ザラ議長の命令を受けてクライン邸に足を踏み入れた兵士達が目にしたのは蛻の殻となった屋敷だった。
兵士達を率いてきた隊長はザラ議長の子飼いの一人でそれなりに裏事情にも詳しかったので、ラクス・クラインが危険を察知して逃げたのだろうということは容易に察しがついた。
しかし隠れているだけで家の中に潜んでいる可能性もある。
隊長は一先ず部隊を二つに分け、一つは周辺地域の捜索や聞き込み、もう一つは屋敷の捜索を行わせた。
非礼であることなど気にせず邸宅に侵入し家主の許可もとらずに家探しを強硬した隊長率いる部隊だったが、見つかったものといえば修理中のペットロボくらいでラクス・クラインの行先に関する手がかりはどこにもない。
隠し部屋の類も見つけることはできなかった。
「隊長! 聞き込みにいった連中からの報告です」
部下の一人が隊長が待機している庭に駆け込んでくる。
隊長はここが嘗ての最高評議会議長の邸宅だったことなど知ったものか、といった風に庭を捜索していたがそれを一旦中止して「なにか?」と応じた。
「ラクス・クライン嬢を目撃したという情報はありませんが、十時間ほど前に屋敷から車が一台出たのを見たという人がいました」
「十時間前か。流石は前議長、評議会に頼らぬ独自の情報網をもっていたということか……」
ラクス・クラインはプラント国民の間で絶大な人気を誇るアイドルだ。その知名度はザフト軍の英雄であるデュランダルやバルトフェルドと同等以上、下手すれば父であるシーゲルやパトリックにすら迫るだろう。
誰もが知っている、否、知らなければ可笑しい程の有名人。それがラクス・クラインなのだ。
だがどれだけ知名度が高く、前議長の一人娘だろうとラクス・クラインは所詮民間人のアイドルでしかない。彼女が独自にシーゲル・クライン暗殺を巡る裏事情を察知し逃げ出したとは考えにくい。
恐らくはシーゲル・クラインに心酔するクライン派の構成員が愛娘たるラクスのために動き出したのだろう。
自分達ザラ派が表向きの法律を無視した権限や力を行使できるように、クライン派にそのような力があったとしても不思議ではない。
(だがザラ議長でさえシーゲル・クライン前議長の死を聞いたのは五時間前だというのに……。クライン派もやるじゃないか)
隊長は素直に賞賛する。上司であるパトリックが彼の心の声など聞けば怒鳴り声の一つでもあげるかもしれないが、裏部隊の隊長なんていう役職はある程度の気楽さがなければやってなどいられない。
そもそも彼がこんな部隊の隊長に身をやつしているのはあくまで普通より高い金が貰えるからという理由と、なにかと詮索されたくない過去があるからで別にザラ派の思想に賛同しているわけでもなかった。
「で、その車の足取りは掴めたのか?」
「はっ! 連絡を寄越した者達の話によれば、アレルヤ電池工場の敷地内に乗り捨てられていたようで……それから何処へいったのかはまだ。監視カメラも何物かの工作で止められていました……」
「分かった。俺からザラ議長に報告しておく。お前達はなんとしてもラクス・クラインを探し出せ。なんといっても未来のザラ議長の義娘になる御方だ。テロリストに危害を加えられては大変だからな」
わざとらしく表向きの理由を説明する。部下は苦笑して、どことなく困ったように敬礼すると走り去っていく。
それを見送ると隊長は煙草に火をつける。地球とは違いコロニーでは空気にも金がかかる。よって空気を消耗する嗜好品である煙草はかなりの贅沢品だ。
隊長のようなヘビースモーカーは給料の半分が煙草代に消えるというのだから笑えない。それでも止める事が出来ないのがヘビースモーカーの悲しいところなのだが。
「シーゲル・クラインの暗殺とそれに潜むザラ議長の影、か。未来を切り開くコーディネーターなんて言っても結局はナチュラルと同じように味方同士で殺し合いか」
人間はこれまでなによりも人間と戦ってきた。三度に渡り起きた世界大戦も対化物でも対改造人間でもなく人間と人間の殺し合いだった。
コーディネーターはナチュラルを超えた生命だというが、同胞同士で殺しあうところはナチュラルとそっくり同じだ。
「まったく。科学者は能力だけじゃなくて精神をコーディネートする技術でも作っておくべきだったな」
煙草を地面におとすと、足で踏んで火を消す。
気を取り直して、通信機をもった。これからザラ議長のありがたいお説教を受けなければならない。……表面上だけでも神妙にしていなければ。
ザラ議長の命を受けた部隊が血眼になって探しているラクスはといえば、クライン派の工作員が用意したアジトの一つに退避していた。
「ラクス様、すみません……急に連れ出してしまい」
そう謝罪しているのはスーツに身を包んだ赤毛の青年だ。人のよさそうな顔立ちをしているのだが、コロニー暮らしのコーディネーターにしては日焼けしていて浅黒い肌をしているためスーツ姿が余り似合っていない。
彼の名はマーチン・ダゴスタ。嘗ては砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドの副官として影ながらバルトフェルドを支えてきた男だ。
ミュラーの部隊にバルトフェルドが重傷を負い、プラントへ移送されるのと一緒に戻って来ていたのである。
「いえ、けれど……本当なのですか? お父様が……お亡くなりになった、というのは?」
ラクスの問いにダゴスタは一瞬口を開きかけ――――閉ざす。言葉はなかったがダゴスタのその様子がなによりも真実を告げていた。
即ちシーゲル・クライン、父の死という事実を。
「申し訳ありません。我々がもっとしっかりしていれば防げたかもしれないのに…………」
「だけど信じられませんわ。お父様とザラ議長は幾ら対立していたといってもずっと昔からの御友人。そんな御方が父を殺すなど」
「我々も確固たる証拠を掴んだわけではありません。ですがシーゲル様の暗殺とクルーゼ隊到着までのタイムラグ、それにザラ議長の子飼いの部隊の動向からも……『無関係』とは言い辛いことは理解して下さい」
ダゴスタが嘘を言っているようには見えない。実直で慎重なダゴスタが言うのだから、彼なりにパトリックが父を殺したという確信があるのだろう。
だが父とパトリックの仲を見てきたラクスとしては、幾ら政治的に対立しようとそれだけでパトリックが父を殺すとも思えないのだ。なにか他に理由があるのか、もしくは裏があるのか。そう考えてならない。
ラクスの直感は正鵠を突いていただろう。実際にシーゲル・クラインを暗殺したのはパトリックではなくクルーゼであり、パトリックはそれにのせられただけに過ぎない。その意味でパトリックはシーゲル暗殺の犯人ではないのだ。
尤もそんな事実はラクスは知らないし、仮に知っていたとしても関係はないだろう。
シーゲル・クラインという一つの大派閥が殺されたという歴史的事件は確実にプラントの情勢に一石を投じることとなる。
動いてしまった時計の針を止めることは、神ならぬ人間には出来ないのだ。
人に出来るのは動きゆく時間の中で、よりよい明日を模索することだけ。
「ダゴスタさん、これからどうなさるおつもりですか?」
「……プラントにこのまま留まり続けるのは危険です。ザラ議長としてはラクス様を自分の人気取りのために利用したいという思惑があるでしょうから、捕まっても殺されはしないでしょうが……下手すれば一生涯の幽閉すら有り得ます。
となれば一刻も早くプラントを脱出しなければなりません」
「プラントを?」
「はい。クライン派は潜在的な力はそれなりなのですが、流石に表向きな権力者であるザラ議長に真っ向から立ち向かうほどの力はありません。
これでシーゲル様が生きておられて、アラスカ戦直後ならまだ評議会のクライン派と連携してどうにか出来たのですが……」
ダゴスタの言うことは机上の空論以外のなにものでもない。そもそもシーゲルが生きていたら、ラクスがこのような所でこうしていることすらなかっただろう。
「いえ、IFの話はやめて現実的な話をしましょう。幸い地球で私の上官だったバルトフェルド隊長はクライン派に賛同してくれて、隊長はザフトの最新鋭戦艦エターナルの艦長に就任しています。
エターナルには既に一機、ザフトの秘密兵器とすらいえるMSとゲイツなどの最新鋭機が配備されているので戦備も万全……。我々はこのエターナルまで辿り着き、強行突破を測ります。ややリスキーですがエースパイロットの黒い三連星なども協力してくれる予定ですしエターナルは高速艦。勝算は十分です」
スラスラと簡潔に作戦について述べていくダゴスタ。
ラクスは評議会議長の一人娘として、父に政治などについてもそれなりに教育は受けてきたが軍事に関しては素人だ。ここはダゴスタに任せるしかない。
「分かりました。お願いいたしますダゴスタさん」
「了解」
父を失った悲しさを抑えて、気丈に振る舞う。泣くことはいつでも出来る。悲しむことも出来る。
だが今という時間に行動しなければ、悲しんだ後になにか行動することすら出来ない。それでも父を失った悲しみを完全に抑えることができず、ラクスの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
ダゴスタはわざとらしく地図に視線を落とした。
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