夢。
敢えて。人の感覚にたとえて表現するならば、それは夢と言えるだろう。
チャージャーの上で、ほぼ完全に機能を停止した時に、記憶回路から引きずり出される出来事。
随分と昔のことだ。
新しく積み重ねられていく記憶の底に、とうに埋没してしまったはずのものだった。
思い出す事は、いつだって苦痛だ。
特に、こんな風に無意識下で引きずり出される記憶には、より一層の苦痛が伴う。
忌々しい、そう言い表すしか他に妥当な言葉も存在しない。
Crying Bird
視界に広がるのは、荒れ果てた赤錆色の大地。草一本生えぬ、ざらついた砂の広がり。強い酸性雨が染み込む度に、より赤くどろどろと濁る大地。
生き物をけっして受け付けぬ、受け入れぬ大地を染め抜くのは、どす黒い液体(オイル)。朽ち果てた、機械の骸。
ここでは、動かなくなったら最期、即刻ガラクタに成り果てる。
それが、戦場。
そう、ここは戦場だ。俺たちアイアン・ソルジャーが戦う、すなわち壊し合うために存在する世界なのだ。
与えられた選択肢はたった二つ。
破壊するか否か。ただそれだけ。
疑問など、抱いた事も無い。
今までただの一度も。何故なら、疑問を抱く事は、己の存在を否定することになる。だから、俺は与えられた命令を、正確に実行に移すのみなのだ。
彼らの言う『ただの機械』として。
実際、アイアン・ソルジャーを破壊することに、苦痛は無かった。確かに、初めのうちは。
それが……いつからだろう。苦しいと思った。哀しいと感じた。
よりによって、戦いに疑問を抱いた。
それはすなわち、自己を否定することでもあるのに、迷いを止められない。
何故、戦わなくてはならない?
何故、壊しあわなくてはならない?
何故、なぜ、なぜ……。
抱いた疑問は呪文のように、俺の頭をかき乱す。疑問が問いを生み、凄まじい速度で回路に満ちていく。
そのとき俺は、ソルジャー達を統率するコマンダーでありながら、戦いを一瞬忘れた。
疑問の果て、驚愕の刹那に何かが視えたのだ。
それは無性に懐かしいものだった。そして、手を伸ばすことも適わないほど、果てしなく遠いものだった。
俺は『それ』に気を取られた。結果、それが、最悪の事態を招いた。
敵のソルジャーが放ったミサイル群を感知することが遅れたのだ。その一瞬の遅れが、数秒の隙となり的確な命令を味方に伝達することを阻んだ。
たった一瞬が、俺たちの運命を決定したのだ。
そして俺たちはミサイルの雨を浴びた。降り注ぐ酸性雨とともに。
避けることもできなかった。到底、逃げることなど出来はしない。
ミサイルの雨の中、俺たちは蟻よりも無力だった。
……ざりざりと響くノイズが疎ましい。
聴覚回路が破損したのだろうか。視覚回路にも異常が見られる。
ろくに動くこともままならない俺は、この戦場に転がるガラクタの一つになるのだろう。
使えるセンサーで周囲を調べる限り、動けるソルジャーは一体もいない。
全滅。
嫌な言葉が回路をよぎる。
一方的な敗北は、コマンダーとしては最も恥ずべき結果だ。それをよりにもよって、この俺が導こうとは……。
俺は、笑った。音声は出なかったが、それでも笑った。
自嘲の笑いというのが、最も相応しい。
人間でもあるまいに……。しかし、そんな人間的なところが、あの男の気に入らなかったのだ。
人間に感情面ではかなり近づいた俺たちを、疎む者も少なくはない。人間によって造られた機械が、人間に近づくことが彼らにとっては癪に障るようなのだ。
ならば、なぜ俺たちの姿を人に似せたのだ。
ただ、壊し合うことが目的ならば、このような人に似た姿を与える必要などないではないか!
ノイズを放つ記憶回路から湧き出てくる感情は怒りに間違いなかった。
──おかしい……。
その時俺は、気がついた。
こんな、感情などというものは、アイアン・ソルジャーには全く必要のないものだ。なぜそんなものを、この俺が持っているのだ?
俺は思わず身じろいだ。
動けるとは思っていなかった体は、少しだけ揺れ、バタリと地に伏せるような形で崩れた。
その瞬間、回路の奥底でスパークのように閃くものがあった。
──ワァァァ……
反響するこの音はなんだ?
それはとても、人の声によく似ている。しかし、到底一人や二人が作り出す和音ではない。
大勢の人の声。
「……歓声…」
そう、それは歓声だ。スタジアムを揺るがすほどの、人が放つ喜びの、そして興奮の声だ。
「……スタ…ジ……アム……」
とても、懐かしい響き。
懐かしくて、哀しくなる。
何故、思い出せない?
俺は確かに、それを知っていると言うのに……。
「………ス…タジア…ム……歓…声……茶と緑とが……織りなす……グ…ラウンド……」
記憶回路から絞り出すように、俺はいくつかの単語を呟いていた。いかれた視覚センサーに、色とりどりの情景が浮かび上がる。有り得ないことなのに。
どれも、知っている。
あれは……。
「……マウ…ン…ド……」
白いプレートに片足を掛け、悠然と佇むものがいる。右手には白い小さな球形の塊を握っている。
懐かしい。あれは……あそこは、どこだ?
思い出したい。あの地は、俺にとってはとても大切なものなのだから。
必死の思いで目をこらすと、悠然と佇むものが手を振り上げた。その真正面には誰かが立っている。バットを構え、睨んでいる。手を振り上げたものは次に足を上げ、そしてその勢いのまま手を振り下ろした。
その瞬間。俺の回路に稲妻が駆け抜けた。
かすかに動く手がぎりっと砂を掴む。
「……あれは、……あれ…は……!」
───44ソニック!
その瞬間、俺はマウンドに立つものが、誰であるかに気がついた。
気がついて当たり前だ。何故なら、あれは、この俺自身なのだから。
戦場に来る前の、すべてを奪われソルジャーとなる以前の、この俺の姿なのだから。
「──アイアン・リーガー……」
ただ一つの単語が回路を過ぎる。
今まで忘れていた、いや封じられていた名前。
ソルジャーには必要の無い……。
両手で砂を掴み、俺はぎしぎしと音を立てながら身を起こす。
腕を伝って流れるオイルが、砂を赤黒く染めていく。
左腕はもう駄目だ。腕は肘の辺りで、コード一本で繋がっているだけのようだった。
──構わない。右腕さえあれば、まだ投げられる。
「!」
自分の考えに一瞬はっとした俺は、次に苦笑を浮かべていた。
──まだ、投げられる、か……。
よくもこんなところで、そんなことを考えられるものだ。もはや、先刻の攻撃で破損した俺は、駆動系とてかなりやられている。
もはや、ここで朽ち果てるだけだろうに。
──それでも……。
俺は立ち上がることを止めない。
俺はアイアン・リーガーだ。それを思い出してしまった以上、諦められるはずがない。
俺は、俺たちは壊し合うためではなく、競い合う為に生まれたのだ。
マウンドで果てるのならばまだしも、こんな所など真っ平だ。
俺はゆっくりと歩き出した。
砂が足元できしむ。時にはバランスを崩して地に倒れ伏す。しかし、その度に立ち上がり、進み続けた。
求めてやまぬ、あの地を目指して。
ざりざりと、聴覚回路に響くノイズが疎ましい。
けれど、俺は気づいてしまった。ノイズの向こうで轟き渡る歓声に。
だから俺は進む。だから、俺は戻る。
たとえ、すべてを失っても、この思いだけはなくしていないから、だから進める。
苦しかったけど、もう哀しくはなかった。何故ならば、俺は自分が在るべき場所を見つけたのだ。それを取り戻す為なら、どんなことでも耐えられるような気がした。
ブゥゥン。
微かな音がして、チャージャーの電源が切れる。
それを合図に意識が覚醒していく。
七割ほど意識が覚醒した頃、俺は目の前に誰かが立っていることに気がついた。
彼は、少し首を傾けて、俺の顔を覗きこんでいる。心配しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「マグナム」
彼が俺の名を呼んだ。
「……どうかしたのか、ウインディ」
問うと、マッハ・ウインディは一瞬当惑の表情を浮かべる。
「……別に…なんだか、お前、調子悪そうだから……」
「別に、どこも悪くはないぞ?」
思ってもみなかった言葉に、俺の方が戸惑った。これがメンテナンス直前などと言うのなら解るが、チャージャーから起き上がった直後に調子が悪いはずがないではないか。
「……それなら…別に、いいんだけどよ……」
言った本人も戸惑っているのか、どうもはっきりしない。
「変な奴だな」
思わず苦笑を浮かべた。
その瞬間、回路の奥底でノイズが駆け抜けた、ような気がした。
「………」
「どうかしたのか? マグナム?」
不意に黙り込む俺をいぶかしんで、ウインディが声をかける。しかし、俺は即答できなかった。
回路に浮上する、記憶の断片が苦しい。
あれもまた、この俺の記憶。消せるものならば、今すぐにでも消してしまいたい、忌々しい記憶。
けれど、消去することはできない。今もまだ、どこかで傷つけ合い破壊し合うものたちが居るはずなのだから。
「マグナム?」
「……昔のことを……思い出した、だけだ……なんでもない……」
「昔の?」
俺の言葉にウインディはきょとんとする。彼には『昔』という言葉で表現できるだけの蓄積された記憶が無い。ウインディが知るのは、俺にとっては『つい最近』に分類されることばかりだ。
時々、かなり古い記録について口にするが、それは自らが得たものではなく、与えられた記録がほとんどだ。
ウインディは、俺を見て豪快に笑った。
「昔のって、なんだよお前。寝てる時まで野球してたのかよ! とんだ野球バカだな」
「……誰が、バカだ。誰が」
「オレもさ。チャージャーについている時も、サッカーしてるような気がする時があるんだよな。そっかあ、マグナムもそーゆー時があんだな」
俺のヘッドパーツの曲線は、ウインディにとってはとても叩きやすいらしく、よくこんな風にぺしぺしと叩かれる。大体が、機嫌の良い時に限られるようだが。
ウインディは一人で納得して、笑っていた。俺もまた苦笑を浮かべる。ウインディが認識した『昔』と俺が言った『昔』とは違うものだ。
しかし、俺は、誤解を解くつもりはなかった。
ウインディは俺がアイアン・ソルジャーであったことを知っている。しかし、アイアン・リーガーの彼には、アイアン・ソルジャーなどというものは、データーが大きく不足しているために、──人間の言い回しを使うなら──ピンとこないのだ。だから、俺が昔のことを口にしてもソルジャー時代のことを示しているとは思わないらしい。シルバー・フロンティアの頃だと、納得しているのだ。
早合点だとしても、それは俺にとってありがたい誤解だった。
「お前、そんなに野球が好きなのか?」
「そりゃあ、そうだろう。俺はそもそも、野球リーガーなんだからな」
「じゃあ、今のシルバー・キャッスルはお前にとっては最高だな。サッカーで入団しておいて、野球までできるんだからな」
「俺には、シルバー・キャッスル以上のチームなんか無いさ。素性も解らない俺を信用して拾ってくれた訳だからな」
「はは、違いない。でも、ま、オレにとってもここが一番だぜ」
ウインディは屈託なく笑って歩きだす。ウインディの言葉には、含みなどかけらも存在しない。
自分が一番自分らしくいられる場所を手に入れているからだ。
それについては、俺も同じだった。
ここは、俺が俺として存在することを許し、認めてくれた場所だから。
「おい、マグナム。もしかして、オレたち一番最後なんじゃないか?」
慌てたようなウインディの声。そう言えば、周りにはもう誰もいない。
「急ごうぜ。GZあたり、時間にはうるさいから、きっとピリピリしてるぜ」
「そうだな」
駆け出すウインディの後について、俺もまた走りだす。
日差しは柔らかい。ここでは太陽も暖かい。ここにはもう、あんな雨は降らないだろう。
「早くしろよ、マグナム!」
ウインディが怒鳴る。それすらも、俺にとっては存在を与えられた証明だった。
俺は多分、許されたのだと、思う……。
了