夜の闇の中、小さな光が何の前触れもなく空中に発生し、尾を引きながら飛ぶ。それなりの速度で飛び、光るそれは何かにぶつかると同時に弾け、赤、白、黄色と様々な色を放っている。光の発射場所である空中には、箒や杖だろう細長い何かに乗った人間が大勢おり、飛びながら次々に光弾を放っている。普通の人間が持ちえないだろう力を使うその光景は、物語やゲームに出てくる魔法使いを容易に想像させる。
その周囲には鯨などの海洋に生息する哺乳類をイメージさせる作りの巨大な船が無数に浮かんでいる。戦艦なのか、それらからも光弾や、レーザーの様な物が艦首前方に浮かび上がった光の円の中に十二星座の紋章と六芒星が刻まれた陣――おそらく魔法陣だろう――から放たれている。
さらに下にワイヤーでぶら下げていた巨大な人型の何かを幾つも地面に降ろしていく。それは身を屈めていたが、降ろされると身を伸ばして着地し、森の一角を潰した。遠目からでもかなりの大きさだとわかる。おそらく身長は20mを軽く超えているだろう。手には槍や剣など、武器を持っている個体もいる。
魔法使い、船、巨人。それらは全て一つの方向を目指し、向かっていた。進行方向の先にあるのは、海か湖か、水面に面した大きな都市だった。夜の闇に街の光が煌いている。
しかしその街は、攻撃に晒され無数の煙が立っていた。幸いと言うべきなのか、街自体に被害は見られず、煙が立っているのもその周辺の森からだが、放っておけば森火事になって街に火の脅威が襲いかかるだろう。
にもかかわらず、街からの迎撃の様子は見られない。防衛で手一杯なのか、それともとっくの昔に戦力を失って為す術がなくなったのか。
攻撃できず、一方的に攻撃される。街は非常に不利な状況だった。
■
その様子を、ノワールに少々離れた場所に滞空してもらいながら、昴は真言で己の目に千里眼と梟の目を付与して見ていた。千里眼と梟の目の相乗効果で、夜の闇の中でもよく見える。
「あー……ノワール、さん? 貴方は数時間前、オスティアと言う場所に向かっていると言いましたね。迷いなく進んでいた事から考えるに、おそらくここがそのオスティアなのでしょうが……これは一体、どう言う事なのでしょうか? 何と言いますか、あからさまに戦場なのですが」
眼前の光景(と言っても、街から2kmは離れているのだが)を見ながら、昴は滞空しているノワールに問いかける。その声には、どの様な都市なのかと楽しみに目指していた場所が、街と言う名の戦場だったことへの疑問がありありと読み取れた。
しかし当のノワールも、珍しく、どこか困惑しているように感じる。以前周囲を飛んでいた時はこんな事は無かったのだろう。その以前が何時なのかは分からないが。
「と言いますか、なんですかアレ。見間違えでないとしたら、人間が空を飛んでいますよね、しかも何か光みたいなのを出しながら。他にも鯨と言うか鮫と言うか、そんな形の船が一緒に飛んでいますし、それに何ですか、あれは。形は微妙に違いますけど巨○兵ですか?」
腐っていませんけども。
そう言いながら腕を組む。視線は戦場となっている都市に向けたままだ。
人が飛んでいる事に見た当初は驚いたが、思えばこの世界はノワールや良く分からない竜種が生息している異界だ。人間が物語に聞く魔法の様な事を出来ても不思議は無いのかもしれない。実際に戦艦も、船の前方に魔法陣らしき物を展開して砲撃を撃っていた。魔法と言うより科学に近い気もするが、行き過ぎた化学は魔法と大差ないとかつて生きた誰かが言い残していた気がする。
そんな事を考えながら戦場を見渡す。攻撃、速度、戦力。ざっと戦場を見た程度だが、そのほとんどにおいて都市側は攻めている側に劣っている様に見える。辛うじて防御は互角かやや下回ると言った所だが、防御だけで戦闘に勝てる訳が無い。このままではそう遠くないうちに都市は落とされてしまうだろう。
「どうしましょうかねぇ……」
このまま別の都市を目指すか、それとも戦場に介入するかを考える。普通に考えれば、此処は都市を放っておいて別の街を目指すと言うのが正しい選択だろう。戦場に介入すると言う事は、それだけで命を捨てに行く様な物なのだから。
だが二年、この世界に送られてからざっと数えて既に二年経っている。真言制御の為の訓練をしていたので仕方ないと言えば仕方ないのだが、もう二年以上人間と話していないのだ。ノワールが居たので寂しさを多少は紛らわせる事は出来たものの、いい加減、誰でも良いから人の言語で会話したいと昴は思っていた。
だがそんな理由で戦場に介入する等愚かしいにも程がある。いきなり出て言って「今まで誰とも話していないので、寂しいから会話してください」など、下手をしなくても攻撃されるのがオチだろう。真言で絶対防御を発動すれば傷を負う事は無くなるが、ただ会話したいだけで戦場に出る等馬鹿、いや愚か者のする行動である。
自分の身を守る為なら戦うが、基本的に戦いは嫌いなのだ。
「ノワール、貴方は他の街の場所を知っていますか?」
もし知っているのなら其処を目指したい。そう伝えるが、彼の返事は明るく無かった。どうも彼が正確に場所を知っている都市はオスティア以外に無いらしい。
それを聞いて内心、溜息を吐く。数時間の飛行で思ったよりも疲労が溜まっているので、出来れば街で休みたかったのだが、どうも野宿で決まりらしい。この二年でもう慣れていると言えば慣れているのだが、若干布団が恋しく思う。
そんなどうでもいい事を考えていると、視界に映る戦艦の幾つかが前方に巨大な魔法陣を展開し、都市に向けてレーザーらしき物を一斉に打ち出した。これで勝負を決めるつもりなのだろう。レーザーの進む方向を見るに、狙いは都市の中央からやや外れた場所に在る高い塔と言ったところか。
(ああ……終わりましたかね……)
魔法使いらしき者の攻撃や単発のレーザーは何とか防いでいた都市だが、流石に十数発のレーザー一斉掃射は防ぐ事は出来ないだろう。これで戦闘終了、都市の陥落はほぼ確定。そう思い、昴は都市に目を向けたままノワールに別の街を探そうと言おうとした。
が、
「……は?」
呆けた声が口から出る。ノワールも、何やら驚いた様な目を都市に向けていた。
複数の戦艦から放たれたレーザー。止まることなく突き進み、塔を、都市を破壊すると思われたそれは狙っていただろう塔に届く直前、まるで空気に溶けるように弾け、消滅した。攻撃の標的となっていた塔には当然ながら、罅一つ入っていない。
「今の現象は一体……」
何処か茫然とした様子で、昴は都市の塔を見る。どれほどのエネルギーを必要としたかは知らないが、塔に向かって放たれた砲撃は一発だけでもそう簡単には防げないだろう攻撃だった。それが十以上連ねられ、一点に向かって進んでいたのだ。防ぐ事は難しいどころか、ほぼ不可能のレベルだったろう。
だがあの塔の防御はそれをいとも簡単に防ぎ、あまつさえ霧散させた。
興味が湧く。並の防御なら容易く破壊し、その防御ごと対象を消し飛ばすだろう攻撃をあっさりと防いだ防御能力に、自分の中の好奇心が疼くのを昴は自覚した。
あの防御で防ぐ事が出来る領域は、見えた範囲ではあの塔を中心として半径約20m〜30mと言うところだろう。非常に狭いが、拠点防衛には中々強力な防御だ。
戦場には出たくない。だがあの攻撃を容易く防いだ防御をどうやって展開しているのかは知りたい。
「ノワール、予定変更です。すいませんが、あの塔へ向かってください」
その言葉に、ノワールは困惑を露わにする。戦闘等はどちらかと言えば嫌いな筈なのに、自分から進んで其処に行こうと言うのに疑問を持っているのだ。
昴も、ノワールのそんな疑問を感じているだろう。だが彼は、この機会を逃せばおそらく、その防御の秘密を知る事は出来なくなると直感していた。
調べれば何時でも知る事が出来る事と、その時を逃せば二度と知る事が出来ない事。目の前に知る機会があると言うのにそれを逃がす事は、昴には出来なかった。
好奇心に負け、昴は真言を紡ぐ。
『我等を包むは強き風の膜にして純粋なる水の膜。見えざる絶氷の膜。如何なるモノも我らを傷つけることあたわず、触れる者はその身を滅ぼす事となるだろう』
想像し言葉を紡ぎ、発動するのは如何なる物も侵す事の出来ない、絶対不可侵の攻性防御膜を創り出す真言。真言を紡ぎ終えると同時に風の膜と水の膜、見えない氷の膜が昴とノワールの周囲に発生する。
これがあるのならあの防御の事を知る必要など無いだろうが、昴は割と好奇心旺盛だ。考古学に関係する物に比べれば弱い物の、知らない事を知りたいと言う知識欲には勝てなかったのだろう。ある意味、学習しない男である。
「これで私達を傷付けられる者は居なくなりました。さあ、全速前進ですノワール。急がなければ間に合わないかもしれません」
あの強力な攻撃を完全に無効化する防御だ。どのような技術かは分からないが、あれほどの防御はおそらくそう何度も使える物ではないだろう。
さっさと行かなければ知る事が出来なくなるかもしれない。そう思い、昴は困惑気味のノワールを急かす。塔の方に目を向ければ、数体の巨○兵が進んでおり、さらに一体が手を伸ばしていた。エネルギー的な攻撃ではなく物理的に潰すつもりらしい。このままでは塔は握り潰されてしまうが、防御が発動する気配は無い。エネルギーが切れたか、それとも巨兵が近過ぎて展開する事が不可能なのか。
しかし直後、塔に近付き手を伸ばしていた巨兵が腹部から真二つに両断された。
一体何が? と思い、昴は千里眼と梟の目を付与した目で巨兵が居た場所を見る。丁度巨兵の腹部に位置するだろう空中に、何かを持った人間が一人、塔を守る様に浮いていた。黒系の衣服に裾の擦り切れた白いローブを羽織った、やんちゃそうな顔の若い男だ。塔から僅かに漏れる光に照らされ、燃えるような赤毛が宵闇に鮮やかに浮かび上がっている。
良く見れば一人だけでなく、近い空中に身の丈ほどもあるだろう長い刀を持った眼鏡の男と、清潔そうな白いローブを纏い、フードを被った性別及び年齢不詳の何者かが居た。刀を持っている男の足元には足場なのか、魔法陣の様な物が浮かんでいる。
二人とも、赤毛の男同様に塔を守る様に巨兵相手に向き合っている。
「彼等は……?」
突然現れた三人に、ノワールの背に乗って進みながら興味深そうに目を向ける。眼鏡の剣士とローブの何者かは巨兵に向かい合い、赤毛の男は塔の方を向いて何時の間にか居たローブの誰かに何かを言っているようだ。どのような事を言っていたのか、眼鏡の剣士が呆れた様な顔をしている。
少しの間その様を見ていると、赤毛の男が懐を探り何かを取り出した。ノートの様にも見える小さなそれは、自分も遺跡巡りをしている時に良く使っていた、手帳と分類される物だ。
赤毛の男はそれを見ながら片手に杖を持ち、口を動かし始める。すると、何らかの「力」の様な物が男から溢れ出し、手に持っている杖がバチバチと放電を始め――。
男が腕を振り下ろすと同時に、全てを吹き飛ばす様な巨大な雷が幾筋も、爆音を響かせながら降り注いだ。
それを見て、自分の中の何かがザワリと反応し、何とも表現し辛いどす黒い感情が湧き上がるのを昴は自覚した。しかしその感情が向かうのは迸る電撃に対してであって、赤毛の男にも、攻撃を続行している彼の仲間らしい二人にも感じていない。
雷は、ギリシアでは主神ゼウスが象徴とする物であり、同時に昴が死ぬ原因となった物である。彼はまだ自覚していないが、ゼウスの雷によって殺された事で電撃や雷撃に対し、強烈なまでの嫌悪や憎悪と言った物を内に宿す事となった。
グルゥ……
自覚しない憎悪で心が冷たく、鋭くなり始めたが、昴の雰囲気が変化したことを読み取ったノワールの気遣わしげな唸りでハッとし、その感情を抑え込む。僅かしか出ていなかったらしく、すぐに抑えることが出来た。
「……今の感情は……」
初めて抱いた黒い感情に困惑する。それは「憎悪」と言う名の神への怒り。自分の「死」と言う結果自体は受け入れたが、どうやらその原因となった「神の夫婦喧嘩」はやはり受け入れがたいらしい。
「礼を言います、ノワール。貴方のおかげで呑まれずに済みました」
引き戻してくれたノワールに礼を言う。それを聞き、ノワールは別の場所に行くかと言う意を込めて唸るが、昴は却下し塔へと進むように指示した。憎悪に呑まれかけた事と知識欲は関係ないらしい。見れば、いつの間にか赤毛の男もその仲間だろう二人も空中には居ない。塔の中にでも入ったのだろうか。
そう思いながら、ノワールと共に塔へと進む。自分ででも抑えられるようにならなければいけないなと、そう考えながら。
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