とある魔術の未元物質
SCHOOL102 同類 の 敗北者
―――人間だけがこの世で苦しむため、笑いを発明するほかなかったのだ。
知恵があるから不幸を感じることができる。もし人間が知恵というものを失えば、果たして人間は自殺なんていうことをしようとするだろうか。もしかしたら人間は唯一知恵をもつ生物ではなく唯一不幸な生物なのかもしれない。少なくとも、人間以外の動物は社会に疲れたからといって自殺を図ろうとはしないだろう。
「ほらほら、どくじゃん! こっちには人命がかかってるじゃんよ!」
道路を巧みな運転テクニックで対向車を躱しながら時速100kmオーバーで進んでいく。
後部座席には応急処置を施された心理定規がいた。垣根は死んだと判断していたようだが、ギリギリの所で心理定規は生き長らえていた。
それにいち早く気付いた黄泉川は学園都市の裏側に回収される前に心理定規を確保し、そのまま手近にいた能力者にも協力して貰って治癒を施し、こうして猛スピードで道路を走り抜けているのだ。
目指すのは彼の『冥土返し』がいる病院。あそこしか彼女を助けられる可能性がある病院はない。
(なんとしてもこの子を、助けるじゃん!)
本音を暴露してしまえば、黄泉川は心理定規を助ける為だけに車を走らせているのではないだろう。
一方通行という子供を殺人者にしない為に、垣根帝督という子供の大事な人を殺させないためにもこうして車を走らせているのだ。
こんな黄泉川の心を他人が知れば笑うかもしれない。殺人者にしないもなにも、一方通行は既に一万人ものクローンを殺している。そして暗部に属してからも多くの人間をその手で殺めている筈だ。
だから心理定規が死んだからといって一方通行の咎が一つ程度増えるだけ。
しかし黄泉川にとってはどうでもいい。理屈ではない。百人殺しても百一人殺しても同じだなんて黄泉川は思いたくない。その一人には数字では測れない重さがある筈なのだ。
「だけど……一方通行も、あの垣根帝督って子も……まだ子供だっていうのに」
子供を実験材料にして、子供を兵器にして、子供同士が殺し合う。
これが学園都市の裏だとしたら何て残酷なのだろうか。
黄泉川は車を走らせながら、世の無常を嘆かざるを得なかった。
ここは何処だろうか。
垣根は大の字に倒れながら、辺りを見回す。どうやら工場の中のようだ。博士の時といい今日はよく工場にくるな、と垣根は苦笑しそうになる。
体が思う様に動かない。
生存本能のお蔭なのか、無意識のうちに『未元物質』を使って衝撃を軽減したようで、あれほどの速度で吹っ飛ばされたというのに即死は免れていたが、重傷には違いない。出血も酷いし骨だって折れている。
(あ、負けたのか……俺)
紛れもない事実が圧し掛かってくる。
垣根帝督は一方通行と戦い、敗れた。心理定規も死んだ。ピンセットも何時の間にかなくなっている。一体なんのために危険を冒してまで学園都市へ来たのか、分からなくなりそうだ。
垣根は敗北者だった。
魔術という異能を手に入れ、LEVEL5の超能力者でありながら垣根は敗者だった。学園都市最強の怪物の前に、唯一つの異能に敗北した負け犬。
(ふざけるんじゃねえ!)
体にエネルギーが戻る。
認めてやろう。今回は負けた。間違いなく負けた。
だがまだ垣根帝督は生きている。生きているなら再起は測れる。復讐戦を挑むことだって出来る。本当の敗北は死んだ時だ。生きている以上、垣根はまだ完全に敗北していない。
(それに、インデックス)
例え心理定規が死んだとしても、垣根にはそれを超える至上命題がある。
インデックスの『首輪』、あれをどうにかしない限り垣根は殺されても死んでやることは出来ない。こんな糞な街の工場で倒れてる時間などないのだ。
(一方通行は殺す! 絶対に殺す! 意地と矜持に賭けて……ぶち殺してやる! だが俺には、やることがある。こんな場所でぶっ倒れていりゃ、直ぐに糞野郎共がくるだろう。奴らは俺が死に体だと思ってやがるだろうが、そうは問屋が卸さねえ!)
垣根の体の傷が塞がっていく。
垣根は自らの体に治癒魔術を行使することで、自然回復を遥かに超える速度で自分を回復させることができる。いつかの劉白起なんて怪物の扱った『命の水』の術式には遥かに劣るが、それでもある程度の傷なら塞ぐことが出来るのだ。
勿論、魔力とて無限ではない。謂わば魔力を消費した分、身体の傷を癒しているのだ。魔力がなくなれば当然のごとく治癒魔術は使えなくなる。
「はっ、一方通行の野郎との戦いには糞の役にも立ちはしなかったが、妙な所で役立つじゃねえかよ」
戦いに役立たなかった魔術を皮肉る。同時に超能力とは違う魔術のレパートリーの広さに満足した。幾ら垣根の超能力が強力でも、身体の治癒なんていうのは出来ない。
(いや、未元物質を応用すりゃ身体の傷を防ぐことや……検査染みたことくれえは出来るか)
垣根は立ち上がり、改めて周囲を見渡してから……辺りに人払いの結界を敷く。これで一先ず、普通の能力者や暗部ならここには近づかなくなった。
人払いの魔術は魔術師相手なら全く意味のないものだが、科学の街ならば便利なものだ。一方通行ほど出鱈目になると分からないが、この魔術一つで『超電磁砲』だろうと『原子崩し』だろうと避けることができるのだから。更に『未元物質』を使い『滞空回線』の方も排除しておいた。
(一先ずここで体を回復させる。このままでも学園都市から脱出することくれえなら出来るだろうが、まだ俺には最後にやっておくことがある。………………ん?)
「ぁ………ら…………がぁ……」
なにか呻き声のようなものが聞こえる。
猫でもいるのかと思ったが、これは人の声だ。
(まさか俺以外にも此処に誰がいやがるのか?)
もしも暗部ならば殺そう。
心理定規が目の前で死んだ事もあり、異様なほど不機嫌だった垣根はそう結論した。普段の垣根は敵対している相手でも障害になりえない雑魚ならば見逃すこともある。だがそれは機嫌が普通の時だ。先程、一方通行を庇った打ち止めと警備員を纏めて殺そうとした事からも分かる通り、不機嫌なら雑魚も見逃さずに殺す。そして垣根帝督は嘗てない程に不機嫌だった。
呻き声のする方向へ足を進める。
果たして鬼が出るか蛇が出るか。
(どっちが出ようと関係ねえがな)
鬼でも蛇でも出てくればいい。なんなら両方が出てきてもいい。両方とも殺せばいいのだから。
「て、テメエ!?」
だが呻き声を出していたのが、余りのも思いの寄らない人物だったことに垣根の殺意は吹き飛んだ。
まるで死んだように倒れていたのは女性だった。片方の目が何かに潰されたせいで血が出ている。血痕の付着したガラスの破片があるので、恐らくあれで刺されたのだろう。それに体には銃にでも撃たれたのか穴が開いている。なにより垣根を驚かせたのはその女性自身だった。
「麦野、沈利……だって」
垣根と比べれば遥かに劣るが、それでも学園都市の第四位に君臨したLEVEL5。『スクール』と同程度の機密力をもっていた『アイテム』のリーダーだ。そんな女性が倒れていることに、第二位の頭脳は最も確率の高い『理由』を即座に見つけ出す。
「あの……下っ端か」
如何にもチンピラといった面構えをしていた男を思い出す。名前は……確か浜面とかいっただろう。
つまり麦野沈利は、あの浜面とかいうレベル0のチンピラと戦い敗れたということか。
「やるじゃねえか」
垣根の口から出たのは麦野沈利を馬鹿にするのではなく、LEVEL0のチンピラへの素直な賛辞だった。垣根や一方通行と違い、第三位までなら作戦と装備次第で無能力者でも倒すことは可能だ。なにしろ幾ら強力な能力をもとうと体は人間のもの。垣根のような『未元物質』と魔術による防壁も、一方通行の反射もない。弾丸一発、急所に当たるだけで殺すことはできる。だがそれはあくまで理論上の問題だ。実際にやるのとは異なる。
以前、キャパシティダウンで能力をほぼ失った垣根は麦野沈利の前に逃走したが、それは能力無しでは麦野沈利に勝てないと踏んだからだ。しかしあの無能力者はやってのけた。奇跡やマグレも多分にあったのだろう。麦野の方にも油断があったのかもしれない。それでもLEVEL0がLEVEL5を倒すなんてミラクルをあの男はやったのだ。
「しかし麦野沈利か…………こりゃ、手を下すまでもねえな」
運よく銃弾は重要な血管を貫いておらず、傷のわりに出血量は少ない。そのお陰で麦野はまだ生存しているが、それも後少しのことだ。このまま何の処置もしなければ、第四位のLEVEL5は緩やかな死を迎えることになる。
(助ける義理はねえ)
流儀として借りは返すことを信条とする垣根だが、麦野には恩どころか襲撃を受けた記憶しかない。見逃す事はあっても助けてやる理由はなかった。
死ぬのなら勝手に死ねばいい。
「………………………………」
浜面の起こしたミラクルで機嫌最悪から最低にまで持ち直した垣根は、殺す気も失せてその場を去ろうとする。
しかし、何者かに右手を強く掴まれた。
「あぁ?」
誰が掴んだかなんて決まっている。
この場には垣根を除けば一人しか存在しない。麦野沈利が強く垣根の右手を握りしめていた。藁にもすがるように。
「……いやだ………死にたく、ない…………」
それは殆ど意識もなく、咄嗟に出た言葉だったのだろう。でもなければ、あのプライドの強い女が死の淵にあるとはいえ垣根帝督にそんな事を言う筈がない。
麦野沈利の片方しかない瞳が涙で潤んでいた。もしかしたら垣根の顔も上手く見えていないのではないだろうか。
「クックックっ」
それが余りにも可笑しくて、垣根は笑った。
何ていうことはない。
麦野沈利と垣根帝督は同類だった。負けた相手が格上だったか格下だったかの差はあるが、それでも同類だった。同じようにこんな工場で倒れている、同じような負け犬だ。
「あはははっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
狂笑。
壊れたオルゴールのように垣根は笑い続ける。
まるで泣いているように。
頑張れ黄泉川な回でした。そしてどうにか生き残っていた垣根。時系列的には、
浜面が麦のん撃破
↓
一方通行が垣根撃破
↓
垣根と麦のんが遭遇←今ここ
というような感じです。
さて、では恒例のようになってしまった次章予告。
特報!
一人の少女を失い、少年の心は壊れた。
少年はもう一人の少女を救うため、暴走を開始する。
事件の切欠。
それは垣根帝督に接触してきた一人の魔術師。
「私、イギリスの魔術結社予備軍『新たなる光』のレッサーと申します」
それは少年が憎む国からの使者。
レッサーと名乗った魔術師は垣根帝督に一つの『契約』をもちかけた。
十月十七日。
英国にて第二王女キャーリサのクーデターが勃発。
古の大帝国は戦果の渦に呑まれた。
霧の都を駆けるのは垣根帝督と上条当麻。
正史においてインデックスを救った少年と、外史においてインデックスを救えなかった少年が遂に交差する。
「……初めまして上条当麻。俺は垣根帝督、テメエの右手を奪いに来たぜ」
―――――暴走するLEVEL5の第二位、垣根帝督。
「そんなに俺の右手が欲しいってなら、いいぜ。相手になってやる、垣根帝督!」
―――――幻想殺しの右手をもつ少年、上条当麻。
「……分かったわ。でも絶対にすぐ戻るから……死ぬんじゃないわよ」
―――――上条当麻についてきたLEVEL5の第三位、御坂美琴。
「あ、ツンツン頭。ここは……クーデター派の方じゃ、ないよね?」
―――――十万三千冊を記録した魔道書図書館、インデックス。
「黙れ上条当麻。その子に貴様の右手で触れるな」
―――――何も出来なかった魔術師、ステイル=マグヌス。
「労働者らしくストライキという手もあります」
―――――イギリス清教の聖人にして天草式の長、神裂火織。
「傭兵崩れのゴロツキとして王の国の姫君が一人、貴女を撃破するのである」
―――――元神の右席にして二重聖人、アックア。
「軍を動かす事はできますが、科学サイドの学園都市への配慮はいかがいたしましょう」
―――――イギリス三大派閥の一つ騎士派の長、騎士団長。
「君が煉瓦の家を建造することを祈っているよ」
――――――正体不明。
「さぁ、群雄割拠たる国民総選挙の始まりだ!!」
―――――王座から追われた英国女王、エリザード。
「大人しくしていろ。別にお前を斬って捨てようなんて事は考えてないの」
―――――クーデターの首謀者、第二王女キャーリサ。
そして、異なる物語を歩んできた男達は己が信念をぶつけ合う。
「……折角の機会だ。その『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の力、見極めてやる」
「この現実を、噛みしめやがれぇぇえええええええええええええ!」
男達が拳をぶつけ合う中、ヒロインは戦場で唄う。
「――――――――――――献身的な子羊は強者の知識を守る」
とある魔術の未元物質 英国クーデター編
幻想殺しと未元物質が交差する時、物語は終焉へと向かう。
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