突如として、彼等(彼女等)の世界は終わりを告げた。
前触れがあったわけではない。唐突に終わったのである。
そして直後、目の前に広がった新たな世界に人々は驚愕する。
一体何が起きたのか、自分達はこれからどうすれば良いのか。
ただ一つ、分かっていることは――
戦わなければ明日はこない、ということだけだった。
【一章:小田原城陥落】
荒廃寸前の大地を歩く、一つの大軍勢があった。
その軍勢全てが人間ではない。一言で言い表すのなら、全員が化け物であった。
「う〜ん。あちこちに流れる溶岩、荒廃した街、枯れた木々、私の後ろに並び立つ妖魔の大軍勢……」
周囲を見渡し、軽い足取りで円を描くように前を歩く一人の女。
見た目は蠱惑的な衣装を身にまとった人間の女性である。
だが獣のような足と、頭部に生えた二つの耳が彼女が人間ではないことを証明していた。
――名は妲己。自身の後ろに控える妖魔軍の軍師である。
「ホント〜に最高♪ ねっ? 遠呂智様」
妲己に遠呂智と呼ばれた男は、問い掛けに答えることなく静かに鼻を鳴らした。
遠呂智もまた、妲己と同じく見た目は人間である。だがそうではない。
彼等の目の前に広がる混沌とした世界を作り上げた張本人なのだから。
「……我は強者との戦いを欲す。この世界の模様がどうなろうとしったことではない」
複数の妖魔が担ぐ輿に乗る遠呂智は、背を預け、興味もないと言い捨てた。
「あ〜ん、遠呂智様ったら冷たいんだから♪ でもそんなところが私好みなのよね」
まるで子供のようにはしゃぎ、遠呂智の乗る輿へ飛び乗る妲己。
直後、遠呂智に甘えるように彼女は首元へ抱き付いた。
他の妖魔達から恐れの声が沸き上がる中、妲己、遠呂智の両名は気に留めるまでもなく話を続けた。
「心配しないで遠呂智様。この世界に遊び相手はた〜っくさんいますから!
実はこの先に立派なお城があるの。私達遠呂智軍の旗揚げには良いと思わない?」
「強者がいるのならば、どんなところであろうと構わぬ。お前も思いのままに屠れ」
「う〜ん、素敵なご命令! だから遠呂智様って大好き♪」
「ふん……」
大蛇を模した遠呂智の鎧がジャラリと音を鳴らした。輿から立ち上がったのである。
行進がゆっくりと止まり、妲己もすぐさま輿から飛び降りた。
「貴様等も思いのままに蹂躙するがよい。戦と破壊こそ我等が唯一望むものよ!」
その遠呂智の言葉と同時に妖魔軍全てが、大地を振るわせんばかりに吼えるのだった。
‡
「氏政様、残る民の城への避難が完了致しました」
「そ、そうか。小田原の民にはくれぐれも落ち着くように言うのじゃぞ」
「…………畏まりました」
家臣の報告を聞き、ここ小田原城の主である北条氏政はホッと息を吐いた。
(地震が起きたかと思えば、まさか一瞬の内に小田原の城下が廃墟になるとは……)
かつての自分なら今、起こっている事態についていけず発狂したことだろう。
だが今の自分は違う。民と家臣、そして北条家栄光を誇るこの城を守らなくてはならないのだ。
「北条のおじさま、鶴姫ただ今戻りました!」
「おお! 心配しておったぞ姫巫女殿!」
氏政は伊予河野の巫女である鶴姫の帰りを、まるで孫娘のように出迎えた。
彼女はたまたま小田原城へ遊びに来ていたところを、今回の事態に巻き込まれたのである。
「して、どうじゃった? 辺りの様子は?」
「はい。おじさまの家臣の皆さんと周囲を見て回ったんですが、どうも私達の知っている土地ではないように思えるんです」
鶴姫の言葉を聞き、氏政の顔から血の気が引いた。
「ま、まさかそんなことは……」
「信じられないのも、無理はないですけど……」
「くううう……一体この世に何が起こっておるのじゃ。ご先祖様、どうか御教え下され」
「私の故郷と、故郷の皆さんも心配です……」
落胆する二人。だがそんな暇もなく、伝令が決死の形相で飛び込んできた。
「で、でんれーーーーい!? 氏政様、大変でございます!?」
「な、何じゃ!? 今度は何事が起こったのじゃ!?」
「敵襲、敵襲にございます! その数、数万!!」
鶴姫は信じられないといった表情を浮かべた。こんな時に戦だなんて……。
同じく氏政もまた、伝令の言葉に腰を抜かした。全身が痙攣したかのように震える。
「ど、どどどど何処の大馬鹿者じゃ!? このような時に戦を仕掛けてくるとは!?」
氏政の頭に仕掛けてきたであろう軍勢の候補が浮かんでは消えた。
武田、上杉、織田、豊臣、はたまた三好の悪霊か――
「信じられないかもしれませぬが……相手は人ではありませぬ」
「な、何じゃと……?」
「攻め寄せてきたのは……物の怪にございます!!」
‡
小田原城目前まで迫った妖魔軍だったが、何故か進軍せずそのまま止まっていた。
遠呂智の一声さえあれば、すぐにでも血気盛んな妖魔達が殺戮を始めるだろう。
興奮する妖魔勢を宥めつつ、妲己は今から攻め入ろうとする城を値踏みしていた。
「ふうん、近くでみると結構立派な造りね。まあ遠呂智様の力を示すにはちょっと足りないかな?」
「……如何致しますか? 遠呂智様、妲己様」
妲己の側近である上級妖魔、百々目鬼が訊いた。
「そんなの訊くまでもないわよ。ねっ? 遠呂智様」
「我が命はただ一つ……圧倒的な力で全てをねじ伏せよ」
「ですよね遠呂智様。だけど、どうして進軍しないの?」
妲己の問いに遠呂智は答えなかった。
だが、その代わりに輿から降り、自身の武器である大鎌を手に持った。
黒縄という地獄の名を冠したその武器の刃が鋭く光った。
「先程から我等の後を付ける者、姿を見せよ……」
遠呂智は眼前に小田原城を捉えたまま、背筋の凍るような声色で言った。
その言葉に妲己、百々目鬼、もう一人の上級妖魔の牛鬼が殺気を放つ。
――そして、それは姿を現した。
「気配は完全に消していたつもりだったが……やれやれ。バレていたか」
崩壊しかかっている建物から姿を見せたのは梟雄、松永久秀であった。
「貴方誰? ってか、私達の後を付いてきてたの?」
「ああそうだよ。卿等と同じくこの城に用があってね。最も私の目的は卿等とは違うが」
「へえ……。けど残念ね。今からここのお城の人達はみ〜んな私達が殺しちゃうんだから」
「結構、好きにしてくれたまえ。卿等を止める気など無いよ」
刹那、妲己の久秀を捉える目が鋭く変わった。
「人間にしては変わってるのね。普通止めようとかはしない? こういう状況」
「この城の者達のことなど、私には関係のないことなのでね。救うなど偽善だ」
そう答え終わると、久秀はゆっくりと遠呂智に向けて歩み始めた。
それを見て百々目鬼と牛鬼、他の妖魔達が動き出すが、全てが遠呂智によって止められた。
「魔の器、か。公の他にもこのような器がいようとは……」
久秀の冷たい瞳が遠呂智を捉え、遠呂智の瞳もまた久秀を捉えた。
両者はまるで互いの心を覗くかにように、視線を交わし続けた。
「ふっ、貴様……人間にしておくには惜しいな。その心の闇、そこらの妖魔をも凌ぐ」
「妖魔の王にそう評価されるとは……ありがたく受け取っておこう」
「我等と共に来るか? 貴様の抱えし欲望、我等とならば満たせるやもしれぬぞ」
遠呂智の言葉に久秀はクックッと笑った。
「確かに。期待はしないでおくが、人の身で妖魔の王に付いていくのもまた一興」
(完全なる器には風魔を使うつもりだったが……いやはや、ここに相応しい物があったか)
「名を申せ。妖魔に近しい人界の者よ」
「松永弾正久秀だ。妖魔の王よ」
「我が名は遠呂智。久秀、貴様も思うがままに蹂躙するがよい」
‡
「も、申し上げます! 超絶北条家栄光門、破られましてございます!!」
「敵の強さは想像を絶しております! 我等だけで食い止めるのはもう限界です!!」
「伝令! 物の怪の軍勢の中に松永久秀を確認! どうやら協力しているようでございます!」
次々とくる伝令の報告に氏政は耳を塞ぎたくなった。
更には人である筈の松永も敵側にいるという。
まるでこの世の全ての悪夢でもみているかのようであった。
「殿、かくなる上は降伏を……」
「馬鹿な!? 相手は物の怪だぞ! 降伏など通じるものか!」
「ならばどうする!? このまま殿と民を殺すつもりか!?」
「み、み、みみ皆の者、おおおおお落ち着くのじゃ!?」
「「「う、氏政様……」」」
今にでも腰を抜かしそうだが、鶴姫に支えられて何とか体勢を保った。
そして何回か息を吸い、呼吸を整え、氏政は家臣達と向き合った。
「わしも乱世を生きてきた北条家の当主じゃ。覚悟は出来ておる」
「おじさま……!」
「良いのじゃ姫巫女殿。この老人の首一つで皆が助かるのならば……」
――刹那、氏政の言葉は巨大な爆発音によって掻き消された。
大広間の扉が勢いよく吹っ飛ぶ。その場にいた全員が武器を手に立ち上がった。
「あ〜らごめんなさい。大事な相談事だった?」
現れたのは妲己、そして傍には遠呂智と久秀の姿もあった。
「く、曲者ッ!?」
「あら失礼しちゃう。女に向かってそんなこと言うと……」
妲己の周囲に浮いている二つに玉に内、一つが北条家家臣の一人に向けて飛んだ。
その速さに避けることも防ぐことも出来ず、玉が無常に男の胴体を貫いた。
「きゃああああああ!?」
「あ、ああああああ!?」
「こんなことになっちゃうんだから。扱いには気をつけなさい」
鶴姫と氏政、そして残った家臣団の悲鳴を意に介さず、妲己は言い放った。
「き、貴様等、もうここにまで……!?」
「門が開けばここまで来るのとっても楽勝だったわ。久秀さんのおかげかなぁ」
妲己が視線を移すと、久秀はふっと笑みを浮かべた。
「貴様ぁ!? 松永久秀ぇ!?」
「人の身でありながら物の怪に味方するとは!?」
「恥を知れ!! 地獄に落ちろ!!!」
「結構、外道は外道のまま死ぬ。それが最も相応しい死に様だ」
久秀にとって、北条家家臣団の言葉は下らないことだった。
ただ己の欲望に従って行動したまでであり、批難など気にも留めない。
「はいは〜い皆さん。それとお届け物がありま〜す」
妲己が「遠呂智様ッ♪」と声を掛けると、遠呂智が大鎌に引っ掛けていた物を放り投げた。
それは勢いよく飛び、ちょうど氏政と鶴姫の目の前に転がった。
「ふ、風魔ッ!?」
「よ、宵闇の羽の方ッ!?」
二人が驚くのも無理は無かった。
そこに倒れていたのは北条家に仕える、伝説の忍と謳われた風魔小太郎だったのである。
あの大鎌でやったのだろう。彼の身体は無残にも、ズタズタに斬り刻まれていた。
「し、忍殿までもが……ッ!?」
「む、惨いことを……」
この場にいる、久秀を除いた人間全てに絶望感が漂い始めた。
鶴姫はその中でも特に表れていた。慕っていた人がこうなってしまえば当然な反応だろう。
「いやぁ、嫌です宵闇の羽の方ぁ……!? 眼を、眼を覚まして下さい……ッ!?」
「風魔がやられてしもうた……わし等全員、これでお終いか」
「いや、そう悲観することもないよ。風魔はとてもよくやった。
ただ相手が悪かった。伝説の腕を持ってしても妖魔王には通じなかっただけのことだ」
そう称える久秀の表情には、明らかな侮蔑の色が見て取れた。
敵わない相手に決死に挑んだ風魔の姿は、現実を重んじる彼にとっては理解し難いのだろう。
「だが、我を煩わしただけでも十分であった。風の者よ」
「ほ〜んと、数が増えたりして鬱陶しかったわ。それで貴方達はどうする?」
「ふむ……見たところ、魔の器を満たせる者は居ないようだが……」
視線に映るのは、武器を手にしながらも怯えて動けない家臣団。
風魔の遺骸に泣いて縋り付く鶴姫、半ば放心状態の氏政――
「な〜んか戦う気も無いって感じ。遠呂智様、私と久秀さんで殺っちゃって良い?」
「…………好きにせよ」
「もう遠呂智様って最高! じゃあ最初は、さっきから泣いてばかりで鬱陶しいあの娘から」
妲己の周囲の玉が高速回転し、鶴姫を捉える。
「いかん!? 姫巫女殿ッ!?」
「「巫女殿ッ!?」」
「さ・よ・な・ら♪」
鶴姫の頭部目掛け、玉は高速の速さで飛んでいき――そして弾かれた。
「えっ!? ちょっ……!?」
その直後、妲己、久秀、そして遠呂智に向けて何十個もの手裏剣が放たれた。
妲己は残った玉で辛うじて防いだ。久秀、遠呂智もまた難なく全てを弾いた。
「宵闇の……羽の方……」
鶴姫を寸前で守ったのは、風魔小太郎であった。
「風魔ぁ!? 生きておったか!!」
「うっそでしょ……何で生きていられるわけ!?」
(仕留めたと思ったのは分身というわけか……。流石は伝説の忍、抜け目がない)
再び現れた敵に対し、遠呂智が大鎌をゆっくりと構えた。
その表情は何処か嬉しそうだった。
「来るがよい。我に挑め、人界の強者よ……」
「……………………」
風魔が印を結び、次々と大広間に分身を出現させていく。。
やがてそれが終わると、無数の風魔が一斉に背中の忍者刀を抜いた。
「じょ、冗談じゃないわよ!? 何よこれぇ」
「ふはははは。風魔、やはり卿も手に入れておくべきだったよ」
瞬間、風魔全員が遠呂智、妲己、久秀へと襲い掛かった。
激しい剣戟の音が鳴り響く。その音は嫌でも聞く者に激戦を思い起こさせた。
この日、小田原城は遠呂智軍によって落城した。
北条軍は激戦の末に家臣と兵、共に討ち死にを遂げる。
城に避難していた民は一部逃げ延びたが、一部は妖魔の餌となってしまった。
だが北条氏政と伊予河野の巫女、鶴姫は激戦の最中行方不明となった。
そして風魔小太郎も…………。
彼等の行方は小田原城が落ちる寸前に吹き荒んだ風のみが知っているのかもしれない……。
《遠呂智軍に松永久秀が加わった》
遠呂智軍
遠呂智
妲己
松永久秀
百々目鬼
牛鬼
下級妖魔と松永軍兵士
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