たった一枚。
ここに置いていく写真。
今、それを手に取る私は・・・多分きっと、懐かしさと微笑ましさで笑ってる。


大事なセピア色の思い出。

写真の中の二人――私と彼は、年頃の少年少女。
無理やりに腕を組んで撮った事を鮮明に思い出し、写真の中の ふてくされた様にそっぽを向く彼の気性を思い出せば――やはりそういう所が懐かしい。
二人ともラフな格好だけど見栄えもそこそこ。
あの頃の私の背丈は平均より少し高いくらいだったから、同じ年頃の男の子と並べば釣り合いは取れていると思う。



夕暮れの、海の見える公園だった。

それまでの"今まで"に不満を持っていたわけでもないし、疑問があったわけじゃない。
でも、それでもちょっとだけの"希望"を持っていた私は、もし彼に出逢えなかったら。
そんなささやかな"希望"の叶え方も知らないまま"それから"を生きたのだと思う。


日々思うこと。
刹那に思うこと。

"その時という過去"から、"いつか叶えたい願い"へと架ける私の望み。

切ない希望。


そんな、ほんのちょっとの切っ掛けを作ってくれた――壁を壊してくれた、彼との。
忘れるはずもない想い出の形をじっと見詰めてから、ゆっくりと机の上に戻した。



そして立ち上がる。



強気の微笑みを武器に、

心に活力と気力を湛え、

"これから"という未来を掴むために。



「行こう。」



ゆっくりと、歩き出そう。








Martian successor Nadesico Another "If"


"Vermillion memories that do not fade"


Written By サム









――3年前。





望みうる、全てを得る事の出来る環境・・・というもの。
友人に言わせれば、私の立場がそれに当たるのだという。

ウォン家というところがそういう所らしいと知ったのは、実はここ最近のことだ。

何故なら――私、ラピスラズリ・キンジョウ・ウォンは普通の女の子で、普通の生活の中で暮らしてきた、極めて一般的な普通の女子高生に過ぎないから。
とは私の弁で、友人のミズホやサキに言わせるならば――


『普通の家だと社交パーティには呼ばれないよねー』

だの

『おフランス料理のフルコ〜スなんて、庶民にはわからない味にゃ〜』

だのと苦笑したりダレたりしながらスルーされるのが常だ。
ちょっと不満。

でもまあ、私は"幸運か不運か?"と聞かれたら、100%"幸運な人間"だと言う。
だって私――


生みの親も知らない孤児なのだから。



 ◇


どんな理由でウォン家に引き取られたのかはわからない。
でも。
義理の両親も、姉も、皆私なんかに良くしてくれる。
私に"与えうる全て"を見せてくれる。

そんな"家族"が大好きで、そんな私はとても幸せだ。


幸せの、筈だ。


 ◇



「はぁ」
「ん? どうしたラピッち。恋の溜息かい〜?」

私の言葉に反応したのは、一番中の良い友人の一人。
戸野ミズホという猫っぽい少女。
"猫っぽい"というのは、身長とか見た目とか雰囲気とか、その突拍子もない行動とか発言とか。
人をからかう所とか、気づけばすぐ傍にいるけど、気づいたら何時の間にかいなくなってる、みたいな所とか。
可愛いし、優しいし、楽しい。
そんなミズホが大好きだ。


「なんでもないよ。ただね、今こんな紙渡されてもね」

ひらひら、と私は先ほど配布された紙切れを無造作に振った。
そこには太字の黒枠で囲まれ、1、2、3とそれぞれ左に書かれた行が3つと、名前を記入するだけの簡素なもの。

「あぁ、進路きぼー調査ってやつね。大変だね、困っちゃうよね〜」

机の上にぐだーっとダレるこの娘は、どーでもよさそうにそう呟いてうねうねしていた。
――今日はあまり調子が良くないみたい。

それはともかく。
私は今の所特にやりたいことなんてない。
将来なんてどーだって良いし、3年も先のことなんて今からじゃ全く見当も付かない。

「ほんと、どうしよっかな」


 ◇


何時もなら仲の良い友人たち数人と共に下校し、新作のファッションを冷やかしたりお茶したりという予定も立てるのだけれど、今日はそんな気分にはなれな かった。
なぜ?
そんなの私にもわからない。

でも多分――

かさ、とポケットの中に押し込んだ一枚の紙が音を立てた。
取り出してみたものは、進路希望調査だ。
名前の記入欄と、第一希望、第二希望、第三希望を書き記す欄以外に枠はない。

実際の重さはほんの数gといった所だろう。
でも心の隅っこの何かに引っかかるのか、思考の片隅から全く離れないこの紙を疎ましく思って、でも捨てられなくて。
・・・提出しないと、だしね。

むす、という表情のままだったのだろう。
私は一人帰宅する道を進んでた。



 ◇



・・・夕焼けが綺麗な日だった。
ここ数日はそんな日が続くと、天気予報で言っていた。
山の陰に隠れつつある大きなオレンジの夕日が、徐々にその光を隠しながら遥かな地平へ沈んでいく・・・そんな様子をちょっと想像して、私は無性にそれが欲 しいと思った。
今のこの景色を、切り取ってしまいたいと。
切り取ったこの景色を、私だけのものにしたいと言う欲求に駆られ――

息を吐いた。
ふっ という強めの呼気に込められた熱は、周囲にすぐさま拡散する。

そんなことは出来ない。
幾らお金があってもそんなことは不可能だ。
そんな突拍子もないことを強く望んでしまった自分に少しだけ恥じ入ったラピスは、また黙々と歩くことを再開した。
色褪せて見える、このアスファルトで舗装された道を。

ガチガチに固められ、押し込められ――さも整然とされているように見える人口の道を。
歩くしかないと知っているからだ。

何故なら、この先に。

彼女の帰るべき家があるのだから。




 ◇





ラピスにとって日常とは、そんなことの繰り返しに過ぎなかった。
代わり映えのない日常を惰性で過ごし、どーでも良いと思った事をどーでも良い風に放置して、無視して、見過ごす日々。
友人は好きだし、家族も好きだし、それなりに楽しく生きている。

――筈なのに。


・・・なんでこんなに虚しいんだろう・・・?




 ◇




俯いて帰ることが多くなった。
そう気づいたのは、今、頬を撫でた冷たい風にビックリして顔を上げたからだった。
はぁ と息を吐けば、白い呼気が現れて消えた。

「・・・もう、秋が終わる――」

相変らず綺麗な夕暮れが空を彩っている。
流れる雲を緋色に染め上げ、森林公園は紅葉に飾られていた。


誘われるように ふらり、とラピスは公園の中に足を踏み入れた。
別に何か目的があって入ったわけじゃない。ほんとになんとなく立ち寄ってみただけ。


穏やかな秋の夕暮れは、それ自体が綺麗で儚くて、寒い。
冬の吐息を感じる体をそっと抱いて、それでもラピスは足の向くままに公園内を歩いた。

枯葉が舞い、踊り、地面を紅く黄色に彩る。
風に翻弄される落ち葉は、跳ねるように走り回るように無数の仲間達と周囲を駆け巡っていた。

一陣の強い風が落ち葉を中に舞い上げる瞬間。
なびく髪を押さえて、ラピスは目を見開いた。




旋風に巻かれた落ち葉が空中に舞い上がり。

   夕日で照らされた部分が煌いて、ふわり と舞い落ちる。
   
      まるで紅い光の噴水みたいな、そんな幻想的で非現実的な風景。




一瞬一瞬がコマ送りに見えて、そんな刹那の間に沸きあがった感情――



欲しい。
欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい・・・!


どくん、と心臓が高鳴ったことが判った。
全てが瞬間の出来事で、加速した感覚が捕らえる光景は――舞い上がり、斜陽の陽光を反射する落ち葉はまだ地に着いていない。



ああ、神様
もし叶うなら、今この目の前の風景を私に、



――カシャ


「あ」


シャッターを切る音と判った時には、既にあの感覚は消えていた。
全ては普段と同じリズムで時が回り、僅かに射していた紅い陽光も山の陰に完全に消えた。


「あぁ…」

無性に悲しくなった。
マジで涙が滲んで、それ自体はどうしようもないことだと判っていたのだけれど――

(誰・・・!)

嘗てない怒りを感じた。
あの、信じられないほど幻想的との邂逅の瞬間を邪魔したのは――


ぎり、と歯を食いしばって涙を堪えたラピスの鋭い視線の先に。
カメラを構えた男が――いや、男子生徒?
彼の向いていた方向は、ラピス自身でないことはそのレンズの向きから明らかだ。
しばしファインダーを覗いたままの格好から不動だったのだけれど・・・正確に3秒後、彼はファインダーから目を離して顔を上げた。


どくん、と、先程と同じくらい強い鼓動が胸を打つ。
先程の光景に興奮冷め止まない思考が、現れた彼の攻撃的過ぎる瞳の鋭さにほんの刹那の間だけその機能を止めた・・・のだろうか。

何も考えることが出来なかった。
言葉も出ない。舞い上がる髪を押さえるために添えられた右手もそのままに、彼を見続けることしか出来なかった。

それも一瞬。
我に返ったラピスは、まだこちらに気づかない彼から慌てて視線を外して、あれ程心の中に吹き荒れた怒りの感情が跡形もなく消え去っている事を本当に不思議 に思い、
その代わり、"光の噴水"を見たときに感じた衝撃に似たものから醒めた時のような、心地よい余韻だけが残っていることに何故かほっとして。

「・・・あ」

ふと気づいた単純な事実に上げた声で、カメラから顔を上げた彼に自分の存在を知られたことを悟った。



 ◇




「ねえ!」

先手必勝はラピスの常套手段。
何事も、始めなければ続かない。そのことを感覚的に知っているラピスは、彼に声をかけた。

胡乱気な目つきでめんどくさそうにこちらを振り返る少年――同じ高校の指定制服を着ている――はカメラを下げてラピスを見た。
ぼさっとしたツンツンしている黒髪。
冬服のブレザーの前は全部ボタンが外れていて、ワイシャツもズボンから出ている。
袖はまくられていて(こんなに寒いのに?)、注視したら彼の呼気が大きく乱れていることに気づいた。
靴は泥だらけで、よく見たらズボンも少しくたびれて見えた。

こめかみから流れる汗が、頬を伝い顎から落ちた。


「・・・なに?」

思いのほか低い声に、ラピスは一瞬怯んだ。
が、声をかけた手前無視して逃げるという選択肢はありえない。

「・・・今の、見た?」

とりあえず出た言葉がそれだった。
主語も何もないただの質問だったけど、(あ、言葉たりなかったかな・・・)不安になって、その時初めて焦りを感じた。

「そ、その・・・今の、木の葉がこうぱぁって空に吹き上がって、ひ、光できらきらーって、・・・なによ」

焦燥からだったのか、語尾を震わせながら慌てて身振り手振り(ジェスチャー)でもって説明し始 めたラピスだったが、不意に憮然とした様子で言葉を止めた。
止めるしかなかった。

「くくっ・・・ な、なんだそりゃ・・・ぷふー」
「な、なに笑ってんのよ!」
「くはっははは、いや、なにそれ? あははは!」
「こ、このー!?」

ヤツは腹を抱えて笑い出したのだから。



 §



「ほれ、これで許してくれ」

ぽん、と渡されたのはホットのミルクティー。
自販機産のやっすいやつだ。

投げてよこされたそれを受け取って、その熱に少々慌てたものの、冬になりかけの夕方――しかも日は沈んだ――という今の気温ではその熱がありがたい。
ほんとはこんなヤツから受け取るものはないのだけれど、流石にプライドでは温まらない。
そう。
心根の優しいラピス(自己評価)はそのこいつの心遣いを無下にしないで受けてやっただけだ。

「・・・開かない」
「おいおい」

プルタブが意地を張ってた。
プルタブの癖に生意気な…!とか思いつつも格闘していたのだけれど、どうしても爪がはがれそうな錯覚に陥ってしまってそれ以上力を込めることが出来ずに諦 めた。

ベンチの隣に座ってるソイツは、苦笑しながら(む、むかつく・・・!)カシュ、といとも容易くプルタブをあけてしまった。

「・・・む」
「ほれ。熱いぞ」
「わかってる!」

ラピスは、むくれながら受け取ったミルクティーの缶にそっと口をつけて飲む。
ほっと一息ついて恨めし気に隣の男に目を向けた。

「何もあそこまで笑わなくっても・・・」
「はは、だってなぁ・・・」

ぷふー と彼はまた噴出した。
(く、この・・・!)と内心思ったものの、抑えることにする。
そんなことよりも、ラピスの興味を引いたのは別に在るからだ。

ベンチに座る二人の間には微妙な間がある。
お互い名前をも知らない者同士で、いきなり隣り合って座れるわけもない。
そんな微妙な1,5人分くらいの間の真ん中に置かれたカメラ。

それがラピスの惹きつけていた。

「ま、まぁ良いよ。それは許してあげる」
「許すも何も、君が勝手に」
「許してあげる! で、それなに?」

ラピスは二人の間にあるカメラを射して言った。

「カメラだけど」
「変な形なんだね・・・それにおっきい。」

今のご時世、コンパクト&高性能が売りの時代だ。
カメラとは判っているけど(他に用途が在るとは思えないし)、こんなにゴツゴツとした本体は見たことない。
それどころか、記憶媒体はどんどん小型化しているのに何でボディがこんなに大きいのか。

「それ、どれくらい容量あるの?」
「容量?」
「メモリ容量。そんなにおっきいんだもん、まさか(テラ)クラスまでは行かないと思うけど」

そもそも、画像データにそんな容量が必要なのかも疑問なのだが。
そう質問したラピスに、彼は苦笑して告げる。

「こいつ、メモリなんて付いてないよ。」
「へ?」
「中には感光フィルムがあるだけ。レンズを通してフィルムに景色を写すだけの簡単な仕組みだ。」

ふふん、と彼は唇を笑いの形に吊り上げた。

「理解できたかい? お嬢さん」


 ◇


「そんなんで綺麗な景色が撮れるの??」

挑発に乗らなかったことを以外に思ったのか、彼は少々拍子抜けした顔でラピスに応える。

「撮る方の腕と現像次第、らしいけどね。俺はまだまだ・・・」
「ね、さっきのやつも撮ったんでしょ?」
「さっきの?」

すぐに察してくれない様子に、もう、とラピスは苛々しながら、

「さっきの"光の噴水"みたいな風景!」
「あぁ・・・一応撮った。撮れてる筈だ」
「――、そ、そう。で、それって現像するんでしょ?」

撮れてる筈だ、と呟いた彼はちょっと真剣な瞳でカメラを手に取る。
そんな様子に息を呑んでしまったのだけれど、大事なのはそんなところではない。

「もし現像できたら、私にもその写真、くれないかな・・・?」
「別に良いけど。・・・まぁ出来は保障できないけどね」

苦笑しながら彼は応える。
その低い声と変なときに鋭くなる目つきからはとっつきにくそうなイメージを持ってしまうけれど、本人は極めて普通の男の子だということを知ってラピスは何 だか安心していた。

「で、何処に持ってけばいい? ま、君は目立つからすぐ見つかると思うけど。」

同じ学校みたいだしな、と呟いた彼は、その時初めてマジマジとラピスをみた。

「君、お姉さんとかいる?」
「えっと、義理の姉なら・・・」

義理、と呟いた彼は頭を振って何かを考えることをやめたようだ。気のせい気のせい、と呟いて改めてラピスに向かった。

「俺、3年の天河アキト。君は?」
「えぇえっ! 3年生だったの・・・!?」

そのラピスの言葉に憮然としたアキトという少年はむ、と口をへの字に曲げて唸った。

「悪かったな・・・」
「あは、ごめんごめん。私、1年のラピスラズリ・ウォン。」

にこっと笑ったラピスは手を差し出して。

「よろしくね」



 ◇



「おぉー」

何とか持ち直したアキトから、現像できたらやるよ、と気前の良い返事が返ってきたことに、ラピスの機嫌は上々だった。
気が付けば時刻は18:30を回り、既に日の落ちた公園には街灯が灯っている。
送るよ、と彼がラピスを連れてやってきた公園の駐車場には。

「バイク、かっこいいね」
「そうかな。ほら」

と予備のヘルメットと大きいジャケットを投げ渡したアキトはバイクにまたがってエンジンをかける。
大型の二輪車なだけあって、その排気量といい音といい凄い迫力だ。

「乗って」
「う、うん」

慌ててジャケットに袖を通して、多少尻込みしつつもタンデムシートに座る。
ちょっとスカートの位置が気になったものの、運手するアキトからは見えないし、そんな人通りも多いところじゃないし、大丈夫だろうと見切った。
四苦八苦してヘルメットの止め具をかけて、

「ええと、これは・・・」

鞄は肩から提げることで大丈夫だとして。
突然肩越しに振り向いたアキトは、シェルのシールドを上げて、

「掴まれって。俺の腰にちゃんと手、回しとかないと危ないぞ」
「う、やっぱりか」

しぶしぶ、おずおずと言う感じで、でもやっぱり転倒とかは御免なわけで、しっかりとアキトにしがみついた。

「よし、行こう」
「ん・・・む」

ブオン、と一際大きく吹かしたアキトは、とりあえずラピスにも耐えれる位の安全運転でその場を発進した。



 §



それから、私とアキトは少しずつ会う時間が長くなっていった。

少しずつ、というのは、そもそも遭遇する機会が余りなかったことが大きな理由になる。
遭遇で十分だ。アイツは私にとって、珍獣なんだから。

でも、初めて会った森林公園に来ると、高確率で遭遇することはわかった。
私が友人たちと別れてこの傍の道を通る時。
ちょっと気が向いたら立ち寄ったりすると、私は少しだけアイツの姿を探してしまう。
すると、すぐに見つかるのだ。

何してるの、と声をかけると。
写真。とだけ返ってくる。

彼の手の中にはあの旧式のカメラが何時も一緒で、少なからず私はそのカメラがうらやましいと思った。
焼き増ししてもらったあの"光の噴水"の写真は、私の部屋の写真立てに大切に飾られている。
そして、この少年カメラマンは他にも様々な美しい風景の写真を撮影していたらしい。

少しだけ親しくなってから1度だけ遊びに行った彼の部屋は、沢山のアルバムと様々なジャンルの写真で埋められていた。

これは夏に行った滝で。
これは春に行った草原で。
これは冬に上がった宇宙(ソラ)からここを撮ったつもり。

火星(ここ)を撮影した写真を引っ張り出した私に、アキトはそういって笑った。
私も笑った。

綺麗だね、と。


溢れる風景を、記録を。
沢山の記憶(思い出)を共に作ってきた、カメラがちょっと憎らしい。


 ◇


ちょっとだけ親密になった私とアキトの関係は、でも恋人なんて気取ったものなんかじゃなかった。
私たちは同じような景色をそれぞれの視点から見て、そして似たような感想を得る事の出来る…そんなお互いの理解者だったのかな。
彼のバイクの後ろに乗って、彼の体にしがみついて。

私たちは、一緒に色々な風景を見に行くことが多くなった。


 ◇


高等教育校は4年の教育時間が設定されている。
それぞれ半年後には1学年ずつ進級して、アキトは最終学年に。
私は第二学年に上がっていた。

アキトが校内で活動している写真部とは全く関係ないことは早いうちから気づいていたし、私はそのことを余り気にしたことはなかった。
ただ、彼が最終学年になったことで、一緒に色々な土地に一緒に出かけるような機会が少なくなるんだろうな、と思って少し寂しいような感覚を抱いていた。


 ◇


春も半ば。
私は何時ものように友人たちと普段を過ごして、普通に楽しみ、そして帰宅の道を歩いている。
去年の秋と違って日はまだ昇っているし、気温も暖かい。
衣替えはまだ来ていないけれど、もう上着は脱いでしまっても良いくらいだと思う。暑い。

何時も通りの帰宅のコースを歩けば、当然ながら何時も通りにあの公園の横の道に差し掛かった。

いるかな?

そう思ったラピスは、何時も通りに公園の中に入っていった。




 §




「よ、ラピス」
「・・・なにやってるの?」

目的の彼はすぐに見つかった。
公園に入るとまず駐車場を通るわけだが、そこにいたからだ。

何時ものライダージャケットを着たままアキトはヘルメットを抱いて、シートに座ったままの格好だった。
私は駆け寄ると、何時もらしくないアキトを見て再び疑問を告げる。

「写真、撮らないの?」
「今日はな」


彼にしては後ろ向き風な応え方に、どこか引っかかりを覚えた。

・・・様子がおかしい。
長くはないけど、短くはないくらい一緒にいた仲だ、ラピスにはすぐわかった。

「どしたの? なんかおかしいよ」
「ん、ちょっとな・・・ラピス、あのさ」

そっぽを向いていたアキトは、不意にラピスに向き直った。
その瞳の深刻さに、ラピスは思わず目を見開いてびっくりしたものの、冷静に、冷静にと心を落ち着ける。

そんなラピスの様子に気づかないまま、アキトはどこか歯切れの悪い調子で言葉をつむいだ。


「今から一緒に・・・海、見に行かないか?」
「はぁ?」


 ◇


火星再入植より200と余年。
基部都市といわれる7つの着陸した移民船をベースに発展した火星は計13の都市開発を行って、そこから更に多くの小都市を構築して其々をここに繋げる幹線 ネットワークを形成した。
自然との融和政策も再入植初期から方針は変わらず、緑の惑星として太陽系では名高い。
当時は荒れ果てた不毛の土地も、土壌開発ナノマシンの再開発と緑化運動の流れから地球の自然と似たような生態系を構築し始めた。
無論完全に同じにはなりえない。
そもそも惑星自体が地球の位置とは違うし、質量も公転周期も全く違う。
同じなのは大気内気圧と温度、二つの衛星からなる潮汐力の関係。そして――

海の存在だろうか。


 ◇


現在の火星の海は、北半球にある旧アエテリア地方と旧エリシウム平原跡からアルカディア平原わたる形で設定され、人工的に造れらた。
火星表面積の約12%に及ぶ。
しかし本来の意味での"海"ではなく、火星における海の正式名称は"GrateLake"とされた。
人工的な最大規模の湖。故にGrateLake。
安直ではあるけれど、観光に地球や木星からそこを訪れる人間は多い。

ただし、GrateLakeはその南側までしか開放されていない。その"海"に侵入することも"条約"で硬く禁じられている。
GrateLakeより北、そこは200年以上前から"政府"によって封印された特殊な土地とされているからだ。



 ◇



風を切って走る。
南半球に位置するヘラス平原に構築されたヘラスシティ:Side11から、火星赤道へ向かってひた走る。

強く抱きしめるアキトの背は、私にとって既に慣れた場所。
一見華奢に見えなくもない彼の背中は、やっぱり男性だけあって厚くて頼もしさを感じる。
何時もの学校帰りだったはずなのに、ちょっと立ち寄っただけの公園で得たアクセントは、私が求めている以上に刺激的な興奮を齎していた。

海へ。
その一言が、やけに私の心に響いた。
何か違う展望が開けるような気がして、でも何故いきなりアキトがそんなことを言い出したのかには、まるで見当が付かなかった。


――行けば判るのかな。

そうは思いながらも――反面、私は わかりたくないな、とどこかで思っていた。
なぜなら、それが何かしらの契機となる可能性もある。
そして私は、今のままの心地よい関係とか、環境とか・・・そういうものを手放したくないともと思っているから。


それでも彼についてきたのは、アキトが私に、それを望んだからに他ならない。



 §




海は遠い。
バイクで走り続けてたとしても1日や2日で到着するような距離じゃない。
ヘラスから東のプロメテウス地方へと抜け、それからすぐ北のヘスペリア平原を抜けて"海"へと到達するコースを取らないといけないからだ。
ヘラスシティ:Side11からプロメテウスシティ:Side13まで速度上限解除の高速幹線は通っている。
今現在走っているところが当にそこで、森林公園から走り始めてもう5時間。

・・・とっくに門限は過ぎてる。


Side13まで大よそ半日の距離まで来たところで、アキトはパーキングに入った。
各都市とゲートポイントまでをドームで覆われたの高速幹線ネットワーク。ドームは、時折火星に吹き荒れる暴風から内部通路を守るためのものだ。
開発初期にこそ多かった砂嵐は、その発生メカニズムの解明と火星の大気調整用ナノマシンの作用で可能な限り抑えられている。
しかし、自然現象だからこそ100%抑えきれるものではないことは明らかで、時折思い出したように暴風が吹き荒れることがある。
その影響を限りなく小さく抑えるために、主幹線通路ネットワークはドームで覆われているというわけだ。


パーキングの駐車場にバイクを止めると、アキトとラピスは無人の休憩スペースへ入る。
休憩スペースは幹線ネットワークを拡張する工事の時の中継ポイントをそのまま改修したもので、無人ではあるけれど、シャワーや仮眠室などは揃っている。
これは、各都市間の移動にはかなりの時間が掛かることも関係している。
荒野に仮眠できるスペースはない。ただでさえ平均気温の低い火星での野宿は自殺行為に等しい。それでも止むを得ずそういった状況に陥る人間も少なからずい ることは事実で、
アキトとラピスのようなイレギュラーな旅人たちを向かい入れる事の出来るキャパシティとしての、休憩スペースだった。


「・・・思った以上に疲れたね・・・」
「だな、悪い。こんな面倒なことに付き合せて」

ラピスはアキトの言葉に肩をすくめて 「いいよ、べつに」 とだけ応えた。
仮眠室は結構な数を用意されていて、今ここに居るのはラピスとアキトだけ。
シャワーは其々の個室についている。

「何かあったら呼んでくれ、すぐ行くから。」
「うん。」

カシュン、とドアが閉まると、ラピスは備え付けの簡易ベッドの上にきていたもの全てを脱ぎ散らかして、シャワールームへ駆け込んだ。

「つーかれたーー」

熱めのシャワーがすき。
そのままお湯に打たれていると、じんわりと今の状況が飲み込めてきた。

アキトとの小旅行は別にこれが始めてというわけじゃない。
ヘラス周辺の地域を、珍しい風景を探して回った事も2度や3度じゃなかった。
…でも、今回はちょっと違う。
突発的な出来事で何の用意もしてなかったこともある。

…用意、してなかった。

・・・時刻は23時を回って深夜に近づきつつある。
何か、大変なことを忘れているような・・・?


「あ」


シャワーを止めた。
そんな悠長なことしてる場合じゃなかった!
ばたばた、ばたん!
慌ててバスタオルを二枚引き出し、一枚は体に巻いて、もう一枚で髪の毛を拭く。
拭きながらシャワールームから出てくると、先程脱ぎ散らかした衣類の山の中からリストバンドのようなものを探り当てた。

「あー・・・」

ぴ、ぴ と簡単に操作してウィンドウを出す。
そこに表示されたのは着信履歴の山。

「まっず・・・」

すっごく。




ピリリリ ピリリリ


 
 ◇



「アキト、ね、アキト!」
「どうした?」

のんびりとしたその声に、ラピスは少々苛つく。
すぐやってきたアキトがドアのロックを外すと、カシュン とを開いて、その隙間から滑り込むように部屋に侵入したラピスは幾分蒼白気味の顔でアキトに詰め寄った。

「どうしよ、すっかり忘れてたんだけど」
「どうした?」
「…家に連絡忘れてた…」

呆然一歩手前の状態で、ラピスは呟くように言葉をこぼした。
慌ててシャワーから上がったのか、綺麗な薄い緋色の髪は濡れたまま。
学校指定の制服のスカートに、Yシャツのみを着ている姿だ。
首もとのリボンは着けられておらず、どこか新鮮なラピスの姿にアキトは思わず息を呑んでいたが、その ラピスの言葉 に口元が引き攣る。

「それって、」
「こ、コールが…どうしよう」

ラピスがそっと差し出した手の中には、無慈悲に呼び出しランプが点滅を繰り返すコミュニケーター。
どうしようといわれても、出るほかに選択肢はない。

「俺も一緒にあやまる、だから出ないと」
「う、ん、そうだよね、だけど、その…」

おずおずと見上げるラピスの顔が赤い。
訝しげに視線で問いかけても俯くばかりで要領を得ない。

「…あ」

シャワー上がりのラピス。上気している頬に顎を伝う水滴。
タオルに包まれている髪もまだ濡れていて、乾ききっていない。ワイシャツだって少し透けて見える――、

「わるい、その。」
「そ、それはいいの! でも出ないとまずいんだけど、友達の家って言い訳も出来ないし…」

コミュニケは対象人物だけでなく、背後の景観も大きく取り込める。
機能性のみを追及したこのスペースを、友人宅と言い張ることは無理に等しい。

「正直に話すしかないだろ、…少なくともラピスに非はないんだ。無理言った俺が悪い…」
「と、とにかく出るね。この番号だと姉さんだと思うから…」

ごくん、と喉を鳴らしたラピスは通信をオンにする。


『ラピス!! ぁあ良かった…やっと通じた…。ったく、いったい何時だと思っているの、アンタは!?…ぇ?』

感情の起伏でウィンドウサイズが伸縮する仕組みは、実にウィットに富んだアイディアだったと思うが、
今の状況だと本気で姉がその場にいるように感じられて、思わずアキトの背に隠れてしまうほどの剣幕を再現していた。

そのラピスの義理の姉――エリナ・ウォンは見慣れない男の体の影に隠れたラピスに漸く気づいて、そして状況を認識した。

――男。
――その影に隠れたラピス。
――風呂上り。夜。

想定しうる状況は幾通りもある。
現行犯、という単語も思いついた。
あとは、この状況を決定付ける明確な証拠があれば、確定となる一連の流れを一瞬で検討して。


『で。どういうこと?』





 ◇



(最悪。最悪だよ…)

ラピスは頭を抱えながら今の状況を拒絶しようとしていたけれど、それはやっぱり無理だった。

視線が痛い。
思わずアキトの背に隠れてしまったけれど、これが勘違いを加速させる可能性に気づいたのは我に返ってからすぐだった。
義理の姉、エリナ・ウォンはその鋭い視線で順にアキトとラピスをみて、ふん、と鼻を鳴らす。
同時に溜息を吐いた。

『ラピス』
「う、その、姉さん…」

おずおずと顔を上げると――

「ひ」
『この馬鹿! お姉ちゃんだけじゃなくて父さんと母さんにまで心配かけて!! 何をやってるかと思えば…』
「ご、ごめんなさいっ」
『…ったく、詳しい状況は後で聞くから。今どこ? すぐ返ってきなさい。そこの彼も一緒にね』
「…その。すぐには帰れない、と思う」
『なんで? まさか――そこの彼と一晩中一緒に過ごしたいから、なんてふざけた理由じゃないでしょうね?』
「な! そんな勝手な想像で…!」

キ、と顔を紅く怒りに染めたラピスは食って掛かろうとしたが、アキトが割り込む。
初めて出会ったときのような低い声色は、初対面の人物に対するときの精神的防衛手段なのだろうか。

「すみません、ラピスは何も悪くありません。俺が勝手に連れ出したんです…彼女を責めないでやってください」

その言葉を聞いたエリナは目を剥いてアキトに辛らつな言葉を浴びせる。

『どういう神経してるの、君? どういう関係か――は、後で問うけど。少し位一般常識を持ってれば、こんな事にはならないでしょう!?』
「申し訳ありません、浅はかだった事はわかってます。ラピスには、その…変なことはしてませんし、するつもりもないです。」
『そういう問題じゃない! うちの妹をどこに連れてく気なの! 何で何時間も連絡取れなかったのよ! 少しは、心配する方の身に…』
「…すみません。」

ウィンドウの中のエリナは顔を伏せ、アキトはそのエリナに向かって深く頭を下げている。
ラピスは軽く混乱した様子で、ぽろぽろと涙をこぼしながらおろおろしていた。

『…とにかく。父さんと母さんには見つけた、って連絡は入れるけど…本当にすぐには戻れないの?』
「う、うん。ここ、は、」

ラピスは慌ててコミュニケを操作すると、M:GPSで参照した現在地をエリナ()のコミュニ ケに送信する。

『ここ…って、ヘラスよりプロメテウスの方が近いじゃない! ちょっと二人とも、一体どこに行こうとしてるの!?』
「どこ、って」

ウィンドウのエリナから、アキトへ視線を移すラピス。
応えるようにアキトは顔を上げ、真剣な眼差しで一言。

「海へ」



 ◇



 とにかく、着替えて来なさい というエリナの言葉でラピスは一端アキトのレストルームを出た。
流石にシャツとスカートだけの格好で男の前に出てくるのは軽率だ、というのがエリナの弁。
ちょっと話したいことがあるから、という理由でラピスのコミュニケはアキトに預けて隣の自分の部屋に戻った。
 ベッドの上に投げっぱなしだったタオルを取ると、備え付けのドライヤーを使って雑だけれど簡単に髪をブローする。
ソックスと上着、それとアキトから借りっ放しだったジャケットを羽織って靴を履いた。
どうせ寝るときに戻ってくるとしても、とりあえず 荷物は全部持っていくに越したことはない と思って鞄も持っていく事にする。
一応エアコンだけは室内の温度を保つように設定だけして…。

部屋に戻ってから出るまで大よそ10分。
その間に何が話されているのか気にはなったものの、髪をブローして最低限の身形を整えるのにかかった時間だったから、これでも急いだ方だろう。
再びラピスはアキトの部屋を訪れ、ドアをノックした。
お帰り、とアキトによって すぐさま セミ・オートドアの カシュン と言う音で開けられた部屋の空気は、先程よりも随分落ち着いたものに思えた。

「姉さん、私」
『話は聞いたわ。…父さんと母さんには"友達の家で遊んでて連絡を忘れてたみたい"って言っといた。』
「え?」

エリナの不満気な表情は変わってはいないが、先程の剣幕からは予想もしていなかった応えにラピスはきょとん、と首をかしげた。

『…まぁ、あんた達が本当にただの友人同士、って言うのは納得してないんだけど。ともかく、あんた(ラピス)を 攫おうとかしたんじゃないって事はわかったから。』

半眼の疑いの眼差しを向けられたが、反論したくても説得力自体が今のラピスにはないことくらい、理解している。

「…ごめんなさい。」
「ラピスが悪いわけじゃない、悪いのは――」
『話を通さなかった天河君と、それにひょいひょい着いてったラピス。』

居た堪れないラピスを庇おうとしたアキトの言葉に割り込む形で、はいはい、と諦め口調でエリナは力を抜いた笑みを浮かべた。

『ま、ともかく…できるだけ早く帰ってきなさい。』

「…うん。でも、」

エリナの言葉に、ラピスは覗き込むようにアキトの顔を見た。
すまなそうに、申し訳なさそうに。
その感情に気づいたのか、慌ててアキトは応える。

「いや、急に言い出した俺が悪かったんだ。海には俺独りで行くさ。悪かったな、ラピス」
「…ごめん。一緒に行きたかったよ。だから今度はちゃんと休み空けて、しっかり準備したら。また――」


不思議だった。
なぜかその言葉を言うのに、何時もよりも数倍以上の勇気を動員しなければならなかったから。

――何故?
わかんない…でも、言わないと。

そう自分を奮わせて、震える自分を心で叱咤し言葉を繋げる。


「誘ってくれる?」


アキト「…あぁ」と応えて――少し寂しそうに笑った。
ラピスはもう一度「ごめんね」と繰り返して、ウィンドウの向こうのエリナを見る。
ニヤニヤ、という表情を浮かべたエリナに憮然とした顔を見せたラピスは、

「なによ」
『べつに〜。仲のよろしいこと』
「だから、そんなんじゃ、」

ふ、とウィンドウの向こう側の姉は息を吐いて、

『行ってこれば良いじゃない、海。』
「…え? でも今早く帰って来いって 」
『出来るだけ早く、よ。話は良く聞きなさい? ただし条件は付けるけど。』

余りに予想外すぎるエリナの言葉に、ラピスとアキトは二人とも呆然としながらも耳を傾ける。

『まず、明日でも良いから父さんと母さんに連絡入れること。小言くらい覚悟しなさいよ? あと、プロメテウスで私と一度落ち合うこと。』
「え、なんで――」
『代えの衣類。何も準備してないでしょうが。あと――天河君。君、運転免許は?』

突然呼ばれたアキトは、その気兼ねない呼び声に驚きながらも、

「え、あ、免許は取ってます。」
『結構。ならそこで私の車貸したげるから、それに乗り換えること。』

流石にバイクでこのまま行くことには賛成しかねるらしい。
確かに四輪に比べて二輪は少々危険値が高くなる。サイドカーでも着いていればまた少しは話が違ったのかもしれないが、現状では望むべくもないし、それ自体 は本質的な解決でもない。

「…わかりました、すみません。」
『なんで"ハイ・ライン"での移動を考えなかったの? そっちの方が断然早いし安全なのに。』

火星の表面を走る高速ネットワークの主流が、ハイ・ラインと呼ばれるレールラインを指している。
スーパー・コンダクターを利用していることから、稀にSCレールラインとも呼ばれることもある。
各コロニー間とその間にある小都市にも必ずステーションが1つはあり、極一般的な都市間の移動手段として利用されている。

「行き着くことが目的じゃないんです。"そこに行くこと"が、俺の目的なんです」
『我侭ね。それにラピスを巻き込んだことになるけど。』
「それは、…悪いことをしたと思ってます。」

俯くアキトをみて、ラピスはエリナに向かうように言う。

「私は別に後悔してないよ。ついてくって決めたのは私。だからアキトだけをそんな風に言うなんて、ヤな感じがする」

しばしにらみ合った末に、エリナが視線を外した。
溜息を吐きつつ纏めに入る。

『…まぁいいわ。ともかく、プロメテウスで一度落ち合いましょ。学校と父さん達には上手く言っといてあげる。』

そこでエリナは初めて微笑った。

『じゃ、まぁ頑張りなさいな。』

どちらに向けての言葉だったのかは、定かではなかったけれど。



 ◇



「私、後悔してないよ?」

アキトと並んでベッドに腰掛けているラピスは、アキトの顔を覗き込んでそう言った。
彼の言葉を先制するように。

「…そうだな、俺も後悔してない。」

根負けしたように返すアキトの言葉にラピスは漸く微笑むことが出来た。
これでちょっと安心できる。
ぱっと立ち上がったラピスは、ドアの方に歩きながら。

「じゃ、私寝るね。色々あって疲れちゃったよ。」
「俺もだ。明日の夕方までにはプロメテウスに着きたいし…さっさと寝るよ。」
「うん。…ね、姉さんと何話してたの?」

最初の剣幕からは予測できない程の、態度の軟化。
アキトの持つ"事情"というヤツが絡んでいることには、ラピスも気づいている。
アキトは暫く黙ったあと、短く応えた。

「着いたら、話す。」
「絶対?」
「嘘はつかない。…ラピスには。」

その言葉は、信じるに値する。
だから、ラピスはただそれを受け入れた。

「わかった。じゃ、お休み」

にこっと笑ったラピスは、あっさりと部屋から出て行ってしまった。
その余りに何の含みも感じられなかった彼女の微笑みにしばし呆然として、はぁ、と大きく溜息を吐く。


「…お休み。」


アキトは苦笑と共に、既に部屋に戻ってし行ったラピスにそう返すことしか出来なかった。



 
 ◇



プロメテウスに着いたのは、17時を30分ほど回ったときだったか。
基部都市の一つであるプロメテウス:Side13の最外層郊外のステーションでラピスの姉であるエリナ・ウォンは待っていた。
ラピスの着替えとエレカーをアキトのバイクと交換し、ラピスが私服に着替えている間に出発の準備は全て整っていたらしく、既にアイドリング状態で待ってい たアキトは、ラピスを乗せるとエリナに頭を下げてそのまま出発した。
何だか微妙に不機嫌な様子のアキトが呟いた一言が、やけに印象に残っている。

「エリナさんって、かなりお節介焼きなんだな」
「昔っからだよ」

ラピスには、肩を竦める事しか出来なかったが。


 ◇


それからの道程は特に何かあったわけでもなく、それ自体は順調だったといって良い。
プロメテウスシティ:Side13から北に進路を取ったアキトとラピスは、高速幹線ネットワークに乗ってひた走る。
北――つまり火星赤道へ向かうコースを取って。それから大よそ10日で、4500kmという距離を走破した。

しかし、ただドーム内を走っていたわけじゃない。
1日に走行する時間は決めてあって、それ以上は安全のために休息することにしていたし、ラピスは家との連絡も取らないといけない。
エリナから渡されたキャッシュには、食費やホテル代も含まれている。

途中何度か高速幹線ネットワークから降りて、景色のある外側も走っていた。
休憩の合間や見晴らしの良い景色を見つけたら、少し止まってシャッターをきる位は許してもらえるだろう、と。

ヘラスシティ:Side11では人工的に造られた防風用の山々に囲まれていたために見れなかった、地平に沈む夕日と、上る朝日。
いつかアキトの部屋で見つけたアルバムにあったような、見渡す限りの草原。
火星の本物の山脈が近づくにつれて見かけるようになった野鳥の群れ。
虹色の夜空の向こうに微かに望める、真空の星空。

そのどれもが二人にとって新鮮で、お互い普段以上にはしゃぎながらもそういった光景を写真(思い出)に 収めていった。



 ◇



大気圏層に漂うナノマシン雲が、生命に有害な宇宙線を弾くときに起こる微発光で、火星の夜空は真っ暗になることはない。
よほど分厚い暗雲が立ちこめない限りは。


「やっと着いたね」
「結構遠かったんだな」


二人は同時に思わず苦笑した。
今いる場所はヘスペリア平原の最北端。火星赤道直下の小都市、シチルス6という都市の郊外だ。

"海"は既に目と鼻の先。
まだ夜は明けていないからその全容は伺うことは出来ないけれど、薄闇の中に見える遥かな地平――いや、水平線か。
は、遠目に確認することが出来る。
そして、匂い。
火星の海の匂いはかなり特殊と言われている。これはその性質に由来するもので、それは酷く納得の行くものだ。
それは――


薄く香る血潮の匂い。


都市内はエアフィルターでフィルタリングされているものの、都市郊外はそうもいかない。
シチルス6から出発して2時間、最初は慣れなかった血のような匂いも特に気にならないほどには慣れた。
都市を出るとき、ゲートの係員からは匂いに慣れない人のために貸し出されているマスクを2つ借りてきたけど、それはどうやら必要ないみたいだ。

時刻は04:30。
日の出まであと30分ほどか。
ラピスは、この10日間の間ずっと胸のうちに仕舞っていた事を話し始めた。
疑問、と言う形で。


 ◇


「ね、最初の日にさ、姉さんにばれた日・・・ここに向かう理由聞いたじゃない。今なら話せる?」

唐突な問いだったけれど、既にアキトには何らかの覚悟が出来ていたようだ。

「ああ」

と頷くと、フロントガラスからまっすぐ先に見える闇色に揺らめく"海"の水面に視線を投げ出しつつ、話し始めた。


「俺は、今まで色んな土地を見てきた。ヘラスだけじゃない・・・ルナ、ダイダラ、ガレ、マリネリス、オリンピア。他にもまだまだある・・・ずっと幼い頃か ら火星各地を回って旅してたんだ。親たちとな」
「うん」

頷くラピスは、上げられた地名の情報を頭に呼び起こす。
そのどれもが、いまだ緑化の届かない不毛の荒野や原型のままの山脈のある土地だと告げている。
未調査区域。
つまり、


「俺の両親は火星の地質学者でね。北――つまり、」

リクライニングを倒して、ぼんやりとした瞳で"海"――その向こうの閉ざされた土地から目を背けるように。

「北極冠で未だに採掘されてる"ある鉱石"の、新しい採掘源を探してる。」
「・・・。それって、極秘事項とか?」
「そ。秘密な?」

にやり、と笑って顔を上げたアキトに、ラピスは引き攣った笑いを返すことしか出来なかった。

(・・・この馬鹿、喋れるわけないじゃない・・・!)

もしこの会話が漏れたら、逮捕どころか政府に拘束されるのは間違いない。
火星に住むものにとっては禁忌の領域だけれど、ある意味暗黙の了解の部分も多いのだが。

「・・・子供だった俺にはサッパリわからない地質調査の毎日。そんな俺の唯一の暇つぶしと言うか、楽しみと言うか――が、この誰がくれたのかは忘れたけ ど、カメラだったんだ。」

日の出を撮る、とカメラを用意していたアキトは、その長年の相棒をぽんぽんと叩いた。

「あと料理とかな。不味かったんだよな、メシ。」
「どーりで料理、おいしいと思ったんだ・・・」

部屋に遊びに行ったときに振舞われた昼食は、ラピスにとって意外以上においしかった。
・・・劣等感を感じるほどに。それ以来、結構料理は勉強していたりする。

それはさておき。

「いろんな風景を撮った。撮って現像して、フィルムが足りなくなったら物品購入のときに無理やり頼んで、また撮って・・・」

過去を懐かしむかのように、やけに饒舌にアキトは話す。
その彼の、思い出を。
ラピスはそれを、相槌を打ちながら聞く。

「14のときに、ヘラスに来た。・・・あのときは衝撃だったな、同じ火星とは思えなかったからな・・・」

ヘラスシティ:Side11は基部都市の一つ。
200年と言う年月を経ているだけあって、他の基部都市と同じくらい緑――つまり自然に溢れている。

「色々撮ったよ。川や緑に溢れた山、動物。人も街も、全部新鮮だった。春が来たら街をでて、そのまま1年くらいか? 火星中の基部都市を回って、最後には"月"軌道にまで飛んでたよ」
「へぇー」

素直にラピスは感心した。
火星の月は、正確には月ではなく衛星だが、フォボスとダイモスだろう。どちらかまでは言っていないことから察するに、アキトの興味は、

「火星は、凄く綺麗だった。見たろ?」
「うん、あの写真だよね」

そう、と頷いて、アキトは真剣な眼差しになった。

「あれを撮った直後だったよ。見たのは。」
「見た・・・?」




と、白い光がラピスの視界に入った。

――朝日だ。
予定よりも10分ほど早かったのは、大まかにしか時間を予測していなかったこちらのミスだ。
水平線の向こう側から上る太陽は、徐々にその高度を上げるにつれて火星の夜だった部分を明るく照らす。


「・・・え」


秒単位で変わる周囲の景観に、ラピスは思わず辺りを見回した。
アキトは車から降りると、呆然とカメラを構えてシャッターを切る。


カシャ。


ラピスの耳にはやけに大きく聞こえたシャッター音。
それにつられるかのようにアキトを追って車を降りる。

アキトは顔を上げて、目の前の信じられない光景を目に焼き付けるようにしながら――
呟いた。


「見たんだ・・・北部に広がる太陽系最大の湖、火星のGrateLake・・・"血潮の海(ブラッド・シー)" を。」
「凄い・・・」






 ◇






朝日の陽光が照らし出す人工"海"。

降り注ぐ光を揺らめく 澄んだ緋色の水面 が反射し、海岸沿いの周囲一帯を神秘的な薄い紅に染め上げた。

空に浮かぶ雲は赤く。

空の蒼さだけが際立つ中、世界は セピア色 に包まれて――








 ◇







ラピスは、頬を伝う熱い何かに気づいた。

「あれ・・・」

恐る恐るそれを拭うと、透明の涙だという事に気がついた。
周囲は全て薄い紅に染まっているのに、涙は透明だと言う不可思議。

「ラピス、笑って」

そのラピスに向けられた、ファインダー越しに見詰めるアキトの視線。
今までで、一番優しい声色に誘われ。

「アキト・・・」


ラピスも。
今までで一番優しい、最高の笑顔でアキトの呼び声に答えた。





――カシャ。








 §






「おー、ラピッち!! 良かった無事だったんだー、マジでよかった・・・。何かあったの?? 2週間近くも休んじゃってさ」
「心配しましたよ〜、先生もなにも教えてくれなかったし、お家の方も教えてくれなかったし…」

教室に入ると、ミズホとサヤが駆け寄ってきた。
その慌てた様子にラピスは笑って、

「うん、大丈夫。ちょっとね・・・色々見てきただけだから」
「色々?」
「って、何ですか?」

ラピス自身でも、明確に答えられるほど正確な何かを得たわけじゃない。けど、はっきりとしたことは一つだけある。

椅子に座って机の中を確かめると、揃えられたプリントが数枚出てくる。
その中に、どこかで見たようなプリントが1枚紛れ込んでいた。
空欄が3つと、上から順に希望番号が振られた簡素なもの。

「進路希望調査票です、先週の最後にまた配られたんですよ」

サヤがその経緯を説明している間にラピスはペンを取り出して、さらさらと躊躇いなく1番上の欄だけに書き込んだ。



「え」
「・・・ええ?」


ラピスは、二人に笑って席を立った。
すぐさま廊下へ向かって歩き出す。


「ラピッち、そんなのになりたいの?」
「えっと・・・すっごく意外っていうか、なんて言うか・・・ってどこ行くんです?」
「提出してくるー」

ラピスはヒラヒラと紙を振って教室を出ていく。
そんな彼女を呆然と見詰めていたミズホとサヤだけれど、慌ててラピスを追って駆け出した。


教室に残された鞄。
その中には、少しだけ型の古いカメラが一つ。


何もない、と諦めて。
俯いて歩くことはもう止めた。
どんな見慣れた光景の中にも、なにかきっと新しいものが見つかる。
そう信じて、もっと周りを見ていける。


――そんな道を。


私は、選びたい。




強く、強く。

そう思った。







 ◇





――現在。




 ◇



あの後。

日が暮れるまで色々なことを話し合った私たちは、夕暮れの中で始めて二人の写真を撮った。
しきりに躊躇していたアキトの腕を無理やり胸元に引き寄せて、顔を真っ赤にしていたことを 可愛い と思いながら、タイマーでシャッターを落ちるまでは離さなかった。
その後、夕日を背にしてもう何枚かの"海"を写真(思い出)に収めて、私はアキトから別れの言 葉を聞いた。







もっと世界を旅してみたい。
風景だけじゃない、もっと沢山の見たこともない"何か"を、探しに行きたいから、と。
その中で、ラピスに出会えた事への幸運。


『一緒にあちこち見て回ったことは、すごく大切な想い出で――多分お前を、・・・ずっと好きだった。』


そうストレートに告白したアキトの顔は、何時もの恥らう時とは違って、真っ赤じゃなかった。
優しい笑顔で、そんなアキトに私はなんだかとても安心した記憶だけが、今でも残っている。
多分、それはきっと。



『そっか』


私はそう呟いて正面に立っていたアキトに近づき、その肩に手を当ててちょっとだけ背伸びした。

自分でも驚くほど自然に。


私は紅い夕暮れの夕日の中で、アキトの唇に――


そっとキスした。







今思い出せば大胆な行動をとったと恥ずかしくなるけど――とてもとても大切な思い出。




私も、きっとアキトが好きだったんだよ。


だから。






 ◇


くるり、と今まで住んでいた部屋を振り返って、机の上に残した写真立ての中で笑う過去の自分たち――
照れくさそうにそっぽを向いている彼に向かって宣言する。


「今からそれを確かめに、会いに行くね。」


今どこに居るのか、わからないけど。
きっと探せ出せることはわかっているから。






もし、また出会えたら。



"あの旅の続きをしよう"




 ◇











The story of "Vermillion memories that do not fade" is the end




後書き。

まずは、400万HITと2周年・・・おめでとうございます。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。サムです。
早いもので、シルフェニアも2周年ですねー。しかも400万HITって・・・なんかすげー。
びっくりですよ。これも鳩さまの努力があってこそのものと思います。
これからも頑張ってください^^

さて、今回の400万HIT記念のお題"ラピス"とのこと。これはシルフェ内キャラ人気投票第一位と言うことでもあります。

非常に嬉しいです(喜

まぁ記念作品自体のネタ(今回の写真云々)が降りてくるまで相当時間掛かったわけですが、まぁ無事に上がってよかったという所です。
ぶっちゃけ、トンデモ設定が増えて増えてしょうがなかったですがorz
設定自体は前々作の"多面"と、前作の"Graveyard"を流用したIFストーリーです。(書いてるうちにそう決めた
時代設定は、多面・Graveyardより200年後、と中途半端なものですが、まぁ軽く流してやってください。
お題"ラピス"を微妙に外れて、何時も通り"アキラピ"になったのは、まぁそれも多めに見てやってくださいorz
ともかく、こんな出来ですが・・・3日で書いたので少々雑かもしれないと思いつつ、笑って許してもらえればと思いますw

あ、あと。
疑問に思われる方もいらっしゃると思うので、少々この場を借りて解説を入れさせてもらいます。

○火星の衛星による潮汐力:全く違うでしょう。僕の勝手な設定です。ほんとの所は知りません・・・orz
○M:GPS Mars Global Positioning System 文字通り、火星版のGPSです・・・適当!
○火星に造られた人工の湖:血潮の海(ブラッド・シー)
※火星の表面が赤く見えるのは、地中に酸化鉄が多く含まれているからだそうです。
酸化鉄が赤い理由は血の色が赤いわけと同じで、そもそも血中のヘモグロビンが体中に酸素を運ぶとき、ヘモグロビン中の鉄イオンと酸素をくっつけるのだそう です。
それが血の"赤"をあらわしているそうです。<酸化鉄の色は赤い。
と言うことは、地中に酸化鉄の多く含まれる火星の大地に、もし水溜りを作ったら紅くなるんかな??というのが想像の発端。それを極端にしてみただけです (笑
あれ、なんか違くね? って思った人はメールか何かでこっそり教えてくださいorz
おバカで浅はかな考えとは思いますが、そういう事にしておいてくださいましw 以上、解説終わり。

追伸。
拍手を下さる皆様。毎度ありがとうございますです。
どんな些細なことでも良いので、一言励ましの言葉をもらえたらもっと頑張れる(かもしれない)ので、良かったらマウスだけでなくキーボードもぽちぽち押し てやってください(笑
では、またどこかでお会いできることを祈りつつ(祈

2006/11/27 05:44上がり。





















 ◇








宇宙(ソラ)は、深遠の闇に浮かぶ光を優しく包む。
火星も、月も――そして地球でさえ例外ではない。

アキトは、地球を俯瞰できるポイント建造された観測コロニーの一つの展望室にいた。
しかし、そこにいるのはアキトだけではない。
"その瞬間"を捉えようと、世界中のカメラマンたちがファインダー越しに地球を狙っている。
アキトも無論その例に漏れず、ただ静かに息を潜めてそれを待っていた。


「時間です」

やがて観測員の言葉がそれを告げた。
瞬間、空気が固まる事を肌で感じ、じっとファインダーから覗ける視界の先の地球――そしてその北極圏上空に集中する。


「・・・きた」

誰かの声で、周囲が瞬く間にシャッターを切る音で埋め尽くされた。

フラッシュはいらない。
なぜなら、展望室から見える地球の横っ腹は今は夜面で、その反対側に太陽があるためだ。
真っ暗な地球の夜の部分を囲む円の縁を、太陽の光が際立てている。

そして、今日この瞬間はそれだけではない。


――カシャ。

アキトがシャッターを切った。
何度も何度も、シャッターを切る、切る、切る。

少しだけ興奮を示す浅い息遣いのままファインダーから目を離して、直にその光景を見る。


虹。
いや、オーロラか。


――太陽フレアによる高エネルギー荷電粒子の発生と、その余波によって現れたオーロラ現象。
地球のポール(地軸)を両端とした南北の極点上空に、まるで、水を噴出している噴水の様に、揺 らぎながら形を変える虹色のカーテンが観測されている。
それは両極点上空だけではなく、地球全体を覆うように広がっていく様子が刻一刻と展開されていた。


圧倒的な、自然の織り成す奇跡のような光景。
何時の間にか、観測室にはシャッターを切る人間は一人もいなくなっていた。
誰もがその光景に魅入る中――



「ね。今の、見た?」



不意に、背後から聞こえた囁き。
悪戯に成功したような、嬉しげな響きの混じる懐かしい声。

アキトの脳裏に走る既視感。

一瞬だけ思い浮かんだイメージは、朱の空間に溶け込むように佇んでいる少女。
頬を伝う鮮やかな透明の涙を際立たせた、神秘性と不可思議な存在感を漂わせていたラピスラズリ。

――あの時の微笑みを。
とても愛しく思ったあの瞬間を、鮮明に思い出した。


出会った時のその言葉もまた、アキトの記憶に鮮明に残っていた。
何を言っているのか判らなかったけど・・・何を言いたかったのかは通じていた。
アキトの口元に、笑みが浮かぶ。

だから、今度はからかわずに彼女だけに聞こえるように――アキトもまた囁き返す。



「ああ、見たよ。まるで"光の噴水"みたいな、そんな光景を――」






再び出会えた事。
また、共に残してゆく事になるだろうフォトグラフ(想い出)を思って。

大いなる"光の噴水"が見守る中・・・


もう一度。

二人の旅が、始まる。








The End.



2006/11/27 加筆修正
2006/11/29 誤字・後書き・内容加筆修正

 

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