狼姫<ROKI>
光明

冬木市の深山町の学び舎、穂群原学園。
今や謎の濃霧によって校舎周辺が完全に覆われ、外界との連絡が一切つかない孤立無援の陸の孤島と化している。
若く瑞々しい生気に満ちた若者たちを数百人単位で収容しているここを、あろう事かホラーの大群が襲ってきたのだ。
しかし、闇が濃ければ濃い程、それと遂になる者が輝きを増していく。

闇の魔獣ホラーと光の魔戒騎士。

どちらによるかは、人々の心が命じるままに。









――斬ッ!――
――ズバッ!――
――ザシュ!――

穂群原学園の校庭。
そこで三人の戦士たちが勇猛果敢に剣を振るい、素体ホラーの大群を斬り伏せていった。

黒い長髪に黒い浴衣じみた魔法衣、足には下駄を履き、左手の中指に奇妙な指輪をした女。
黒い柄と鞘の――日本刀型の魔戒剣の一太刀で屈強なホラーたちを切り裂く彼女の名は聖輪廻。

白い髪に褐色の肌、赤い外套を身に纏った恰幅の良い長身の男。
両手に持った黒い陰と白い陽の中華刀、干将莫耶を巧みに振るう彼のクラスはキャスター。

青いドレスに銀の鎧と手甲を纏った金髪の小柄な少女騎士。
宝具「風王の結界(インビジブル・エア)」によって透明となった聖剣を握りしめた騎士王セイバー。

ホラー達の策略によって発生した濃霧によって学園を孤立無援にした挙句、素体ホラーを差し向けることで生徒たちをパニックに陥れた。
そこへ現れた彼らさえも敵と認識させるような校内放送で生徒たちが輪廻らをホラー共々迫害するように差し向けたが、それは結局のところ、失敗に終わった。

喰わせろ(スヤテモ)ぉぉぉ!!』

渇きと飢えに身を任せ、人の魂を求めながら襲い掛かるホラーたち。
切り裂いても切り裂いても、減るどころか寧ろ増していく感覚さえ覚える程の出現率。
流石の百戦錬磨の剣士たちも痺れと息が切れそうになる。

『ギィィィィィ!』

そこへ、一体の素体ホラーが輪廻の背後をとった。
度重なる激しい動き、キャスターへと供給する魔力など、三人の中で最も消耗が激しい彼女が真っ先に狙われた。

「ッ!」

疲労の所為で反応が一瞬遅れ、気づいたときには魔物の爪が目と鼻の先にある。
輪廻は少しでも早く突きを繰り出そうとするも、時すでに遅し。

爪は彼女の柔肌を引き裂―――

――ドカッ――

『ギッ!?』

――ザグッ!――

かなかった。

何かがぶつかった衝撃で手元が狂った素体ホラーは得物を仕留められず、逆に胴体を切っ先で貫かれて四散してしまった。

「マスター、大丈夫か?」

キャスターは輪廻に駆け寄り、そう尋ねた。

「えぇ。でも、これって……」
『机だな』

指にされている一つ目の指輪、ヴァルンが校舎から飛んできたモノを見て簡潔に述べた。

「しかし、我々を狙った物ではないようですね」

セイバーが机の飛んできた軌道からそう察する。
となると、最初からこの机はホラー目がけて投げつけられたということになる。
今まで散々自分たちを魔物と同列視してきた生徒たちがそんなことをする理由……。

『ほらほら、油断してはなりませんよ。貴女達に、この子たち全員の命がかかっているのですから!』
「ね、姉さん?」

校内放送のスピーカーから聞こえてきたのは輪廻の姉である雷火の声だ。
何時の間にこの霧の中、しかも放送室に入り込んだのか。だが、彼女がそこにいるということは、先程までくどい演説をしていた生徒は排除されたのだろう。
そして、直接戦場に赴かず、こうして放送を行っているのは―――



「「「「「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」



生徒たち全員が、輪廻たちを味方と認めたからに他ならない。
校舎の窓という窓から歓喜の顔をみせる生徒たち。拍手喝采と聞き間違えてしまいそうな方向が霧の中に響き渡る。

「さっきはありがとう!とってもカッコ良かったよぉ!」
「疑ってしまって、すいませんでした!本当にごめんなさい!」
「頑張ってください!カッコいいお姉さん!」

先刻、輪廻が助けた三人の女学生が口々に大声で言った。
きっと彼女たちが誤解を解いてくれたのだ、と輪廻はすぐに悟った。

『もう誰も間違えはしません。貴女たちが皆の味方なら、此処にいる皆が貴女たちの味方です!』

雷火の放送に応え、生徒たちの喝采がさらにヒートアップしていく。
その声を耳にして、輪廻たち三人の心に何かが染み渡った。

人類の希望となるべく生まれた魔戒騎士。
だが、ホラーの性質上、その存在を大っぴらにできず、人命を救っても場合によってはホラーごと友人や家族を葬られたとして遺族に恨まれることがある。
そんな人々の羨望からは最も遠い位置にいる哀しい剣士たちが魔戒騎士なのだ。

だけど、今だけは違う。
かつて望んでしまった称賛の声。吟遊詩人に語り継がれるべき騎士としての本懐。
それがまさか、このような形で叶うとは。

「…………」

輪廻は柄を握る力を無意識に強め、口元を綻ばせた。
とうの昔に諦めきっていた何かを奮い起こしてくれた姉に、そして自分たちを認めてくれた生徒たちに、精一杯の感謝を―――!

しかし、

喰わせろ(スヤテモ)ッ!』
喰わせろ(スヤテモ)ォ!』
『『『『『おぉぉぉおぉぉぉぉぉ…………!!』』』』』


感動の空気をぶち壊すように、ホラー達が一斉にその爪と牙を、あろうことか周囲の同胞たちに向けたのだ。
次々と隣の同族に牙を突き立てていく素体ホラーの群れ。生徒たちはその光景を共食いと表現したが、実は大いに違った。

「こいつは……」

ホラー達が互いに喰い合う度に、その影は勢いづいたように伸びていく。
太陽の光がまともに届かず、ブロッケン現象さえ起きり得ない濃霧の内部状況でそのような事が起きるという事は、つまり。

『『グァァァ……!』』

本当に奴らがその体躯を変えているという証。

「合体して、巨大化した!?」

素体ホラーをそのまま数段階スケールアップさせたような二体の巨大素体ホラー。
その体長は合体前とは雲泥の差で、頭の角が校舎の屋上にまで届く程だ。
生徒たちはこの光景を目にして悲鳴にも似た声を上げたが、それを打ち消すような下駄の音が校庭に響いた。

『マスター』
「大丈夫よ、ヴァルン」

中指で喋る相棒に、輪廻が力強い声で答えてみせた。

「今まで生きてきて一番、魂の底から気力が湧き上がる!」

彼女は勢いよく魔戒剣の切っ先を天上に向けた。

『ジャアアアアア!!』

巨大な素体ホラーの一体が拳を握り、それを輪廻に向かって下した瞬間、



「烈火炎装ォォッ!!」



巨大ホラーの胴体が真っ二つに裂け、切り口から金色の炎が溢れだした。
背後には巨大ホラーの身を貫き、空中で黒いマフラーを棚引かせながら自由落下する真紅の狼の姿があった。

「「「「「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」」」」」

爆散する巨大ホラーと共に地上へと足を着けたメタリックレッドの女騎士の様子に、生徒たちの歓声は否応なく高まった。

――ガルル……!――

マフラーで隠された口元から咆哮が漏れ出す。
彼女の名は紅蓮騎士・狼姫。人々を守りし奇跡の剣士。

(強い!)
(強すぎる!)

それを目にしたキャスターとセイバーは驚愕を禁じ得なかった。
如何に魔戒騎士が人知を越えたホラーとの闘いを常の務めとしているからとはいえ、あれほどの敵を一撃で葬り去ったのだから。
まるで、生徒たちの活力を直接分け与えてもらったかのようだった。

「あと一体!」

断罪剣を構え、残ったもう一体の巨大な融合ホラーに刃を向ける。
これさえ倒してしまえば、もうこの場にやって来た素体ホラー達は全て片付くはずだ。

「行くぞ、二人とも!」
「「―――ッ」」

そして、その仕上げは此処にいるヒーロー全員で行うべきだ。

「……了解した」
「守りましょう。私たちの剣で」

キャスターとセイバーは応え、ロキと肩を並べて剣を構えた。
まず最初に動いたのはキャスターだった。

「――鶴翼(シンギ)欠落ヲ不ラズ(ムケツニシテバンジャク)

唱え始められる漢詩。

「――心技(チカラ)泰山ニ至リ(ヤマヲヌキ)

それを唱えると同時に、キャスターは手にした干将莫邪に回転を与えるようにして投げた。

「――心技(ツルギ)黄河ヲ渡ル(ミズヲワカツ)

そこへもうワンセットの干将莫邪を投影し、再び回転させながら投げる。
投げられた計四本の中華刀は空中で舞い踊り、一度はバラバラの方向へと飛んでいくかと思えば、不意を突くかのように引かれあった。
融合ホラーを交差点にして。

「――唯名(セイメイ)別天ニ納メ(リキュウニトドキ)

交差点にされた巨大な融合ホラーの身には四本の宝剣が突き刺さり、僅かながら行動を阻害することが出来た。
キャスターはその隙を突くようにして駆け出し、さらにもう一丁の干将莫邪を投影した。

「――両雄(ワレラ)共ニ命ヲ別ツ(トモニテンヲイダカズ)

最後の一句が読まれた。
すると、キャスターの手にある干将莫邪の刀身が変化を起こし、まるで巨鳥の翼のような形となったのだ。
キャスターは上空へジャンプし、融合ホラーを見下ろせる位置にまで来ると、まるで重力を味方につけたかのようなタイミングで急降下を開始した。

「鶴翼三連ッ!―――叩き込む!!」

キャスターは上空から急降下する際に重力に従って、上から下へとホラーを切り裂いた。
更にはすれ違いざまに二刀で左右交互の二撃を浴びせていったのだ。

『ガアアアアアアアアアアアアアアア!!』

投影品でオリジナル程の力はないとはいえ、それでも名のある剣の刃を大量に喰らえば、滅することは出来ずとも相当なダメージとなるだろう。
小さな隙は大きな隙となり、次の攻撃に繋がっていく。

「セイバー」
「ロキ」

二人の女騎士が互いの称号を呼び合い、同時に頷いた。
同じ女騎士として何かが通じたのか、二人はアイコンタクトだけで意見をぶつけ合い、そして一瞬で結論を出して動き出す。

風王鉄槌(ストライク・エア)!」
「烈火炎装!」

次の瞬間、セイバーの聖剣を覆い隠す十重二十重の風の膜が一気に解放され、セイバーの怒涛の突きと共に一本の暴風となった。
竜巻に衝突したかのようなあまりの風圧にホラーが一瞬ながら怯んだその瞬間、もう一つの嵐が突き進んできた。

その有り様はまるで火災旋風のようでありながら、光り輝く金色が神々しい華やかさを演出していた。
渦の中心には炎の源たる者がおり、その両手で確と握りしめた剣を振り上げながら舞い上がっていく。

「オオオォォォォォ!!」

そして、浄化の炎を纏った鎧と剣が、悍ましき混沌の獣を一刀両断に斬り裂いた。
それは決して歴史には刻まれずとも、濃霧の中で歓喜の声を上げる若者たちの心に、しっかりと刻み込まれた。





*****

一方、ロックとフォーカスの二振りの剣戟は、時間と共に火花を散らしていた。

――ザギンッ、ザギンッ――

巧みな動きで振り回される魔双刃と狼銃剣。
同じ双剣を用いた演武は、以前の城での戦いとは異なり、拮抗した良いモノとなっている。
フォーカスは対峙した相手が強くなっていることに剣士としてのプライドが喜び、ロックは孤高の騎士の底知れぬ強さに僅かな畏敬を感じた。

『ほお。以前よりは出来るようになったか』
「前に一度やり合えば、動きはある程度掴めるさ」
『言ってくれるな、若造』

一旦距離をとり、軽口を叩き合う両者。
このようなやり取りは、普通の魔戒騎士とホラーの間では有り得ないことだが、フォーカスの性格が騎士然としたものであり、デュークの性格も規格に囚われない奔放なものであることが大きい。
何より、ホラーとでは決して起こり得ないと思っていた正々堂々の一騎打ちの勝負など、デュークから言わせればあまりにも斬新で面白いものに思えたのだ。

「ところでよ、この霧は何時になったら晴れるんだ?」
『案ずるな。霧の元手となった邪水は既に尽きている。じきに晴れるだろう』
「そうかい。なら、それまでの間―――」
『ああ―――たっぷりと遊んでもらうぞ!』

――ズァギンッ!ズァギンッ!――

誰も止める者がいない中、二人の双刀の剣士はけたたましい剣戟を響かせ合った。





*****

穂群原学園、放送室。
ホラーたちの殲滅が終わり、雷火はほっとしたように溜息をついた。
その手には生徒会員だった男のなれの果てである短剣が握られており、雷火は機械の全てのスイッチを切ると、短剣を自分の胸に突き刺した。

「ん……っ」

刃が肌に当たり、冷たい鉄の感触が伝わると、艶めかしい声が漏れた。
次第に短剣は彼女の肌に食い込み、一滴の血も流すことなくズブりと飲み込まれていく。
ホラーの血肉と魂を喰うことで命を維持している不完全な不老不死。
世界広しと言えど、このような方法で食事を行う吸血鬼など、雷火以外にいないだろう。

「―――もう済んだか?」
「おや、貴方ですか」

ドアを開け、声をかけてきたのは一人の男。
みすぼらしいウインドブレーカーとそのフードをしているのは、雷火の使い魔にして付け焼刃の魔術使い兼魔戒法師の間桐雁夜。

「随分派手にやったな」
「えぇ。ほんの一時でも、ね」

寂しそうに答える雷火。
そう、如何に濃霧の中で行われたこととはいえ、学園の生徒たちがホラーと魔戒騎士、そしてサーヴァントの闘争を間近で目撃した。
魔術と同じく、世界の均衡を保つべく、闇に生きる者たちの存在は秘匿されるのが暗黙の了解だ。

「……そっか」

雁夜もそのことは重々承知している。
手にした魔導筆には既にとある術を発動させる準備が整っている。

「じゃあ……霧が晴れたら、消すぞ」
「はい。お願いします。私は先に屋敷へ戻りますので」

記憶の忘却。
それを口にした時、影の主従は虚しそうな表情を揃えた。





*****

町の一部とはいえ、真昼間から極めて不自然に発生した濃霧。
それは当然のことながら一般人にも認識され、奇怪な現象として注目された。
先のヘカトンケイルの一件といい、聖堂教会と魔術協会はこぞって隠蔽工作に明け暮れる羽目になった。

おまけに如何いう訳かさまざまな指示を出すはずの璃正神父が眠ったまま一向に目を覚まさない所為もあり、作業の効率は落ちに落ちていた。
そうなるとこの冬木を管理する時臣にも出番が回っていき、璃正神父に代わって指揮を執ることになった。
思い返せばこの聖杯戦争、準備段階では全てが順調だったというのに、蓋を開けてみればこのザマである。

アーチャーは単独行動で夜の帝王なみに街を闊歩し、予期せぬホラー達の出現、さらには此度のような騒ぎの連発、璃正神父のリタイア。
だが、何より痛いのは、璃正神父の片腕から報奨となっている予備令呪が一画も残さず消えていたという報告だった。
もしこの事がほかの陣営に知られれば、場合によってはホラー討伐に対して消極的になり、事態を速やかに解決するために貴重な令呪を使って英雄王に動いて貰うことになるだろう。
そうなればもう令呪は使えないうえ、ギルガメッシュの機嫌を大きく損ねてしまう。

時臣はこの理不尽としか言いようのない不幸の数々に、思わずワインを一気飲みしてやりたくなる程に頭を痛めていた。

「……はぁ……」

工房の机に向かいながら深く溜息をつく。
今となっては孤軍奮闘――便利な監視屋も自慢の弟子もいない。

そう。言峰綺礼が失踪したのだ。
ヘカトンケイルの事件の際、ドサクサに紛れるかのようにして消えた若き神父。
時臣にとって彼は、謙虚で寛容、物覚えも良く修行の内容もスポンジのように吸収していく。
その苦労を厭わぬ努力には、時臣も思わず感心するほどで、彼のような弟子を持ち戦力とすることができたのは幸運だった。

それが、遠坂時臣から見た言峰綺礼への評価だった。
そう―――他人からの評価だ。

「お悩みの用ですね、導師」
「っ―――!」

突如聞こえた渋い男の声。
聞きなれたその声を耳にした時、時臣は即座に椅子から立った。
身体を180度回し、後方を視界に入れると、そこには見慣れたカソック服を纏った男がいた。

「綺礼……」
「数刻振りですね」

一体何時からそこにいたのか、どうやって魔術セキュリティを掻い潜ったのか……今はそんなことなどどうでもいい。

「綺礼、今まで何をしていた?」

決して波を立てぬ口調でゆっくりと問い詰める。
怒鳴るように問い質すなど優雅ではない。如何なる状況でも冷静沈着に努め、余裕のある態度をとる。
それこそが遠坂家の家訓なのだ。

「…………」
「君が居ぬ間に何があったか把握しているか?」

沈黙する綺礼に時臣は質問を変えた。
決して責めるために問うのではない。純粋に弟子の安否を気遣ってこそ、時臣は綺礼の動向を気にしたのだ。
それを遠回しながら伝えるためにしたのがこの質問だ。

「我が師よ」
「何かね?」

話してくれる気になったのか、と思い、時臣は少しだけ身を乗り出すようにして愛弟子の言葉に耳を貸す。

「アーチャーを戒める楔を頂戴します」

その唐突極まる言葉を聞いたとき、時臣は内心で大いに驚いたものの、すぐに机に置いてある紅茶を一口飲んで落ち着きを取り戻して顔を弟子に向ける。

「ふう……。冗談にしては些か笑えないかな。緊張を解してくれるのは嬉しいが、もう少し―――」
「我が師よ。念のために言っておきますが……」

綺礼は時臣の言葉を遮り、そこで表情を変えた。
ゆっくりながら、今まで時臣に見せた事が無い、口元を歪ませた顔へ。

「私は、頂戴します、と言ったのですよ」

――ズバッ――

言葉が終わったのとほぼ同時に、何かが何かに接触した。

――トサッ――

そして、軽い音を立てて何かが床に落ちた。

「初めから、貴方の意見など聞いてはいません」

視界が暗転する直前、遠坂時臣の目に映ったのは、見た事も想像したこともない綺礼の愉悦に満ちた笑顔。
そして最後に、床で小さな血だまりを造っている自分の右手だった。

「―――ふん。あまりにも呆気なく、そして退屈な幕切れよな」

そこへ実体化して現れたのは、現代の高級ブランド服で全身を固めたアーチャー。
彼は霊体化して事の一部始終を眺めていたのだろう。

「そう言うな。霊体化したサーヴァントを侍らせておいたのなら、油断の一つや二つは生まれる余地がある」
「そのような些末事はもう良い。所で綺礼よ、貴様はここから如何するつもりだ?」
「そうだな。今の私は単なるはぐれマスターに過ぎない。となれば、逸れサーヴァントにでも命乞いをするだけだ」

綺礼はその名前の”礼”とは無縁の傲岸じみた態度でギルガメッシュに己が意図を口にした。
切り落とされた右手を拾い上げ、己の右腕に近づけることで、右手の二画の令呪が消失し、右腕の令呪群の一部として吸い上げられた。

「汝の身は我がもとに、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば答えよ―――」

そして唱える。
マスターがサーヴァントを呼び寄せ契約する為の詠唱を。
だが、ここにもう一節を加えることで、とある効力を発揮するのだ。

「―――我に従え。ならばこの運命、汝が剣に預けよう」
「誓おう。汝の供物を我が血肉と為す。言峰綺礼、新たなるマスターよ」

この瞬間、ギルガメッシュと綺礼との間に霊的なラインが紡がれた。
こうして、”第八の契約”が成立した。
全ては、暗く、深い、闇の中で―――。





*****

深山町の一区画をしっぽり覆い尽くしていた濃霧。
それは徐々に晴れていき、昼間からホラーが出現するという規格外の出来事が終わっていく。
気象的に有り得ないことだけに疑問に思う人間も多いだろうが、その辺の後始末は聖堂教会と魔術協会に任せる以外に無いだろう。
そう思いながら、輪廻はセイバーと別れ、キャスターを霊体化させてあの霧から脱出し拠点に帰還する道に入っていた。
先程の戦闘でかなりの三人の剣士は相応の魔力を消耗している。これ以上無駄に実体化させるのは拙いと判断したのだ。

「……可笑しい」

ふと、帰路の最中で輪廻が呟いた。

「どう考えても妙だ」
『確かに。ヘカトンケイルの件といい、今回の事と言い……ホラー達のやり口が大胆すぎる』

真夜中、濃霧―――といった予防策こそ張ってあるが、巨大なホラーと多数のホラーが現れ、多かれ少なかれ市井の人間に姿を晒す。
本来なら闇の世界の暗黙の了解を問答無用で突き破る行為ばかりだ。
ホラーの存在と特性が表の世界に知れ渡れば、大混乱は勿論の事、誰もが隣人を隣人と思う事の出来ない、疑心暗鬼に支配され、魔物を燻りだそうとする魔女狩りのような時代が襲来しかねない。
当然、そうなればホラーにとっても住みにくい世界となってしまうため、基本的にホラーは昼の間は大人しくしている。
にも関わらず、大量の素体ホラーが学校を襲うという異常事件。忘却の術を使う者がいなければ収拾のつけようがない無謀な手口だ。

「一度、情報を集めないといけないかな」
『ならば、早急に姉君達と連絡をとろう』
「そうね。塒に帰ったら、直ぐに―――」

そこで一度言葉を切らすと、輪廻は少し間を空けて何かを考えるように手を顎に当てだした。

『どうしたマスターよ?』
「直ぐに―――姉さんの拠点に集合しましょう」
『それは何故?』
「今にして思えば、今日暴れたのは私達だけよ。そこを付け込んでネズミを忍ばせる連中がいる可能性は否めないわ」
『そうか。龍洞ほど重要性の高い拠点は無い。ならば、姉君のいそうな土地(・・・・・・)が最適という訳か』

その口ぶりからして、この主従は雷火がどこを拠点にしているのか、既に見当がついているらしい。
バーサーカー、即ち間桐雁夜を手中にしている彼女なら、十中八九、間桐邸を棲家にしていると。
それに、そこは当の昔から周囲に知れ渡っている拠点ポイントだ。今更場所が割れたところで然程問題ではない。

「それじゃ、ヴァルン、宜しく頼むわ」
『あぁ。今すぐ繋ごう』





*****

デューク・ブレイブは今、鎧を解除し愛用の煙草で一服していた。
霧が晴れはじめた頃、フォーカスとの闘いが中断となり、彼はこうして人目に付きそうにない住宅と住宅の隙間に忍び込み、こうして煙草を吸っているのだ。
その体はクタクタのヨレヨレで、まるで寒中水泳やフルマラソンを終えたばかりのようにさえ見えた。

「あ〜、ダリぃ」
『今回も引き分けでしたね』
「引き分けっつーか、ただの時間切れだろ。判定とかあったら向こうが拳を上げてたぞ」

煙草を吸い、煙を吐きながらデュークが言い返す。
最初に戦った時に比べれば遥かにマシになっているが、その分向こうは本気を出してくる。
未だ埋めきれない決定的な差があることを、あのホラーは身を持って教え込んでくるのだ。
決して殺しはしない。怨敵であるはずの魔戒騎士を、まるで指導しているかのようにも見えた。

「やっぱ、らしくないよな。全然ホラーらしくない」

デュークが故郷であり管轄であるイギリスで斬ってきたホラーとは、無道徳で無慈悲で、残忍にして残虐な悪鬼羅刹の類だ。
人の皮を被り、人の心を惑わし、人の魂を喰らう。魔導具たちのような例外を除けば、決して人間と相容れることのない闇の化身。
しかも、土地が土地ゆえに時計塔の人間が憑かれていることも度々あり、討伐に際して協会とのいざこざは絶えなかった。

「あいつ……もしかしたら……」

そうして消去法で考えている内にデュークは思い立つ。
フォーカスという剣士の正体を。
純正のホラーならば有り得ない聡明さと誇り高さ、無駄なく精錬された剣戟の数々。
そして、力あるホラーの中には、人間を己が眷属とする者がいるという。

「―――――」

デュークは吸い切った煙草を吐き出すと、次の煙草を取り出して魔導火のライターで火を付け、そして銜えて煙を一息吸い込んで吐き出す。
とある一つの回答に至ったのだろう。だが、その表情は御世辞にも良いモノとは言えなかった。
それがもし正解だとすれば、きっと彼は……。

「おお、そのような日陰で何を燻っておる?」

と、そこへ無遠慮に大きな男の声が投げかけられてきた。

「…………おっさん」

眼球をグルりと回し視界をそちらに向けると、そこには褐色の肌と赤毛とマッチョが特徴的な巨漢の征服王がいた。

「随分とまあ派手にやりあったようだな」
「お察しのっていうか、見ての通りだな。ちょいと色々あってな。そっちこそどうしたんだよ?」
「なぁに。妙な霧が出て町の見晴らしが悪くなったんでの、ちょっくら原因を踏み潰そうと思ったのだが、霧の所為で迷っちまってな」

豪快に笑い飛ばすライダーだが、決して笑い事でない。
彼は今牡牛が引く戦車に手綱を握っている。つまり宝具を用いて移動してきたのだ。
最上級の神秘たる宝具を駆っても突破できないということは、如何にこの霧が厄介なモノかを証明している。
今になって、先に行かせた雷火はきちんと学校に行けたのか、という考えが脳裏をよぎってしまう。

「ところでよ、お前んところのマスターはどうしたんだ?」
「ん?あぁ、坊主なら伸びておるぞ。ホレ」

といって戦車の御車台から摘まみ上げてみせたのは、どういうわけか気絶したウェイバー。
一体何があったのか、と訊こうとするも彼の額に痣があることを目視すると、デュークにはオチが読めたのか、訊かないことにした。
そんな緊張感の欠けたこのタイミングで、デュークの首にさがっているルビネへとある連絡事項が入ってきた。

「―――!」

同じ魔導具からの連絡。
さぞや大きな案件でもあるのだろう、と思って耳を澄ませると、魔導具からは”間桐邸に集合されたし”という単調且つ明確な要望が聞こえてきた。

「おい、ライダー。一つ頼まれてくれないか」
「何をだ?申してみよ」

腰を曲げて視線を若干落として聞いてくるライダーに、デュークは傷だらけの身体を無理に立たせ、戸惑いの欠片もなく言い放った。

「俺を乗せろ。間桐邸までな」





*****

南の番犬所。
雷火は学校の生徒たちの記憶の処理を雁夜に委ねると、自身は逸早く間桐邸に帰還し魔界道を通ってこの場へ来ていた。

「すぅ……はぁ……」

目の前には白いローブと狐の仮面で全身を覆い隠した神官のヴァナル。
雷火を呼び出した張本人でありながら、呼び出した仮面の口から本物の口へと伸ばされた煙管を呼吸と共に吸って吐く。
まさしく他人を煙に巻くような印象さえ覚える姿だ。

「何の御用でしょうか?一体どうしたのいうのです?」

雷火が急かすように聞くと、ヴァナルは前置きすら置くことなく単刀直入に言ってのけた。

「ある得物を君に渡そうと思ってね。至急ここへ呼ばせてもらった」
「得物?それなら煉獄剣と鎧、そして異能だけで充分ですが」
「慢心とは君らしくないな、雷火。常に備えは必要だ。それに持っていても邪魔にはなるまい。持って行け」
「まあ、そう言うのでしたら頂きますが」

雷火が承諾すると、ヴァナルは頷いてフィンガースナップして番犬所の上方からある物を取り寄せた。
下りてきたそれは一本の三叉槍だった。ただし、色合いは蒼と黒の二色で、見る者に冷たさを感じさせる。

邪電槍(ジャデンソウ)。君の新しい刃だ」
「……よくもまあ、このような物を準備できますね」
「この聖杯戦争において、他のマスターたちが勝つことは必ず避けたいからな。こちらも支援は惜しまないつもりだ」

ヴァナルの言う事も理解できる。何せこの聖杯戦争の陰には決して零してはならない呪いがある。
人間の傲慢によって貶められた哀れな罪の魂―――拝火教の悪神の泥を被らされた者が胎動している。
人の世を影から守り続けた魔戒騎士として、それが現世に産声をあげることだけは何としてでも阻止せねばならない。

「君たちには期待しているのだからな」

と、ヴァナルが言い切ると、雷火は邪電槍を受け取りながらこう返した。

「わかりました。ご期待に添えますよう努力します」

お決まりともいえる言葉だが、武器をくれた事は素直に感謝していた。
称号持ちの騎士が扱うソウルメタルの武器は一個一個がオーダーメイドだ。
無論、製造にかける手間も無名の騎士が握る剣のそれを遥かに凌駕する。
生真面目な性格をしている雷火にこれを無碍にする気など微塵たりともなかった。

『おい、ヴァンプ』

そこへ今まで沈黙を守っていたバジルが口を開いた。

『妹さんから連絡だ。すぐ吾輩らの拠点に集合して欲しいとさ』
「ん?…………了解です」

その報せに少し疑問を覚えたが、自慢の妹の事、何か有る筈と思いあっさりと頷いた。

「それではヴァナル、私たちはこれでお暇します」
『あばよ』

そして軽く頭を下げ、雷火は邪電槍を手にして番犬所から立ち去って行った。

「……あと少しだ……」

誰もいなくなったこの空間で、ヴァナルは只一人ポツりと呟いた。





*****

深山町。セイバー陣営の拠点の武家屋敷。
真っ黒なダークスーツを着込んだ男装の麗人、セイバーはホラーを片付け終えて穂群原学園を後にし、ここへ戻って来ていた。

「…………」

一旦は分かれた魔戒騎士の主従から聞かされた聖杯戦争の真実。
それは御三家のひとつであるアインツベルンの家の者である主たちが知らない筈はない。
いや、中身のことは知らないかもしれないが、それでも機能を十全に果たす条件は知り得ていただろう。

「私は……」

騙されていた。
あの冷酷な真のマスターだけでなく、優しい偽のマスターにまで。
その認めたくない事実が、セイバーの胸中に暗い影を落としていた。
しかしながら、何時までもヘコたれていても仕様がない。

今は主たちの元へ帰還することが最優先事項だ。
アイリスフィールは未だ土蔵の筈。もしかしたら切嗣も見舞いに来ているかもしれない。
そんな考えを胸にセイバーは土蔵へと向かった。

「切嗣、アイリスフィール。只今帰還致しました」

土蔵の重苦しい戸をあけ、暗く冷たい空間へと入っていくセイバー。
厳密にいうと、薄暗い空間なのだが。

「あぁ……セイバー……」

床に横たわり、発光する魔法陣の恩恵を受けている弱弱しい貴婦人。
アイリスフィールはただ一人、セイバーに”おかえり”を言った。
セイバーは彼女の声をかける前に周囲を一瞬だけ見渡したが、切嗣の姿は認められない。

「申し訳ありません、アイリスフィール。貴女を独りにしてしまって……」
「いいのよ。切嗣が、会いに来てくれたんですもの」

その言葉を聞いて、セイバーは少しだけほっとした。
あの冷血漢にも、妻を思いやる気持ちがあることを確認できたのだから。

「それで、キャスターたちとの話し合いは、どうなったの?」
「……はい」

アイリスフィールは途端に目に力を入れ、真剣な眼差しでセイバーに問うた。
それを受けてセイバーは少し間を空けて自分の心を引き締め、穂群原学園で起こったホラーとの闘いを、そして輪廻たちが語ったことをそのまま姫君に語り聞かせた。
数分掛けて全てを耳にしたアイリスフィールは、話の途中で何度も表情をめまぐるしく変化させ、話が終わると、沈鬱とした顔になっていた。もし彼女が立てる体調なら項垂れていたことだろう。

「…………そう」

やっと捻りだした短い言葉。さぞや内心、混乱と絶望が巻き起こっているのだろう。
しかし、それらをギリギリのところで飲み下し、受け止めたことは称賛に値するはずだ。

「あの人には、聞かせたくないわね」

切嗣は外面こそは現実主義者だが、内面では理想主義者だ。
それこそ、世界に恒久的な平和を齎そうと、万能の願望機に縋る程に。
だがしかし、輪廻らから齎された情報が真実だとすれば、如何なる願いも水泡に帰すことになる。
今まで世界の為にと大より小を切り捨ててきた魔術師殺しとしての半生と、一人の家庭人としての半生。
その二つに挟まれている衛宮切嗣という男の心は、きっと熱し過ぎた鉄に行き成り冷水をぶちまけたかのように、パキりと折れるだろう。
全てを賭けたこの戦いが、徒労に終わることをしってしまえば……。

「ねえ、セイバー」
「はい。アイリスフィール」

騎士王は片膝をつき、姫君の声に耳を澄ませる。

「今の私にはもう、何もできないわ。だから、せめて―――」



”何があっても、私の分まで切嗣を守ってあげて”




その祈りに、騎士の誉たる王の応えはただ一つだった。





*****

穂群原学園。
ホラーたちは一匹残らず退治され、濃霧も晴れた此処は不気味な程、静かな空気で支配されていた。
当然だ。騒ぎ立てるような出来事など、一切覚えていないのだから。

「えっとぉ……」

知らぬ間に平和が戻った校舎で、一人の女生徒は荒れに荒れた学び舎の風景に戸惑い、右往左往している。
もっともそれはどの生徒も同じだが。

「何か私、大切なことを言ってもらったような……」

なんだっけぇ、と首をかしげる女生徒。
どうやら記憶処理の術をかけた人間が付け焼刃の状態で、しかもこれ程の大人数を対象としたため、完璧に記憶を消すには至ってはいないらしい。
しかしながら、大部分は綺麗サッパリ消え、僅かな残滓だけなのでホラーの存在が嗅ぎ付けられることは無いだろう。

「確か……綺麗な紅……、だけど、何で……?」

でも、この女生徒の心には脳細胞とは違うところに刻まれていたのかもしれない。

「大河ちゃん!先生たちが早く教室戻れって!」
「そうそう!全校集会だってさ!」
「う、うん!って、下の名前で呼ばないでよ、もう〜!」

級友たちに呼ばれ、その場を後にした彼女は、この後も記憶を完全に取り戻す事はなかった。
但し、

”守りし者”

というフレーズを唯一の例外として。
そしてこれが、光ある表の世界における魔戒騎士との長い付き合いの始まりに繋がっていくことを、この時の彼女は勿論、もう一人の彼女も知る由はなかった。




次回予告

ヴァルン
『自分のした事の顛末を考えた事はあるか?
時としては、正しいことが招く悲劇もあるものだ。
次回“復讐”―――人の心は正しいだけでは成り立たない』



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