「……暇だなぁ」

 誰に聞かせるでもなく、ゲイナーは独り言を呟く。明らかに手入れがされていない木製の床は、快適な座り心地を与えてはくれない。だが、マチルダが戻るまで待っていなければならない以上、無闇に動くわけにもいかない。

 今日はトリステイン魔法学院の宝物庫に眠るお宝を頂く日。決行は皆が寝静まった頃となっている。別にキングゲイナーのある能力を使えば昼間でもお宝を頂くことは十分に可能だが、マチルダが一度学院に顔を出したいという理由で夜に行うこととなったのだ。

 これは彼女の正体がばれることを少しでも回避する為である。マチルダが不在の間にフーケが現れたからといって、すぐに彼女をフーケだと疑う者はいないだろう。しかし、どんなに小さいことでも盗みに支障をきたすと思われる要素は排除する。

 一つ一つは些細なことでも、それらが積み重なれば事態を根底から覆してしまう程の大きな事象となるからだ。今日までの数ヶ月間、慣れない秘書の仕事に耐えながらただひたすらチャンスをうかがって来たというのに、ここに来てつまらないミスを犯してしまっては今までの苦労が全て水泡に帰してしまう。もうすぐお宝が手に入る今だからこそ、一層慎重になる必要があるのだ。

 と言うわけでマチルダと離れている現在、ゲイナーは学院から少し離れた森の中――と言っても馬を走らせても二時間はかかる――にぽつんと建っている小屋の中にいる。小屋自体はボロボロの荒ら家で、周囲の静けさと相俟って“不気味”としか言い表せない代物だ。マチルダは一時的な隠れ家として使う為に見つけたものだと言っていた。確かにここなら人目に付くことはまずない。キングゲイナーの隠し場所としても最適だと言える。

 ゲイナーがマチルダから言い付けられたことは、彼女が夜になって戻ってくるまでこの小屋で待機していることだ。待っている間の水と食料は置いていってくれたので、喉の渇きや空腹に悩まされることはないだろう。ただ、暇を潰すことだけには苦労しそうだ。

 何せ、一人ではすることが何も無いのだ。かろうじてあるとすれば、森の中を散策することぐらい。だが、何かあった時のことを考えると小屋からあまり離れることは出来ないし、そもそも散歩は趣味じゃない。ティファニアによってこの世界に連れて来られた直後は、生まれて初めて直に見る緑の世界に感動したものだが、今では少々飽きが来ている。ネットワークゲーム漬けの生活を送っていた頃に懐かしさを感じてしまっている程だ。やはり慣れというものは恐ろしい。

(このままじゃ、暇で死んじゃいそうだ……)

 何もすることがない状況は人を無気力にさせる。このままでは今夜のお宝の入手に支障をきたしかねない。失敗してマチルダから制裁を受けたくないゲイナーは、何か暇潰しになることは無いかと考えを巡らせてみる。ふと、傍らに放り出したままになっている一冊の本に目が留まった。

 赤を基調とし、金糸や宝石を惜しげもなく使った派手なカバーがかけられている本。分厚くは無い。マチルダがモット卿の屋敷で手に入れたお宝の一つで『封印の書物』と呼ばれているものだが、彼女は本の内容に興味が無かったらしい。惜しげもなくゲイナーにくれてやったのだ。暇な時にでも“使って”みれば、という台詞とともに。

 優しいところもあるんだな、と彼女を再評価しつつ、何気なく本を開くゲイナー。だが、その表情は直ぐに凍りついた。

「!?」

 中に書かれていたもの、いや、写っていたのはどれも艶やかな表情をした若い女性の姿だった。どれも下着姿や、体に布を巻き付けただけの格好ばかり。中には一糸纏わぬあられもない姿のページもある。『封印の書物』などという大層な名前が付いているが、実際は単なるヌード写真集に過ぎなかったのだ。マチルダが“読む”ではなく“使う”と表現したのも、そういう意味に違いない。そう思うと納得…………するわけがない。

 ゲイナーは無言で本を床に叩きつける。部屋中に乾いた音が響き渡った。ゲイナーも言うなればお年頃。この手の物に興味を抱かないと言えば嘘になる。だが、だからといってマチルダに言われるがままに“使う”気にはなれなかった。彼女に弄ばれているような気がして悔しかったからだ。

 そんなことをしているうちに何だか眠くなってきてしまった。昼間なのに。そういえばマチルダと出会ってから、ここ何日かは完全に彼女のペースに巻き込まれている。そのせいで疲れが溜まっているのだろうか。ならちょうどいい、昼寝でもしようじゃないかと思い、ゲイナーは床が固いのにも構わず寝ころがった。

 先程までは退屈過ぎて逆に鬱陶しかった静けさも、今では快適な眠りを与えてくれる環境にその姿を変えている。まさにこれ以上は無いというくらいだ。そのおかげか、ゲイナーはいつしか深い眠りに落ちていった。

 ◇

(このガキ……)

 辺りがすっかり暗くなった頃。小屋へと戻ってきたマチルダが最初に見たものは、床に寝そべったゲイナーの姿だった。ランプの光に照らされる間抜けな寝面。誰がどう見ても夢の世界に旅立っている最中だ。

 人がこの後の為に今日一日朝から動き回っているというのに、このガキは何をのん気に寝ているのだろう。わき腹を思いきり蹴りたい衝動にかられたが、そこで踏みとどまる。今回のお宝を頂くにはキングゲイナーの力が欠かせない。それなのにゲイナーに怪我を負わせてしまっては、キングゲイナーの力を借りることが出来なくなってしまう。そのせいで盗みに支障が出てしまっては元も子もない。

 ここは怪我をさせない程度に優しく起こしてやろう。マチルダはやや力を抜いた足でゲイナーのわき腹を蹴った。

「ぶほっ!?」

 わき腹に走った衝撃に慌てて目を覚ますゲイナー。突然の出来事に、小動物の如くキョロキョロと周りを見回している。やがて、自分がランプの光に照らされていることに気付いた彼は、その先に待ち続けていた人物の姿があることを認めた。

「あ、ロングビルさん。いつの間に戻ってきたんですか?」
「いつって、たった今だよ。それよりお前、今まで寝てたろ」
「え? ……って、見りゃ分かりますよね」
「大丈夫なんだろうね。そんなんで」
「大丈夫です。もう眠くはありませんから」

 眠気のことを心配したのではない。あまりに緊張感がないのが心配になったのだ。自分の意思が正しく伝わらなかったことに、マチルダはため息をついた。だが、一仕事行う前にこれだけの余裕を見せているのだから、ある意味肝が据わっているとも取れるだろう。緊張で縮み上がっているよりは遥かにマシだ。

「ま、いいさ。それより、今からブツを頂きにいく。ヘマしないようにしっかりやりな」
「ええ、がっかりさせない程度には頑張りますよ」
「そうかい。じゃ行くよ」

 世間を騒がせる女盗賊と眼鏡の少年。でごぼこコンビの獲物狩りが再び始まろうとしていた。

 ◇

「ねえ、眠れないの?」
「ううん、違うの。もうちょっとしたら寝るから」

 トリステイン魔法学院には教室や食堂がある本塔や、教員や生徒の寮がある別塔の他に学院で働く使用人専用の宿舎がある。その宿舎の三階、とある一室。

 既に床についていた同室のオドレイからの気遣いの声に、シエスタは控えめな笑みで答えた。オドレイが「そう。でも、なるべく早く寝なよ。明日も早いんだから」と言って眠りについたのを見届けた後、再び窓の外に目をやる。

 シエスタは元々、この学院に使用人として奉公している身。それが数日前、王宮の勅使として学院に現れたモット卿に買われることになった。拒否する権利は最初から無い。彼女の故郷の村はモット卿の領地内にある為、断れば村がどうなるか分かったものではないからだ。家族や村の皆に迷惑をかけるわけにはいかないシエスタには、選べる道が一つしか無いように見えた。

 ところが彼女は今、再びこの学院で働くことが出来ている。それもあの『フーケ』のおかげで。二日前の夜にフーケが見たことも無いゴーレムを連れてモット卿の屋敷に押し入った際、モット卿の私室に閉じ込められていたシエスタを外に連れ出したのだ。

 シエスタのフーケに対する認識は世間と同様である。だが、この一件以来、彼女に対する見方が少しだけ変わった。フーケには盗賊以外の別の側面があるのではないかと思えるようになったのだ。うまく言い表せないが、何か人間としての温かい部分が。そうでなければ、わざわざ儲けにならないような平民のシエスタを助けたりなどしないだろうから。まあどちらにしろ、今となっては真相を知る術は無いのだが。

「いい加減離しなさいよ! ツェルプストー!」
「それはこっちの台詞よ。あたしはダーリンと夜の散歩を楽しみたいだけなんだから」
「それが駄目だって言ってるのよ! この好色魔!」
「あら、随分な言い草ねえ」
「な、なあ、二人とも、もうその辺にしてくれよ……」

 突如として聞こえてきた人の言い合う声。シエスタはその方向に視線を向ける。すると、そこには本塔の壁に寄り付くようにして、二人の少女が一人の少年を取り合っていた。二人の少女のうち、一人はややクセの付いた桃色の髪を持つ小柄な娘。それに対してもう一人は長身に、燃えるような赤い髪と褐色の肌という神秘的な容姿の娘。

 桃色髪の身体つきが細いのに対し、赤い髪の方は『少女』と表現するにはいささか無理のある女性らしい成熟した身体つき。桃色髪が怒りをぶちまけているのに対して、赤い髪は余裕綽綽。外見も表情も対照的な二人である。だが、シエシタの視線はそんな二人を避け、真ん中にいる少年に注がれていた。

「サイトさん……」

 シエスタがその名で呼ぶ少年は少々複雑な事情でこの学院に身を置いており、また、彼女がよく知る人物でもある。桃色髪によって召喚された、学院の歴史上初めての人間の使い魔。慣れない洗濯に戸惑っていた彼に手ほどきをし、一緒に手伝ったこともある。主人から食事を与えられず、腹をすかせて困っていた彼にご馳走したこともある。自分の不手際からとある男子生徒の怒りを買ってしまい、責められていたところを庇ってくれたこともある。二日前にモット卿の屋敷から学院に戻ってきた時、真っ先にシエスタの元へ駆けつけてくれたのも彼だった。

 初めの頃は桃色髪にいつも虐げられてかわいそうだから、だとか、髪の色が自分と同じことによる親近感程度だった彼への意識が、最近では別のものに変わりつつあることをシエスタは自覚するようになっていた。故郷で暮らす家族に向けるものとはまた違う想い。これってもしかして、恋?

(わたしが、サイトさんを? ……わ、わたし、なに考えてるんだろ……)

 恥ずかしさのあまり、頬に手を添えてはにかむ。恋に恋してしまいそうな純真無垢乙女ワールド全開のシエスタ。彼女の様子を見ていた人間が一人もいなかったことが、せめてもの救いか。甘酸っぱい想いを一通り堪能した後、ふと我に返る。

(もう寝なきゃ)

 好色貴族に汚されることなく戻って来れたとはいえ、喜んでばかりもいられない。彼女はこの学院に雇われている身なのだ。当然、明日も朝早くから山のように仕事がある。寝不足で影響を及ぼすようでは、それこそ意味がない。惜しみつつも、未だに二人の少女から取り合いの餌食にされている少年から視線を引き剥がそうとした時、彼らの様子がおかしいことに気づいた。

 少年達は空の方を見上げ、ひどく慌てている。シエスタも彼らの様子が気になり、眠る為に自分のベッドへ向かうという思考を一時中断してまで、彼らが見上げている空に目を向ける。少年達が慌てふためく理由がシエスタにもはっきりと分かった。モット卿の屋敷で見たあの空飛ぶゴーレムが、光の輪を後光のように纏わせながら上空に浮かんでいたからだ。

 少年達はその場から逃げようとするが、ゴーレムは微動だにしない。彼らを襲う気は無いようで、そればかりか彼らを意に介さないと言わんばかりにその巨体を本塔の中腹付近の壁に向ける。壁の側まで来ると、それまで纏っていた光の輪を前方に展開。そのまま壁に向かって進み始めた。

 見るからに頑強そうな石の壁が、光の輪によって綺麗に削り取られていく。ある程度進んだところでゴーレムが後退すると、壁には大人一人が余裕で通れそうな大きな穴が出来上がっていた。すると、今度はその時を見計らっていたかのように、長身の人影がどこからともなく現れて壁の穴に飛び込む。あの時、ゴーレムと行動を共にしていたローブ姿。土くれのフーケだった。

 何故、フーケがここに? 助けてもらったという恩義からフーケへの見方が少し変わっていたシエスタ。とはいえ、自分の慣れ親しんだ場所に盗みに入られたという事実は、彼女に少なからずショックを与えていた。

 一方、そんなシエスタの思惑など知る由も無いフーケは、目的の品の入手に成功したようだ。身長の半分はありそうな大きな箱を両手で大事そうに抱え、外で待機していたゴーレムの手に軽々と飛び乗る。ゴーレムは最初と同様に光の輪を纏わせつつ、夜空の彼方へと飛び去っていってしまった。ゴーレムが現れてからここまでで、十分もかかっていない。見事な手際だった。

「うるさいなあ。ねえ、外でなにかあったの?」

 外の騒がしさに眠りを妨げられたオドレイが、やや不機嫌な様子で尋ねてくる。だが、当のシエスタは未だにショックで放心してしまっている。だから、オドレイの声が届く筈もなかった。




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