――もう少しだけ未来の会話――
 
 「いやあ、パラレルワールドとか、本当にあるんだなーって、なんかワクワクしてきたし、こう、なんだ夢が広がるぜ……まあ、そうなるとだ」

 「ろくでもない事を考えてそうだな」

 「全宇宙の支配者オリビエ・ポプラン、全宇宙の美女たちの救世主オリビエ・ポプラン、全宇宙の美女たちに崇められるオリビエ・ポプランとか、俺の華やかな人生も無限に存在するってことなんだなーって」

 「現在進行形じゃないけどな。まあ、それを言ったらだな」

 「?」

 「家庭に束縛されるポプラン、美女に捨てられたポプラン、根暗でぼっちのポプラン、風紀委員長ポプラン、川べりで一人泣くポプラン、ロリ〇ンポプランとか、たしかに世界の可能性は無限とも言えなくもない」

 「相変わらず容赦のない悪意の羅列ですねコーネフさん……」

 「いえいえ、個人的な妄想にすぎませんよ、気前よく水に流してくださいポプランさん」

 「ちぇッ、まったく話がennuiすぎるだろ」

 「おっ! それ頂きました」

 「お前がクロスワードパズルやっていない世界線が見えませんよ、コーネフさん……」
 






闇が深くなる夜明けの前に
 機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説






第二十四章

『テンカワ・アキト』

(其の二)





T
 テンカワ・アキトとラピス・ラズリの待遇は、双方が契約内容をまとめてから、たったの5時間余りで決定した。

 「実に無駄のない契約だった。願わくばお互いの利害のためにも最期まで協力関係を維持しておきたいものだな」

 「同感だ」

 お互いが交わした書類は契約書2枚のほか、その内容を記した書面が5枚。実に7枚でしかなかった。契約書の1枚は待遇について。もう1枚はお互いがどこまで協力関係を結ぶか、情報の共有と必要な中身についてお互いが遵守すべき規定が記載されたもので構成されていた。

 この迅速かつ丁寧な手続きは、ラインハルトから後事を任されたヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢の手腕によるところが大であったのは言うまでもない。何も話されていない段階から、その場に立ち会った会話の内容をおおよそを把握し、てきぱきと職務をこなしたのであった。



■■■


 テンカワ・アキトが退出したのち、ラインハルトは傍らの首席秘書官に言っ た。

 「フロイラインの仕事はいつも私を爽快にさせる。今回の契約も的確に主要な部分をまとめ、簡潔に文書化されていた」

 ラインハルトは、首席秘書官の能力に惜しみない賛辞を贈ったものの、該当者は短く頭を下げただけである。ラインハルトの蒼氷色(アイスブルー)の瞳にヘイゼル色の瞳が重なった。

 「どうやら、フロイラインは何か不満でもあるようだ。怖い顔をしている」

 「閣下は意地悪です」

 「はは、フロイラインの怒った表情は実に見ごたえがあるな」

 ヒルダの表情がさらに硬質化したのを見て、ランハルトもさすがに表情を改めた。

 「ときにフロイラインは、テンカワ・アキトに受け入れがたい何かを感じたのか? ともすればそれは無用な心配だ。彼は私に危害を加えようとか騙すとか、次元の低い男ではない」

 ラインハルトは、はっきりと秘書の懸念事項を否定してみたのだが、ヒルダの表情はその懸念を払拭したと言うよりも、どこか警戒にも近い複数のニュアンスがにじみ出ていた。

 「私も彼が閣下に意味もなく危害を加えるような人物だとは感じておりません。もちろん、その逆も。ですが……」

 言い淀んだヒルダに、ラインハルトは遠慮なく意見を述べるよう促した。

 「……私は自分でも理解しがたいうすら寒さを感じるのです。例えるなら、閣下があちら側へ(・・・・・)吸い込まれてしまいそうな……」

 めずらしくヒルダの声のトーンが落ちていくのを見て、ラインハルトは少し反省したように頷いた。

 「なるほど、私が彼らの謎に呑み込まれてしまうという不安か……しかし、フロイライン、私が成すべきことは過去だの次元だのという、おおよそこの世界の理から外れた事象を解くことよりも銀河を統一することの方が最優先事項だ。彼らの件はその過程における一つの余興にすぎない」

 ヒルダも、ラインハルトが銀河の統一をおろそかにするとは考えてはいない。考えてはいないが、本来ならばあり得ざるべき邂逅によって明確かつ予想のできない不安要素が発生してしまったことは事実である。そもそも、ラインハルトは数時間前に自らパンドラの箱を開けてしまったではないか。

 聡明さで誰からも一目置かれる伯爵令嬢でさえ、小説の物語の類が現実の問題として顕在化するなど、とうてい予想だにすることはできず、不安が付きまとうのは仕方のないことではあった。

 そんな秘書官の心情を察したのか、ラインハルトの表情も自然と柔らかくなっ た。

 「フロイラインには、しばらく時間をと言いながら、結局、突拍子もない事を時を経たずに話してすまなかった。そして、どちらかと言うと、この件の責任者はベルトマン提督だ。私などよりもっと呑み込まれる可能性が高い。フロイラインはベルトマン提督のほうを心配してもらいたいな……もしそうなったら男爵夫人の車にでも乗ってもらおうか?」

 ラインハルトは冗談めかして短く笑ったが、その笑いによってヒルダの心を平穏で満たすにはいささか不足気味なようだった。だからとも言えなくはないが、ラインハルトは彼女を少しでも安心させるように言った。

 「フロイラインの不安、気に留めておこう」

 その流れでラインハルトはヒルダに早退を勧めたのだが、「ご冗談を」と言って彼女はテンンカワ・アキトらに必要なIDカードといくつかの書類を届けに執務室を退出したのだった。

 (不安か……私に立ち止まっている時間などないのだが……)

 ラインハルトは、ふと立ち上がって窓の外を眺めた。帝都は冬の装いからようやく春へと変わる過渡期であった。まだ朝晩の空気は時折冷たいが、日中は陽射しがあればポカポカと暖かく、春を渇望する人々が天を仰ぐ希望に溢れた時期でもあった。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム公はまだ22歳。過去よりも未来への展望が果てしない若者だった。銀河帝国における彼の地位と権力は揺るぎないものとなっていた。この時のラインハルトの優先順位は彼がヒルダに語った内容で間違いがなかっただろう。

 しかし、ラインハルトの内に籠る数々の贖罪が表面化した時、若い覇者は過去の清算と言う選択を優先し、ヒルダの予言めいた不安を的中させてしまうのだが、それはまだ先の話であった。









U
 テンカワ・アキトは大佐の地位を得た。彼としては破格の待遇で驚いたのだが、各星系を巡った場合、たいてい現地の軍事施設の責任者というのは「大佐」が多い。しかも大本営直属ともなれば格上であり、何かしらの問題が生じた場合でも権限と権力の行使が容易であった。

 「とはいえ……」

 現地で揉めるのは避けたい、と言うのがテンカワ・アキトの本音であった。ラインハルトは――ヒルダは相談の結果、戦艦の艦長込みで「大佐」という地位を選定したと思われた。将官にしなかったのは肩書が行動の足かせになることを考慮したからだろう。将官などというのはもともと軍人とは縁遠かったテンカワ・アキトにとっては重苦しいだけである。大佐もずいぶんと過分に思えたのだが、ヒルダから利点を説明されると頷くしかなかった。

 そもそも、青年の要求に地位や階級は含まれてはいなかった。彼としてはラインハルトの協力さえ取り付けられればよいと考えていたのだ。だが、いざ帝国での行動の自由が保証されたならば、「じゃあ、いいよ」という、アルバイトでも雇うかのような軽いノリで万事解決となるわけではなかった。

 交渉後についてはテンカワ・アキトの初歩的なミス――そこまで考える余裕がなかっただけであり、前提として交渉の成功が重要だったので細かいことはその後でもいいだろうと軽く考えていたことは否めない。マリーンドルフ伯爵令嬢には感謝しかない。

 そして、ラピス・ラズリの待遇は青年よりも多少の時間的な消費が必要であった。3年前とくらべると各段に見違えたとはいえ、少女はまだ15歳に満たない年齢だった。帝国軍の規定に当てはめれば幼年学校に在籍中という状況である。通常、幼年学校を卒業した生徒は准尉として任官する。士官学校なら少尉だ。

 そもそも銀河帝国は男尊女卑の階級社会であり、王政復古によって中世の価値観に支配された社会だった。ラインハルトが帝国宰相、宇宙艦隊最高司令官として政治軍事の実験を握ってからは女性に対しても軍隊への門徒が開かれたとはいえ、まだまだ一歩をようやく踏み出したばかりであり、幼年学校や士官学校に在籍する女性はまだ存在しない。

 また、帝国軍も「女性兵士」がまったく存在しないわけではなかったが、その全てが後方勤務だった。どちらかと言うとラインハルトの首席秘書官であるヒルダと同じように雇用されており、純粋に「軍人としての女性」は皆無であった。

 つまり、戦艦のオペレーターを務める14歳の少女は前例がなかったわけである。第三者の視点から見ると前例のないことにヒルダが頭を悩ませたと、と思った者も少なくなかっただろう。実際、極めて特殊な少女の立場に聡明な首席秘書官が多少なりとも思考回路を巡らせた事は間違いはない。

 ただ、その内容は少女の階級云々と言うよりも、ヒルダが実際に会って感じた「ラピス・ラズリという少女の人為り」を含め、成人男性に付き従う少女の意向など――適切な立場とは何かという塾考を重ねた結果でもあった。

 (軍人か軍属か……)

 最終的にヒルダが出した結論は「曹長」だった。軍人である。軍属の立場であると地位や立場が不安定であり、少女を守るためには多少の地位的装甲(・・・・・)は必要であると判断したためだった。戦艦のオペレーターという特定の分野の専門家としての立場もヒルダの決定を後押しした。

 ヒルダは知る由もなかったが、「曹長」とう階級は同盟軍に組み込まれた時のホシノ・ルリの最初の階級と同じであった。

 そして、ラインハルトの承認と授与の後に二人の住まいも決定した。まだ「仮」とはいえテンカワ・アキトが最も目を丸くした事態だった。

 なんと「元帥府内」だった。たしかに元帥府は元帥となった軍人の個人的な軍事拠点だけにとどまらない。広大な敷地内には応接室や作戦会議室、食堂やサロン、客間も存在する……

 そう、その客間の一つに御厄介になるわけである。

 「ご心配なきよう。彼女の事も考えて最適な場所を探しておりますわ。なるべく元帥府住まいが短くなるようにいたします」

 ヒルダからそう説明を受けてテンカワ・アキトは安堵したものの、どう考えても数日で済むような話には思えなかった。

 「ですが、元帥府なら警備は万全ですし、リュッケ中尉が案内役を務めてくれます。元帥府内でも中心部からは外れていますので、目立つこともないでしょう。ご不便をおかけしますが、もうしばらくお待ちください」

 ヒルダの言葉はまだしも、ラインハルトの意図を察しないわけではなかったが、特に外出の制限を受けたわけではなかったから、元帥府住まいという特別な状況を利用して情報を独自に集めるというのもありだった。

 (しかし、こんなことくらいは想定しておくべきだったな)

 テンカワ・アキトとしては苦笑いしかない。あまり真剣に考えていなかったのは「その通り」と肯定するしかないが、いざ蓋を開けたら周囲の反応が個人の価値観とは全く温度差が高かったことに呆然とした。

 なぜなら、ヒルダが住居に対して慎重になっているのは「成人男性と年端もいかない少女の組み合わせ」に他ならない。

 (アカツキに世話になっている時はそのまま隠れ家に住んでいたようなものだったから、あまり気にしていなかったが……)

 基地(拠点)には彼らの他に研究者や整備士、医療従事者はもちろんイネス・フレサンジュやエリナ・キンジョウ・ウォンといった女性も少なくなかった。その中で自分の相棒として少女と共に過ごすことに何ら違和感を感じてはいなかった――と言えば嘘になるかもしれないが、当たり前とさえ感じていたのは間違いがない。

 ただ、ラピス・ラズリに卑しい感情を抱いたことは一度もない。青年にとっての少女はホシノ・ルリがかつてそうだったように家族であり、妹のような存在だった。また、五感の補助とユーチャリスという戦艦を共有するうえで不可欠な良き相棒という認識だった。それは今も変わらない。

 そう青年が認識していても長く慣れ親しんだ人々ではない環境となると、ヒルダのように……おおよその常識人には心配されるのは最もな事だった。もちろん、誤解がないように説明はしておいた。

 「ローエングラム公の考えはどうなんだ?」

 とアキトは、それとなくヒルダに尋ねてみたが、どうやら首席秘書官に丸投げ のようだった。

 こうして、テンカワ・アキトトとラピス・ラズリは共に元帥府での生活がスタートしたのだが、青年が生活する上で意表を突かれた日常が待っていた。元帥府に出仕したラインハルトと時折ヒルダを交えて朝食を摂る羽目になったことだ。

 もちろん、契約に含まれている内容ではない。個人の意思の問題だった。当初こそ困惑したものの、テンカワ・アキトにとってはよい機会だった。ローエングラム公ラインハルトをより知ることで情報は言うに及ばず、人脈を築く好機と捉えたのだった。それはヒルダであり、従卒君であり、リュッケ中尉であり、シュトライト少将であり、ベルトマン提督であり、元帥府を出入りするその他大勢だった。肝心の少女の反応はヒルダには好意的だが、ラインハルトに対しては「敵意」とまではいかないが「警戒」くらいはしている様子だ。

 (まあ、居心地は別にして、管理が行き届いているのはさすがローエングラム公の元帥府なだけあるな)

 前向きに考えるしかない。実際の朝食の風景はと言うと、これは友人同士の団らんとかそういう気楽な類のものとは一切外れていた。「常勝の天才」と「聡明な首席秘書官」の間に挟まれた「復讐心で生きてきた闇がかかった男」には、とうてい知的面での劣勢は避けられなかった。

 朝食の時間はだいたい30分から40分くらいだろうか? この間に交わされる話題はごく政治軍事に関することから日常的な内容にわたり、しかも契約内容にある「ナデシコ」、「エーベンシュタイン」というワードは一切出てこなかった。そもそも短い時間内の話題とは考えていない節があったが、ラインハルトが相手である以上、別の狙いを邪推してしまうのだった。







V
 逆に契約内容の励行を一身に引き受けることとなった――謎に最も片足を突っ込んだ男の名をヴェルター・エアハルト・ベルトマン大将と言う。

 宇宙暦795年、帝国歴486年の10月にヴァンフリート星系にて最初に「戦艦ナデシコ」と接触したこちらの世界線の人物だった。短く刈った金髪と長身と言ってもよい背丈に軍人らしい精悍な表情と何よりも両眼を彩る青紫色の瞳が印象的であった。

 最初に「戦艦ナデシコ」と接触し、その後、何度かナデシコと関わり謎を追いながらミスマル・ユリカと直接対面した数少ない高級士官の一人でもあった。関わりの浅くないベルトマンを担当としたのはごく自然な流れではあったが、ラインハルト自身がこの理論から外れた複雑な謎に軍事や政治以外で怯んだと言えなくもなかった。

 あらためて握手を交わした二人だが、初対面の印象はよくなかった。ただ、それもお互いが情報を交換し合う過程で解消した。

 「では戦艦ナデシコは民間企業が建造した艦だというのか?」

 「ああ、そうだ。スキャパレリプロジェクトという作戦のためにな」

 という初歩的な事から、

 「……ボソンジャンプと言う。イメージした場所に時間移動するというのがこっちで言うところの跳躍(ワープ)だな」

 「イメージで跳躍だと……」

 という難解な話まで、一日に許された3時間という制限時間内で聞き取りや事象のすり合わせなどが何日かに分けて続けられた。

 そして、この初期のやり取りだけでベルトマン提督の動揺と衝撃はさらに増大した。

 (世界が二つだけだと、いつから錯覚していた?)

 ベルトマンは、はっきりと認識して改めて慄然とした。「次元の問題」とまでは導きだしたものの、それが複数だとは想像の範囲外だったのである。ローエングラム公がオーベルシュタインに提出させた「調べ上げた過去」とあからさまな歴史の相違は、実はそういう絡み(・・・・・・)だったのだ。

 ――手に余る――

 と言う表現の「器」を遥かに飛び越えて、すでに溢れ出していた。

 あの日、ベルトマンの心中は穏やかでは済まなかった。強敵と相まみえ、戦術と戦略を駆使する戦場なら本懐なれど、誰が担当になっても理解が追い付かないメヴィウスの輪を解きほぐさなければならないのだ。あまりにも情報過多だった。エーベンシュタイン上級大将の話題に移る以前の問題である。

 ベルトマン提督は自問自答する。はたして、自分がこのまま調査を続けてよいものなのか? 誰か、もっと適任者が存在するのでないか?

 ふと、思い浮かんだ人物は、あのオーベルシュタインだった。

 ベルトマン提督は頭を振った。確かに密かにこの世界におけるナデシコの謎の核心まで辿り着こうとしていた総参謀長ならば、冷徹な表情のまま、あるいは絡まった謎を解き明かしてしまうかもしれない……

 と同時に全てを葬ることもまた然りだった。

 (今さら投げ出すわけには行かない。俺自身が向き合って解明しなければならない大事な謎だ)

 ――それは銀河の統一に必要なことなのか?――

 と何者かに問われれば、たぶんきっとそうではないだろう。だが、この場合は現在進行形の好敵手の存在ではなく、その過去だった。

 なぜなら、ナデシコにしてもエーベンシュタインにしても、現在の世界線に大きな影響を及ぼしている存在なのである。過去も現在も次元の繋がりの全てを解き明かしてみせてこそ、銀河の統一を成し遂げることができるのでないか。決して目を背けてはいけなかったのだ。

 しかし、

 「テンカワ・アキトは同盟にも存在する」

 正直、この事実だけでも目眩がしてしまう。

 ましてや……

 「テンカワ大佐、卿はなぜここまで話した(・・・・・・・)のだ? 契約内容からは逸脱していると思うが?」
 
 ベルトマンが動揺交じりにある疑問をぶつけると、黒衣の青年は彼を一瞥するしぐさをした。

 「そうだな。俺が自分とこっちのナデシコの話をした時にあんたならすぐに矛盾に気づくだろうと思ったからさ。その事を話さなければ契約違反にもなる。いずれにしてもエーベンシュタインの話になれば関連として話さねばならなくなるからな」

 「そうか……」

 「どうだ、知りたくなったか?」

 「……いや、今はいい。他も小官の一存では無理だ。ローエングラム公に報告を上げた時にお伺いを立てる」

 「そうだな、とっくに銀河の歴史の流れは変わっている。無理はよくない」

 「気を遣ってもらって感謝する」

 ベルトマンは、動揺冷めやらぬ自分の頬を両手で叩いて気合を入れなおした。テンカワ・アキトへの聞き取りはパンドラの箱以上だった。それは耳を塞ぎたくなるものなのだが、好奇心に誘惑をされてしまうほど、危険で禁断で甘い「もう一つの銀河の歴史」であった。

 今回の聞き取り内容をどこまで報告書として提出するか否か……

 ベルトマン提督の奮闘は、宇宙の戦場外でまだ始まったばかりであった。


 





W
 8日ほど経ったある日。本日の聞き取りと情報交換を終え、ややお疲れ気味のベルトマン提督が退出すると、テンカワ・アキトはラピス・ラズリを伴なって戦艦ユーチャリスを訪れた。ユーチャリスは、その白と赤に配色された艦体を未だ首都星オーディンの地下格納庫に預けたままであった。

 理由は簡単だ。契約内容の励行は無論だが、「北辰」の動向と所在が不明だっ たからである。

 テンカワ・アキトは情報取集の段階で幾つかの小さい事件だが――埋もれてしまいそうな断片的な出来事や事件から北辰の存在は認識はしていた。ヴァルテンベルグ星系で起こった商船強奪事件や軍需物資の行方不明事件など、明らかに突発的で不自然に発生していたバラバラな事件を分析し、これらが「宇宙海賊の仕業」とされたままであることに疑問を持ったのだった。

 事件は時も場所も違って複数の箇所で発生していたが、共通するのは商業ルートか軍事の補給ルート上で起こっている点だった。その発生箇所を星系図に当てはめていくと一つの法則ができあがった。事件発生はフェザーン〜アイゼンヘルツ、ヨーツンハイム〜アルテナ、エックハルト〜キフォイザー星系内であることだった。いずれもフェザーン〜ヴァルハラ星系に至るルートのどこかで発生していた。

 テンカワ・アキトとしてはすぐにでも捜索に飛び出したいところだったが、銀河は広大だった。捜索する星系を絞ることができたとしてもユーチャリスの航行能力では現場に到着すまで普通に何年もかかってしまう。かと言って身体に負担のかかる戦艦1隻まるごとのボソンジャンプを繰り返すなど自殺行為であった。

 つまりは、大まかな見当はついたが、彼にはすぐに跳んで行って事件を気軽に追い続けるほどの機動力が決定的に欠けている状態だった。これは青年の失念と言うにはあまりにも重大ごとだった。ユーチャリスはナデシコC型の実験艦とはいえエンジン性能は申し分ないものの、その自慢の快速も1300年後の銀河系ではいともたやすくポンコツと化してしまう。

 今はベルトマン提督やケスラー提督たちを信じ、ユーチャリスへの改装も待って、決定的な情報が入るまで地上で自分たちのできることを続けていこうとしていたのだった。

 それは銀河航路図や航路システムの更新。ユーチャリスに関する艦船データー提出と技術者との折衝と打ち合わせなどなど、彼らには意外なほどやるべきことが山積していたのだった。

 そして、その一つがいくつかの疑問と謎の点と点をつなげる作業だった。ベルトマン提督の疑問もその過程で解消された一つとなった。なぜ、「もう一つの銀河の歴史」を知るテンカワ・アキトの記憶にベルトマンが存在しなかったのか?

 ヴェルター・エアハルト・ベルトマン提督に軍歴を尋ねた結果……結論を言うと、テンカワ・アキトが触れた銀河の歴史では、「ベルトマン大佐」は第7次イゼルローン要塞攻防戦で戦死を遂げていたからだった。

 (なるほど。彼もまたナデシコとの接触で運命が変わった人物だったのか……)

 ベルトマン提督が乗艦ごと要塞駐留艦隊に編入されたのは帝国歴483年10月の事だった。これはその年の5月に双方の陣営が戦火を交えた第5次イゼルローン要塞攻防戦において消耗した戦力の補充枠として、彼が指揮していた数十隻の巡航艦とともに編入されたという経緯だった。

 その後、帝国歴484年は大規模な戦闘は起こらず、翌年の485年は立て続けに「ヴァンフリート星域会戦」、「第四次ティアマト会戦」と中〜大規模な戦闘が発生したが、駐留艦隊の出番はなかったようだった。

 そして激動の帝国歴487年は、「アスターテ会戦」、「第7次イゼルローン要塞攻防戦」、「同盟軍による帝国領侵攻作戦」と続いていった。

 ベルトマン提督は、イゼルローン要塞攻防戦後にジークフリード・キルヒアイスの信任を受け、彼の下で存分に軍事的才能を発揮し、出世していったのだった。

 (まさか、キルヒアイス提督がベルトマン提督の介入で生きているとは……)

 テンカワ・アキトが触れた世界線では、赤毛の提督はラインハルトの盾となってアンスバッハの手によって早すぎる死を迎えている。

 「これは、今後にかなりの影響を及ぼしそうだぞ」

 ベルトマンが耳打ちしてくれたところによると、現在、キルヒアイス提督は意識が回復しないまま眠り続け、フロイデンの山荘でグリューネワルト伯爵夫人アンネローゼの看護を受けているとのことだった。

 (伯爵夫人にとっては愛すべき人物のそばにいられるというところだろうが、ある意味なんとも残酷だな……)

 もう一つの世界線でキルヒアイスは非業の死を遂げた。彼の死によって伯爵夫人もラインハルトも大きな心の傷を負ったことは間違いがない。今の状態を「死ぬよりマシ」という二文字で表すのは非難を免れないが、彼が目覚めるタイミングによっては銀河の歴史が一気に加速する可能性すらあった。

 (キルヒアイス提督とは直接会う機会はなかったが、どこかで山荘を見舞いた いものだな)

 それには金髪の元帥の許可が必要だろう。彼の心情を考えると、よそ者がいきなり押しかければ信頼関係を失う可能性すらある。いや、絶対不可侵の領域にラインハルトを差し置いて許しをもらうことなど不可能かもしれなかった。

 (今はその時ではない。しかし……)

 テンカワ・アキトには思うところがある。あの世界線の結果だけを見ると「ジークフリード・キルヒアイスが生きていたら」という強い思いはミッターマイヤー提督の回想録を読んだだけでも少なからず湧き上がって来るものだった。あの事件を生き残った主な提督たちも同じ気持ちだっただろう。

 それは、ユリアン・ミンツの回想録の一文にあった、ヤン・ウェンリーのキルヒアイスに対する期待ともとれる発言の記述にも表れていた。

 (双方が手を取り合う歴史か……)

 テンカワ・アキト独語しは、端末のページをめくった。今は帝国歴489年3月末である。本来ならば帝国軍はガイエスブルグ要塞を使ったイゼルローン要塞攻略を念頭に置いた軍事訓練を終了し、要塞攻略の途へ上った時期のはずだ。

 しかし、青年が知る通り、それは発生していない。理由は主に二つ。

 一つ目。不正蓄財とエーベンシュタインに協力していた罪で科学技術総監アントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術大将が拘禁され、現在も取り調べが行われている事。彼は拘禁された直後にガイエスブルグ要塞を使った作戦をわめいたらしいが一顧だにされなかったらしい。

 二つ目。周知の通り、ローエングラム陣営は先の門閥貴族との内戦において予想外の人的および物質的損害を被ったため、特に人員と指揮官不足に直面している事だ。

 ジークフリード・キルヒアイスが死ななかった代わりに、その穴埋めをするがごとくカール・グスタフ・ケンプ提督、カール・ロベルト・シュタインメッツ提督が殉職。ミッターマイヤー配下でバイエルライン少将と共に将来を期待されたドロイゼン少将は戦死。そのほか、司令官の戦死こそ免れたものの重傷者は発生し、各艦隊の中級クラスの指揮官の戦死は多数に上っていた。まさにエーベンシュタイン様々だ。

 帝国軍も人材の補充と戦力の再編に時間を必要としていたのであった。

 こうしてみると、同盟の内戦の結果はどうだったか不明だが、ラインハルト率いる帝国軍にとって内戦は様々な意味において「分岐点」となったことは否めない。すでに銀河の歴史の流れが変わりつつある過程において、青年がこの先を予測することは困難であった。
 
 




X
 端末の画面が文字から映像に代わった。映しだされたのはヴァンフリート星域にてベルトマンが「戦艦ナデシコ」を追った記録映像の一部だった。映像を吟味する青年の表情は相変わらず黒いバイザーによって覆い隠され、その感情を伺い知ることは困難だったが、相棒であるラピス・ラズリは彼がかなり真剣に見入っていることを感じとっていた。

 テンカワ・アキトが読み取ろうとしているのは、こちらの世界線に転移した「戦艦ナデシコ」が彼の世界線を基準に考えた場合、どの時点のそれか、であった。

 (あいつと入れ替わったのがどの時点のナデシコなのかで、随分とメンバーと装備が違ってくるぞ)

 何度か映像を巻き戻したり拡大して分析した結果、映像のナデシコには戦艦シャクヤクから拝借した「Yユニット」が備わっていた。しかも改装後のものだった。さらに分析を進めていくと艦体にいくつかの特徴が見て取れ、青年の記憶に当てはめると火星上空における決戦直前の最終型だと結論付けた。

 (あいつの言っていた事は正しかったわけか……)

 テンカワ・アキトは、裏付けが取れた事で一層、「あいつ」の言葉が真実であることを噛みしめねばならなかった。

 (百年差異のボソンジャンプか……)

 どちらがより苦難や苦痛を味わったのか、まだ彼らの多くを知らないテンカワ・アキトには判断が難しかった。ただ、自分も同じ行動を取り始めようとしていたからこそ、「あいつ」の憤りと悲しみを決して否定しようとは思わなかった。
 
 テンカワ・アキトは資料映像を切り替えた。次の映像は解像度がやや荒く短いが、帝国領に侵攻した同盟軍を策略によって疲弊させ、帝国軍が一斉反転攻勢に出た時の記録映像だった。最初の映像はファンベルグ星系でミュラー艦隊が同盟軍第14艦隊を攻撃したものだったが、艦隊戦ではなく、帝国軍の言う「叛乱軍の人型機動兵器 7機」との宙戦映像だった。

 残念ながら7機全てではなかった。黒衣の青年の手元にある別の資料と合わせ、この時点のナデシコを知ろうとした。対象物が速くて捉え切れていないが、解析の結果、映像に出てきたのは赤色と青色の配色が成された人型機動兵器だった。

 (たぶんリョーコさんとイズミさんの機体か? エステバリスだと思うが、これは月面フレームを改造したのか?)

 青年は、すぐに何がベースになっているか言い当てた。端末の映像を進めると画面に機体の特徴が示してあった。全高は18メートル前後、機動能力は時にワルキューレを凌駕し、また単独で空間歪曲シールドを展開可能とあった。

 しかも驚いたのが帝国軍の損害だった。その宙域では、わずか40分の宙戦で80機近くが失われ、さらに30分後には60機を失ったと言うのだ。これは一度の戦果としては極めて驚異的と言うしかなかった。

 (元の宇宙専用タイプでは全く話にならなかったはず……こっちに来てからウリバタケさんあたりが月面フレームをどうにかしたのか?)

 テンカワ・アキトが一つ首を捻ったのが、目撃されたエステバリスの数が7機と言う数字だった。思い当たるメンバーはスバル・リョーコ、アマノ・ヒカル、マキ・イズミ、テンカワ・アキト、アカツキ、ナガレ……

 火星上空における最終局面と同じだったならばパイロットは5名のはずだ。だが実機は7機だった。ミュラー提督の証言からも7機以上は確認できなかったという。

 (あと2機は誰だ?)
 
 「あいつ」は少なくとも2度介入したと言っていた。どの時点に介入したかまでは明確に話さなかったが、もしかしたらそのせいで本来死者となるべきパイロットが存命している可能性が浮上する。彼に多大な影響を及ぼしたダイゴウジ・ガイ――山田二郎が生存しているとしたら……

 (だとしたら会ってみたいな……)

 テンカワ・アキトは、懐かしさと同時に怯んだ。今、ガイが自分の姿を見たら……いや、戻れなくなりつつある自分の心を垣間見たら、一体どんな顔をするだろうか?

 会ってはいけないと思いつつ、青年の胸中に一陣のそよ風が吹き抜けた。

 (いや、ダメだ……)

 青年は、誘惑を振り払った。今は懐かしんでいる時間ではない。早く謎を解き明かして「北辰」を見つけださねばと。

 もう1機については、テンカワ・アキトは不思議なことに直感で思い当たる節があった。彼の代わりに補充のパイロットとしてナデシコに乗艦したイツキ・カザマだ。退艦する直前に軽く挨拶を交わしただけに過ぎなかったが、あの時に彼女がテンカワ少年に見せた凛々しい笑顔は強く印象に残っている。その後、再びナデシコに復帰した時にリョーコたちから少女について尋ねた話だと、誠実で腕もよく、勇敢なパイロットだったという。

 (イツキさんが生きている可能性もあるわけだな……)

 しかし、二人はどうしても可能性の領域を脱しない。確信するには情報が不足しすぎていた。いずれにしても「あいつ」がどう干渉したかによってエステバリスのパイロット構成は予想を超える可能性すらあった。
 
 

 テンカワ・アキトは資料映像を先に進めた。青年は「ファンベルグ星域会戦」における艦隊戦にも注目した。この星系に駐留していたのは同盟軍第14艦隊。司令官は間違いなくミスマル・ユリカだという。ナデシコが映った映像は残念ながら皆無だったが、戦況図を追っていくと、開戦から撤退までの経過は彼女の艦隊司令官としての才能も随所に目立ったものだった。

 それでも前半戦はちぐはぐさな面が出てしまっていたが、戦闘の中盤から終盤は見事に立て直し、あのナイトハルト・ミュラー提督を相手に逃げ切っている。

 (後の鉄壁ミュラーからお株を奪うとは、ユリカのやつ、大したものじゃないか)

 続いて戦場がアムリッツア星域に移ると、もう一つの世界線とはかなり戦況が違っていることを知った。一番違ったのは同盟軍の戦力だった。第10艦隊、第12艦隊が参戦している点だった。これにミスマル・ユリカ率いる第14艦隊が加わることによって、その戦力はもう一つの世界線の倍に相当する。本来ならばアムリッツアの前哨戦で散った同盟軍の名将が決戦となった星域に参戦したのは特筆すべき大きな変化だった。

 (間違いなくこの変化を呼び込んだのはナデシコとユリカだろう。それにしても前半はどっちも譲らない展開じゃないか……いや、むしろ同面軍が押していたのか)

 その後、同盟軍は絶対的な戦力差から危機に陥るが、壊走せずに整然と撤退に成功している。殿を務めた第13艦隊と第14艦隊の粘り強さと連係による攻撃は、艦隊戦術に疎い青年でさえもただただ唸るしかなかった。

 (あの奇蹟のヤンはわかるが、ユリカもここまでやるとは……)

 素直に感心した。青年の知るネルガル時代のミスマル・ユリカだったならば、おそらく帝国軍の名将たちを相手に生き残ることは不可能だっただろう。二つの銀河規模の戦争の渦中において、ミスマル・ユリカや仲間たちがどう成長していったのか、とても興味が湧いたのだった。

 (明日、ベルトマン提督にユリカの事を聞くかな……)

 青年はバイザーの下で微笑んで端末を閉じた。点と点は繋がりつつある。だが、なお不明な点や謎は多い。「北辰」の所在の在りかもそうだが、これらの謎を解き明かすためには同盟に在るナデシコの面々と会う必要性があるかもしれなかった。

 (なるべく避けるべきだが……)

 今日の検証結果は明日、ベルトマン提督に伝えるとして、次にアキトがやるべき事は、彼が自ら深く関与し、必然の結果としてこの世界線を創り出してしまったエーベンシュタイン上級大将の生涯を知ることであった。目を閉じると青年に手を振る少年時代のエーベンシュタインが脳裏に浮かんだ。

 (君の動機はなんだったんだろうな……)

 彼は席から立ち上がって振り返る。その視線の先には、とっくに情報の更新を終らせてじっとこちらを見つめていた少女が佇んでいた。青年は少女を呼び、二人はユーチャリスを後にした。

 (さて、リュッケ中尉に地上車の手配を頼むとしよう)



 ――宇宙暦798年、帝国歴489年4月2日――


 この時、テンカワ・アキトはこの世界の誰よりも疑問と謎に答えることのできた人物だった。その知識は青年を取り巻く範囲内に限られたとはいえ、ひっそりと浸食された世界線の歴史においては俯瞰する立場であったと言えた。ヤン・ウェンリーなどが知ったら、羨望されるか不審の目を向けられるか、いずれにしても歴史に干渉してしまった者としての評価は第三者の視点や価値観によって明暗が分かれるであろう。

 しかし、テンカワ・アキトが過去を俯瞰できたとしても、変わりゆく未来を予測すること到 底不可能であった。

 二つの出来事が同盟と帝国の新たな火種となる時は刻一刻と近づいていた。




……to be continue



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  どうも、空乃涼です。また時間が空いてしまいましたが続きを書くことができました。前話ではテンカワ・アキトが登場し、今話では、それまで引っ張っていた謎と歴史の相違の点が繋がっていきます。

 ただ、まだ不足している部分はあるわけです。今後に起こる二つの出来事とは何か、それが銀河の歴史にも影響していきますので、申し訳ありませんがお待ちいただけると幸いです。

 追伸: 24章投稿までの間にメールにて感想をい ただいた読者の方がおります。メールにて返信をいたしましたが、セキュリティーソフトのせいか、ちゃんと送信できていない可能性があります。エラーには なっていなかったので大丈夫とは思いますが、返信が届いているかいないか、作品のコメント機能にでもよいので一言いただけると幸いです。


 2022年8月29日 ―― 涼 ――

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