『ソレ』は――
――ただひたすらに思考する。
――ただひたすらに考える。
――ただひたすらに思う。
……何故なら、『ソレ』はもう考える事しか出来なかったから。
大地を駆けていた筈の脚は切り取られた。
何かを握り締めていた筈の腕も奪われた。
光を映してた筈の眼は抉られ、風の音を聞いていた筈の耳も喪った。
悲鳴を上げていた口も、舌も、喉も、悉くが奪われた。
かつて『人間』と呼ばれていた筈の『ソレ』は、人間としての全てを略奪され、陵辱され、否定され尽くしたその果てに……打ち棄てられた。
彼、あるいは彼女を、こんな目に遭わせた忌まわしき存在。
遥か
BETA――
それらの化物たちは、『ソレ』を捕らえ、徹底的に嬲り尽くしたその果てに、全てを奪い、そして『ソレ』を薄青く光る不気味な液体に満たされたシリンダーの中に放置したのだ。
そう、文字通り放置したのである。
苦痛も恐怖も無くなった。
喜びも悲しみも喪った。
もはや考えるだけの物体となった『ソレ』は、自身の周囲に同じ様な存在に堕とされた者達が居る事を認識すらできぬまま、ただひたすらに思考する。
『ソレ』に残された最後の感情―――
『憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!憎い!』
――『憎悪』の赴くままに、ただひたすらに呪い続けた。
何が憎いのかが薄れていく。
何故に憎いのかも忘れていく。
心の中にあった筈の大切なナニか。
それが奪われた事を憎んでいた筈なのに。
それすらも忘却した『ソレ』は、ただひたすらに――
『ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! ニクイ! 』
――憎悪のみを研ぎ澄ませ続けていく。
そうやって気の遠くなるような孤独の中、ただただ呪詛のみを紡ぎ続けた『ソレ』。
だがやはり、それは余りにも人間であった存在には過酷すぎた。
『……ニ………く……ィ…………ニク………い…………』
幾百、幾千、幾万、幾億と紡ぎ続けた憎悪と呪詛。
だがそれすらも、圧倒的な孤独に押し潰されようとしていた。
既に、『ソレ』の周囲に林立する柱――その中に封じられた同じ境遇の者達の殆どが、ただの物体と成り果てている。
もはや、思う事も、願う事も、祈る事も無い。
ただの有機化合物の塊と化し、青い溶液内にたゆたうだけの物。
精神が死に、そして実体がそれに追いついた成れの果て。
そしてそれこそが、『ソレ』が迎えるべき運命の終焉そのものでもあった。
――そう、
『………に……………ィ…………にク………………』
思考が澱んでいく。
研ぎ澄まされていた憎悪が、鈍く朽ち果てていった。
暗く激しい負の感情。
それを抱き続けた事が『ソレ』の消耗を、少しだけ離れた場所にある同類――かつて、『鑑 純夏』と呼ばれていた存在よりも早めていたのだ。
元々、『ソレ』の方が先達であった事もあるだろう。
だがそれ以上に、神経細胞を走る刺激の激しさと暗さが、互いの間に致命的なまでの差を産んでいた。
純化されていく白い思慕。
昏く沈んでいく黒い憎悪。
あまりにも対称的な想念を抱き続けた両者は、あまりにも対称的な未来を得るのだ。
一方は、世界を形作る女神へと翔け上がり、もう一方は暗い穴倉の底で息絶えタダの物へと成り下がる。
そうなるべき運命。
そしてそれが、『あいとゆうきのおとぎばなし』の始まり。
――そう、全ては『そうなる筈』だったのだ。
だがここで、世界はその
ナニが、それを覆したのか?
ナニが、あるべき運命を変えたのか?
それを知る者も、識る者も、恐らくは居なかっただろう。
あらゆる事象、現象は、常に非線形領域を含み、それ故に女神の生誕ですら確率によって支配される。
そう、『世界』は神の御手の内に在らず。
神にすらサイコロを振る事を、『世界』は強要するのだ。
黒い光が大地を覆う。
連鎖して反応するG元素が時空に深刻な亀裂を産み、同時にその場に居た意思が世界の有り様に干渉した。
『……タケルちゃんに……会いたい』
純粋で、純真で、それ故に残酷な白い思慕が、世界を歪め、そして形作る。
愛しい少年と再びめぐり合い、そして愛し合う事だけを願って。
あらゆる時間と空間に広げられた女神の御手が、必要な物全てを手にし、引き戻された。
世界を封じるメビウスの輪が閉じていく。
……だが、『輪』が閉じ切るその瞬間。
『………ぃ………』
わずか一呼吸、ほんの一秒にも満たぬ刻を、本来あるべき運命よりも、余分に生きた『ソレ』が最後の呪いを紡いだ。
篭められたのは無限の呪詛と憎悪。
求めるものはただ……
白い想いで形作られていく『おとぎばなし』の世界。
その世界へと、黒い想いに導かれ、赤き竜の裔が墜ちていった。
後書き
さて、ということで序章ノ裏。
G弾炸裂時に、純夏以外の生存者というか死に切れていないモノが居たら?
という発想です。
横浜ハイヴ内で発見された生存者は純夏のみというのが原作設定ですが、
アレはG弾使用後ハイヴ内に突入した部隊が発見、回収した時点という事なので、
まあ何とか矛盾はしない……かな?
という事で、純夏以外の意志が、少しだけ混じった末がこの世界です。
それでは。