時間を支配した者は有史以来誰ひとりとそて存在しない。
初めて地球は丸いと証明した男も、初めて重力という存在を認識した者も、時間の流れまで支配することは出来なかった。
幾ら技術が進歩してコーディネーターなんてものが世に生まれようと、ニュータイプなんて新たな人類が芽吹こうとしても、三次元で生きる人間に四次元の領域である時間に手を伸ばすことは出来ないのだろう。
不平等ばかりの世界において時間だけは平等だ。
誰にも等しく一秒、一分が流れる。一人の人間が一分を二分として生きる事は出来ない。
だからこそこの時が訪れるのは必然だった。
「血のバレンタイン以来か。アレをこの目で見るのは」
宇宙に浮かぶのはジョージ・グレンが設計開発した最新の天秤型コロニー群、プラント。コーディネーターの総本山、ザフトという軍団を擁するプラント本国だ。
奇しくもあの時と同じだ。
ミュラーは、自分達はあのプラントに核という一発でコロニーという小さな世界を粉微塵にする兵器を打ち込むべくやってきた。違うのは数だ。連合が擁するピースメイカー部隊、核攻撃部隊のミサイルが全て命中すれば確実にプラントという痕跡はこの宇宙から消えることになるだろう。
「おや。ミュラーくんは血のバレンタインを目の当たりにしてたんです?」
ミュラーの独り言を聞いたアズラエルが目を丸くする。
「言ってませんでしたか……? 私はあの時、メビウスのパイロットの一人としてあの戦いに参戦してました。もっともあの頃はMSもありませんでしたから、ザフトのMSにコテンパンにやられましたけどね」
「で、コテンパンにやられた後、核ミサイルがユニウスセブンを破壊した、と。羨ましいですね。あの忌々しい砂時計が崩壊するところを直に見ることが出来たなんて」
「アズラエル理事、私は」
「ブルーコスモスではない、でしょう。僕が悪かったですからへそを曲げないで下さい。それに羨ましがる必要なんてありませんね。どうせこれからたっぷると鑑賞できるわけですから」
それはそうだろう。核ミサイルであのコロニーが全滅すれば、望む望むまいに目撃することとなる。プラントという一つの世界が消滅するシーンを。
「………………」
ミュラーとアズラエルのことをブリッジの隅にいるキャリーがじっと見つめていた。その瞳はなにかを訴えているように見える。
他ならぬキャリーの頼みだ。それに有史以来の虐殺を黙認した人間と後の人間に評されるのも癪だ。ミュラーは覚悟を決めて口を開く。
「アズラエル理事、核攻撃は――――」
「核は人道的にいけないから発射するのは止めましょう。ザフトの兵士たちは兎も角、プラントに住む罪なき一般市民を殺すのは良くない……ミュラーくんの意見はどれですか?」
「――――――っ」
こちらの意見を先読みしたかのようにアズラエルが畳みかけてきた。同時にそれはどんな事を言われようと核攻撃を注視するつもりはないというはっきりとした意思表示だった。
分かっていたはずだ。アズラエルは主義者であると同時に商人。幾ら義理人情に訴えたところで利益を追求する商人の心を揺り動かすことは出来ない。ならば、
「いえ、どれでもありません」
「へぇ」
「アズラエル理事、プラントを核攻撃で全滅させてしまうのは些かに早計に過ぎます。ご存知の通りプラントは巨万の富を齎すドル箱。戦前プラント理事国がかつてない繁栄を手に入れたのはプラントから吸い上げた利益によるものです」
義理人情で心を動かせないのならば、発想を逆転させアズラエルと同じ利益を追求する立場となって説得するしかない。
「我々地球連合も戦争によりかなりの損害を受けた。その傷を癒すまでプラントは温存するべき、ですか。生憎ですけどミュラーくん、そんな話なら幾らでもロゴスの老人たちと――――」
「私は核攻撃の全面中止を提言したわけではありません。私が申し上げたのは一部中止です」
「……というと?」
初めてアズラエルはミュラーの話に興味をもったようだ。
座っている椅子を回して、ミュラーの方を向く。
「プラントをそっくりそのまま残せば確かに再びこの戦争のような惨劇を齎すこともありえるでしょう。ならばせめて、プラントの一部は核で消滅させるにしても一部は残すというのは?
反撃できないほどにプラントの国土と国力を削ぎ、残った楽に飼いならせる程度のプラントにコーディネーターを押し込めて、そこから利益を吸い上げる。プラント全てを残すよりも利益は見込めないでしょうが、だとしても大西洋連邦の財政を数割潤させるには十分でしょう」
少しでも虐殺を防ぐにはこの提案しかない。
プラントへの核攻撃そのものは防がず、核攻撃の範囲を狭くする。そうすることで死なない命も出てくるだろう。はっきりいって妥協というにしても多くの命が失われ過ぎる結論だが、犠牲者は少なければ少ない程に良い。如何なる理由であろうと。
「……面白いことを考えますね」
「で、では」
「だが駄目です。残念ですね」
それで終わり。ミュラーの淡い希望はあっさりと目の前で切って捨てられた。
「これは既に決定したことなんです。コーディネーターとザフトの芽は全て刈り取る。利益を得るために少しだけ残す? ナンセンスですよ。コーディネーターなんて宇宙にはびこる害虫は全て抹殺しておかなくっちゃ。それが宇宙にまで支配圏を広げた知的生命たる人間の義務ってものでしょう?」
「……………………」
やはり駄目だった。アズラエルが利益のみを追求する単なる商人ならば或いはいけたかもしれないが、商人でありながら強い主義者でもあるというアズラエルの一面がミュラーの希望を砕いた。
これでもう本当に終わり。ミュラーにも核総攻撃を止めることは出来なくなった。強引にでも止めれば、ミュラーは国家反逆罪で軍事法廷だ。
(数千万人の人間が死のうっていう鉄火場で自分一人のくクビに執着する。アズラエルや上層部を嘲笑うなんて出来ないな)
疲れた様にミュラーは艦長の座る椅子から降りるとブリッジに背を向ける。
「何処へ行くんです?」
「格納庫ですよ。アーク・エンジェルでは戦う時、艦長はイアン・リーになることになっているので」
「そうなんですか?」
「大佐、それは大佐が私に全仕事を押し付けてMSに乗ってどこかへ行ってしまうだけです。偶には艦長としての責務も果たして貰いたいものですな」
アズラエルがいるのをいいことにここぞとばかりにイアンが文句を言ってくる。
これまで何も強く反論してこないのをいいことに、艦長の仕事の殆どを押し付けてきたのだが、やはりイアンなりにストレスが溜まっていたらしい。
「……分かったよ。これからは真面目に艦長の仕事にも取り込むさ。もっともこれから≠ノプラントなんて国家があるかどうかは分からないけどね」
ミュラーはそう言い捨てると逃げるようにブリッジから出て行った。
ゆっくりとキャリーがそれに続いてくる。キャリーは何も言わず黙々とミュラーの後ろについて歩いている。
「私に失望したか? したければ幾らでも好きにするといい。私自身、ハンス・ミュラーという自分に失望している」
「それならば先ず私を独房にぶちこんで頂きたい。今はこうしている私ですが、もしかしたら今からブリッジに戻ってアズラエル理事の顔を張り倒してしまうかもしれない。なによりピースメイカー部隊を見たら、味方を味方とも思わずに切りかかってしまうかもしれない」
「私をこれ以上駄目な人間にしないでくれ。部下の暴走の責任くらいはとるさ」
「…………分かりました」
「殴りに、いくのか?」
「いえ。アズラエル理事の顔を殴っても誰も何の得もしません。単に私の中の鬱憤が晴れるだけです」
「……分かった」
キャリーは恐らくピースメイカー部隊が動き出せば連合軍を裏切り、ピースメイカー部隊を叩きにいくだろう。
ミュラーはそれを分かっていて止めない。人類の大虐殺を黙認しておいて、更に部下の正義にジャマをするような人間になりたくはなかった。
「本当に厭だな、英雄なんて」
ハンス・ミュラーという人間がもしも間違えたことがあるとしたのならば、安易に軍人という道を歩んでしまったことにあるのだろう。
「給料と各種保障に目を奪われたツケを払う時がきたな」
幸いミュラーの階級は大佐だ。降格処分程度ならいくらでも余裕がある。三階級でも四階級でもとれというのならばとればいい。
たかがミュラーの階級でキャリーの行動を妨害しないでいいなら安い買い物だ。
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