ルヴィアは、相手が放ってきた『魔法の射手』の撃ち漏らしを、側にいる友人に被害を与えないように斜め構えた魔法障壁で反らしつつやり過ごしていた。
 もしかしたらこういう結果になるかもしれないと考えていた中でも最悪の状況に陥ってしまったとルヴィアは内心毒づいた。が、これで自分との間にできていた約束ごとなど簡単に破れるだろうとも一抹の喜びを感じていた。
 それでも、目の前の現状をどうにかしなければ次には進まないと思い直し、友人の前に盾になるように立ち、自分から手を出すことはせずに、何が起きてもすぐ対応できるよう身構えた。

(……おかしい)

 が、何もアクションが無いことに端正な眉が歪んだ。
 いくら煙が立っていようと、大体の位置ぐらいは予測できるだろうし、それぐらいの実力が相手にはあるとルヴィアは思っていたのだ。
 ただ、この間が、相手にとって自分は取るに足らない実力だとでも考えているのだろうか。それとも煙が晴れた後に罵ってやろうとでも考えているのだろうか。と思うと、腹の底から沸き上がってくるものをルヴィアは感じていた。
 が、いざ魔力によって起きた煙が晴れてみると、その向こう側にいたはずの二人が倒れ、微かに聞こえる程度の呻き声を漏らしていた。

「うぁぁ……」
「許して、もう……許して……」

 怪訝な思いを抱きつつゆっくりと近づき、その呻き声を聞き取ったルヴィアの背筋に冷ややかな風が通り抜けた。隣で怖がっていた友人も、今は目の前で起こっている事に顔面を蒼白とさせながら微かにふるえていた。

「一体、なんですの!?」

 ルヴィアは、自分が有している知識でも理解することのできない出来事にどうすることもできず、ただその場に座り込むことしかできなかった。
 いくら魔法学校と謂われていても滅多にしない魔法の撃ち合いに理解不能の出来事の二連続に、自己の実力に多少の自負を抱いていたルヴィアもここにきて緊張の糸が切れてしまった。

「大丈夫?」

 そんなルヴィアの耳に、この場に似つかわしくない声が聞こえた。

「え?」

 声がした方へ顔を向けると、そこにはどこかで見たことのあるような顔をした、自分よりも背丈の小さな赤毛の男の子がいた。その顔に浮かんでいる表情からして、純粋に自分たちのことを心配してくれているのだろうと読みとれた。
 しかし、自分たちがいるここはそうそう人がやってこない場所だし、小さな子供が一人でくるような場所でもなかった。ただ、好奇心でやってきたのかもしれないと考えられる。

(……いえ、そんなわけは……)

 好奇心でやってきたとしても、離れにあるここに来るまでの間に誰かに見つかり、一人だと危ないからと止められていただろう。
 それに、今そこで倒れて呻いている二人がわざわざ人が少ない場所を選んで呼び出してきたのだ。こんな子供がやってくることのないようにある程度のことは考えていたはず。まさか、こんな子供がやってくるとは……ともかんがえていたのかもしれない。

「あなた……名前は?」

 気付いたら口から言葉が漏れていた。名前を聞いたところで何かが得られるかもしれないとかんがえたわけではない。ただ単に、衝動的に質問をしていた。

「僕?僕はネギ。ネギ・スプリングフィールド」
「あなたがあの──」

 英雄の息子。そう言おうとして、ふとネギと目があった。
 濁っていた。その濁りの強さに思わず声を上げてしまいそうになったが、なんとか抑えることができた。だが、今もなお自分を捉えているその双眸に浮かんだ濁りは、とてもこんな小さな子がしているはずのない程に黒く、底が見えないほどだった。

「ねぇ、どうしたの?」
「い、いえ、何でもありませんわ」

 黙り込んでしまったことに心配してくれたのだろうが、ルヴィアにはその言葉に本当に感情が込められているのかどうかというのを予測することはできなかった。
 そして、ネギの目を直視することができず、ふと目を逸らしてしまった。後々になって気付いたことだが、エーデルフェルト家の令嬢として育てられてきた自分にとって、自分から目を逸らすことをしたのは、これが初めてのことだった。

「そんな顔しないで………折角、こんなに綺麗なんだから」

 何かが、自分の頬を撫でている。ほのかな温もりを感じるその何かに驚き、慌ててその方向に視線を動かしてみると、そこにはネギの手が添えられていた。
 その手つきは、まるで傷を付けないような柔らかさを感じさせる。が、ルヴィアはそれ以上に驚くべきことが自分の身に起きていることを思い知らされた。
 自分とネギとの間には、大体4〜5mの隔たりが存在していた。そして、自分が目を逸らした一瞬に、自分はこの場から一歩たりとも動いていないのだ。魔力を使った形跡もない。東方で用いられているという気というエネルギーを使用した様子もない。
 数瞬の間に至ってしまった考えに驚き、目を見開いたが……えも言えぬ恐怖に体は言うことを聞かず、ただネギに頬を撫でられていることしかできなかった。

(本当に彼は、に、人間ですの?)

 理解することができない出来事を前に、未だうまく働かない脳を回転させつつ、頭の片隅で魑魅魍魎の類だと言う方が納得できると考えている自分があった。

「失礼な、僕は歴とした人間さ」

 だからこそ、この発言には心の奥底から驚いた。頭で考えたことを、まるで普通に会話をしているように汲み取り返してきたのだ。

「んなっ!?ああ貴方、私の心が、読めますの!?」
「ふふ……さっきみたいな顔より、こっちの顔の方が僕は好きだよ」
「だ、だから、そうではなくて……!」

 あまり聞かれたくないことを知られてしまったことで、心中穏やかとは言い難い状況に陥ってしまったルヴィアだが、それとは対照的にネギは笑っていた。楽しそうに笑みを浮かべているその表情を見る限りでは、本当にただの子供の姿だ。恐る恐る確認してみたが、先程見たあの濁りも無くなっていた。
 安心すると同時に、ネギが立っている場所の奥に倒れている男子生徒達の方に目が向いた。改めてその二人を見てみると非常に腹立たしい感情が沸き上がるが、そろそろ誰か大人を呼びにいって対処してもらった方がいいだろう。

 (では、そろそろあの方たちを調べねば)と思ったとき、今まで後ろの方で黙っていた友人が口を開いた。

「お、お嬢様?一体、どなたと話されてるんですか?」

 一瞬、何を言っているのか飲み込むことはできなかったが、衝動に突き動かされるままルヴィアは勢いよくネギの方に首を向けた。しかし、確かにそこに存在していたネギの姿は見えず、塗装によって木目が見えなくなった木製の床が広がっているだけだった。
 されど、ルヴィアの頬にはネギが触れていた温もりが残っていた。



 ◇ ◇ ◇



「ここです」
「うむ」

 ネイルはドネットの案内のもと、二人の男子生徒が臥しているという保健室までやって来ていた。
 中に入ると、まずベッドで悶え苦しんでいる二人の男子生徒と、その二人を魔法で抑えている教師の姿が目に入った。そしてその側には報告にあった二人の女子生徒が、顔色を悪くして男子生徒の様子を伺っていた。

「ああ、校長」

 一番最初にネイルの姿に気付いたのは、男子生徒に掛けられている魔法を解除するために、術式の解析にあたっていたランドイッヒだった。そんな彼の表情には、困惑の色がありありと浮かんでいた。

「ランドイッヒ博士、件の生徒たちはどういった状態ですかな?」
「それが……よく分からないのです」

 その言葉に、今度はネイルの方が困惑した。彼はこの学校において随一と言って良いほど後衛魔法に長けており、それ故、ネイルは呪術に関する魔法の解析はランドイッヒ博士が解決してくれるだろうと考えていたのだ。

「どういう事じゃ?」
「いえ……彼らが掛けられている魔法が、この学校では扱ってないもので……解析した結果からすると、似たような魔法は存在しているものの、恐らく、禁術扱いになるであろうものなのです」

 考えてもなかった言葉に、ほんの少しだがネイルの眉が上下に動いた。禁術相当の魔法を使っている輩がこの学校に身を潜めているのだとしたら、とてもじゃないが魔法学校に勤めている教師達だけでは太刀打ちできない事態かもしれないからだ。

「それは、どの系統の魔法かの?」
「推測ですが……生徒達の具合からして、幻惑系統ではないかと」

 幻惑。
 それだけではどんな魔法なのかは全く予想もつかなかっただろうが、禁術相当の魔法かもしれないということと、今なお苦しんでいる二人の生徒の姿から、ネイルの頭の中にある一つの魔法が浮かんだ。

「『悪夢への誘い』……か?」

 ポロっと口から漏れでた単語は、ネイル自身どうにも信じられないようなものだった。
 確かに『悪夢への誘い』なら目の前で苦しんでいる生徒達のような状態に陥ったとしてもなんらおかしくはない。だが、この魔法を知り得るものは、その幻惑のあまりの惨さ故に禁術とされ、情報や知識が広く広まるようになった現代でもほんの一握りの人間しかいないのだ。

「校長、それは一体どういったものなんですか?」

 それを知らぬランドイッヒは、自分の知らぬ魔法に対する好奇心と、早く生徒たちを救ってやりたいという想いでネイルに先を促した。そして、その効果に顔をしかめることとなる。

「ランドイッヒ博士が言ったように、この魔法は確かに禁術扱いを受けておる……それは、この魔法の術者によっては相手を死に至らしめることができる上に、魔法による後遺症が発症する可能性も高いからなんじゃ」
「なっ!?本当に、そのような魔法が存在しているのですか!?」
「うむ……それに、その魔術書は本校で管理しているものじゃ」

 ネイルの顔色は優れないままだった。それは対面にいるランドイッヒに如実に伝わり、彼もまた顔色を悪くした。

「解呪は……できるんですか?」

 あえて、ランドイッヒは思い浮かんだ一つの可能性に触れることなく目の前の事を解決しようと先を促した。それは、この学校で管理している魔法書がどこかの誰かに持ち出されたかもしれないという懸念だった。

「儂は、解呪法を知っているに過ぎん。儂が歩んできた人生の中で、『悪夢への誘い』を掛けられた者を実際に目にしたことは、一度たりともなかったのじゃから」

 今回の事件について全くと言っていいほどに情報がないのだが、それについては二人の生徒をどうにかしてから考えなければならないかと考えていると、後ろから息を呑むような音が聞こえ、ネイルは振り返った。そこには顔面を蒼白にした二人の女子生徒の姿があった。
 この場にいるということは、何らかの形で関わっているのだろうと思い、取りあえず二人に事情を聞くことにした。

「お主たち、少し聞きたいことがあるんじゃが……良いかの?」
「は、はい!」

 思っていた以上の出来事が起こっていると理解したルヴィアは、少しでも事態の解決に繋がればという思いを抱いていた。
 そんなルヴィアの姿に、一教育者として将来が楽しみだと思い、つい笑みがこぼれそうになったネイルだが、状況が状況だけに軽々と笑みを浮かべることもなく質問することにした。

「彼らがこのような状態になった場所にいたそうじゃが、何があったのか話してもらえんか?」

 それから話されるのは事件の発端から結末までの詳細と背景、そして報告にもあったネギ・スプリングフィールドの事だった。ネイルは、使用許可も得ずに魔法を使用したことに対して唸り、次にネギについて語られる内容が食い違う二人の話を聞いて瞠目した。
 曰く、「見た」と。
 曰く、「見ていない」と。
 どちらも嘘をついているようには思えなかったし、いかに名門貴族の出であろうと"英雄の息子"であるネギを陥れる理由も存在していない。そもそも両家の間に確執が有るわけでもないし、ルヴィアとネギの間には何かしらの接点もない。

「むぅ……ネギの話については後にしようか。今はこの馬鹿者どもの魔法を解いてやらねばならんしの」
「……校長」

 と、そこで今まで二人の様子を見ていたランドイッヒが口を開いた。

「なんじゃ」
「二人に掛かっていた魔法が、解けました」
「何っ!」

 慌てて二人を確認すると、未だ二人はベッドに臥しているものの、本当に魔法が解けていた。
 何故かは分からない。この魔法には時間設定という概念が無いため勝手にほどけるものではないし、ましてや、ここにいる誰かが解呪の魔法を使用したわけでもない。そう……この場に術者が居ない限りは。

 ──人間、ある一定以上集中しているとき、何かが見えてくるものがある。それは、人によっては心霊現象であったり、眼前にそびえ立つ壁を乗り越えていくための活路であったり。
 ネイルの場合、これまでの人生で培ってきた魔法使いとしての知識と数々の困難を打ち破ってきた経験が、この場にいる誰もが気付けなかった違和感へと誘った。

「ランドイッヒ博士……この場に、何人居るのかのぅ?」
「は?……魔法の解析にあたっていた者、この場にいる生徒たち、あと私と校長、ドネット殿を含めて9人ですが」
「ふむ」

 9……確かに視認(・・)できるものを数えればその通りだ。だが、ネイルは自分の感覚の中にもう一つの何かを感じ取っていた。それが何なのかを認識することはできないが、今まで培ってきた自分の直感が語りかけてくる。
 姿を現さずにこの場にいる。
 解けぬはずの魔法が解けたこと。
 二つという数少ないキーワードから、ネイルの感覚と知識が、ある一つの呪文を導き出した。

ほどけよ(セー・ディソルワント)偽りの世界(キルクムスタンティア・ファルサ)

 魔力が備わり、言霊へと昇華したネイルの言葉は、確かにこの場にある何か──ネイルですら知り得ない魔法的なもので編まれた術式なのだろう──を暴き、ほどいた。
 その直後、他の誰にも気付かれることなくそこにいた人物が目の前に姿を現し、それと同時に顔が強ばっているのが自分でも理解できた。が、同じように納得できた。そして、疑惑の気持ちをぶつけた。


「のぅ……御主が術者と判断しても良いんじゃな、ネギ(・・)


 その表情からは何も読みとることのできない無表情という仮面を張り付けたネギが、真っ黒なローブで身を包み、杖を片手に悠然とそこに立っていた。


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