アルビオンが空に浮かぶ島国だと聞き、真相を確かめるべくキングゲイナーで飛び出したゲイナー。
だが、結局はその通りだったことを思い知らされる。
ここはヤーパンでもなければシベリアでもない。
地球とは異なる世界だったのだ。
その後、意気消沈したまま村に戻る途中、マチルダという名の女性と出会ったことにより、世界各地を回る彼女の仕事を手伝うことになる。
これは元の世界に戻る手掛かりを探す絶好の機会でもある為、ゲイナーにとっても好都合であった。
彼女が泥棒を生業としていて、しかもそれをティファニア達に隠していることには閉口したが、かと言って彼もあまり人のことを非難できる立場ではない。
キングゲイナーは今でこそ彼の愛機であるが、元々はウルグスクの統治者、メダイユ侯爵が美術品としてコレクションしていたものである。
ウルグスクから脱出する際、どさくさに紛れてゲインと二人で勝手に持ち出したのだ。
こんな高性能なオーバーマンを眠らせておくのは勿体無い! だったら俺達で有効に使わせていただく、と言えば聞こえはいいだろうが、それでも他人の所有物を盗んだことに違いはない。
規模は違っても、ゲイナーは彼女と何ら変わらないのだ。
ただ、マチルダはそのことに対して開き直っているところがあり、事実の一つとして受け止めているゲイナーよりたちが悪いのだが。
さて、とりあえず出発は次の日の夜中に決まった。
昼間でないのはキングゲイナーを使う為。
外にはハルケギニア大陸とを行き来する商船、周辺を巡回する軍の竜騎兵など、あまり出会いたくない連中が山ほどいる。
その意味でも、夜の闇に紛れて行動した方が何かと都合がいいからだ。
そして翌日。
ゲイナーは一人、出発を前に空に浮かぶ双月を見上げていた。
既に見慣れている筈なのに、今日ばかりはその姿も感慨深い。
これからのことについては期待と不安が入り混じっている。
だから、いつもよりしみじみと感じてしまうのだろうか。
「ゲイナー」
不意に自分の名が呼ばれたことに気付き、声がした方向を見やる。
そこには家の中から出てきたティファニアの姿があった。
「寝てたんじゃなかったの?」
「うん、でもゲイナー達がもうすぐ出発するのが気になっちゃって」
「そっか」
「隣、座ってもいい?」
「あ、ああ、いいよ」
ゲイナーが座っているのは、横倒しになったまま放置されている丸太。
ティファニアは彼の傍まで歩み寄ると、その隣に腰を下ろし、彼と同じく双月を見上げ始める。
しばらくの間、二人は無言のまま静寂に身を委ねていたが、その静寂を先に破ったのはティファニアの方だった。
「ゲイナー、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ゲイナーが前にいた場所のこと、もう一度教えて欲しいの。ダメかな」
ティファニアがもう一度と付け加えている通り、その話は何日か前にしているので今更する必要は無いと思う。
だが、別にゲイナーが彼女の要求を断る理由はどこにもないし、断るつもりもない。
だから、もう一度話してやることにした。
ウルグスクで暮らしていた時と、そこから抜け出してヤーパンを目指していた時の話を。
一通り話し終えた頃、それまで静かに耳を傾けていたティファニアがポツリと呟く。
「わたしも行ってみたいな。そのヤーパンって呼ばれてる場所に……」
「え……?」
ティファニアの過去や現在の境遇を鑑みれば、彼女がそう望むのも無理はない。
彼女にしてみれば、新天地を目指す旅は希望に満ち溢れたものに映るだろう。
だが、不便で窮屈ながら、それでも最低限の生活が保障されているドームポリスと違い、旅の最中の生活環境は全て自分達の手で維持していかなければならない。
さらに、シベ鉄のようなエクソダスを認めない敵対勢力の脅威が常に付きまとう。
そのせいで中には途中で諦めてリタイアする者や、エクソダスの集団そのものが全滅してしまうケースも少なくない。
ウルグスクのピープルはゲイン・ビジョウという優秀なエクソダス請負人がいたからこそ、ほぼ無事に旅を続けていられるようなものだ。
やはり幸福を得る為には、それと釣り合わないほどの危険に自ら飛び込まなければならない。
エクソダスとはそれほど過酷なのだ。
もし、当事者達が今のティファニアを見たら、彼女のことを甘ったれた嬢ちゃんだと笑うだろう。
彼女の方がよほど安全で平和的な暮らしをしているからだ。
だが、ゲイナーはそうは思わない。
ティファニアの内情を知っているからこそ、逆に彼女をヤーパンに連れて行きたいと思っている。
まだ何の手掛かりも掴めていないが、それでも彼女の願いを叶えたいという気持ちが帰還への原動力になることは間違いないだろう。
だから、ティファニアの為にも必ず元の世界に帰ってみせる。
ゲイナーが決意を新たにした瞬間だった。
と、そこに彼の体に何かが寄りかかるような感覚が。
隣のティファニアだった。
無言のまま、安心しきったかのようにもたれかかっている。
それだけでゲイナーの心臓は早鐘を打っていた。
(ど、どど、どうしよう……えーと、こんな時は……)
対処の仕方が思いつかない。
オーバーマンの扱いではゲームと現実の両方で『キング』の称号を持つゲイナーも、同年代の女の子相手となるとランキングにエントリーすらされない。
まったく情けない話である。
とりあえず抱き寄せるくらいのことはしておいた方がいいと思い、最大級の勇気を振り絞って震える手を動かそうとしたその時、「すう……」、と聞こえてくる彼女の寝息。
……ロマンチックな気分に浸っているわけではなかった。
その様子に胸を撫で下ろすと同時に、少しばかり残念にも思うゲイナー。
未だ自身は狼狽しているが、ここに寝かせたままにしておくことも出来ないのでどうしようかと思案していると、背後から誰かの視線を受けていることに気付く。
慌てて振り返ると、窓からにやけた顔でこちらを見ているマチルダと目が合った。
「な、何やってんですか。そんなところで……」
「何って、いたいけな少年の微笑ましい恋の様子をただ見守ってただけさ。さ、あたしのことは気にしないでとっとと続けるんだ」
「からかわないでくださいよ。だいたい、そんなんじゃないんですから。まったく……」
「ゲイナー君が言うなら、そういうことにしといてやろうか。ま、そんなことより」
今まで笑っていたマチルダの顔が、急に真面目になる。
「そろそろ出発しようか」
「ええ、そうしましょう」
「よし、テファはあたしがベッドに運んどくから、お前はデカブツをいつでも動かせるようにしときな」
頷いて去っていくゲイナーを横目に、マチルダはティファニアを抱きかかえて寝室まで運び、ベッドの上に横たわらせる。
「じゃあね。行ってくるよ、テファ」
彼女の寝顔を優しげな瞳で一瞥すると、静かに寝室を後にした。
◇
ウエストウッド村を発った二人が向かった先は、ハルケギニアを構成する国の一つ、トリステイン王国。
その国内に所在する『トリステイン魔法学院』という施設に、珍しいマジックアイテムが保管されているという。
マチルダの今回の目的は、そのマジックアイテムを盗み出すことにある。
その為に彼女は学院長秘書の肩書きで内部に潜り込み、数ヶ月も前からマジックアイテムの在り処を探っていたのだ。
そのかいあって、ターゲットの所在は既に突き止めてある。
後はそれが保管されている宝物庫の強固な護りをどうやって突破するかが問題なのだが、キングゲイナーのおかげでそれも解決したといっていい。
一体どういった方法で切り抜けるのかは、後の話の中で語ることにしよう。
さて、学院までの道のりは概ね順調……いや、むしろ早過ぎるといえた。
一定のコースを常に外れることなく移動するアルビオン大陸は、最もハルケギニア大陸に接近する時期がある。
その時にフネでトリステインの港町ラ・ロシェールに渡ったとして半日、さらにそこから学院までは早馬で丸二日かかる。
だが、キングゲイナーはその手前までをたったの一晩で走破してしまったのだ。
夜通し操縦し続けたゲイナーが疲労困憊に陥るという代償と引き換えに。
そこでゲイナーの疲労回復も兼ねて、学院へ続く街道の途中にある宿場に宿をとった。
マチルダが宿代をケチったせいで食事は付かないが、近くに飯屋があるから心配ない。
二人はそこでやや遅めの昼食にありついていた。
「で、この後はどうするんです? 僕としてはこのまま休めれば有難いんですけど」
「いかなる理由でも、それは認められませんわねえ」
注文した料理をつつきながら、二人が話しているのは今後の行動についてだ。
マチルダが休暇を終え、学院に戻る予定の日までまだ二日ある。
だが、彼女はその二日間暇を持て余すつもりはなく、既に別の予定を考えているらしい。
それは彼女の仕事に関係あること。
つまり、どこかの貴族の屋敷で一仕事行おうというのだ。
「分かりました。じゃあ、詳細を教えてください」
「ここでは都合が悪いですわ。場所を変えましょう」
昼時とあって、店内はかなりの賑わいを見せている。
その喧騒の中でなら、少々彼女の仕事の話をしたところで周囲にばれることはないだろう。
しかし、仕事に関してはいつ如何なる時でも隙を見せないのがマチルダの流儀。
つまらないところでミスを犯してしまっては、一流の盗賊としての名が廃るというものだ。
「あ、そうですね。すみません、マチルダァンッ!?」
ゲイナーは突然足を襲った痛みに顔を歪める。
マチルダの名を出そうとした途端、彼女に脛を思いっきり蹴られたのだ。
「言った筈ですよ。ここではその名前で呼んではいけませんと」
――村の外ではあたしのことを『マチルダ』と呼んだり、その名前を出したりするのは一切禁止。もし破ったら殺す。
村を発つ際、彼女から一方的に言い渡された決まりごとなのだが、うっかり忘れていたのだ。
カモフラージュの為に穏やかな表情と口調を装っている分、普段より余計に怖い。
まだ死にたくないから気を付けなければ、とゲイナーは気を引き締めた。
「りょ、了解です。ロングビルさん……」
◇
時は流れてその日の夜。トリステインの王都トリスタニア。
ここは言わずと知れたこの国の要衝であり、その一画には高級貴族達の別邸が立ち並ぶ区画が存在する。
今、土くれのフーケことマチルダはその中の一つ、ジュール・ド・モット伯爵の屋敷の側にいた。
彼女は周囲に人がいないことを確認しつつ、自分の背丈の三倍近くはあろうかという外塀に足早に近づく。
再度、人の気配が無いことを念入りに確かめた後、まるで独り言を呟くように小さく言葉を発する。
「こちらフーケだ。聞こえてるか? キング」
『こちらキング。ちゃんと聞こえてます』
マチルダが被っている兜のような丸い帽子――ガウリ隊のヘルメット、その上からフードを深めに被っているので少々不恰好――はゲイナーから借りたもので、口元に伸びた針金のような細い管から相手に声を送ることが出来る。
また、相手の声は帽子の耳に当たる部分から聞こえてくるので、これがあれば遠く離れた相手とも会話が出来る。
会話の相手はもちろんゲイナー。
『キング』というのはコードネームのようなもので、本人がそう希望した。
何故それにしたのかは知らないが。
「じゃあ、作戦開始だ。手順はさっき話した通り。抜かるんじゃないよ、いいね?」
『分かってますよ。では後ほど――』、と残して交信は途絶えた。
(あいつ、本当に大丈夫なんだろうね)
ゲイナーは彼女に加担してはいるが、全幅の信頼を置いているわけではない。
ちゃんと働いてくれるのか、裏切ったりはしないのか、などという思いがマチルダの頭の中を過ぎる。
パートナーに疑いの目を向けることはそれだけで致命的と言えるのだが、彼女にとってはパートナーを持つこと自体初めてのことだから、今回ばかりは仕方がないのかもしれない。
だが、そんな彼女の心配を消し去るかのように、キングゲイナーが独特の飛行音を響かせながら、屋敷の向こう側に飛来する。
一拍置いて、突然の闖入者に驚いたであろう者達の怒声が次々と聞こえてくる。
屋敷の高さのせいで、マチルダからは向こう側で起きていることの全てを窺い知ることは出来ない。
それでも警備のメイジが放ったであろう巨大な炎の塊を、急旋回で難なくかわすキングゲイナーの姿が屋根越しに見えた。
奴らの注意は上手いこと向こうに行っている。
陽動の担い手としては申し分ない。
(あたしもそろそろ、行こうとするかね)
目指すはモット卿の私室。
奴は高価な物や、珍しい物に目がないことで有名。
しかも事前に得た情報によると、奴は自分の好きなものを手元に置いておきたがる性格だという。
ならば、それらは奴が屋敷の中で一番長い時間いる場所、つまり私室にあるのではないかとマチルダは踏んだのだ。
ちなみに私室の場所は、これも事前に入手した屋敷の地図で把握済みである。
まずはフライの魔法で外塀を足がかりに飛翔、そのまま目指す部屋の窓に張り付く。
窓に鍵は掛かっていない。
マチルダは警戒したまま、そこから滑り込むようにして内部への侵入を果たす。
彼女に矛を向けてくるような輩がいなかったことに、少々拍子抜けしながら。
ただ、そうでない人間なら一人だけいた。
「ひっ……」
それは部屋に置かれた豪華なベッドの上で、マチルダの姿を見て震えている一人の少女。
ハルケギニアでは珍しい黒髪をやや長めのおかっぱにし、そこから覗く表情は少女から女に変わりかけの時のあどけなさを残している。
身に着けている薄物は肩や胸元、太腿が大きく露出しており、それだけで奴がこの少女に対して、これから何を行おうとしていたのかが想像できてしまう。
(そういえば、こいつ……)
マチルダはこの少女に見覚えがあった。
確かトリステイン魔法学院で働いている使用人の平民で、名前は……シエスタといった筈だ。
詳細は知らなくても、顔と名前くらいは一致する。
そうでなければ偽りでも学院長秘書は勤まらない。
モット卿は王宮の勅使という立場を悪用して様々な場所に出向いては、そこで気に入った平民の若い女を無理やり屋敷に連れ込み、自分の元に侍らせているという。
マチルダが休暇と称して学院を離れる前はよく見かけたので、離れている間に奴に連れてこられたのだろう。
そのシエスタが恐怖におののきながら、声を搾り出す。
「あ、あんまり蓄えはありません……でも、時間が掛かってもちゃんと払いますから……どうか、どうか命ばかりはお助けを……」
何か凄く誤解されているような気がする。
人を殺めてまで金品を巻き上げるような真似など、今まで一度もしたことはない。
そういう目で見られていたことは正直ショックだが、ここで落ち込んでいても時間の無駄だ。
マチルダはシエスタに見切りを付け、部屋の中を物色し始める。
やはり彼女の狙い通り、目当てのものは備え付けのクローゼットの中に収められていた。
煌く色の大小様々な宝石、指輪やネックレスなどの装飾具、豪華な装丁が施された一冊の本。
それらを用意した袋の中に手当たり次第に放り込んでいく。
あらかた取り終えて満足したマチルダは、ゲイナーを呼ぼうとする。
もちろん脱出する為だが、そこでふと、未だベッドの上で身を竦ませているシエスタと目が合った。
このまま好色貴族に囲われ続けたとして、この先少女が自由の身になれるかどうかなど分からない。
かといって、マチルダにとってはせいぜい同じ学院で働く者程度の認識。別に助ける義理は無い。
だが彼女同様、この少女にも帰るべき故郷があり、そこに愛すべき家族がいる筈だ。
自分を慕う子供達の姿が、一瞬過ぎる。
――こんな時にあの子達のことを思い出しちまうなんて……
自分の甘さに内心苦笑しつつ、シエスタに向き直る。
「一緒に来い」
「え? ……」
「出してやると言ってんだ。それとも嫌か?」
「いえ、そんなことは……」
「なら言う通りにしろ」
シエスタが驚きながらも頷いたのを認めると、マチルダは丸帽子を介してゲイナーに話しかけた。
「キング、生きてたら応答しろ」
『こちらキング、お望み通りピンピンしてますよ。で、今度は何です? 余裕が無いんで早くし……うわっと!』
「大丈夫か!?」
『ええ、ご心配なく。それで何です? もう帰れるんですか?』
「そうだ、場所は北西の角部屋。明かりが目印だ」
『了解、すぐ行きます――』
交信を終えたマチルダは顔を見られないよう注意を払いながら、シエスタの扇情的な姿をベッドのシーツで覆い隠す。
ちょうどその時、窓の外にキングゲイナーの姿が現れた。
得体の知れない存在の登場に、シエスタは言葉を失っている。
「来たか」
『あの、もう一人いますけど』
「一緒に連れて行く。文句あるのか?」
『い、いえ、別に』
マチルダはシエスタに一緒に来るように促す。
彼女は戸惑っているのか中々応じようとしなかったが、遂には業を煮やしたマチルダによって強引に連れ出されることとなった。
二人を腕に抱きかかえたキングゲイナーは、シエスタの悲鳴とともに夜空に舞い上がり、屋敷からの離脱を図る。
彼女達に負担を与えない為に急な加速はかけられないが、それでも追手を振り切るには十分な速さだった。
その後、学院から少し離れた場所にシエスタを降ろし、マチルダ達は宿への帰路につく。
その道中、マチルダはキングゲイナーの腕の中で肌に受ける風に心地よさを感じつつ、一仕事終えた後の余韻に浸っていた。
今回の成果は、大の字を付けても余裕でお釣りが来るくらいの成功。
それ程ゲイナーの働きぶりは素晴らしかった。
ここは彼にも褒美を与えてやらねば。
『マチルダさんって、やさしいんですね』
ゲイナーが話しかけてきた。
丸帽子を通してではなく、キングゲイナーから直接。
「どういう意味さ」
『さっき黒髪の子を助けたじゃないですか。やっぱり、普段の強気な感じは照れ隠しなんじゃないかと』
「あ、あのなぁ……」
前言撤回。やはりこいつには何もくれてやらん、とマチルダは考えを改めるのであった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
リンデさんへの感 想は掲示板のほうへ♪