『狼と旅の記録』
──狼と香辛料──

 文/ 空乃涼

 イラスト/ふじ丸さん



 旅の行商人クラフト・ロレンスが町の商会から滞在する宿に戻ったのは、太陽がとっぷりと暮れた時間だった。 本人としてはやや気の引ける時間帯の帰還である。

 「わるいな、今戻った」

 ロレンスが部屋のドアを開けると、見た目も麗しい旅の相棒がベッドの上に両足を投げ出し、本を読みながらくつろいでいた。あかみのある琥珀色の瞳がそろりとロレンスに向いた。

 「ふむ、遅かったのう。なにか収穫はあったのかや?」

 見た目も麗しい齢十余歳の少女にしては老人くさい話し言葉である。だが、ロレンスはもう慣れてしまっていた。もちろん、少女の綺麗な亜麻色の頭髪の頂を飾る獣の耳とワサワサと左右に動く極上美の狼の尻尾に──である。

  「ヨイツの賢狼ホロ」──それが少女の二つ名であり、その正体は実は御年数百歳という麦の豊穣を司る巨大な狼の化身だった。 その出会いは実に唐突だったが、ロレンスは荷馬車に潜んでいた星空を寂しそうに見つめる全裸の獣耳娘に見惚れてしまい、あるかどうかもわからない賢狼の故郷に連れて行くと契約を交わしたのだった。

 それからずい分経つが、「二人」の旅はよりよい刺激に満ち、適度な喧騒に巻き込まれながら今も続いている。

 「さて……」

 ロレンスが多少胸中で身構えたのは、旅の連れをずい分と待たせたにもかかわらず、いつものように迂遠な攻撃を仕掛けてこないことだった。普通なら口をとがらせてみたり、つんとした表情で腹が減っただのと急かしたり、ロレンスを困らせる様にすねて見せるものだが、その兆しが一向に現れない。

 「作戦か?」

 かといって素直にそのことを謝れば、この賢狼さまはそこにつけん込んでくるのがオチだ。幾度となくしてやられた事があるから──そんな自分が情けないと思う時が多々あるにもかかわらず、彼女がどうやって自分を謝罪に追い込むか、そしてその口撃をいかに退けるか、楽しんでしまう自分がいたりする。

 だが、素直に謝罪することは、即出費につながるのだ。一人のときとは違って余り無理な旅路をしておらず、町や村に着けば相棒になるべく負担をかけないよう屋根つきの宿に泊まるようにしている。食費も二人分だ。特にホロは華奢な身体に似合わずよく食べ、恐ろしくよく飲む。それもまあ、実際の姿がロレンスの身の丈をゆうに越える巨狼なら胃袋もさもありなん……

 いや、姿は人だ。その姿相応のはずなのだが?

 ロレンスは毅然と答える。

 「ああ、意外と商売の話で盛り上がってしまってな」

 嘘ではない。とある西の国では戦争に必要な武器や防具が緊急に必要だとか、今年はイワシやアジが不漁で肥料やら保存食が内陸では高騰するだとか、南のある国では軍艦を建造するために質のいい材木が大量に必要だとか、憶えておいて損はない情報が満載だったのだ。面白い話では「背中にネギを背負った黄金のカモ」を教会が捜しており、それを見つけたものには報奨金がでるなど、である。

 特に最後の話は、ロレンスはおろかその場に居合わせた商人たちの失笑を買ったものだが、話を直に受けたという旅の商人から教会発行の本物の「捜索願い状」を見せられると、ほとんどがキツネにつままれたように黙り、世の中には妙な金儲けも転がっているものだと顎を撫でつつ、誰もが胡散臭いと鼻を鳴らしていた。

 ロレンスも同じ考えだ。「ネギを背負った黄金のカモ」がどんな神の使いか定かではないが、教会が躍起になる実態のない類には必ず裏にやぶさかでは事情が付きまとう。報奨金の額もかなりのものが記載されていたが、そのままそれを信じる商人はとっくに破滅していることだろう。

 もちろん、話をした商人は冗談だったのだろうが、おかしなことにこの手は内容によっては儲け話に化けるのだ。つまり、偽物をでっちあげて報奨金のみ得る、という方法である。

 ただこれは命がけの詐欺に他ならないだろう。ばれれば確実に処刑である。神を冒涜したとして火あぶりにされるのがオチだろう。その場でだませたとしても、後は逃亡生活に成り果てるだけである。最終的に「死」が待っているだけだ。

 もっとも、本当に実行する愚か者がいるとは思えない。見た目でわかりづらい「骨」や「毛皮」ならだますことも可能だが、いくら偽装しても「黄金のカモ」など一見ではっきりしてしまうだろう。

 ばかばかしい限りだ。商人としては最低の行為だろう。ロレンスもいくつか危ない橋を渡ってきたものだが、商売上の駆け引きの舞台でのみだ。


 「やれやれ……」

 ロレンスは、ようやく頭からしょうもない思考を振り払い、旅の相棒がどういった反応を見せるかさりげなく視線を巡らせた。

 「あれ?」

 普通なら食いついてくるはずだが、さきほどと同じようにホロはベッドに両足を投げ出し、何やら両手に持った書物をしずしずと読みふけっている。ロレンスを面白おかしく追及する気はまったくないらしい? そもそもあんな本、相棒はいつどこから持ってきたというのだろうか?

 宿屋で借りたという推察はおそらく違うだろう。あんな立派に綴じられた本は見かけなかった。ここに来るまでの間に購入した確率も低い。一緒に御者代にずっと座っていたことだし、相棒が何か買えばわかるはずなのだ。

 「お前、その本どうしたんだ?」

 やや唐突すぎたな、と思わないでもないが、遠回りをするようなことでもない。

 「くふう、知りたいかや?」

挿絵

 くつくつと意地悪そうにホロは笑い、読んでいる本をパタリと閉じた。ロレンスの見た感じでは本に表題は書かれていない。 本もくすんだり傷んだりしていない。わりと新しいのか?

 「なんだ? もう読み終わったのか」

 訝しげにロレンスが尋ねると、ホロは楽しむようなしぐさをして琥珀色の瞳を向けた。

 「そうではない。続きはこれからなのじゃ、どういうことかわかるかや?」

 「はっ?」

 意味がわからないとばかりにロレンスは首を傾げる。なにかの謎掛けか?

 ロレンスは慎重に考えた。どうもおかしい、アイツが夕飯そっちのけで謎掛けだと?

 通常、相棒の謎掛けはロレンスにも解けるものなのだが、今までにないくらい不思議な言いようではある。

 ちらりと相棒を見ると、最悪なタイミングで目が合ってしまった。その顔には決して認識してはいけない笑みが形成されている。

 「ぬしよ、わっちの言ったことがどういうことか、当ててみるかや?」

 「いや、遠慮しておく」

 とは言えない状況に追い込まれている。これが帰りが遅れたための試練だとしたら、素直に引けるわけがないのだ。約束を守らなかった後ろめたさがある。

 「そうだな」

 ロレンスは、ホロの態度やしぐさ、彼女が知りたいと思っていることを手掛かりにさんざん答えたが、どれもあっさりとホロに頭を振られてしまった。

 「なんじゃ、もう降参かや? 寂しいのう」

 などとため息まじりに言われても、思い当たる事はて答えたのだ。まだどこか抜けているのではと考えつくしても、どうも手掛かりなしで答えられそうにない。

 「くふ。むう、仕方がないのう、ぬこでもわかる手掛かりをやろう──ほれ」

 といって、ホロは持っていた本を唐突にロレンスに投げた。ロレンスはかろうじて右手でキャッチする。

 「あぶないだろ! こんな分厚い本が顔に当たったら痛いじゃすまないぞ」

 ロレンスの偽りの剣幕にもホロは全く動じない。それよりも旅の相棒が正しく答えを導きだすか、非常に興味深そうな──意地悪そうな視線である。

 「ぬしよ、最大のヒントじゃ。その本を開いてみよ、ただし……」

 ロレンスが本を開きかけてホロの制止が入る。

 ホロはにやにやと小さい牙を見せながら笑っている。

 「ぬしよ、勝負せぬか? わっちが勝てば今日の夕食に子羊の肉が入ったスープをいただく。ぬしが正しく答えられればわっちは大人しくぬしの言うとおりの食事にする。どうじゃ、ささやかなものじゃろう?」
 
 ついに来たか!

 ロレンスは、賢狼の罠に落ちそうだと直感し断ろうとしたのだが、いまさら降参するのも沽券にかかわるので勝負を受けることにした。 だいたい、断ったら断ったらでこのお姫さまの機嫌を損ないかねない。

 結局、ロレンスはみごとに連れの罠に嵌ったのだ。

 「ふむ、ぬしの記憶がわっちと同じならばすぐに答えられるじゃろう。わっちと長い旅をしてきたのだからな。わっちが二十数える間に答えてみせよ」

 ロレンスは、ホロが何を示唆しているのかいまいち理解できない。理解できたのは、正しく答えるか答えないかで、今後の旅の優位というか──ホロに一歩を譲る旅が続くかもということだった。

 「ほれ、はやく開かぬか、もう五つまで数えたぞよ」

 ロレンスはホロの言葉に慌てて本を開く。

 「えっ?」

 ロレンスが思わず驚いたのも無理がないだろう。なんと開いた本には何も書かれていなかったのだ。

 ホロが、呆けている連れに向かってやれやれとばかりに口を開いた。

 「後ろのほうを開きすぎじゃ。もっと前の方を開きんす!」

 ロレンスがホロの言われるままに前のほうを開くと、そこには文字が書かれ、ここ数日の出来事や一日の様子が日記形式で綴られているではないか?

 「これ、日記か?」

 と普通に答えたかったところだが、まさかホロに限ってごく当たり前すぎる答えになるはずがない。わざわざ謎掛けしてくるくらいだから、容易に答えられるわけがないだろう。

 しかし、少し冷静になって考えると、ロレンスの困惑はさらに深みを増した。

 「こいつ、いつの間に文字を書けるようになったんだ?」

 ホロは、文字は読めるが書くほうは「賢狼の名折れ」とロレンスが思うくらい酷いものだった──

 ──はずだ。そのはずなのだが、本? に書かれた文字は聖職者でもとても書けないくらい達筆だったのだ。

 しかも、日記形式とはいえ──いや、日記を書いたのが相棒だというのか?

 「これは、どんな不思議だ……」

 なんと答えればいいのかロレンスにはわからなかった。

  やがて、

 「ぶー、時間じゃ! 残念だったのう」

 ホロは勢いよくロレンスから本を取り上げると、呆然とする連れを置いてけぼりにして傍らにある外套を羽織り、ぼんやりとしたままのその手を引っ張った。

  「くふう、わっちの勝ちじゃな。約束どおり子羊のスープはいただきじゃ! 契約を尊ぶ商人に二言はなかったのう?」

 ホロは牙を見せて満面の笑みを浮かべ、ロレンスの手を引っ張ってドアのノブに手を掛けた。行商人の相棒はまだ訳がわからないのかまぬけ面のままだ。

 「おい、あの本は一体……あれに書かれていたことはなんだったんだ?」

 ホロは、ロレンスを引きずるようにして部屋を出た。ちょっとため息をついたのは連れの質問に少し悲しくなったからだ。

 「なんじゃ、せっかくそのままを見せてやったのにのう……」

 「なにが?」

 わざと答えないのか、それとも本当にわからないのか──おそらく後者であろう、いまいち確信力が足りない相棒にホロは落胆混じりにそう答えた。

 「あれはわっちとぬしの旅の記録じゃ!」

 若干怒った感じだ。ギロっとホロの目がロレンスに向いたが、連れは感性が鈍っているらしい。情けない声を出した。

 「はぁ?」

 このたわけ! とホロはロレンスの頬をつつき、一転して牙を見せて笑いながらロレンスに教えた。

 「これにわっちとぬしの旅を記したのじゃ。これで忘れることなどありんせん。そして白紙の先を埋めるのはこれからのわっちとぬしの行動次第というわけじゃ。そして今から一日の終わりを飾るその続きを作りに行こうというのじゃよ」

 ホロの表情はとても輝いていた。みごとに獲得した豪華な食事のことか、それとも二人の旅を記すという「本」の白紙を埋めることができるのが楽しいのか、いずれにせよ、ロレンスにとっても彼女のいきいきとした姿は気分のよいものだった。

 とはいえ、ロレンスはキツネにつままれたような状態で、腕に絡む上機嫌の狼娘に聞いてみた。

 「じゃあ、あれは日記で、お前が書いたって言うのか?」

 にか、と笑ったホロは、ロレンスを引き寄せて彼の耳元で呟く。

 「そうじゃのう、まあ、そうとも言える」

 ホロはまたそんな謎掛けをしてくる。

 「ってお前、文字は書けなかっただろう?」

 「むう、その通りじゃが、思いは綴れる」

 「はぁ?」

 意味がますますわからない、とばかりにロレンスは大いに首をかしげる。

 ホロは、意地悪をするような上目使いだ。赤みを帯びた琥珀色の瞳がロレンスを試すようにきらりきらりとかすかに輝く。

 とっぷりと暮れた夜、通りを照らすかがり火の中を二人は進んだ。まだ人の行き交いは多い。厳しい冬に備え、秋のうちに少しでも多く稼ごうというのだろう。

 そんな小さな喧騒の中を、華奢な娘に引きずられた男はけっこう目立つ。

 呆けていたロレンスも、行き交う人々とすれ違うたびに笑われれば我に返るというものだ。

 「こほん……」

 ことさらわざとらしく、実は気持を落ち着かせるためにロレンスは小さく咳き込む真似をする。

 ホロは本を右腕の小脇に抱え、左手でロレンスを引っ張って酒場に向って驀進する。

 ロレンスは、そんな相棒の線の細い背中を眺めながら、ふと、尋ねてみた。

 「お前、その本、いつから持っているんだ?」

 「知りたいかや?」

 間髪いれずにそんな返事が返ってきた。酒場の明かりが目前に迫っている。

 「まあ、いろいろと疑問があることだしな……いや、別に言いたくなければそれでいいんだが」

 ロレンスがそう言うと、ホロは急に立ち止まってギロリと瞳を向けた。

 「しまった、早まった質問だったか?」

 身体を強張らせる相棒にホロはぐっと身体を伸ばして顔を近づけると、急に抱きしめてしまいたい笑顔になってロレンスの鼻先を優しく突っついた。

 「いいじゃやろう、疑問とやらに答えてやろう。じゃがのう……」

 「ん?」

 もったいぶる感じのホロの上目遣いがロレンスには小憎らしい。

 「……じゃが、全ては食事のあとじゃ。ぬしにとってはあれこれと有利に働くやもしれぬ。うまいものを食べればわっちの舌も軽やかになるやもしれぬからのう」

 「まあ、あぶらが乗ると誰でも舌がよくまわるからな」

 「くっくっく、よい度胸じゃ。わっちの舌が回りすぎてもぬしは困るであろう」

 たしかにそのとおり、と言ってロレンスは肩をすくめ、けらけらと笑う相棒と共に晩餐を楽しむ声が響く酒場へと入っていったのだった。


──おわり──

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 あとがき

 空乃涼です。今回の短編はシルフェニアにある「お絵かき掲示板」から発展したSSです。もとを再構成しなおし、加筆したものです。

 一応、この先は考えているのですが、続きは……微妙です(汗

  それにしても、なんかようやく「狼と香辛料」の二次が書けましたw

 イラストは、シルフェニアでも高レベルの「ふじ丸さん」が描かれていた「ホロ」をいただきました。なにげに視線をこちらに向けるホロがいい感じに描けています。さすがですね!

私もイラストは好きなんですが、「二兎を追うもの一兎も得ず」みたいになかなかうまくなりません(汗

 2010年1月9日 ──涼──

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