§
暗い部屋の中、光源はディスプレイから漏れる光のみ。
時刻はグリニッジ標準で14:36分をさしている。
気だるげにソファーに横たわる影が、この部屋の主人だ。
何処を見るのでもなく、ただ宙に視線をさ迷わせている、肩を流れる長い薄紅色の髪が印象的な女の子。
名前はラピスラズリと言う。
あてどもなく彷徨うラピスの意識は、常に一つの疑問――苦悩にのみ、その思考を集中していた。
人間関係。
もっと詳しく述べるなら、自分と――パートナーである天河アキトとの関係とでもいえば良いのだろうか。
それこそが、今のラピスにとって最大の懸案事項として常に意識にまとわりついている。
◇
出会った当初から今まで、お互いは不可欠な存在だった。
アキトは私を必要とし、私は彼の傍に居ることを望めた。
戦うために、ただ、それだけのために。
戦場は宇宙。
宇宙は私たちの繋がりの証。その時彼は私を求め、私はその求めに応じる。
なぜかって?
そのときは判らなかった。
ただ、アキトの傍で彼の手助けをする。
それが、どんなに人道に反することであっても。
・・・もっとも、"人道"なんて知ったのも、もっと後のことだったのだけれど。
戦いは繋がりの証明。
そうするからこそ私の存在に意味があり、そうであるからこそ私はアキトの隣に居られる価値がある。
ユーチャリスと言う強力な力を御することのできる、私。
それこそが、アキトの隣に居られる必要条件で――しかし、それは私から提示できるたった一つのものでしかない。
それに――求められるからこそ、初めて応えることのできるもの でしかない。
だから、もし――
もし、アキトが戦いを欲さないのであれば・・・私にはどんな意味や価値が残るの?
・・・私は、アキトの傍に居られる意味が、なくなってしまう・・・?
◇
この所、敵を討つための出撃の回数、それ自体が少なくなっていることには気づいていた。
それは、アキトの戦闘に関する勘や身体的な機能が衰えたのではなく、彼自身が"彼の戦争"というものに一区切り付けたと言う事らしい。
その時初めて、アキトから笑顔で"ありがとう、すまなかった"という言葉を貰った。
エリナもイネスも嬉しそうだった。
私も、心のどこかでは多分"嬉しい"と感じていたし、それはほんとに嬉しいことなんだと思う。
――でも、私が欲しいのはそんな言葉じゃない。
憂いを籠めた瞳が、悲しみに変わった。
戦いを止めると言う事。
それは私がアキトの傍に居る意味や価値がなくなる、と言うこと。
でも、私はアキトの傍に居たい。これからもずっと、傍にいたい。
もうアキトの傍に居る価値がない――?
そんなことは関係ない、昔からずっと思ってきたことだもの。
傍に居たい。
ずっと一緒に居られたら・・・、と!
でも、現実はこれだ。
アキトはもう戦うことはないのだろうと思う。
ユーチャリスも、ブラックサレナも必要としないだろう。そして、例外なく――私も。
想いは届かない・・・?
願いは叶わない・・・?
かもしれない。
でも、強く思う心――気持ちが、感情が!
・・・あふれ出る涙は、既に習慣化してしまっていた。
気づいていた。
ずっと昔、彼の隣を歩み始めてからずっと胸の中にしまってきていたこの想い。
彼の傍に居るために、ただ、彼の求める力となって応えるために、ひたすら気づかないようにしていたこの感情に。
身勝手な自分。
浅はかな、私。
アキト。
アキト。
傍に居たい、あなたにとって何の意味も価値もない私かもしれないけど・・・一緒に居ちゃ、だめでしょうか。
「アキト・・・――私、」
涙に呑まれて、その先の言葉は有耶無耶に消えた。
でも、それは確かな感情で。
でも、覆らない状況で。
ラピスは、未だ抜け出ることの出来ない己の闇に囚われていた。
◇◆◇
――知りたい?
◇◆◇
闇。
暗闇だ。
しかし完全な暗闇ではなく、眼を凝らさなくとも分る無数の光点に彩られた圧倒的な虚無空間。
宇宙という絶対領域。
光点は遠い恒星の輝きで、何万光年と空間を伝播してきた過去の残滓。
幾千億の残光は、いつの世も人々に希望として写る。
静寂の支配するそんな虚無的な空間に爆光が煌いた。
一つや二つではなく、その数は――周囲半径2,3kmを埋め尽くすほどの量と質。
第8次フォボス殲滅戦。
火星を奪還した連合軍と、残存勢力の火星の後継者たちの最後の戦闘と目されている最終的な戦闘行動だ。
遺跡奪還と首謀者の逮捕から既に5年。
勝敗は決しているはずのなのに、しぶとく抵抗し、"義"を謳う者達は絶えなかった。
しかしそれももう終りだ。
連合軍の懐刀、ナデシコCによる情報戦で既に敵戦力の6割方の戦艦・機動兵器は掌握済み。
しかし、情報戦用の対抗シールドを施した残りの艦隊と機動兵器が戦闘を始め、この戦火となったわけだ。
死を彩る爆光と、砕ける人の命。
恐らく、今までの全ての戦いを通して一番凄惨で残酷なものになるだろう。
殲滅戦。
唯の一人も逃さない、絶対的な死の制裁。
様々な交渉や説得がなされ、しかし最後の最後まで相容れなかったその思想と理念。
"技術"だけが先行して"確かに存在"する故に、彼らの持つその思考と志向は"現在の社会"において危険以外の何者でもないというのが、地球・木連を含め
ての最終的な結論になった。
それゆえの、見せしめ。
今の社会を維持するためだけでなく、後世においても議論を継続するための要因として・・・"記録"として打ち込まれる人類の咎として、そういった判断をな
した。
後世においてどんな結論を出すかは、"既に始まってしまった"現在においてもはや意味を成さない。
賽は投げられたのだから。
◇
光。光。光。
その熱の中に溶ける命。砕け散る命。
データ上では理解不能な命の消失は、しかし確かに起こっているのだ。
その光源が兵器で、それが人間の搭乗するもので、それこそが砕け散っているのだから。
静寂を彩る死の残光。
その狂気的な光景にしばし見入られ、しかしラピスは復帰した。
最後の戦いが始まった、とアキトから連絡が入ってからすぐこの火星圏フォボス戦域までジャンプしてきた。
しかし、ラピスには既にアキトには戦う意思がないことをわかっても居た。
自分のしてきたことの結末。
それを見届けるためだけに、ここへと来たのだろう。
だから、ラピスにはもう何の高揚感も感じることはない。
『帰るぞ』
「…戦わないの?」
通信越しに聞こえた何年も隣に居るパートナーの一言は、沈んでいるというよりも疲れを感じさせるものだった。
しかし敢えて聞き返してしまったのは、なぜだろう・・・?
『・・・戦う意味も価値もない。帰ろう。』
その言葉に、ラピスは深い溜息を吐いて わかった とだけ呟いた。
「戦う意味も、価値もない・・・か」
呟きと共に流れる一筋の涙。
悟られてはいけないと、通信は既に切っている。
ふう、と深く息を吐いた。
終わった、と。
もう何度も繰り返してきたこの深い苦悩を、今ここでまた繰り返してもしょうがない。
ラピスは大きく溜息を吐いて、俯きながらも帰還シーケンスを選択するほかなかった。
数秒後、戦闘宙域から少し離れた空間に停止していた戦艦は、青白い燐光と共に消えた。
◇◆◇
―――知りたい? その"意味"を。"貴女自身の価値"を。
◇◆◇
「・・・知りたい」
脳裏に浮かぶフレーズに、ラピスは無意識に応えていた。
それこそが異常事態だとは気づかずに。
その夜。
ぼんやりとディスプレイのみがの灯るラピスの部屋には、誰も居なかった。
ただ、明度をだんだんに落としていくそのディスプレイに残っていた文字――
"ふふふ"
―――――――――、プツン
◇
キーン コーン カーン コーン…
窓から差し込む夕日が瞳の上に差し掛かり、ラピスは眼を覚ました。
授業終了の鐘の音で覚めかけていた頭が、緋色の光で覚醒する。
「あ・・・れ?」
違和感と共に目覚めがなら、ラピスは周囲を見ますと――
「あ、起きた起きた」
「おはよーラピっちー」
「ちょっと寝すぎじゃないですか? 先生も苦笑いしてましたよ」
学友のサヤとミズホとルリが笑っていた。
ルリだけは眉を顰めながらも苦笑している感じで・・・
「えっと・・・」
既に放課後。
教室内に残っているのは先の3人とラピス、それに他の生徒2,3人のみ。
「じゃ、私たちも先帰るわね」
「また明日〜」
その2,3人の女生徒たちも帰っていって、残るのはラピスたち4人。
サヤとミズホとルリも帰り支度は整っているようで、ラピスだけが寝こけていたのだろうか。
「ほらラピス、帰りますよ」
「ん〜〜っ 今日お勤めご苦労様ですなゃっ。」
ミズホの語尾の なゃ は何処となく にゃ にも聞こえる。ネコ好きの本能ががそうさせるのだろうか。
「ラピスさんは今日も
【なぜ】
【なぜだって】
【だって】
【苦しんでるんだもの】
【気づけない思い】
【気づいてはいけない思い】
【でも】
【だから】
【苦しみのない世界で】
【安らかに】
【安らかに】
【安らかに】
【生きられるように】
【優しいでしょ】
【偉いでしょ】
【うふふ】
【ふふふ】
その言動は、明らかに――
「挑発してる、のか?」
「えっ」
イネスは気づかなかったようだが、アキトは理解できた。抑揚は感じられなくても・・・その調子から判る。
このAIは、知性だと。
「何が目的だ」
【ラピスの平穏】
「何のために」
【彼女のため】
「なぜ、ラピスなんだ?」
【私の発生の由来が】
【ラピスに起因するから】
「ラピスを戻すつもりはないのか」
その問いには反応が遅れた。
ウィンドウは数回点滅すると、躊躇う様にゆっくりと文字を綴る。
【もし】
【ラピスが】
【こちらに戻りたいと】
【願うなら】
【ラピスの意見】
【尊重】
「ラピスは夢でも見てるというの?」
怪訝に聞き返すイネスに、答える。
【仮想世界】
【データだけで構築された】
【偽りの】
【真実の】
【その中で】 【生きている】
なら、とアキトは呻いた。
「どうすればラピスは帰ってくることを望むんだ・・・」
夢の中。
このAIが設定した仮想世界の夢を見ているラピスに、どうすれば呼びかけられるのか。
アキトの記憶の琴線に何か触れた。
「IFSリンケージ。」
ポツリと呟いたのはイネスだ。
それは詰る所――
「IFSを介してラピスの記憶――夢に接触するって事か?」
「そう。夢を見ている、といってもこのAIが介入しているのなら、それはラピスの脳ではなく補助脳。つまりIFSでも接触が可能のはず。現に私たちは
――」
数年前、敵の兵器によってハッキングされかかったとき、一時補助脳を介して記憶を共有してしまった時がある。
それよりも以前に、アキトは電脳世界にダイブしたことも在ったのだが、それとは次元が違うようだ。
「あの時()と同じように――記憶で構成されている分だけあって、全てがリアルに見える
はず。それに記憶はデリケートな部分でもある。」
「判ってるさ、俺が行く・・・!」
【注意事項】
【私は介入しない】
突如宣言するAIの言動にアキトとイネスは眉を潜めた。
【外部からの侵入】
【排除】
【カウンタープログラム】
【常駐済み】
「覚悟の上だ。」
【なら良い】
【せいぜい】
【がんばって】
◇
閉ざされた"クローゼット"の扉の前に持ち込まれたIFSインターフェイス。
アキトには用途の知れない太いケーブルが何本も床を這い回っており、簡易ベッドがしつらえたその上に横たわっている。
「良い? 接触は慎重に。基本的に"向こうのラピス"はこちらのことは何も覚えていない事を前提に行動すること・・・気をつけてね」
「わかった。行ってくる」
そう答えるとアキトは瞳を閉じた。
右手に装着したグローブ型のIFSパッドと、そこから延びるケーブルが繋がるメインコンピュータが作動し・・・
アキトも意識を転送した。
◇
§
◇
びくり、と肩を震わせる小柄な影。
虚空を睨みつけ、呟く。
「・・・誰だ」
その瞳は――見開かれた凶眼。
敵だ。
敵がやってきた。
この世界を脅かす――敵が。
「排除する」
呟きと共に小柄な影は、その場から消失した。
◇
「おっかしいなー、このあたりだと思ったんだけど・・・」
さくさくと、夜の森林公園の中腹を踏破しつつラピスは周囲をペンライトで照らした。
ペンライトとは言っても、そこらで売ってるような安物ではなく、普通の懐中電灯と同じくらいの明るさを出力できる優れものだ。
バッテリー充電式で結構長持ち。防災訓練の時など重宝する。
夜の園内は結構不気味だ。
声に出して確認するあたり、少々よりも大目の恐怖をラピスは感じていた。
木々に囲まれた遊歩道を歩きつつ、家の窓から目撃した地点と脳裏に描いた立体地図の合致点を思い浮かべる。
この周辺であることに、間違いない。
茂みの奥だろうか。ちょっと怖いけど行ってみる事にした。
「誰か〜・・・いませんよねー?」
思わず小声になってしまうのは、女子高生だという自覚もあるからだろうか。
夜になってからこんな茂みの奥に居る人たちは・・・と思うと、かなり何か恥ずかしい想像が脳裏を掠めそうになる。
ぶんぶん、と頭をふって不埒な想像を追い出すと、またちょっとした恐怖が戻ってきた。
そろそろ・・・と周囲に気を配りつつペンライトで照らしながらゆっくりと進む。
と。
「・・・ぁ」
息を呑んだ。
居る。
誰か居る()。
それはほんの数mほど先の場所だ、男の人の荒い息遣いと苦しそうな呻き声が聞こえる。
他には人はいない、みたい。
(ど、どうしよう・・・?)
思わずラピスは狼狽した。
先ほど日が落ちて夜になったばかりとはいえ、周囲は既に暗くなりつつある。
それに今ここには彼女以外に人の気配はない。その事に本能的に恐怖感じ――
――なら、見ない振りをする?
否、だ。
苦しそうな人が居て、今ここにラピスしか居ないなら・・・自分で行くしかない。
・・・一応防犯スプレーを用意して。
◇
「く、お・・・ここまで、侵入が辛い、ものとは・・・」
大体の精神防壁はイネスが騙していてくれたことが幸いした。
ラピス自身の補助脳のプロテクトが思いのほか厳重で、この精神記憶層最深部に辿り着くまで何度もファイア・ウォールに焼かれそこなりながら落ちてきたの
だ。
加えて、
「この現実感、痛覚も感覚もはっきりとわかる・・・」
しかしここは、あくまで仮想現実。
そのことをしっかりと意識して、体を起こした。
「だ、大丈夫ですか?」
聞きなれた声に呼びかけられたのは、そのときだった。
◇
「ち・・・接触されたか」
◇
「だ、大丈夫ですか?」
声をかけると、倒れ付す男――黒マントに顔の大部分を覆うサングラスのようなものを身に着けた男の動作の全てが一瞬止まった。
え、何か変な事したかな・・・
と不安になったが、自分がしたのはただ声をかけただけだ、と思い直して密かに気合を入れる。
それと同時に、もし飛び掛ってこられたら――と言う想像がなかったわけでもないが、それは"なぜか"大丈夫のような予感もまたあった。
男はゆっくりと体を起こすと、ラピスを見上げながら口を開いた。
「・・・いや、すまない。大丈夫」
「そうですか、良かったぁ。あ、でもどこか具合が悪いようなら――」
思いの他平然とした声が返ってきたことにラピスは思わず安心する。
でも、先ほどまであんなに荒い息を吐いていたのだから、何処も悪いということもないだろうと思い直して言葉を続け、ふと感じた。
「えっと。ぶしつけな質問だと思うんだけど・・・どこかで会った事、ありません?」
「・・・」
口をついて出たのは、自分でも思いがけないほど以外な言葉だ。
あ、れ?
なんで私、こんなことを・・・
彼もまた、息を呑む気配を感じた。
猛烈に恥ずかしくなり、ラピスは両手をぱたぱた交差させて 今のなし! とアピールする。
「ご、ごめんなさいっ 勘違いでした、ほんとはずかしー・・・もう!」
真っ赤になったラピスを見て――その黒ずくめの男は。
「ぷっ くくく・・・」
「あ、ひどい、笑わないでよぅー」
あっはははは! と笑い出した彼に、ラピスはもう、顔も真っ赤で何も言うことが出来なくなってしまった。
◇
「っと、すまないな。」
「・・・怪我してるんならそう言ってよ、放っておけないんだし」
頬に熱の余韻を感じるラピスの言葉遣いは、素の言動に変わっていく。
自覚しているのだが、何故かこの男の前ではそうなってしまう。理由はわからないし、今はそんなことはどうでも良い。
ベンチまで肩を貸していたラピスはそう言うと、そのままベンチに腰を下ろした男からササっと距離をとって隣に座った。
ラピスは男をちらっと横目で見ると、こちらを見ていたのだろうか、彼の"サングラスの大きいやつ"で覆われてない口元が、微笑を形作った。
それに過剰に反応してしまって、また猛烈に頬が暑くなるのを感じて慌てて眼をそらす。
苦笑する気配がラピスまで伝わってきて、何故かとても腑に落ちない感覚が疎ましい。
「あの、なにしてたの? あんなとこで。それにその格好・・・」
「変か?」
「思いっきり変。私じゃなかったらきっと通報されてるよ」
むう、と男は口をへの字に曲げる。
そんな彼を見ているとなんだか気分が良くなってきたラピスは、続ける。
「ま、格好はどうでも良いんだけど。あ、でもそのまま街中は歩かない方が良いよ、多分つかまっちゃうから!」
「そ、そんなにおかしいか・・・?」
なにやら苦悩しているらしい弱々しい彼の言動に、ラピスの調子はすこぶる快調になる。とても気分が良い。
「でも私は別に通報とかしないよ、うん。優しいでしょう私。ね?」
「ああ、ええと・・ありがとう。でいいのかこれは」
納得いかないらしい彼の様子は、ラピスにとって楽しいものだった。
まぁコレくらいで許してあげようと思い、とりあえず話を戻す。
「冗談はさておいて。えっと・・・」
「? なんだ」
もう、とラピスは少し頬を膨らませて、
「な・ま・え 教えてくれないと呼び難い。」
「…アキトだ」
なにやら難しい顔をして自分の名前を告げたアキトだが、ラピスは頷いて了承した。
「じゃ、アキト。あんな所で何してたの?」
夜に差し掛かった森林公園の茂みの奥。
一人で苦しんでいたその様子を思い出しながら、ラピスはもう一つ付け加えた。
「それと・・・青白い雪、見なかった?」
◇
「危険値増大。」
◇
アキトは目の前の見慣れた、しかし見慣れない格好のラピスを前に、その質問にどう答えたらしいのか迷っていた。
最初声を掛けられたときは、まさか と思ったのだが・・・この"世界"に着いていきなり会えるとは思えなかっただけに、知っている彼女とのギャップに戸惑
いつつもひどく安心した。
反面、アレだけ派手なファイア・ウォールの突破をしてきたのだから、常駐しているらしいカウンタープログラムなる存在に感知されていないとは思えない。
周囲を最大限警戒しつつも、アキトはラピスの率直な質問に答えようと――
「雪?」
「・・・うん。アキトが倒れてた辺りに多分降ってたと思うんだけど――」
おかしいなー と彼女は不思議に思っているらしい。
空を見上げると、雪なんて降りそうもないほど星が夜空を埋め尽くしている。
――と、いうことは。
(この世界に侵入してきた時の余剰現象なのか?)
それが妥当に思える。
しかし、下手にそのことをラピスに言うわけにもいかない。ここはあくまで彼女の記憶の世界。
何がきっかけで崩壊するかもわからないのだから。
少なくとも、アキトがここに居る時点で――崩壊の理由としては十分のはずだ。
外部からの直接的変動要因の介入。あとは、もういつそれが始まるか――。
(ごめんな、ラピス・・・でも、俺は)
――それでも。
「アキト? どうしたの」
「・・・いや、なんでもないよ。・・・雪なんて気づかなかったな、星もでているし」
「んー・・・雪って言うか、あの蒼い光・・・ううん、やっぱりなんでもない」
さっきラピスの見た光は、――その予兆、とでも言うべきか。
それのお陰で、今までの生活にちょっとしたアクセントを付ける出来事と出会えたのだから・・・マンガの中のような出会いではあるけれど。
全然ロマンスのない出会いではあるけれど――沸き立つ気分は止まらない。
「あ、そうだ」
「ん?」
多分年上の男性。
ちょっと格好は変だけれど、なぜだか大丈夫だと感じる自身の感覚と、ちょっとだけ話して判った彼の人の良さに気分を良くしたラピスは告げた。
「私はラピスラズリ。・・・変な名前って思うかもしれないけど」
「いや、そんなことないさ。よろしく、」
一呼吸置いたアキトは、微笑と共に。
「よろしく、ラピス」
◇
ラピスが去った後の公園。
あの後すぐ、はにかむ様な笑顔を浮かべた彼女は走って去っていった。
送ろうか、とも言ったのだが、公園の入り口に止めてあるマウンテンバイクですぐに帰れるということを聞いて丁寧に断られた。
格好の問題もあるのだろう、何時もこのスタイルだから気にも留めなかったのだが・・・傍目から見れば確かに変である気がしてきた。
思わず苦笑し、溜息を吐く。
なぜ、さっき連れて行けなかったのか。
今会ったラピスは、現実で意識を失っているラピスに間違いない。
であった瞬簡に判った。
のだが・・・
「あんな良い笑顔・・・初めて見たな」
ベンチの背もたれに、ぐったりと寄りかかる。
ここは作られた世界のはずで、それはラピスにとって都合の良い夢しか見せていないのだろうと思っていた。
一言で言えば理想、しかしアキトにはその思想は受け入れられない。
不健全だ、と思う。
世界はそんなに綺麗なものではない、と。そうアキトは捉えているからだ。
それを他人に強制するつもりはないにしても――そんな都合の良いだけの世界に居ることが、果たしてラピスのためになるのか――?
そう考えると、やはりアキトの答えは否だ。
無理やりにでも連れ帰し、キッチリと現実でラピスと相対し、その狂おしいまでの悩みというものと付き合う覚悟を決めていた、のだが。
僅かな時間であっても、そのほんの少しの接触で。
ラピスはただ、普通の女の子として生きているのだ・・・と理解してしまった。
自分にとって都合の良いだけの世界で、あのような綺麗な笑顔を得ることは難しいだろうと思う。
何気ない仕草や、豊かな表情。
きっと、普通の女の子として生きていれば・・・きっとあんな感じになったのだろうとアキトは素直に思った。
思ってしまったからこそ、連れて行くという選択を、先ほどはできなかった。
迷ってしまったのだ。
「参ったな・・・」
「貴様が消えれば良い。それで事は全て丸く収まる」
◆
そう声が聞こえる一瞬前には、すでにベンチから離れていた。
放たれる殺気がアキトの座っていた場所を貫き、爆音と熱に変換する。
「カウンタープログラム、とか言うやつか」
「排除する」
話し合う気は毛頭ないらしい。
無論話し合いになったとしても、永遠の平行線をたどる事は確実だ。
戦闘態勢に入ったアキトは、習慣から腰部ホルスターからブラスターを抜いて3点バースト。
フードつきの黒マントを被った小柄な影は難なくその弾丸をよけた。
それどころか切って返すように攻撃に転じ、抜き手を――
――速い!
至近距離から顔面を狙った攻撃をアキトは頭を右に振って勘だけで避けきった。
無理やり反らせた上半身をそのまま後方へ投げ出す形にバック転で逃げる。
無言で佇む影。
追撃してこられたら――
恐らく死んでいた。ここでの死が、現実での死に相当するかはわからないが――試してみる気は起きない。
中腰のまま息を整え、しかし相手は微塵も息を乱しては居ない。
プログラムだからか・・・とも思った。
先ほどの、まるで瞬間転移のような高速移動は生身の人間では実現できることのない速さで――
(でも、それを言えば俺も今は)
ここは現実ではない、ただの仮想世界だ。
故に、通常の物理法則の当てはまる場所ではない、筈。
なら――
(意識の問題、だな。このリアルさが、全ての枷か)
先ほど目の前の黒フードの陰が見せたような、人知を超える圧倒的なスピードと機動。
同じくこの世界において"既定外"のアキトならば――同様の動きを行えると踏む。
でなければ、結末は判りきっている。
「おめおめと帰るわけにはいかない、からな」
その言葉に反応したのか、それともただタイミングが合っただけなのかは判らない。
す と左腕をこちらに向けた黒フードは、次の瞬間、アキトにその異様を見せ付けた。
手首部分が盛り上がり、天と地に向かって鋭い弓状を形成した。
握り締められた拳が放電するようにバチ、バチと大気を叩き付けるような音を発し始め、収束する暴力的な破壊のエネルギーをうかがわせる。
「マジか・・・!」
ブラスターどころでは太刀打ちできないことは明白だ。
黒フードは右手で矢を番える様な仕草を見せ――光の矢が出現し――放った。
「!!」
危険と知覚した一瞬後、アキトの視覚に写る全てがスローモーションに見えた。
屈み、右手の指先を軽く地面につく体制で重心を低く保ち、イメージする。
――戦闘の、イメージを!
アキトの右手のIFSから全身に光の筋が伸び――枷()を取り払った。
現実に復帰する。
光速で迫る矢をアキトはしっかりと認識し、その上で前方へ飛び出し傾斜させた体全体を回転させた勢いで振り回した腕で、完全に光矢を狙っていなした。
矢はアキトの左後方の上空へ飛び去り虚空へ消える。
そのままの勢いで飛び出したアキトは、既に人の出しうる速度を超え――しかしそれは慣れ親しんだ加速感。
(――サレナに乗ってるイメージ・・・!)
高速回転する自身の体を、スラスター制御する感覚で地面を下に意識する。
回転が止まるのと、黒フードに近接するのをほぼ同時に行ったアキトは、そのままカウンターを取る形ですぐ真横まで踏み込んだ。
既に腰溜めに構えていた右拳を、渾身の踏み込みと同時に打ち抜く――!
殺った・・・!
そう確信すると同時に敵の体の中心を穿つ筈の手応えとは裏腹に、空を切ったというその感覚と事実に驚愕した。
目の前には、空を切って宙を飛ぶ小柄な黒フードの姿。
数メートルという距離をとって静かに着地するやつの姿を視界に納めつつ、アキトは戦闘態勢を崩さない。
だが、必殺のはずの一撃をかわされたその事実は、アキトを動揺させるには十分だ。
顎を伝う汗の感覚。
バーチャルの世界の筈なのに、ここまでリアリティが在るのか と一瞬だけ思考を掠めたが、すぐさま現実に復帰した。
「・・・」
ふわり、と木の上に立ち不気味に沈黙する黒フードの奥から見詰める瞳には、確かな殺気が篭っている。
それは人間から感じるものと同じだ。
しかし、この世界で唯一人間なのは、他ならぬラピスだけではなかったのか・・・?
焦りが戦闘への集中力を削ぐ。
「く、」
ぎり、と拳を硬く握り締め、黒ふード次の攻撃にあわせようと――
したら、ヤツは身を翻してアキトとは反対方向へと飛ぶ。
「な、逃げるのか?」
慌てて後を追おうとしたが、すぐさま我に返った。
ここで追ったとしても、確実に勝てる見込みはないし・・・それに。
「この世界、何かが違う…?」
その漠然とした思いから、躊躇いが生まれつつある事も自覚していた。
それは戦いにおいて致命的な隙を生みかねない。
アキトは ふう と息を吐いて、呟く。
それが偽りのものだと判っていても、輝く満天の星に問うことしか今のアキトにはできなかった。
「どうしたものか・・・」
◆
「は、はぁ」
黒フードは木々の上を軽やかに飛びながら浅く息を吐く。
"エネミー"の戦闘力を見誤った。
ただの悪性ウィルスや人間のハッカーなら、先程の攻性プログラムの一撃で片はついていたはずだ。
それを、いとも容易く"いなして"みせた、あの男。
あの、男。
「判ってはいるけど。」
嘆息。諦観の入り混じる、そんな溜息。
この世界は微妙な均衡から成り立っている。自分を含め――そう作られている。
守ること。
何よりも、それを最優先するよう自分の中に戒める声がする。
判っている。
本能が理解している。
仕方ない。
仕方ないけど、ほんと
「ぁーぁ。」
◇◆◇
§
"それ"は。
それらを俯瞰し、唯口元を緩めて。
「ふふ」
と、微笑った。
§
◇◆◇
>>>go to the latter part of "many-sided
Dstortion"