これからやる事を予感してか、肌が固くなっていた。
武者震いというやつだろうか。手も僅かに振動している。いやもしかしたら純粋に怯えているのかもしれない。自分が勇敢とは程遠い人間であることは誰よりもミュラー本人が一番知っていた。
ノーマルスーツのヘルメットの中に木霊する自分のせわしない呼吸音。
すーはーと息を吐き出しながら、操縦桿を握りしめた。
計器をチェックする。
ストライクのメインカメラは変わらぬアーク・エンジェルの格納庫を映していた。
『大佐。カウント始めます。あと十秒』
しかめっ面をしたイアンの淡々とした通信。ミュラーは一段と気を引き締めた。
『9』
カウントを開始したのはイアンではなく、透き通った声のオペレーターの声だった。
正直ありがたい。もしかしたらこのカウントが生涯最後に聞く言葉になるかもしれないのだ。だったら男より女の声を聞いて死にたい。
『8』
「フラガ少佐、キャリー、ナイン……あまり緊張するなよ」
通信回線を開いて同じようにMSで待機している三人に声をかける。
『へへっ。大佐さんこそ、うっかり落とされねえで下さいよ。あと俺の給料、そろそろ減俸取り消してくれたら嬉しいんだけど……』
『MSに問題はありません。それにカタログスペックや算出したデータを総合しても、本作戦はインパクトほど無謀なものではないでしょう。作戦内容に不満がないといえば嘘にはなりますが……』
『申し訳ありません大佐。僕にはナチュラルに危害を加えられない精神ブロックがかかっています。もしかしたら足手まといになるかも。万が一の時は見捨てて下さって結構です』
三者三様。フラガは色々と割り切ってしまっているようだったが、キャリーとナインからは其々の葛藤を感じる事が出来た。
ミュラーも今回の作戦――――ひいては連合の行動に全く異議がないわけではなかった。個人の考えでいえば否定しているともいえる。
しかしミュラーはあくまでも軍人だ。連合軍の決定には従わなければならないし、やりたくない事もしなければならない。
『7』
「キャリーとナインはそれでいいよ。今回は不殺大いに結構だ。寧ろ敵だろうと殺さずにとどめるのが正解だよ。あんまり殺したら相手に嫌われるし、今後のこともあるだろうしね……」
この戦いの意義はミュラーとて理解している。その成果をより有効活用するためにも、この戦いは短期決着・犠牲最小限が望ましい。
少なくともエイプリルフール・クライシスなんてものを演出してくれたプラントなどより敵愾心のある国家ではないのだ。
『6』
アーク・エンジェルが傾く。なんとなくだが体が引っ張られるような感覚がした。
『5』
ミュラーは純然たる地球生まれなのだが、宇宙での生活に慣れ親しんだせいか、それとも体質なのか。
地球よりも宇宙にいる方が体がしっくりといく。
『4』
だから宇宙から地球に降りる感覚は苦手だった。
なんとなく魂が地面に引っ張られているような気がする。
『3』
だが魂が地球に引っ張られているのは結局のところコーディネーターも同じだ。如何にプラントという人工の箱庭を用意しようと、未だにプラントは食糧物資の多くを地球圏からの輸入に頼っているのが現状だ。
C.E.になり科学技術は発達したが、人類はまだ地球から巣立つには早いということだろう。
『2』
いよいよカウント二秒後だ。気を引き締める。
『1』
フラッシュバックするザフト軍が攻め寄せてくるビジョン。今回は自分達がザフト軍だ。
『0』
一気に地面が沈む。
大天使の名を冠した白亜の戦艦が地球という重力の井戸に落ちて行った。深く、深く……まるで羽をもがれた堕天使のように。
そして――――作戦が開始した。
オーブ軍総司令部ではカガリがオーブ軍将兵たちに矢次早に指示を飛ばしていた。
もしこれをミュラーやナインなど、ゲリラ時代のカガリしか知らない者が見れば仰天するだろう。カガリの本名はカガリ・ユラ・アスハといい、オーブの代表首長を代々務めるアスハ家、その一人娘だった。言うなればオーブの姫とすらいえる存在である。
アンドリュー・バルトフェルドを倒し、アーク・エンジェルと別れたカガリは護衛のキサカと共にオーブへと帰国し、今ではアスハの長女として連合軍の侵略を食い止める司令官だった。
連合軍が本格的に攻勢に出てから二時間が経つ。状況ははっきりいってオーブ軍の劣勢だった。もはや大劣勢と言うべきかもしれない。
如何に技術力があろうとオーブ軍の兵士達はこれまで平和の中にいた為、経験不足なのは否めない。救いといえばオーブの技術力もあって装備は連合に勝るとも劣らないものであることと、敗北が国の滅亡につながる背水の陣に置かれていることにより士気は旺盛だということだろうか。
対して連合軍の士気はあまり高くない。確かに連合軍の兵士達もこの情勢下で太平楽を決め込み、平和の中にいたオーブに対して良くない考えをもっていた者もいる。だが如何に中立国で、コーディネーターを受け入れていようと、その国家元首はナチュラルであり地球圏の一国であることに変わりはない。
ザフト相手なら命を賭けられる連合兵士も、オーブを相手に命を賭けるのも……といった感情が根付いているのだ。ただしこれまでコーディネーターばかりのザフト軍と戦い抜いてきた連合軍は非常に実戦慣れしており、経験値ならオーブ軍を寄せ付けない。
技術力が互角、士気ならばオーブ、数ならば連合。
こうして見ると両者は互角のように思えるが、数の差が余りにも大きすぎて『互角』なんて夢想事を許してはくれない。
オーブ軍もM1アストレイ部隊を先頭に頑張って入るのだが、幾ら倒しても倒してもキリがない連合軍の攻勢に次第に疲れはじめていた。
更に追い打ちをかけてくるのは連合軍にいる三機のMSだ。
通信を傍受したところによれば三機のMSの名はそれぞれレイダー、ガラミティ、フォビトゥン。どれもガンダムタイプの頭部をしたMSで、非常に高性能の機体だ。恐らくは連合軍の最新鋭MSなのだろう。
三機のガンダムは他を寄せ付けない動きでM1アストレイ部隊を蹂躙し、撃滅し、粉砕し……縦横無尽に暴れまわっている。しかもPS装甲でも装備しているらしく、物理攻撃はまるで受け付けないときた。
このままでは負ける。一気に負けてしまう。どうすればいいか、司令部を預かるカガリが考えを巡らせようとしたその時、
『カガリ様! 大気圏外より降下してくる物体があります!』
「なに!? 連合のMSか!」
『いえ、これは……大きい。画面に出ます!』
モニターにそれが映ると司令部の将兵は一瞬にして固まった。
色素を全て反射している白い戦艦。それはヘリオポリスでガンダムと同じく開発され、カガリが以前に協力を仰いだこともあるアーク・エンジェルそのものだった。
だが将兵たちにとってはそれ以上の意味をもっている。中には顔を真っ青にして失神しそうなものすらいた。
彼等は知っているのだ。
アーク・エンジェル級一番艦アーク・エンジェル。それが一体どこの誰の旗艦であるかを。
「あ、悪魔だ……悪魔がきたんだ……」
大天使の脳髄を引き出した悪魔は、天使に首輪を繋ぎ自分のものにした。
悪魔はにったりと笑い、大天使にのって降りてきた。自分の故郷である地獄の釡へ。悪魔の目当てはこの国だ。この国の命を食い散らかすつもりだ。
アーク・エンジェルから飛び出る一機の巨人。
トリコロールの装甲と真っ赤な羽。肩には青い剣と緑の弓矢を背負っている。それはストライクがエール、ランチャー、ソードの全てのパックを同時に換装した姿だった。なによりも肩には悪魔を模したパーソナルマーク。
悪魔は赤い羽根を広げるとソラをわが物が如く飛び抜けていく。
味方であればあれほど頼もしかったストライク。敵に回せばこれほど恐ろしいものだったとは。
「ヤキンの、悪魔……ということはあいつもいるのか」
カガリがふと思い起こしたのは悪魔を親の如く慕う少年の横顔だった。
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