狼姫<ROKI>
黄金
魔戒騎士。
それは幾千年も前から世界の影で暗躍する魔獣ホラーの脅威から牙無き人々を守るべく剣を執った者たち。
ホラーの骸より生成されるソウルメタルを用いて鍛え上げた武具を用いて陰我を断ち切る。
古代ローマの頃から存在が確認されているが、ソウルメタルの特性上、それを操れる男しかなれない。
しかし、そんな常識を打ち破る唯一無二のイレギュラー、女系の魔戒騎士の一族が日本に存在している。
一族の名は”聖”。
大魔導輪から鎧と剣を操る力を授かった血族。
だが、その力を授かった経緯は決して胸を張れるものではなかった。
当時の伴侶の独断で契約が結ばれ、その伴侶が闇に身を堕とすことで与えられた力だ。
それでも、得た力をどう使うかは初代を始めとした彼女達の心が決めること。
誰に命じられた訳でもない。歴代の当主は只、少しでも多くの人を救いたい、そう願ったのだ。
それから、約千年の時を重ねた末、現在の鎧の継承者は自身らの力の大本と会敵した。
彼女は大魔導輪を名乗る白の龍が巣くう邪なる聖杯を割ると決めて剣を振り下ろした。
そして、大聖杯に吸い上げられ蓄えられた全ての力が光となって一人の騎士を照らし出す。
大聖杯が置かれた龍洞の最奥にいる全ての者があまりの光量に目を瞑っていると、当の女騎士の声が聞こえてくる。
長い黒髪を戦いによって生じた風で棚引かせながら、和服型の魔法衣を纏い、左手の中指の魔導輪を身に着けた若い女騎士。
「我が名は狼姫、奇蹟の称号を受け継ぐ魔戒騎士」
決意の籠った声だった。
覚悟を決めた声だった。
「私は闇から生まれてきた、故に私は光を目指して歩むのだ」
始まりは独りの独断と独善から生まれた過ちだった。
この力は正道ならざる邪道のものであり、あってはならなかった。
「人の皮を着た魔物を討つ為に、牙無き人々を守る為に」
彼は許されざる罪を犯してしまった。この称号は罪の証なのかもしれない。
それでも、初代を想った彼の願いだけは決して無価値ではなかった。
血を通して祈りを、剣と鎧を通して誓約を、確かに受け継いできたのだ。
「絶望の中で希望を見出す強き只人、私は彼らを愛しているから戦うのだ」
為さねばならぬことを成し遂げるため。
誰に命ぜられた訳ではない。自分は只、一人でも多くの未来を守りたい。そう願ったのだ。
「それこそが魔戒騎士、それこそが守りし者、人は誰しも光である」
守りし者とは守るべき者の顔を思い浮かべて戦うことができる者のこと。
その人、あるいはその人達の為に命を懸けて立ち上がることができる者のことだ。
騎士も法師も只人も、力の有無さえ関係ない。大切な者を守る、それこそが肝要なのだ。
故に―――
「是即ち―――全ての騎士は希望の光となる」
今此処に彼女の世界が顕現する。
空には一際明るく輝く満月が昇り、大地には虹色の魔導火が灯る無量大数の複製された魔戒剣が突き立てられている。
それらは『ハガネ』と呼ばれる鎧を纏う無名の騎士たちが振るう物と同じ形状をしているが、宿る神秘は真作に匹敵する程に精巧だ。
青々とした夜の草原には心地よさを覚える風が吹き、七色の火の粉がゆらゆらと宙を舞っている。
先ほどまで展開されていた『無限の剣製』に近いようでいて明らかに別物といえる固有結界。
その世界の創造主は草原の中心地であろう場所に突き刺さっている自らの魔戒剣にそっと触れる。
力が未解放であることを示す日本刀としての姿。しかし、以前とは異なっている部分が見受けられた。
まるで”最高位の騎士”の剣のように、主の手が触れた柄の色が、刀身を納める鞘の色が赤くなっているのだ。
『貴様……』
そのことに誰よりも目敏く気が付いたのは大魔導輪を名乗る邪神・レヴィロン。
一目で分かった。この固有結界もそうだが、大聖杯に穿たれた大穴から溢れ出した光が彼女に何を齎したのか。
大聖杯と繋がり、彼女の一族に女騎士たらしめる力を賜してやった自分だからこそ気づくことができた。
「私の中に『彼ら』がいる。『彼女達』がいる。私に力を貸してやると言ってくれている」
左手で鞘を、右手で柄を握り、彼女は己の剣を大地から解き放つ。
「レヴィロン、貴様が生み出した紅蓮騎士は英霊達の輝きを受けて”変わった”。今の私は……」
抜刀して露わになった白刃。門となる円を描き、頭上から光が降り注ぐ。
脚に、手に、肩に、腿に、胴体に、そして顔を覆う狼の兜が高速かつ自動的に女の体を覆いつくしていく。
その鎧はかつての”真紅”ではなかった。
朽ちることのない永遠なる偉光を象徴する色。
魔戒騎士の中でも特級の実力を持つ者が名乗ると言われている称号を意味する光輝。
「我が名は狼姫―――黄金騎士だ!!」
今此処に、聖輪廻は名乗りを上げて宣言した。
過去たる紅蓮を乗り越え、今という黄金へと到達したその証たる名前を。
口元に巻かれていたマフラーは真紅のマントに姿を変え、眼光の色は鋼のそれとなり、魔戒騎士の紋章は短剣符型へと大きく変化した。
さらには、紅蓮の『断罪剣』は黄金の『英霊剣』へと生まれ変わり、魔を戒める十字架を模った威容を露わにする。
額と胸に菱形の紅い宝石を宿した絢爛なる黄金の全身鎧。それは時空を超えてこの地に集った初代を筆頭とした歴代紅蓮騎士の魂と、大聖杯に取り込まれた六人のサーヴァントの魂の力の集大成。
心の力を糧とし、時には未知なる変化すら起こし得るソウルメタル。今の狼姫の威容は彼女の言葉通り”英霊達の輝き”そのものである。
「天雅!」
呼ぶのは自身と同じく生まれ変わった愛馬の名。轟く号令がかの駿馬をこの世界に招き寄せた。
『ヒヒィィィン!』
緑の鬣と尻尾を生やした黄金の一角馬。
紅蓮騎士の『響赫』の新たなる輝きを得た姿、その名は『天雅』。
前足を雄々しく上げて咆哮すると、四足を以って燃え盛る大地を蹴り、猛スピードで敵めがけて主人と共に駆けていく。
背に乗る主人は右手で聖なる刃を掲げながら左手で手綱を握り、愛馬に一際高い跳躍を命じる。
「ハァッ!」
掲げた剣を気負いを込めて邪神の体を切り裂くべく振り下ろす。
―――ガギンッ―――
だが、その攻撃は分厚い不可視の障壁によって防がれる。
攻撃が不発に終わった騎士と駿馬は地上へと着地し、すぐさま体勢を立て直した。
『ン……!』
一方で邪龍もまた英霊たちの攻撃、特に無名の英雄が降り抜いた贋作の聖剣によりスライスされた腕を修復するべく魔力を集中させる。
『ヒヒィィィン!』
再び前足を上げて咆哮する天雅。
力強く地を叩きつけた蹄の音が周囲にガンと響き渡ると、振動は騎士の魔戒剣に届き、金色の光を纏いながら巨大化していく。
姿を現した狼姫の剣の銘は『七聖英霊剣』。
使い手の身の丈を超える大剣の刃が月光を反射し、妖しくも美しい光を放っている。
直後、天雅は蹄を地に叩きつけた衝撃を利用してもう一度大きく跳躍した。否、跳躍どころではない。
主を乗せた馬体が宙に浮かんだ途端、大空を羽搏く為の翼が生えたのだ。
まるでギリシャ神話に登場するメドゥーサの仔、ペガサスを連想させる黄金の魔導馬は空気を裂きながら前へ前へと進む。
馬体は鳴き声を上げると同時にバチバチと雷気を帯びていく。
征服王イスカンダルの戦車を牽く神牛が放つモノと同等のそれは瞬く間に最高潮へと達し、神代の縁を宿した猛烈な雷鳴を轟かせる。
「進めぇッ!」
ロキの命に応じて天雅は翼で空気を思い切り叩き、最高速で突進する。
その姿は紛れもなくライダーの宝具『神威の車輪』の力を解放することで発動する対軍宝具『遥かなる蹂躙制覇』そのものでった。
ビリビリビリ、バチバチバチ、という激しい雷撃とギリギリのタイミングで再生が間に合った両腕による防御が鬩ぎ合う。
レヴィロンが全力を腕に込めて守りを固めようとするが、今宵この時だけとはいえ英霊の宝具、それも全解放された一撃を受ければ決してタダでは済まされない。
遂に白いウロコで覆われた左右の腕は苛烈な攻めに耐え切れず、僅かな穴が空いたダムのように決壊した。
「ハァァァァァ!!」
抉じ開けた小さな隙間を縫うように突入した黄金騎士は白い龍へと肉薄する。
だが、忘れてはいけない。防御は決して物理的なものだけではないのだ。
先ほどの攻撃を弾いた魔力による防壁が再び張られ、突撃を阻まんとしている。
「切り裂け!」
しかし、そのような壁はもはや無意味も当然だった。
七聖英霊剣の刃に紅い光が灯ると、振るわれた大刃は魔力防壁を障子紙のように容易く切り裂いたのだ。
薔薇のように紅い光の正体はランサーの宝具『破魔の紅薔薇』の力に他ならなかった。
堅実な彼の実直さを現したかのようなその力の発露にレヴィロンは最早直接手で眼前に虫けらを握り潰そうとするも、それが冷静さを失くした握手に他ならない。
「甘い!」
ロキの狙いは攻防を兼ねる部位、左右の腕だった。
今度は黄色い光が刃に灯ると、勢いよく振り回した。
『グゥッ、アアアア!!』
肩口からバッサリと切断された両腕からは汚泥のようにどす黒い血がどばどばと溢れ出した。
しかも、いくら再生を促そうとも何かがそれを邪魔をして一向に腕が生え変わらない。
ランサーの第二の宝具『必滅の黄薔薇』の不治の呪力が働いているのだ。
『ギィ……!』
かなりの痛手を負いはしたものの、レヴィロンの眼から一層強い殺意が雷撃となって放たれる。
先ほど天雅が纏ったそれに匹敵するものが一つ、二つ、三つ、四つと出現し、大木のように枝分かれしてロキを追い詰めようとする。
幾ら天雅の翼で空を飛べるとは言っても、相手は雷。超高速でこちらを黒焦げにしようとしてくる。
ならば、これを躱す方法は―――
――ゴロゴロゴロッ!!――
という落雷の音を轟かせた雷撃。それはロキと天雅へと直撃し、一発でその姿を掻き消した。
続けて、二騎目、三騎目と雷は黄金に煌く主従を消し飛ばした。だが、まだいる。
滅ぼすべき対象は今この瞬間も増え続け、十人いると思った途端に二十人へと増殖している。
最早疑う余地すらない。
この能力は百貌と称されたアサシンの宝具『妄想幻像』の能力である。
実体を伴った分身体の数は今にも八十に届こうとしている。
木を隠すなら森の中、という言葉があるが、これだけの数の本人がいてはどれが本体であるのかなど見分けられる筈がない。
当然、レヴィロンといえどもそこに動揺と隙が生じた。
「―――投影、開始」
創造の理念を鑑定し、
基本となる骨子を想定し、
構成された材質を複製し、
製作に及ぶ技術を模倣し、
成長に至る経験を共感し、
蓄積された年月を再現する。
「―――投影、装填」
現れるのは一本の朱の長槍。ケルト神話の頂点たる師弟が愛用した必殺の兵器。
かつて紅海の洋上にいたとされる海獣の頭骨より拵えたとされるその槍の銘―――
「全行程投影完了」
そして秘儀の名は―――
「是、蹴り穿つ死翔の槍!」
湖の騎士の武練を借り受けることで今この瞬間だけ魔槍の絶技を再現する。
伝承の中に置いて、オリジナルの使い手はこの槍を蹴り飛ばして使ったという逸話が残っている。
一度飛び立った槍は三十もの鏃となって標的に降り注ぎ、突き刺されば敵の体内で三十の刺と化して炸裂する。まさしく神代のクラスター爆弾だ。
しかし、これだけの攻撃で”やったか”などと油断してはいけない。
此処から更に追撃を駆けて動きを封じる。そう、物理的に、徹底的に。
黄金の籠手で包まれた拳を掲げると、それに従うように大地に突き刺さっていた大量の魔戒剣たちが宙に浮かび上がる。
指揮者の意志を汲み、七色の炎で刀身を輝かせるそれらは主人の周囲に侍り、一定の間隔で並び陣形を作る。
陣形の形は縦に長く、絶妙に曲がりくねったそれは東洋の龍の似姿だった。
「行け」
振り下ろされる拳を合図に、全ての魔戒剣、それも烈火炎装されたものが一斉に邪龍めがけて飛来する。
尻尾の末端から腹部、そこから昇って胸と肩、さらには翼へと殺到する剣群。射出が完了したことで完成したのは巨大な標本。
大魔導輪や邪神を名乗っていたとは思えない程の……それこそまさに哀れと呼ぶほかない姿となった白い龍。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」
が、それでも尚、彼奴の意志は決して挫けてはいなかった。
唯一自由が残されている頭、もっと言えば口を大きく開き、龍の代名詞である業火の息吹を吐き出さんとしている。
喉元まで迫り、遠距離でも確認できるほどのそれは実際に放たれればこの龍洞すら崩落させかねない凶悪な破壊力を披露するだろう。
「勿論、読んでいた」
そもそも、首から上をわざと狙わなかったのは自分だ。
当然、敵に残された手段も容易に想像がつく。
黄金の腕は横へと振られ、最後にして最上の拘束手段を開陳する。
「繋げ、天の鎖」
空間に突如として出現する黄金の波紋。それを出入り口として高速で伸びるように顕現したのは鎖。
太古の時代、英雄王とその友がウルクに飢饉を招いた天の牡牛を捕えるために用いた神を律する鎖。
例え邪悪なる者に落ちぶれようとも、神は神。たった今、口を閉じさせたこの鎖の縛からは逃れられない。
『――――――――――ッッ!?』
ガチャガチャという音を激しく立てながら口を動かそうとするも、英雄王から一等の扱いを受ける鎖はその程度で振り切れはしない。
黄金騎士は天翔ける馬体の上で大七聖英霊剣を構え、ゆっくりと刀身を研磨するように撫で上げた。
すると、巨大な刀身は熱を帯びると同時に七色の炎で包み込まれていく。
ロキは剣を空へと向け、新たな境地へと至った奥義の名を高らかに叫んだ。
「烈火七竜!」
剣から解き放たれたのは赤、橙、黄、緑、青、藍、紫に分かたれた火炎の竜たち。
まるで一個の卵から生まれたかのように一斉に現れた七匹は獰猛な超高温で大気を振るわせて唸り声を成した。
七竜は躾けられた軍用犬のように見境なく暴れ回ることはない。理路整然とした計算された動きで的確にレヴィロンの肉体へと特攻し、その身を形作る浄化の炎で彼奴を焦がしていく。
これにより大蛇の体を縛っていた戒めの数々も焼け落ちていくが、そこに支障などはない。何故ならこれ程に強力な奥義ですら止めの技ではない。
もう一人の聖なる刃の担い手の最強にして最後の一撃に繋ぐために―――
「星の息吹よ、今一度……!」
騎士王の手にある聖剣が再び神々しい光を刀身に灯す。
左右の手で力強く柄を握りしめると、彼女の意識に己が契約者の声が響いてきた。
”残された令呪の全魔力を以って命ずる”
それはここにいない男の声。今や魔術師殺しでもなく、正義の味方でもなく、只一人の人間として衛宮切嗣は騎士王に最後の力を託す。
”セイバー……聖杯を破壊しろ”
「切嗣……。えぇ、決着をつけましょう」
命令内容を肯定し、セイバーはさらに強く柄を握りしめながら剣を大上段に構え、魔力を宝具に充填する。
人々の願いを原料とし、星の内海にて結晶・精製される形で鍛え上げられた最強の幻想。
「約束された――――勝利の剣!!」
充填された魔力は”光”に変換され、集束と加速により運動量を爆発的に増幅し、大上段から全身全霊で振り下ろされた剣からは光の断層による”究極の斬撃”が解放される。
その様相はまるで光の帯、光の波、あるいは黄金のフレアといったところだろうか。指向性が付与された極大の超々高エネルギーは眼前に広がる全てに破壊を齎した。
刮目せよ、恐るべき邪神。それは遍く闇を退ける聖道の光、人の想いから生まれたカタチなのだ。
輝ける祈りの奔流は地に突き立てられた剣の群れを、七色の炎さえもを飲み込みながら迷いなく直進する。
レヴィロンは咄嗟に両翼を盾代わりに閉ざすが、今やそんなものは光も音も漏れる障子にも劣る膜でしかない。
瞬く間に防壁とした翼は粒子となって消失し、遂には無防備な本体へと極光が鉄槌の如く叩き込まれた。
人類最強の聖剣エクスカリバーの必殺の斬撃は真正面から直撃し、余すところなく邪悪を焼き払う。
勅命通り聖杯は―――邪神に憑りつかれた大聖杯は破壊された。
蛇体が絡みついた暗黒の塔は崩れ、根元にある焼け落ちた柱―――『冬の聖女』ユスティーツァの基盤を収めた部位を残すのみ。
『アァ……アァ……』
残されたのは魔力と陰我の源を失い、聖剣で光で灼かれた蛇龍だけ。
黒く焦げた牙が生えた口からは掠れた声が漏れ出るのみであり、両腕を失くした体はゆらゆらと揺れ動くのみだった。
『アア――――――アアアアアアアアアア!!』
だというのに、奴はまだ息絶えていなかった。
腐ってもかつては大いなる力、大魔導輪と呼ばれし者。その存在としての強度は人界の常識では決して規定できるものではない。
絶叫と共に喉では途轍もない熱量が生み出されていく。間違いなく後先を考えぬ最強にして最悪の一撃がくると誰もが確信した。
事実、レヴィロンはすぐにでも発射した。鋼鉄をも瞬時に溶解させるであろう超高温のドラゴンブレスを。
奴の視線は地の怨敵、セイバーの姿を捉えていなかった。顔を向けるべきは天に浮かぶ怨敵、千年前に戯れで犯した唯一の失敗。
このままでは済まさん。貴様もこっちに来い。言葉すら成していない咆哮はそう告げていた。
『輪廻ぇぇぇぇ!!』
ゐの一番に反応したのは血の絆を持つ騎士だった。
それはホラーと化しても消えない同族を守らんとする本能だったのか、その時の彼が見せた動きは目を見張る程に速かった。
天雅に跨るロキの眼前へと跳躍した彼は、愛刀たる月光剣を構えた体勢だった。ロキの眼にはまるで空間転移したかのように映っただろう。
『ぐっ、グゥゥゥゥゥゥオォォォォ!!』
破壊光線は月光剣によって真っ二つに裂け、固有結界の空に溶けていき、世界の天蓋を焦がしていく。
月光剣の刀身は主と守るべき者を救うべく役目を全うし、この程度の熱量が何だ、と言わんばかりに威容を保っている。
しかし、只ではすんでいないのは肝心の担い手自身の方だっだ。
その銀灰色の身は刃を境に裂けてもなお溢れるエネルギーの余波にさらされ、徐々に徐々にと体の端から彼が消えていく。
「フォーカス!?」
当然ながらそれを黙って見過ごすロキではない。
すぐに剣を振るい、光線の撃ち手であるレヴィロンの口を閉ざすべく動こうとするが―――
『■■■■■■■■■■■■■■■■!!』
一体あれだけのダメージを受けた状態でどこにそんな魔力があったのか。
そう言ってやりたくなる程にブレスは強烈さを増していった。魔力の発生源は最早理屈では推し量れない。
これまでの邪神の態度からでは想像すら許されない何か……所謂気合と根性と表現し得る爆発的なブーストが乱続的に起こっている。
荒れ狂う光の暴風雨によってロキの動きは封じられた。
今動けば光線は天雅に命中し消滅。自分は落下し、邪龍はそれを狙って照準をずらすだろう。
そうなれば今度はフォーカスでも間に合わない。セイバーも今は令呪のバックアップで強制的に宝具を発動した反動で動けないでいる。
よって、魔性の騎士だけが身を削る構図が描かれる。
たった一人で大切な者を守るその姿、今の彼は通り名の如く孤高であった。
フォーカスの胸中にあったのは、僅かな未練と満ち足りつつある充足感の二つ。
まずは充足感。これについては至極簡単、一度は捨てたも同然であった守りし者としての使命を再び果たせていること。
いや、より厳密にいうと、自分と伴侶の血を引く家族を守っていることに対する満足感といった方が正しいだろう。
一方で、胸の奥で引っかかるのが一つの未練だ。
自分は末孫と約束をした。全てが終わったら決着をつけよう、と。
これだけは叶えられるという訳にはいかないらしい。何しろ己が五体はここで綺麗さっぱり消えるのだから。
だがそれでも、後悔だけはなかった。
自分は咎人だ。独りよがりで罪を犯しておきながら、伴侶を悲しませておきながら、今の今までのうのうと生き永らえてきた。
そんな自分が望んだ相手に、望んだ形で引導を渡して貰うなど、贅沢の極みだったのだろう。
ああ、解っている。無垢な子供を喰らい、穢れに穢れた自分には死に様を選ぶ自由など許されない。
残された自由があるとするならば、それは心の内のみだ。
故に孤高のホラー剣士はこう思わざるをえなかった。
”これが……守るという事。朱雀、輪廻、我が家族よ”
フォーカス、否、聖陽炎は猛禽のそれに成り果てた視線を僅かに後方へと逸らし、守るべき者の姿を見た。
今や紅蓮の輝きは誰もが見惚れ敬うであろう黄金の煌きへと成長した。在り得ざる奇蹟を、これからも在り続けるであろう栄光を纏った子孫がそこにいる。
”嗚呼……これでいい”
これが自己満足にすぎなくとも、彼女の生きた証を守ることができる。
全ての咎は自分が背負うつもりでいたが、やはり自分は身勝手なろくでなしだ。
死に際ですらこんなバカげたことを考えているのだから、つくづく救えないと自嘲する。
「……陽……炎……」
消滅していく騎士の姿に思わず手を伸ばすロキ。それを見て当の彼はこう思う。
この子は本当に優しい子なのだな、と。だからこそ、かけるべき言葉はこれしか浮かばなかった。
『心に希望を纏え』
きっとこれが遺言になるのだろう。実際、既に下半身は消えてなくなり、両手も直ぐに頭部ごと吹き飛ぶだろう。
同時に龍の息吹は止むことだろう。持ち手を失った月光剣は真っ逆さまに落ちてその刃を大地に突き立てた。
例え肉体と魂は滅しても、その心だけは決して折れなかったことを象徴するかのように、月光剣には刃毀れ一つなかった。
満天の夜空は逸らされた熱線に歪んでいき、遂には固有結界という形すら保てなくなった。
一同は急に現実へと引き戻され、戦闘の影響であちらこちらの岩肌に罅が入った龍洞を認識する。
特に天井に該当する部分には大穴が空いていた。固有結界ですら受け止めきれず現実空間へと漏れ出た超熱線が洞窟を削ったのだろう。
洞窟外への被害はどうなっているのか、今すぐにでも確認したいがそうもいかなかった。
まず第一に固有結界が崩れたことで鎧の装着時間が減少し始めたこと。即ち魔導馬・天雅で上空を飛んで街の様子を確認するだけの時間がなくなったこと。
そして何よりもう一つ。邪神レヴィロンは未だ健在であるが故に。
『ククククク……ククククク……』
当の黒く焦げた龍は掠れた笑い声を口から漏らしていた。
正直な話、牛乳を拭いた布切れの方がよっぽどマシと断言できるほどに酷い有様だというのに、何故か悲壮さを感じさせない。
レヴィロンはゆっくりと、もう一度口を開けると、
『絶望を知れ』
喉の奥から小さな一発の弾丸を吐き出した。
完全な無音で、音速さえも超えたスピードで発射されたそれは一直線にロキの胸元へと直撃し、その奥にある輪廻の肉体に届いた。
「ぬぁっ!?」
胸に走る痛みに驚愕し、それと同時に鎧は解除され、魔導馬もこの場から姿を消した。
残された輪廻はそのまま地面めがけて落下していくが、そこは鍛えられた魔戒騎士、衝突寸前で体勢を立て直し見事な着地を見せる。
しかし、状況は飲み込めないまま勝手に進行している。
『見るが良い、起源の奥底を。”根源”を通して見える、芥のような光景を』
レヴィロンが用いた弾丸の名は『改造起源弾』。名前の通り切嗣の懐から失敬し、それに独自のアレンジを加えた代物だ。
通常の『起源弾』は切嗣本人の起源を被弾者に具現化させることで全身の神経と魔術回路をショートさせるというものだ。
しかし、これはそんな物理的な効力を齎す者ではなく、被弾者の存在意義の根底たる『起源』を呼び水とし、この世全ての原因とされている『根源』へと一時的にアクセスさせるという物だ。
それは回線としては細く小さかったかもしれないが、それでもアカシック・レコードと称されるモノであることに違いはない。
よって、聖輪廻は垣間見る。こことは違う世界線の情報を。
その世界に生きる『悪』としか形容のしようがない、救い難い人間共の悪辣な振る舞いを。
”なんだ怒ったか?ほら斬れよ。そうか、魔戒騎士は人間を斬れないんだっけ。はははは、ハハハハハ……!”
”そうだ、戦え、身を挺して俺を守れ……。そしてホラー共よ、そいつらを喰え……!”
”恨みなど幾らでも背負って立とう!”
”みぃぃちぃぃなぁぁがあああああああ!!”
異なる時代どころではない。異なる世界の牙狼が出会った人の形をした化け物ども。
矮小な野心を達成する為なら肉親すら食い物にし、使命に邁進する者の夢を嘲笑した成り上がりの小悪党。
己が権威を守る為、退屈を凌ぐ為、民の犠牲を省みず自身にすら祟りを招く復讐の陰我を蒔いた時の権力者。
見ているだけで悍ましい。聞いているだけで腹立たしい。
何と醜悪で傲慢で狡猾で業の深い者どもか。
『ロキよ、貴様に問う。彼奴等を見て何を感じ、何を思う?』
「…………許せないと思った」
誰がどう見ても下劣であることは明々白々。そんな奴らの罪業も守りし者の掟は黙認を選択させる。
それによって苦しむのは何時だって力なき無辜の民。凪のように平穏な毎日を送りつつ、家族や隣人を愛している人々だ。
彼らの幸福を陰で壊し、陰で嗤うのがそんなに愉しいか。それが貴様らの悦びか。
そう思うと胸の奥の炎が滾ってくる。自らの悪行を隠してほくそ笑む、その醜さに対して。
「端的に言おう。死ねよ貴様ら、塵屑如きが何を偉そうに呼吸をしている。墜落の絶望と地獄の業火と苦悶の絶叫こそが邪悪には相応しい、とな」
もし仮に万が一、我が身がその世界の住人であり、その時その場所にいたのなら……。
悔しいという気持ちしか残らない、益体のない想像に過ぎないが、そう思わずにはいられなかった。
『そう感じ、そう思い、貴様は如何とする?』
「変わらない。私は今までも、これからも、この剣で救えるものを救う」
『あれを見ても尚か』
「あれだけではない」
輪廻が垣間見た汚濁の光景は紛れもなく本物だった。
だが、その後に見えた並行世界の光景もまた本物だった。
今から十年後、例えそれが偽善でも好きな相手を守り通すと誓った、一人の少女の味方となった赤銅の少年。
人類種を愛するが故、人類史を劫火で包み込んだ魔神を相手に、盾持ちの少女と共に立ち上がった非才の少年/少女。
彼らには自分たち魔戒騎士のような力など無かった。にも関わらず、挑んだのは神話級の難事ばかりだった。
手を携えてくれた英霊の助力がいなければその命は露と消えただろう。命を賭けて無茶をしなければ道は拓けなかっただろう。
心が折れて当然の恐怖を幾度となく味わったはずだ。埋められない喪失を何度も味わったはずだ。
それでも彼らは諦めなかった。足を止めることだけはしなかった。
「私は確かに聞いたんだ。泥の中から咲く蓮の花のように、揺るぎない血を吐くような魂の叫びを」
”生きて、いたい!”
”決まっている……生きる為だ!”
胸を打つとはまさにこのことか。
赤銅の少年も非才の少年/少女も決して英雄などではない。
その本性はどこにでもいる、家族と隣人を心から愛し、共に生を謳歌したいと願うか弱くも強い只人だった。
「どんな暗闇の中でも誰かが傍にいてくれるのなら、人は立ち上がり、前に向かって歩いて行ける」
光は胸の中に。一筋の光さえあれば宇宙の闇すら照らし出せる。
それが―――
「それが人間の……愛と希望の物語だから」
己の源泉を打ち倒した眼前の女騎士は断言する。
人間は光と闇を抱きしめ、これからも続いていくのだと。
見事なり、と言ってやりたくもなったが、それこそまさに悔しいので言うものかと龍は思った。
『ならば、お前は永い時を生きるがいい。奇跡を以って』
邪神の姿が薄れていく。存在が解れていく。
自身の全存在を莫大な魔力へと変換することで一世一代の正真正銘の奇跡を起こそうとしている。
『いつか、たった一つの陰我に心が砕けるその日まで。それが、黄金騎士の宿命だ』
魔界には古くからの言い伝えがある。陰我がある限り、人間は必ず滅びる、と。
勝者への忠言としてそれを言い残した邪龍レヴィロン。
彼の全てをかけて練り上げられた魔力は、彼が依り代としていた大聖杯の大元へと注ぎ込まれていく。
そうして、辛うじて遺された魔術炉心が急速に修復され本来の機能を果たそうとしている。
今から二百年前、遠坂永人、マキリ・ゾォルケン、ユスティーツァ・リズライヒ・フォンアインツベルンの御三家
宝石翁ゼルレッチが見届ける中で行われた宣誓と大聖杯の鋳造。
遠坂は根源に到達するべく、歪みを抱えた霊地を提供した。マキリは英霊を降ろすための術式を用意した。アインツベルンは魂を受け止める容れ物を用意した。
そうして彼らが編み出した大いなる儀式こそ『聖杯戦争』。ユスティーツァの魔術回路を基盤とした魔術炉心ある限り六十年周期で繰り返される願望機の争奪戦。
その真の目的は西暦以降失われた第三魔法『天の杯』。
永劫にして不滅なれど、単体では物質界に干渉できない魂―――その理を覆し、魂そのものが物質化した生命体として振舞うことを可能にする御業。
即ち『真の不老不死』の実現にして、不滅の魂を源とした『永久機関』の完成に他ならない。
かつて大魔導輪と呼ばれていた龍は手前勝手に奇跡を授け、手前勝手に彼女から奪ったのだ。
魂を容れる器さえ用意できれば幾らでも復活できる存在への変身。それはまるで―――ホラーのようではないか。
輪廻は溜め息をついて、心の中で呆れ果てた。
聖家の女は皆、善意なり悪意なり、周囲の我が儘のせいで振り回されている。
初代の朱雀は伴侶の善意で騎士の力を得、肝心の伴侶を失った。
姉の雷火もまた神官の善意で死の眠りから叩き起こされ、陽射しの温もりを失った。
そして自分は宿敵の意趣返しを受けて永遠の存在となり、限りある命の在り方を失うのだ。
「確かにそうかもしれない。……そうだとしても、この先の私の物語にはきっと希望が残る」
紅蓮騎士改め、黄金騎士・狼姫は確信を心に刻んで足を進めていくだろう。
「私は人を愛しているから」
旧魔戒語でガロとは「希望」を意味する。
そしてロキとは旧魔戒語で「愛」を意味する。
今一度宣言しよう。彼女の戦いの物語が終わることはない。
彼女の運命の題は『愛と希望の物語』なのだから。
次回予告
ヴァルン
『我がマスターの物語はここで一旦の区切りを迎える。
そして、新たなる守りし者の物語が胎動しようとしている。
次回”運命/neon knight”―――新生の騎士、降臨の時きたれり』
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