宇宙歴797年、帝国歴488年。
リップシュタット戦役終結後の、ちいさな閑話。
『おくりもの』
─銀河英雄伝説─
8年あまりのつきあいの中で、「親友」にプレゼントを贈ったという記憶は、ほとんどない。
女性であれば、なにかの記念日ごとにそういった形で好意をあらわすこともあるだろう。しかしいい年齢(トシ)をした成人(おとな)の男同士のはなしになると、戦勝祝いや昇進祝いに食事をおごったり、自宅でくつろぐときには肴を手土産におとずれる、その程度のものだ。しかも、ふたりは作戦行動をともにすることもしばしばで、そうすると、多少は前後しても昇進の時期もほぼ同時になる。相手を祝福することは、自分自身を祝福することに等しいのだった。
一度、親友から「結婚祝い」という名のプレゼントを受けたことがある。しかし、漁色家でありながら深刻な女性不信をかかえる彼に同じものをかえす機会は、現在のところ訪れていない。
ウォルフガング・ミッターマイヤー大将。ラインハルト麾下の名だたる名将たちのなかでも神速の用兵家として知られる彼は現在29歳で、先のリップシュタット戦役における功績から上級大将への昇進が内定している。おさまりの悪い蜂蜜色の髪の下からのぞくグレーの瞳は、明朗さと闊達さを失わないまま、さらに奥深さをそなえたように見える。
ミッターマイヤーはいま、親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールに誕生日プレゼントを贈らなくてはならない(…………)理由を、真剣に考えているのである。こと戦略・戦術に関しては枯れることを知らない彼の知能の泉も、今回の件に関しては蜃気楼のようにおぼろげで、役に立ちそうもないようだ。
一般的に考えればいちいち理由をつけるなどばからしいことであるが、なにせこれまでそのような行為はしたことがないし、今後もその予定はなかったはずだ。相手のほうでも、そんな期待はしていないだろう。
それなのに、ミッターマイヤーがそのようなことを思いついたのには、もちろんきっかけがある。
『よせがき、というのはなんだ?』
『よせがきというと、卒業式やなにかでアルバムの余白ページに書き込む、あれのことか?』
『だから、それはなんだと聞いている』
ミッターマイヤー宅での会話である。
彼の妻・エヴァンゼリンは、男同士の意見の交換に水をさすような無粋さとは無縁であったので、かすかにアルコールの香りのただよう客間には、ふたつの人影があるだけだ。当然、救いをもとめるように視線をさまよわせても、手をさしのべてくれる者はない。
ミッターマイヤーをおどろかせる質問を発した張本人は、金銀妖瞳にいつもの怜悧な光を浮かべて、じっとその返答を待っている。その表情や姿勢に、酔いの気配は感じられなかった。だからこそ、おどろいたのである。
『なにと言われても、よせがきはよせがきだ。ひとがたくさん集まって、アルバムとか色紙とかの持ち主へ、感謝とか励ましの言葉を書くものだろう。おまえだって、幼年学校や士官学校時代のを持ってるじゃないか』
『たしかに、アルバムは持っているがな』
『なら、それを見て納得のいく答えを自分で探してくれ。こういうのは、具体的に説明しろといわれても、なかなか難しいものだからな』
ミッターマイヤーは肩をすくめ、この話題を終わらせようとした。
ロイエンタールは、ときどきこのように突飛な質問をして、ミッターマイヤーを閉口させることがある。当人に、親友を困らせてやろうという意図はない。ただ素朴な疑問を口にしているだけなのだが、それゆえに始末に負えないのだ。
以前、似たようなやりとりで殴り合いのけんかになった(と推察される)ため、ミッターマイヤーはこの種の疑問を最後まで突き詰めることを避けている。どうせ、型どおりの返答でこの男が引き下がるわけがないのだ。とことんまで付き合っていたら、今度こそMPの世話になる事態を招きかねないと、なかば本気で考えている。
ロイエンタールは、自身の疑問に対する答えを、執拗にせまったりはしなかった。
優雅な手つきでふたつのグラスに赤い液体をそそぐと、彼はこう言った。
『おれは、そういうものをもらったことは、一度もないよ』
それはまるで「グラスが空になったからワインをつぎ足すのだ」とでも言うようにごくさりげない口調で、事実を事実として述べるだけの当然さに満ちていた。
その白皙の面にはやはり、アルコールのもたらす気分の高揚や理性のほころびを見つけることはできない。
その日、ミッターマイヤーは、心のどこか一ヶ所に、飲めば飲むほどに冷えていく部分があることを感じていた。
さて、いったいどういった名目で誕生日プレゼントを贈ろうか……
この矛盾に満ちた問いを投げかける相手として選ばれたのは、ナイトハルト・ミュラー中将である。
おだやかな砂色の瞳と、同じ色の髪を持つこの青年に対する、ミッターマイヤーの信頼は厚い。それは作戦指揮能力だけにとどまらず、彼の人格そのものにおいても通じる思いだ。万事控えめで物静かな態度の中ににじみ出る落ち着きと誠実さが、つきあいを深めるごとにその思いを増幅させていく。
問いかけられたミュラーは、一瞬きょとんとした表情になったあと、
「それは、誕生日プレゼントなのですから、誕生日を祝うことを目的として贈り物をなさったらよろしいのではありませんか?」
と答えて、微笑をひらめかせた。
至極当然の回答である。奇妙な質問をしたという自覚があるだけに、そのあとに続くやわらかい笑顔は、ミッターマイヤーの緊張をほぐした。
ミッターマイヤーもまた破顔すると、卿の言うことはもっともだと思う、と前置きしたうえで事情を説明する。そして、今回のプレゼントは、士官学校の同窓生に頼んで「よせがき」を書いてもらうつもりだとつけくわえた。
ミュラーは妙に得心した様子で、こう証言した。
彼は士官学校でのロイエンタールを知っているということだった。といっても直接に知己があったわけではなく、ミュラーと同学年の女性士官候補生(前線に女性兵士はいないが、後方勤務の士官を養成するために別校舎が設けられている)が、ロイエンタールと深い仲だったという。しかしそれも長くは続かず、ひと悶着あったそうなのだ。以来、ミュラーたちの学年で、「美人の候補生を手ひどくふったロイエンタール先輩」の名を知らぬ者は、少数派になったという。
「その手の事件をのぞくと、ロイエンタール提督は下級生への干渉というものをいっさいなさらない方でしたから。というより、集団行動そのものに対して、興味がうすかったのかもしれませんね。であればこそ、そのような贈り物を受ける機会がなかったのでしょう」
やはりロイエンタールの人生はスキャンダルに満ちているようだ――と、ミッターマイヤーは苦笑した。親友の女性遍歴の多様さを、改めて知った気分だ。
ミッターマイヤーにつられるようにかすかな苦笑を浮かべたミュラーは、それをおさめると、どうせよせがきを集めるのなら僚友たちに頼んでみてはどうか、と提案した。
「士官学校の卒業からは年数が経っていますから、連絡が取れない場合もあるかもしれないし、閣下のほうでもお時間を取るのが難しいでしょう。ほかの提督方もリップシュタットの事後処理でお忙しいとは思いますが、逆に言うとほかに行事もなく、気のまぎらわせようがありませんからね。おもしろそうだ、ということで、ご協力いただけるのではないかと思うのですが」
ミッターマイヤーはうなずき、多忙なわが身をふりかえった。このあとも、すぐ艦隊編成のための会議に出席しなければならないし、元帥府から任されている作業もある。またミュラーも、元帥府の代表する将官のひとりである以上、暇であろうはずもない。
しかしこの際、忙しさは多くの提督たちにとって、一種の救いでもあるのだ。
元帥府の空気は、決しておだやかとは言いがたい。リップシュタットにおいて貴族連合軍に勝利した余韻は、高級士官たちの間ではとっくに消え失せていた。
9月6日のリップシュタット戦勝記念式典において、ジークフリード・キルヒアイスが亡くなったからである。
ミッターマイヤー自身は、そう深い交流があったわけではない。しかし短い時間であっても、彼の才能と識見と忠誠心が比類ないものであることを知るには十分であった。また今後、気持ちの良い関係を築いていけるという確信もあった。同じ感覚を抱いていた人間は多いだろう。
キルヒアイスの死は、僚友たちのあいだに激震をもたらしたのだ。
そして、主君であり、幼いころからの親友であったラインハルト・フォン・ローエングラム元帥にとっては……。
職務に精励することで記憶の底に追いやっていたキルヒアイスの血を思い出して、ミッターマイヤーは身震いした。同じことを考えていたのだろう、砂色のひとみにも翳りがあった。
「では、小官はこれで」
一礼して去ろうとするミュラーを呼びとめると、ぜひよせがきを書いてくれるよう依頼し、また今日の謝礼に、最高級のシャンパンを届けることを約束した。
たんに助言を受けたからだけではない。その端々にかくされた、思いやりや気づかいに対する感謝の気持ちを込めてのことだ。それに気づけないほど鈍感ではないつもりだった。軍隊という特殊な組織の中で、その誠実さはどれほど好もしいものだろう。
二歳年少の僚友に対する好意と信頼を深めると、ミッターマイヤーは踵をかえして歩き始めた。
元帥府のオフィスでは、山積みの仕事が彼を待ちかまえているのだ。
来る10月26日。
ミッターマイヤーは、手土産のシャンパンとプレゼントを抱えてロイエンタールの官舎を訪れた。
夜も遅い時間である。独身者用の高級官舎がつらなる一画はひどく静かだった。本来、他人の家を訪問するには適切でないと思われたが、ミッターマイヤーもロイエンタールも多忙な身の上であり、ほかに時間の捻出のしようがなかったのだ。それでも自身のオフィスを出る際、親友がそれよりも早く帰途についたことは確認済みだった。
呼び鈴を鳴らすと、すでに着替えを終えたらしいロイエンタールが自ら門戸を開いた。彼は一人住まいが性に合うらしく、身の回りの世話をする者を雇用する気はないことも知っているが、主人自らの出迎えに少しばかり恐縮した。
「いいか?」
シャンパンのボトルを掲げて尋ねると、「ここまで訪ねておいていまさらだろう」と破顔し、進路を譲って室内へ招き入れてくれた。
ロイエンタールはすでに食事を済ませていたようだ。オフィスからこちらへ直行したミッターマイヤーだったが、彼に合わせて食後のアルコールを楽しむことにした。エヴァンゼリンにも、帰宅時間は遅くなるから夕食は軽くでいいと伝えてある。
他愛もない歓談を交えたあと、さて、とロイエンタールが切り出した。
「疾風ウォルフの訪問をことわる理由はないが、今夜の急襲にはなにか特別なわけでもあるのか?」
そう聞かれると、「別に特別なわけというのでもない」とか「あえて今日にしなくても良かったかのかもしれないが」と言い訳めいた言葉が口をついて出る。しかし、
「あぁ、もう、いつまでもこうしていても仕方がない。ロイエンタール、そら」
と、あるものを無造作に投げた。
20センチ四方の色紙――言うまでもなく、僚友たちから集めたよせがきである。ミュラーの予想通り、戦後処理の多忙さと元帥府の重たい空気に辟易していた各人は、よろこんで今回の計画に協力してくれたのだ。
間違ってもそのまま放り投げていいような代物ではないのだが、あえて乱暴に扱うには理由がある。仲間たちからからかい半分にねぎらいの言葉を受けて赤面したミッターマイヤーは、丁寧なラッピングを施して親友にまで笑われることに耐えられなかったのだ。
ロイエンタールは、手にした色紙をじっと眺めていた。色の異なるその双眸に浮かぶどんな感情も見逃さないようにと、ミッターマイヤーは細心の注意を払ったが、やはりその内面を浚うことはできなかった。怒っているとも喜んでいるとも判断がつかない。
ミッターマイヤーにとっては長く感じられた、実際には1分に満たないほどのわずかな時間のあとで、
「すまんな。気をつかわせてしまって」
そう言ってほほ笑んだ親友の笑顔は、無理をして作ったものではないにせよ、屈託がないと言えるようなものでもなかった。
その後すぐミッタ―マイヤーが辞去したのは、時刻がすでに午前に近づいていたからだが、それ以外の別の理由が彼を急かしたからでもあった。よほどあわてていたのか、おめでとうをすら言っていなかったことに気付く。
「やっぱり、慣れないことはするものじゃないな」
ミッタ―マイヤーは軽く嘆息しながらつぶやいた。
夫の上着を受け取ったエヴァンゼリンはそのつぶやきを聞いていたようだが、無意識に漏れたひとりごとであると知っていたのだろう、何も言わなかった。しかしきまりが悪いのを察したらしく、「お夕食にはワインもつけましょうか、あなた?」とほほえんだ。その笑顔はミッターマイヤーの心を芯からあたためてくれるもので、できれば親友にもそういう気持ちを味わってほしいと願うのは愚かなことだろうか。
「エヴァ、おくりものというのは、なかなか難しいね」
エヴァンゼリンは、今度はすこしさびしげにほほえんだ。
11月に入って。
ある朝、ミュラーが元帥府のオフィスに出勤すると、困惑顔の部下と甘い香りとが彼を迎えた。
執務室というものは、本来殺風景な場所である。そこに芸術性の入り込む余地はなく、機能美のみを追及された室内に華やぐものがあるとすれば、それはゴールデンバウム王朝の軍旗だけのはずだった。しかし、
「……これはいったい何事だ?」
それがいまや、軍旗に描かれた双頭の鷲がうらやむほど豪奢な花たちが、これまたきらびやかな花瓶の上から顔をのぞかせて咲き誇っているのである。ミュラーでなくとも驚くだろう。
ミュラーの副官が、上官の質問に背筋を正して答え、対処の方法を問うた。
「今朝、ロイエンタール上級大将閣下の名で届けられました。その、花瓶もいっしょにであります。『卿の厚意に感謝する』という電文が添えられていたのですが……どのように返答なさいますか?」
なお、これと似たり寄ったりの光景が、ほかのいくつかオフィスでも目撃されたそうである。
End
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あとがき
シルフェニアでは初めてお世話になります、路地猫みのるといいます。以後お見知りおきください。このたび、「銀英伝」にてロイエンタールの誕生日ネタを投稿させていただきました。少し時期がずれましたが悪しからず(汗)ご意見・ご感想いただけると幸いです。
最後のシーンは、ロイエンタールって世間ずれしてそうだなぁというわたしの印象からきたものです(笑)また、よせがきの内容に興味のあるかたがいらっしゃいましたら、ぜひお声をかけてください。よろしくお願いします。
2010年11月6日 路地猫みのる
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