基本的に艦長というのは艦で一番偉い人間だ。無論、時には艦長より上の指揮官が乗り込むこともあるし、稀なことだがアルスター氏のような要人が同乗することもある。
しかしこのブリッジマンにおいて一番偉いのは艦長であるミュラーで、一番偉いミュラーは艦で一番上等な部屋でのんびりとくつろいでいた。
艦長室はいい。個人用シャワーやベッドは言うに及ばず、個人用ロッカーにTVにふかふかベッド。普段は上官やらスポンサーやら政府要人とのあれこれと、色々と問題のある部下との板挟みになって『艦長なんてやってられるかー!』なんて思ったりするミュラーだが、こういう良い部屋を貰えるのは素直に嬉しい。
これで一兵卒だとしたら集団部屋に自分のスペースはベッドだけという有様となる。
取り敢えず山場は超えたのだ。元々労働意欲旺盛とはいえぬミュラーは完全にだらけムードとなっていた。
制服のままベッドに寝転がるとTVをつける。ニュートロンジャマーのせいでTV番組を見ることは出来ないがHDにある映画などを見ることはできる。
「……えーと、どれどれA.D.時代における最低傑作『死霊の盆踊り』? 歴代唯一のZ級映画をご照覧あれ? ……………どんな内容なんだ。ここまで堂々とつまらないと宣伝されると逆に気になる」
今日はこれを見てみようか。ミュラーはそう思いリモコンを操作する。
「中佐! 大変です中佐!」
「………………」
しかしミュラーの平和な時間はノックもせずに飛び込んだ一人の部下によって台無しになった。
ミュラーの咎めるような視線を受け部下の顔面が青くなる。
「君……階級と姓名は?」
「は……はっ! エアーノット・リード軍曹であります! 中佐!」
「リード軍曹。大変なことがあったらしいのは君の態度を見れば分かるが次からはノックくらいしてくれ。心臓が止まりそうだった」
「申し訳ありません中佐! し、しかし緊急事態がありまして……」
「落ち着け軍曹。どっしりと構えていれば世の中、大抵のことはこんなこともあるさと受け止められるものなんだから。で、なにがあった?」
「アークエンジェルのキラ・ヤマトがラクス・クラインと共にストライクで脱走しました!」
「ぶぶっ!」
ヘリオポリスがザフトに襲撃されてガンダムが強奪された、という報告を受けた時に匹敵する驚愕がミュラーを襲った。
「な、なんだって!? それは本当か!」
言いつつミュラーは帽子を被ることすら忘れて艦長室を飛び出していた。
向かう先はブリッジではなく格納庫である。
「はい。詳しい事は不明ですが、とにかく脱走したのです」
「そうか」
ハンス・ミュラーも愚かなものだ。
キラ・ヤマトは純粋でナイーブな大凡軍人向きではない少年。ならばその純粋さ故にラクス・クラインをザフトに返還しようとしても不思議ではなかった。
しかしミュラーの中にはどこかキラ・ヤマトを見逃してやりたいと思う自分がいた。ラクス・クラインを元の国に帰そうとするキラと、それを拒み政治の道具とするために月へ移送しようというミュラー含めた連合軍。
どちらが人間的に正しいかなど子供でも分かる事だ。しかし子供でも分かる事が大人になると分からなくなってしまう。
(どっちにせよラクス・クラインはまだしもストライクまでザフトに奪わせる訳にはいかない)
格納庫についたミュラーは開口一番に叫ぶ。
「私のジンは出られるかっ! あとはキャリーとナインは!」
「キャリー少尉とナイン准尉のジンはまだ整備中です。中佐のカスタム・ジンはガトリング砲への装填が完了していませんが……」
「構わない。重突撃銃さえあればいい。一応仕込みはある」
時間がなかった。キラはもうザフト側に通信を入れているだろう。ザフトがストライクを確保してしまえば、その時点でアウトだ。
ミュラーは会話も少なくジンに乗り込むと発進シークエンスを完了させる。
「ハンス・ミュラー出撃する」
カスタム・ジンが宇宙に飛び出す。不幸中の幸いというべきかストライクはストライカーパック無しで発進している。これなら余り遠くへは行けないはずだ。
宇宙の闇の中を進む。ニュートロンジャマーが散布されていないのでレーダーは正常に機能している。ストライクのいる場所は直ぐに分かった。
ミュラーが宇宙に飛び出た頃、キラは第八艦隊から程よく離れた宙域でザフトに通信を入れていた。
ノーマルスーツに覆われた額に汗が滲む。格納庫でついた嘘など比ではないプレッシャーがキラの両肩に圧し掛かっている。
出来るだけ軍人らしい口調でキラはザフト軍に勧告する。
「こちら地球連合軍、アークエンジェル所属のモビルスーツ、ストライク! ラクス・クラインを同行、引き渡す!」
一方的な通信なため相手側からの返信はない。
本当にこの通信はザフトに届いているのだろうか。敵の指揮官はこちらを信じてくれるだろうか。そんな不安が心中で蠢く。
だがアスランならば。顔の知らないザフトの指揮官を信用することはできないが、アスランならば自分を信じてくれるはずだ。
「ただし!ナスカ級は艦を停止! イージスのパイロットが、単独で来ることが条件だ。この条件が破られた場合、彼女の命は…保証しない…」
「……あ」
ラクスが小さく声を漏らす。
キラは努めて冷酷に聞こえるよう言ったつもりだったが、それは逆にキラの純粋さを露呈させただけだった。ザフトの指揮官は今頃薄く笑っている頃かもしれない。
ストライクにいるキラは知らない事だが、ナスカ級がキラの勧告通りに艦を停止させイージスが発進する。
アスランはキラの言葉なら信用できると、上官であるクルーゼに自分を行かせるよう強く進言し受け入れられたのだった。当然、ラウ・ル・クルーゼのような男が紳士的に戦場を吟じるなどというのは有り得ないことであるが。
しかしそれはザフト軍だけではなく連合軍も例外ではなかった。
「あっ!」
キラはストライクを旋回させる。ジンの重突撃銃がストライクの居た場所を通過した。
見上げれば黒と赤に塗装されたジンがストライクを見下ろしている。
「ミュラーさん……」
『……キラくん。私も個人的には君を応援したい。だが幾ら私が不真面目さを信条としていても見過ごせないものもある。ストライクは還して貰うぞ』
「お願いしますミュラーさん! ラクスをザフトに返した後、絶対にストライクと戻ります。だから……」
『その優しさは嫌いじゃないよ。だが戦場でそういう当たり前の倫理観が無視されるのはよくあることだ。諦めてくれ』
それは突然に起きた。ストライクのシステムが一斉に機能を停止させる。
「ストライクが、動かない……? どういう……」
『ガンダムを強奪された轍を二度も踏まない様に。遠隔からガンダムを機能停止させられる仕込みをルーラにやらせておいたのが、こんなにも早くこんな形で役立つとは思わなかったよ。……君のしたことは軍人なら脱走罪で銃殺刑だが、君は軍人じゃない。そのところは取り計らうつもりだ』
カスタム・ジンがストライクに接近してくる。が、ミュラーがストライクに触れる前に緑色の光条が奔った。
接近してくる赤いガンダム。アスランの乗るイージスだった。
『やれやれ。ギルバート・デュランダルといいつくづく私にとって赤というのは厄介事の代名詞らしいな』
ミュラーはカスタム・ジンのコックピットでそう呟いた。
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