は、僕の全てを僕らのためだけに費やす。君と、イリヤを守る為だけに、この命の全てを」
叶えたくとも叶えられない夢。
かつての切嗣ならこのようなことは死んでも口にしなかっただろう。
そんな彼を、無情な殺人マシンに人の心を与えなおしたのは、紛れもなく家族の温もりだ。
アイリスフィールは弱さも含めて、切嗣のことを心から愛している。だからこそ苦悩する。
今の衛宮切嗣に必要とされるのは、魔術師殺し時代の冷酷無慈悲な行動と決断。
勝利の鍵となるそれを錆びつかせたのが自分と愛娘だと思うと、より心を抉る感触が沸いてくるのだ。
「逃げられるの?私たち……」
「逃げられる!今ならばまだ!」
切嗣が内なる感情と本音を爆発させるように叫んだ。
例えそれが絶対に叶わないモノだと知りつつも、否、叶わないと知っているからこそ。
それを誰よりも知っているからこそ、
「嘘ね」
慟哭する切嗣の背中を、アイリスフィールはそっと優しく抱きしめた。
「それは決して嘘よ。貴方は決して逃げられない。聖杯を得られなかった自分を、世界を救えなかった自分を、貴方は決して許せない」
アイリスフィールは閉じた眼に涙をため、
「きっと貴方自身が、最初で最後の断罪者として――衛宮切嗣を殺してしまう」
彼女が思う限り、必ずそうなるであろう未来を語った。
切嗣は静かな口調で、もう一つの本音を語った。
「怖いんだ。――奴が、言峰綺礼が僕を狙っている。舞弥に聞いた。奴は僕を釣る餌としてケイネスを張っていた。行動を読まれていた」
切嗣にとって最大の敵とは、慢心しない相手であり、心理が読めない相手だ。
傲慢な感情がないということは油断をしないこと、裏を書きにくくなること、背中を狙えないこと。
心理が読めないということは、対処法すら不明になるということだ。
「君を犠牲にして戦うのに、イリヤも残したままなのに、一番危険な奴がもう僕に狙いを定めている。――決して会いたくなかったあいつが!」
「……貴方一人だけを戦わせはしない。私が護る、セイバーが護る、それに……舞弥さんもいる」
久宇舞弥は、アイリスフィールが苦手とする人物だ。
しかし、殺し屋時代の切嗣を知る彼女だけが、最後の最後で魔術師殺しの最大の支援道具となることを、アイリスフィールは理解していた。
しかしながら、そんなセンチメンタルに溢れた夫婦の弱弱しい慰めは、一人の侵入者によって終わりを告げる。
「―――ッ」
魔術回路に響いてくる嫌な感覚。
アインツベルンの森の結界を強引に突き破ってきた者がいる証拠だ。
「切嗣……」
アイリスフィールは切嗣を抱きしめていた腕を離した。
今はもう、二人だけの時間には浸っていられない。
「敵襲か。舞弥が発つ前で幸いだった。今なら総出で迎撃できる」
戦場の空気を嗅ぎ取ったことで、切嗣の表情が変わった。
まるで血の匂いを嗅いだ鮫のように。
「アイリ。遠見の水晶玉を用意してくれ」
そこには魔術師殺しがいた。
*****
南の番犬所。
そこには神官のヴァナルが輪廻を待ち構えていたかのように佇んでいた。ただし、雰囲気が何時もと微妙に違う気がする。
普段の輪廻が此処に連れてくるものは相棒のヴァルンだけ。そこに実体化したサーヴァントが追従しているのだから、その所為かもしれない。
「…………」
狼のオブジェの口腔へと魔戒剣の刀身を突っ込む輪廻。
そして刀身を引き抜き、邪気は歪な短剣として封印された。
何時もと変わらず、輪廻はその短剣をヴァナルに投げ渡した。
キャスターはその様子をただただ無言で眺めていた。
何しろこのような光景は一流の魔術師や死徒二十七祖であろうと滅多にお目にかかれないのだ。
興味を抱かない方が可笑しいだろう。
ついでに輪廻は、懐から瓶に入った青い秘薬「リヴァートラの刻」を取り出して一気に中身を飲み干す。
そしてゾルバリオスによって切り裂かれた右腕を、魔導火で包み込んだ。
まるでナトリウムでも燃やしたかのような綺麗な黄金の火は、僅か十秒で深い傷を癒した。
「それじゃあ、また。行くぞ、キャスター」
「……」
主人の言葉に、キャスターは黙ってついていく。
しかし、
「聖よ」
「何だ?」
男くさい口調で輪廻がヴァナルに返事をした。
「君に一つ、重大な報せがある」
その時のヴァナルの声音は相当なまでに珍しく、心なしか楽しそうに聞こえてきた。
「何?さっさと言えば?」
「実はな、冬木に新たな騎士を呼び寄せた」
「……なぬ……?」
素っ頓狂な声がした。
*****
アインツベルンの城では、セイバー陣営一同が再びサロンで会し、戦闘準備にかかっていた。
切嗣と舞弥はケースから銃火器の類を取り出し、弾丸の装填などを行っている。
アイリスフィールは遠見の水晶玉を用いることで森内部の様子を探り、その横でセイバーが状況を見守っている。
「……いたわ」
水晶玉には、たった一人の騎士が映し出されていた。
銀灰色の鎧に猛禽の顔をした兜、背にはボロついたマントがついている。
「あれもまたホラーなのでしょうか?」
「多分、そうでしょうね」
水晶に映るホラーは余裕綽々の歩調で森の中を進んでいる。
挙句の果てに、ホラーはカメラ目線よろしく、アイリスフィールとセイバーに視線を向け、指を小刻みに横へ振りながら”チ、チ、チ”と舌を鳴らしている。
「千里眼が見破られている……!?」
『何の前置きもなく土足でやって来て申し訳ない』
水晶に映し出された騎士は恭しく頭を下げて挨拶した。
『我が名はフォーカス。一介の剣士として騎士王と果たし合いたく参上した』
名を明かし、目的を明かした孤高のホラー剣士は、静かに佇んでいる。
まるでセイバーが出てくるのを待ち受けているかのようだ。
だが、如何なる態度による申し出であろうと、この状況下でノコノコと姿を晒すバカはいまい。
フォーカスもそれを理解したうえで奇妙なまでに礼儀正しい挨拶をしたのだろう。
『フッ……やはり素直に出てきてはくれぬか。ならば―――』
フォーカスは両手の籠手から魔双刃を迫り出させると、両腕を上方に構えた。
それと同時に魔双刃には紺色の炎が灯り出す。
『魔炎邪装―――双月斬ッ!』
そして、振り下ろされた一対の矛から放たれたX字型の斬撃は、行く手を遮る木々を燃やし尽くしながら一直線に突き進んでいき、そして―――
*****
アインツベルンの城。
その正面玄関とも言える分厚く巨大な扉は、閂諸共粉微塵に吹き飛ばされた。
扉の破片には紺色の残り火が未だに燻っているが、そんな些事など踏み潰しながら彼は真正面から堂々と踏み入ってきた。
『ならば―――オレが出向く以外に無いか』
とても人食いの魔物とは思えない程にさっぱりとしたやり口。
『邪魔するぞ、セイバー』
またもや行意よく挨拶しながらホールを前進していき、奥に繋がる階段に足を掛けたとき、
「よくぞ来た。ホラー・フォーカス」
銀色の甲冑に青いドレス姿の女騎士、セイバーが出迎えた。
「かなり手荒い遣り方だな」
セイバーは破壊された門を見て率直な感想を述べた。
『鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトトギス。鳴かぬなら、殺してしまおう、ホトトギス。……この国の武将らが残した俳句とやらだ。どういう意味か解るか?』
「ある程度は。恐らく、ただ待っているだけでは仕様がない――という意味か?」
『まぁそのようなところだ。本来は、それぞれにもう一つずつ意味が付け加わるのだがな』
などと、日本に伝わる有名な俳句の簡単な講釈をする魔物。
ハッキリ言ってシュールすぎる。
だが、こんな話をしていても、それこそ意味がないという物だ。
フォーカスは再び階段に足を掛け、魔双刃を構えた。
セイバーも不可視の剣を片手で構える。
互いに鋭い眼光で相手を睨み付け、どのタイミングで刃を解き放つかを図り合う。
しかし、その必要はなかったらしい。
「ハァァァア!!」
『雄ォォォオ!!』
――ガギン!ガギン!――
剣と剣がぶつかり合うことで発生する独特の音。
だが、その旋律はお世辞にも整ったモノではなく、一方的な美意識を押し付けたかのような印象を受けた。
片腕だけのセイバーは全力での攻撃ができない。その分できるだけ動きを最小限にして隙を失くし、軽快に動いている。
だがフォーカスは五体満足の状態である為、何の制約も受けずに実力を発揮できる。
セイバーとフォーカスの剣の腕は恐らく五分五分。
互いに長い年月をかけて積み上げてきた戦いの経験も達人を越えた域にある。
ならば、今現在のコンディションンがそのまま勝敗の行方を左右するはずだ。
最悪なことに、セイバーは左手を封じられたことで本来の宝具を開帳できない状態だ。
このまま戦いが長く続いた場合、いよいよ以て令呪の助けを借りて起死回生の機会をつくるしかなくなるだろう。
「……くッ……」
『どうした騎士王?それでもセイバーに座する剣の英霊か』
一度距離をとり、双方ともに剣を構えたままほんの僅かに身体を休める。
ただし、フォーカスとは違い、セイバーには余裕がなく、勝敗は火を見るより明らかだと思われた。
だが、そこへ―――
「おやおや。コイツァまた面白そうな塩梅じゃないですかい?」
軽々しい口調をした男の声が聞こえてきた。
この場所、この状況――それらを考慮して、この声の主は表の世界の人間ではないことは明らかだ。
森を抜けて門を潜って城に入ってきた一人の青年。
紺色のコートを羽織り、首にはカブト虫とクワガタ虫を組み合わせたかのようなペンダントをかけた茶髪の男だ。
『何だ貴様は?』
折角の名勝負に水を差されたことをひどく不服に思ったのか、フォーカスは棘のある声色で尋ねた。
訊かれた青年は驚く程に素直に答えを口にした。
「俺は英国の管轄から派遣されて来た、デューク・ブレイブ」
デュークと名乗った青年は、コートの内側から一本の煙草を取り出して口に銜えると、オカルティックなライターを着火させる。
着火口から出たのは、カルシウムを燃やしたかのような橙色の魔導火。
デュークは煙草を一吸いして一服すると、すぐに煙草を捨てて靴で踏み潰した。
「そして、称号は―――!」
コートの内側から抜刀された二振りの魔戒剣。
デュークは自分の頭上に掲げた魔戒剣を用いて二つの円を描いた。
描かれた円は一つの大きな円となり、門となって現世と魔界を繋ぐ光を齎す。
そうして、光が収まると、そこにはもうデュークの姿はなかった。
代わりにいたのは、一人の騎士の姿。
狼の如く鋭い目付きをした橙色の瞳。稲妻を模した両肩の装甲。腰回りから踝にまで垂らすように着け、前の開けた漆黒の魔法衣。
そして何より、輝くように高貴な金属光沢を放つ紫色の鎧で全身を覆い尽くした、英国きっての凄腕魔戒騎士。
「紫電騎士―――狼功」
二刀流の銃剣使いが、冬木の地に参陣した……!
ヴァルン
「人は何時でも戦いを求め、武器も時代と共に変わっていく。
それは魔戒騎士といえども例外ではないだろう。
次回”銃剣”―――こいつ、かなり出来るな……!」
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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