―― 西暦一九九三年十二月二十八日 帝都・二条城 ――
「……揃った様ですな」
広壮な会議室内に榊の声が響いた。
彼から見て右手には帝国の武の代表である帝国軍・斯衛軍の将校が、そして左手には国防省・情報省・城内省の高官が、それぞれの所属毎に分かれ、並んで座っている。
各人の手元には、つい先程、技術廠から上げられてきたばかりの中間報告書が配られ、既に眼を通し始めている者も少なくは無かった。
それらを確認すると榊は、再び口を開く。
「さて、既に眼を通して頂いている方もある様だが、その中間報告書に関して、専門家よりレクチャーをして貰おうと思う」
そこで一旦、言葉を切った榊は、周囲を一瞥すると異論が無い事を見て取った上で、一人の軍人を指名した。
「巌谷少佐、よろしくお願いする」
「ハッ!」
瑞鶴の英雄にして、技術廠・第一開発局所属の巌谷が指名を受けて立ち上がると、周囲から微かなざわめきが起きた。
好意と敵意が相半ばする中、進み出た巌谷は、榊の対面に設置されたプロジェクターの横に陣取ると一同へと振り返る。
一分の隙も無い敬礼を終え、マイクを手にした男は、ゆっくりと口を開いた。
「それでは過ぎる十二月二十四日、斯衛軍戦術機訓練場にて行われました模擬戦についての調査結果をご報告させて頂きます」
プロジェクターに中間報告書が映し出され、それを指し示しながら巌谷が話し始めた。
「先ずは、模擬戦において枢木工業製と思しき新型戦術機『ランスロット・ゼロ』が使用した振動刀についての調査結果から――」
振動刀の概要、その切断力、そして恐らくはスーパーカーボンを超えるであろう新素材の使用などについて概要を巌谷が説明し、詳細については実際に調査に当たった技官らに必要に応じて説明させる形式で話を進めていく。
その驚異的と言ってよい切れ味、何よりもこの振動刀をもってすれば、強靭極まりない突撃級の装甲殻すら容易く切り裂けるであろうとの推測に両軍の将官が眼を輝かせた。
特に長刀による近接戦闘を重視している斯衛軍側の反応が良いのを横目で見つつ、巌谷は先を続ける。
「続きまして――」
模擬戦のデータから想定される機体主機容量、X翼型跳躍ユニット出力、即応性、最高速等々を実測値や映像からの解析結果を交えて報告していく。
感嘆とも羨望ともつかぬ声が随所で上がり、途中幾つかの質問が挟まれたが、全体としてはスムーズに進んでいく中、説明をしている巌谷も、彼を指名した榊も、一波乱ある事を予期し、心の準備を整えていた。
そしてその予想通り――
「もういい!
もうヨタ話は沢山だっ!!」
――『ランスロット・ゼロ』の異常なまでの機動性の秘密に関する説明に至った所で、城内省側が爆発した。
「慣性制御だと?
どこの三文空想小説かね。
ふざけるのも大概にしたまえ!」
あの驚異的な加速と減速の秘密が、慣性制御もしくはそれに準じた技術の恩恵によるものとの推測に盛大に反発し出す。
模擬戦で大恥を掻く破目になった彼等にしてみれば、自らが排斥し、そして膝下に繋ごうとした相手が、その様な大層な技術を保有しているかも知れないという予想に我慢の限界に達したのだった。
枢木に対する鬱憤半分、自らの面子の死守が半分、そして当の枢木と懇意である巌谷への怒りが少々混ざり合った言葉の槍ぶすまが巌谷へと殺到する。
「そもそも何故、貴様が調査の指揮を執っているのだ!」
「そうだ!
枢木とツーカーの貴様の調査など信用できるかっ!!」
枢木と親しい間柄である巌谷が、調査の指揮を執った事に不満を述べ、そしてそんな巌谷から聞く調査結果など信用できないと主張し出した。
もはや個人攻撃と化した城内省の発言に、多くの閣僚や軍人が眉を潜める。
だが流石に慣性制御云々は、眉に唾をつけたくなる者が多いのか、直接止めに入るのを躊躇うのが大半だった。
結果、城内省の反発は一気にピークへと駆け上る。
「我が城内省としては、再調査を要求する!」
「然り! こやつの報告など信用できん。
どうせ枢木にとって都合の悪い事実を隠す為に、慣性制御などという嘘八百を並べ立てているのだろう!」
……巌谷の口から呆れ混じりの溜息が洩れた。
まあ爆発するとは思っていたが、どうやら予想以上に枢木憎しで凝り固まり、周りが見えなくなっている様だと、胸中で小さく諦めを呟くと、参集している文官の一角にチラリと視線を送る。
「……よろしいでしょうか?」
情報省の高官が、事前のシナリオ通りに挙手した。
唐突な乱入者に水を差され、城内省の非難の矛先が僅かに鈍り、その機を逃す事無く榊が場の流れに楔を打ち込む。
「構わん。
醜悪な個人攻撃を見るのも飽き飽きしていたところだ」
「「「――っ!?」」」
さらりと放たれた皮肉に、巌谷を謗っていた高官達の口元が引き攣った。
場に生じた一瞬の静寂。
ソレを逃す事無く、挙手した情報官僚が席を立ち発言する。
「慣性制御とは異なりますが、米国が70年代から80年代に掛けて推し進めたHI−MAERF計画において開発された
そこで一旦言葉を切ると、周囲に自身の言葉が沁み込んでいくのを確認した。
当時は最高機密であれ、既に放棄された計画の分、情報のセキュリティは下がっている。
この場に集まった者ならば、大体の者が小耳に挟んだ事が有る程度には。
実際、彼の言葉で古い記憶を刺激された者の大半が、ああそう言えばといった顔付きになったのを確認した情報官僚は、本題へと話を進める。
「そういった前例を鑑みれば、あながち荒唐無稽とは申せないかと。
……特に枢木は、HI−MAERF計画に深く関わっていた米国のマクダエル・ドグラム社とも繋がりがあります。
そちら方面から何らかの技術情報を入手した可能性も否定出来ないのでは?」
不完全であれ既に1980年代には重力制御技術があった以上、慣性制御についても有り得ない事ではないとの主張へと繋げられた発言は、この場の高官達の心の秤を一方へと傾ける事に成功した。
巌谷を一方的に叩いていた城内省への視線が、徐々に冷やかなモノへと変わっていく中、刺々しさを増す空気に耐えかねた城内省の面々が、追い詰められた獣の如く猛然と訴える。
「な、ならばあの『白山吹』を接収すれば良い!
そして貴様らが解析し、その技術を帝国の役に立てるべきだっ!!」
破れかぶれの暴言ではあったが、それは同時に、この場に居る者の内の何割かが、胸の内で考えていた最終手段でもあった。
不当と分かっていても、それによって得られるメリットがあるなら、そのメリットが大きければ大きい程、人は心を揺らしてしまう。
そこに『帝国の為』『帝国の役に』等と言う免罪符が与えられれば、更にその振れが大きくなるのは必然。
誰かが呑んだ唾の音が、イヤに鮮明に響く。
人々の心の秤が、再び逆方向に傾きかける……と、その時。
「――外道ナリ」
「「「――っ!?」」」
低く静かな男の声が響き、同時に軍人達の一角から、一人の将官が立ちあがる。
少将の階級章を着けた男――本土防衛軍の彩峰萩閣は、城内省の高官らを鋭い眼差しで睨みながら言い放った。
「軍人の立場として、確かに彼の戦術機に使われている技術は、喉から手が出る程に欲しい物です。
ですが同時に帝国の防人として、守るべき帝国の民から強奪するが如き真似をしろと言われて頷く訳には参りますまい」
淡々とした口調の中に、静かな怒りが渦巻いている。
想定されていなかった訳ではないが、そうなるとは思っていなかった最悪手に、深い憤りを感じながら告げた一言が、揺らぎ掛けていた者達の性根を正の側へと引きずり戻した。
再び引っ繰り返された盤面。
もはや自分達が、吊るし上げられる側となった事を悟った城内省側は、悔し気に唇を噛みながら黙り込む。
そんな彼らに、そして彼等に同調し掛かった者達も含めて、太い釘を打ち込むトドメの一撃が放たれた。
「皇帝陛下並びに将軍殿下より、
そう前置きしながら、室内をグルリと見回す榊。
その眼光の冷やかさに、欲に揺らいだ者達が、恥じる様に眼を逸らし、或いは、自分は悪くないとばかりに睨み返す。
個々人の反応を、しっかりと見定め、脳内に記憶した榊は、再び言葉を発した。
「私も彩峰少将の意見に賛同する。
技術が欲しいなら、正当な対価を払って買い求めるべきであり、暴力を以って奪い取るなどの無法な行いが許される筈も無い」
――まあ、売ってくれるかは向こう次第だが。
と、内心で自嘲しつつ、真顔で正論を吐く様は、中々に狸だったが、それは周りからは見えない。
分かるとすれば、事前に話を通し、一枚噛んで貰った巌谷や彩峰、そして先程の情報官僚くらいのものだった。
自身の宣言が、一同の心に波紋を起し、それぞれの形で広がっていくのを見詰めながら、榊は最後の駄目押しをする。
「この場に参集頂いた帝国の政軍を代表する方々にも、改めてお願いする。
陛下や殿下の名を辱しめるが如き軽挙妄動は、是非とも慎んで頂きたい!」
低く轟く雷鳴の様な一喝が、室内に響き渡った。
思わず首を竦める者も少なくない中、自身の打った一石に、相応の手応えを感じて満足する。
皇帝陛下や将軍殿下の名誉まで出したのは、最も暴走し易い城内省を封じる為だ。
これで尚、暴走するなら陛下や殿下の名を辱しめた不忠者という論理が、最も強く効果を持つのも彼等なのだから……
例え、陛下や殿下に敬意の欠片すら抱いていなかろうと、その権威をバックに成立している彼等にとって、自己否定に繋がる以上、これで危険な賭けに出て、周りまで巻き込んだ盛大な自爆に走る事は止めさせられるだろうと、内心で確信した瞬間だった。
そうやって秘かに肩の荷を下ろした榊は、周囲を見回し、災いの芽の刈り残しが無い事を確認すると、平素の口調に戻り、外れた軌道の修正を促す。
「――ご異論は無いだろうか?
無ければ、レクチャーを再開して貰うが宜しいかな?」
反論は……無い。
城内省や一部の過激な帝国軍の一派が、顔色や表情を変え、俯いているが、許容範囲と割り切った。
榊の視線が、巌谷へと注がれる。
「それでは巌谷少佐」
「ハッ!
説明を続けさせて頂きます」
場の最上位者の催促に、再度、敬礼を返した巌谷は、中断していたレクチャーを再開したのだった。
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―― 西暦一九九三年十二月三十一日 帝都・某ホテル ――
――厭な沈黙が室内に広がっていた。
ある者は、苛立たし気にテーブルを指で叩き、またある者は、渋い表情で資料を捲っている。
日本帝国を代表する大企業の代表者の集まりとも思えぬ陰鬱な空気が場に満ちる中、末席に座っていた老人が、他の三人に対して諦めた様に口を開いた。
「そろそろ始めて頂きたいのだがな。
お互いに暇を持て余している訳でもありますまい」
「「「………」」」
「……帰らせて頂いてもよろしいか?」
無言のまま睨み返された老人は、落胆の色を隠す事無く、そう告げると腰を浮かし掛ける。
わずかに慌てた気配が動き、残り三人の内、主導権を握っている筈の別の老人が不機嫌そうな顔と声とで口火を切った。
「……あの『白山吹』の一件だ。
遠田さん、おたくにとっても他人事ではあるまい?」
「『白山吹』?……はて、その様なモノは存じませんな」
「……枢木に、そして私達の仕事にも関わる話だ。とぼけないで頂こう」
遠田技研の現社長の腰が、椅子へと落ちる。
話を聞く姿勢に戻った老人に、光菱の会長は不機嫌極まりないといった口調で本題へと入った。
「……昨日、国防省より通達があった。
不知火の強化改修に関する要望と要求仕様一覧だ」
「まだ第一期生産分の引き渡しすら始まっていなかったのでは?」
流石に非常識だろうと切り捨てる。
本来、戦術機の改修は、現場で実際に使用されていく過程で出て来る不満や問題点、或いは要望等を取りまとめて行われるものだ。
それが未だ納品すらされていない機体の改修要求が出て来るなどおかしいにも程がある。
そう言い返すと、光菱の会長の額に太い青筋が浮かんだ。
「そんな事は百も承知だっ!
だが
そう叫びながら突き付けられた要求仕様一覧を、ザッと斜め読みした遠田の社長が、眉間に皺を寄せながら、呆れた様に吐き捨てる。
「……とはいえ、これは無茶過ぎる。
機体主機容量を三倍に、跳躍ユニット主機出力を五倍にした上で、電磁伸縮炭素帯の即応性を三分の一に短縮し、収縮力は四倍にとか……嫌がらせか?」
「それもこれも全部、あの『白山吹』の所為だと言っているだろが!?」
侮蔑と怒りが溢れんばかりに滲む罵声が、豪奢な室内に轟き渡った。
「さっきも言ったが、アンタのところにとっても他人事じゃあるまい!?
城内省からも出されている筈だぞ!
あの
「……いきなり要求仕様を上げられて、ウチの連中が頭を抱えているのは確かだ。
こんな無茶苦茶なスペックなど実現出来る訳が無いと言ってな……」
だが現実には、その要求仕様に匹敵、或いは凌駕するかもしれない機体が、既に存在してしまっている事が、彼等にとっての不幸だった。
沈黙し、成り行きを見守っていた富嶽の社長の顔が真っ青になる。
どちらにも噛んでいる彼の会社にしてみれば、堪ったものでは無かったのだろう。
その事には、大いに同情を抱きつつも、慰めの言葉も、励ましも、彼の口をつく事は無かった。
睨みつける眼と縋る視線に晒されて、内心、辟易としつつ、遠田の社長は諦めの吐息を漏らす。
「『白山吹』とやらが何の事かは分からんが、仰りたい事は伝わった」
これ以上、話を引き延ばしても意味が無い。
そう理解した老人は、期待の色を浮かべる三対の目線から、さり気なく眼を逸らしつつ結論を言い放った。
「……無理だ。
ご期待には応えられんよ」
「「「――っ!?」」」
「技術提供の打診は、既に断られている。
『ランスロット』に使われている技術は、未だ開発中の技術である為、他社への提供など到底出来んとね」
――未完成品は売れない。
――信用に傷が付くから。
極めて正論である。
特に商人に対しては。
未完成で良いから売れと言えない事も無いが、返される言葉は同じだろう。
これがこちらにも手の届く領域の技術なら、嘘か本当かの区別も付くが、そうでない以上、向こうの主張を覆す術も無いと言い切る遠田側に対し、光菱・河崎・富嶽の御三家が食い下がってきた。
「それでは話にならん!」
「仮にもオーナーの乗る機体に、そんな危険なモノを使う訳が無いだろう!?」
「遠田さん、アンタは騙されているんだよ!」
口々に言い募る相手に対し、遠田側はボソリと切り返す。
「……私はそれで良いと思っている」
「「「なっ!?」」」
思いも寄らぬ返しに、揃って絶句する。
そしてその機を逃す事無く、遠田側は自身の考えを主張した。
「未完成と断言している以上、むこうもそう簡単には市場に出さんだろ。
意地を張りたい相手が、土俵に上がらないと言っているんだ。
ここで無理なスペック競争をする必要は無い――少なくとも、そう言い訳する程度の事は出来ると考えている」
――そうではないか?
と言外に問い掛ける老人に対し、他の三人も暫し考え込んでしまった。
クライアントの頭に血が昇っている現状、直ぐに呑ませるのは無理だ。
だが、要求仕様を検討するとでも言って時間を置き、その間に頭が冷えるのを期待する程度の事はやっても良いのでは?
そんな考えが彼等の胸中に芽生え、互いの本音を擦り合わせる様に、アイコンタクトを交わす。
「……本当に、当分の間、市場には出て来ないんだな?」
「少なくとも向こう五年は、その予定は無いと明言した。それだけは保証しよう」
それがダメ押しとなる。
御三家としても、既に完成された不知火を、この後に及んで再調整するなど御免蒙りたいというのが本音なのだ。
いまいち信用し切れぬ感は拭えぬが、それでもベターな選択と言えなくは無い。
もし枢木が、その言を翻す様な真似をするなら、それ相応の報復を行えばよいし、その際は、騙された遠田もこちら側に立つだろうとの打算も、彼等の判断を後押しした。
御三家の代表達が互いに目配せを交わし合い頷き合う。
そしてソレをポーカーフェイスのまま確認した遠田側は、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
こうして、国防省・城内省の焦りにより出された無茶苦茶な改修要求は、メーカー側の連携により、お茶を濁す程度の対応での幕引きが図られる事となった。
無論、完全に顧客の意向を無視する事は難しく、不知火については随時の改修検討が並行して行われ、1997年には改修型不知火・壱型丙が産み出される事となる。
一方、武御雷についても強化への城内省の執念は根深く、より先鋭化された機体となった結果、最強の第三世代機との呼び名を得たものの当初の予定よりも更に整備員泣かせ、経理泣かせな戦術機へとなっていったのだった。
どうもねむり猫Mk3です。
天啓が私の指先を動かすのです。
やれやれ一日ちょっとで書けるとはね。
色々と大騒ぎな帝国でした。
大丈夫か? 日本帝国?
などと言いつつ、今晩はこれにて
ではでは