ゲイナーは生まれてから今迄で、それまでの日常を一変させる出来事に三度遭遇している。

 一度目は両親がエクソダス反対派の濡れ衣を着せられ、何者かに殺された時。
 それが原因で彼は引きこもり、エクソダスに対して強い嫌悪を抱くようになった。

 二度目はエクソダスの請負人、ゲイン・ビジョウとの出会い。
 この男と出会ったことで、彼は嫌っていた筈のエクソダスに巻き込まれる羽目になった。

 ただ、これに関しては自分が成長する切っ掛けを与えてくれたので、ゲイナー自身、全て悪いとは思っていない。
 どことなく感じが軽いのと、女ったらしなところに目を瞑れば結構頼りになる男だ。

 そして、三度目は今回のティファニアとの出会いだ。
 インパクトの度合いで言えば今回が一番大きいだろう。
 何せ目指していた場所に突然着いてしまったのだから。
 しかもゲイナーだけが。

 夢にまで見たヤーパンに遂に辿り着いた――そこだけを抜き出せば素直に喜ぶべきだろう。
 しかし、それはエクソダスに参加しているピープル全員で成し遂げてこそ生きてくるものであって、ゲイナー一人だけでは意味がない。

 それなら彼が取るべき選択肢はただ一つ。
 皆のところに帰ればいい。
 一足先にヤーパンの地を踏んだ感想という手土産付きで。
 一瞬にしてこちらに引っ張ってこられるのだから、元に戻す方法だってある筈だと思った。

 だが、そんな彼の甘い考えは、ティファニアの口から告げられた驚くべき事実にいとも容易く打ち砕かれてしまった。

 ――あなたを帰す方法が分からないの。

 正直、ゲイナーは落胆した。
「ときに人間は無力な存在だ」などという言葉があるが、それは今の彼にぴったり当てはまる言葉だと思う。



 あれから一週間。
 当初はこの場所がヤーパンだと信じて疑わなかったゲイナーではあったが、その考えは揺らいでいた。

 その原因となったのは夜空に浮かぶ月。
 シベリアの地から見た月はたった一つで黄色だった筈。
 それがここでは赤と青の二つであった。
 月が見える場所によって色や数を変えるということは有り得ない。
 天文関係に詳しくなくても分かることだ。

 まさか、異世界に飛ばされたっていうオチじゃないだろうな。と考えてもみたが、確証を得る手段は無い。
 それどころか、皆のところに帰る手段すらも見当がつかなかった。

 他に頼る当ても無ければ、見知らぬ土地で一人で生きていく自信も無かったゲイナーは、暫くの間、ティファニアの家に厄介になることを選んだ。

 それで彼は今、何をしているのかというと――

「……ふんぬっ!」

 薪割りをやっていた。
 他人の家に居候する以上、タダ飯ばかり食べているのも気が引ける。
 ティファニアはそんなことは気にしなくてもいいと言ってくれるが、やはり何もしないのは気まずい。

 だから彼も何か手伝おうと思い、簡単に出来そうな薪割りを買って出た。
 だが、それは間違いだった。

 薪を割る為に用いる斧は思っていたよりも重く、バランスが取りにくい。
 狙いを定めて振り下ろしても上手く薪に当たらないのだ。
 それでも途中で投げ出す訳にはいかないから、ふらふらになりながらも薪と格闘していると、近くで遊んでいる子供達の声が聞こえてきた。

「嘘つくなよー」
「嘘じゃないやい!」

 声を荒げたのは、初日にゲイナーの脇腹に正拳突きをお見舞いしたニコルだった。
 何やら他の子供達と揉めているようだ。

「ちゃんと見たんだよ! 白と青の変なゴーレムが洞窟の近くに落ちてたのをさ!」

 ティファニアから聞いた話によると、『ゴーレム』とは魔法で作り出した土の人形のことで、作った者の意のままに操ることが出来るらしい。
 と言っても、ゲイナーはまだ実物にお目にかかったことが無いし、ゴーレムといえばセントレーガンが所有しているものを真っ先に思い出すのでいまいちピンと来ない。

「そんなの信じられるかよ」
「信じないならもういいよ! ばーか!」

 ニコルは悔しそうに吐き捨てると走り去ってしまった。
 他の子供達は諦めたのか、追いかけずに別の方向に去って行く。
 その場にはゲイナー一人が残される形となった。

 ゲイナーはニコルの言う"白と青"という色に何か引っかかるものを覚える。
 だが、薪割りの疲れで思考が鈍っていた彼に、ニコルの後を追いかけるなどという単純な考えは思い浮かばなかった。

 仕方なく薪割りを続けようと思っていると、そこへティファニアがやってきた。

「どうしたの? 子供達の騒ぎ声が聞こえたんだけど」
「単にじゃれあってただけだよ」
「それならいいんだけど。でも、喧嘩してるようなことがあったら、出来るだけ間に入って止めてあげてね」

 さっきは見てることしか出来なかったけど、やっぱりそういうところは気にかけた方がいいんだろうな。とゲイナーは思った。
 彼一人で生活しているのではないのだから、そういったところは協力し合わなければならないだろう。

「ところで、薪割りの方はどう?」
「いや、見てのとおり、あんまり……」

 ゲイナーの視線の先には、まだ割られていない薪がうずたかく積み上がっている。
 それは決して薪割りが順調に進んでいないことを端的に表している証拠でもあった。
 一方のティファニアは、そんなことを気にする様子もなく言葉を返す。

「そのくらいの大きさの薪だと斧じゃ手に余るから、鉈を使った方がいいよ。裏の物置小屋にあるから」
「そっか。ありがとう」
「うん。それじゃ、晩御飯の支度があるから。また何かあったら呼んで。それと、あまり無理しないでね。別に急がなくていいから」

 ティファニアは他にも薪割りに関するアドバイスをゲイナーにいくつかすると、家の中に戻っていった。

 ここ、ウエストウッド村はティファニアよりも年上の大人が一人もいない。
 彼女と、彼女よりも年下の子供が十数人いるだけである。
 "村"と名乗るにはあまりにも寂しい有様で、まるで何かに怯えて暮らしているような感じさえした。

 そんな中で彼女は年下の子供達を纏め、良くやっていた。
 初めて会った時は儚げで頼りなさそうな印象があったけど、僕よりよっぽど立派だ。とゲイナーは思う。

(それに比べて僕は……おっと、そういう考えはよそう。イジけているだけじゃ何も変わらないって、今まで散々学んできたじゃないか。何事も前向きに考えなきゃ)

 薪割りの方はティファニアのアドバイスのおかげで割りと順調に進み、日暮れ間際にどうにか終えることが出来た。
 頃合いも良いので家に戻ることに。
 ところが、そこでゲイナーが見たのものは、顔を蒼白させるティファニアと不安がる子供たちの姿だった。

 ティファニアの話によるとニコルが昼に出て行ったっきり、まだ帰ってきていないらしい。
 ただ、問題はそれだけではなかった。

「この辺の森はよく狼が出るのよ。だから、一人で遠くに行っちゃ駄目だっていつも言ってるのに、あの子ったら……」
「何だって! 早く探しに行かなきゃまずいよ」
「でも、どこに行ったのか分からないわ」

 見当が付かなければ探しようがないし、かといって虱潰しに探しまくる訳にもいかない。
 いつ狼に襲われるかもしれないことを考えれば尚更だ。

(一体どこに行ったんだよ、まったく……まてよ……)

 ゲイナーは昼間、ニコルが洞窟の側で変なゴーレムを見たと言っていたことを思い出した。
 もしかしたらそのゴーレムのところに行ったのかもしれない。
 そうだという保障は無いが、行ってみなければ分からない。

 そのことをティファニアに伝えるとニコルを探しに行くというので、ゲイナーも迷わず同行した。
 出会ってからまだ一週間。
 打ち解けているとは言い難い。
 だが、見過ごすことなど出来ない。

 ――だから無事でいてくれよ、ニコル。



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