前書き
お待たせしました、第11話更新です。
次の更新予定は早ければ1月の半ば、遅ければ2月の内を予定しております。カメのような更新速度ですが、なにとぞお待ちいただきたく存じます。
それでは11話、どうぞ。
第11話『夜の迷宮』
切り立った山々の奥、あまり人間が寄り付かないだろう山岳地帯。まるで霧の様に深い朝靄の中に、陽光を受けて浮かび上がる影があった。
人では――否、生物ではない。ピクリとも動かず、生命特有の気配を感じさせない事から、朝靄の中に浮かぶその影は無機物――その巨大さと整った造形から、建造物の類か――である事が窺える。
浮かび上がる影の正体は、巨大かつ広大な建造物だった。しかし新築ではなく、寧ろ旧い。廃墟の様な外見であり、所々に劣化や風化の痕跡や、罅がかなり見られる。
名を『夜の迷宮』。かつて存在したとされる、今はもう人々の記憶から忘れ去られてしまった、とある王国の首都の、その名残である遺跡群だ。
作られてどれほどの時が流れたのか、かつては燦然と輝いていただろうその遺跡に、命の息吹はもう殆ど感じられない。精々が魔獣と、精霊くらいの物だ。
王国が滅び、民が散り散りになった現在。かつての首都であり、しかし現在は物言わぬ廃墟となってしまったこの地には多くの獣や、妖精、精霊の類が多く棲み付き、広く深いダンジョンと化していた。元々は人間が、自分達の為に造り上げた都市なのだが、彼等にとっても存外に居心地は良かったらしい。
メセンブリーナ連合首都、メガロメセンブリアより遠く離れた険しい山奥に、そのダンジョンは存在していた。
その遺跡を、やや離れた地点の空の上から見下ろす影があった。昴と、彼を背に乗せた黒飛竜ノワールである。
街の酒場でこの遺跡の情報を得た昴は、情報量として宝石を酒場の主人に渡し、宿を取る時間すら惜しいと言わんばかりに街を出てノワールと共にこの遺跡に向かったのだ。
「ああ……良いですね! 規模も、古びた景観も、実に遺跡らしい! 調べ甲斐がありそうです!」
遺跡でもあり、同時にダンジョンでもあるこの遺跡は昴のお気に召したらしい。ノワールの背で、子供の様に目を輝かせながら昴は眼下に広がる遺跡『夜の迷宮』を見て言った。
酒場の主人から聞いた話では、夜の迷宮はもう殆ど調べ尽くされ、宝などは無いらしいがそんな物はどうでもいい。昴は唯、己の趣味から発生する好奇心と探究欲を満たしたいだけなのだ。アマチュアではあるが考古学者であり、トレジャーハンターではないので財宝などの有無は二の次である。
己の背でそんな風にはしゃぐ昴にあからさまな溜息を吐きつつ、ノワールは夜の迷宮へと滑る様に音もなく飛んで近付く。その様子は心なし、さっさとこの男を背から降ろしたいと思っているようにも見えた。
近づくと、遺跡の景観がより鮮明に見えてくる。ダンジョンだからなのか、それとも今まで多くの学者に散々調べられた為なのかはわからないが、全体的に劣化が激しい。場所によっては、今にも崩れてしまいそうな箇所もある。
「ふむ……調べ甲斐はありそうですが、少々痛みが酷いですね。経年劣化による風化以外の要素が原因、と言うところですか……ここはダンジョンでもあるそうですし、おそらく戦闘、ですかね。所々、不自然に焼け焦げたような跡もありますし……」
ノワールの背から飛び降り、音も無く着地した昴は傍に在る建物の柱や壁、床の様子を見てそう判断する。その眼に普段ののほほんとした雰囲気は欠片も無く、完全に観察者のそれに変わっていた。
ノワールはそんな昴を一瞥しただけで、躊躇もなく『夜の迷宮』から離れていったが、昴はそれに気付いていながら何も言わない。昴が遺跡やダンジョンを調べる時は、その場所からやや離れた場所にいつも待機してもらっているからだ。
「まあ、いいですね。今まで私が調べた遺跡も劣化が激しい場所は幾つもありましたし、壊さないよう注意しながら調べていけばいいでしょう」
飛び去っていくノワールを一瞥しただけで、昴はすぐに意識を目の前に広がる遺跡に移した。
『夜の迷宮』などと、非常に仰々しい名前がついているのでどの様な魔窟かと思っていたが、一見しただけでは普通の――ダンジョンである為、普通の、と言って良いかは怪しいものがあるが――遺跡である。その範囲は広大で、彼自身が言っていたように非常に調べ甲斐がありそうだ。
逸る好奇心に突き動かされ、昴は無意識の内に口を笑みの形に歪めていた。この遺跡に入ってから、何やらチリチリと感覚に障るものがある気がするが、然して気に留めるほどでも無い。僅かに鬱陶しいと感じる程度だ。その程度で、この好奇心は止められない。
いざ、調査。そう思い、昴は適当な方向に向かって歩き出した。
「……うん?」
しかし、その歩みは一歩踏み出しただけで止められた。彼の耳に、微かだが足音が届いたからだ。人の少ない、自然が多くある静かな場所に行くことが多い為、昴の視力や聴力、周辺を観察する眼や気配を感じ取る感覚などは都会に住んでいる人のそれを軽く超えているのだ。100m程度なら相手の表情の変化を見ることができ、葉擦れの音を聞き取れる。強化すればさらに遠距離のものすら見とれるし、聞き取れる。真言を使うという前提はあるが、やろうと思えば世界の反対側のものすら見聞きできるだろう。
耳に届いたその足音は、当然ながら自分のものではない。昴本人がこの場にいると言うこともあるが、彼は基本、足音を立てずに歩くからだ。癖によるものか別のものなのか、気付いた時には既にこうなっていたので本人すらわからないのだが。
目を閉じ、集中して足音を聞き取る。自分が世界に重なるような感覚を感じるとともに、自分の感覚が視覚を除いて全て引き伸ばされる。
聞こえた足音の数は複数。冒険者やトレジャーハンターの類だろうか。『夜の迷宮』はダンジョンでもあるため、そう言った者達が居たとしてもおかしいとは思わない。だがこのダンジョンは調べつくされ、宝などはもう殆ど無いと聞いた。それから考えるに、おそらくは冒険者といったところか。
そこまで考え、しかし疑問に思った。別に冒険者が居る事はおかしいとは思わない。昴がこの世界に来てからこれまで回ってきたダンジョンでも冒険者やトレジャーハンター(大抵兼業だった)には度々出会ったことがあるからだ。だが、もし聞こえた足音が冒険者のものだとしたら、自分の居る場所を目指して来る理由が理解できない。道が入り組んでいるのか曲がったり直進したりを繰り返しているようだが、全体的な進路としてはまっすぐ昴の居る地点を目指していると読み取れた。ノワールの姿を認めたのも知れないが、それだけでここに来る理由にはなりえないだろう。いかに彼が飛竜の中で強大な力を持つとは言え、ここには昴を乗せてきたという以外何もしていないのだから。
この足音は本当に冒険者のものなのだろうか。仮に冒険者だとしても、何か妙な感じがする。閉じていた目を開き、昴はそう思った。聴覚をはじめとして、感覚はまだ研ぎ澄まされたままだ。ある程度の動きを感知することはできる。
チリチリと障るものとはまた別に妙な、なんとなく嫌な感覚がする。この場所から離れた方がいいかもしれない。感覚に突き動かされるように、昴はその場所から離れ、ダンジョンの入り口を見つけて入っていった。
昴が入った場所が原因だったのか、ダンジョンの中は日が差し込まないために暗く、入り組んだ通路の典型的な迷宮という具合だった。おそらく地下部分なのだろうが、それを見て、場違いにも「ミノタウロスの迷宮はこんな感じだったのだろうか」などと昴は思った。
「外に比べて、ここの方が保存状態はいいですね。戦闘痕は相変わらずありますが……いえ、むしろ戦闘痕は此処の方が酷い……」
壁に手を着き状態を見て、昴は独り言ちる。壁面にはレリーフも何もない、単純に壁があるだけだ。その表面には昴が言ったように、劣化こそ外よりましだが、戦闘の跡だろう焼け焦げ等は外とは比にならないほど酷い。ずいぶん昔のことだろうが、激しい戦闘がここで有ったのだろう。
「追ってくる気配は……ありませんね。私を外で探しているのか、それとも単純に様子を見に来ただけだったのか……」
自分が入ってきた入口のある方向を見て、おそらくは後者なのだろうと思いながら言う。昴が入ってきた入口は、彼が降り立った地点からそう遠くない場所にあったのだ。その入り口を見つけられない筈がない。
念のために床に耳をつき、振動と足音を聞き取り追跡者が居ないかどうかを確認する。
「確認しても、私以外にこの通路にいる人間は居ませんか……」
言いながら身を起こし、服を叩いて汚れを落として周囲を見る。見えないことはないが、暗くて非常に見にくい通路だ。階段があれば、確実に足を踏み外してしまうだろう。
そんな暗い通路を見回し、真言を紡いだ。
『光あれ』
瞬間、暗い通路に光が満ちた。光と言っても真昼の太陽のような光ではなく、薄明時か黄昏時の、やや暗いオレンジ色の光である。暗い場所に居て、強い光を急に見れば目が潰れてしまうので、光の強さはそう強くはない。
「さて、進みましょうか。入ってきた方向はこっちですから……あっちですね」
光源なのだろう、拳大のオレンジ色の光球を一つ自身の前に作り出し、昴は奥の方へと体を向ける。
「そう言えば、ここはダンジョンでもありましたね。大丈夫とは思いますが……一応、武装しておきましょうか」
酒場の主人に言われた言葉を思い出し、昴は腰のポーチから以前作った槍を取り出した。真言でもって水から作り出した黒銀色の槍だ。
ポーチから取り出した槍を利き手に持ち、二、三度軽く振るって調子を確かめる。良く馴染んでいる。
それに軽く頷き、昴は目を閉じ、自分の意識を『夜の迷宮』に重ね、広げていく。迷宮の構造を把握し、どこを通れば効率よく調査できるかを知るためだ。ついでに、別の出入り口を探すためでもある。
「……? この波動は……?」
迷宮全体に広げた意識の網に、幾つもの波動が引っ掛かる。一つ一つ感じの違うその波動は、すべて人間をはじめとした生命体の物だ。その数、総数20以上。その波動の一つに、奇妙なものを感じ取った。
かつて、どこかで会ったような波動。近くにはもう一つ、別の波動があるが、それよりも奇妙かつ特徴的なこの感じは覚えがある気がする。正確に言えば違うのだが、この波動に非常に近しい波動の持ち主に、この数ヶ月で会っている気がする。
放っておいても良い筈なのだが、何か、妙に気になる。もしやとは思うが、この感覚に障る奇妙な感覚の原因だろうか。
疑問に思い、昴は遺跡の調査をしながらも、この波動の持ち主の元に向かうために足を進めはじめた。
■
昴がダンジョンに降り立ち、独自に『夜の迷宮』の調査を始めてから数時間後。昴の相棒でもあり、同時に騎竜でもあるノワールは遺跡からやや離れた場所にある岩山でその巨体と翼を休めていた。
寝そべり、日の温もりを全身に受けつつ、ノワールは僅かに微睡みを感じる中で、昴と出会ってから現在に至るまでの事を思い起こしていた。
昴と出会ったのは荒野で、彼が真言の制御訓練に精を出している時だった。偶然彼を見つけ、獲物として喰らおうとしたら突如発生した炎の花に巻き込まれ、墜落した。その後に癒され、「共に在る」という契約を交わして様々な場所に行った。
遺跡、ダンジョン、森林、山奥、離島、都市そして戦場。平穏な場所に行くことが多かったが、時には危険な場所に突っ込んで行く事にもなり、中々大変だった。昴の趣味である遺跡・ダンジョン探索も、いったい何が面白いのか理解に苦しむ。だが、彼がそれをしている間はのんびりできるので、それはそれでいいとは思う。人間の文化や文明など、理解できないのだから。
今回はいつ終わるだろうか。そんな事を思いながら、ノワールは微睡みに沈んでいく。待っていてもやることなどなく、精々が空腹を覚えたときに狩りに出るか、寝て過ごすくらいのものなのだ。別に今回は空腹ではないし、終わるまで寝て過ごすとしよう。
そこまで考えて寝ようとし、しかし彼は閉じかけた紅い目を開き、その身を起こした。この数ヶ月でよく聞いた声が耳に届いたからだ。
「あれが『夜の迷宮』か……あそこに姫さんが捕まってるんだな」
「正確にはアリカ王女だけでなく、ヘラス帝国のテオドラ第三皇女も捕まっているらしいです。会談に行くに伴い、お二人には護衛もついていたはずですが……十中八九、生きてはいないでしょう」
「で、どうするつもりだナギ。救出に来たのはいいが、どこに王女殿下達が捕えられているか分からんぞ。下手に突っ込めば、殿下達の命が危ない」
「オイオイ詠春、そんなの簡単だろ。ソッコーで全員ぶっとばしてから探しだしゃいいだろうが。そうすりゃ簡単だろ」
「馬鹿か貴様は! そんな事をしている間に殺されると言っているのだ! もっと慎重にだな……!」
「じゃが、慎重に行動しすぎて逆に手遅れになると言う事もある。詠春よ、今回はラカンの言う事にも一理あるぞ」
声の聞こえた方向に首を向けると、視線の先には昴によく挑みかかっては逃げられている、赤毛の小僧をリーダーに据えた数人の集団――確か、「紅き翼」とか言ったか――が居た。何やら言い争っているようだが、聞こえた内容から、どうも昴を追ってきたと言う訳ではなく、別の誰かを救出に来たらしい。自分にも気付いていないようだ。
さて、どうするか。契約により念話で昴に知らせることはできる。ならば知らせた方がいいのだろうが、しかし何故か、それをする気になれない。同時に、別に知らせなくてもいいかとも思った。彼らと昴が遭遇して戦闘になったとしても、言葉とした総てを現実にする真言に勝てるものなど基本として存在しえないのだ。
ならば放っておいても良いか。昴は苦労するかもしれないが、そこはまあ我慢してもらおう。
「待ってろ姫さん、今行くぞ!」
ナギとか言った赤毛の小僧のそんな言葉を耳にしながら、ノワールはその意識を微睡みに沈め、暫しの眠りについた。
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