ミュラーとハルバートンが帰るとアズラエルはワインをグラスに注ぎ飲む。
一人で飲むワインは友人や家族と飲むものとはまた違う愉しみがあるものだ。最近はエイプリルフール・クライシスのせいで目の回る忙しさであり、ワインを飲む機会といえばロゴスや政治家連中などとの愉しむ間すらないものばかりだっただけあって数倍美味に感じられる。
「ニュータイプ、ねぇ。一体どこの誰が言いだしたんだか」
アズラエル財閥の情報網をもってしても噂の出所を掴むことはできなかった。
ニュータイプ。コーディネーターとは異なる進化した新しい人類。生物が海より陸に上がったのと同じように、宇宙という新たなる生活圏へと進出した人類は環境に適応した自然進化をするのだと。
ハンス・ミュラーがナチュラルでありながらコーディネーターを圧倒するほどの強さをもつのは彼がニュータイプであるからだ。そんな話が一部を賑わせている。
勿論こんな噂を本気で信じ込んでいる人間などいない。よくある都市伝説の類だ。
「与太話だけど面白味はあるかな」
仮にニュータイプなんてものが実在したとして、ハンス・ミュラーがそうであるならば人間は遺伝子に手を加えずとも自然に進化できるという証明になる。
すると人の手が入らなければ誕生せず、繁殖能力に欠けるコーディネーターは間違った進化といえる。
極論すればニュータイプは新種の花で、コーディネーターは品種改良した花。そんなところだろうか。
品種改良した花というフレーズでアズラエルはなんとなくブルー・ローズ。青薔薇を思い出した。
青い薔薇も自然には存在しなかったのを人間が手を加える事で人工的に生み出した。
天才を人工的に生み出すコーディネーターと同じである。
しかしコーディネーターが『ブルー・ローズ』というのは皮肉が効いている。『ブルーコスモス』の盟主としては苦笑するしかない。
それにニュータイプなんてものが幻想だとしても、別にどうでもいいことだ。
ハンス・ミュラーがニュータイプであろうとなかろうとナチュラルでありながらMSパイロットとしてコーディネーターより強いという事実。
今後ニュータイプなんて単語が影響力を増していけば、それを政治的プロパガンダに利用すればコーディネーターを否定する材料の一つにはなるだろう。
アズラエルの脳内では『ニュータイプ』という概念をどのように使うかの算段が次々と浮かんできていた。
「ミュラーくんは嫌がるでしょうが、諦めて貰いましょう」
アズラエルは商人としてではなく、個人的にもハンス・ミュラーという男を気に入っていた。
今でこそブルーコスモス盟主、国防産業理事という立場にいるアズラエルだがそれなりに暗い少年時代というのはあった。
目を瞑れば簡単に想起できる。子供の頃、コーディネーターの同級生に喧嘩で完膚なきにまで叩きのめされた日のこと。
――――もうよしなよ、本気で喧嘩したら僕にかなう筈無いだろ。
あの言葉が耳に焼き付いて離れない。
そして自分はあの日、母親に「どうして僕をコーディネーターにしてくれなかったの」と泣きついたのだ。
「……………」
忘れたくても忘れられぬ幼少期の経験。客観的に見ればアレがムルタ・アズラエルという人間の原点だったのかもしれない。
そんな過去があるからこそ、ハンス・ミュラーというナチュラルがコーディネーターより上手くMSを扱い、コーディネーターを叩きのめすのに爽快感を覚えた。ミュラーを称える多くの人々も同じような感情を抱いているのだろう。
ナチュラルでもここまでやれる。ナチュラルだってコーディネーターより強くなれる。本人は意図的に気付かないようにしているだろうが、人々の多くがミュラーにそういった希望を抱いているのは事実だった。
性格も嫌いではない。
ブルーコスモスとは異なる思想を抱いているが、我武者羅に突っかかるほど子供でもなく、かといってハルバートンのように堅物ではない。
パイロットのイメージに合わぬ非暴力的な性格もいい。商人の例に漏れずアズラエルは暴力というものが嫌いだった。
アズラエルはグラスに注いだワインを飲み終わると、手元のコンソールを操作して娘を呼び出す。
「なんですかお父様」
やがて娘のローマが入ってくる。
憧れのミュラー中佐と余り話が出来なかったからだろう。不機嫌さが見て取れる。
「そうカリカリしなくてもいいでしょう。貴女にプレゼントです、はいこれ。ミュラーくんに頼んで貰いました」
アズラエルはミュラーに半ば強制的にかかせたミュラー直筆のサイン色紙を娘に渡した。
途端にローマの顔が喜びに染まる。
「ありがとうお父様。今まで頂いたプレゼントの中で一番嬉しいわ」
「それは良かった。しかりローマ、そんなにミュラー中佐のことを気に入るなんてね。ナチュラルとコーディネーターの対立や戦争にまるで興味を示さなかったというのに」
「あら。戦争なんて興味ないわ。私が興味があるのはハンスだけよ」
「いきなりファーストネーム呼びですか」
自分ですらファミリーネームで、しかも『くん』付けだというのに、会話すら満足してないのにヤキンの悪魔を友人のように呼ぶとは。
娘のことながら剛毅というべきかなんというか。
会談の場では冗談交じりにミュラーに娘の婿にならないかと誘ったが、この分だと娘の方は至極本気のようだった。
そのあたりは好きにすればいいと思う。
恋愛結婚を体験した身としては娘にも同じことを望みたくなるのが父親だろう。なにより家柄はないがハンス・ミュラーには連合屈指の英雄という名声がある。
戦後この名声とアズラエル財閥の力を使えば彼を史上最年少の地上における最高権力者とすることはそれほど難しい事ではない。
上手くいけば娘はファーストレディだ。……ミュラーがそんなことを望むとは思えないが。それにしても、
(うーん。もう少しレディとして思慮深さというか慎みをもって欲しいところですが――――これはこれで個性の一つなのか)
仕事ばかりではなく、もう少し娘の教育にも目を向けておくべきだったかとアズラエルは少しだけ後悔した。
とはいえもう後の祭りだ。アズラエルは話を話をかえるために口を開く。
「ところで父親としては、どうしてそこまでミュラーくんに入れ込むのか知りたいところです」
「単純よお父様。だってハンスは私と"同じ"だから」
「は?」
馬鹿な、と思った。
アズラエル財閥総帥の娘のローマと、大西洋連邦の貧乏な家に生まれ軍人となったミュラーに共通点など無いに等しい。
強いて共通点をあげるならば髪の色が同じだということと、大西洋連邦出身ということくらいだ。
だがローマは至って真面目な口振りだった。
「同じ、どこがです?」
「どこもかしこもぜーんぶ。私はお父様や他の人達とは違うけど、ハンスは私と同じなの。フラガの人達もそうだったんだけど、私あの家の人と波長が合わなかったから。だけどハンスは違うわ。私ととっても波長が合う。きっと運命だわ!」
「……………」
まるで訳が分からない。娘がどういう理屈でどういう意図をもって喋っているのか、父親だというのに理解できない。
それにフラガといえば今はかなり没落しきっているが、嘗てはアズラエル財閥ほどではないにしろ資産家の名家だった。ロゴスにいた事もある。
フラガ家当主だったアル・ダ・フラガはコーディネーターを超えるコーディネーター。『スーパーコーディネーター』の研究やクローン開発などに莫大な資金援助をしていたのでアズラエルは良く知っていた。
そしてフラガ家の血統の者は代々超能力染みた力をもっていて、その力であそこまで資産を増やしたのだと一部では実しやかに囁かれたものだ。
「それじゃお父様。本当にありがとう、このサインは一生の宝物にします」
ローマはパタパタと去っていく。アズラエルにはその後ろ姿を見送ることしかできなかった。
(フラガ……それにミュラーくん……ニュータイプと超能力)
まさか、とは思う。しかし娘の言動がどうにも気になって仕方なかった。
もしも本当にニュータイプなんてものが実在したとすれば。フラガ家に伝わる超能力というのがニュータイプとしての力の発露だったとしたら。そして娘の言動。
「少し調べてみますか」
アズラエルはコンソールを操作しお抱えの技術部に連絡をとった。
ニュータイプ。その実在を調査するために。
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