C.E.71.五月五日。旧世紀の日本ならば端午の節句、男性にとっての祝日であった日。
 オペレーション・ウロボロス、ニュートロンジャマー散布により核兵器を封じ、地球のマスドライマー施設を全て破壊することで連合軍を地球に閉じ込める作戦だ。
 その最後の一手を加えるべくパトリック・ザラが議会に提出し可決されたのがオペレーション・スピットブレイクである。
 連合の盟主国大西洋連邦が擁する最大のマスドライマー施設、それがパナマ基地だ。そしてパナマこそ連合軍に残された最後のマスドライマーでもある。
 謂わば地球がもつ最後の宇宙への渡り船であるパナマに宇宙から大部隊を降下させ占拠、或いはマスドライマーを破壊するのがオペレーション・スピットブレイクの狙いだ。
 表向きはそうだった。
 事実プラントの評議会議員の三分の二以上はそう信じて疑っていなかっただろうし、ザフトの将兵の九割以上も攻撃対象はパナマだと信じて疑っていなかっただろう。
 だがそうではなかったのだ。
 パトリック・ザラの狙いはパナマ基地を制圧し連合を地球圏に閉じ込める、なんていう消極的なものではなかった。
 敢えてオペレーション・スピットブレイクの目標はパナマであると情報を流すことにより、連合軍をパナマ基地へと結集させ、その隙にがら空きの連合軍本部であるアラスカを攻め落とす。
 通常のスピットブレイクが王道的な作戦ならば、真のスピットブレイクは連合軍に止めを刺す一撃、正に魂を破壊する作戦だった。
 勿論リスクはある。
 如何にパトリックが評議会議長だろうと議会で可決された作戦内容を独断で変更することは越権だ。作戦が失敗すれば非難は免れないだろう。
 だがならば失敗しなければいい。成功しても非難の声は避けられないだろうが、勝利に酔う歓声がそんな僅かばかりの非難を打ち消してくれる。
 
(そう……パトリックは考えているのだろうな)

 ザフトの潜水艇でクルーゼは一人ほくそ笑む。
 彼はパトリックに近い軍人であり、オペレーション・スピットブレイクの真の目的を予め聞かされた数少ない人間の一人だった。
 ただし彼がどれだけパトリック・ザラの信任を得ていようと、それが彼が誠実な軍人であるという証明にはなりはしない。

「いやはや。しかしザラ議長も思い切った事をお考えになされる。まさかパナマではなく一気にアラスカを攻め落とそうとは」

 クルーゼの隣ではザフト軍人が呑気に感嘆の声をあげている。
 彼のことを内心で嘲笑いつつクルーゼは表面上だけは愛国心溢れるザフト軍人を演出してみせた。

「パナマを攻め落としたところで、諦めの悪いナチュラルがそうそうとプラントに頭を下げるとは思えない。ナチュラルを屈服させるには彼等の心臓を潰すのが一番と考えたのだろう」

「ええ。中々リスキーなミッションですが、この作戦が成功すれば戦争も終結に向かいます」

 嬉しそうにザフト軍人が言った。
 クルーゼは嘲笑ったが、パトリック主導のオペレーション・スピットブレイクは悪い作戦ではない。
 パナマ基地を攻めるというリアリティーのある情報と、味方にも直前まで情報を伝えずに作戦を開始するという奇襲性。連合軍本部を落とすことが連合に与えるインパクトは実際の戦術的意義以上のものもある。
 ただし。作戦内容が本当に連合に伝わってなければの話だが。

(パトリック。もしも貴様が忠実だと思っている男が獅子身中の虫で、その男が連合軍にオペレーション・スピットブレイクの本当の攻撃目標を教えていたとしたら……さて、どうなるかな)

 奇襲という作戦はギャンブル性の高いものだ。成功すればいいが、失敗すれば一気に窮地に陥る。そして奇襲が予め予期されていたとしたら、逆に敵から奇襲を喰らう形となる。

(私からの情報、上手く使えよ……アズラエル)

 この作戦により、戦争が早期終結に向かわんことを切に願う。真の自由と、正義が示されんことを。
 作戦開始前パトリックはザフト兵士の前でそう告げた。
 だがクルーゼにはここで戦争が終わって貰うのは困る。終わるどころかもっと拡大して貰わなければならない。
 もう長くはない寿命。今ある世界を終わらせるのがクルーゼの望み。
 終わりの始まりは友人であるデュランダルがやればいい。自分は終わらせるだけで十分だ。



 ミュラーは再びパナマ基地司令の部屋を訪れていた。
 以前のデュランダル奇襲作戦のせいか司令室はやや煩雑としていたが、几帳面な性格なのかよく片付けられていた。

「どうしてですか。アラスカはパナマ防衛のため殆どの兵が出払っていて少数の兵しかいません。一刻も早く援軍に向かうべきではないのですか?」

「援軍なら既に出した。予め準備させていた部隊をな」

「少なすぎます。唯でさえザフトの兵士の質は高いんです。あの程度の部隊だけでは焼け石に水。援軍が間に合ったとしてもザフトのエースたちに撃墜スコアを増やす手伝いをするだけです」

「ふむ。私の目から見て君はあまり戦争熱心なタイプではないと考えていたが、中々積極的に意見するのだな」

「…………………」

 司令の言う通りミュラーという人間は戦争熱心ではない。国を守るためでも誰かを守るためでもなく、かといって復讐でも正義の為でもない。
 状況を理解しながら状況を打開しようとはせず、状況に流されて楽に生きようとするのがミュラーだ。

「司令、仰る通り私は余り褒められた軍人ではありません。しかし当たり前の倫理観くらいはもっているつもりです。顔も知らないとはいえ多くの同僚が死のうとしているのをただ黙っているだけというわけにはいきません。手は出しませんが口くらいは出します」

「そうか。だがなミュラー大佐。寧ろ……これでいいのだよ。ザフトがアラスカを攻めるのも、アラスカに少数の兵士しかいないのも連合の計画通りなのだ」

「なんですって?」

「前にも言っただろう。君の懸念することを連合上層部が懸念していないわけがない、と」

 まるでザフトがアラスカを攻めるのを予め知っていたかのような口ぶりだ。
 しかしもしそうならパナマに部隊を集結することなどせず、表向きはパナマにいるようにみせてアラスカに大部隊を潜ませておけばいい。そうすればザフトはがら空きと思っていた所に大部隊の反抗を受ける形となり逆奇襲となる。

(まてよ)

 ザフトの攻撃目標を連合軍は予め知っていた。なのに敢えてザフトの思い通りアラスカをがら空きにさせたとしたら。
 アラスカのジョシュア基地に残っているのは殆どユーラシアの部隊で大西洋連邦の兵士はごく僅か。

「……まさか、アラスカを捨て駒にする気なんですか。連合軍は」

「……………………」

 司令官は沈黙していた。それは無言の肯定だとミュラーは受け取る。
 やがて司令官はぽつりと呟く

「アラスカ基地の地下には……サイクロプスがある。あれが使われれば、アラスカ基地は消滅するだろう。少数の居残り部隊と大多数のザフト軍中枢部隊を道連れにしてな」

「な、なんて作戦を」

 戦略的には実に合理的だ。合理的過ぎて怒鳴りたくなるほど合理的だ。
 仮にアラスカに大部隊を配備していたとしても、確実にザフト軍に勝てるという保証などない。事実として連合軍はこれまでザフトに連敗を重ねているのだ。
 しかしこの方法なら少数の連合兵の絶対的な死を約束することで勝利を確約することが出来る。
 これにより失われる犠牲は連合軍本部と駐留している兵士達の全ての命を鑑みても、アラスカに大部隊を配備して全面戦争をして失われる犠牲よりも少数だろう。それにアラスカを破棄することを予め決定していたのなら、次の本部の用意もできているはずだ。
 少数の犠牲で多数を倒す。出来るだけ少ない犠牲で大きな戦果をあげる。
 もしも……。この世に完璧などというものはないが、合理性の極みのような完璧な軍人がいたとしたら、その軍人はこの作戦を指示するだろう。表情一つ変えずに『これが正しい選択だ』と言って。
 けれどミュラーはそんな軍人ではない。こんな作戦が受け入れられるはずがなかった。
 ミュラーとて司令官として多くの命を殺してきているし、時に部下に死ねと命令しなければならないことも承知しているが、これは余りにも非人道的すぎる。

「ミュラー大佐。もはや君がどう思おうと作戦は始まっているのだよ。今更何をしようとなんにもならない」

「……失礼します」

 もうこの場で司令官と話したくなどなかった。不快感を露わにして司令室から出る。
 たまらなく不快だった。なにが一番不快なのかといえば、自分が英雄だったお蔭で生贄にならずに済んだと内心安堵している自分が不快だった。


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