ナイン・ソキウスは受精卵の段階で予め身体能力などの才能が『戦闘』に尖るよう調整された戦闘用コーディネーターだ。そういう意味でナイン・ソキウスという人間は科学の生み出した最新鋭の兵士の形ともいえるだろう。
惜しむべきはナイン・ソキウスは『コーディネーター』であるため、カタログスペックが高かろうとアンチ・コーディネーター色の強い連合では厄介者扱いされることだろう。
もしも連合軍がコーディネーターとナチュラルの差などに固執せず、単純に能力だけを見ていれば……いや、完全に社会的しがらみや感情を度外視して『能力』だけで物事を測る方がよほど人間らしからぬ行為だ。なら連合軍は実に人間的であるといえるだろう。それが良いのか悪いかはさておきにしてもだ。
ナインは生を受けて以来、優れた兵器になるための訓練や教育ばかり施されてきたので、その知識量などにはばらつきがある。ある事柄に関しては学者並みの知識をもっていても、軍事とはまるで関わりのない事に関してはジュニア・ハイスクールの学生未満の知識量しかもっていない。
だが最先端科学により生み出されたナインだからこそ分かるものもある。
どれだけ科学が進歩しようと、どれだけ人類がその生活圏を広げていこうと―――――時間を戻す術を得ることはないだろう。
だから後悔は無駄でしかないのだ。
あの時ああしていれば。あんなことをしていなければ。あそこでああしていたら。
そういったIFを想像したところで無意味。生産性など皆無だ。
けれど、そのことを承知しても考えてしまうのは、IFという非合理的思考をしてしまうのはナイン・ソキウスが『機械』ではなく――――、
(よそう)
ナインは自分で思考を中断する。その先は考えてはならないことだ。自分はハンス・ミュラーという人間の為に存在する兵器、それ以上を望むなど分不相応だ。
改めてナインは回想する。
そう、全てはアレが始まりだった。
オーブ攻略戦に参加した連合軍の殆どは不自由な戦艦暮らしを強いられていた。思い返せばそのため色々と鬱憤も溜まっていたのだろう。
そんな時にアレはやってきたのである。
「大佐ぁー。廊下の端っこに置かれてた酒なに?」
オーブの港に停泊中のアーク・エンジェル。そのブリッジにやってきたのはフラガ少佐だった。
「あぁ。……アズラエル理事のお嬢さんが良ければ皆でどうぞって送ってきたんだ」
ミュラーは露骨に嫌そうな顔をしながら言った。
アズラエル邸での大まかな顛末はナインもフラガより聞き及んでいる。なんでもアズラエルの娘であるローマに半ば強引に告白されたそうだ。
敬愛する上官の様子から察するにミュラーの側が当のローマをどう思っているかは……考えるまでもないだろう。鈍感な人間でもアレが好意と真逆にある顔ということくらいは理解できる。
「おっ! あのお嬢さん、世間知らずの箱入りだと思ったら中々気が利くじゃないの。憎いねぇ大佐さん、見せつけちゃって。ひゅーひゅー! 披露宴には呼んでくれよ!」
「少佐。独房か減俸一か月延長、好きな方を選ぶといい」
「申し訳ありません大佐殿。迂闊な発言でありました」
絶対零度の視線を浴びたフラガが慌てて馬鹿丁寧な敬礼をする。流石にこれ以上、減俸期間を延ばされるのは嫌なのだろう。フラガの首筋には冷や汗が流れていた。
「分かれば宜しい。そういう事情で私はあの酒を持て余している。が、折角の行為を無碍にするのは人間として良くない行為だ。これは決してアズラエル理事に目をつけられるのが恐いわけではない。いいね?」
「はい、大佐」
どうやら難を逃れる為、フラガ少佐は一時的に完全なイエスマンになることに決めたようだ。
間髪入れずに相槌を入れる。
「しかしどうするのです?」
今度は比較的冷静なキャリーが口を挟む。
「処分することもできず送り返すこともできず、では単なる障害物となってしまいますが」
「…………むぅ。仕方ない、誰からの贈り物だろうと酒は酒。酒に罪はない。そうだな、今日は皆もオフだし軽い宴会でも開くか。日頃のストレスもあるだろうし、上陸許可も下りずで悶々としているだろうし。いい息抜きになるだろう」
『おおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉおお!!』
フラガ少佐どころかブリッジ中の人員が喜びの声をあげた。やはり四六時中戦闘時でもないのに戦艦の中に押しこめられて苛立ちもあったのだろう。
上官直々の羽目を外す機会の提供にブリッジはにわかに沸き立った。
その結果がこれだ。
ナインの目の前には死屍累々とした死体の山――――ではなく酔っ払いの山が詰まれている。全員、この宴会の脱落者たちだ。酔いつぶれとも言う。
「一番、アーノルド・ノイマン歌います!」
「いぇええぇいいぃぃぃぃぃいぃい!!」
「操舵種の意地見せたれ!」
「では。歌わせて貰います。操舵種、哀の歌。お〜れはノイマン〜♪ 操舵種なんですそうなんです〜♪ アーク・エンジェルにのって海千山千♪ あっちでほいほいこっちでほいほい♪」
操舵種のノイマンが歌っている。しかも単に歌っているのではない。
裸だ。なにをとち狂ったのか、アーク・エンジェルが誇る最強の総舵手は全裸で腰をフリフリしながら適当なオリジナルソングを熱唱していた。
決して事故らない操舵種も、酒が入ればその限りではないということだろう。ノイマンは全力で人生の暴走運転をしていた。
「ラミアス艦長の指示が飛ぶ♪ ゴッドフリート撃て撃て。俺の股間のローエングリーンはどっぴゅんどっぴゅん! 艦長室でラミアス少佐のボインがプルンプルン♪」
ラミアス少佐が聞いていれば、今頃頂点に達した怒りによりノイマンの体はバラバラになってオーブに浮く羽目になっていただろう。
しかしノイマンにとっては不幸中の幸いというべきか、ラミアス少佐は別のことにかかりきりだった。
「頼むよぉ、マリュー。俺と付き合ってくれよぉ。ほら、俺もうMSパイロットだし。MA乗りじゃないし〜」
「しがみ付かないで下さい! 少佐、酔っぱらっているでしょう!」
「俺は酔ってねェ。酔ってねぇんだ! だから頼むよぅ〜」
フラガ少佐が悪酔いしてラミアス少佐の足にしがみついている。エンデュミオンの鷹に憧れる人間がここにいたら、理想と現実のギャップに首をつってしまうかもしれない。
ラミアス少佐の方はどうも酒に強いようで、かなり飲んでいるはずなのにまだ平常心を保っている。だがそのせいで逆に被害を受ける形となっているので良いことなのか判別がつきにくいところだ。
「うぅぅぅぅぅう! 連合に入ってからの苦難の連続……大佐ァ! キャリーはこれほどまでの待遇に感無量であります! 一生ついていきますです! ミュラー大佐ぁぁあぁあ! ばんざぁぁぁぁあああいい!!」
キャリーは飲み過ぎて人格が崩壊していた。もはやあの人は誰、レベルだ。
これが夢であるという一縷の希望に縋り頬を抓ってみたが、痺れるような痛みがこれが現実であると教えてくれた。
「……今日の宴会の収入と支出は……。ふむ、これならばどうにかなるか。さて後はこの宴会で弛んだ軍規をどのようにして――――」
副艦長ではあるもののミュラーがよく出撃してしまうため、実質艦長の地位にいるイアンはさっきから計算機片手に黙々と計算をしていた。
しかし酔っていないということはなく、両耳がほんのりと赤く染まっていた。
そして肝心のミュラーはといえば、
「くそくそくそっ! なにがヤキンの悪魔だ、連合最強のエースパイロットだ! 勝手にあることないこと捲し立ててよいしょして!」
怒り上戸だった。酒が入ったせいで、これでもかというくらいに日頃の不満をぶちまけている。
「大体俺はMSパイロットじゃなくてMAのパイロットだ。それを勝手にMSパイロットにして……そもそもなんで宇宙軍所属の私が地球の戦いに参加しなきゃいけないんだ! このアーク・エンジェルもアーク・エンジェルだ。こんなデカい鉄の塊が宙に浮くなんてどう考えてもおかしいだろう!」
怒りが長じてミュラーはタブーにまで触れようとしていた。流石に不味いとナインが止めに入る。
「大佐このへんにしておきませんか? これ以上、アルコールの摂取は身体に毒です」
「ナイィン、お前までそんなことを言うのかぁー? アズラエルだってそうだ。なんで私があんな小便臭い小娘を自分の女にしなきゃならないんだ! 私の眼中に入るには最低でも後三年は必要だぞ! だというのにアズラエルときたら、気を聞かせて遠まわしに断ろうとしたら『うちの真っ白でも真っ黒にできるスーパー弁護士ドリームチームと戦います?』だとぉ。糞っ! 大西洋連邦は共和制の民主主義国家じゃなかったのか。自由はどこへいった!?」
ナインは悟る。もはや自分でどうにかなる次元をとうに超えてしまっているのだと。
そう、人間には歴史の針を戻すことなんで出来ない。今ある時間の中で未来をより良くするために頑張るしかないのだ。だからあの時、フラガ少佐が酒について質問しなければ、と思ったところで意味なんてないのだろう。
翌日。ミュラー以下アーク・エンジェル所属の軍人たちは深刻な二日酔いに悩まされることとなる。例外は未成年ということで飲酒から逃れたナインだけだった。
ちなみにフラガ少佐は責任をとって更に減俸が一か月延びることになるが……まぁどうでもいい話である。
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