どうやら反対側の銀河でもいろいろと予想外のことが続いているみたいです。
     
     ちょうどその頃、私たちは何をしていたのかといえば
     ハイネセンから出撃した第11艦隊と虚構の第12艦隊をめぐり
     バタバタと情報収集にいそしんでいたのでした
    
     その途中でイゼルローン要塞に起こった出来事も知りました
    
     「プロスさんにアクセスコード教えておいてよかったかも……」
    
     提督のつぶやきです。どういうことかと訪ねたら……
     ――なるほど。それはめんどくさがらずよくできました。
     やっぱり「艦長時代」と違って責任感がUPしてるようです
     お仕事してますねぇ
    
     おかげさまで第11艦隊の制圧も無事完了
     あとはハイネセン攻略に向かったヤン提督の知略に全てがかかります
    
     知略? そう反対側の銀河では壮絶な戦いが繰り広げられていたのです
    
     私たちがエーベンシュタインという軍人さんと
     地球教本部に眠るとんでもない人のことを知るのは
     もっとずっと後のことでした
    
    
     ――ホシノ・ルリ――
    
    
    
    
    
       
闇が深くなる夜明けの前に
    
       
 機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
    
    
    
    
    
       
第十三章(後・帝国編)
    
    
    
       
『眠りし者/謎、深まる』
    
    
    
    
    
    
    
       
T
    
      
     かつて人類繁栄の中心であった青き惑星地球。数百年を経て、その繁栄も消え去った大地は荒廃し、ある勢力に関係する1000万人ほどの人々が細々と生活する程度となった。
    
     「総大主教猊下……」
    
     世界の屋根と謳われたかつてのヒマラヤ山脈――その一翼を担ったカンチェジュンガの地下にある旧地球統一政府のシェルター跡の一室に男の声が静かに反響した。
    
     「猊下、早急にお知らせしたい件がございます」
    
     片膝をついてそう言った男の全身はすっぽりと黒い長衣に覆われ、フード下の表情を伺うことはできない。ただし、彼を見下ろす存在と比較すると、かなりのがっちりした体格であることが想像できるだろう。
    
     「ド・ヴェリエよ……」
    
     しゃがれた声で地球教の総大主教は弟子の名を呼んだ。木製の杖を支える両手は細くシワが刻まれ、黒いフードのしたから除くその老人の顔は何かを超越した不気味さがあった。
    
     「わかっておる。金髪の
孺子の軍が負けた件であろう?」
    
     弟子は一瞬だけ身体を震わせ、恐縮したようにさらに頭を低くした。
    
     「さすがは猊下、すでにお耳に入っておりましたか……」
    
     「遠くにいながらにして宇宙の情勢が手に取るようにわかるぞ」
    
     この老人に不思議な力がないとは言えないが、迅速な情報伝達は各勢力の中枢にまで張り巡らした情報網の賜物だった。
    
     しかし、その浸透具合を認識している者は、おそらくごく僅かであろう。
    
     「銀河の情勢は激しく動いておる。この動きはやがて我らの手によって操作され、地球がその正当な地位を回復することに大きく貢献することとなろう」
    
     「確かに」
    
     と、ド・ヴェリエは声とは裏腹に心中では前半のみに同意した。この半世紀では最も大きく銀河が揺れ動いている。それまでの停滞が嘘のようだ。
    
     その変化をもたらしたのは帝国軍のラインハルト・フォン・ローエングラムであり、自由惑星同盟のヤン・ウェンリーであろう。特に帝国のうねりは劇的と言ってもよかった。
    
     総大主教は持っていた杖で軽く床を叩く。甲高い音が静かな空間をわずかの時間浸透した。
    
     「エーベンシュタインには、大きな投資に見合うだけの結果を出してもらいたいところであるな」
    
     その期待に、ド・ヴェリエはいささか疑問を感じていた。
    
     「恐れながら猊下。エーベンシュタンという門閥貴族、どこまで信用してよいものでしょうか?」
    
     言ってからド・ヴェリエは後悔で身体を硬直させた。総大主教の眼光が彼を鋭く射抜いたからである。
    
     だが、その負の威圧感は瞬く間に過ぎ去った。
    
     「そなたの懸念は最もではあるが、あの男が目的を達成するためには我々の協力が必要不可欠だ。そもそも、エーベンシュタインに十分な情報と資金を提供したのは、いずれ帝国の力を削ぐためのものだった。それが今だ。エーベンシュタインには好きなようにさせておけばよい。それが帝国──孺子めの力を削ぐ結果になる」
    
     「はっ……」
    
     「帝国はいささか勝ちすぎた。それに総監の思惑などどうでもよいのだ。我らが提供した技術のフィードバックと、相手の力をそこそこ削げばな」
    
     渇いた独特の低い笑い声が殺風景な広間に反響した。
    
     「エーベンシュタインが仮にローエングラム候を打倒し、我らに歯向かうことあらば、その時はあらゆる組織に張り巡らした力≠身をもって教えてやるだけぞ」
    
     総大主教のとある示唆にド・ヴェリエはいささか驚いた。フォン・エーベンシュタインというかつての宮廷の色男が金髪の孺子を打倒しうる実力を備えているというのだ。
    
     彼のエーベンシュタインに対する評価は判然としない。その印象はとても60過ぎにみえないこと、帝国軍宙戦部隊戦闘艇総監の地位にあること、若かりし頃は故フリードリヒ四世と友人であったことが端末から得た情報であった。
    
     それに直接案内したことはあっても、その間に二、三の会話を交わした程度だった。重大な──と思われるやりとりは全て総大主教のみと交わされ、他の者は一切立ち会えていない。エーベンシュタインの経歴を見る限り、軍務については可もなく不可もなくというレベルであり、戦闘艇の運用改革以外に格段目立った功績が見当たらないように思える。
    
     そんな容姿以外では凡庸そうな男が、天才と名高いローエングラム候を打倒しうるというのだから、これは驚くしかないだろう。自分には量りきれない何かがエーベンシュタインにはあり、それを知るのは総大主教のみということなのだろうか?
    
     そうなると帝国は推移を見守るだけでよい。賽が投げられた状態にタオルを投げ込む必要性はない。
    
     問題は同盟だ。内戦が起こった経緯にいささか作為を感じるが、その間隙を利用して総大主教は何かを仕掛ける様子でもない。同盟は同盟で「戦艦ナデシコ」という不可解な存在があるにもかかわらず……
    
     「今は不用意に行動する必要はない。
あの男が目覚めれば謎も解明されよう」
    
     弟子の控えめな懸念に対し、総大主教はそう答えた。ド・ヴェリエは複雑で疑問に満ちた顔を整理し、平静を装った表情に作り替えてから老人を見上げた。
    
     「あの男が全て、でございますか?」
    
     「そうだ。あの男が目覚めればナデシコの真相はわかるはず」
    
     あの男とは、一年半前に腹部に瀕死の重傷を負った状態でどこからともなく本部に担ぎ込まれた
身元不明者だった。
    
     その男は一命はとりとめたもの、現在も集中治療室のベッドの上で鍛え抜かれた身体を横たえまま眠り続けている。
    
      ──眠っているのというのに、その身体から発せられる強烈な圧迫感をド・ヴェリエは覚えている。できれば二度と訪れたくないくらいだった。いつか、後ろから喉を掻っ切られるのではという恐怖に苛まれてしまう。
    
     「目覚めるとはいいましても、もう昏睡状態が長く続いております。このまま目を覚ますことなどないのでは?」
    
     まったく補償がない。いつまでも待っていられるはずもないのだが、総大主教は確信しているようだった。
    
     「あの男は目覚める。今は己の敗北を認め、精神と死線の境をさまよっているにすぎない。迷いがなくなったとき、地球のために戦った伝説の暗殺者は再び目を覚ましてこの時代に降臨するであろう」
    
     ド・ヴェリエは動揺した。総大主教が何を言っているのか理解しかねたのだ。伝説の暗殺者? 地球のために戦った? ナデシコといい、例の男といい、エーベンシュタインといい、一体、何事が起こっているというのだろうか?
    
     「我が忠実な弟子よ」
    
     見透かしたような総大主教の声だった。
    
     「この際だ、大主教としてそなたには少しばかり知っておいてもらおう」
    
     総大主教が語った事実にド・ヴェリエはただただ動揺するばかりだった。同盟の「戦艦ナデシコ」の存在の意味。集中治療室で眠る男の肩書きに言いようのない戦慄を抱いてしまった。
    
     その男──もと地球連合政府直属非公式組織・強攻機動襲撃部隊「神威」の隊長──
    
     その名は…………
    
     「我らには
時空さえ味方しておる。これまで数百年も待ち続けていたのだ。あと数年耐えることが何事のことぞ!」
    
     ド・ヴェリエは、総大主教の言葉の意味の全てを理解できないでいた。
    
    
    
    
    
    
    
       
U
    
    
     ジークフリード・キルヒアイス上級大将は、ラインハルトの本隊と分かれて別動隊を率い、辺境星域の制圧に全力を注いでいた。すでに20回を超える戦闘に完勝し、今後も辺境領主たちの抵抗を蹴散らしつつ、その平定は時間の問題と目されていた。
    
     しかし、旗艦バルバロッサの艦橋にその長身がたたずむ若い赤毛の提督は戦闘に勝利し続け、順調に平定が推移しつつあるにもかかわらず、あまり元気がないように補佐を務めるベルゲングリューンには見えた。
    
     (あのことをまだ気にしておられるのか?)
    
     キルヒアイスは、総じてマイナスの感情を滅多に出すことはないのだが、辺境星域を平定していく段階で、いくつかの有人惑星からラインハルトが昨年に行った焦土戦術に対する抗議めいた声が寄せられたのだった。
    
     キルヒアイスが最初に着手した星域の多くがラインハルトの戦略の「犠牲」になっていたといってもよい。帝国軍があらゆる物資を引き上げる際、その任務を受けたケスラー提督も戸惑い、彼の部下たちが強い不満を漏らしたほどである。もちろん、物資を失った住民たちの困惑と不安、不満は相当なものであった。
    
     しかし、解放者を自称した同盟軍がラインハルトの計略にはまり、各星系の住民たちと物資を巡る争いという形で自滅し、矛先が同盟軍に移ってからは住民たちの帝国(ラインハルト)への負の感情は消滅してしまったかに思われた。
    
     そうではなかったのだ。同盟軍への怒りと失望によって住民が当初の認識を入れ替えてしまうなか、惑わされずに冷静さを保ち続けていた住民が存在したのである。それは小さな集落の老人であり、惑星クラインゲルトの領主であり、同盟軍第7艦隊が進駐した、とある惑星の物資を巡る争いで父親を失った地元有力者の娘と元同盟軍の技術将校であったりした。
    
     部下からの報告を受けたキルヒアイスは直接彼らと会談し、そして謝罪した。
    
     彼の謝罪はラインハルトの戦略の犠牲になったことではなく、同盟軍の思わぬ行動に対し、住民が戦闘に巻き込まれてしまった事だった。
    
     赤毛の提督は、ラインハルトの戦略が極めて有効であることを頭では理解して協力したものの、理性の上では受け入れ難い感情がひしめいたことを自覚していた。
    
     (それでも、私はラインハルト様を全力でお助けするのみ……)
    
     幼年学校時代、親友に一生の忠誠を誓った若者の葛藤の数々を正確に理解できた者は、おそらくラインハルトだけであっただろう。
    
     ただし、キルヒアイスは、作戦が実行される前にラインハルトに一度抗議している。金髪の若い元帥は同盟軍の撤退後、民衆たちに十分な支援をすると約束し、親友の了解を得た。そして約束取り、物資の供給は忠実に実行された。
    
     民衆たちは作戦以前より豊富な物資を提供され、転じて救世主となったラインハルト・フォン・ローエングラムに熱狂的なエールを送った。同盟軍は解放者としての地位を失った。民衆による政治を行う勢力がいつか圧政をうける自分たちを助けてくれるという期待を打ち砕き、彼らの守護者は帝国=ラインハルトだけであることを刻みつけたのだった。
    
     会戦終了直後、ラインハルトの採った作戦に対して抗議を行う民衆たちの声は聞かれなかった。おそらく疑問を抱いていた者たちは、まずは故郷の復旧を優先したのであろう。
    
     そして埋没しかけた感情は、時間を置いて今回の内戦によて彼らの意識を浮上させたに違いなかった。
    
     作戦が成功したとはいえ、民衆から多くの犠牲を出したことは歴然たる事実であった。キルヒアイスの心はかなり傷んだ。もしこの中にアンネローゼ様が含まれていたとしたら、ラインハルト様はどうしただろうか……
    
     (ジークフリード・キルヒアイス、君はもしこの先もラインハルト様が間違った覇道を歩むようなことがあれば、反発を受けてもそれを止める覚悟はあるのか?)
    
     帝国の内戦が始まってから、辺境の平定を命じられたキルヒアイスは、すべての戦闘のおいて民衆を巻き込むようなことは一切しなかった。彼自信の考えは、民衆を安易に戦闘に巻き込んでは、それまでの帝国となんら変わらないからだ。制圧した惑星を民衆たちの自治に委ねたこともキルヒアイスのこうした考えからの配慮にほかならない。
    
     (民衆を苦しめるのはもう終わりにしたい……)
    
     彼自身が平民出身であるから、これは切実な思いである。
    
     そして、赤毛の提督には親友が権力者への道を突き進む限り、決して消えることのない不安もつきまとっていた。危険な男としてキルヒアイスが注意を払うパウル・フォン・オーベルシュタインの存在だった。
    
     そもそも、焦土戦術をラインハルトに強く進言したのは義眼の参謀長であるのだ。自分の目的のためにラインハルトを利用する手段を選ばない男……
    
     (いや、ランハルト様に限って……)
    
     やはり不安は尽きないのであった。
    
     そんな葛藤を胸に秘めたキルヒアイスのもとに、ラインハルトから直接の通信文が届いたのは惑星ボルケンを制圧した直後のことだった。
    
       
    
    
    
    
    
       
V  
    
    
     キルヒアイスは、麾下の提督たちを緊急召集すると、簡潔かつ的確に経緯と事実を伝え始めた。
    
     「一体、何が起こったというのだ……」
    
     集った提督たちの驚きは最もであった。数だけは一流だが、まともな軍務経験のない門閥貴族が率いる軍隊など所詮は統制もろくにままならない烏合の衆とされていたからだ。
    
     実際、百戦錬磨が集うラインハルト率いる帝国軍は緒戦のアルテナ星域会戦において圧倒的な実力の差を見せつけた。次の戦いの舞台となったレンテンベルグ要塞攻略戦も、オフレッサー上級大将を仕留めることができれば勝利は確実とされていた。その指揮を執ったのがオスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤー両名という屈指の実力者であればなおのことだった。
    
     しかし、攻略はならなかった。帝国軍はレンテンベルグ要塞を戦略的に奪取できず、また戦術においては貴族連合軍側の計略にはまり、一方を上回る損害を出してしまったのだ。
    
     前兆はあった。完勝≠ノ突き進んでいたアルテナ星域会戦の後半、潰走するかに見えたシュターデン艦隊は貴族連合軍側の予想しなかった援軍によって壊滅を免れた。
    
     この変化を後の「敗北」に結びつけた者はどれほど存在しただろうか?
    
     いや、「敗北」とするにはいささか微妙だろう。貴族連合軍は戦場から去り、帝国軍は残っていたのだから……
    
     「──以上がローエングラム候より直接いただいた先の戦闘報告です」
    
     キルヒアイスの平静な口調とは裏腹に、集った主な提督たちはお互いに不安そうな視線を交わしあった。
    
     「閣下、我々は今後どのように行動を?」
    
     しばらく間を置いてコルネリアス・ルッツ提督が質問すると、他の提督たちの視線は自然と赤毛の司令官に集中した。
    
     「現在の任務を遂行せよ、とローエングラム候よりのご指示がありました」
    
     穏やかで抑制の効いた普段通りの声だった。キルヒアイスは部下の不安を打ち消すように言った。
    
     「ローエングラム候が貴族連合軍に対して集中できるよう、私たちは辺境の平定に全力を尽くすまでです」
    
     もっともな意見だった。その後、方針を統一し会議は終了。提督たちはそれぞれの任務に戻るべくシャトルの待機する格納庫へと歩を進めたが……
    
     「エーベンシュタイン上級大将か……意表をついた御仁が出てきたなものだな……」
    
     顎に手を当てながらポツリとつぶやいたのはアウグスト・ザムエル・ワーレン中将だった。攻守ともに堅実な手腕を発揮する30代の提督だ。アムリッツァ星域会戦では火力に優れた同盟軍第8艦隊と正面から対峙し、一歩も退くことはなかった剛毅の男である。
    
     そのワーレン提督の言葉に、格納庫へと向かう提督たちは一様に頷いた。
    
     ただし、誰も彼もエーベンシュタインを詳しく知っている者は皆無だった。若い頃は宮廷で貴族のご婦人ご令嬢に絶大な人気があったとか、その当時の遊び仲間が故フリードリヒ四世だとか、標準戦艦にワルキューレ用の格納庫を取り付けることで空母にしようと提案したとか、ごく広まっている基本程度でしかない。
    
     「とは言いましても、たしかエーベンシュタイン閣下が総監の地位について8年にもなりますが悪い噂もよい噂も聞こえてきません。これだけ長期に渡ってその重職にあるのも希だとは思いますが……」
    
     と意見を述べたのは、キルヒアイスにもその戦術眼を高く評価されているヴェルター・エアハルト・ベルトマン少将だった。ヴァンフリート星域にて戦艦ナデシコと遭遇し、その後の進退に大きな影響を受けた青紫色の瞳を有する30歳の提督だ。
    
     「これは私の部下から得た情報の一部に過ぎませんが、エーベンシュタイン上級大将がその地位に長くあるのは決して故フリードリヒ四世と縁があっただけではなく、統帥本部も認める地味ながらも組織運営に長けていたからだそうなのです」
    
     「それは初耳だな……」
    
     というルッツ提督の反応は宙戦部隊戦闘艇総監に対する関心の薄さの裏返しであった。
    
     「いずれにせよ……」
    
     ワーレン提督が結論の出ない会話に終止符を打った。
    
     「いずれにせよ、キルヒアイス提督のおっしゃるように我々はまず辺境の平定に全力を尽くすことだ」
    
     全員が異口同音に頷いた。レンテンベルグ要塞の件は確かに衝撃的だったが、ローエングラム候ラインハルトが敗れたわけではなかった。エーベンシュタインは手強い相手かもしれないが、彼を使いこなす器量がブラウンシュヴァイク公にあるとは思えない。門閥貴族たちの能力はたかが知れているのだ。
    
     それに、彼らの上官は落ち着いていたものの、内心ではきっとすぐにでもランハルトのもとに駆けつけたい衝動があったはずだ。それを押し殺しているのである。尊敬する上官のためにも一日でも早く平定を終わらせようと、提督たちは意気込んだ。
    
     彼らはそれぞれの想いを乗せてシャトルに乗り込んだ。その瞳には悠久の漆黒の世界に散りばめられた星々の大海と、決して進むことをやめない豪奢な金髪を有する若い元帥の姿が映っていた。
     
    
    
    
    
    
       
W
    
    
     ガイエスブルグ要塞に戻ったエーベンシュタインを、盟主ブラウンシュヴァイク公を筆頭にした門閥貴族たちは熱狂的に出迎えたものだった。
    
     「さすが戦闘艇総監、あの生意気な金髪の孺子の軍を打ち負かすとは、私は信じておったぞ」
    
     「このランズベルク伯アルフレット。上級大将の果敢にして大胆な戦略には心から敬服の極み」
    
     「これほどの爽快感はかつて体験したことがありません! 叔父上と同じく私も閣下を信じておりました」
    
     云々と賛辞や賞賛がしばらく続き、エーベンシュタインは公より握手を求められると快く応じたが、急に神妙な顔になってそう言った。
    
     「シュターデン提督の捨て身の突撃があればこそ、金髪の孺子の軍に正義の鉄槌を下すことができたのです。彼はアルテナ星域会戦の汚名を死することによって雪ぎ、門閥貴族の意地と誇りを見せつけたのです。どうかシュターデン提督の武勲に報いていただきたい」
    
     「う、うむ。シュターデンはよくやった。この戦いに勝利し金髪の孺子の勢力を一掃した暁には元帥の位をもって応えてやるつもりだ」
    
     この瞬間、シュターデンの名誉は回復されたといってもよい。
    
     「おおっ! ブラウンシュバイク公の器量の大きさにはこのエーベンシュタイン感涙の極み」
    
     エーベンシュタンは相手を持ち上げると同時に内心で薄く笑った。理屈だおれのシュターデンよ、卿の名誉はまさに
華麗なる死によって報われたぞ。
    
     急に顔を上げた宙戦部隊戦闘艇総監は、公と握手したままの右手を天井に向けて高々と上げた。
    
     「我ら門閥貴族の心意気は盟主ブラウンシュヴァイク公とともにあり! 諸侯の方々、今回の勝利は序章なれど、もって孺子の金髪を敗北の流血に染め上げましょうぞ!」
    
     歓声が一斉に上がり、貴族たちはラインハルト打倒をあらためて声高に宣言した。
    
     その後、エーベンシュタンは公が用意した戦勝パーティーに参加し、貴族たちの戦意を大いに煽ったのだった。
      
    
    
     それから一日たった午後。エーベンシュタインが酒宴を全く感じさせない優雅で気品させ漂わせる様子でコーヒー楽しむ仮の執務室を突然訪れた軍人がいた。
    
     「これはこれは総司令官殿、ご連絡いただければ私から伺ったものを……」
    
     「個人的に直接、卿に問いたいことがあった」
    
     素っ気ない口調とともに、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将は細い目でエーベンシュタインの側近であるイェーガー大佐を一瞥した。副官はすぐに察した。
    
     「閣下、小官は隣室に控えております」
    
     「悪いな大佐。どうやら総司令官殿は怒っておられるようだ。貴官までとばっちりを受ける必要はない」
    
     エーベンシュタインは、軽いジョークとともに忠実な副官を下がらせると、しっかりとコーヒーを飲み干してから老練な用兵家に席を勧めた。
    
     「いや、結構。このままでいい」
    
     「ふむ。総司令官を立たせて話を聞くというのは 
甚    
 だ不本意だが、私もこう見えて昨晩のダメージが残っている。卿と私の過去の縁に免じて許してもらおうか」
    
     「かまわん」
    
     メルカッツが許可すると、エーベンシュタインは組んでいた長い足を解き、姿勢を正して向き直った。お互の視線が静かに火花を散らした。
    
     「で、用件は?」
    
     「白々しいな。単刀直入に言おう。エーベンシュタイン、卿は勝つ気があるのか? 貴族たちを不必要に煽ってどうするつもりだ?」
    
     ラインハルト打倒を叫び、勝利をもぎ取った門閥貴族出身である男に対して奇妙な質問であったかもしれない。
    
     メルカッツの眼光は重く鋭く、一般の者であれば張り詰めた緊張感からくる息苦しさと圧迫感のために押しつぶされてしまったであろう。
    
     しかし、エーベンシュタインは平然とした顔で逆に問うた。
    
     「総司令官閣下こそ、勝つ気がおありか?」
    
     昨夜の戦勝会に参加しなかったメルカッツを暗に非難していた。レンテンベルグにおいて勝利し、大いに士気を高める場であるのに、総司令官は連日の軍務による疲労を理由に断っていた。
    
     なぜ断ったのか、エーベンシュタインにはわかる。なぜなら彼も同じ心境だったからだ。
    
     しかし、質実剛健かつ不器用なメルカッツと違ってエーベンシュタインは権謀術数家である。自分の感情を押し殺して相手を手のひらの上で踊らせることに長けている。彼には確固たる目的があるので意志が揺らぐことはない。
    
     メルカッツは答えなかった。自身の本音はさておき、その細い瞳は「質問を質問で返すな」と語っていた。
    
     やや譲歩したのはエーベンシュタインだった。綺麗に整えられた銀色の口ひげを軽くひと撫でした。
    
     「勝つ気があるのか? と問われれば私は一つ目にはこう答えよう。メルカッツ提督にその意志があれば私は協力を惜しまないと」
    
     二人の視線が再び火花を散らした。一人は名門の軍人貴族、一人は下級貴族の出身の歴戦の用兵家。立場は違うが、互いに帝国軍人としての経歴は40年以上に及び、そして過去に何らかの接点を持つ二人だった。
    
     今度譲歩したのはメルカッツだった。いや、正確には一旦引き下がったというべきだろう。帝国軍の古参として名声に見合うだけの実績を有する男は、今の時点ではエーベンシュタインから本音を聞き出すことは不可能だと悟ったのだ。
    
     メルカッツは無言のまま軽く敬礼し、軍人の模範ともいうべき回れ右をして部屋を退出していった。
    
     「閣下……」
    
     心配そうな顔をしてイェーガー大佐が隣室から姿を現した。エーベンシュタインは部下を安心させるように声を掛けた。
    
     「メルカッツは生粋の軍人だ。不器用なやつだから軍人たろうとするあまり決して政治面に口を出しては来ない。当分は問題ない」
    
     それでも、とエーベンシュタインは思案を巡らせた。戦略的な視野も持つメルカッツも今はおぼろげに疑惑を抱いているが、それが徐々に確信へと変わっていくとになるのは避けられない。
    
     (その時には遅いのだがな……)
    
     メルカッツをこのままま欺くことができれば、門閥貴族たちがまず気づくことはない。2,3人ほど他に警戒すべき人物が存在するが、一方に関わらせておけば、それに忙殺されて深く思案することもままなるまい。
    
     いずれにせよ、現時点で不審を抱いているのはただ一人。もし他の者が気付けたとしても、その頃には全てが終局に向かう真っ只であり、もはや手の打ちようがない状況だろう。
    
      副官イェーガー大佐は、
淹れ直したコーヒーカップを上官の机の置いて尋ねた。
    
     「メルカッツ提督のお怒りは、やはり昨日の宴だったのですか?」
    
     「いや、シュターデンの件もあれは入っているな」
    
     メルカッツだからこそ、戦闘報告書を見てすぐに気づいたのだろう。シュターデンの突撃が厳密には不要であったことを……
    
     シュターデン提督は、自ら理屈を排除することによって戦術家としての能力を発揮し、帝国軍に痛手を負わせるきっかけを作って戦死した。
    
     そう仕向けたのは他ならぬエーベンシュタインだった。彼はシュターデンに宛てた通信文に
「死して自ら招いた不名誉を撤回されよ。されば貴官は名誉ある活躍によって歴史にその名を永久に残さん。その機会、気概あらば前面の敵に向かって整然と突撃されるべし」と打ち込んでいた。
    
     ブラウンシュヴァイク公に著しく信頼を損ねたシュターデンに残された道は、生き残って 
晒
  し者になるか、勝利に貢献するかたちで名誉の戦死を遂げるか、いずれかしか残されていなかった。
    
     エーベンシュタインにとっては後者こそが望ましいので、生にしがみ付こうとしたシュターデンを「華麗なる死」へと追い込んだのだった。
    
    
    
     エーベンシュタインが熱いコーヒーに口をつけた直後にTV電話が鳴った。衛兵からの連絡であり、総監直属の提督の来訪を知らせるものだった。
    
     「至急、通してくれ」
    
     十数秒後に一人の軍人が執務室のドアをくぐった。年齢は40代くらい。中肉中背ながらどっしりと構えた古風な容貌。引き締まった目元と黒く太い眉毛、黒髪はオールバックにしているようだが、手入れミスか、またはクセ毛なのか側頭部に流した髪の毛が逆だって角のようにも見える。そして何よりも目を引くのは、頑固そうな口元の上を飾る見事としか言いようのないきれいに湾曲したカイザルヒゲだろう。
    
     ナデシコのメンバーが見れば飛び上がって仰天するかもしれなかった。
    
     「ご苦労だったな少将」
    
     あらたまって敬礼する部下に、エーベンシュタインは慰労の声を掛けた。
    
     「貴官にはレンテンベルグの後に続けて仕事を頼んですまなかった」
    
     彼――ハインツ・シュトロヘルム・フォン・マルミス提督は、レンテンベルグ攻防戦においてエーベンシュタインの切り札の一つである宙戦母艦部隊の指揮官を務めた軍人だった。
    
     「いえ、これくらいのこと、戦闘などよりよほど楽です」
    
     そう言って、輸送艦に積んだ例のモノを無事にガイエスブルグ要塞に運び入れたことを報告した。
    
     「閣下のご指示通り、厳重な警備を配置いたしました」
    
     「うむ。細部までご苦労。機動部隊の方はどうだ?」
    
     「はっ。損害はまったくございません。例の兵器も残りに余裕があり、今後の戦闘も要となる状況に投入できれば大きな戦果につながるかと」
    
     「そうか、それは喜ばしいな……」
    
     エーベンシュタインは、
兵器としての切り札   を三つばかり用意していた。その中の一つは一年ほど前に突然使用可能となったものもある。問題は射程距離の短さと調整の難しさなのだが、演習においてはまずまずの結果を残していた。
    
     ただし、エーベンシュタインは積極的に使用することにはやや慎重だった。なぜなら不安定な側面が見受けられたからだ。彼が最も自信を持っているのが少将率いる空母機動部隊である。もう一つは、それこそ最終手段だ。
    
     (とはいえ、データーを奴らに渡すことは取り決めにもあることだしな……)
    
     その約束とやらを 
反古にすることも可能だが、今は彼らの資金が必要だった。
    
     「少将、今日明日はゆっくり休養し、次の戦いに備えて艦隊の整備を頼むぞ」
    
     「はっ、お任せ下さい」
    
     部下が退室すると副官イェーガー大佐が上官に言った。
    
     「少将は、どうやら立ち直ったご様子ですね」
    
     「そうだな。彼には生きてもらわないと困る……」
    
     次にイェーガーは最も重大なことに言及した。
    
     「閣下、近いうちに戦闘があるとおっしゃいますか?」
    
     エーベンシュタインの反応は肯定だった。
    
     「ああ、もう少し間が開くかと思っていたが、あの戦いから感じたローエングラム候の気質からしてそう遠くはないだろう」
    
     言い終えてからエーベンシュタインは両手を組んで思考の淵に沈んだ。レンテンベルグの勝利によってローエングラム候の戦略構想に楔を打ったかに思えたが、彼の予想より早く帝国軍は陣容を整え、もっと早く事態が動くことになるだろう。前回の戦いにおいて自分の存在が急浮上しているだろうから、帝国軍もそれなりの対策と新たな戦略構想で挑んでくるに違いない。
    
     (こちらに余裕を与えずに攻勢をかけてくるかな? いずれにせよ多少の修正は必要のようだな……)
    
     エーベンシュタインの予測は現実となった。10日も経たずにあらたな会戦が発生する。帝国軍はガイエスブルグ要塞の孤立を狙い、周辺星域を制圧すべく大規模な攻勢をかけてきたのだった。
    
    
    
     ……TO BE CONTINUED
    
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
    
     あとがき
    
     明けましておめでとうございます!
    
     まずは謝罪を。年内無理でした(汗 正確には年内に投稿したのですが、ご存知だと思いますが、シルフェニアでは部屋投稿版は管理人さんが手動で行うため、タイムラグが発生してしまうのです。
    
     プラス、本文の調整を行っているうちに大晦日が終わりに近づいてしまったので、結局2013年最初の投稿となりましたorz
    
     わりと慌てた部分があるので、妙なところや振り仮名忘れてる箇所とかあるかもしれません。作者が気づいていない場合も考えられますので、ご指摘いただけるとありがたいです。
    
     さて、今回の帝国編では幾つかフラグが立っていますが、読者様がそれぞれに妄想を膨らませていただければよいかと。
    
     また、最初の固有名詞登場時に「宙戦部隊戦闘艇総監」としておきながら「宙戦隊総監」といつの間にか簡略化していたみたいなので、今話から初期にもどしてあります。間違えた表記のものは修正を入れていきます。
    
    
     最後に、2012年は多くの読者様より感想や応援をいただき、本当にありがとうございました。おかげさまで続けてこれました。
    
     そして2013年も、ささやかに読者様の楽しみの一部になれば、これに勝るものはございません。今年も拙作にお付き合いいただければ幸いでございます。
    
     2013年1月1日 ──涼──
 
  
誤字や脱字、読者さんからのアドバイスをもとに一部を修正、または加筆しました。
 2013年2月20日 ──涼──
    
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
    
     
     
	
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