ミドラル星系で忍耐の限界に挑んでいたミスマル艦隊の努力が報われる日がついにやってきた。

 救国軍事会議の全面降伏からおよそ三時間後、首都星より全同盟領に向けて発信された通信文を受け取ったのは、当直で通信士を兼任していた妖艶なる操舵士ハルカ・ミナトであった。

 「ねえ提督、ハイネセンから通信文が届いたわよ。15分後に指定の回線に合わせてほしいってさ」

 この時、ユリカは司令官席に座ったまま呑気にあくびをしていた。

 「……すみません。えーと、誰からになってます?」

 「えっとね……なんとトリューニヒトからよ!」

 「えええっ!」

 ユリカは一気に目を覚まし、元首の署名によるこのタイミングでの発信の意味を瞬時に理解した。

 「来た来た来た、ついにキターーーー! ミナトさん、ディオメデスに至急回線を繋げてください」

 「はいはーい」

 と同時にユリカはルリとも連絡をとって艦橋に戻って来るように伝達する。その間にディオメデスとの回線がつながった。映っていたのは偉丈夫の提督と「薔薇の騎士連隊(ローゼン・リッター)」の隊長であった。

 「お二人とも急な通信ごめんなさい。つい先ほどハイネセンから全同盟領にむけて最高評議会議長名義の通信がありました」

 カールセン提督とシェーンコップは、すぐにその意味を理解したようだった。

 『ついに終わったという事ですな』

 カールセンの言葉にうなづきつつも、ユリカの発言は慎重だった。

 「まず、間違いはないかと思います。そのうえでシェーンコップ准将にはすぐに例の準備をこれから15分の間に整えてください」

 ちょうどルリが艦橋に戻って来た。ユリカはルリと一瞬だけ視線を交わしただけであったが、二人にはそれで十分だった。少女はすぐにIFSシートに身体を沈め、凄まじい速さで準備を開始した。

 『しかし、本当にこちらの予想通りになりますかね?』

 シェーンコップは半信半疑のまま言ったのだが、ユリカが断言したので、彼は準備のために敬礼を一つして通信画面から消えた。

 「ではカールセン提督もよろしくお願いします」

 通信が終了すると、美人提督は張り切って艦橋に集った仲間に言った。

 「さあ、トリューニヒト議長が演説をしている間が勝負です。みなさん、気合を入れていきましょう!」



 ――30分後――

 同盟元首による救国軍事会議の全面降伏と非常事態宣言の終結が発表されたが安堵したのもつかの間、むしろユリカたちは直後のルグランジュ中将からの通信のほうに緊張感が高まった。

 『我々の敗北を認める』

 その後のルグランジュ中将の行動に艦橋で見守る全員が表情を強張らせたことだろう。ブラスターを握っていた中将の右手が側頭部に運ばれ……

 直後にルグランジュ中将は画面の外側に消えたが、悲鳴よりも安堵した者が大半であった。

 なぜなら、

 『ま、こんなところでしょうね』

 煙も出ない銃口に息を吹きかけ、通信画面に現れたのはワルター・フォン・シェーンコップだった。その深い彫のある表情には一片の焦りや戸惑いはない。

 「あのう、もしかしてギリギリでした?」

 ユリカが率直に疑問をぶつけたら、

 『刹那の合間に冷静にブラスターを撃ちぬいた小官の腕を褒めていただきたいですな』

 と当然のように返されてしまった。

 ユリカが最大限の賛辞を送って満足したのかシェーンコップが画面から消えると、しばらくして現れたのは手錠をされたルグランジュ中将だった。右の頬あたりに傷があるのは、シェーンコップに自らのブラスターを撃ち落とされた時にかすめてできたものだ。

 『貴女は、小官に汚辱と屈辱にまみれよ、とおっしゃるか?』

 ユリカは、ルグランジュ中将の恨み節に近い言葉と鋭い眼光にもひるむ様子を一切見せなかった。

 「私たちが勝ちました(・・・・・・・・・)。勝者の側の裁きに従っていただきます。中将個人の責任の取り方には興味がありません」

 とピシャリと言い放った。ルグランジュ中将は何か言いかけたが、視線を一瞬だけ逸らせたのち、観念したのか「わかった」とだけ言って引き下がった。 

 シェーンコップが再び画面に現れた。連行されていくであろう中将を横目で見送ってから、同盟軍史上最年少にして初の女性艦隊司令官に言った。

 『これでようやく、こちらの全てにも決着が着きましたな』

 「はい。准将には本当に感謝いたします。ありがとうございました」

 『いえいえ、提督の読みが当たったからこそ人が死なずに済んだ。小官はそのお手伝いができて光栄です』

 「准将でなければ成し遂げられませんでした」

 『ええ、そうでしょうとも、そうでしょうとも……それで、パーティーは開くんですかね? もしそうなら小官もぜひ参加したのですが』

 ほんの一瞬だけ迷ってしまったユリカだったが、ルリも頷いていたので歓迎することにした。

 「予定通り19時からルリちゃんの誕生日会を行います。それまでに準備していてくださいね」

 『では早速』

 シェーンコップは、ヤンに対する倍以上の丁寧さで一礼したのだった。
 
 





闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第二十一章(第二部最終章)

『それぞれの未来を見つめて』







T
―― 帝国歴488年8月下旬――

 ラインハルト・フォン・ローエングラムは爵位を公爵に進め、宇宙艦隊司令長官の座はそのままに銀河帝国宰相の地位に就き、帝国にて軍事・政治中枢の独裁体制を確立した。

 ラインハルトの政敵だったリヒテンラーデ公は自殺。その一族郎党はことごとく捕らえられて財産を没収され、女子供は辺境に流刑、15歳以上の男子はすべて処刑された。ガイエの間における事件から数日後に主だった提督たちが高速部隊を率いてオーディンに向かったのは、リヒテンラーデ公とその一族を逮捕または拘禁するためだった。

 それらは全て総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタインの策略であった。ガイエの間におけるオフレッサーらの襲撃を陰謀の十も企てているであろう帝国宰相を主謀者として罪を着せ、危機を逆用して潜在的な敵を一掃してしまおうという、恐ろしい策謀だった。

 このような経緯を経て、新たなる体制と正式な戦勝式は始まった。式典中、幼帝の隣に立つラインハルトに忠誠の視線が集中したことは言うまでもない。

 そして、彼を仰ぐ有力な提督たちの列に二階級特進を果たしたベルトマン大将の姿がある。キルヒアイスは長期の戦線離脱を余儀なくされ、ケンプとシュタインメッツという優秀な提督を失った人材的な損失を埋める必要性があった。

 その意味ではキルヒアイスが評価していた通り、ラインハルトがベルトマンを提督の列に加えるのは必然であった。そもそもベルトマンは貴族連合軍の副盟主であるリッテンハイム候を討ち取っているのである。その他の会戦による戦功と襲撃による判断力も評価に値した。

 ラインハルトは、故人となったケンプとシュタインメッツを上級大将に、生者ではミッターマイヤーとロイエンタール、オーベルシュタインの三名を上級大将に昇進させたが、ベルトマンも一気に上級大将に昇進させようと考えていた。二階級特進だけでは彼の功績に対して不十分だとラインハルトは感じていたのだ。

 しかし、これはオーベルシュタインの反対にあった。ラインハルトが個人的な感情をもとにベルトマンをナンバー2に押し上げようとしている、と。

 ラインハルトは意識はしていなかったが、オーベルシュタインの意見をそのまま受け容れる気もなかった。

 式典の七日前、ラインハルトはベルトマンを執務室に呼び、上級大将への昇進について彼の意志表示を異例ながら確認することとした。

 結果的にベルトマンは上級大将への昇進を固辞した。

 「小官は上級大将にふさわしい戦功も功績もまだ立てたわけではありません。恐れ多いことです」

 「卿は、ミュラーと同じことを言うのだな」

 ラインハルトは残念には思ったものの、上級大将への件は当初の通り本人の意思を尊重して取り下げた。が、彼のベルトマンへの感謝は昇進の話だけでは終わらなかった。

 「昇進を断ったからとは言わぬが、その代わりとなる卿が望むことがあればできる限り対応するが何かあるか?」

 ベルトマンの反応は意外にも早かった。

 「では、僭越ではありますが一つあります」

 「ほう、それは良かった。遠慮なく言ってほしい」

 それは、エーベンシュタインの側近だったマルミス提督とイェーガー大佐を自分の幕僚に加えることだった。

 「卿は正式な艦隊司令官となったから幕僚の人事権は司令官にある。卿には何か考えがあるのだろうからその件は特にかまわないが、いいのか?」

 「もちろん、すぐにとはいきません」

 「いや、二人は承諾しているのか?」

 「はい」、という返答が帰って来た時、ラインハルトは意外な表情をした。

 「彼らには何か別の意図があるのか?」

 ラインハルトが心配したのも無理もない。

 「率直に申し上げますと、エーベンシュタイン閣下の遺言だそうです」

 「ほう、それは異なことだが、すでに根まわしをしていたのか……戦場外で思わぬ敗北をした気分だ」

 ここでベルトマンは、ラインハルト以外に誰もいないことを機会ととらえ、ある重大な案件をついにラインハルトに明かした。

 「実は、この場をお借りして思い切って閣下にお話をしたいことがございます。まずはこれをご覧ください」

 ベルトマンがうやうやしく差し出したのは、マルミス提督から借り受けた例のペンダントだった。ラインハルトに中身を見るように促す。

 「これは誰かのご家族か?」

 「はい。マルミス提督の亡くなられた奥方とご息女の写真です」

 ベルトマンの次の言葉がラインハルトの蒼氷色(アイスブルー)の瞳の奥に小さくない雷鳴を轟かせた。

 「右側のマルミス提督のご息女は、私やキルヒアイス提督が捕虜交換式で会ったミスマル・ユリカ提督とうり二つなのです。そして不思議なことにご息女は小官がナデシコと遭遇した時を前後して亡くなっています」

 「……なに?」

 ラインハルトは思わず写真を何度も見返してしまう。

 「それはどういう事だ?」

 「正直なところ、まだわかりません」

 と素直に答えてベルトマンはエーベンシュタインの元部下が自分の配下に加わる動機をラインハルトに説明した。

 「実に奇妙な話だな」

 「ええ、ですが彼らは小官らがエーベンシュタイン上級大将を通して垣間見たナデシコへの既視感について何かを知っていると思われます。もしそうでなくてもそれらに迫る欠片を提供してくれるはずです」

 そうか、と言ってラインハルトは一瞬だけ迷った末に、彼自身が盟友ジークフリード・キルヒアイスとともに抱いていた途方もない疑問の一端をベルトマンに 告白した。

 「このような非常識なことは私もにわかには信じていはいないのだが……やはりナデシコという存在は過去がらみなのか?」

 その曖昧な質問にベルトマンは必ずしも明確に同意しなかった。

 「これはかなり意表を突かれた。卿ほどナデシコに直接かかわった人物も少ないだろうに、それを肯定できない――当然ではあるが保留とする理由があるなら卿の意見を聞きたいが?」

 ベルトマンの声量は、ラインハルトの他には人がいないはずなのに小さくなった。

 「過去……と言うのは間違ってはいないと思われますが」

 矛盾していた。次のベルトマンの言葉にラインハルはこの謎が決して容易ではないと悟らざるを得なかった。

 「過去ばかりではなく、もっと次元レベルかもしれません」

 ラインハルトは、戦場でも見せたことがないくらい肩で息をした。

 「どうも私の理解できる範囲を逸脱しているな」

 やや苦笑を禁じえずラインハルトは言ったが、一転してベルトマンに向けられた蒼氷色(アイスブルー)の瞳は笑ってはいなかった。

 「卿は、あのオーベルシュタインはどこまで知っている……いや、迫っていると思うか?」

 謎を持ち出した段階でこの質問が出てくるであろうことはベルトマンは予測していた。予測した上で、ラインハルトがオーベルシュタインの動向を把握していることに感心した。
 
 感心しつつ、ベルトマンが答えたのはあくまでも個人の推測の範囲だった。

 「正直なところ総参謀長殿がどこまで謎に迫っているか小官にもわかりかねます。ですが相転移砲についていち早く言及された事実から、他の誰よりも探求していると思われます」

 「そうか、さすがは自分には秘密主義な男だけはあるな。私の知識は卿と違ってキルヒアイス提督からの受け売りでしかない。今後の調査はよりいっそう困難が増していくだろう。その意味でも卿のほうが適任だ」

 ラインハルトは、キルヒアイスが秘密裏に行っていたナデシコの調査を正式にベルトマンに引き継ぐことを決定し、赤毛の提督が同盟に派遣している調査員の指揮を執るように要請した。

 「直接は危険だ。指令はフェザーンの協力者を介して行ってくれ。連絡方法については後でフロイラインマリーンドルフに持たせよう」

 ヒルダは、この時点ですでにラインハルトの秘書官に任命されていたが、式典の準備でこの時は不在であった。

 ベルトマンがかしこまって言った。

 「それと閣下、もう一つお耳に入れておきたいことがあります」

 「そうか、聞こう」

 その内容を聞いた若すぎる帝国宰相は、意外そうな反応をした。

 「間違いないか?」

 「はっ、二人の証言と、その一端をすでに掴んでおります」

 「なるほど、卿はやはり優秀だ」

 「恐れ入ります」

 「この話はここまでだ。卿の今後の活躍に大いに期待している」

 「ありがとうございます。地位に相応しい働きができよう身命を賭して閣下に忠誠を尽くす所存です」

 ベルトマンは深々と一礼し、執務室を後にしたのだった。

 





U
 ヤン艦隊とミスマル艦隊が合流を果たしたのは、宇宙暦797年の7月も中旬を過ぎた頃であった。両艦隊ともすぐに首都星ハイネセンに凱旋とはならなかった。

 バーラト星系の外縁に到達したあたりでヤンは救国軍事会議の敗北とそれに関係したウランフ提督からの通信を受け取った。

 『いろいろとご苦労だったなヤン・ウェンリー』

 「ウランフ提督こそ大変でしたでしょうに」

 『ふうむ、そうでもないが、そうでもあるな』

 ウランフは現在、トリューニヒトから統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官の代行を命じられているという。続けて、ビュコック提督を始めとする軟禁状態だった人々が無事に解放されたことをヤンに伝えた。

 「ビュコック提督のお身体の方は?」

 『念のため検査入院を受けていただいている。ご本人は体重が増えたことを嘆いていた以外はいたってお元気だ』

 「それはよかった」

 他の有力な提督たちも体調には問題がないとのことだった。

 そして、急にウランフの表情が落ち込んだ。勇将の口からグリーンヒル大将の死が伝えられたのである。

 『すまん、撃ち合いになってしまった。グリーンヒル大将はわざと射線を外してくれたようだが、私は余裕がなくて撃ってしまった』

 ヤンが真っ先に気にしたのは副官の様子だった。案の定、グリーンヒル大尉は肩を震わせて今にも崩れ落ちそうになっていた。

 『そこにグリーンヒル大将のご息女はおられるか? もしいるなら一言でも謝罪したい』
 
 ヤンは無言で首を左右に振るのが精いっぱいだった。ウランフはその意味を悟ったが所在なさげに「そうか」とだけ言った。

 会話の合間にグリーンヒル大尉が艦橋を退出すると、ヤンはこれからの行動についてウランフに説明した。

 「我々はこのままネプティスまで進み、現地の武装解除と治安の回復に協力した後にハイネセンに戻ろうと思っています」

 『そういえば貴官は本部長とビュコック提督から裁量を任されていたんだったな。ご苦労なことで申し訳ないが貴官に頼むとしよう。もう少ししたらお二人も職務に復帰される。このことは伝えておこう』

 「お手数をおかけします」

 『なに、貴官やミスマル提督の苦労に比べれば小官などはたいしたことはしていない』

 「私も実はミスマル提督のおかげで大したことはしていないのです」

 『謙遜がすぎるなヤン・ウェンリー』

 「お互い様ですよ」

 笑と共に、ようやく穏やかな空気が流れ、そのままミスマル艦隊の話になった。

 『そうか、第11艦隊を……大したものだ』

 「つい20分前に通信が入りまして、第11艦隊の残存兵力とルグランジュ中将が全面降伏したそうです」

 『無駄な血が流れずに済んだ、という事だな』

 「ええ本当に」

 ヤンは心から言った。実際、自分の艦隊だけで対処しなければならなかったとしたら、最悪、第11艦隊を殲滅しなければならなくなっていたかもしれないのだ。その一点だけにおいてもヤンはユリカに感謝するしかなかった。

 『ミスマル艦隊と第11艦隊に関してはこちらで対応しよう。ヤン提督はネプティスの件をくれぐれも頼む。それでは近いうちにハイネセンで会おうとしよう……おっと、それから……』

 ウランフの去り際の一言は、ジェシカ・エドワーズの無事を伝えるものだった。ヤンは心から安堵して急に力が抜けた。

 「ふう、兎にも角にもこれで終わったな」

 とは言え、保護者の機嫌がやや悪いことに傍らのユリアンは気が付いた。

 「てーとく、何か腹ただしいことでも?」

 「言っておくが、ジェシカの件じゃないぞ」

 「別にそんなことはわかっていますけど……」

 ヤンは、シートにもたれかかってベレー帽を深くかぶった。もう少し艦隊を近づければ見えたかもしれない12個の軍事衛星アルテミスの首飾り。

 ヤン個人としては軍事的ハードウェアに平和維持を頼るのは政治的、外交的な努力を怠ることと考えていたから、この内戦のどさくさに紛れて12個すべてを破壊してしまおうという作戦まで練っていたのだった。

 その企みは皮肉にもウランフ提督の活躍によって(つい)えたわけである。「奇蹟のヤン」が達成できなかった軍事目標の一つとなった。

 ヤンは、ユリアンに紅茶を依頼してから呟いた。

 「もしハイネセンに着いて私がまだ覚えていたら不機嫌な理由をユリアンに話すよ」

 きっと覚えていないな、とユリアンは肩をすくめ、尊敬してやまない保護者のために紅茶を淹れるべく給水エリアに向かって踵を返したのだった。 
 






V
 グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼが、未だ意識の戻らぬジークフリード・キルヒアイスを乗せた医療用カプセルケースとともにシュワルツェンの館を離れたのは、暑い夏の日差しがようやく一段落した9月中旬の事だった。

 「どうかお身体を大切になさってください」

 「ありがとう、ヒルダさん。弟によろしくお伝えください」

 「はい、必ずお伝えします。くれぐれもご無理はなさらないように」

 「ええ、わかっています。お気遣い感謝いたします」

 お互いに会釈した後にアンネローゼは傍らにあるカプセルの中で眠り続ける赤毛の青年に優しく語りかけた。

 「さあジーク参りましょうね。新しい住まいはよく三人で休暇を過ごしたフロイデンの山荘よ」

 こうしてアンネローゼは、古くからの従者を伴って帝都から姿を消した。

 ラインハルトは立ち会わず、姉も弟の見送りに一切言及しなかった。
 
 

 「姉上、キルヒアイスの事、どうぞよろしくお願いいたします」

 ラインハルトは執務室から遠く離れた山荘の方向に向かって姉を送り出した。さわやかな風に恵まれたその日、若すぎる宰相は窓辺で決意を新たにしていたのである。

 (キルヒアイス、お前はきっといつか目覚める。お前が見ざめたとき、俺は誓約に恥じないものを手に入れたことを伝えるだろう。たとえヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカが立ちはだかろうとも必ず)

 残暑は過ぎ、この日以降、帝都は秋の気配が徐々に近づく。9月は好天に恵まれたまま、カレンダーの月を変えようとしていた。
 
 


■■■

 眠りにつく者もいれば目覚める者も存在する。帝都より遠く離れた地球教の本部では一つの悪夢的な騒動が勃発していた。

 地球教の先導者たる総大主教がたたずむ広間に、フードのついた黒い長衣をまとった数人の幹部たちが次々に集った。

 「恐れながら総大主教猊下」

 幹部の一人、デグスビィという男が憤りの感情をかろうじて押し殺して目の前に君臨する総大主教に訴えた。

 「猊下、きゃつめは直ちに処罰すべきです。あの男は非常に危険な存在です」

 デグスビィの訴えに他の幹部も同調した。彼らの御前で顔色も窺い知れないくらいにフードを深くかぶった人物は、数秒間幹部たちを見渡したのち、急に手にしていた杖で軽く床を叩いて甲高い音を発生させた。

 「皆の者」

 しゃがれていたが威厳漂う声にかしずいていた幹部たちはよりいっそう深く頭を下げた。

 「皆のもの。汝らの懸念はよくわかる。だが、あの男の力は地球の主権を取り戻すためには必要不可欠なのだ。許せとは言わぬ。しかし結果を見てから判断してもらおう」

 すると先頭でかしずいていたド・ヴェリエという幹部の一人がゆっくりと顔を上げた。

 「総大主教猊下に御不興を被る覚悟で申し上げます。私は承諾いたしかねます。あの男によって多くの信徒が死にました。きゃつの目は狂っております。とうてい我々がどうにかできるとは思えません。猊下には再考をお願い申し上げたい」

 返答は、よりいっそう強く床を杖で叩く音だった。幹部たちは誰もが肩を震わせた。

 「あ奴はまだ何も知らぬのだ。あの男の説得は余が行う。目が覚め次第余を呼べ」

 「それはあまりにも危険でございます」

 「ド・ヴェリエよ、二度は言わぬ。余に任せてもらおう。他の者もよいな」

 そう言い残し総大主教は広間の奥に消えていった。後に残された幹部たちは仕方なく広間を揃って立ち去ったが、途中の会話は誰もが不安視するものばかりであった。

 二日前、地球の地下にある地球教の本部は一つの人災に見舞われた。すべては二年前に遡る。突如として現れた装甲をまとった瀕死の重傷者だった男を保護し てからだ。

 いや、正確には総大主教が男の出現を預言したと言ってもいいだろう。男は腹部に大けがを負っていたが、先進的な治療のおかげで一命はとりとめた。とりとめはしたものの、今の今までずっと昏睡状態のままだったのだ。

 その男が急に目覚めた。医師を殺して逃亡したのだ。男は二年近くもベッドで寝た切りになっていたとは想像できない凶暴さで次々と警護の信徒を殺害。幸いにもまだ体力が完全ではなく、建物の内部に疎かったために電磁警棒を使って狭い部屋に追い込み、50人がかりでようやく拘束することに成功したのだった。

 今、男は鉄格子の部屋に麻酔を打たれた状態でベットに拘束され、厳重な監視下にあった。

 ド・ヴェリエは、薄暗い廊下を進みながら考える。

 (一体、総大主教猊下が得体のしれない殺人鬼にこだわる理由は何なのだ?)

 その答えは、当然出るわけがなかった。
 
 
 
 



W
 ――フェザーン自治領――

 自治領主の執務室からフェザーン商人ボリス・コーネフの退室を確認したニコラス・ボルテックは、主たるアドリアン・ルビンスキーに再び向き直った。

 「閣下、あれでよろしかったのですか?」

  首席補佐官の問いに「フェザーンの黒狐」と呼ばれる男は軽快に薄く笑った。

 「同盟はしばらくはあれでいい。スパイと言う事でもよかったが、本人が戦艦ナデシコの元乗員と取引があると言うなら、そちらを優先すべきだろうからな」

 「アカツキ・ナガレ。22歳で今や同盟トップの軍需産業会社の社長ですからな」

 「我々にとってもいまだナデシコは謎が多い。それと深く関わりのある男の動向を探ることは非常に価値がある」

 「加えて、トリューニヒトの軍事顧問と言う肩書もできすぎですな」

 補佐官が言うと、ルビンスキーの眼光がいく分鋭いものに変化した。

 「アカツキ・ナガレという若造がトリューニヒトの政策決定に少なからず関わっているのは確かだ。最近では例の輩と距離を置き始めているという。しばらくは観察が必要だ。その他はあちらが対処すると言うからお手並みを拝見しようではないか。問題は金髪の孺子が独裁体制を敷いた帝国のほうだ」

 と言ってから、ルビンスキーはボルテックに要請した。

 「そこでだ。君には高等弁務官として帝国に赴任してほしい」

 一瞬だけ口を開けてしまったボルテックではあったが、ローエングラム体制下の動向を探るうえで重要な任務に自分が選出されたことは十分に理解した。

 「ですが補佐官職はいかがなさるのですか?」

 「その件だが君に紹介しよう」

 と言ってルビンスキーが呼んだのは乾いた雰囲気を漂わせ、細身の顔立ちをしたルパート・ケッセルリンクという若者だった。

 「彼が補佐官職を引き継ぐ。継続中の案件があれば期限までに引継ぎを済ませてほしい」

 「はあ……」

 胸中では「まさかこんな若造が!」と驚いていたボルテックだったが、彼はその偏見をすぐに捨てた。ただ若いと言うだけで「フェザーンの黒狐」が選ぶわけがない。この一見落ち着き払った表情の奥にかなりの実力を隠し持っているのだろうと。

 「なるほど、若いことは意欲がみなぎっていてよいことだ。よろしく、ルパート・ケッセルリンク」

 ボルテックは形式的とは言え、先輩として笑顔で握手を求めたのだが、その反応は想定していたよりも友好的とは言い難かった。

 それよりも長年、ルビンスキーに使えていたから感じたことがあった。

  (どうやら、なにか野心を秘めているな)

 冷めた握手が交わされた瞬間であった。
 
 

■■■


 「それでは間違いなかったのだな」

 「ええ、DNAは96.5パーセントの一致で二人は親子であることが証明されました」

 「ふむ。これで下地は整ったと言うべきであろうか?」

 「これから先のほうが大変ですよ」

 「ふふふ、相手はフェザーンの黒狐じゃ、打てる手は打ってしかるべきであろう」

 シャネッケを口に頬張りながら金髪碧眼の少女は満足そうに笑みを浮かべた。

 この時点では、マルガレータ・フォン・ヘルクスマイヤーは少女が憧れた赤毛の若者が重篤に陥っていたことは知らないでいる。

 マルガレータと少女を補佐する形のベンドリングが成そうとしていることはランハルト・フォン・ローエングラムの覇権獲得に協力し、停滞しきった古い体制を刷新することにあった。

 二人の共通する体験がある。5年前の事件によって門閥貴族とゴールデンバウム王朝に対する決定的な失望だった。

 そして、二人が刷新しようとしているのが交易国家フェザーン自治領である。フェザーンは基本的には帝国領だが内政自治と自由な経済活動が認められ、実質的に第三勢力と成りおおせていた。表の顔は経済をまわす中立的な立場だが、その裏の顔には様々な陰謀とグレーな取引という影の一面も併せ持っていた。

 例えば、二人がフェザーンに亡命した当初は微塵も気が付かなかったが、その背後に得体のしれな不気味な勢力が暗躍していることを彼らは最近知った。それが現フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーよりずっと以前の領主から関係が続いていたとしたら?

 ローエングラム王朝を誕生させるにはルビンスキーとフェザーン、得体の知れない勢力はその脅威となるのではないか?

 その対策の過程できわめて偶然ながら浮かび上がったのがルパート・ケッセルリンクの存在だった。調査の結果、彼の母親が一時期ルビンスキーの情婦であったことが判明した。ただ、それだけでは確信不足なので、本物の親子かどうか確かめる必要性に迫られた。意外にもケッセルリンクは大学卒業後に自治領府の下級役人として働いていた。

 フェザーンは交易国家であり、その中には多くの商人の他に株主や企業の重鎮も多く集まる。最低でも月一回の会合も開かれるわけで、その運営に関わっている役人のリストにケッセルリンクの名前があった。マルガレータは髪の毛の一本でも回収するため、ここ3か月の間に何名かの「刺客」を派遣したのだが、なかなかケッセルリンクは隙を見せようとはせず、回収は困難を極めつつあった。

 作戦会議が何度か開かれた末、マルガレータは伝統的な手段を使った。もと貴族の伯爵令嬢による「足元を滑らせて助けてもらうどさくさに髪の毛の1本くらい頂戴しましょう作戦」である。

 作戦は見事に成功した。マルガレータの演技もさることながら、ごく自然に状況を誘導したベンドリングたちの努力の結果……かと思ったら、

 「あれは本当に転んだ。ケッセルリンクとやらが淑女に対して紳士でなかったら台無しじゃった」

 と素直に白状している。その効果か、髪の毛ならず彼のハンカチまで回収できてしまったのだった。

 たぶん、怪しまれてはいない。が、もしそうだとしても最初の接触としては十分な成果だった。

 「あの青年、生い立ちを追っていくと、おそらく私たちと同じでしょうね」

 「ふむ、ならば正式に一度会ってみようかのう」

 その10日後、ルパート・ケッセルリンクが自治領主の補佐官に就任することを二人は知ることになるのだった。
 






X
 ヤン艦隊とミスマル艦隊は合流の後、主な幕僚をそれぞれ従えて首都ハイネセンの地に降り立った。まだ山のように残る事後処理を手伝うためだっ た。

 しかし、最初にヤンとユリカを乗せた地上車が訪れることになったのは、まさかの議長公邸だった。

 「やあ、二人ともご苦労だったね」

 完璧な笑顔の統制で現れたトリューニヒトを見て、ヤンはつい回れ右をしてしまうところだった。議長が握手を求めると、どこからともなく現れたマスコミたちが一斉にフラッシュを浴びせ、ヤンとユリカの精神を心から疲弊させた。

 「イゼルローンの二人の英雄に心からの拍手を!」

 トリューニヒトが声高に言うと、集まっていた報道機関の関係者や議員たちから大げさすぎるほどの拍手が上がった。ヤンとユリカは作り笑いが精いっぱいだった。このまま引きづりまわされるのかとげんなりしてしまったが、予想に反して拘束状態にはならず、二人は短時間で解放された。

 「トリューニヒトにしては珍しい。槍が降るかな?」

 ヤンの疑問に答えたのはユリカだった。

 「たぶんアカツキさんです。報道関係者の後ろに彼がいました」

 実は、アカツキはユリカと視線を合わせたときに投げキッスをしていたのだ。

 「えーと、エリオル社の社長になってたっけ?」

 ヤンは、アスターテ慰霊祭中に会っているはずである。

 「ええ、議長が私たちと握手をする前に何か耳打ちをしていました」

 ヤンはまったく周囲に気を遣っていなかった。上官として恥じ入るばかりだが、トリューニヒトの顔をみただけでげんなりしてしまって気持ちが高ぶって冷静になれなかったのだ。

 (まあ、人には得手不得手があってだな……)

 自己弁護を考えてしまったヤンだったが、ユリアンやその他大勢に却下されることは間違いがない幼稚な言い訳であった。

 不愉快なサプライズが終わり、今度こそ二人は揃って統合作戦本部に足を踏み入れ、職務に復帰したクブルスリー大将、ビュコック提督と再会を果たしたのだった。

 「二人ともよく頑張ってくれた。軍部を代表して心から礼を言わせてもらう」

 クブルスリー大将の感謝にこそばいゆい思いをしてしまった二人に下った辞令は、ハイネセンに残っての事後処理の数々であった。

 意外だったのは、公邸での一件以来、ヤンとユリカはトリューニヒトと顔を合わせることがなくなった。とは言え、時々報道関係からの取材を受けはしたものの、ほとんど政治的なパフォーマンスに巻き込まれることはなかったのだった。

 反対にその渦中に立ったのは救国軍事会議の主謀者たるグリーンヒル大将を打ち倒し、トリューニヒトと共に地上戦においてハイネセン解放の立役者となった勇将ウランフ提督だった。

 数か月の及ぶ内戦において、軍部は身内が引き起こした叛乱を短期間のうちに収束させて汚名を返上したと言ってもよい。特徴的だったのは誰か一人に功績が集中しなかったことである。第11艦隊制圧の功績はミスマル・ユリカに。叛乱惑星平定の功績はヤン・ウェンリーに。そして首都星解放の功績はウランフ提督と、見事に三等分されている。

 その中であえて最も功績を上げた者を選出するとすれば、それは極めて困難な状況から立ち上がって逆転を決めたウランフ提督に他ならなかった。一時的とは言え、トリューニヒトから統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官の要職を代行するよう要請された事実からもわかる。
 
 
 ヤンとユリカが、ウランフ提督にウィスキーの二本や三本持っていかないとだめかな? と思い始めた矢先、上層部から10日後にクーデター勢力からの勝利と、その渦中に犠牲となった同盟市民の慰霊祭を兼ねた平和式典の開催が決定された旨の通達を受け取った。

 「まったく、またトリューニヒトのおありがたい演説が拝聴できるかと思うと嬉しくて涙が出てくるね」

 ユリアンの淹れた紅茶を飲みながらヤンは毒づく。部屋にミスマル提督がいたことに気付いて黒髪の青年提督は恥じるように咳払いし、立体TVのスイッチを入れた。その鮮明な画面の向こうでは彼らの同盟元首の意外な姿が中継されていた。
 
 


――5日前――

 トリューニヒトは、公邸において不機嫌の極みにあった。救国軍事会議のクーデター騒ぎの裏で自分を裏切っていた取り巻き連中が多数に上っていたからである。高い地位に就いていた人物ではトリューニヒトの後任となったネグロポンティが含まれていた。その他の裏切り行為を列挙すると枚挙にいとまがない。ネグロポンティは分厚くなった頬を真っ赤にしながら自己弁護に終始したが、トリューニヒトの心を動かすには至らず、逆に国防委員長を辞職させるむねの勧告を受けてしまった。

 とぼとぼとした足取りで退室したネグリポンティを一瞥し、怒りのワイングラスをあおったトリューニヒトは同席していた眉目秀麗な若い男に言った。

 「アカツキくん、どうやら君の予言はいろいろ当たってしまったようだね」

 アカツキはトリューニヒトと違って機嫌がよく、750年もののワインの香りを十分に楽しんでからグラスを軽やかにあおった。

 「どうです? 委員長閣下もこれでよくわかったでしょう。いくら無能な人材を集めても自分のためにはならないとね」

 くるくるとワイングラスをまわすアカツキに対し、トリューニヒトは空になったグラスを握りしめたまま微動だにしない。

 「アスターテ、アムリッツア、そして今回の内戦。あなたが愛してやまない権力とやらを守ってくれたのはいずれも議長閣下から距離を置く人間ばかりであったはず」

 「……」

 「ヤン・ウェンリーが自分たちの地位を脅かす存在になる、などと言う戯言に耳を傾ける必要はありません。なぜなら以前も言った通り、彼は戦争が終われば大喜びで軍人を辞して引退するでしょう。狭量で小心的な考えは捨てるべきです」

 「私がヤン提督に嫉妬でもしているかのような言い草だね」

 「事実でしょう」

 「……今一度権力者とは英雄を使いこなすものだ、という事かな?」

 「ちょっと違ってますね。閣下のそれは良識と見識のある者が見れば実に白々しく空虚に映るものなのですよ」

 だからヤン・ウェンリーやビュコック提督、ホワン・ルイと言った本当の意味で民主共和制の未来を危惧する人たちには議長の上辺の発言や態度は簡単に見透かされてしまうのだと。

 「なかなか手厳しい指摘だね。君くらいかな、私を堂々と批判するのはね」

 「私からみても閣下は自分だけが傷つかないように常に安全な場所に隠れて市民を扇動する悪しき扇動政治家の典型みたいに映ってますよ」

 トリューニヒトは怒るというよりも、ひどくプライドが傷ついたと言わんばかりの表情だった。

 「ですが転機が訪れたのです。閣下は内戦において初めて戦火に飛び込んだ。その意志は不本意だったとしても、戦い終わった後の市民からの反響の凄さは実感しましたよね?」

 「まあね」

 ハイネセンに凱旋したときの市民の歓迎ぶりはトリューニヒトの想像をはるかに上回っていたと言っても過言ではない。それまでは彼の言動や行動を非難していたジャーナリストや平和団体からも議長の命がけの行動に対しては素直に高く評価する論調が大半だった。

 「もちろん、閣下には悪い部分ばかりではありません。人を引き付けまとめることができるカリスマ性を備えています。後は少し政策を変えていけばよいのです。閣下の声望は高まり、支持率は上がり権力は安定するでしょう。そうすれば何も人事をいじらなくても実力のある軍部は自然とあなたに協力するようになる」

 「私は逆転できると?」

 「もちろんですよ。150年続いた戦争に閣下が先頭に立つことで終止符を打つことができれば、その名声は国父アーレ・ハイネセンに匹敵するかそれ以上になるでしょう」

 「最も重要なのは死後じゃない。私が生きている間ずっと権力の中枢にあって民主政治の守護者というのが重要なのだ」

 「もちろんですよ。たとえヤン提督にあなたの思惑が見透かされえたとしても、その中身が民主制度を貶めない限りは協力――従わざるを得なくなる。欺くのは得意でしょう?」

 すると急にトリューニヒトは空になったワイングラスに赤い液体を注ぎ、アカツキのグラスにもなみなみと注いだ。その意味を青年社長は知っていた。

 「わかった、君の計画に乗ろう。私も権力ではなく利権欲しさだけに近寄ってくる質の悪い連中とは手を切りたいと思っていたところだ。君の思い描く同盟の将来とやらに乾杯といこうじゃないか」

 二つのワイングラスが響きの良い音とともに弾ける。二人の野心と思惑が一致を見た瞬間であった。

 





Y
 立体TVで中継を見ていたヤンとユリカが驚いたのは、虐殺事件のあった議事堂前で犠牲者のために献花をするトリューニヒトの姿だった。涙さえ流すその映像にヤンは飲んだ紅茶を思わず吹き出してしまったほどである。

 トリューニヒトのお約束の演説が始まった。ヤンはチャンネルを変えようとしたがリモコンが見当たらない。ユリカとユリアンがそのまま見たそうなのであきらめて継続やむなしとすると、よく見るとトリューニヒトにありがちな壇上での演説ではなかった。派手な演出は皆無だった。最も驚いてしまったのは演説の中身だった。

 「同盟の全市民へ。内戦はなぜ起こってしまったのか? どうして彼らは犠牲とならねばならなかったのか? 答は一つだ。私の力が及ばなかったからに他ならない。私は戦いに身を投じ、そして負傷して戦いの恐怖と痛みをあらためて知った。私がもう少し早く己の過ちに気付いていれば、彼らは尊い命を犠牲にせず、そもそもクーデターなど起こりはしなかったであろう。批判は覚悟の上だ。

 しかし、私はあえてこれからも続く難局を乗り越えるために全同盟市民の代表者として、民主共和制を主導する責任者としての職務を遂行し続けたい。

 今一度、一度でいい、私に機会を与えてほしい。戦いの犠牲となった多くの市民と幸ある未来のために元首としての本来の職務を全うする覚悟である」

 ヤンとユリカとユリアンは、それぞれが交互に視線を交し合ってお互いの呆けた表情を見る羽目になった。
 
 放送終了以降の全同盟領からの反響は賛否を含めて凄まじかった。それは式典でも顕著に表れる。





 式典はアーレ・ハイネセン記念公園に設けられた特設会場を中心に始まったが、五日前の演説と同じくトリューニヒトが行ったそれは制度を守るために犠牲を強いる内容から明らかに人道的な内容に変わっていた。早く戦争を終わらせるために全同盟市民と軍部に政府と一体となって協力を求める内容になっていた。そのうえで自身のそれまでの政策を反省し、よりよい社会秩序を目指すため捕虜交換式で帰還した将兵200万人のうち100万人近くを民間に復帰させる旨を約束し、対帝国政策に関しては180度の方針転換を発表したのである。

 これにはヤンやビュコックはおろか、この式典に参加していた多くの有権者、立体TVを通して中継を見守っていた全同盟市民が突如として正常な道筋を示しだした同盟元首の人の変わりように騒然となった。

 式典後、反戦活動家からは警戒する声より政策転換を概ね支持する声が圧倒した。直後に実施されたトリューニヒト政権の支持率は、内戦発生以前より20パーセントもアップするという驚異的な上昇率となった。

 しかし、早くからトリューニヒトと接触していたアカツキ・ナガレやクーデターに際し、ずっと行動を共にしていたウランフは、議長の変わりようを次のように評したことだろう。

 「人が変わったんじゃない、気が変わっただけだ」
 
 
 


 式典から三日後、トリューニヒトの第二次内閣が発表される。またもや同盟市民とヤン・ウェンリーたちを驚愕させたのは、閣僚の中に反戦派の急先鋒としてトリューニヒト率いる主戦派と対立関係にあったジェシカ・エドワーズが新たに国防委員長に就任していたことだった。

 ヤンは思わず艦隊司令部の立体TVにかじりついてしまった。彼女を見舞ったときは全く閣僚参加の話題などは一切なかったので、その驚きはトリューニヒトの演説以上となった。

 そんな光景を見守ったヤンにとって、ジェシカの就任の挨拶は一番印象に残ったのである。

 「会場にお集まりの皆さん、中継をご覧になっている同盟市民の皆さんは、私がなぜここに立っているのか疑問に感じていることと思います。まして反戦活動をしていた代議士がよもや国防委員長とは首をひねったかもしれません。私も最初は同じように思いました。なぜ戦争継続を唱え続ける国防委員長に就任する必要性があるのかと、それは市民に対する裏切りではないかと」

 ジェシカ・エドワーズは一呼吸置いて続けた。

 「……ですが、その認識こそが固定観念であると、間違いであることに気が付きました。国防委員長というポストは決して戦争指導の役職ではなく、国家の方針が変わればその逆の立場にもなりうるのです。私がトリューニヒト議長の政策転換に同意し、国防委員長となったのは、ひとえに帝国との不毛な戦争を軍部と協力して今の世代で終止符を打つことです」

 ジェシカの声は、トリューニヒトの計算された声とは違って誠実さにあふれ、人々の心を穏やかに揺さぶるものだった。彼女が示した最後の宣言は同盟における対帝国の政策転換を決定つけるものとなった。

 「帝国を滅ぼすのではなく、帝国との共存を視野に入れ、そのために政府は軍部と一体となって平和への実現に協力していくことでしょう」
 
 
 これは夢か? 

 とヤンは自分の目と耳を疑った。アムリッツア以前は社会の方向性が常に暗い方にどんどん流れていくようにしか見えなかったのだ。それがここ数か月で、まるで地表から長い年月をかけて染み出した清水が陽光を浴びる森から海に向かって流れ下るように思えたのだ。

 いや、その水の流れが海まで続くには途中に多くの難関が控えている。この国に長い間じわじわと浸透していった歪んだ正義の形はそう簡単に変えられるものではないだろう。一つ間違えれば新たな内戦を引きおこすかもしれないのだ。

 「ヤン提督、よかったですね」

 ユリアン・ミンツのまぶしい笑顔がヤンの暗い懸念を打ち消した。愛する家族を失ってずっと悲しみをこらえていた人々、同盟の未来に強い危惧を抱いていた人々にとっては歓迎すべき変化となったのだ。その変化が信用に値するかどうかはまだわからない。トリューニヒトはよもや無策というわけではないはずだ。でなければ大きなリスクを覚悟のうえで方針を転換するはずがない。

 (おそらくこれは彼が関わっているのだろうな)



■■■

 アカツキ・ナガレに言いくるめられ、かしこまったトリューニヒトを想像してヤンは吹き出してしまう。その直後に彼の司令部にミスマル・ユリカが血相を変えて飛び込んできた。

 「た、たいへんですヤン提督!」

 「ミスマル提督、そんなに慌てることは起こらないはずだよ。ユリアンの紅茶飲むかい?」

 「はい、いただきます! ――って違いますっ! さっきイゼルローンから統合作戦本部にヤン提督宛てに通信が入ったんですよ」

 ヤンの表情に緊張が走った。ユリアンの紅茶を淹れる手が止まる。

 「一体何が?」

 「メルカッツ提督とファーレンハイト提督をご存知ですか?」

 「もちろん、二人とも名将だ。メルカッツ提督はローエングラム候ほどの華麗さはないが人望もあって老練で隙の無い用兵をする。ファーレンハイト提督はまだ若いと聞くが、アスターテ会戦で見た速攻の手腕は大したものだった。で、何があったんだ?」

 鈍い。その二人がヤン提督を頼って亡命してきた、とユリカが告げるとたちまちヤンは慌てだした。

 「それは一大事じゃないか! ええと、私はどっちに向かえばいいんだ?」

 「んもう! ヤン提督、落ち着いてください。ここでは失礼でしょうから近くの予備通信室にキャゼルヌ少将からの回線は回してあります……ええと、スカーフをちゃんとしてくださいね、ぷんぷん!」

 その後、ユリアンとユリカによる厳しい身だしなみチェック、幕僚たちと短いの協議を経て、ヤンとユリカは通信画面越しにメルカッツとファーレンハイトに対面した。

 「ヤン・ウェンリーと申します。帝国おいて高名なお二人にお目にかかれて嬉しく思います」

 メルカッツとファーレンハイトは、、画面の向こうに映るいっこうに軍人らしく見えない黒髪の青年があの「奇蹟のヤン」だとは信じられなかったかもしれない。それ以上にヤンの後方に一歩退いた形でたたずむ見目麗しい女性士官を紹介されたとき、彼女が帝国軍を震撼させた「アムリッツアの魔女」だと知って大きな衝撃を禁じ得なかった。副官であるシュナイダー少佐とザンデルス少佐は噂とのギャップに顔を真っ赤にしてしまったほどだった。

 「いずれにせよ、ヤン・ウェンリーが万事お引き受けいたします。ご心配なさらないでください」

 ヤン・ウェンリーの穏やかな口調とミスマル・ユイカの笑顔を見て、メルカッツとファーレンハイトは二人を信用し、全てを委ねることにしたのだった。
 
 


 通信が終わって、ヤンとユリカはユリアンの淹れた紅茶に舌鼓を打っていた。

 「ほえー、癒される〜」

 「何にしても、これでイゼルローンに帰る楽しみが増えたなぁ」

 「そうですよねー。お二人とも帝国では名の知れた軍人さんですから、私もたくさんお話を聞きたいなー」

 「そうだね。でもその前にいろいろとこちらでやっておくことがあるな」

 「そうですよね! 私もお手伝いします。きっとすんなり決まりますよ。今の同盟なら大丈夫です」

 「そうだね」

 ヤンは落ち着いて紅茶を飲んだ。ユリアンの淹れる紅茶はいつも黒髪の青年提督の舌を満足させてくれる。外は強い日差しが照り続けているが、流れゆく雲を眺めながらの至福のひと時はどの時間よりもヤンにとっては貴重であった。そう思えるのは、もしかしたら変わろうとする同盟の光明を見出した明日の姿のためか、それとも目の前でティーカップ片手にほっこりとするミスマル・ユリカ提督とユリアン・ミンツの他愛のない会話のおかげであろうか……。

 願わくばこのひと時がずっと続くことをヤン・ウェンリーは願わずにはいられなかった。
 
 ヤンは機嫌よく言った。

 「さて、今夜は私のごちそうで外に食事に行こうか。ミスマル提督もテンカワ君を呼んであげなさい」

 「やったー! 三兎亭に行くんですよね! さっそくアキトに連絡しなくっちゃ」
 


 ――宇宙暦797年、帝国歴488年8月下旬――

 ユリカもヤンもラインハルトでさえ、新たなる訪問者によって風雲急を告げる銀河の未来をまだ知る由もなかったのである。
 
 
















■■■

 千億の星々を抱く深淵の一角で空間が歪んだ。その歪みは光を伴い、大きな光芒となってそして消えた。

 瞬きが静まった空間には艦首が長く伸びる白い(ふね)が一隻、その流線形の姿を宇宙空間に浮かび上がらせていた。

 「アキト……」

 白い艦には人がいた。光の幾何学模様にあふれた艦の中枢には一人の少女がポツンと華奢な身体を変わったシートに沈めていた。少女は目の前に立つ彼女の(あるじ)に再び語り掛けた。

 「次元間ボソンジャンプ成功、システムオールグリーン」

 「ここは、何か見覚えがあるな」

 呟くように少女に問うたのは黒い装束をまとった若い男だった。艦の優美さと少女の可憐さに似つかわしくないその姿。

 少女の瞳が不思議な光彩を放つ。その瞳は黄金色に輝いていた。もし少女の容姿を知っている者が他に存在していたとしたら、大きな戸惑いと驚きを禁じえなかったであろう。

 少女は再び口を開いた。

 「あの子の世界だよ(・・・・・・・・)

 少女の言葉に男は一瞬だけ肩を震わせる。だが、その表情は仮面――バイザーらしきものに覆われて伺い知ることはできなかった。

 男は静かに問う。

 「どっちだ?」

 「アキトが助けたほう」

 「間違いないか?」

 「ボース粒子の形成と消滅パターン、次元空間開錠パターンが過去データと一致する」

 「そうか」

 でも、と少女は付け加えた。時空間計測値にわずかにズレがあるという。

 「あの頃より50年は先。差異はプラスマイナス5年」

 「つまり三度目」

 ひるがえった男の目の前にはメインスクリーンを埋め尽くす星々と漆黒の空間がどこまでも広がっていた。はるか先で流れ星が横切った時、男の顔を覆うバイザーの縁がわずかに光を彩った。

 「三度目は今までになかったな。今度こそたどり着いたかもしれない」

 男の脳裏を三年前の記憶がよぎった。愛する女性の救出と火星の大地における宿敵との最終決戦。男は戦いには勝利した。

 しかし、戦友が宿敵の操る機動兵器のコクピットを確認したとき、その姿は消えていた。大量の血痕とともに消えていたのだ。あり得なかった。

 彼の世界で大規模な捜索と追跡が行われたが、宿敵の消息は一切掴めなかった。だが、コクピットからわずかに検出されたボース粒子が行方の手掛かりになった。

 男はずっとその痕跡を追い続けていた。追い続け、追い続けて、ずっと追い続けていたのだ。

 (今度こそ決着をつける。全てを終わらせるんだ)

 それは執念。終わらなかった男の戦い……

 その戦いに決着がついたとき、再び男の時間は回り始めるだろう。

 きっと……

 「ラピス、ジャンプする。目標は……」

 その白い(ふね)は深淵の一角から消えた。
 
 



 第三部に続く

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みなさん、第二部最終章になります。やっとか……

今回も前話と同じく掲載を優先したため、あまり細かく校正とかカットとかしていません。二話分くらいあるはずw

修正時に分割するかどうか考えます。



2020年5月3日 ――涼――

誤字や脱字、ご指摘のあった部分を修正しました。分割せず掲載します。

2020年9月29日 
――涼――


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