軽音部のキセキ
W.ラプソディ
1.
「お嬢さま、お茶とお菓子をお持ちしました」
菫はそう言うと、扉を開けた。ワゴンはかすかな音を立てて部屋の中に入る。
菫の視線は紬を探した。紬はベッドの上で立ち上がっていた。
「お嬢さま……。何をなさって?」
いぶかしげに声をたてたその時、紬は翔んだ。
「お――お嬢さま!?」
菫が駆け寄る暇もなく、紬の体は窓ガラスに衝突した。
ガラスは粉々になり、その体は破片と共に大地へと落下するものと、菫は顔を背けた。が、鈍い音とどさりと床に倒れこむ音。
「いたたた……」
紬の声に、菫は閉じていた目を開けた。何ごともなかったかのように、以前と変わらない窓ガラスの前で、紬は頭をさすっていた。
急いで、菫は走りよる。
「いったい、どうなさったのですか? 窓ガラスに頭をぶつけるなんて」
「もしかすると、この窓ガラス、破れないかなあって思って。もしできたら、そのまま空を飛んでいけるでしょう?」
菫は真っ青になった。
「そ、空なんて飛べません! 死んじゃいます!」
「ううん。歌があったじゃない。私も翼をつけて、大空を飛んでいくの。
きっと、唯ちゃんも一緒に飛んでくれると思うわ。唯ちゃんが誘ってくれたの。二人でどこまでもどこまでも飛んでいこうって」
菫は大きく首を振った。金髪が左右に振れる。
「お嬢さま、それは幻です。唯様はお亡くなりになっていることはお嬢さまだってご存知――」
「しっ。失礼なこと、言ってはいけませんよ。ほら、唯ちゃんはそこにいるんだから」
菫は慌てて部屋の中を見回した。紬と菫以外の人影はまったくない。安堵と同時に、背筋を寒気が走る。
「お嬢さま。誰もおりません。唯さまは幻覚です。夢をごらんになっているだけなんです。いま、お薬を出しますから、それでおやすみになってください」
菫の声は怯えていた。メイド服のポケットから薬便を取り出す。震える指で錠剤を取り出す。が、指から滑り落ちた白い塊が紬の前に転がった。
「唯ちゃんは飲んじゃいけないって言ってるわ」
菫は固まった。
「飲めば死んじゃうって。だれも止めてくれないから死んじゃったって言ってるわ」
「お、おやめください!」
菫は紬に抱きついた。
「私はお嬢さまの味方です。何があっても、私はお嬢さまの幸せしか考えてません!」
紬は菫の頬を伝う涙を口でふき取った。
「じゃあ、私を幸せにしてくれる?」
そういうと、紬は菫の手をとって自分の胸に押し当てた。
「お、お嬢さま……?」
薄い生地の向こうで、紬の膨らみが呼吸で動く。その尖端の固い部分が、菫の指に当たった。
「菫。そこを触って」
「お嬢さま! そ、それはいけません……」
「どうして? 菫はあたしのこと、嫌いなの? 私はいい気持ちになりたいのに」
「わ、私はお嬢さまのことは大好きです。で、でも、あの、心の準備が――」
その唇を紬が塞いだ。しばらくして離れる唇の間を、糸が引く。
「お、お嬢さま……」
「二人っきりのときは、お姉ちゃんって呼んで。お願い。スケベで露出狂の紬を慰めて。一時だけでも、あの人や唯ちゃんのこと、忘れさせて」
次に唇を押し付けたのは、菫のほうだった。何もわからないまま、お互いの体を押し付けあう。
しかし、段々と要領を得ると、菫は紬の敏感な部分を指でまさぐった。
可愛らしい声で喘ぐ紬。いつの間にか、菫はその声に励まされるように、紬を高みに押しやった。
「菫、菫っ!」菫をつかむ紬の指に力がかかる。
「お姉ちゃん、イッて! 菫の指でイッてください!」
紬の体は激しく痙攣した。その両腕が菫を抱きしめる。
「ああ、菫、菫……」
「お姉ちゃん……」
見詰め合う二人の口が重なり合う。そして、菫の身体がすっと離れた。
「ああ、お嬢さま。私、とんでもないことを――」
「いいえ、菫。素敵でしたわ。また、お願いね」
「は、はいっ! お嬢さま、喜んで」
そういうと、菫は部屋を飛び出した。まだ心臓の動悸は治まらず、顔が赤いのが自覚できた。
閉めた扉にもたれる。と、右手が気になった。見れば、指先から根元まで、濡れている。
(これ、お姉ちゃんの……)
そう思うと、また心臓が暴れだす。いつの間にか、菫は自分の右手をなめ始めていた。
(汚れちゃったから、仕方ないよね。……でも、これがお姉ちゃんの味なんだ……。おいしい……)
メイド服のスカートの中へ手を押し込む。そして指をなめながら、自分の敏感な部分を弄った。
(お姉ちゃん、お姉ちゃん! 菫は、お姉ちゃんの奴隷です。好きなように使ってください。喜んでお使えいたします)
自分の口を塞ぐ指の間から、くぐもったうめき下をあげて、菫は頂上へ駆け上った。
「お姉ちゃん。……なんとか、お姉ちゃんが元気になる方法を見つけないと……」
廊下にへたり込みながら、菫はそう考えていた。
2.
(なんであたしが、こいつと付き合うことになる?)
梓は何度も自問した。きっかけは店長が満面の笑みを浮かべて梓に差し出した、演奏会のチケット。
「中野君が一生懸命に仕事してくれるおかげで、お店の売り上げも好調だし、ご褒美にと思ってね。
これで友達と一緒に行ってきなよ。お店、休んでいいから」
梓が渡されたチケットをみれば、確かに二人分。
「え? いいんですか、店長。でも、あたし、友達なんて――」
「毎日送り迎えしてもらってて、それはないんじゃない? それぐらい、御礼をしてもバチは当たらないと思うよ」
(送り迎え? 友達……って、もしかして、あのレイプ野郎のことか!?)
梓の笑顔が引きつった。それにはまったく気がつかずに、店長は続ける。
「中野君、可愛いからアブナイかもって気持ち、よくわかるなあ。けど、それが毎日だなんて、うん。彼の気持ちは真剣なものだよ。きっと」
(そ、そのカレってのに、昔、襲われて犯されたんですけど! 一応、ゴムつけてたけど)
「と店長に言われて、休みもらった。シブタク、どうする?」
「ま、ヒマだからね。オレより他に誘う奴もいねえって顔だな」
「悪かったわね。あれ以来、男には一切無縁になっちゃったんだから。いい、誰のせいだと思ってるの? あんたよ、あんたのせいなんだからね!」
「わかったって。前から責任とるって言ってるじゃん。じゃあ、コンサート、いっていいんだな」
「う、うん。じゃあ、この時間にね」
梓は自宅の前でシブタクと別れた。玄関までの階段を軽い足取りで上がっている自分に気が付く。
ちょっと胸がドキドキして、顔がなんとなくニヤけている。
(あ、あれ? もしかして、これって――デート?)そう思うと、足が止まった。
「う、うわー、それなりに舞い上がってる? いやだ、こんな自分がいやだー!」
玄関先で梓は悲鳴を上げた。
「まったく。家で怒られたわよ。近所迷惑だって」
シブタクは鼻で笑うだけ。
「で、どうだった?」
「ここのごはん、うまい」
梓はサンドイッチをパクついた。
「いや、飯の話じゃなくて、コンサートの話」
梓は口の中で反芻した。「……つまんなかった」
「同感」男が返す。
「ついつい、唯先輩と比較してた。唯先輩なら、あの部分、こう弾くだろうなとかって」
「立派。そこまでできるんなら、代役務まるぜ」
「勘弁してよ。無理だってわかってるんだからさ」
最後の一切れを梓は口に放り込んだ。
梓はそれなりの覚悟をしていたつもりだった。
だから、暗がりに連れ込まれても抵抗しなかったし、壁に押し付けられて
シブタクが覆いかぶさってきても、どこかで仕方ないとさえ思っていた。
が、心と違って、体は正直だった。とっさに身をかわすと、反射的に両手で男の顔を跳ね除ける。
もつれ合う二人の荷物が地面に落ちた。
「ごめん! やっぱ無理! ダメ、怖い!」
「くそっ! お前の病気はほんと、しつこいな」
シブタクの言い草にカチンとくる。
「誰のせいで、その病気持ちになったと思ってんのよ!」
「……すまん。オレのせいだ」
だが、その言葉と同時に、梓の小さな体は無理やり抱きすくめられた。
「あ、あんた――?」
「力ずくでやっちまったっていいんだぜ。前みたいにさ」
だが、その男の鼻先につきつけられたのは、小さなスタンガン。
「ごめんね。でも護身用にこれ持ってるってのは前に学習したと思ってるんだけど」
「そうだったな。どうする?」
「お互い、この場は引き下がるってことでどう?」
「了解」
落とした荷物を拾いあう。と、梓はその中に一枚のDVDがあることに気がついた。
「何、これ?」
「うん。平沢。ダチが未公開映像とやらをまわしてくれたんだ。お前が見たいかなと思って」
「唯先輩の未公開映像? 見たい。すぐ見たい!」
梓の家か、シブタクのアパートかで意見が対立した。結局、妥協点として閉店後のお店が選ばれた。
店長に電話して了解を得ると、梓の持っている合鍵で店の中に入る。
そして、DVDを店の大画面TVに映し出した途端、流れた大声。
『あずにゃーーーん』
そこには、ケイタイで撮影されたものらしい荒い画像の中、ネコの衣装を着た梓が路上で歌いまくっていた。
「な、何、これ!? なんでこんなのが、あるー!?」
梓は真っ赤になった。
「あ、す、すまん。これもダチが手に入れたんだ。おもしろいの、あるからって」
画面の梓の動きが止まった。呆然とした顔が見上げている。周囲がざわめく。
そして、スカートの奥がみるみる黄色く染まっていった。
喧騒の向こう、かすかに聞こえるアナウンスは『――平沢唯さんが死亡しているのが――』。
「ぎゃあああああーーー! 地獄、地獄よっ! 黒歴史じゃん、勘弁して! 病気がぶり返す!
あんた、こんなもん、あたしに見せるつもりだったんかあ!?」
梓はこぶしを振り上げてシブタクに襲いかかる。
「違う、違う! 一枚の中に、たまたま入れちまっただけだ。間違いだ。お前に見せるつもりはなかった。本当だ。
漏らすお前が好きなことは好きなんだが」
突然、画面から曲が響いてきた。男に襲い掛かった状態で止まった梓の目が画面に釘付けになる。
リハーサルなのだろうか。舞台の上にいるのは、Tシャツにジーンズというラフな格好の唯。
ギターを鳴らし、止め、笑顔で注文し、そして歌い、また少し注文をつける。
たったそれだけで、周囲に笑いがおこる。輝きが増す。舞台の雰囲気が変わるのが目に見えてわかる。
再び、鳴らされた曲は、さっきの曲とはまったく別の曲に聞こえるほど変化していた。
音の透明さが増して、一音一音がよどみなく、染み込んでくる。
「唯先輩、楽しくて楽しくてしょうがない表情してる」
梓は呟いた。TVでは見た事が無い、唯の表情や笑顔が、そして動きが映し出されていた。
「すごい……」
「すごいけどな、オレから言わせれば、この平沢に一番近いのが、お前なんだよ」
梓の両手を押さえていたシブタクが、耳元でささやいた。
「あの横に、一番近くに立ってていいのは、お前なんだよ」
梓の体の力が抜けた。それは唯の音楽のせいだったのかもしれない。
男の手が梓の体をつかんだ。いや、梓が男にしがみついたのかもしれなかった。
そして、夢うつつの時間が過ぎ去っていった。
(うはあ)
夢から醒めた時、隣で眠りこける男を見ながら、梓はひとつのことだけ思っていた。
(今度はゴム無しのナマだ。えっと、えっと、今日は何日だっけ?)
3.
長い黒髪を後ろで結った澪が汗いっぱいになって荷物を運び込んだ。
律は配送表に確認を入れながら、別荘の様子を探った。二人の汗と引き換えに、荷物はどんどん減っていく。
が、別荘の中については何の情報も手に入らない。
(どうする、律。もう荷物なくなっちゃうぞ)
(思い切って警察に駆け込むか?)
(バカ言うなよ。こっちがおかしいって言われるだけだ)
(じゃあ、どうするんだよ)
コソコソ話してみても、何の進展もない。
「どうかしましたか?」
メイド服の菫に変な顔をされただけ。
「い、いえ。なんでもありませんー。大丈夫ですよー」
律は営業用の笑顔で誤魔化した。
(仕方ない。澪、今日はあきらめるか?)
澪は首を左右に振った。瞳が何かを決意していた。
「諦めない。やれることは全部やる」
全部の荷物を運び入れ、律が金髪の少女に受け取りのサインをもらう段になった。
(澪っ! どうする?)
その時、澪が緊張した顔で声を張り上げた。
「き、き、キミを、……みてる、と、い、い、いつ、も……」
真っ赤な顔をした澪が、緊張からか、途切れ途切れにかすれそうな声をあげた。
「ゆ、ゆー、れる、お、お、おもいは、ま、ま、ま……」
呆然と二人が見つめる中、澪は必死で声を出す。
「な、何事ですか?」
「い、いやー。えっと、お、おい、澪! なんのつもりだ?」
あせる律に澪が訴える。
(早く、律も歌え!)
ようやく律も気がついた。(この歌をムギが聴いたら反応があるかもってか?)
「ずっとーぉ、みててーもーぉ、きづかーなーい……」
律も何とか声を絞り出した。
(恥ずかしがり屋の澪があれだけ必死なんだ。頑張れ、あたし!)
ワンフレーズが終了した。が建物の中には何の反応もなかった。律は澪を顔を見合わせた。二人とも青い顔になっていた。
(違うみたいだぞ)
(そんな、そんなはず、ないのに)
間違いだったのかもしれない、その重みに二人が必死に耐えているとき、声がかかった。
「あ、あの――」
二人の曲を聴いていた金髪の女性だった。
「え、あ、あの、つい、歌いたくなっちゃって。へへ、すみませんねえ。うるさかったですか?」
律は必死の笑顔で繕った。
「その曲って、桜高校軽音部ですか?」
「あ、あれえっ? なぜにご存知?」
三人は顔を見合わせた。
「私、齊藤 菫といいます。桜高校軽音部だったんです。その曲はあまり練習できなかったんですけど」
菫が驚きと笑みが交じった顔で話しかけた。
「誰ん時の学年だったんだ?」
「1年のときに、3年に中野 梓先輩と平沢 憂先輩がいましたよ。あと、えーと、えーと、なんとか純先輩も」
「ああ。じゃあ三つ下で、すれ違いなのか」
「ええっ! じゃあ、あの伝説の学年、『放課後ティータイム』なんですかっ! 平沢 唯先輩と一緒の――」
「いやー、伝説だなんて。一体誰がそんな本当のことを?」
律は真顔。
「顧問の山中 さわ子先生が言ってました。化け物じみてたって」
「さわちゃんかあ。さわちゃん、正直だからなあ。うんうん」
「ええ、平沢先輩だけがすごく目立ってたって」
「あああ。そうか、そうなんだよなー。さわちゃん、正直にそんなこと言ってたのかー」
律と菫の会話に、澪が割り込んだ。
「律! そんなことはどうでもいい。菫、ここにムギいるだろっ?」
「はっ? そうだった。ムギだ、ムギを出せーっ!」
「む、ムギって何ですか? は、も、もしかして、紬お嬢さまのことですか?」
「そうだ、琴吹 紬だっ!!」
「ここにいるんだろっ! ムギっ! 出て来い! 澪と律が来てるぞ!」
「や、止めてください! お嬢さまが起きて――いえ、そ、その、お嬢様は不在ですから!」
澪の手が菫の腕をつかんだ。
「ひっ!」
「いるんだな。ムギはここにいるんだな。どうして逢えない? 逢っちゃいけない?」
詰問されて、目をそらす菫。
「もー、この子は。先輩たちの言う事が聞こえないっていうの!?」
「いきなりこんなところで、先輩風吹かさないでください!」
菫は澪の手を振りほどいた。
「お願い、来て。誰か、来てくださいー!」
どこにいたのかと言うほど、突然に黒服の男達が出現した。
戸棚の中、テーブルの下。天井から顔を出す者。床板を跳ね除けて現れる者。
たちまち、二人は山のようなSPにうずもれることに。
「ああ、いい男たちに取り囲まれてる私って……」
「律! そんなこと言ってる場合じゃないっ! 菫、菫っ!」
黒山の向こうから申し訳なさそうな声が聞こえる。
「本当にごめんなさい。だんな様の申しつけなんです。
どうか、このまま出て行ってください。何も聞かなかったことにしてください。
あ、皆さん。この二人を傷つけないで。できるだけ丁寧に、容赦なく、追い出してください。
宅配屋さんのほうには、もう二度とお二人を派遣しないでくださいって言っておきますから」
「待って、それだけは勘弁してー!」
「おい! 言ってる事がおかしいぞ!」
いくら二人が抵抗しても多勢に無勢。別荘から追い出され、車に押し込まれ、車ごと門からほっぽり出された。
それを見届けた菫がムギの部屋に向かった。
「よかった。よく眠ってらっしゃる。お姉さま。私がお護りいたしますから、どうぞ安心なさってください」
菫が小さく礼をして部屋を出て行くと、紬が呻いた。
「唯ちゃん……」
「あー、ちくしょう。会社、クビになっちまうよおー」
運転席で律は頭を抱えていた。
「このご時勢、次の就職なんて、簡単に見つかんないぜ」
「しょうがないよ。こうなったら、とことん闘おう」
「いや、やめようぜ。危なすぎる。次はあっちも本気だぞ。澪はあの男達と命のやり取りまでするつもりなのか?」
「昔から律は冷たすぎる」
「お前に言われたくねえよ!」
二人はお互いの顔をひとしきり引っ張り合った。
「やめよう。あたしらがいがみ合っても何の意味もない」
「そうだよな。これからどうするかだよな。ムギがいることは確かみたいだし、どうやって会うかだよな」
二人はしばし、考え込んだ。
「そっか。梓だ!」
律が叫んだ。
4.
「どうして? どうして無理だなんて、言うの?」
梓の大きな目は涙でいっぱい。それを見たシブタクは肩をすくめた。
「無茶言うなよ。体力的に限界なんだって」
「あたしのこと、ずっと護るって言ってたじゃない。そんな体力で護るなんて偉そうに言ってたわけ?」
「いや、もうくたくたなんだって。ここんとこ連日連夜だろ。休まなきゃもたないぞ」
梓の瞳に、不安の色が横切った。
「まさか、……もうあたしに飽きたっていうの? それとも、あの女とよりを戻すとか。いやよ、そんなの、絶対にいやだからっ!」
「おいっ! 勝手に妄想してんじゃねえ。まったく、人の下半身を両手に持ってて、つまんねえこと言うなよ」
「てへ。やっぱり?」
梓は軽く笑うと、再び口にくわえ込んだ。舌と唇で刺激を加える。
「く……うめえじゃねえか。ほんとに他の男とやったことねえのか?」
「ないふぉ。でも……おいひいよ。これ。すっと、くわえへていひゃいよ」
涎でベタベタにしながら、さらに両手で刺激を加え続けた。ようやくその効果が現れたのか、口の中で大きく膨らんでくる。
「きひゃ。まひゃのまひぇて。いっひゃいだひて」
「っくうぅっ! いく、いくぞ!」
「いったい、今日だけでも何回目だ?」
飲み干した梓は幸せな笑みを浮かべて、シブタクに抱きついていた。
「えっと、朝迎えに来てもらったときにして、別れ際に物陰で口にしてもらって、帰りはこれで二回だっけ」
「……三回だ。いいか、毎日、こんなペースなんだぞ。こっちがもたねえよ」
「仕方ないじゃない。頭の中、ソレでいっぱいなんだもん。仕事中も、ついつい思い出してばかりだから」
「そんなんで、仕事できるのか?」
シブタクは呆れた声を出した。
「うーん、店長からも、中野君、最近お疲れみたいだよって言われたしなあ。やっぱ、どっかおかしいかも?」
「どっかってレベルじゃねえよ。完全に狂ってるって」
「人を異常者みたいに言わないでください。今まで拒否してた反動がでてるだけです」
梓は口を尖らせた。
「その拒否の原因というのが――」
「はいはい。オレって言いたいんだろ。わかってるって。……けどさ、梓。そんなに気持ちいいのか?」
「うーん、気持ちいいのとはちょっと違うみたい。
なんていうのか、そうしていないと我慢できないっていうか、他のことには興味がなくなったっていうのか。
こればっかりしてちゃ駄目だってわかってるんだけど、やめられないって感じ」
「それって――ヤク中のやつが言ってたのと同じじゃんか?」
梓は男をにらみつけた。
「じゃあ、なに? あたしがクスリでもやってるってこと!?」
「あ、いや、そこまでは言ってない」
梓は右手をシブタクの下半身に下ろした。
「ね、次はどこでする? あたしの部屋はどう? 下に親がいるのにやってるってすごく緊張して興奮するかも。
それとも外がいい? 初めてのときみたいに、襲ってみる? なんだったら高校の制服着ようかな。抵抗する女の子がいいんでしょ?」
「待て、梓。それよりも聞きたい事がある」
梓は小首をかしげた。とめてある長い髪が揺れる。
「一回もゴムしてねえだろ。ずーっとナマだぞ。大丈夫かよ?」
「――気づかれちゃった。うん。いいよ。その方が気持ちいいんでしょ?」
「って、お前、そんなこと言ってたらできちゃうぞ」
梓は笑みを浮かべた。
「心配ないよ。だって……たぶん、もうできてると思うから」
男は声を失った。その表情を見て、梓は笑う。
「最初……じゃないか。二度目。ほら、お店でしちゃったよね。
あの時、不意打ちで準備もしてなかったから、たぶん、できちゃったと思う。あれまではきちんと毎月あったのが、あれから無いから。
だから、今はどれだけやっても平気かなって。へへ、あたし、賢いでしょ?」
「い、いや、賢いって問題じゃなくて。できたってか?」
男の狼狽に笑みを浮かべていた梓の表情が、だんだんと曇りだす。
「もしかして、うれしくないの? できちゃ駄目だったとか?」
「い、いや、そんなこと、ねえ。驚いただけだ。そりゃあ、やりゃあ、できるんだからな。
そうか、しかし、できたってか。はは、オレの子だってか」
「だから、もっとしよっ! いっぱい楽しもう。あたし、上になって、腰ふるから!」
「おい! ちょっとは休ませろって!」
梓が無理やり男の上に跨った時、ケイタイが鳴った。
「え、何? ふ、ふう。もう、いいときに……にゃん!? み、澪先輩?」
「もしもし、梓です。はい、澪先輩。お久しぶりです。お元気でしたか?」
通常会話のトーンに変えた梓がケイタイに出た。それでも腰はゆっくりと動かしている。
うめき声を上げそうになるシブタクに、(黙って!)と目で制止。
「あー。いえ。こっちの話です。ええ……。え? 菫? 齊藤 菫ですよね。知ってますけど」
快感に酔いながら、敏感な部分をこすり付けていた動きが止まった。
「はい。ムギ先輩の執事の齊藤さんの娘さんです。ムギ先輩と姉妹みたいに育ったって言ってました。
私が高校を卒業してからは、まったく接点がなくて。最近どうしてるってのはわかんないです。
そうですね――」
梓は腰を再び動かしはじめた。ヌルヌルの中を動く固い感触が悦びを高める。
「ああ、はあ……。ええ。そう思います。ふうー。ええ、菫は琴吹の家に戻ってるって思いますよ。
え? そりゃ逢いたいって言えば、応じてくれると思いますよ。ひっ、よ、呼び出すんですか?
理由は何でもいい? りっ、律先輩も同席する?
ええ、わかんないけど、わかりました。んくうう――、いえ、なんでもないです。
ええ、ちょっと取り込み中なんです。あ、あんふうぅぅ。わ、わかったら、連絡します。はい。失礼します」
梓は通話を切った。自分の胸を揉んでいる男の顔を見つめて、惚けた顔をする。
「どうしたんだ?」
「興奮するー! エッチしながら、澪先輩とお話しするの、すっごい気持ちいいー!!」
梓は真っ赤な顔で叫んだ。
5.
軽音部の仲間とよく使ったハンバーガーショップの下の喫茶店。そこで澪と律が、あの別荘での体験を梓に話していた。
梓の横にはめんどくさげな表情のシブタク。無理やりつれてこられて、べったり梓にくっつかれている。
そのシブタクに律はうさんくさげな目を向けた。
「梓、なーんか仲良さそーに見えるんですけど、そういう関係なのか?」
「うーん。否定できない自分がいますねえ」
「え? ほんとか? まさか、キスとかしてんのか?」
驚く律をよそ目に、梓は余裕の微笑み。
「もうちょっと先までいってるかも。でも、そんなことはどうでもいいです。菫はもうすぐくると思いますよ。
あたしと菫が話している間、先輩達は隠れていて、折を見計らって登場する。そういう計画なんですね?」
澪と律は頷いた。そして物陰に隠れる。
しばらくすると、入ってきたのが、菫。金髪を帽子に隠し、サングラスとマスクで顔まで覆っている。
がメイド服は極めて人目についた。
(あれじゃあ、返ってめだつような……)
悪いなと思いながら、梓は手を振った。
「あー、ひさしぶりー」
「ど、どうしてわかったんですか。いえ、お久しぶりです。梓先輩」
菫はテーブルに近づくと、あたりをきょろきょろと見回してから着席した。
「どうかした?」
「誰かに見張られてるような気がしたんです。この前、軽音部のOGさんが来たし、なんだか陰謀の気配が……」
(す、鋭い)
梓は冷や汗をかきながらも、そ知らぬ顔に笑みを浮かべた。
「そ、そうなんだ。心配性なんだね。えっと、今日来てもらったのは……」
梓は隣のシブタクを示した。
「ボーイフレンド。あたしのイイ人なんだ。菫に紹介しておこうと思って」
「へー、カッコいい人、捕まえたんですね。梓先輩、うらやましいなあ。
で、結婚するんですか? まだ早いですか? もしかしてエッチまでしちゃってるとか?」
目を輝かせ、身を乗り出して聞いてくる菫。その背後を澪と律がこそこそ動いているのが梓に見えた。
(今、振り返られるとヤバいかも!)
そう思った梓は慌てて菫が興味を持ちそうだと思った話をし始めた。
「じ、実は、できちゃったかなあって思ってるの。もしそうだったら、菫、いろいろ助けて欲しいな」
「え、それってもしかして……ええーっ! 梓先輩、すごい! 本当に作っちゃたんですかっ!?」
バタバタっと駆け寄る足音。
「それホントかーっ!? 梓! 後輩に追い越された・・・」
「結婚するんだろ。責任取らせろよ。ヤリ逃げさせちゃ駄目だぞ!」
梓の周りを澪と律までが取り囲んでいた。突然の二人の登場に、菫も目を丸くしている。
「ちょ、ちょっと先輩ーっ! 打ち合わせと違うじゃないですかあっ!?」
「あっと、そうだった。確保はこっちだーっ!」
悲鳴と共に、菫が押さえ込まれた。
「さあ、洗いざらい、白状してもらおうじゃねえか」
すごむ律の頭を澪が軽く叩いた。
「そんな言い方じゃあダメだろ。菫、あたし達、ムギのこと助けたいって思ってるだけ。
それが本当にお邪魔な話なら、このまま消える。約束する。だから、正直に全部話してくれ」
一人一人の顔を見て、その真剣な表情に観念したかのように菫は話し出した。
イギリスから傷心で帰ってきて以来、幻覚と幻聴としか思えない毎日を、紬は過ごしていること。
落ち着かすために睡眠薬や精神安定剤が手放せなくなっていることも。
「でも、怖いんです。平沢 唯先輩が亡くなったのと、同じものを飲んでるじゃないかって訊かれるんです。
私、そういうのよくわからないから、とにかくお医者様のいうとおりにしているんです。
自殺の可能性もあるからって、傷つきそうなものは全部隠したんです。でもこの前、飛び降りようとしたこともあるし。
とにかく、私、どうしたらいいのかわかんないんです」
ようやく、紬の詳細な情報を手に入れた一同は、呆然としていた。
「ムギ、そんな目にあってたんだ」
「お金、たくさん持ってて、裕福に暮らしてると思ってたのになあ」
「でもそれって、ムギ先輩のお金じゃなくて、お父さんのお金ってことですよね」
「はい。だからお嬢様は旦那様の言いなりになっているんです。
ご結婚も離婚に関しても、お嬢様の意思なんて、どこにもないんです。全部、旦那様がお決めになっているんです。
次のご結婚に関しても、旦那様がお決めになるって聞いてます。
それまでは別荘から、いえ、あの部屋から一歩も外へ出すなって私、きつく言われてます。
私がしっかり見張っていなきゃいけないんです。
ホントはここに来るのだって、怒られるんじゃないかってドキドキなんです」
「そんなの、ムギの人権無視じゃんか!」
律がこぶしを振り上げた。
「ムギはなんて言ってる? 外に出たいとか?」
「駕籠の中の小鳥だって。だんな様に抵抗するわけでもなく、諦めきっているような状態です。
このままではお嬢様はお金はあっても、意思のない操り人形です。なんとかして助けてあげたいんです」
「あたしも絶望に浸ってたときは、泣いてただけで、なんにもできなかったからなあ」
すごくむなしい気持ちだったと告白する澪。
「どんな形でもいいけど、きっかけがあれば一歩が踏み出せるんじゃないかな」
「どんな? しかも、父親の意思を変えることができるか? これ、難しいと思うぞ」
「だからといって、ムギをほっとけるか!?」
喧々諤々の言い合いが始まった。
梓は隣に座っているシブタクの手をぎゅっと握った。
梓の手が震えていることに気が付いたシブタクは顔を覗き込む。
「支えてよね。あたしのこと」
腑に落ちない顔をするものの、男は頷いた。それに力を得た梓が口を開こうとした。しかし、その時、別の影が現れた。
「ごめんなさい。遅くなって。仕事に時間かかっちゃって」
「憂。待ってたから」
「梓ちゃん、シブタクさん。この前はどうも。先輩方、ご無沙汰してます。菫ちゃん、ほんと久しぶりね」
平沢 憂だった。在りし日の唯そっくりに身づくろいした憂の登場は、一種不思議な雰囲気を生んだ。
目をそらす澪。見つめる律。それがわかるのか、憂も二人とはあまり視線を合わせない。
だが、梓はこうなりそうだとわかっていても、あえて憂を呼んでいた。手短に今までの話を聞かせる。
「憂にも協力して欲しいの」
「私に? 何ができるんだろう? 梓ちゃん」
憂は首をかしげた。
「演奏会をしたいんです。『放課後ティータイム』として、唯先輩への追悼演奏会を」
一瞬の静寂が訪れた。そしてその場はハチの巣をつついた大騒ぎとなった。
「な、何言ってんだ? 梓。何を言い出すんだ?」
「うわー。聞けるんですかあ。あの伝説を」
「梓ちゃん。でも、ムギ先輩がいないと」
「や、やめてくれー。あんな恥ずかしいこと、もうできないー」
梓はとりあえず、一同を黙らせた。
「いいですか。これから説明します。よーく、聞いてください。
まず、同じグループだった私達は唯先輩に対する敬意を払わなくてはいけないと思うんです。
唯先輩がやってきたこと、お亡くなりになった事に対して、私たちができることでまだしていないこと、
それは追悼の演奏会をすることだと思うんです。私たちが唯先輩の仲間であったことの証しとしての」
梓の言葉をじっと聞いていた律が口を開いた。
「梓の気持ちはわかった。でもいっぱい問題があるぞ」
「まず、唯がいないんだから、ギターを梓一人でやるってことか?」
「それも考えたんです。でもやっぱり唯先輩がいなくては、『放課後ティータイム』にならないんです。
だから、憂に弾いてほしいって思ってるんです」
だが、それを聞いた憂の反応までは、梓も予測できなかった。
憂は真っ青になって梓を見つめた。大きく目を見開き、自分を抱きしめる両手が大きく震えている。
「――憂?」
「だめ。梓ちゃん、それは無理。あたし、お姉ちゃんの代わりなんて絶対にできない!」
それだけ言うと、憂は突然、店を飛び出していった。
「憂っ!?」
梓の悲鳴を背後に残して。
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