──宇宙暦797年、帝国暦488年5月9日──

 貴族連合軍が拠点とするガイエスブルグ要塞と周辺に設けられた拠点から合計5万隻を越える大艦隊が出撃した。その光群は整然と隊列を組んで実に勇壮であり、要塞司令部から見送る主な貴族たちにとっては先の会戦の再現とばかりに勝利をすでに約束されたように映ったことだろう。

 エーベンシュタイン上級大将の忠実な副官であるイェーガー大佐も上官から数歩下がった位置に立って味方の出撃を見送っていた。

 (閣下のシナリオ通りに運びつつあるが、貴族連中が自らの愚かさをもって舞台から落下する可能性はないのか?)

 イェーガー大佐は細い目で周囲に目を向けた。エーベンシュタインは巨大なメインスクリーンに投影された艦隊を深謀の目で見つめていた。そのやや前方にはブラウンシュヴァイク公が周囲の威勢とは裏腹にやや不安そうな表情を浮かべている。公領のことか、それとも甥を心配でもしているのだろうか? 後者ならば人間としてようやく好感が持てるというものだが、心配事は両方であるかもしれないし、いずれでないのかもしれなかった。

 今一人、大佐がブラウン色の細目を向けたのが副盟主たるリッテンハイム候ウィルヘルム三世だった。彼だけは軍服ではなく貴族の正装だった。片手にはワイングラスが握られ、スクリーンを見つめていた青い瞳がやがて一瞬だけ盟主に向けられる。その瞳に宿っていたのは明らかな対抗心であった。

 (閣下が仲裁したというのに困ったものだな。いや、まだ大人しいほうか……)

 すでにレンテンベルグ要塞攻防直後から盟主と副盟主の確執は始まっていたのだろう。いや、同盟を組んだ瞬間から始まっていたのかもしれない。

 つい先日、その確執が表面化し、ガイエスブルグ要塞はまことしやかに騒然となってしまった。それを修復したのは他ならぬエーベンシュタインだった。言い争いをしていた両名が翌日、朝食の席でワイングラスを重ねていたことなど、誰が想像できただろうか?

 (閣下は、仲裁したあとも両者の間を何度か往復していたが、一体、どんな魔法を使ったのだろう?)

 エーベンシュタインは、その方法を副官にさえ話さなかった。特に彼も答えを求めたわけではなかったが、上官は部下の表情で察したのだろう、すこし笑いながら「貴官は知らないほうがいい。害になるだけだからな」と小さな声で言った。

 (害になるだけ……とは?)

 非常に興味の尽きないことだった。イェーガーはエーベンシュタインの態度に不満を持ったことはない。あえて上官が自分に警報を鳴らしたことは、きっと深い意味があるに違いないからだ。

 裏の事情はどうであれ、早々に崩壊しかけた盟主と副盟主の関係は表面的にでも修復され、内部に不安と不信が広がるのを見事に防いだのだった。

 (ここまでの政治的な手腕は実直なメルカッツ提督にはなし得ぬことだ。内部不和を期待していたローエングラム候にとっては厄介なことだろう)

 イェーガーは忠誠を尽くす上官に視線を移した。「楽しそうだ」と思う。今回の戦いは「駆け引きを弄した分だけ戦闘が苛烈になる」と言うのだ。

 その概要を最初に聞いたイェーガーは、全てを理解することが困難なほど複雑で壮大という二重奏に戦慄さえした。

 イェーガーは作戦決定直後の会話を思い出す。

 「メルカッツは、フレーゲルを押し付けられて迷惑かもしれないが、いざとなれば仕込を解放しろと言ってある。ここぞというところ使えば絶大な打撃力になるだろうよ。まあ、まともな戦いができるということだな」

 「閣下のシナリオの犠牲になるのはどなたでしょうね?」

 「ふふ、貴官はわかっているのに意地悪なものだな。そうだな、状況が全てを決定してくれるだろう。今回も個人的には祝杯を挙げたいものだが……」

 「閣下も相当お人が悪い」

 「褒め言葉だな」

 イェーガーの意識は現実に戻った。華麗に振り返ったエーベンシュタインに呼ばれたのだ。彼は応答し、上官に従って司令部を後にした。

 次の出撃の準備を整えるためだった。






闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説



第十五章(前編)

『ブラウンシュヴァイク攻防戦』



 

 
 
 T 
 
 「ファイエル!」

 砲撃命令が双方の通信回線を巡って艦隊の隅々まで伝達されると、巨大な戦艦の砲口から青白いエネルギービームが次々にほとばしった。それは短時間で宇宙空間を切り裂き、相対する艦列に突き刺さった。徐々に砲火の応酬濃度が高まると、防御シールドが悲鳴を上げて消滅し、装甲で受け止め切れなかった艦体が主砲の直撃をモロに受け、火球となって原子に還元されていく。

 ブラウンシュヴァイク公領における帝国軍と貴族連合の攻防は、ごく平凡に始まったと言ってもよい。なぜなら、お互いの司令官を知って小細工を弄する必要性を認めなかった。

 そのため、最初に星系に侵攻したオスカー・フォン・ロイエンタール提督と増援であるカール・グスタフ・ケンプ提督率いる帝国軍は迎撃に出た貴族連合軍前衛と正面からぶつかることになったのである。

 「この様子だと、やはりローエングラム候の予想通りメルカッツが指揮を執っているようだな」

 金銀妖瞳(ヘテロクロミア)にブラウンシュヴァイク公の乗艦「ベルリン」を映しながらロイエンタールは呟く。貴族連合軍の首領が戦場に在ると言うのに、ロイエンタールの表情はずいぶんと落ち着いていた。最終的には元凶の要であるブラウンシュヴァイク公は滅ぼさねばならないが、この会戦における価値はいち分艦隊司令官以下といってもよいだろう。

 なぜなら、帝国軍の狙いはブラウンシュヴァイク公を撃つことにあるのではなかった。何よりも総指揮を執るローエングラム候ラインハルトは<ベルリン>が戦場にのこのこと存在する裏を理解していた。

 (それが貴族どもの動きによって照明されたわけだが……)

 ロイエンタールが視線を変えたサブスクーリンには、帝国軍総旗艦ブリュンヒルトが映っている。純白の美姫に例えられる造形美と個艦性能に優れたラインハルトの乗艦だ。

 そもそも帝国軍はストレートにブラウンシュヴァイク公領に侵攻したわけではなかった。並行する形でフレイヤ、シァンタウ、アーヘン、ハインスベルグ星系に制圧部隊を送り込んでいた。

 そして、ロイエンタールの艦隊がブラウンシュヴァイク公領に侵入する前に貴族連合軍出撃の情報が入り、いくつかの艦隊は反転して公領に集結したのだった。

 ラインハルトを総司令官にロイエンタール、ケンプ、メックリンガー、ビッテンフェルトの部隊からなる五個艦隊、艦艇数は64000隻。制圧阻止を意図する貴族連合軍はおよそ58000隻だった。

 もともとラインハルトは星系制圧に参加していなかった。彼がブラウンシュヴァイク公領に進出し総指揮を執ることになったのは、貴族連合軍の中にベルリンの存在を確認したからに他ならない。

 当初、ビッテンフェルトはかなり意気込んでいたものだが、ラインハルトは敵総旗艦の存在自体を早々に疑問視していた。

 自国領に侵攻された公が多いに激怒し、周囲の諫言に耳を貸さずに感情で出撃してくるであろうことは、もちろんラインハルトは予想していたし期待もしていた。

 しかし、偵察艦からその艦隊行動の詳細を知ると、若い帝国軍の元帥は確信した。

 「本当にブラウンシュヴァイク公が出撃していれば、奴は自らの低脳ぶりで早々に消滅することになったのだがな」

 ブリュンヒルトに作戦会議のために終結していた各提督たちも同様にうなずいたものだった。大いに不審点と矛盾があった。

 ブラウンシュヴァイク公が、気の合わないであろうメルカッツに従って肩を並べて戦うこと自体がおかしな事だった。艦隊陣形が隙のないことも総指揮を執っているのがいずれであるのか明瞭と言えよう。また、この状況でのブラウンシュヴァイク公が出陣すること自体が不自然であった。

 「エーベンシュタインとやらは、どうやら本物のようだな。でなければ甚だつまらぬ」

 ベルリンを堂々と陽動に使うあたり、ラインハルトは宙戦部隊戦闘艇総監の知略に賛辞を送ったものの、後半の部分は完全に皮肉だった。

 では、そのベルリンに乗艦しているのは誰なのか? エーベンシュタインなのか? という提督たちの疑問に「それも違うな」とラインハルト。

 「彼の目的は別のところにある。もちろんこちらの目的も別のところにある」

 最初の駆け引きはどうやら五分らしい、とラインハルトは心中で愉しそうに笑った。彼もベルリンが戦場にある限り、可能性は考慮してそれに対応する姿勢をとらねばならず、戦場から動くことはできない。何よりも、もう一つの駆け引きの場となる戦場で作戦を成功させる為に、メルカッツが指揮をとる貴族連合軍を足止めする必要があった。自分の存在はよりその効果を高めることになるだろう。
 
 
◆◆◆ 

 (さて、こちらは罠を張ったが、向こうも同じことを考えているだろうな)

 戦闘開始から一時間が経過した。ロインエンタールはケンプ艦隊と肩を並べた陣形で貴族連合軍に間断なく砲撃を継続している。が、敵の攻撃も正確であり、お互いに応射しつつも今のところ戦況に大きな変化はなかった。

 ロイエンタールは、ラインハルトの作戦構想の全体図をほぼ理解していたといってもよい。もし貴族連合側にエーベンシュタインが参加していなければ、簡単な挑発行為でやすやすと貴族たちを要塞から誘い出し、血圧の上がった近視眼状態のまま宇宙の塵に変えてやったことだろう。またはオーベルシュタインが派遣しているという工作員を使って内部に不和を生じさせ、いとも簡単に分裂させることもできただろう。

 しかし、ラインハルトは二つの会戦における相手方の出方と経過を分析し、フォン・エーベンシュタインという軍人が貴族側に存在する限り、内部工作は容易ではないと判断した。

 ではどうするのか? 答えはこの会戦の先にあった。

 (恐ろしい方だ、ローエングラム候……)

 ロイエンタールは、あらためてラインハルトの戦略構想に感服した。エーベンシュタインがいかに優れた軍人であったとしても、彼が果たして天才の全てを見切るなど可能ではないだろうと。

 副官レッケンドルフ大尉の声がした。

 「閣下、敵の左翼部隊が我が軍の右翼側に回り込もうとしておりますが、いかが対処いたしましょうか?」

 「まともに付き合うな。一旦後退しつつ陣形を密集させ、相手が誘いに乗ってきたらケンプ艦隊と挟撃してやればよい」

 「はっ」

 命令が伝達され、ロイエンタール艦隊は後退を開始する。

  しかし、やはりと言うべきか、敵は深追いをせず、集中砲火に晒されていた味方を援護して後退させると、さっさと自らも後退してしまった。

 ロイエンタールとしては、百戦錬磨のメルカッツと矛を交えることは軍人としての闘争心と高揚感を強く刺激されるのだが、さらに先の会戦でその優秀さを見せつけたファーレンハイトまで相手となると自重せねばならなかった。

 (二の舞だけは避けねばな)

 ロイエンタールはレンテンベルグの自戒を込めると、あらためて指示を下した。

 「陣形を横に展開しつつ、敵の前面に砲火を集中せよ。敵の動きを牽制するのだ」

 ブラウンシュヴァイク攻防戦は様々な思惑を絡め、徐々に激しさを増すかに思えた。
 



 
U 

 現在の戦況を最も複雑な視線で見つめているのは、ベルンハルト・フォン・シュナイダー少佐が敬愛して止まない百戦錬磨の上官だろう。指揮シートからメインスクリーンと戦術スクリーンを常に注視し、必要な指示や命令を淡々と行う姿からは、傍から見ればその感情を示すものは何一つ読み取れないだろう。

 しかし、シュナイダーにはウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの心境が少なからず理解することができた。

 (これは、根比べの様相だが……)

 メルカッツの基本戦略は、ローエングラム候率いる帝国軍の補給線の長さを視野に、味方の戦力をガイエスブルグに集中した決戦型であった。

 それも最初からその構想は頓挫した。シュターデンの横槍から起こったアルテナ星域会戦、辛勝したレンテンベルグ要塞攻防戦だ。簡単にラインハルトの挑発に乗ってしまう貴族連中に「忍耐」という2文字を理解させることは不可能に近い。

 メルカッツは、誰よりも長期戦に持ち込むことがいかに困難であるかを痛感していた。彼は「ブラウンシュヴァイク公はそのうち自分を恨むことになるだろう」と悲観的な未来図を副官に打ち明けたくらいである。

 その悲観は変わりつつある。メルカッツもその参戦を不思議がった宙戦部隊戦闘艇総監ヘルマン・フォン・エーベンシュタイン上級大将が貴族とメルカッツの間を取り持つことで制御できつつあるのだ。特にブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候が妙に大人しい。主な貴族たちを連夜集めて講義のようなことをしていたことと、何か関係があるのかもしれなかった。

 (いずれにせよ……)

 シュナイダーは上官をサポートしつつ、どうしてもあることについて思案をめぐらせざるを得なかった。エーベンシュタインが「条件」を整えてくれているというのに、総司令官はあまり喜んでいないという事実だ。

 (それが何なのか、どうしてもわからない)

 ふと、オペレーターが戦況の変化を報告した。

 「味方の右翼部隊が突出します」

 ケンプ艦隊の見え透いた誘いに引きずられてしまっていた。メルカッツは灰色の眉を片方だけへの字に曲げ、すばやく直属のオペレーターに指示した。

 「フレーゲル男爵に緊急伝を打て。敵の挑発に乗らず、速やかに後退し陣形を乱すなと」

 さらにメルカッツは付け加えた。

 「最後にはこう打ってもらおう。ブラウンシュヴァイク公からお預かりした総旗艦を砲火に(さら)すおつもりかと」

 指示は迅速に実行され、5分も経たないうちにフレーゲル男爵の部隊は後退を開始した。それに呼応するように帝国軍も追撃する形で左翼が突出したものの、メルカッツは素早く本体を前進させて敵の前面に砲火を集中し、その進軍を鈍らせて味方の後退を支援した。

 「閣下、男爵の部隊は無事に後退できたようです」

 「そうか。彼の副官が強く言ってくれたのかもしれんな」

 メルカッツは安堵の表情を浮かべ、シュナイダーは内心で怒り心頭だった。なぜなら、つい一時間前にも同じような事態になり、ファーレンハイト提督の支援で収拾するこができたにも関わらず、ブラウンシュヴァイク公の甥はまたしても相手の挑発に乗って自分勝手な行動をとり、危うく全体のバランスを崩してしまうところだったのだ。

 (とことん学習しないお人だな。帝国軍を引き付けるためとはいえ、なんとも難儀なことだ)
 
  敵は64000隻あまり、味方は58000隻だ。数だけで比較すればほぼ互角。悪い条件ではないと思いたいところだろうが……

 シュナイダーは嘆息してしまう。中身に大きな差があるのだ。いや、これでフレーゲル男爵の代わりにエーベンシュタインという陣容であったならば、ラインハルト・フォン・ローエングラム候が指揮する艦隊と互角以上の、軍人にとってはこれ以上ないくらいの舞台の上で戦いができたかもしれなかった。

 対して帝国軍は、ローエングラム候を筆頭に金銀妖瞳のロイエンタール提督、芸術提督ことメックリンガー提督、もと撃墜王のケンプ提督、猛将として名高いビッテンフェルト提督という名声には事欠かない分厚い陣容だ。

 「この私が叔父上に代わって必ずや成り上がりの不逞な平民どもの軍隊を打ち破って御覧にいれましょうぞ!」

 などとフレーゲル男爵は出撃前に大言壮語していた。

 (指揮をとるのは貴方ではないのだが……)

 陣容のぶ厚い帝国軍を「蹴散らす」か「撤退に追い込む」のは男爵を謙遜させる以上に困難を極めることだろう。

 (しかし……)

 シュナイダーは帝国軍の布陣データーをみた。メルカッツは「帝国軍は積極的に攻めてはこないだろう」と副官に説明していた。確かにその通りで、ロイエンタールやケンプ提督を前線に投入しているにも関わらず、戦線を拡大するどころか陣形を常に保ったいわゆる「静の態勢」のまま攻撃は消極的ですらある。その気になれば、こちらにとっての弱点であるフレーゲル男爵の指揮する艦隊に猛攻を加え、右翼を切り崩すという姿勢がまず見られなかった。もちろん、メルカッツの反撃を警戒しているのだろうが……

 そう、今の状況は完全に作り出された「膠着状態」だった。ありえない……

 こうなるとエーベンシュタインが出撃前に言っていたことが全てとなる。

 が、それがどういったことに繋がるのか、シュナイダーも作戦の全容を掴んでいるわけではなかった。

 ──5月11日17時50分──

 6時間半あまりに及んだ戦闘は、帝国軍の後退によって一旦幕を下ろした。メルカッツはフレーゲル男爵の追撃論を退け、貴族連合軍側も艦隊の再編および補給のために一時戦場から後退した。






V

 ──翌5月12日、7時20分──

 再び両軍は砲火を交える。仕掛けたのは貴族連合軍側だった。

 「ファイエル!」

 ファーレンハイト艦隊から放たれた中性子ビームの光条が対峙するメックリンガー艦隊に吸い込まれていく。ほとんど同時に彼の艦隊にも帝国軍の砲火が及んだ。

 「砲火を集中せよ。向こうが積極的に動かないならば逆にチャンスだ。面倒だが防御線を一つずつ削り取ってやれ」

 火力の集中によって敵の反撃を牽制し、敵が後退したらもって追撃して敵陣に切り込み、近接戦闘に移行して陣形を崩そうというのだ。

 メックリンガー艦隊はたまらず後退した。その時期を予見しつつ、追撃を命じるファーレンハイトの戦術眼はさすがと評するに絶妙であった。

 もし彼の指揮する艦隊全てが古参(・・・・・)であったならば、あるいは帝国軍の一角を完全に突き崩し、この会戦における状況を一変させたかもしれなかった。

 「くっ! 味方がついてこれないだと!?」

 ファーレンハイトは思わず床を蹴り上げた。

 陣形が乱れてしまったのだ。堅牢な帝国軍を崩すには組織的な攻勢が欠かせない。ファーレンハイトの麾下は通常よりも6000隻ほど多くなっていた。その戦力は当然別に編成されて割り当てられたものであり、貴族の子弟が指揮を執っていた。

 そのためか、一斉に突撃する際にその一角だけ足並みが揃わなかった。

 ファーレンハイトはすぐに命令を発した。

 「前衛後退開始! 艦列を崩すな。中央部隊は牽制砲撃を行い、遅れた部隊を支援せよ」

 もしそのままかまわず突撃していれば、メックリンガー艦隊に損害を与えても後方で待ち構えていたケンプ艦隊の重厚な放火の壁に行く手を阻まれ、連動したメックリンガー艦隊と挟撃されていたかもしれない。この動きをファーレンハイトが察知したことも後退に繋がった。

 「どうもしっくりこないものだな……」

 ファーレンハイトはぼやいた。彼が指揮することによって、たとえ貴族の指揮官が混ざっていようとも、彼ら個別とは比較にならないほどの統制と秩序を保って戦闘を行っていた。あるいは、もっと単純な会戦であるならば、多少の脱落と損害を覚悟の上で、そのまま攻勢を強めていたかもしれない。

 (他にやりようがあるんだろうが、今やっていることがベターであるというのが現実か)

 ファーレンハイトには、自分が貧乏くじを引いているという多少の自覚があった。

 (未消化な戦いが多い……)

 ファーレンハイトは、乱れてしまった陣形を立て直すために次々と的確な指示や命令を出す中で、心中では権謀術数の淵に片足を突っ込んでいる自分に舌打ちしていた。

 彼は、補給と部隊再編の合間の作戦会議において「攻勢」を主張した。自分が主張しようとしたことを勇将に真っ先に言われたのが相当意表を突かれたのか、フレーゲル男爵は呆然としていたものだが……

 ファーレンハイトは、この会戦における主旨を理解していたが、かといってただ予定に沿うだけである必要ではなく、ここで予想外の行動をとることで敵に対して意表を突き、全体の状況を有利に運べるかもしれないと意見具申した。

 ──以上を踏まえ、メルカッツは一度だけ攻勢の機会を許可した。

 しかし、結果は前述の通りだった。こちらの機会は相手にとっての機会であることをファーレンハイトは痛感した。メルカッツがあえて許可したのは、より戦局全体におけるこの会戦の主旨をあらためて理解してもらうためだったのかもしれない。無論、フレーゲルに可能でことであるはずがなかった。

 (やれやれ、二人の名将に挟まれての戦いというのは光栄である反面、気分が落ち着かないものだな)

 ファーレンハイトは、ラインハルト・フォン・ローエングラムという天才がこの状況を半分支配していることをあらためて思い知った。彼の攻勢もきっと予想の範囲にあったのだろう。でなければ、急激な攻勢に対処するよう、すぐに支援できる位置にケンプ艦隊を配置できるはずがなかった。

 (もっと純粋に敵将と渡り合いたいものだが……)

 ぼやきばかりのファーレンハイトが陣形を再編した直後、今度はメックリンガー艦隊がやや突出し攻勢を仕掛けてきた。銀髪の司令官はレンテンベルグ攻防で用いた戦艦と高速戦艦を攻勢と防御の有機的な運用で活用し、帝国軍の攻勢を封じ込めて後退させた。

 (もしかしたら向こうも狙っていたのか? 予定といっても隙あらば狙ってくるということか……)

 ファーレンハイトは前線の指揮官タイプの軍人であって、戦局全体を統括する戦略型の軍人ではない。謀将となるとさらに縁がない。

 戦局全体のもう半分の鍵を握るもう一人の謀将エーベンシュタイン上級大将の作戦が良策だと認めていても、その裏に隠された駆け引きの全貌が見えているわけではなかった。

 帝国軍には貴族連合より選択肢がある。膠着させるもあり、予定を変更して目の前の敵を破り、ガイエスブルグ要塞に殺到することも可能なのだ。

 それを仕掛けてこないのは、メルカッツが言っていたように目的が「彼」だからだろう。ラインハルトの基本戦略がたった一人の戦略家によって変更を余儀なくされた証明でもあった────

 ────はずなのだが……






W

 ──10時40分──

 ファーレンハイトを驚かせる事態が発生した。帝国軍が予想に反して攻勢に転じたのだ。ラインハルトを除く四個艦隊が艦列を隙間なく並べて一斉砲撃し、貴族連合軍を圧迫した。

 しかし、メルカッツは慌てなかった。慌てたのはフレーゲル男爵をや貴族の子弟たちだけである。この攻勢を予想していたメルカッツは事前にフレーゲル男爵の部隊を下がらせた上で装甲の厚い戦艦を並べて防御壁を築き、ファーレンハイト艦隊を遊撃の位置に配置して側面攻撃をちらつかせ、帝国軍の足並みを乱すと一斉反撃に転じた。

 メルカッツの布陣は重厚にして隙間がなく、ロイエンタールも「経験の差」という見えざる壁に舌打ちせざるを得なかった。

 「ロイエンタールが臍を噛んでいるだろうな。メルカッツにこれだけの戦力を率いて自由な采配を振るわれてしまうと、予定外の行動でも対処されてしまうか」

 ラインハルトも、素直に敵の宿将に賞賛を送った。本来ならば起こりえなかった会戦である。そのままならば、メルカッツも窮屈な状態で貴族連中に掣肘され、まともに戦うことが出来ずに終わったかもしれなかった。

 それがエーベンシュタインという「調整役」によってメルカッツの振るう采配が拡大したのだろう。

 ──であるからこそ、ラインハルトが仕掛けた重複の罠に対し、一方にこれだけの戦力をまとまって投入できたのだ。

 「オーベルシュタイン、どちらがより狡猾なのだろうな?」

 ラインハルトの皮肉とも悪意ともとれる言葉に、傍らに控える半白髪の総参謀長は何も発しなかった。ただ両眼に埋め込まれた義眼が赤い奇怪な光をわずかに放っただけである。

 2時間あまりの攻防の末、帝国軍も貴族連合軍の堅固な防御陣を崩せず、陣形を再編しつつ後退した。
 
 さらに2時間後。


 ──14時07分──

 「そろそろか?」

 各陣営の総司令官が忠実な副官と義眼の参謀長に尋ねたのはほぼ同時だった。

 その言葉通り、間もなくしてメルカッツとラインハルトに一つ目の報告がもたらされる。帝国軍は複数の星系を制圧するために艦隊を派遣していたが、ケスラー提督の艦隊がマールバッハ星系に侵攻したのだった。

 マールバッハは貴族連合軍の支配星系だった。ガイエスブルグ要塞のあるアルテナ星系とブラウンシュヴァイク公領のほぼ中間に位置し、ヴァルハラに至る最短航路という重要地でもあった。

 その星系を制圧されるということは、公領において帝国軍と対峙する貴族連合軍は拠点への帰路と後方を遮断されたことに等しい。いや、帰還することは可能ではあるが、それは著しく通常航路を外れることを意味していた。

 貴族連合軍の動揺は決して小さくなかった──

 ──はずなのだが……


 「ふう……」

 メルカッツが珍しく疲労を見せたのは、事前に今回の経過を示唆していたにも関わらず、フレーゲル男爵が「確認」という名の「強硬論」を唱えたことだった。その内容も随所に虚勢と負け惜しみが感じられ、単なる不平不満の捌け口に終始していた。

 「男爵には困ったことだが、この作戦を承認した時点で覚悟していただけに我慢のしどころだな」

 「はい。きっとシューマッハ大佐がうまくなだめてくれることでしょう」

 フレーゲル男爵には不相応なほどの有能な側近がついている。その名をレオポルド・シューマッハといい、冷静なビジネスマンを思わせる容姿をした30代の軍人だった。シュナイダーがみるところ、大佐は賎民意識に毒された主と違って公平であり、面倒見もよいのか部下にはかなり慕われている様子だった。平民出身ということもあるのかもしれないが、あの男爵に仕えていて、よく性根が腐らなかったものだとつくづく思っていた。

 このように、貴族連合軍は浮き足立つことなく戦闘を継続。それは、当然ラインハルトにとっても予想された反応だった。

 「フッ、ここからだな」
 
 

 ──15時12分──

 戦況と相手の出方を窺っていたメルカッツがシュナイダーに確認した。

 「次の段階だな」

 「はっ。時間的な経過を考えれば、いつ通信があってもおかしくはないかと」

 「ふむ、そうだな」

 何かを続けて言わんとしたメルカッツは口を閉じ、メインスクリーンに視線を戻した。シュナイダーは上官が言おうとしていたことを承知していたが、彼も何も言わず黙々と補佐に徹した。

 二人の会話からおよそ20分後、急報が双方の陣営を駆け抜ける。マールバッハ星系奪還のため、帝国軍の動きを察知してガイエスブルグ要塞から出撃していた6万隻あまりの艦隊と帝国軍が激突したのだった。

 ラインハルトもメルカッツも一切目の色を変えなかった。金髪の元帥は微笑し、宿将は無表情だった。

 マールバッハ奪還に動いた貴族連合軍の陣容はリッテンハイム候とエーベンシュタイン上級大将。ケスラー提督は応戦したものの、数に勝る貴族連合軍の攻勢によって敗退。連合側はそのままの勢いを駆ってヴァルハラ星系になだれ込むかに見えた。
 



 ──宇宙暦797年、帝国暦488年5月12日17時03分──

 ラインハルトの言う「残り半分を支配する男」エーベンシュタイン上級大将率いる貴族連合軍は、マールバッハに進軍し、ケスラー提督率いる帝国軍を敗退に追い込む。

 しかし、この一連の戦闘における結末は双方にとって意外な形で幕を閉じることになる。

 ラインハルトは未だエーベンシュタインの「真の目的」を誤解したままであり、エーベンシュタインもまた、ラインハルトの大胆な作戦構想を読みきることが出来ず、思わぬ誤算を被ることになるのだった。





 ……TO BE CONTINUED

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 あとがき

 脳内CPUがキッツイらしい空乃涼ですw (わりと気に入ったw)

 第十五章(前編)でした。予定では帝国編三部作です。

 消滅したプロットより、多少複雑になっているかもしれません。今回の会戦自体、意表をつけたのではないか? と思っています。

 このあたりで原作からはちょこっと剥離ってやつです。どうなるのかは次回以降ということで。Fさんの突っ込みがこわいなw

 この小説を書いている間に、メルカッツ役や銭形警部役でおなじみだった納谷悟朗さんが3月5日にお亡くなりになりました。まさに渋いおっさん役をやらせたら右に出るものはいない、と勝手に思っていたほどの業界の重鎮でした。舞台俳優としてのポリシーをもって声優業にも励んでいたご様子。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

 本編でのメルカッツ提督の旅はまだまだ続きます。

 2013年3月22月 ──涼──

 誤字脱字、指摘を頂いた部分を修正しました。
 2013年4月24 ──涼──

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