おはようございます。ホシノ・ルリです。今、朝の8時です。早いと言えば早い時間ですが、私の目の前にはたくさんの通信スクリーンが壁のように並び、ナデシコ総員で議論中です。
何を議論しているのかと言うと、昨日、突如として起こった出来事に関係したことです。アキトさんとユリカさんは、ヤン提督に呼ばれて事情聴取を受けることになりました。正式な通達は7時ごろあったそうですが、昨晩、すでにフレデリカさんを通じてユリカさんの耳に入っていたようで、その時に提督はついに真実を話す時が来たと強く感じたそうです。
確かに事件の大筋を聞いただけでも、もうごまかしやはぐらかしは無理だと私でも痛感しました。ユリカさんは正式な通達が来た時にヤン提督に時間をもらいたい旨を伝え、承諾を得たので、今朝からこうしてコミニュケを通してみんなの総意を得るべくナデシコ会議となったわけです。
みんなの結論は……
「それはもう仕方がないね」
「ついに来ちゃったか」
などと、わりとすんなりとまとまっちゃいました。皆さん、とても聞き分けがよかったけど、提督も気を使ってみんなをちゃんと集めて意見を聞いたのが功を奏したのかも。
拍子抜けするくらい簡単に同意は得られましたが、問題となったのが「ではどういう方法でヤン提督たちに真実を伝えるのか」、それが中心の議題になりました。
「こんなこともあろうかとっ!」
と威勢よく啖呵を切ったのはウリバタケさん――ではなくプロスさんでした。直後にウリバタケさんに怒られたのには笑ってしまいましたが。
プロスさん曰く、
「こういう日が来ることを想定して、以前、ウランフ提督にお渡しした資料映像をもとに、さらに凝縮した資料を作っておいたのです!」
プロスさん、さすがです! あ、だからって、やたらとメガネを光らせるはやめてください。鬱陶しいです……
と思ったら直後に渋い顔。理由は、資料にはナレーションが入っていないのだとか。そしてプロスさんの視線が私と提督に交互に注がれます。えーと、まさか……
「プロスペクターさん!」
我らが提督が一喝しました。それはそうです。ヤン提督たちに説明するために 「なぜなにナデシコ」をやれって、それはいくらなんでもいろいろな意味で不適切というか、ふさわしくないというか、場違いというか、ふざけすぎというか、まじめな軍人さんも多いからだめだと思います。
提督は、それをわかっていたからこそプロスさんを一喝したわけ。さすがに成長しています。
提督のブルーグリーンの瞳がまじまじとお祭り好きなプロスさんを直視しました。うん、「場を弁えてください」、くらいは言ってやってください。
「プロスペクターさん、コスプレはだめですけど、軍服なら出演大丈夫ですよ」
違います。そこではありません……
闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
T
――宇宙暦798年、帝国暦489年標準暦1月16日――
午前10時30分より中会議室で始まった幕僚ミーティングは、文字通り「真実を打ち明ける場」となった。時間の都合上、ルリの願いがかなったのか「なぜなに」の演出は却下され、プロスペクターとイネス・フレサンジュによる共同のナレーションが終わった直後、双方の幕僚たちの反応は二分されていたと言ってもよい。
ヤン艦隊の反応はまさにそれにふさわしく、耳を疑った者と、以前より察していて冷静に受け止めた者がきれいに分かれた結果となった。ムライ、グェンあたりは前者であり、そのほかは後者であった。
また、統合作戦本部と最高評議会の正式な承認を得てイゼルローン要塞駐留艦隊の軍事顧問に就任したメルカッツ、ファーレンハイトら亡命組も反応はほぼ二分された。それぞれの副官であるザンデルスとシュナイダーは呆然とし、ファーレンハイトは右手であごを撫でまわし、メルカッツは腕組みした状態で目を閉じていたが、見ようによっては黙考しているようでもあった。
対するユリカ陣営の反応は――と言っても同盟軍士官は7名だが、彼らの反応は「冷静に受け止めた者」が全員を占めた。なぜなら、彼らがより身近に接していたこともあったが、実は内戦終結直後にユリカが同盟軍の幕僚に真実を打ち明けていたからでもあった。
肝心の要塞総司令官ヤン・ウェンリー氏の反応はというと、映像に食いついたり、冷静にうなずいたりと、じつに多種多様であった。
ちょっとはしゃいだヤンが、少し冷静になって視線を向けた人物がいた。
「ところで、キャゼルヌ少将はどこまでご存じだったのですか?」
「なに、全部さ」
と即答して、なお悪びれない。
「全部……ですか? 演算ユニットのことも?」
「まあ、そのまんまだな。いや、最初の説明はタイムトラベルだけだったかな? だがシトレ元帥が退任直前に私にいろいろ真実を話してくれたのさ」
「先輩は……少将は少しも疑わなかったんですね?」
「ウランフ提督と同じ感覚だな。その話を聞いてミスマル提督たちに抱いた違和感とも既視感のようなものが解決されたわけさ。在るものがないわけじゃないんだ。在るものが在るからこその納得さ」
なるほど、と強くうなづいたのはムライとグェンだった。常識や理論では説明できない事象が現実に存在することを彼らは受け入れたのかもしれない。
やや落ち着いたところでキャゼルヌが言った。
「ま、ミスマル提督たちの真実はプロスペクター氏とドクターフレサンジュの説明通りだ。彼らがこれまで真実を話すことができなかった事情は理解してあげてほしい」
そこで、改めて議題となったのは、言うまでもなく昨日の襲撃の件である。
ヤンは、ユリカたちに質問したが、帰ってきたのは「戸惑い」と「困惑」だった。
「本当にごめんなさい! みんなで記憶をたどったんですけど、あんな怖い人は誰も見たことも会ったこともなくて……」
「だけど」
と反語したのはついに30歳になってしまったイネス・フレサンジュだった。ヤンは彼女の表情から何か考察に至っていると感じたようだった。発言を促した。
「ヤン提督、ありがとうございます。今から私が言うことは仮説の延長線上だと考えてください」
曰く、襲撃してきた男の背景は判然としないが、テンカワ中尉とシェーンコップの証言から、おおよそ相手の正体を想像することは可能だという。
「その男の口ぶりから察するに、彼は私たちがこちらにボソンジャンプした後の私たちの未来の時間軸の人物ではないかと思われます」
テンカワ中尉を攻撃したことと言い、間違いなく敵側――木星蜥蜴側の人物の可能性が高いと言う。
残念ながら、イネスの考察を理解できた者は、ほぼナデシコ陣営の、それも少数にとどまった。諸事情をざっくりと理解した者と、その只中に身を置いた者との差が出たと言えるだろう。
そして、同盟陣営における少数の一人はアレックス・キャゼルヌだった。彼は真相の一つをズバリ言い当てた。
「とすると、その男が”入れ替わった“と言ったそれに、その前後の歴史が暗示されているというわけかな?」
「ええ、さすがはキャゼルヌ少将、私たちのことをよくご理解していらっしゃいます。そうなると、点と点がつながります」
イネスが同意すると、ナデシコ側は騒然となり、ヤン側や亡命者側では何を言ってるのか分からず呆然とする者が続出した。
心底困った顔でムライが言った。
「どうも小官のような固い人間には理解できないのですが、できればわかりやすくご説明いただきたい」
その点に関しては、それまでユリカたちの間でも憶測の域を出なかったこともあり、到底結論には至っていなかった。
であるから、点と点のつながりを言及されても理解が追い付かない幕僚たちが存在するのは無理からぬことだった。
つまり、ムライだけではなく、つい数分前まで余裕な表情で見守っていたポプランあたりも狐に包まれたような顔をしていたのだった。
「植民惑星独立戦争……だね」
不意のヤン・ウェンリーの言葉に驚いたのは全員だった。そして、その固有名詞の意味を理解した者は、さらに三分の一だった。
ユリカが目を見張って言った。
「まさか、ヤン提督はそこまで調べられていたんですね」
「うん、まあ、偶然なんだけどね」
ヤンに向けて非難の視線が近しい者から注がれたが、そのなかでも一番刺さったのは彼の被保護者であるユリアン・ミンツのものであっただろう。当時、すでに焚書扱いになっていたとある兵士の回想録にマジックのような方法で書かれていた真相だった。最初はそれが何を意味し、何と繋がるものであるのかをまるで解き明かせなかったこともあったので、ヤンがユリアンに話さなかったのは一定以上の情状酌量の余地はあるだろう。
ヤンは、ユリアンらに謝罪しつつ、ユリカに視線を移した。
「そこで肝心の部分なんだが、私が言ってもいいかな?」
ユリカの許可を得て、ヤンはまさに歴史学者のような口調で言った。
「ほとんど歴史学的にも知られていないことだが、私たちの歴史でも2200年頃にミスマル提督たちが戦ったのと似たような戦いが起こっていたんだ。そして、その中心にあったのが戦艦ナデシコなんだ」
そもそも記録がほぼ消されたこともあり、ヤンでさえ詳細は分からなかったが、当時、地球圏外にも人類の生存権は拡大していた。その渦中で地球政府による抑圧に反発した植民惑星や開拓民たちが結集して引き起こした戦いが「植民惑星独立戦争」と非公式に呼称されたものであり、戦艦ナデシコは当初地球側の軍艦として戦っていたものの、理由は定かではないが途中から植民惑星側に加わって地球側と戦うことになったらしい。
「しかし、衆寡敵せず、最後は地球軍の猛攻を受けて撃沈されたことになっている」
全員が物音を一切立てずにその先を待った。
「記録上は撃沈だが、真相は違ったんだ」
次は確信に言及した。
「そのナデシコもきっとボソンジャンプしたんだよ」
反応は沈黙だった。特にユリカらは愕然とせざるを得なかった。アカツキから独立戦争に関する情報は得ており、もちろんヤンと同じ仮説に達していたが、達してはいたもののそれを第三者――ヤンからあらためて言及されると唾を飲み込まざるを得ないような衝撃に駆られるのだった。
U
しばらく間の空いたところで一人の帝国軍人が発言の許可を求めた。ヤンが許可すると、かつての帝国軍の名将は細い目を「アムリッツアの魔女」と帝国をして恐れられている女性提督に向けた。
「ミスマル提督とそのナデシコの幕僚の方々に質問するが、貴官らはヘルマン・フォン・エーベンシュタインと言う人物をご存じか?」
返ってきたのは否定と困惑だった。が、意外な人物がエーベンシュタインを知っていた。
「あれだろ、帝国の宙戦部隊だかのお偉いさんだったか?」
オリビエ・ポプランだった。イワン・コーネフからは意外な知識をからかわれたが、この時の「色男」はなかなかまじめであった。
「それこそ、あの忌々しい戦隊の生みの親だろ」
特にざわめいたのはスバル・リョーコらエステバリスのパイロットと14艦隊の宙戦隊長たちだった。前線のパイロットたちはおおよそ目の前の戦場と敵機に意識が割かれがちで、その親玉がどんな奴かなどと、いちいち詮索するものはほとんどいない。そもそも、同盟、帝国ともに基本的な情報の収集はフェザーンを経由することが多く、当然ながら重要な軍事機密ほど情報の収集は難しい。イゼルローン要塞陥落以降、帝国軍のスパイ網はほぼ一掃されたこともあり、帝国でさえ未だにヤンとユリカの容姿がどういったものなのか、映像ではなく形容詞や誇張で語られるくらいであった。そういう意味では、帝国でも同盟でも意外なほど情報統制はしっかりしているのである。
――なので、ポプランの答えは色々な意味で驚きの対象となったのである。
話を進めたのはユリカだった。
「そのエーベンシュタインさんが、どうかされましたか?」
「ふむ、彼は私やファーレンハイト提督と共に貴族連合軍側に組した人物で、かつては私の上司だったこともある」
メルカッツは、エーベンシュタインの能力を認めていたが、宙戦部隊戦闘艇総監となってからは特に可もなく不可もなくといった体で、内ではむしろ能力に対しては疑問を持たれていた節すらあった。彼が長く総監の地位にあったのは、故フリードリヒ四世との友人関係にあったとされる。
実際は、メルカッツでさえ一時期訝しんだくらい、隠れた牙を持っていたわけだが、彼はエーベンシュタインが中立の立場をとらずに内乱に加担したことにずっと疑問を感じていた。その過程でエーベンシュタインの発言から、戦艦ナデシコが関係していることをひしひしと読み取ったのだった。
「彼は、ミスマル提督や戦艦ナデシコのことを知っていたようなのだ。卿らに会えば何か解ると考えたのだが……」
メルカッツとしては、同盟に亡命した理由の一つだったこともあって、ユリカたちの反応は予想外であった。
そして、次にメルカッツが質問したのは、さらに意外な人物だった。
「彼は、ローエングラム候との最終決戦直前に私宛にメーッセージを発していたのだが……」
それは、「テンカワ・アキトに会え」だったと言う。
突然、名指しされた青年パイロットは困惑を隠しきれないようだった。ヤンとユリカの顔を援軍を求めるように交互に見やったのはその表れであった。
「知らなかったー、アキトが帝国軍の偉い人と知り合いだったなんて」
「そんなことあるわけないだろ! 既視感すらないよ」
アキトの言う事が潔白であることは、からかったユリカをはじめとして元祖ナデシコの乗員たちならば誰もが証明するところだが、この話が出た瞬間にその先に思い至った人物は少なくとも五名存在した。
声に出したのは歴史家志望だった青年提督である。
「これは我ながら核心を突いていると思うが、メルカッツ提督のおっしゃったテンカワ・アキトとは、おそらくミスマル提督たちと入れ替わった可能性のある、もう一つの戦艦ナデシコに乗るテンカワ・アキトくんの事でしょうね」
それは、想像や仮説とするにはあまりにも飛びぬけていた。すでに天井を仰ぐ幕僚たちが続出していたが、ユリカでさえその一人になっていたくらいである。一人、ヤン・ウェンリーだけは、鼓動が高鳴ってきた――わくわくしてきたようだった。
ただ、真実かもしれない答えに思い至ったヤンでさえ、考え込まざるを得ない謎は多く存在した。演算ユニットが何かに作用し、何かを超えたのだとしても、テンカワ・アキト――らしい人物とフォン・エーベンシュタインの接点である。一体、いつどこでなんの因果で二人は邂逅したのか、相当な難問であった。
「それにしても……」
と不意に呟いたのはアキトだった。
「それにしても、もう一つのナデシコが俺たちと入れ替わったのだとしたら、彼らは大変なことに巻き込まれたって事だよね?」
はっきり言って、今のアキトたちも十分以上に「えらい大変な事」に巻きこまれている……いや、首を突っ込んでいるのだが、理屈や理論を超えてたどり着いた世界で今のアキトたちのその後を紡いだとしたら、彼らは入れ替わった先で何を思って、その現実を受け入れ、何のために戦ったのか、想像することすら困難であった。
今のところ、その真実の鍵を握るのは「ホクシン」と名乗った男と行方不明の「演算ユニット」だろう。エーベンシュタインが「テンカワ・アキトに会え」と言い残したことも大いなる謎だ。
もっとも、演算ユニットの誤作動がなければ、そもそもこんな複雑な事態にはなっていなかったことだろう。
とそれぞれに思いを馳せたが、介入は彼らの知らない時間軸から、すでに始まっていたのだった。
ほぼ全員の思考回路がショートしたところで「告白会議」は終了し、ヤンが他言無用を通達して解散となった。
しかし、その日の午後、演習組を送り出したあと、ヤンとユリカ宛てに統合作戦本部長たるクブルスリー大将を介して通信を送ってきた人物がいた。
『ヤン提督、ユリカくん、お久しぶりです』
アカツキ・ナガレであった。
V
午後、ハイネセンからの通信は秘匿回線だったこともあり、ヤンとユリカは予備通信室に赴き、数か月ぶりに通信画面越しにアカツキ・ナガレと再会した。彼は相変わらずのロン毛だったが少し短く切っていて、地味ではあるが大人びたスーツをしっかりと着こなしており、美男子の面目躍如といったところだった。
冒頭、ユリカはよい機会とばかりに昨日の事件とヤンたちに本当の事情を打ち明けた旨を伝えた。アカツキとしては、重大な報告をするために、事前にヤンに真実を話す手間が省けて万々歳ではあった。そもそも、総司令官抜きでイゼルローン要塞宛に秘匿回線など使用できない。
『そう、そんな大変な事件があったのか……いや、僕らの事情については、いつかは話さなくてはいけなかっただろうし、タイミングとしては適切だったのかもね』
すると通信画面越しとはいえ、アカツキがヤンに向かって深々と頭を下げた。
『ヤン提督、この場をお借りして今まで黙っていたことをお詫びします』
「いや、いいんだ。そんな頭を下げられるようなことではないよ。私が同じ立場なら、やはり隠しただろうからね」
『ヤン提督にそう言っていただけたこと、深く感謝します』
ユリカが肝心の通信の理由について尋ねると、アカツキはすぐに表情を正した。
『ヤン提督も真実を知っていただいたならちょうどよかった。これで僕らの秘密を共有していただけるってことですしね』
率直に言うと、ナデシコとユリカたちの秘密が帝国に漏れそうになったのだという。
「えー! それって大事件じゃないですかぁ。漏れそうになったてことは大丈夫だったんですよね?」
『まあね、ギリギリだったけど最悪は免れたよ』
なぜ発覚したかと言うと、ハイネセン解放以降、救国軍事会議の幹部たちは収監され、順次取り調べが行われたが、なんとブロンズ中将がナデシコの秘密を口にしたことで騒然となったのだという。
『まあ、ヤン提督たちは、ちょうどそのころはまだいくつかの星系で武装解除の真っ只中で、後始末やらで大変な時期だったでしょ? お二人に負担を掛けないために僕や統合作戦本部でどうにかしなくてはいけないってことになりましてね』
その頃には八月に入っており、ハイネセンを中心とした各星系も順次平静を取り戻しつつあった。
『で、ブロンズ中将を問い詰めたら、その一件にあのアーサー・リンチ少将が絡んでいたことが分かりましてね』
それを聞いたヤンの表情が急に険しくなった。
「リンチ少将か……」
「えーと、誰でしたっけ?」
『やれやれ……エル・ファシル脱出劇のおり、いち早く民間人を置いて逃げた当時の警備艦隊司令官だよ』
「ああ、ヤン提督が大活躍された出来事ですね。フレデリカさんに聞きましたけど、本当にヤン提督かっこいいですよねぇ」
『そう、そのリンチ少将が今回の内乱を裏で主導もしていたんだよ』
「あれ? でもその人って帝国軍の捕虜になっていたはずですよね?」
ユリカは、ようやく思い出したらしい。彼女の疑問に答えたのは他ならぬヤン・ウェンリーだった。
「つまりアカツキくん、リンチ少将が帝国から送り込まれた工作員だったと言うわけだね?」
『さすがヤン提督、察しがいい』
同盟の歴史においてもエル・ファシルの一件は汚点と不名誉以外の何者でもないだろう。民間人を守るべき軍人が迫りくる帝国軍に恐怖して逃亡してしまったからである。
そんな事もあってエル・ファシルの民間人300万人全員を脱出させた当時の「ヤン中尉」は英雄としてもてはやされ、生者としては異例の二階級特進まで果たしたのだった。
普通の感覚なら慢心してしまいそうだが、ヤンはそうはならず、苦い思いのほうが強かった。なぜなら、身辺が騒然としたこと、リンチ少将に対しては同情はなかったものの、特に離散したその家族に対しては後ろめたささえ抱いていたくらいである。
「そのリンチ少将が君たちの秘密を探っていたという事かな?」
『まあ、正確にはローエングラム候の指示であったようですね』
首を傾げたのはユリカだった。
「あれぇ? どうやって情報が漏れそうになったんですか? 超高速通信?」
『いや、データーを入れた光ディスクを帝国のスパイに渡す計画だったってこと』
「えええーっ! スパイ?」
ユリカはともかくとして、ヤンでさえ驚いてしまった。つまりは、ローエングラム候は早い段階でナデシコに興味を持ち、その正体を探るべく手を打っていたことになる。
『まあ、僕らヴァンフリート星域で帝国軍に追い回されたし、その相手が候の部下であるベルトマン提督だったわけでしょ。話が候に伝わっていてもおかしくはありませんしね』
「そうだったのか」
『そうなんですよ』
しかも、そのスパイを派遣していたのは、どうやらあのジークフリード・キルヒアイス提督らしいという。
『ローエングラム候は、自分の腹心に僕らの調査を命じたってことだね。僕がローエングラム候でもそうするね』
ヤンとユリカも同意してうなずいた。フェザーン経由の情報ではあったが、キルヒアイス提督は貴族連合軍の襲撃者からローエングラム候を守るために瀕死の重傷を負ったと伝わっていた。特にヤンは直接赤毛の提督と会話を交わしたこともあって彼の人為を高く評価し、もしかしたら同盟と帝国の懸け橋になってくれるのではないかとすら感じていたくらいだった。ユリカも直接話す機会があり、ヤン以上にキルヒアイスには好印象を抱いていた。
二人が抱くキルヒアイスへの好感は非常に高いので、二人とも赤毛の提督が一日でも早く回復してくれることを願うばかりであった。
『スパイはね、フェザーン商人を装っていたんだけど、これがまたかなりの策士でね』
情報の受け渡しは直接ではなく、リンチ少将が光ディスクを小規模のセキュリティーメーカーが運営する個人金庫に預け、それをスパイが受け取りに来る手配になっていたという。
「あーなるほど。リンチ少将は自分に何かがあってもスパイさんは光ディスクを受け取れるって事ですね」
『そういうことだね。これは秘密だけど、リンチ少将は自殺しているし』
「えっ?」
ユリカは驚き、ヤンは無言だった。アカツキの説明だと、リンチ少将の存在と死が秘密にされたのは政治的な理由だという。何か思うところのあるヤンに代わってユリカが言った。
「それで、どうなったんですか?」
現実、受け取り場所を特定するにはそこそこ時間がかかったという。しかも鍵はすでにどこかに送付され、システム上は鍵がなければ開けない仕組みだった。あえてアカツキが権力を行使しなかったのは、もちろんスパイを拘束するためだった。幸いだったのは、クーデターが予定よりも早まり、スパイのハイネセン潜入が遅れことだろう。
『逃げられたけどね』
「えっ? えっ?」
ユリカは、さすがに少し呆れてしまった。
「ちょっとー、アカツキさん! 捕まえたからいろいろ話してくれたんじゃないんですかぁ、プンプン」
アカツキとしては平謝りするしかなかった。
『本当にすまない。でもまあデーターは取り返したから勘弁してよ。それに言ったろ、向こうもやり手だってね』
これには嘘が含まれていたが、アカツキはあえて言及することは避けた。それは個人の企みに収まらず、統合作戦本部も関わっていたことだからだ。
ヤンも実はアカツキの言葉の調子や、やり取りの中からある程度は感づいていたのだが、彼が言及しない理由を考え、あえて追及することはしなかった。
『では、僕のほうからは以上かな。こちらもバタバタして話すのが遅くなってしまった事は申し訳ない』
アカツキは、引き続きスパイの件と、できる範囲でイゼルローンで起こった事件についても調査を進めるという。
会話の最期を締めくくったのはヤンだった。
「アカツキくん、ジェシカを助けてくれてありがとう」
アカツキは、ちょっと照れ笑いをして一礼すると通信を切った。
ユリカが、解放されたようにうーんと伸びをした。
「ヤン提督、いろいろ本当のことを話せてすっきりしました。まだまだ謎な部分はありますけど、これからもどうぞよろしくお願いしますね」
ぺこりとユリカが笑顔で頭を下げると、ヤンはその可愛らしさにタジタジになってしまったようだった。ヤンはベレー帽を脱ぐと、恥ずかしそうに頭をかきながら言った。
「こちらこそ、引き続きよろしく」
一方、帝国でも予想外の動きがあった。
「さて、まずは卿の名を聞こうか」
「テンカワ・アキト、テンカワ・アキトだ。ローエングラム候」
……TO BE CONTINUED
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どうも、みなさんお久しぶりです。また時間が空いてしまいました(汗
リアルにはまると、なかなか書く気力が湧きません……い、いかんなぁ、と思う次第です。
世の中、まだコロナ禍で、沈静化する様子がありません。今のところワクチン接種が一番の沈静化の早道ですが、この段階ではまだまだ先のよう。来年あたり
は大手を振って外出できればよいのですが……
2021年5月1日 ――涼――
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