○西暦一九九二年四月六日
今日は始業式。
新たな学年の始まりの日でもあります。
唯依も、もう五年生。
思えば早いものです。
あの入学式………か…ら………
……まあ父様も叔父様も、いまは国外にて任務に励まれているので、流石に居ませんか。
………居ないですよね?
ふぅ……あの時は、本当に恥ずかしかったです。
来年は、唯依も最上級生。
卒業式の際には、キチンと予め言い含めておきましょう。
さて、クラス分けを確認して教室へ行くと、皆、思い思いに集まって雑談に興じていました。
とりあえず適当な席についた唯依。
その耳に、聞き覚えのある単語が――
思わず耳をそばだてると、幾つかのグループが、ナイトメアフレームを話題に会話していました。
それだけなら、休み前にもあった事なので然程珍しくもありません。
ご丁寧にも、未だ諦め悪くKMFの批判を垂れ流しているメディアは少なくなく、誹謗中傷も尽きる事は無いようで、メディアを真似て声高に批判を口にしていた生徒も少なくありませんでしたから。
ですので、それだけなら、『ああ、またいつもの事か』と聞き流していたでしょう。
流石に、その手の輩を相手に四六時中怒っていてはキリもありませんし。
そう、ストレスは、お肌や髪に悪いのです。
折角、磨き上げたモノを、わざわざ痛めるなど馬鹿馬鹿しい限り。
ですが、その日の内容は、少し違っていました。
どこか興奮した様子で会話を交わす子達は、KMFを賞賛する様な言葉を口にしているのです。
それが唯依の興味を惹いたのでした。
……そう、あくまでも、あくまでも興味を惹かれたからです。
普段の唯依は、人の話に聞き耳を立てるようなはしたない真似はしないのですから!
………コホンッ。
まあ、何はともあれ漏れ聞こえる会話を拾うと大体のところは分かりました。
どうやら大陸から戻った負傷兵が、身内に居る何人かから、話が広まっているようです。
――前線におけるナイトメアの活躍とその有用性が。
思わず唯依も、内心で歓びを噛み締めました。
兄様のお仕事が、やっと国内でも認められたのですから。
そうやって溢れ出る思いを、必死に繕いつつ平静を装いながら、更に会話に耳を傾けると、どうやら二派に意見が分かれている事も判ってきました。
一派は、先ほどのKMF肯定派、そしてもう一派は当然というべきかメディアに流されている否定派です。
数的には否定派が多い様ですが、実際にその眼で見て、そして実感した生の意見を聞いた側には勢いがあります。
その為、中々、言い合いに決着がつかず、半ば口論になりかけたところで、肯定派の一人が言いました。
――近日中に、KMFのデモビデオが、父親の伝手で手に入るので、それを見て白黒着けようと。
この一言で、一先ず言い合いに終止符が着きました。
更には丁度良いタイミングで、新しい担任の先生が教室へ入ってきた為、皆の注意もそちらに移ったのです―――唯依だけを除いて。
………デモビデオ。
コメカミを嫌な汗が伝います。
ま、まさかアレが、出回っているなんて事は………
な、無い筈です。
無い筈ですよねルル兄様っ!
○西暦一九九二年四月九日
え〜………バレました。
唯依が、ナイトメアフレームに乗ったのが。
ダブダブの対Gスーツを着込んで、半ば涙目になって悲鳴を上げている映像が、実にクリアな映像でデモビデオに映っていたのです。
……ああ、穴が有ったら入りたいとはこの事でした。
今回ばかりは、お恨み申上げます。
絶対に、絶対に、責任を取って頂きますからね、ルル兄様っ!
……ふぅ。
とはいえ、今更どうしようもありません。
まさに、『覆水盆に還らず』です。
午後にはもう、学校中が噂で持ちきりとなり、担任の先生にも事実関係を聞かれました。
まあ、兄様のお立場も考えて、唯依が無理矢理せがんだ事にしておきましたが。
その後、多少、職員の間で揉めた様ですが、やはり兄様――ではなく、枢木が恐いのか特に抗議等も為されず、なし崩しに何も無かった事になりましたし、問題も無いのでしょう。
正直、教職に在る身が、それで良いのかと思わないでもないですが。
まあ、いいです。
それは良いでしょう。
それは許します。
ですが、これだけは―――遠巻きにヒソヒソ話の具にするのだけは、止めて頂きたいものです!
………はぁぁ……兄様、ルル兄様、次にお会いした際には、きっとこの貸し返して頂きますからね?
○西暦一九九二年四月十三日
思いもよらぬ出来事というのは、案外、そこらに転がっているのかもしれません。
今日は、その事を強く感じた一日でした。
始まりは授業が終わっての帰り際。
特に用も無かったので、速やかに帰り支度を済ませ、家路へと着こうとした時でした。
唯依の行く手を塞ぐように、数人の生徒達が。
面識も無い人達に、思わず唯依も身構えてしまいました。
……いえまあ、以前、少しだけイジメを受けたからなのですが、どうしてもこの手の状況では警戒心が先立つ様になってしまったのです。
ふぅ、自身の精神くらい容易く統御出来ぬとは、唯依もまだまだ未熟なのでしょう。
まあ、そうやって警戒も露に身構える唯依に対し、相手の方々からは微かな狼狽が伺えました。
なんと言うか、思いもよらぬ反応に面食らった様子とでも言うべきでしょうか?
互いに、相手の意図が読めず、次の行動に移れない。
そんな微妙な緊張が、双方の間を埋めていました。
とはいえ、そのままで居ても何の解決にもなりません。
それに、いち早く気付いたのか、生徒達の中心と思われる人――唯依よりも上級生と思われる女性が一歩前に出ると、軽く頭を下げて詫びを口にされました。
『驚かせてしまい申し訳ない』と。
これには、今度は唯依の方が慌ててしまいます。
アタフタしながらも、顔を上げてくれるように懇願すると、相手も謝罪が通ったと判断したのか、顔を上げてニコリと笑いかけてくれました。
……むぅ、笑顔が綺麗です。
同性の唯依も、思わずドキリとする程でした。
これは『兄様には会わせない人リスト』に入れておくべき逸材です。
……と、脳内でマーキングしていると、相手が待ち伏せ――する様な形になってしまった理由を話してくれました。
要約するなら、なんでも彼女らはKMFに興味があるのだとか。
それで、こっそりとでも良いから、乗せて貰えないかと唯依に頼みに来たのだそうです。
集団で来てしまったのは、やはり一面識も無い唯依と、一対一で会う事に気後れしてしまったのだとか。
その事で、威かす形になってしまい、本当に申し訳なかったと、再度、頭を下げる先輩――藤原さんと言う武家の息女の方に、唯依も大慌てで応じます。
こちらこそ、申し訳なかったと。
そのまま何度か、互いに謝り合う形になってしまった唯依と藤原先輩。
流石に、二人揃って頭を下げあう光景に呆れたのか、藤原先輩の友人の方がさり気なく制止してくれました。
そうして互いに一息ついた唯依と藤原先輩。
気を取り直した先輩に、改めて、お願いされてしまうと、流石に断り辛いモノがあります。
また、期待の篭ったキラキラした眼差しで、注視してくるお友達の方々も、無下には扱い辛く、結局、唯依は勝算も無いまま首を縦に振る羽目になってしまったのでした。
無邪気に喜び合う先輩方。
そんな彼女等を横目に見つつ、唯依は内心で嘆息するばかり。
嗚呼、本当に思いもよらぬ出来事というのは、案外、そこらに転がっているのかもしれません。
……ふぅぅぅ……です。
○西暦一九九二年四月十四日
戦術は、敵の虚を突く事こそが重要なのです!
……何が言いたいかと言うと、真っ正直にルル兄様に頼むのは愚の骨頂という事です。
ご自身は、非常識で型破りな割に、何故か唯依には常識人である事を求められるルル兄様。
そんな兄様に、真っ正直に『またKMFに乗せて下さい。ついでにお友達も』などと、お願いしたところで却下されるのが関の山。
ならば正面からの突破に固執せず、側面、或いは背後からの攻撃も考慮すべきでしょう!
………そんな事を考えていた時期が、唯依にもありました。
叔母様、お願いですから、丸々と太った小鳥を見つけた猫のような眼で、唯依を見るのは止めてください。
正直、恐いです。
イジメっ子の眼です。
やはり叔母様は、ルル兄様の母君なのだと強く感じました。
とはいえ、もはや後には引けません。
いえ、多分、退かせて貰えないでしょうし。
そうやって、重ねてお願いすると、意外なほど素直に叔母様は、首を縦に振ってくれます。
……怪しいです。
本当に、怪しかったのです。
アレは、絶対に何か良からぬ事を思いつき、企んでいる眼だったのですから!
とはいえ、こちらから頼んだ手前、今更、やはり結構ですとも言えません。
ああ、本当に何事も無ければ良いのですが………
○西暦一九九二年四月十九日
今日は日曜日。
そして叔母様が、約束を果たしてくれる日でもあります。
やがて指定された時間が近づくと、唯依から話をした先輩方が、三々五々に枢木のお屋敷へと集まってきました。
どの方の顔にも、興味と喜びの色が溢れんばかりに浮かんでいます。
そんな先輩方を、満面の笑みで迎える真理亜叔母様。
……眼の錯覚でしょうか?
そのまあるいお尻から、黒い尻尾が生えているような……
……錯覚ですね。
そう錯覚です。
錯覚なのです!
――等と、自身に言い聞かせている唯依を他所に、初めて真理亜叔母様に会う先輩方は、皆一様に見惚れています。
あの大人びた藤原先輩ですら、それは例外ではありませんでした。
まあ確かに、眼を見張るほどの華やかな美人ですし。
お胸も、お尻も、ふっくらと大きいですし。
唯依の様なペッタン、ペッタンした娘は元より、中々に羨ましい胸をした先輩方でも、やはり到底太刀打ちなどできません。
そうやって皆が皆見惚れる中、にっこりと笑った叔母様は、優しい声で先輩達の来訪を歓迎します。
それを受け、弾かれた様に頭を下げる皆さん。
だからこそ、きっとソレを見たのは唯依だけだった筈です。
――叔母様の紅い唇が、こうニヤリとばかりに歪んだのを見たのは。
嗚呼、やはりルル兄様のイジメっ子気質は、叔母様譲りだったのだと再確認した瞬間でした。
そんな風に、どこか腑抜けていた唯依を尻目に、事態はドンドン進んでいきます。
やってきたマイクロバスに、促されるままに乗る先輩達。
最後に唯依が、恐る恐る乗り込むと、バスは走り出しました。
そして一時間後―――
嗚呼、お仲間が増えるという事は、やはり良い事だとつくづく思います。
本当にそう思います。
誰が何と言おうと思うのです!
……などと自分自身を偽りながら、背後から聞こえる先輩達の阿鼻叫喚を聞き流しつつ、お茶をすする唯依が居たのでした。
○西暦一九九二年四月二十日
お友達が増えました。
……正直、予想外です。
嫌われるまで行かずとも、避けられるくらいは覚悟していたのですが………
そう素直に本音を吐露すると、皆が皆、判で押したように、どこか遠い目をして呟きます。
――私達、もう友達じゃない、と。
それだけで、唯依にも意味が通じました。
同じ恥をかいた者同士――いわゆる戦友という奴なのでしょうね。
唯依は、ただ黙って手を差し出し、堅い握手を交わす事しか出来ませんでした。
……え〜……ですが、唯依は粗相はしていませんよ?
これだけは、乙女として重要な事なので主張させていただきますからね。
○西暦一九九二年四月二十六日
今日は、新しく出来た『お友達』を、また枢木のお屋敷にお招きしました。
いえまあ、誘った時は、皆が皆、引き攣った顔で唯依を見るのには閉口しましたが。
そして、真理亜叔母様からの伝言を伝えると、今度は裏切り者を見る眼差しで睨みます。
ううっ、唯依とても望んでの事ではないのです。
でも叔母様には、頭が上がらないのです。
お願いですから察してください。
まあ弱味を握られた者同士、皆さん不承不承ではありますが、最後は諦めて納得してくれました。
唯依もホッと一安心したものです。
……ですが、今は思います。
勇気を出して断ってくれれば良かったと。
まず重い足取りで、枢木の門を潜った面々を迎えるのは、前回と同じく満面の笑みを浮かべた叔母様………と、ルル兄様!?
お仕事では無かったのですかっ!?
驚愕する唯依に、予定が変わったと事も無げに言う兄様。
その脇では、叔母様が楽しそうに笑っています。
ううっ、また謀られました。
兄様の前で、再び恥をさらす破目に。
そう思った唯依ですが、実は、それだけでは済まなかったのです。
そして、それに気付くのに時間を要する事は無く、気付いた時は手遅れでした。
そこの貴女、妙に潤んだ眼で兄様を見ないで下さい!
藤原先輩も、頬を真っ赤にして話し掛けないで!
兄様は……ルル兄様は……唯依だけの兄様なのですっ!!
どうもねむり猫Mk3です。
今回は、題して『唯依姫、お友達が増える』の巻。
……別に、今まで友達居なかった訳でもないですが、ちょっぴり浮いていた筈なので
ちなみに藤原先輩。
TE総集編の方に、ちょこっと出てくる斯衛の大尉さんがモデルです。
年代的には、多分、唯依に近いとは思うのですが、詳細が分からないので、あくまでもモデルですし、今後、出の予定もないチョイ役ですので。
さて、それでは次回は本編で