ラップ少佐は、ペルガモンとともに星屑になってしまった
私は、これほど怒りを覚えたことはなかった
ふつふつと湧き上がる不当な死にたいする怒りと悲しみ
しかしそれは、同時に私にも向けられたものだった
私は、まだ感情を露にしてはいけない
全ては終わってはいない
艦長とアキトさんも立ち上がった
何かが出来るはず
そう、第2艦隊に情報を送るのだ
それしか出来ないけれど、ただ待つだけなんて
とても私たちには出来ない
でも第2艦隊の司令官は問題だらけ?
果たして未曾有の敗北は回避できるの?
みんな浮かない顔ばかり
皆さん忘れていませんか?
私は、信頼できる人が第2艦隊にいることを知っている
会ったことはないけれど、不思議と信じれる人
そう、その人こそ「エル・ファシルの英雄」
ヤン・ウェンリー准将
──ホシノ・ルリ──
闇が深くなる夜明けの前に
第四章(中編・其のニ)
『対決の戦場/アスターテに集う恒星たち』
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ローエングラム伯ラインハルト率いる帝国軍遠征部隊20,000隻の艦隊は、三方からなる同盟軍の包囲陣形を逆手に取り、第4艦隊に続いて第6艦隊を各個撃破で全滅させ、残る同盟軍第2艦隊を撃滅すべくほぼ正面に針路をとっていた。
その戦場外宙域に静止する戦艦ナデシコの艦橋では、一人の同盟軍人の死に衝撃を受けたミスマル・ユリカとテンカワ・アキトの二人が肩を震わせた状態で立ち直れずにいた。
無駄な死を増やさないため、果敢に物分りの悪い上官に進言し続けたジャン・ロベール・ラップ少佐。彼の努力と勇気はたった一人の狂信的軍事ロマンチズムによって水泡に帰し、そのドス黒い精神に巻き込まれる形で1000名近い乗員もろとも宇宙の藻屑と消えたのである。
ユリカもアキトも、なんとかムーアの考えを変えようとラップ少佐と必死に説得を試みたが、彼らの訴えは全く届かなかった。全てが闇に消えたとき、二人に残されたのは何も出来なかったという自己嫌悪と深い悲しみだった。
無力感に似たものが二人の若者の体に重々しくのしかかっていた。
不意に、ユリカとアキトの肩にそっと手が置かれた。涙にぬれた顔のまま肩越しに振り向いた二人の瞳には真剣な眼差しのプロスペクターの姿が映っていた。
「お二人とも、さあ、涙を拭いて立ち上がってください。ラップ少佐の死と第6艦隊の敗北は本当に悲しむべきものでした。私もあれほど憤りを抱いたことはありません。ですが、いつまでも嘆いていても死者は決して蘇ってこないのです」
さらにプロスペクターの声が二人を励ますように力強く大きくなった。
「艦長、テンカワさん、全てが終わったわけではないはずです。同盟軍第2艦隊は健在なのです。我々にはまだやるべきことが残っているはずです。こんなところでいつまでも悲しんでいる場合ではないのですよ」
ユリカとアキトの表情が変わった。「やるべきことがある」というプロスペクターの言葉に勇気をもらい道筋を見出したのか、二人は涙を拭ってよろめきながらもしっかりと立ち上がった。
「取り乱してしまい、申し訳ありません。ですが、もう大丈夫です。ご心配とご迷惑をおかけしました」
ユリカの目はまだ赤くはれていたが、その顔は数十秒前とは明らかに違う。やるべきことを己の心に定め、一直線にまい進する『吾らの麗しい艦長』に戻っていた。傍らに立つアキトも涙を完全に拭い、ユリカと同じように強い意思を瞳に宿らせていた
ユリカは優美に歩を進め、指揮卓の前に再び立った。立ち直った艦長に向け、艦橋中の視線が集中する。
「みなさん申し訳ありませんでした。私こと艦長ミスマル・ユリカは、私たちが成すべきことを実行したいと思います」
ユリカのその決意に、艦橋がまた一つになった。
「私たちは同盟軍第2艦隊に情報を送るべく、帝国軍より早く通信可能宙域に急行します。ルリちゃん」
「はい、艦長」
ホシノ・ルリも泣いてはいない。黄金色の瞳をもつオペレーターの美少女も己の成すべき事を十分理解しており、艦長の意図を察してすぐに「オモイカネ」と交信を始めた。
「艦長、40分です」
ユリカは頷く。第6艦隊の時より余裕はあるが、針路に危険宙域があれば二の舞になりかねない。
しかし、ルリが表示した宙域図にそれらしい場所はないようだった。
ユリカは頷き、もう一つの確認事項を少女に告げ、データーを表示してもらう。
「この人がパエッタ中将……」
艦内の温度が幾分下がったように思われた。ユリカはいかつい顔の中将と、その個人データーを見て、いささか心配になってしまった。第6艦隊のムーア中将と同じく一筋縄ではいきそうもない為人(ひととなり)に思えたのだ。部下の進言を真っ向から否定するような──である。
悩んでいる時間はないのだが……
「大丈夫です。第2艦隊にはあの人がいます」
ルリが、ユリカの懸念を取り除くように声を上げた。
「あの人?」
ユリカとアキトは同時に首を捻る。ルリは艦長に振り向き黄金の瞳で静かに訴えた。その瞳は何か大きな信頼を見つけているかのように自信に溢れている。
ルリの唇が再び開いた。
「ヤン・ウェンリー准将です」
失念していた、とばかりにユリカが手を叩いた。8年前、帝国軍の侵攻に際し、300万人の民間人を救った「エル・ファシルの英雄」と呼ばれ、先の「第4次ティアマト会戦」では、包囲殲滅されかかった同盟軍の危機を奇略を以って救った青年士官。今は第2艦隊の次席幕僚として、このアスターテに在るのだ。
ユリカも、同盟軍の艦隊運用や戦術を学ぶようになってから独自にデータを集め、エル・ファシル脱出や第4次ティアマト会戦を研究する過程でヤン・ウェンリーの名前はよく知っていた。
「ヤン准将なら、この状況を変えられるかもしれません」
ルリがそうだったように、ヤンという存在はユリカにも大きな光明を抱かせていた。
ユリカは告げた。
「ナデシコは最大戦速で予定の宙域に向います」
同じ過ちを繰り返さないために、戦艦ナデシコは再び虚空の彼方へと身をひるがえしたのだった。
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一方、同盟軍第2艦隊は、第6艦隊全滅の事実を妨害の激しさからほぼ予測するに至っていた。艦橋では貧乏ゆすりをする司令官の心中が反映されてしまったかのように重々しい不安に支配されていた。
「おいおい、第6艦隊も全滅したらしいぞ」
「これ以上、どうしろと言うんだ。情報がほしい、いったい帝国軍はどこにいるんだ。俺たちは孤立している。どうなっちまうんだ……」
「このままじゃあ全滅するかもしれないぞ。司令部はどうするつもりなんだ……」
私語は禁止されているはずだが、何か話していないと不安感に押しつぶされそうになるのか、オペレーターたちはひそひそと隣人と会話している。
パエッタは、オペレーターたちの私語を知りつつもとがめようとはしない。彼自身が大きな不安に駆られていたからだ。今や4万隻を数えた陣容は半分に満たない第2艦隊だけの15,000隻でしかない。どうするか、どうするべきかパエッタは悩みつつ、答えが出ないまま無為な時間を過ごしていた。
そんな中、ヤン・ウェンリーは、後輩のアッテンボローと共に艦橋に至る通路を歩いていた。
「じゃあ先輩、第6艦隊も全滅させられたんですか?」
「あまり想像したくないが、時間的な経過と妨害の激しさからまず間違いないだろう」
「じゃあ、ラップ先輩も……」
ヤンはかぶりを振った。
「全滅と言っても一隻残らずなんていうことはありえない。望みはあるさ。ラップには幸運の女神がついているんだからね」
「ジェシカさんですね」
「ああ、ラップが彼女を残して逝ったりするものか」
ヤンは言ったが、最後の方は声が低くなった。一隻残らずなどといったが、その中にラップの乗艦するペルガモンが入るとは限らないのだ。
ヤンは、エレベーターの前でボタンを押した。すぐに扉が開き、二人は乗り込む。
「今、我々がしなければならないことはミスの拡大を防ぐことだよ、アッテンボロー」
「どうするんですか、ヤン先輩?」
「手は打ってある。ただ、それを生かす機会がこちらに与えられるかどうかが問題だろうね」
ヤンは肩をすくめた。実際、彼の予測の範囲を超えてしまえば、いくら事前に用意をしようともそれを生かすことなく敗北もありえるのだ。
アッテンボローがエレベーターの上昇ボタンを押し、苛立つように拳を軽く壁に打ち付けた。
「じれったいなぁ、ヤン先輩にもっと権限があればいらぬ犠牲を出さずにすむだろうに」
「ありがとう、アッテンボロー。しかし、軍人は命令に従う義務がある。恣意的(しいてき)に行動することは許されないんだ。そんなことをしたら少なくとも我々は民主国家の軍隊ではなくなってしまう」
「それは解るんですが……」
エレベーターのドアが開いた。ヤンは先に降りたところで思わず連絡士官とぶつかった。
「も、申し訳ありません。准将、お怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だよ」
とは答えたものの、若干右のひじが痛い。ヤンはひじをさすった。
「ところで、そんなに急いでどうしたんだ? 何か重大なことでも発生したのかい?」
ヤンの口調はやわらかい。アッテンボローとほぼ同年齢と思われる連絡士官は迷った末にその紙をヤンに渡した。そばかすの中佐も覗き込む。
「これは?」
「はい、先ほど受信した暗号電文です。通信コードから味方のものと思われるのですが、内容が内容なので直接司令官閣下にお渡ししようとしていたのですが……」
ヤンは、平文に直された暗号電文の内容を読んだ。
『『帝国軍艦隊、第6艦隊を撃滅し、緩やかに弧を描きつつ貴艦隊に接近。標準時18時前後に1時20分の方角より急襲する可能性大。急進して敵の側面に回りこむか、最善の対応をせられたし ──発・特務部隊戦艦ナデシコ艦長ミスマル・ユリカ──』』
ヤンは驚いた。電文の内容は彼が予測した範囲内をみごとに伝えていたからである。しかも、帝国軍が接触してくる時間と方向も計算したのか、実に具体的な数値が示されている。その時間までにはまだ40分以上ある。先手を取られていたばかりの同盟軍が初めて帝国軍ローエングラム伯の機先を制する機会に恵まれたのだ。
「先輩!」
「ああ、アッテンボロー、これでパエッタ提督を説得できれば……」
ヤンは、電文を持ってきた連絡士官に言った。
「すまないが、私が直接この電文を司令官に届ける。いいかな?」
連絡士官はうなずいた。
「かまいません。小官などよりヤン准将がお持ちになった方がよほど有益でしょう。お任せします」
ヤンは、連絡士官の肩を軽く叩いた。
「ありがとう、恩に着るよ」
ヤンは、アッテンボローと共に艦橋に向って走り出していた。
◆◆◆
「なに? 味方からの暗号電文だと」
パエッタ中将のいかつい顔に不審と意外が交差する。ヤンは電文を渡した。
「はい、おそらくこの星系内にあるという非公式の基地から出撃した味方艦からのものではないでしょうか?」
「非公式?」
「はい、名前は忘れましたが、アスターテ星系のどこかに前線監視基地が存在するはずです」
初耳だ、とばかりにパエッタの顔が片眉が歪んだ。
「味方だとしても、どうやって激しい妨害の中を暗号電文とはいえ送ってきたのだ?」
「それは複数の理由が考えられますが、まずは電文をお読みください」
生意気な、という視線をヤンに投げつけ、パエッタは電文を読んだ。ヤンとアッテンボローは司令官の顔が喜びよりもいっそうの不審に染まっていくことに気づいてしまった。
「くだらん、帝国軍が我々を罠にはめようとしているに違いない」
「それはありえません」
ヤンはきっぱりと断言した。
「この期に及んで帝国軍が策を弄する意味はありません。2個艦隊を撃滅した余勢を駆って我が軍を正面から戦くほうが効率的だからです。わざわざ予定外の行動を取らせるわけがないのです。逆に帝国軍にとって不利にもなるからです」
ヤンは、パエッタの目を直視しながらさらに続けた。
「ですから、我々は帝国軍の意図をくじけばよいのです。これをご覧ください」
ヤンは、自席に歩み寄って操作卓をいじり、帝国軍と第2艦隊のシミュレーション図を示した。
「電文に明記された帝国軍との予想接触時間から計算すると、敵は現在1億5千万キロから1億8千万キロの距離にあり、1時20分の方角から我が軍に向けて進路をとっています」
「何をしろと?」
「簡単です。我々はこのまま逆時計方向に急進し帝国軍の左側面を攻撃すればよいのです。我が艦隊は数の上では負けていますが、この奇襲によって先手を取り、有利に戦いを進めることができます」
どうだ、と言わんばかりにアッテンボローが小さくガッツポーズしていたが、ヤンの表情は優れない。パエッタ中将の後ろに立つ後輩からは見えないが、司令官の顔は蒙を啓かれたとはとても言いがたかったのだ。
逆に、パエッタは勝機を逃す発言をした。
「見事な図上演習だと思うが、あくまでも帝国軍が机上通りに進んでいればの話だ。現在も妨害は激しく、得られる情報は錯綜して極端に少ない。そんな中でこれほどの明確な情報が送られてくることが貴官にはおかしいと思わないのかね?」
ヤンは引き下がらない。
「先ほども申し上げましたが、これは偽文ではありません。この電文を送ってきた味方は帝国軍よりも早く行動し、妨害の弱くなる宙域まで急進することでその隙を突いて発信してきたのです。発信されたタイムラグから容易に想像できます」
ヤンは食い下がったが、パエッタは否定するように首を振る。
「この話は上手すぎる。帝国軍が別の意図を以って我々を早期に殲滅しようとしている可能性もあるのではないかね? ならば、へたに動くのはなお危険だ。帝国軍の動きを待って応戦するのが妥当に思えるのだが?」
「それでは我が軍が先制できる唯一の機会を逃してしまいます。敵の司令官は我々の戦法を逆手に取って先制したのです。お忘れですか?」
パエッタは、さらに口を開こうとしたヤンを片手で制した。
「いや、ならばこそ動けない。我々が動かなければ、帝国軍は予定を変更しないと言うことだ。来る方向がわかっているのなら、迎撃に備えることが出来る。以上だ」
パエッタは電文をヤンにつき返し、それ以上の会話を打ち切った。
ヤンは、反論しようと一歩前にでた後輩を視線で制すると、黙って敬礼し、一旦艦橋から退出したのだった。
◆◆◆
艦橋から一区画を隔てた通路で、ヤンはため息をついて壁に寄りかかった。その眼前ではアッテンボローが「石頭め」とばかりに拳を手の平に叩きつけている。
「ヤン先輩、いいんですか、引き下がってしまって?」
後輩の問いに、ヤンはべレー帽を脱ぎ、収まりの悪い黒髪をかきまわした。
「よくはないさ。ただあれ以上言っても上官を激発させてしまうだけだからね。無為に危険をおかすこともないと思ったのさ」
現実問題として、パエッタが激昂し、アッテンボローもヤンも上官反抗罪で拘束でもされれば、ヤンがいくつか考案している対処法がパーになってしまうのだ。
「その一つはさっき消えてしまったけどね」
「でも、まだ手はあるんでしょう?」
「まあね」
その時、スピーカーから第一級警戒態勢を発令する命令が流れた。どうやらパエッタも完全に電文の内容を無視したわけではないようだった。
しかし、あくまでもそれは正攻法な受身でしかない。
ヤンはベレー帽を被り、手に持った電文を見た。
「せっかく送ってくれたというのに、この艦長には申し訳ない気持ちでいっぱいだよ」
「ミスマル・ユリカ……どうも女性のようですが、E式の珍しく古めかしい名前ですね。艦の名前も変わってますね。ナデシコって花の名前ですか?」
「ああ、特務部隊とあるが、どんな女性なのかな?」
「気になりますか?」
「まあね。これほど正確な情報と私と同じ対処法を打電してきたんだからね」
アッテンボローは、そばかすの残る顔をニヤつかせた。
「美人だといいですね」
ヤンは肩をすくめた。
「だといいね。ぜひ会ってみたいものだが、そのためには我々は生き残らねばならない」
ヤンは壁から離れ、艦橋に通じる通路の向こう側に視線を向けた。
「行こうかアッテンボロー、我々にはまだやるべきことが残っている」
ヤンは歩き出し、うなずいた後輩が後に続いた。
このとき、ヤンは「ナデシコ」という艦名がもつ歴史的意味を失念していたのだった。
V
「第2艦隊、針路変わりません。このままだと最低でも予想時間内に帝国軍と戦闘状態に入ります」
報告するルリの声にはやや落胆が含まれている。
暗号電文の打電から20分以上が経過していたが、ルリやユリカの自信とは裏腹に第2艦隊は変わらず針路をとり続けている。どこからともなくため息が漏れていた。
副長席に座るジュンが左に振り向き、指揮卓の前に陣取る美しい艦長に尋ねた。
「ヤン准将はパエッタ中将を説得できなかったのかな?」
ユリカはちらりとジュンを一瞥した。
「その可能性もあるし、パエッタ提督が独断で電文を握りつぶしたとも考えられるかも」
「ありえるわね、この顔じゃあ……」
とミナトが皮肉たっぷりに付け加える。本人が聞いていれば「人を見かけで判断されては困る」とでも反論したかもしれないが、先入観が混ざりながらもほぼ性格を言い当てられていた。
「第6艦隊の時と同じように偽電だって?」
その声はテンカワ・アキトだった。せっかく今度は発信者名と所属部隊名もちゃんと打電したのに信じてもらえなかったのかと、その顔はあきれていた。
アキトは、アスターテの戦闘が始まってからほとんど艦橋から動いていない。ユキナからは悲鳴が、ラピスからは「戻ってきて」という催促がひっきりなしにコミニュケを通じてはいってきていたが、20歳になろうという火星生まれの青年は最後までこの戦いを見届ける意志を固めていた。
「ねえ、ユリカ。もし握りつぶされていたらヤン准将は状況を知りえないんじゃないかな。それってまずくない?」
ユリカは頭を振る。
「ヤン准将はある程度帝国軍の行動を予測できていると思うよ。エル・ファシルや第6次イゼルローン要塞攻略戦、最近の第4次ティアマト会戦の彼の作戦案から想像すると無策であるはずがないと思う」
「じゃあ、ヤン准将の意思決定のためにもう一度電文を送る?」
ユリカは再び頭を振った。その表情が幾分怒っているようにアキトには見える。彼に対してではなく、ユリカ自身にである。
「残念だけど、ヤン准将が最終的な決定を下せる立場にないし、今からじゃ間に合わないわ。もうそろそろ妨害が激しくなる頃だし、さっき打電した対処法は今となっては使えないのよ」
「使えないって……じゃあ、どうすれば?」
問われたユリカの瞳が憂いを帯びていた。拳は強く握られている。
「信じるしかないわ。待つのは性分じゃないけど、ヤン准将と第2艦隊を信じるしかないわ」
その時、戦術スクリーンの状況が変わった。ルリがすぐに報告する。
「帝国軍艦隊、急進して最短時間で同盟軍と接触する模様です」
艦橋中の視線が一斉に戦術スクリーンに注がれた。そのデータースクリーンの一つには帝国軍艦隊旗艦ブリュンヒルトの白い優美な船体が映っている。初めてその姿を見たとき、どこからともなくため息が漏れたものだが、その艦に乗艦する司令官の凄さを知ったユリカたちにとって、その美しい船は脅威と畏敬の対象になっていた。
テンカワ・アキトは、まだ見ぬ帝国軍司令官に呼びかけるように独語した。
「ローエングラム伯ラインハルト……」
誰もが固唾を飲む中、アスターテにおける最後の戦いの火蓋が切って落とされてしまったのだった。
W
「艦影発見! 急速に接近中!」
突然、オペレーターが大声で叫んだ。ヤンの神経も緊張感を強めてくる。
「方角は1時20分、仰角11度。帝国軍です」
ヤンの予測の範囲内と電文にある通りの方角からの攻撃だった。第4艦隊と第6艦隊を破った進路から考えて、第2艦隊が直進する以上、帝国軍が1時から2時の方角から出現するのは自明の理である。しかも今回は味方が発した電文に正確な出現方向が明示されていたのだ。
「迎撃せよ!」
パエッタが命じる。ヤンの進言は退けたものの、多少の後ろめたさくらいはあったのか戦闘準備だけは整えていた。それでも遅すぎると言えた。あの時急進していれば立場は逆転していたはずなのだ。
ヤンは、パエッタを無能とは思わないが、同盟軍の多くの将帥に見られる思考の硬直化と部下に対する態度など、多くの問題点を指摘せざるを得ない。だからこそ、柔軟な思考を有するローエングラム伯に敵わないのだが……
「ほう、反応は早いな」
旗艦ブリュンヒルトの艦橋では、金髪の上級大将が意外そうな顔をしたが、それも半瞬でしかない。
「だが、行動は遅い!」
ラインハルトはすぐに余裕めいた表情になった。帝国軍の先頭集団はすでに同盟軍の先頭集団に食い込みつつあり、情け容赦のない砲撃を浴びせかけていた。
旗艦パトロクロスの周囲もすぐに砲火にさらされた。いくら迎撃準備をしていようとも、第4、第6艦隊を撃破して士気の高い帝国軍に対し、味方を多数失い孤立状態で戦う第2艦隊の士気は低い。勢いのある帝国軍に負けない戦いをするだけでも今の状態では分が悪い。
ヤンの頬に一筋の光が反射し、その直後、激しい閃光が艦橋にいる全員の視力を奪った。一瞬の差を置いてパトロクロスはあらゆる方向に揺さぶられた。ヤンも衝撃で後方に転倒した。呼吸を整え、打ちつけた背中の痛みに耐えて半身を起こし、その視線の先に赤い液体が口元から胸の辺りにかけて覆われている人間に気がつく。
「パエッタ司令!」
ヤンはつぶやくと、背中の痛みをこらえて立ち上がり、パエッタの体に覆いかぶさるように横たわる落下機材を慎重に取り除いた。
「パエッタ司令」
ヤンが呼びかけると、うめき声が帰ってきた。彼はすぐに手近にある艦内用マイクを手に取った。
「パエッタ司令が負傷された。軍医および看護兵は至急艦橋に来てくれ。各部署は被害状況を確認し修理にあたってほしい。報告はその後でよし」
ヤンは艦橋を見渡した。
「誰か、士官で無事な者は?」
「私は大丈夫です」
後ろからの声の主はアッテンボローだった。壁にもたれるようにしてよろめいている。右の腕がだらりと下げられているのは、たぶん転倒でもした時にしたたかに打ち付けたからだろう。ヤンは後輩の無事にほっと胸を撫で下ろしつつ、指揮塔の上からオペレーターフロアを見下ろした。士官では少佐の階級章を付けた一人だけが手を上げている。
「他にはいないのか……」
ヤンはつぶやくが、アッテンボローも無言で首を振っている。どうやら第2艦隊の幕僚チームは全滅に近いようだった。
「先手を取れましたね」
傍らに控える赤毛の副官の呟きがラインハルトの耳に届く。蒼氷色の瞳はまっすぐに戦術スクリーンに注がれている。
「このまま完全勝利だ、キルヒアイス」
「ですが、相手は同盟第2艦隊です。確かあの艦隊にはあの人物が」
ラインハルトの瞳に無視しえぬ小波が立った。
「そうか、あの男がいたか」
「はい、ヤン・ウェンリー准将です」
ヤンとアッテンボローが見守る中、駆けつけた軍医と看護兵の一団が手際よくパエッタを診断し、「肋骨が複数折れており、医務室で治療が必要です」と告げた。
「ヤン准将……」
苦しそうにパエッタがヤンを呼んだ。黒髪の青年は司令官のそばに寄る。上官はヤンに指揮を執れ、と言った。
「私がですか?」
「健全な士官の中で君が最高位だ。これも運命だろう……用兵家としての君の手腕を期待する……」
パエッタは血を吐き、気を失った。
アッテンボローが、医療用の自走担架で運ばれていく司令官を横目に見ながらヤンに向って言った。
「高く評価されてますね。司令官も少しは反省したみたいですし……」
ヤンは肩をすくめた。彼は指揮卓の方に向き直り、艦外用マイクを手に取った。自分自身を落ち着かせるために一呼吸入れる。
「全艦に告げる。私はパエッタ司令官の次席幕僚を務めるヤン准将だ。旗艦パトロクロスが被弾し、パエッタ司令は重傷を負われた。パエッタ司令の命により私が指揮権を引き継ぐことになった」
この通信はむろんナデシコにも届いていた。
テンカワ・アキトが低い声でユリカにつぶやいた。
「ねえ、ユリカ。今、ヤン准将が指揮権を引き継ぐとか言ってたよね?」
「ええ、どうなるのかしら……」
ヤンの通信は続く。
「みんな心配するな。私の命令に従えば助かる。生還したいものは落ち着いて私の指示に従ってほしい。現在のところ負けてはいるが、要は最後の瞬間に勝っていればいいのだ」
ヤンは一旦マイクを保留にする。隣に立つアッテンボローに向って苦笑いした。
「やれやれ、私も存外、偉そうなことを言っているな」
「いえいえ、ヤン先輩、大いに期待していますよ」
奇跡的に訪れた大きな機会にアッテンボローの表情も緩む。
ヤンは再びマイクに向った。
「負けはしない。新たな指示を伝えるまで、各艦は当面の敵を撃破することに専念せよ。以上だ」
ラインハルトもブリュンヒルトの艦橋で傍受したヤンの通信を聞いていた。金髪の上級大将の口もとがほころんだ。
「やはり出てきたか、ヤン・ウェンリー。負けはしない、自分の指示に従えば必ず助かるか……」
蒼氷色の瞳に愉快気な光彩がきらめいた。
「面白い。この期に及んでどう劣勢を挽回するのか、お手並み拝見といこうか。キルヒアイス!」
「はい」
ラインハルトは、赤毛の副官を通じて全艦にある命令を伝達させたのだった。
X
ナデシコの艦橋は、ヤン・ウェンリーのまさかの出番に驚きと期待が半々ずつあふれ、ラインハルトと同じく、この戦況をどう挽回するのか一人一人が考え込んでいた。
アキトが戦術スクリーンから視線を外し、隣に立つユリカに訊いた。
「ヤン准将は、ある意味最悪な状態で指揮権を引き継いだわけだけど、彼の通信をユリカはどう思う?」
「わからないわ。ヤン准将がどう劣勢を挽回しようとしているのか、私にも想像がつかないよ。でも、彼の言葉は嘘ではないと思うの、会ったわけでもないのに声だけだけど、とても信じられるような……きっとこの状況を打開してくれると思う」
アキトも頷いた。
信じるしかない。戦いを見守る全てのナデシコクルーは、ヤン・ウェンリーの言葉を信じて結果を待つしかないのだった。
それがとても歯がゆくもあった。
「私たちにもっと力があったら……」
しかし、現実は甘くない。戦力はナデシコ一隻。ディストーションフィールドがあり、重力波砲と相転移砲が搭載された強力な艦であっても数万隻に及ぶ巨大で強力な艦隊を相手に戦局に影響を与えることは不可能に近かった。突撃しても帝国軍を形成する小部隊に宇宙の塵に還元されてしまうだろう。それこそ無駄死にだった。
ルリの声が艦橋に響いた。
「帝国軍艦隊に動きがあります。帝国軍艦隊、隊列を整え紡錘陣形をとりつつあり」
アキトの目が再度答えを求めるよう、ユリカに注がれた。美貌の艦長の横顔は険しい。
「帝国軍は中央突破をする気だわ」
「ええっ! 中央突破だって!?」
そんなダイナミックな戦術が成功しうるものなのか?
「帝国軍は2個艦隊を全滅させて士気が最高潮に達しているわ。先手も取っているし、同盟軍の正面を侵食しつつあるわ。兵力に大差のない場合なら一気に攻勢に転じて第2艦隊を分断するつもりでしょう」
ヤンの予測も同じだった。それを聞いたアッテンボローは度肝を抜かれたという顔をした。
「どうします? 先輩」
「対策は考えてあるよ」
頼もしい回答だが、一つ問題があった。
「しかし、通信では傍受されますし、味方にどうやって迅速に伝えるんですか?」
「心配しなくていい。各艦に戦術コンピューターのC4回路を開くよう、それだけを伝えてほしい。それだけなら帝国軍に傍受されても向うには何のことだかわからないだろうからね」
アッテンボローの表情が何十回目かの「尊敬」に満ちた。
「じゃあ、ヤン先輩はこうなることを事前に予測して前もって作戦をコンピューターにインプットしていたんですね。ちょっと前に自席で密かにやっていたのはそれですか」
「まあね、無用になっていればよかったんだが」
「早速、全艦に伝えます」
「よろしく頼むよ」
ヤンは、アッテンボローを見送ると再び戦術スクリーンに視線を戻し、戻してからベレー帽を取った。現在のところ敵の行動はヤンの予測の範囲内にあった。それはいい、問題は今から彼が行おうとしている作戦に味方が従ってくれるか否かということだった。一つ間違えば全軍崩壊という事態もありえるのだ。
ヤンの右手が黒い髪に乗った。
「その時は、頭をかいてごまかすさ」
帝国軍の陣形が悠々と紡錘陣形に整えられつつあった。
ラインハルトは、戦術スクリーンに表示された陣形の完成を確かめ、豪奢な黄金の髪をゆらして立ち上がり、右手を突き出して命じた。
「全艦、突入!」
その命令の直後、ファーレンハイト率いる先頭集団が速度を緩めずに同盟軍の隊列めがけて突入し始めた。
「突入せよ!」
続けとばかりにメルカッツ大将の指揮する第ニ陣も一斉に突入を開始する。20,000隻の艦隊が一斉に整然と突撃する光景は圧巻と言うしかないが、それは第三者視点であって、同盟軍から見れば恐怖以外の何者でもない。たちまち戦場はエネルギービームの荒れ狂う光芒の場と化していた。
同盟軍は全砲門を開いて迎撃するが、帝国軍の突進は全く緩まない。パトロクロスも主砲を斉射して応戦する。40門の主砲が帝国軍の艦列に突き刺ささった。
しかし、銀灰色に塗装された帝国軍の戦艦ワレンシュタインがパトロクロスの前に立ちはだかった。すかさず砲術長を兼任するアッテンボローが迅速に命令を下した。
「主砲斉射!」
ワレンシュタインは、至近からの中性子ビーム砲の一斉斉射をもろに受けて艦首から真っ二つに割れて爆散したが、息つく暇もなく白い爆煙を突き破って敵の次艦ケルンテンが偉容を現した。
アッテンボローが叫んだ。
「続けて撃て!」
直後に主砲が斉射されるが、敵戦艦の防御シールドに阻まれる。ケルンテンは目前に迫っていた。
「回避しろ」
アッテンボローの指示が飛ぶ。なんとか間一髪のところで正面衝突は回避し、艦橋は安堵に包まれる。ケルンテンはそのまま後方を突き進んでいった。
一息ついたアッテンボローが指揮席に座るヤンに話しかけた。
「敵の戦意が非常に高いですね。やる気満々だ」
「うん、我々は名将の誕生する瞬間に立ち会っているのかもしれない」
「名将ですか?」
「そうだ。部下に不敗の信仰を抱かせる指揮官を名将と呼ぶんだ。敵の重厚な陣容と戦意の高さはローエングラム伯がその信頼を手に入れつつあることの証明ではないかと思うんだ」
自分は今、その歴史的瞬間に立ち会っている。ヤンにはちょっとした満足感のようなものがあった。歴史好きの性というのか、どうもこの期に及んで悪い癖だと苦笑いする。
ヤンは再び、戦術スクリーンに表示された戦況データーに視線を移した。戦場は刻々と変化しつつあった。帝国軍は前進を続け、同盟軍は後退する。さらにその動きが加速し、帝国軍が一段と前進し、同盟軍が後退する。戦術スクリーンに表示される陣形図は帝国軍が中央から同盟軍を分断する様子が実に単純に表現されていた。誰の目にも帝国軍が勝利の旗を掲げ、同盟軍が敗北の坂道を転げ落ちているように映ったであろう。
「どうやら勝ったな」
ラインハルトはつぶやいた。彼の作戦通り中央突破戦法は功を奏しつつあるようだった。
「どうやら成功しそうだな」
同時刻、ヤンは傍らに控えるアッテンボローに向って独語した。彼の考えた作戦に他の部隊指揮官たちは素直に従ってくれたようだった。忠誠心からではなく生への渇望のためだとしても、彼にはそれで一向に構わなかった。
「何が起ころうとしているのかしら?」
ユリカは戦術スクリーンを凝視したたま首を捻りながら呟いた。この状況、このままだと同盟軍は中央突破されてしまう。ただ、「エル・ファシルの英雄」のこと、このまま敗れるわけがないと、彼女は願うしかなかった。
アスターテの戦いは終盤にさしかかり、一つの魔術を生み出そうとしていたのだった。
……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき
涼です。みなさん、お待たせしました。新年明けの「中編そのニ」になりました(汗) 一話分長くなりそうです。次でアスターテの戦いは完結させたいと思います。
ユリカもアキトもラインハルトの戦術に圧倒されていましたね。そしてこれほど苦しい思いをさせられるとは想像していなかったでしょう。アスターテで彼らの何が変わるのか、次回をご期待ください。
今回も楽しんでいただければ幸いです。
あわせて作品の感想とご意見もお待ちしています。
2009年1月10日 ─涼─
加筆および修正を加えました。
2009年4月29日─涼─
さらに修正を加え、段落を見直しました。
2010年3月5日 ──涼──
ちょっと全体の調整を行い、文章の一部を削除、または書き直しました。
2012年10月6日 ──涼──
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
メッセージ返信コーナー◆◇◆◇◆◇◆◇
前回もメッセージをいただきました。まいどこのコーナーでの返信ですみません。
以下、返信とさせていただきます。ありがとうございました。
◆◆2008年12月23日◆◆
◇◇19時17分◇◇
◆◆
運命・・・それは変えられないもの
>>>前作の終わりにナレーターがシリアスに言い放つような一言ですね。運命を変える・・・果たしてユリカたちは変えられるんでしょうか?
◇◇21時51分◇◇
◆◆
2008年はこれでおしまいです。続きは来年です>>>ガーン!!!そ、そん
な殺生な・・・
>>>2009年なり、続きをお送りいたします。 楽しみにしていただけているようで大変恐縮です。
◆◆12月24日◆◆
◇◇9時57分◇◇
◆◆
次がいつ出るかと、いつも楽しみに読んでいます。
>>>毎回のメッセをありがとうございます。今回も楽しんでいただければ、作者もご期待に添えたかと思います。
◇◇15時9分◇◇
◆◆
鳴呼・・・、これが5,10,13(まだ編成されてないけど)であれば違う展開になったやもしれないけど、物語としては面白さがなくなってしまいますね。
>>>メッセージをありがとうございます。最強の組み合わせですね。この三個艦隊が連合したらとんでもない戦果を挙げてしまいそうです。帝国軍にとっても恐怖の対象になること間違いないでしょうね。
◆◆2009年1月4日◆◆
◇◇18時30分◇◇
◆◆
何で又更新が改訂なんだ?改訂するのなら章が終わってからすればいいのでは?
>>>ああ、これはですね、やはりSS書きとしては間違いをいつまでも放って置けないんですよ。かなり気分が落ち着きません。また、時間があるときに話が決定したものは修正をかけておかないと次章に響く場合もあり、仕事が始まるとなかなか修正が出来ません。時間があるときに改訂の出来るものはしていくという方針です。
この点は作者の進め具合や都合もありますので、どうかご了承ください。
以上です。今回もメッセージやご意見・ご感想をお待ちしています。
2009年1月10日 ─涼─
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メッセージ返信コーナー◆◇◆◇◆◇◆◇
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