がんばれ、ご舎弟さま



そのにの表






『うわぁぁ……』

 串刺しにされた上、足蹴にされたアクティヴ、そして鎧袖一触、切り伏せられた二機のストライク・イーグルを見ながら、私は胸中で呻いてしまいました。

 何というか、退くというか、恐いというか……

 そこまでやりますか?
 我が未来の妻よ。

 正直、浮気とかしたら、バッサリと殺られそうで恐いんですけど……

『はぁぁぁっ!』

 通信機越しに凛々しい雄叫びが聞こえます。
 そっちの気のある少女なら、思わず『お姉さまぁ!』とか黄色い声を上げそうな張りのある気合一杯な美声……って、オペレーターのフェーベ・テオドラキスの目付きが妖しい様な気がするのは私の気の所為でしょうか?

「だ、大丈夫なのですか?」

 髭がダンディなドーゥル中尉が、明らかに上擦った声で私に尋ねます。
 その問い掛けに思考を中断された私でしたが、気が付けば残りのオペレーター達も、ポーカーフェイスがお得意な食えない御仁ことフランク・ハイネマン技術顧問も、私を注視していました。

 思わず溜息が零れそうになります。
 私に聞かれても困るのですが、一応、責任者としての立場から答えぬ訳にも行きません。

「問題ありません。
 彼女なら、充分加減を心得ている筈です」

 ……そうだと良いなぁ?
 とか思っているのは内緒です。

 いつも通りの無表情、無個性な声でそう答えると、何故かドーゥル中尉も、三人娘(オペレーターズ)も、ついでに言うならハイネマン顧問も、ホッとした表情を見せました。

 こんな根拠の無い一言で納得して貰えるとは、中尉や三人娘(オペレーターズ)はともかく、技術顧問も案外、良い人なのかもしれませんね。
 閻魔帳の人物評価を、後で修正しておきましょう。

『たぁぁぁ!』
『クソがぁぁっ!』

 唯依とブリッジス少尉、双方の咆哮がCP内に木霊し、鋼と鋼――実際はスーパーカーボンですが――が、激しくぶつかり合う音が互いの管制ユニット経由で響きます。
 何度も、何度も……

 ……とはいえ、明らかに優劣は見えていました。
 まあ、防戦一方の不知火・弐型フェーズTを、恐ろしいまでに洗練された動きで追い込んでいく青い不知火・壱型丙(・・・・・・・・)を見て、弐型の優勢と判断するなら、軍人などサッサと廃業すべきですけどね。

『これがサムライのやり方とでも言うのかっ!?
 演習に乱入して、一方的に襲い掛かるのが!』

 ブリッジス少尉の怒りの叫びが響きます。

 ……いやまあ、言われてみればそうなんですが、仕方ないじゃないですか、彼女が貴方に正しい資質――人馬一体の境地に到れる可能性があるかどうかを確認したいと、強行に主張した訳ですし……
 計画全体を統括する私としても、見込みが無いなら無いで、対応策を考えねばなりませんし。

『卑怯だぞ!
 なにが五摂家だ、なにがサムライマスターだ!
 顔すら見せられない卑怯者がぁっ!!』

 ……あれ?
 もしかして私が乗ってると思われてるんでしょうか?

 確かにあの不知火・壱型丙は、私の機体ですけど……何で知ってるんでしょ?
 ウチの整備員と懇意にしているローウェル軍曹あたりから、聞かされたんでしょうかね?

 まあ如何に弐型とはいえ、武御雷と比べれば近接戦闘能力では劣ります。
 明らかに性能差のある機体で仕掛けた結果、全てが機体性能の差と思われてしまっては意味が無い。
 そんな配慮から、愛機である武御雷で出ようとした唯依に、あの機体を貸したんですが……

 ……おや?

 壱型丙の動きが止まっています。
 更に言うなら、ブリッジス少尉と唯依を映していた画面の一方で、俯き肩を震わせている唯依が見えました。

 何故でしょう?
 物凄く厭な予感がするのは……

 一方、いきなり止まった攻勢により、思わぬインターバルを得たブリッジス少尉は、必死の形相で荒い息を整えていましたが、徐々に呼吸も元に戻りつつある様でした。
 バイタルを見る限り、脈拍も正常値へと回復していきます。
 中々にタフですね。
 充分、見込みがあると思うんですが……って、唯依!?

 気が付けば、俯いていた筈の唯依が顔を上げています。
 何というか、能面の様な無表情。
 飛び抜けた美人な分、物凄く恐いです。

 画面の中の唯依が、血の気の失せた唇を震わせるように動かしました。

『貴様、今なんと言った?』
『篁……中尉?』
『……なんと言ったと訊いている』

 底冷えする様な冷たい声です。
 初めて聞きました。 こんな唯依の声は。

 ブリッジス少尉も青くなって絶句しています……って、いつの間に回線を!
 謎の敵認定での模擬戦の予定だったのでは?

 などと、私を含めたCP内の者達が、混乱しているのを他所に、閉じていた筈の通信回線をブリッジス機に繋いだ唯依が、静かに呟いたのです。

『もういい……死ね』
『なっ!?』

 突然の死ね宣言に、ブリッジス少尉が呆けました。
 CP内の面子も、悉く呆けます。

 ついでに言うなら私も唖然としていましたが、表情はいつもと変わらぬ鉄面皮のままでした。

『はぁぁぁっ!!』

 先程までの比では無い苛烈なまでの気勢が、唯依の唇から迸ります。
 思わず背筋に冷や汗が流れました。

 マズイです。
 あれは拙過ぎます。

 唯依は……本気で殺るつもりです。

『くっ?』

 滑るような動きで接近し、そのまま無造作に振り下ろされる74式近接戦用長刀。
 辛うじて防いだブリッジス少尉が、歯軋りと共に吐き出す呻きが聞こえました。

 ですが、それで終わりではありません。
 いえ、むしろ始まりと言うべきでした。

 不知火・壱型丙の繰り出す凄まじいまでの斬撃の嵐が、不知火・弐型へと襲い掛かったのですから。

『ぐぅぅぅっ!?』
『あぁぁぁっ!』

 必死で防ぐブリッジス少尉。
 猛々しい気合と共に、猛然と攻め立てる唯依。

 そして何故か、眼をハート型にしているオペ娘のフェーベ・テオドラキス。
 ホント、妙な性癖でもあるんでしょうか、この娘?

 ……って、違う。違う。

 私が現実逃避している間にも、ブリッジス少尉が人馬一体の境地を掴めるかを試す為の演習が、完全な殺し合い――いえ、一方的な嬲り殺しの場と化しています。

 ――嗚呼、何故にこんな事に。

 思わず天を仰ぎたい気分になりながら、私は打開策の天啓を得るべく、此処に至るまでの経緯へと思いを馳せたのでした。





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 長く無機質な通路に、三人分の足音が響いていました。
 先導するのは浅黒い肌に渋い髭が似合っているイブラヒム・ドーゥル中尉。

 その後から、数メートル程の距離を置いて私。
 三歩下がった位置に唯依……もとい、篁中尉が続いていました。

 大和撫子として刷り込まれた無意識の行動なのでしょうが、ちょっと声が掛け辛いですね。
 出来れば、ブリーフィング前に少し話がしておきたかった私は、軽い目配せで並んで歩くように伝えました。
 すると、きっちりとこちらを見ていたのでしょう。
 わずかに歩く速度を上げて、私の横に並んでくれます。

「……何か御用でしょうか?」

 恐る恐る問い掛けてきました。
 自身の勘違いを恐れているのでしょう。
 別に勘違い程度で怒るつもりは無いのですが……やはり後天的に身に付いてしまった仏頂面がマズイのでしょうか?
 いずれ夫婦と成る事を考えれば、改善すべきかもしれませんね。

 ……おっと、いけません。

 気付けば、また不安そうな表情で、唯依がこちらを見上げていました。
 そんな捨てられた子犬の様な眼で見ないで下さい。
 私の良心がとても痛むのですから。

 愛おしいと思う分、そんな表情をされてしまうと心臓に悪いのですよ。
 これも惚れた弱味と言うべきなのでしょうか?

 などと埒も無い事を考えつつも、マルチタスクが常態化している私の喉が、ドーゥル中尉には届かぬ程度に抑えた声量で勝手に言葉を紡ぎます。

「すまない。
 渡しておいた資料――特にブリッジス少尉の物に目を通したのか、確認しておきたかった」

 米国から提示された資料とは別に、斑鳩(ウチ)で独自に集めさせた試験小隊の面々のプロフィール――特に、不知火・弐型の首席開発衛士となるユウヤ・ブリッジス少尉の資料については、眼を通しておいて欲しかったからです。
 まあ、生真面目な唯依が、眼を通していないなど万に一つも無いでしょうが……

「はっ!
 一通り眼を通しました……」

 案の定、堅苦しいまでにきっちりとした言葉遣いで、予想通りの答えが返って来ました。
 ……返って来たのですが、彼女らしくもなく、そこで一旦言葉を濁します。

 まあ原因は分かりますがね。
 だからこそブリッジス少尉の資料には、眼を通しておいて欲しかった訳ですし。

 そして、わずかに言い澱みつつも、やがて思い切ったのか、再び、私と同程度に抑えた声で彼女も本音を口にしました。

「……ですが正直、彼を首席開発衛士にする事には不安を感じます」
「彼が極度の日本嫌いだからか?」
「はい……私見ではありますが、任務に私情を持ち込む可能性が大きいかと。
 場合によっては、XFJ計画そのものに深刻なダメージを及ぼす危険性が在るものと愚考します」

 ああ、やはり唯依も、そう思いますか。
 私もブリッジス少尉の資料――特に、プライベートに関するその辺りが引っ掛かっていましたので。

 ――ユウヤ・ブリッジス少尉。

『日本人の父と米国人の母との間に産まれた日米ハーフの米軍少尉。
 若年ながら衛士としての技量については極めて優秀。
 その技量を評価され、これまでも開発衛士として様々な米軍機の開発・改修に携わる』

 ……まあ、ここまでは良いです。
 実戦経験が無いのが、やや気になりますが、その辺は仕方ないでしょう。

 問題はその先、米国から提示された資料には無かった部分。
 情報省やらを動かして、斑鳩(ウチ)が独自に集めさせた彼のプライベートに関する箇所でした。

『物心つく前から父親は居らず、母の手で育てられる。
 幼少時より祖父母との仲は極めて劣悪、周囲からも白眼視されていた模様。
 それら全ての原因が、居なくなった日本人の父親に起因するものとして、日本及びそれに関わるモノ全てに対し極めて否定的な言動が目立つ。
 ことに自身を日本人と同一視される事については、強い拒否反応を示し、幾度か暴力沙汰を起こし営倉入りした前歴アリ』

 ……正直、これを読んだ際は、嫌がらせかと思いましたよ?

 何を考えてるんでしょうかね。あのお米の国は。
 ちょっと調べた程度で、日米共同開発計画の首席開発衛士に充てるには、明らかに問題アリな人物なんですけどね。

 そんな印象を共有したのでしょう。
 綺麗な眉をしかめて、唯依が先を続けます。

「……このような人物を、首席開発衛士に指定した米国の意図を理解しかねます。
 有り体に言わせていただければ、XFJ計画を意図的に失敗させようとしている様にも見えかねません」

 と、彼女にしては珍しく、隠し切れない憤りと共に吐き捨てました。
 私も特に咎める事はありません。

 まあ、そう感じても仕方ないでしすしね。
 そもそも、そういった可能性も充分に考慮すべき計画な訳ですし。
 あのお米の国が、最新技術をタダでくれるわけもなし――いやまあ、ちゃんと対価は払ってますが、表向きの報酬以外のモノを狙っている可能性も充分にある訳で。

 例えば、弐型開発過程での近接戦闘に関するハード・ソフト両面に渡る情報収集をしたいとか。
 或いは、開発過程で帝国が求めている戦術機の特性を把握、それらを取り込んだ戦術機を自国で生産して帝国に売りつける腹とか。

 正直、禄でもない事を考えている危険性大です。
 それらの目的を達した後で、ブリッジス少尉という地雷を使い、XFJ計画そのものを葬り去る陰謀がある可能性も否定し切れないところでした。

 更に厄介なのは、恐らくはブリッジス少尉自身には何の自覚も無く、また情報も与えられていないであろうという事です。
 無自覚な爆弾である可能性が高く、正直、対処に困るとしか言い様が無い訳で……

 本当に頭と胃が痛くなります。

 そんな私の心中が伝わったのか、どこか思いつめた表情で、唯依が口を開きました。

「あき……斑鳩少佐。
 僭越とは思いますが、今からでもブリッジス少尉の交代を、交渉してみては如何でしょうか?」

 ……やっぱりそう思いますか?
 正直、私も考えないでは無かったのですが……

 と、胸中で溜息を吐きつつ、私は無言のまま首を横に振り、彼女の提案を退けます。

 一瞬、唯依の瞳が驚いたように見開かれました。
 次いで、わずかに細められた眼差しで私を凝視しながら、更に潜めた声で尋ねてきます。

「……何故ですか?
 頂いた資料を提示し、本計画の首席開発衛士としての適性に問題有りと訴えれば、向こうも無下には出来ないものと愚考しますが」

 珍しく不審と不満の滲む声で、再度、問い掛けてくる唯依。
 余程、承服しかねるのでしょう。
 まあ、本音を言えば私も同意見ですし。

 故に、微かに苦笑しつつも、私は彼女の質問に同じく声を潜めて答えます。

「ブリッジス少尉を首席開発衛士に据える事に拘っている御仁が居る。
 ……不本意ではあるが、本計画を遂行するにあたって、その御仁の意見を無視するのは難しい」
「……どなたです?」

 更に潜まる声。
 睦言を囁く――やったこと無いですけど――位に距離も近づきます。
 内容は色気の欠片もありませんが。

 そして私もまた、唯依に聞き取れる限界ギリギリの声量で答えました。

「XFJ計画技術顧問殿だ」
「――っ?」

 ひそひそ話で交わされたやり取りに、微かに息を呑む気配が伝わってきました。
 私が無視し難いと評した意味が理解できたのでしょう。

 ――XFJ計画技術顧問 フランク・ハイネマン

 『戦術機開発の鬼』と呼ばれる戦術機開発の第一人者。
 所謂、世界的権威というヤツですが、同時に黒い噂の絶えない人物でもあります。
 グラナン社が、トムキャット(F−14)の設計図を、ソ連に流す際に一枚噛んだとかなんとか……

 着任後、面通しした際も、なんとなく警戒心を煽られましたしね。
 何と言うべきか……言いたくありませんが、私の同類と評すべき印象を受けまして。

 私が鉄面皮の下に本心を隠しているなら、あの御仁は貼り付いた様な笑みの下に色々と抱え込んでいるのが感じ取れたのです。
 もっとも、それすらも更に何かを隠す為の擬態である可能性もある訳で……

 正直、胡散臭さ全開の人物としか評しようがない相手でした。
 常に警戒心を保っていないと、思わぬところで足元を掬われる可能性が大でしょう。
 スタッフに紛れて入り込んでいる子飼いの者達にも、事前にユーコン基地内に忍ばせた『草』達にも、要注意指定しておくべき相手と判断しました。

 そんな怪しさ全開の人物が、ブリッジス少尉の登用に拘っている理由が分かりません。
 分かりませんが――

「技術顧問殿の目的は読めない。
 だが、XFJ計画を遂行するには彼の協力は不可欠であり、その要望を拒む事は難しい」

 ――注意しつつも、その要望を呑まざるを得ないというのが現状です。

 それは唯依にも良く分かっているのでしょう。
 悔しげな表情をしつつも、黙って頷いてくれました。

 そんな彼女に対し、私は少なからぬ感謝の念を告げます。

「苦労を掛ける。唯依」
「――っ!
 そ、そんな事はありません………あ、明憲様」

 真っ赤になって狼狽しつつも、律儀に答えてくれる唯依。
 ですが無意識の内に、己が右手で左手を包み込んだ彼女は、何も嵌っていない薬指の感触に、一瞬だけ寂しげに表情を曇らせました。

 本計画に携わるに辺り、現地では私達が婚約者同士であるという事を、伏せておく様にしようと取り決めたのは私ですが、やはりそんな表情を見せられると心が痛みます。

 とはいえ、私達はどちらもまだ若輩の身。
 ましてや唯依は、十代後半の少女です。

 言ってはなんですが、一癖も二癖もあるであろう開発衛士達に侮られる可能性が無きにしもあらず。
 そんな彼女にとって、計画責任者である私の許婚という立場は、プラスよりもマイナスに働く危険性が高いと慮っての事だったのですが……

 やはり早まったでしょうか?
 婚約指輪くらいは、そのままにしておいて、日本のスタッフに緘口令を敷いておくだけで事足りたかもしれません。

 そんな迷いが、珍しく顔に出てしまったのでしょう。
 一瞬だけ、眼を見開いて私の顔を凝視した唯依は、フワリと優しい微笑を浮かべました。
 先程のソレを打ち消す幸せそうな微笑に、思わず見惚れる私にむかい、軽く胸を張って告げてきます。

「あまり、お気になさらないで下さい。
 頂いた御心は、ここにキチンとあるのですから」

 そう言いながら彼女は、自身の左胸――御守り袋に入れた婚約指輪を納めている内懐辺りに手を当てました。
 必然的に、堅苦しい軍服でも隠し切れない豊満な胸が、柔らかそうにたわみます。
 不謹慎とは思いますが、つい触れてみたいと思ってしまった私は悪くない……と信じたいところでした。

 許婚なのですから……その……そろそろキスより先に進みたいなと思わぬことも無いのですが、身持ちの堅い彼女に迫るのも憚られますし……
 そういう事ばかり考えている男と誤解されないかと思ってしまうと、やはり一歩が踏み出せません。
 なんと言うか、肝心なところでヘタれている自身に嫌気がさしますが、こういう性格なのですから仕方ないと思って諦める私でした。

 そして同時に最後の打ち合わせも、そこで終わりとなります。
 気付けば先行していたドーゥル中尉が、数メートル先にあるドアの前で立ち止まり、こちらを見ている事に気付いたからです。

 どうやら目的地であるブリーフィングルームに着いた様でした。
 私達は、軽く視線を合わせて意思を伝え合うと、歩速を上げてドーゥル中尉の下へと歩み寄っていきます。

 ――さて、それでは日本嫌いの首席開発衛士殿の顔を、拝ませて頂きましょうか。

 そう胸中で呟いた私は、ドーゥル中尉の導きに従い、唯依と共にブリーフィングルームへと入っていったのでした。




■□■□■□■□■□■□





『……あ〜〜〜……』

 空が蒼いですね。
 まあ戦術機ハンガー内からでは見えないんですが、蒼いのだと信じたいです。
 現実逃避とはそんなもんですね。

「こちらの改修要求は全て握り潰す!
 そのくせバランスなんぞ一切考慮していない無茶苦茶な仕様を押し付ける……何を考えてるんだアンタ等はっ!?」

『……あ〜う〜……聞こえない、聞こえない』

 心の中で呪文の様に唱えます。
 まあ無駄だと分かっているのですが、それでも抗いたいのです。
 我ながら、諦めが悪いですよね。

 どれ程望んだ所で、十数メートル先で激しく言い争う男女の声と姿が、無くなってくれる筈も無いのですから……

「何度も同じ事を説明させないで欲しい。
 貴様の出した改修要求は、我々の要求仕様に合致しない。
 故に受け入れる事ができないと、その都度、説明した筈だ」

『……ううっ……聞きたくない……』

 聞きたくないのですが、聞こえてしまうこの耳が憎い。
 ああ、いきなり難聴にでもならないでしょうか……無理ですよね。

 あの二人、唯依とブリッジス少尉が、まさかここまで頻繁に衝突するとは思いませんでした。
 事前に渡しておいたブリッジス少尉の個人情報も、あまり役には立っていないようですし。

 事前情報から私も唯依も、彼に対しては、あくまでも米国人衛士として接し、日本人扱いはした事が無いので、その件でトラブルが起きた事は無いのですが、それ以外でも、いざこざが絶えません。
 私は直に接する機会は少ないので、まだマシな方ですが、開発主任である唯依は首席開発衛士であるブリッジス少尉と接する機会が多い分、日に何度かはああやって言い争いとなるのが定常化してしまっています。

 まあ、許婚の肩を持つ訳ではないのですが、圧倒的にブリッジス少尉の方から噛み付いてくる事が多いので、避けたくても避けられないという面はあります。
 いつも唯依が、それをいなす形になるのですが、それが更にブリッジス少尉の不満を蓄積させるのか、日に日に関係が険悪化していくのが傍から見ていても分かりました。

 もっとも不満を溜め込んでいるのは、ブリッジス少尉だけではないのですが……

「人馬一体だかなんだか知らないが、アンタ等が日本人が精神主義に凝り固まって、バランスもクソも無い出来損ないを造るのは勝手だ!
 だがオレは、開発衛士としての誇りにかけて、自分がテストした機体で死人を出すのは我慢出来ないって言ってるんだよっ!」

 ますますヒートアップしていくブリッジス少尉。
 正直、上官に対する口の利き方ではないのですが、腕自慢の開発衛士には階級など屁とも思っていないのが多いので、多少の非礼は見逃すのが上官の度量と、巌谷中佐からアドバイスを貰っていたので、これまでは眼を瞑っていましたが……

 流石に、アレは不味いでしょう。
 唯依の顔が、遠目にも強張っているのが見えますし。
 開発の実務に関しては、唯依にそのまま丸投げしていたので、余り口出ししない様にしていたのですが、止めた方が無難な気がします。

 そうやって私が、介入するかしないかで悩んでいる間にも、事態はどんどんと進んでいきました。
 それも悪い方に……

「……重ねて言うが、貴様の改修要求は受け入れられない。
 そもそも貴様は、自分が何をしているのかすら理解していない」
「なにっ!?」

 ――あっ。ヤバイ。

 その瞬間、私はそう思いました。
 これまで努めて感情を殺していた唯依の声に、紛れも無い憤りの色が混じったのが感じ取れたからです。

 このままでは……

「我々は、XFJ計画において日本軍機を開発しているのだ。
 断じて、貴様が乗り慣れた米軍機を、開発している訳ではない!」
「オレの改修要求が、独り善がりだとでも言いたいのか!?
 出力はピーキー、安定性は皆無、操縦性は最悪、こんな馬鹿げた機体がアンタ等日本人の求める機体だとでも言うのかよ!」

 もはや怒鳴り合いの域に達した口論に、周囲のスタッフ達も困惑しているのが分かります。
 口を出す機を逸したのか、ブリッジス少尉と仲の良いローウェル軍曹も、割って入るタイミングが掴めない様でした。

 思わず私の足が動きます。
 ヒートアップしている双方を刺激しないように密やかに、ですが可能な限り早足で。
 最早、 細かな事に遠慮している場合ではないと、直感的に悟ったからでした。

「不知火・弐型の要求仕様は、我が国が置かれた状況を充分に勘案して策定されたものだ。
 それを、XFJ計画を私物化しようとしている貴様の我が儘に付き合って、変える理由など無い」
「なっ!?」

 距離を詰める間も、ますますヤバい方向に向かって行くようです。
 これで唯依が男だったら、まず間違いなく殴り合いになっていたでしょう。

 ……そういえば、何故か私は、唯依以上にブリッジス少尉に嫌われているんですが、やはり男と女とでは対応が違うという事でしょうか?

 などと見当違いの考えを脳裏で走らせつつ、それでも滑る様な足取りで、二人へと近づいていきます。
 二人が目立ち過ぎているのも原因でしょうが、周囲に居る誰もが私の動きに気付かない程の見事な穏行だったのですよ?

 ですので、後、数歩の距離まで近づいても、共に頭に血が昇った二人は、私に気付きませんでした。

 そのまま軽く息を吸い、制止しようとした瞬間――

「貴様に言っておく。
 帝国の衛士達は、これより遥かに劣る機体に乗って国を守って来た。
 訓練を終えて間もない新兵達ですらだ。
 はっきり言おう、貴様は彼ら新兵よりも遥かに未熟だ」
「――っ!!」

 ―――はぁ〜〜〜

 ……言っちゃいましたか。
 まあ、そろそろ唯依の堪忍袋の緒も、限界だとは思ってたんですが……

 ブリッジス少尉を庇う訳ではないですが、彼の技量が帝国の新兵のそれに劣るというのは間違いです。
 というよりも、何でも有りの演習で戦ったら、私でも結構苦戦すると思います。

 まあ、負けるつもりは無いんですけどね。
 伊達に兄上に扱き抜かれて来た訳ではないのですよ。
 ……兄上に付き合わされて、帝都撤退戦の殿をやった時は、本気で死ぬかと思いましたけど。

 唯依自身とて、本当にそう思っている訳では無いでしょう。
 あのバランスの悪い壱型丙をベースとしている弐型を、曲がりなりにも御しつつある訳ですし。

 売り言葉に買い言葉という以上に、多分、彼女の言うところの『遥かに劣る機体に乗って国を守り』そして散っていった『新兵』の事を思い出したのでしょう。

 ――初陣にて、儚く散っていった戦友達の事を。

 とはいえ、それは当人か、事情を詳しく知る私にしか通じない話です。
 ブリッジス少尉にしてみれば、新兵以下と見下された事にしかなりません。

 己の腕一本に自信と誇りを賭ける開発衛士、特に出自にコンプレックスを持っている彼の様なタイプにとって、心の拠り所を土足で踏み躙られたに等しい筈でした。

 その証拠に、先程までの怒鳴り合いが嘘の様な静寂が、この場に満ちています。
 誰もが固唾を呑んで見守る中、剣呑な空気の中心で、二人は睨み合っていました。

 怒りに青褪めながら睨みつけるブリッジス少尉と、人形の様な冷たい表情でそれを受け止める唯依。
 ピリピリとした空気が、一触即発の雰囲気を孕み、肌を刺すような錯覚を覚えさせます。

 あと数瞬先にある決定的な破局。

 それを粉砕できるのは、この場に唯一人――

「何をやっているか?」
「「――ッ!?」」

 ――私しか居らず、私がやるしかない。

 そんな悲壮な決意と共に、出来るだけ威厳を篭めた声で二人の間に割って入ります。

 モデルは、もちろん我が兄上。
 威厳という意味では、天上天下唯我独尊なあの御方以上の人を知りませんし。

 しかし何故でしょう。
 周囲の空気が凍ったような錯覚を感じるのは。

 ……もしかして外しました?
 空気読め、とか思われてるんでしょうか?

 …………
 ………
 ……
 …

 ――えぇぇい!
 やってしまったモノは仕方ありません。
 このまま勢いで押し通して誤魔化すだけです。

 一瞬の思考の後、そう割り切った私は、兄上の真似を続けます。

「何をやっているのかと聞いている」

 そう言い放つと、表情を――怒りの兄上モードで――造りつつ、唯依とブリッジス少尉を交互に睨みます。

 俯く唯依と視線を逸らすブリッジス少尉、そして何故か二歩下がるその後ろに居た面々。

 どうやらそれなりに効果が有るようです。
 流石は、兄上モード。
 後はお茶を濁して、この場を解散させれば何とかなる筈。

 そう踏んだ私は、速やかに策を実行に移しました。

「答えられんのか?
 ……答えられん様な事に時間を使っている程、貴官等は暇なのか?」
「あ……」
「――クッ!」

 何かを言おうとして口篭る唯依。
 そして、目線を合わせて反論しようとしたブリッジス少尉。

 後者の方は、ゴネられても面倒なので、怒りの兄上モード・睨みつけバージョンで黙らせます。
 悔しそうに、ですが額に脂汗を滲ませながら、再び視線を逸らしました。

 ……分かります。
 私も、理不尽な修練を課される度に、反論しようとしては、この一睨みで黙らせれらましたから。
 本当に、怒らせると無茶苦茶恐いのです。 我が兄上は。

 まあそうやって、争いの当事者である双方を、強引に黙らせた私は、幕を引くべく最後の演技へと移るのでした。

「ならば散れ。
 我が国は、無駄な事をさせる為に、この計画に資金と資材、そして何より貴重な人材を投じている訳ではない」

 そう言いながら、唯依を、ブリッジス少尉を、そして周囲に出来ていた人だかりを一瞥しました。

 ……え〜〜……何なんでしょう?
 その化け物か猛獣を見るような眼は。

 ブレーメル少尉、いつもよりお肌が白いというか蒼いですよ?
 マナンダル少尉は、股間を抑えて……見なかった事にしましょう。
 武士の情けというヤツです。

 しかし、所詮、劣化コピーに過ぎぬ兄上の猿真似如きで、ここまで怯えるとは。
 案外と弛んでるのかもしれないですね?
 今度、ドーゥル中尉あたりと、相談してみる必要があるかもしれません。

 そんな事を考えつつも、マルチタスクで動く我が声帯と唇は、止めの一言を紡ぎます。

「今一度言う。 散れっ!」

 眼力と気迫を篭めて放ちます。
 まあ、所詮は模造品ですが……

 しかし、それなりに効果があったのでしょう。
 それを合図としたかの様に、一斉に周囲の人だかりが解けました。
 見事なまでの散りっぷり。
 文字通り、蜘蛛の子を散らす勢いでした。

 おや?
 ブリッジス少尉が、ローウェル軍曹とジアコーザ少尉に引き摺られていきます。
 抵抗はしていない様ですが……はて?

 ……まあ、いいでしょう。
 気付けば、黒山と化していた人だかりも消え、この場には私とそして唯依のみが取り残されていました。

 なんとか決定的な破局は回避出来たようです。
 とりあえず、責任者としての義務は果たせたモノと考えても問題ないでしょう。

 胸中でホッと一息ついた私ですが、安堵した途端、こうなんというか込み上げて来るものが……
 気恥ずかしいというか、なんというか……

 似合わぬ事をして、居たたまれない気分に襲われた私は、そそくさと逃げに入ろうとしました。
 ですが、足早にその場を後にしようとしたところで、私の背に声が掛けられます。

「お待ち下さい!」

 常のそれとは異なるひどく張り詰めた声。
 どこかひび割れた感のある唯依のソレに、私の動きが止まります。
 無視し難いそれに、私は彼女へと向き直り、その言葉に耳を傾ける姿勢を見せました。

「何か?」

 青褪めていた彼女の頬に、わずかに血の気が戻ります。
 紫の双眸に宿る光は、これから決死の戦いに赴く衛士のソレでした。

 そのままニ、三度、呼吸を整えた唯依は、思い切った様子で口火を切ります。

「……お願いしたき儀が、ございます」

 そう言って決意を秘めた眼差しで私を見上げながら、彼女はXFJ計画の趨勢を占う事になる提案を告げたのでした。





■□■□■□■□■□■□





 ――そして現在。





 演習場に、轟音が響き続けていました。

 巨大な刃を打ち合わせ、鎬を削る二体の巨人達。
 不知火・弐型フェーズTとそのベースとなった機体、不知火・壱型丙。

 カタログ上の機体スペックでは、開発途上にあるとはいえ、当然、弐型の方が勝っていますが、いま目の前で展開されつつある光景を見て、それを信じられる者は居ないでしょう。

 ――必死の防戦を繰り広げる弐型に対し、苛烈なまでの斬撃の嵐を以って攻め立てる壱型丙。

 そう弐型が壱型丙に、完全に圧倒されているのですから。

 いやはや何と言うべきか。
 まだ完全な手加減無しまでは行っていない様ですが……無意識の内にセーブしているんでしょうか?

 とはいえ、それも、今はまだというだけの事。
 なまじ弐型が抵抗している分、攻撃の激しさが時間と共に増しています。
 このまま行けば遠からず、唯依を掛け値なしの本気にさせてしまう筈。

 そうなったら恐らくブリッジス少尉は……

 迫りつつある破局の時を理解し、内心で冷や汗を流しつつも、持ち前の鉄面皮が私の本心を隠します。
 逆にそれ以外の面々、ことにドーゥル中尉辺りは明らかに蒼くなっており、あの喰えないハイネマン技術顧問も、顔を引き攣らせながら事態の推移を見守っていました。

 彼等が動かないのは、責任者である私が動かないからです。
 或いは、これ――切れた唯依――も演習の一環としての演技かと思っているのかもしれませんが……

 そう、これはあくまでも演習の一環。
 そういった形で事を納めない限り、唯依に責任を取らさねばならなくなります。
 最悪の場合、常日頃から諍いの絶えなかったブリッジス少尉を、演習中の事故に偽装して殺害を謀ったなどという事に為りかねません。

 唯依を犯罪者にしない為にも、XFJ計画を完遂する為にも、なんとか演習の一環としての演技という事で幕引きを図る以外の選択肢は、私には与えられていないのでした。

 ――なんという、むりゲー。

 思わず溜息が出そうでしたが、それすら今の私には許されていません。

 これは演技、あくまでも演技なのです。
 生死の境界に置かれたブリッジス少尉の持つ可能性を引き出す為の演技。
 そう自身に言い聞かせつつ、周囲にも態度でソレを示し続けねばならないのですから。

 ……ですから、テオドラキス君。
 弐型が吹き飛ばされる度に、黄色い歓声を上げるのは止めてください。
 集中力が乱れて、溜息が漏れてしまいそうになるじゃないですか。

 どうやら本当にこのオペ娘は、妙な趣味があるようです。
 唯依にも後ほど注意しておきましょう。

 ――コホンッ。

 ああ、少し脱線というか、現実逃避してしまいました。
 私の意識が逸れている間にも事態は進んでいます。
 実にイヤな方向へと。

 弐型の動きが、明らかに鈍り始めています。
 モニターされている衛士のパーソナルデータを見ると、ブリッジス少尉のバイタルも危険域に近づいていました。
 このまま行けば、遠からず限界を迎えた彼は、唯依の壱型丙の刀の錆になる運命しかありません。

 タイミングを計りつつ、マイクを手にする私。

 チャンスは恐らく一瞬。
 それを逃せば、ブリッジス少尉は殉職、唯依は部下を殺害した犯罪者に成り果てるだけ。

 それだけは、何としても回避せねばなりません。
 そんな決意と共に、眼を皿の様にして双方の動きを注視します。

 跳躍ユニットを吹かしつつ、滑るような機動で互いに牽制しあう二機。
 まるで輪舞を踊るように、複雑な円運動をしつつ距離を詰め、或いは空けて刃を交わし合う。

 とはいえ、攻撃の九割方は唯依の側であり、残りの一割は反撃というよりも牽制程度でしかありません。

 そうやって辛うじてとはいえ、持ち応えていたブリッジス少尉ですが、疲労と緊張からか僅かにその動きが止まります。
 そしてソレは同時に、致命的な隙を産む結果となったのでした。

 神速の勢いで踏み込んだ壱型丙が、躊躇う素振りすら見せずに斬撃を放ちます。

 狙いはまさに管制ユニットそのもの。
 当ればブリッジス少尉は即死確実の一撃に、思わず私が叫ぼうとした瞬間――

『むっ?』

 ――揺らぐように弐型の上体が動き、致命の一撃が空しく空を斬ったのでした。

 いま見切りましたか?
 あの斬撃を。

 唯依の表情も驚愕に染まっていました。

 正直、驚きです。
 どうやらブリッジス少尉のポテンシャルは、想像以上に高いようでした。
 あの絶体絶命の一撃を前に、演習の目的であった人馬一体の境地、その階に片足を掛けるとは。

 内心で舌を巻きつつも、私はこれがチャンスだと直感的に悟りました。
 必殺の一撃をかわされ、呆然となった唯依の動きが止まっています。
 今なら容易く制止出来る筈。

 そう判断した私は、演習終了を告げるべくマイクを握り直しました。

 ――しかし。

『おおぉぉっ!』

 絶叫がマイク越しにCP内にも迸ります。
 動きの止まった壱型丙に、吶喊していく弐型の姿が画面に映っていました。

 思わず唖然とし、一瞬、頭の中が真っ白になります。

 ここで逆襲?
 壱型丙の動きが止まったから?

 そこまで理解した瞬間、背筋に冷たい物が走りました。
 そして次の瞬間、閃く巨大な刃の輝きが、私の予感を肯定します。

 蒼穹から黄昏へと替わりつつあるアラスカの空に、74式近接戦用長刀が高々と舞い上がりました。

 ……不知火・弐型の長刀がです。

 炸裂音にも似た轟音と共に、弾き飛ばされた弐型が、仰向けになったまま大地の上を滑って行きます。

 それを追って跳ぶ壱型丙。
 そして瞬く間に弐型に追いつくや、手にした74式近接戦用長刀を高々と振り上げ、振り下ろし――

「状況終了!
 これにて演習を終了するっ!!」

 ――ませんでした。

 最大声量で放たれた私の命令が、唯依の動きを止めた結果です。
 正直、止まってくれるか自信は無かったのですが、骨の髄まで染み込んだ軍人としての気質が、私の期待を裏切らないでくれて本当に助かりました。

 そして私は胸中で、ホッと安堵の吐息を漏らしつつも、全て予定通りと言わんばかりの態度を取り繕います。

 ドーゥル中尉が、何か言いたそうな顔をしていましたが、故意に無視すると、唯依とアルゴス小隊機に帰還を命じ、後事は中尉に託して悠然とCPを後にしました。

 背後で閉まるCPのドア。
 その音を聞きつつ、一つ盛大な溜息を吐いた私は、本日、最後の任務を果たすべく、再び歩き出したのでした。





■□■□■□■□■□■□





 ――三十分後、私はユーコン基地内のとある建屋の屋上へと辿りつきました。

 言うまでも無いですが、唯依を探しての事です。
 あの後、直ぐに戦術機ハンガーへと向かったのですが、既に唯依の姿は無く、ただ蒼い不知火・壱型丙があるだけでした。

 周りに居た整備員を捕まえて、彼女の居場所を聞くも、強化装備から着替える事すらせぬまま、どこかへ行ってしまったとの事。

 仕方なくハンガーから、彼女の足取りを聞き取りしつつ追いかけてきた結果が、今の状況です。

 ――目立つ零式強化装備を着けたままだったから良かったものの、そうでなければ果たして見つけられたかどうか……

 胸中で、そんな事を呟きつつ、屋上の端で風に吹かれている唯依へと歩み寄ろうとした私でしたが、不意に視界の隅に別の人影が映りました。
 反射的に向けた視線の先には、まだ幼そうな銀髪の少女が……

 トコトコといった感じで唯依へと近づいていく姿に、私の足も止まりました。

『……ソ連軍?』

 身に付けている軍服は、ソ連軍の物ですが、何故にソ連軍兵士が唯依に?

 などと疑問を抱きつつ、その少女を見詰めていた私でしたが、それが彼女の気を引いたのか、唯依まで、あと十メートルというところで、その少女が立ち止まりこちらを振り返りました。

 中々の美少女――もう三、四歳年上でしたら、声を掛けるにも気を使いそうです。

 などと、お気楽な事を考えていた私とは対象的に、くだんの少女の顔が引き攣りました。
 まるで闇夜に幽霊にでも遭遇したような恐怖の表情を浮かべた少女は、そのまま身を翻すや脱兎の勢いで逃げ出したのです。

 ……え〜〜……なんなんでしょ?
 何かしましたか……私?

 瞬く間に、私が上がってきたのとは、別の入り口へと姿を消した少女を、唖然として見送った私は、思わず胸中で呟きました。

『そんなにも恐いんでしょうか?
 ……地味に傷付きます』

 いや自身の鉄面皮には自覚がありましたが、あんな少女を恐がらせてしまうほど、恐ろしかったとは……

 内心で溜息を吐きつつ、ハイネマン氏を見習って作り笑いのスキルを習得すべきかと真剣に悩み始めた私。

 そんな私の背中を、聞きなれた美声が擽りました。

「……明憲……さま?」

 振り向けば、唯依がこちらを見ながら、呆然としていました。
 恐らく、先程の少女の足音に気付いて、振り返ったのでしょう。

 驚愕に固まる美貌が、やがて羞恥と恐怖へと変化します。
 彼女には似つかわしくないオドオドとした眼差しが、四方八方へと走り、逃げ場を求めていましたが、逃がす訳には行きません。

「唯依」
「――っ!?
 ………は…い……」

 ただ一言を以って、彼女の動きを封じます。
 一瞬、ビクリッとその身を波打たせた唯依は、観念した表情で、その場で私を待つ姿勢になりました。

 生真面目過ぎる彼女らしい反応に、私の頬に、苦笑が浮びました。
 そのまま足早に距離を詰め、彼女と向かい合う位置に立ちます。

 白い美貌に、悔恨と羞恥、そして怯えの色が滲んでいました。

 ――そんな表情は、させたくないのですけどね。

 そう思いつつ、声を掛けようとした私でしたが、その機先を制するように唯依が深々と頭を下げます。

「申し訳ありませんでした!
 先程の一件、如何なる処罰でもお受けいたしますっ!」

 そう言って頭を下げ続ける彼女。

 正直、困ってしまいます。
 公式には、あくまでも演習として終わったのですから、罰など与える訳にもいきません。
 何より、彼女があんな行動に出た理由は、私にある訳ですし。

 そうやって一頻り悩む私の前で、唯依は頭を下げ続けます。
 どうやら何らかの罰を与えぬ限り、このままという事になりそうな気配でした。

 どうしたものかと頭を捻りかけた私ですが、不意に天啓が閃きます。

 ……うん、色々な意味で良いアイディアです。

 胸中で、そう納得した私は、彼女の望む通り、罰を与えるべく顔を上げるように命じました。

 恐る恐る顔を上げる唯依。
 その顔色は悪く、その瞳には怯えの色が強く浮んでいます。

 ……え〜〜〜……なんと言うべきでしょう?
 なんとなくイジメたいというか、困らせたいというか、そんな気分になってしまいますよ。

 ――嗜虐心と言うべきか、イジメっ子気質の発露とでも評すべきか?

 心の底から湧きあがるその衝動。
 私は、その衝動に抗う事無く、彼女へ『罰』を与える事にしました。

「あ、明憲様!?」

 悲鳴じみた唯依の叫びが、私の耳の後ろから聞こえましたが、知った事じゃありません。
 なにせ、これは『罰』であり、唯依自身が望んだ事なのですから。
 だからこそ、遠慮なく私は、彼女抱き締める腕に力を篭め、その長く美しい濡羽烏の髪に顔を埋めていったのでした。

「あ、明憲さま!
 こ、こ、こ、この様な場所で、お、お、お戯れをっ!?」

 動揺しまくった声が聞こえます。
 黒髪より覗く彼女の耳朶が、真っ赤に染まっていたので、悪戯心――いえいえ、『罰』の一環としてペロリと舐めてみました。

「――d;ksヴぁんbkwsn@っ!?」

 言語ではない音の羅列が聞こえます。
 それに更に、悪戯心を刺激された私は、更に更に強くその身を抱き締めました。

 保護皮膜の所為で、密着する彼女の体温が殆ど感じられないのは残念でしたが、その肢体の蕩けるような柔らかさと、押せば弾くような肉の張りが、全身で感じられるので問題ありません。

 今度は、耳朶を軽く甘噛みすると、ビクンッばかりに硬直した後、くたりと脱力してしまった彼女の耳元で、ソッと囁きました。

「望み通り罰を与える。
 このまま暫らく、こうしている様に」

 そう命ずると、わずかに拘束を緩め、唯依の顔を覗き込みます。

 先程のソレとは、別の意味で羞恥に染まった美貌。
 困惑と動揺に揺れる様が、とても美しく感じました。

 ……不味いですね。もしかして私は、サドッ気とかあるんでしょうか?

 羞恥に震え、惑乱する彼女の姿を、もっと見てみたい気がしてなりません。

「こ、こんな処罰は……んんぅっ!?」

 思わず反論しようとした彼女の唇を、私の唇で塞ぎ黙らせてしまいます。
 反撃を許さぬ速さで歯列を抜けた私の舌が、彼女の舌を捕らえ、縮こまろうとしていたソレを強引に絡め取っていきました。
 わずかに粘ついた水音が、屋上へと広がって行き、急く様な熱く早い息遣いが、それに重なっていきます。

 そのまま暫らくの間、存分に彼女の唇を堪能すると、反論する意気が萎えた事を確認し、そっと唇を離しました。

 真っ赤になったまま、喘ぐように唇を震わせている唯依に向けて、私は厳かに宣告します。

「罰として辱めを与える。
 ……しばし耐えよ」

 そう言い置くと、彼女の答えを聞く事無く、再び、その髪に顔を埋めます。
 そして今度は、囁くような小声で、彼女の耳朶に直接告げました。

「褒められた事ではないが、嬉しくもあった……そういう事だ」

 私の腕の中で、唯依の肢体がピクンと動きました。
 微かな緊張が産まれ、やがて言葉の意味を理解すると共にソレも消えていきます。

 ――彼女の暴走は、私を卑怯者と侮辱されたから。

 その事を理解していると、暗に告げたからでしょう。

 やがてオズオズといった風情で、唯依の両腕が私の背に回されました。
 それに応える様に、抱き締める力を強くすると、呼応して彼女の腕にも力が篭ります。

「あき……憲…様……」

 互いが別ち難く結びついて行く中、唯依の唇から甘く濡れた呟きが零れます。
 『男』の脳髄を鷲掴みにする様な『女』として唯依の声でした。

 ……ですが、これは『処罰』、あくまでも『罰』なのです。

 貞淑で慎み深い大和撫子の見本とも言える唯依にしてみれば、屋外、それも何の遮蔽物も無い屋上で、このような行為を強要されるなど、夢想だにした事も無い恥辱の極みの筈。

 ……という建前なので、陶然とした睦言など漏らして貰っては困るのです。

 そう胸中で屁理屈を捏ねた私は、それを理由として更なる『罰』を彼女に与えました。
 再び重ねられた唇が、建前上、都合の悪いモノ全てを、吸い取り、絡め取り、貪り食らっていきます。

 ――艶やかに濡れた唇を啄ばみ、熱く滑る舌を蹂躙し、甘く蕩けた鳴き声を散らす。

 互いの鼓動が絡み合い、息が融け合うような刹那の刻。
 それに溺れ、酔い痴れ、いつしか時の過ぎ行く様さえ、忘れ果てていく私達。

 夕暮れから夜へと代わり行くアラスカの空の下。

 沈み行く残照に照らされながら、一つの影となった私と唯依は、いつまでもその場に佇み続けていたのでした。











 後書き

 ご舎弟さまシリーズそのにでした。

 存分に砂糖を吐いて頂けたでしょうか?
 甘々なSSも良いもんですよねぇ。

 ちなみにチョロッと出てきたイーニァですが、本作ではまだ唯依とは面識ありません 。
 一応、VIPである主人公とセットになっている為、案内くらいはついてますので迷子にはなってませんから。

 面識ができるのは、そのさんの筈。
 今話で出てきたのは、意味不明な行動を取る不思議少女キャラ故という事で。





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