とある魔術の未元物質
SCHOOL5 努力 と 才能
―――もし、この世のすべてのものが理性的だったら、なんにも起こることはなかっただろう。
最も理知的な動物である人間にも本能がある。そして大抵の人間は、稀に理性よりも本能を優先するものだ。本能をそのままさらけ出す人間など殆どいないが、本能を全く曝け出さない人間もまた殆どいない。理性と本能は表裏一体であり、どちらも備えているものだ。
「禁書目録に同伴していた少年の詳細が分かりましたよ」
どこかのビルの屋上に二人の人間は立っていた。
一人は言うまでもなく赤髪の神父ステイル＝マグヌス。もう一人は垣根との戦いに敗れたステイルを回収した神裂という東洋人の女性だ。
腰まで届く黒髪をポニーテールに纏め、腰には『令刀』という日本神道の儀式などで使われる、長さ二メートル近い日本刀をが鞘に収まっている。
「それで神裂。アレは一体何なんだ？」
「それですが。貴方も知っての通り、この街の最高位の能力者というのは間違いないようです。
しかし、その能力の詳細までは…………」
神裂は知らない事だが、垣根帝督はただLEVEL5の超能力者というだけではなく学園都市暗部『スクール』のリーダーだ。名前だけなら兎もとしてその能力の詳細までは、魔術師とはいえ学園都市の人間ではない神裂には調べられるものではないのだ。
比較的オープンな超能力者である第三位の『超電磁砲』や第五位の『心理掌握』とは事情が異なるのである。
「成程、この街も最高峰の戦力の情報を、部外者である僕達に公開するほど平和ボケしてないということか。しかし科学の街で、まさかアンナ代物を見るとはね」
「…………………………」
ステイルがあんな代物といったのは、垣根の背中から生えてきた白翼のことだ。クリスマスの日をただ異性と能天気に遊びまわる事としか捉えていない学園都市の人間ならば、あの白翼などメルヘンな能力にしか思わないだろうが、ステイルや神裂のような十字教徒にとって白翼は重要な意味を持つ。なにそう難しい事ではない。十字教で白い翼を生やした存在として真っ先に思い浮かぶのは一つ、天使だ。実際あの白翼を背負う垣根は十字教における天使に共通する所があった。
「それで実際に戦った貴方からして、垣根帝督の能力がどのようなものなのかは検討がつきましたか？」
「いや……」
次の煙草に火をつけながらステイルは言う。
「翼による風圧攻撃、圧縮した空気による攻撃。それに火も使っていた。能力者に多重能力者は存在しないというけど、僕としては大いに疑問だね」
実はステイルが知らないだけで空間そのものを炎が燃えることが出来ない空間へと法則を変えたりもしていたのだが、魔術師であり科学に疎いステイルは気づかなかった。というより例えステイルが科学に詳しくても気づかないだろう。垣根の未元物質はこの世のものではないが故に、この世の科学しか知らぬ科学者にとっても未知数の領域なのだから。
「…………楽しそうですね」
ポツリと神裂が言った。視線の先には垣根とインデックス。
見た限りだとインデックスが垣根を引っ張っているように見える。
それをステイルはやや寂しげに見ていながらも、やがて元の無表情に戻った。
刻限は過ぎていく。其々の思いを引き連れて。
とあるビルの死角となっている場所から垣根が出てくる。
ここは表向きはただの電気屋であるが、その中の一角に銃火器の類を流す商人が店を構えていたのだ。垣根に与えられた指令とはその商人の殺害。
その商人もそこそこの腕は持っていたが、LEVEL5の第二位という怪物には何の意味もない。仕事開始から三秒で商人は自らの血の海に沈む事になった。今頃その『店』ではスクールの下部組織が死体処理をしているところだろう。
「お疲れ様、帝督」
「心理定規…………」
仕事が終わった垣根を出迎えたのは、スクールのメンバーの一人である少女だった。何故か赤いドレスを纏ったその姿は、年齢に不相応の色気があったが垣根は無視した。
こんな少女でも『心理定規』というそこそこ優秀な能力者である。その名の通り他人の距離単位を自由自在に設定することが出来る能力で、この少女は他人の恋人にも友人にもなることが出来る。実際、情の深い人間ほど厄介な力だ。
「そういえば幻想御手事件、解決したそうよ」
「幻想御手？ ………………ああ、あの能力が一時的に上がるとかいうやつか」
幻想御手とは最近学園都市を騒がしていた事件である。能力者のLEVELを簡単に上昇させる幻想御手がLEVEL0やLEVEL1などの比較的弱い能力者を中心に蔓延した一種のドラックのようなものだ。正体は共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉する音声ファイルであり、副作用として全く異なる他者の脳波を強要される為に、やがて脳の自由を奪われ意識不明となるという代物だ。
「そうよ。お手軽にLEVELの上がる幻想御手。
まぁ使いたくなる気持ちも分かるけど…………馬鹿、かしら。そんな美味しい話があるなら、学園都市にLEVEL0は存在しないわ。なにか欠陥があるって事くらいは分かりそうなものなのだけど」
「仕方ねえだろよ。学園都市における格付けや地位だけじゃねえ。自分の意思でこの街に来た学生は、多かれ少なかれ能力に対する『憧れ』ってのがある。
それにな。俺みたいに『突き抜けた』能力者になると分かるんだよ。この世界には努力ではどうしようもねえ『才能』って壁がある。それを超えられる可能性があるなら『幻想御手』なんて代物に手を出したくなるのは当然だろうよ」
垣根はLEVEL5の超能力者だが、別に努力に努力を重ねてLEVEL5になったのではなく、ただ単純に最初からLEVEL5だった。更に発現した能力は『未元物質』という常識外。第一位の『一方通行』と訳の分からない第七位を除けば、恐らく最強に位置する能力だ。そんな頂にいると、逆に『才能』という残酷なる壁が理解出来てくる。学園都市の学生にはLEVEL5の第二位である垣根よりも、遥かに能力開発に努力していながらもLEVEL0のままの学生もいる。努力すれば何とかなる。努力すればLEVELが上がる。そんなことは少なくとも現在の学園都市では有り得ない。
「それって、自画自賛？」
心理定規が問いかけてくる。
確かに垣根の言い方だと、まるで自分の強さを褒めて、他を見下しているように感じられるだろう。
「いや単なる『現実』だ」
「そう。……そういえば、その幻想御手事件を解決したのは、第三位の『超電磁砲』だそうよ」
「超電磁砲？ 確か常盤台中学の御坂美琴、だったか？」
「ええ。LEVEL1から『努力』でLEVEL5になった超能力者よ」
才能の絶対性を語った垣根を皮肉るかのように心理定規が言った。
けれど垣根は特に嫌な顔もせず、ケータイで時刻を確認しながら答える。
「……あのな、別に俺は努力を否定してる訳じゃねえ。ただ『努力』じゃどうしようもならない壁があるって言っただけだ。ようはそいつにとっての『壁』がLEVEL5だっただけだろう。まぁLEVEL5にまでなった努力は並大抵じゃねえだろうがな」
垣根は話は終わった、とばかりに心理定規とは逆方向に歩いていく。
「迎えの車が来てるわよ」
心理定規が指さすと黒いごみ収集車があった。けれど、当然ただのゴミ収集車ではない。あれが収集するゴミは敗者の死体と勝者だ。ただ勝者のほうは収集というよりは送迎に近いが。それでももし垣根が死ねばゴミとして収集されるのは疑いようがないだろうが。
「…………いや今日は歩いて帰る」
「ふーん、ここ三日間ずっとそうね。もしかして女でも出来たの？」
女と言われて家に居候している大食い暴食シスターを思い出したが、垣根はそれを振り払う。別に垣根はインデックスに恋愛感情なんて抱いてなどない。ただ『魔術』という別世界の常識を知る為に必要な存在、ただそれだけなのだ。
垣根は無表情で、心理定規の問いに答えることなく帰っていく。
どうせ今頃家では大食いシスターがTVでも見ながら煎餅を食っているだろう。
（インデックスと、オカルトと関わってからもう三日か）
最初は直ぐにでも魔術師の大軍が襲い掛かってくるのではないかと警戒していたが、拍子抜けするほどそんな事はなかった。
この三日間に起こった出来事といえばインデックスが空腹で暴走した挙句、三十分で食べきれば一万円というカレー屋のカレーを食べつくして店を破産させたり、爆走したインデックスを止める為に放った未元物質がウニ頭の学生を吹っ飛ばしたり、自動販売機に強烈なるキックをしている第三位の超能力を目撃したくらいだ。
（……………………………………）
十分に多くの出来事が発生していたような気もするが、垣根は気にしない事にした。
それにしてに、驚くほど人がいない。夜とはいえまだ人が歩いていても可笑しくはない時刻だというのに、何故こうも人がいないのか。
「ああ、そういう事か。漸くお出ましかよ、魔術師さん。
それにしても今度はどういう手品だ」
「ステイルが人払いのルーンを刻んでいるだけですよ」
夜の闇から一人の女が現れた。
間違いなく三日ほど前に気絶したステイル＝マグヌスを回収した魔術師だ。
「そいつは便利だ。量産は出来ねえのか？」
「残念ですが、科学サイドの人間である貴方には不可能でしょう」
確か名前は神裂火織と名乗っていたはず。
腰に下げているのは日本刀。見た目の判断が正しいのであるのならば、日本刀による近接戦闘を得意とするのかもしれない。
だが相手は魔術師なんてオカルト野郎どもである。垣根のセオリーは通用しないと考えた方がいいだろう。
「垣根帝督。率直に言います。
出来れば魔法名を名乗る前に彼女を保護したいのですが？」
「魔法名っていうと、あの神父が言ってたアレか」
「はい。私はもう二度とアレを名乗りたくはない」
「へぇ」
名乗りたくはない、名乗らない。
ステイルは魔法名を殺し名とも言っていた。良くは分からないが魔術師が本気で戦う時に宣言するものなのだろう。それを名乗らないという事は、魔法名を名乗れば勝敗が決すると、垣根帝督が劣っていると言外に告げているようなものだ。
「断るって言ったらどうすんだ？」
瞬間、無数の斬撃が垣根を襲った。
「ッ！」
見えなかった。まるで見えなかった。
もしも咄嗟に白翼で身を守らなければ、やられていたかもしれない。
「随分と物騒じゃねえか。ええ、魔術師」
「幾度でも問います」
神裂はその日本刀から刃を抜かない。
刀を鞘に納めたままで、問うた。
「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」
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