黒と金と水色と
「部屋だ!」
向こう側を覗き込んだ勇磨が、叫び声を上げた。
暗がりでよくは見えないが、確かに空間が存在するという。
「え、本当!?」
「やったぁ!」
その声に反応し、続けて飛び込もうとする水色姉妹だが。
「待ちなさい」
「え?」
ユナに止められた。
「何か罠があるかもしれないわ。あなたたちは、安全が確認できるまで、
こっちで待ってなさい」
「う〜」
「でもまあ、ユナの言うとおりね…」
言うこと至極ごもっとも。
もしなんらかのトラップがあった場合、自分たちでは、対処に困るであろう。
下手をすると、取り返しのつかない事態にだって陥るかもしれない。
セリスは残念そうに唸っているが、従うしかなさそうだ。
「では私も、こちら側で待たせていただきます」
「そうね、そうしなさい」
メディアもそう申し出た。
魔力の高いエルフ、しかもその女王だけあって、結界術や防護魔法には長けているようだが、
直接戦闘においては、その実力は未知数である。
先ほどの戦いでは、自ら後方に下がったくらいだから、攻撃力には自信がないのか。
そういった事情を考慮し、ユナは頷いた。
「それじゃ、私と勇磨、環で、様子を見てくる。
そんなに時間はかからないと思うけど、ここでおとなしく待ってるのよ。いいわね」
「うん」
「いってらっしゃい」
編成された威力偵察部隊。
偵察とは名ばかりの主力部隊であるが、適任であろう。
3人は、水色姉妹とメディアに見送られ、依然暗闇の中の、奥へと足を踏み入れる。
扉を超え、暗闇の中へと入った瞬間だった。
ぐにゃり
「…!」
一瞬だったが、妙な違和感に支配される。
それも束の間のことで、気づいてみると
「これは…」
「へぇ…」
ごく普通の空間にいたのである。
地下とは思えないほどの明るさに照らし出された室内は、まるで、
地上の図書館だと見間違うほどの様相。
所狭しと並べられた背の高い本棚に、ぎっしりと本が詰まっている。
しかも、だ。
「とても、数百年はくだらない歳月を経ているとは、思えません…」
勇磨とユナが感嘆の声を漏らしたのに続いて、環が呟いた言葉。
そう。目の前に広がっている光景は、今まさに、きちんと管理の行き届いている、
清潔な図書館の一室そのものだった。
ゴミなどは一切見当たらないし、埃が溜まっている様子もまったく見受けられない。
まるで、この地下空間が封鎖されたその瞬間から、微塵も時間が経過していない。
当時そのままの風景が、ここだけ時間が止まってしまったかのように、
そのまま取り残されたような印象を受ける。
「なるほど………封印図書館、こういう意味だったのね」
ふむ、と頷きつつ、ユナが言う。
とても不可思議な現象だが、これが現実である以上、信じざるを得ず。
”封印”された図書館という意味が、所蔵した危険物を外に出さないためという意味のほかに、
もうひとつ、別な意図があったということを理解した。
ますます、言い得て妙な表現である。
「とにかく、まず安全性を確かめないとな。
うーん、魔物もいないし、特にコレといって、危険な感じは――うっ!?」
そう言って、周りを注意深く見回しながら、勇磨がさらに奥へと歩を進める。
ところが、彼の声は、途中で不自然に掻き消えてしまった。
そして、上がる叫び。
「勇磨!」
「兄さん!」
慌てて駆けつけるユナと環。
「どうしたの?」
「何か出ましたか!?」
「…これだ」
幸い、数メートルほどの距離だったため、ほんの一瞬で辿り着く。
勇磨が固まりつつ視線を向けているのは、1番手前側にあった本棚と、
そのひとつ向こう側にある本棚との間の通路。
そこを示されて、同じように視線を向けた、ユナと環が見たもの。
「「…!!」」
2人とも、勇磨と同じように固まってしまった。
そして、戦慄した。
「どうしたの!?」
「大丈夫!?」
「2人とも、危ないわ!」
外にも、勇磨の声が聞こえたのだろう。
水色姉妹が、メディアの制止を振り切って、こちら側へと入ってきた。
「来るな!!」
「…!」
そんな彼女たちに向けて、勇磨から怒声が放たれた。
エルリスとセリスは、ビクッと身体を震わせる。
初めて聞いた、本気での、否定の声。
「君たちは……来ちゃいけない」
一転して、勇磨の声は弱々しい、細々したものへと変わった。
「ど、どういうこと…?」
「そこに、何があるの…?」
混乱状況の水色姉妹は、必死に事態を理解しようと試みるものの、無駄な努力である。
本棚の間を覗き込んでいるという情報以外、何もわからないのだから。
しかし、ただひとつ理解できるのは、只事ではないであろうことだ。
それがわかるからこそ、2人は、その場から一歩も動けない。
「…あなた方には、刺激が強すぎます」
「………」
「………」
遅れて届いてきた環の声によって、それは増長された。
「……」
姉妹の後ろで話を聞いていたメディアも、無言だったが
「メ、メディアさん!」
「ダメだよ!」
今度は逆に、エルリスセリスの声を無視し、スタスタと勇磨たちのもとへ歩み寄って行く。
ものの数秒で辿り着いた彼女は、勇磨たちと同様、本棚の間を覗き込む。
「……確かに」
そして、メディアはこう呟いた。
「エルリスとセリスは、見ないほうがいいわ」
「………」
「………」
エルフである彼女をもってして、こう言わしめる光景とは…
本棚と本棚の間の、幅1メートル、奥行きは5メートルほどの空間。
その中ほどの地点にして、”それ”は起こっていた。
まず目に飛び込んでくるのは、禍々しいばかりの『赤』。
床の絨毯や、本棚、本を始めとして、天井にまで、激しく飛び散ったかのように付着する”それ”。
絵の具や食紅といった雰囲気ではない。それはまさしく、”血液”である。
それも、時間が経って乾いたというものではない。
つい先ほど、流出したような生々しさを持つ、『鮮血』だった。
その証拠として、血の海の中に倒れこんでいる、数人の遺体。
いずれもが、見るのもためらわれるような痛々しい傷跡を残し、中には、
身体の線が変わるくらいに抉られ、臓器が露出してしまっている者もいる。
これだけの、血の飛び散りようだ。
その凄まじさは、おわかりいただけると思う。
「おそらく…」
無言が貫かれる最中、メディアの声だけが響く。
「どうやって入ってきたのかはわからないけれど、先客がいたということかしら。
そして、これもどういう原理だかわからないけど、ここは、この部屋だけは、
本来の時間の流れからは切り離されているようね」
この凄惨な遺体群は、自分たちよりも先に入った、おそらくは盗賊。
所蔵されているという一品を求めて忍び込み、仕掛けを見抜いたまでは良かったが、
時間が流れないというこの部屋で、何者かに襲われ、惨殺された、と。
「…!」
メディアがそこまで言ったとき、ほぼ全員が、その事実に気づいた。
「脱出だ!」
何が出てくるかわからない。
少なくとも、ここには、彼らを殺した何かがいる。
急いで部屋から出ようとするが。
「あっ!」
「し、閉まってる!」
出入り口に1番近い位置にいた水色姉妹から、悲鳴が上がった。
なんと、そこにあったはずの通路が、どこからか現れた壁によって、塞がれてしまっていたのだ。
「閉じ込め……られた?」
「チィッ」
誰のものか、舌打ちが上がる。
部屋全体がトラップだったとは、完全な見落としである。
「グゲゲゲ…」
「!!」
追い討ちをかける、”何者か”の不気味な声だ。
全員が即座に、戦闘態勢へと映る。
その直後。
ヤツは、ゆっくりと姿を現した。
「グッフフフ…」
「…!」
本棚を通り越して。
皆が驚いたのは、その巨体よりも、本棚を<ruby><rb>通過</rb><rt>・・<
/rt></ruby>してきたことによる。
「な……通り越してきた!?」
「でも、幻影……というわけでもなさそうね」
「グッフフフ……その通り」
「喋った!?」
そこには確かに本棚があるのに、ヤツは奥から真っ直ぐ、その巨体を進めてきた。
だがしかし、幻というわけではない。ヤツの肉体は、確かにそこに在る。
さらには、こちらの言葉を理解して、自ら言葉を話した。
知能の高いモンスターには初めて出くわしたセリスなどは、これにも仰天している。
「またしても侵入者か…。人間には身の程知らずが多いものだな。
まあ、オレ様にとって見れば、エサが来てくれてありがたいが。グッフフフ…」
背丈は、天井につきそうなほど高い。
横幅もでかい。ずんぐりむっくりした体型。
そのわりに手足は細く、その先端には、鋭い鍵爪が存在していた。
間違いなく、この部屋の”主”である。
「ふん、なんだかわからないけど、やろうってんなら相手になってあげるわ」
一瞥したユナが、素早く詠唱を終える。
「インフェルノ!!」
「鬼火!!」
続けて環も妖術を展開。先制攻撃を仕掛けた。
2つの巨大な火焔がヤツへと迫る。
「グッフフフ…」
ところが、ヤツは身じろぎひとつしない。
正面から喰らう気のようだ。
「避けない気?」
「といっても、あの図体では、避けるにも避けられないでしょうが」
横幅がありすぎる。
本棚を通過できる特技があるにせよ、実体がある以上、直撃は避けられない。
命中を確信した。
が、しかし…
「グッフフフ、こいつはありがたい」
ヤツは、平然と構えたまま、余裕の表情で
「いきなりご馳走してくれるっていうのか? では遠慮なく…」
大口を開けた!
「グオアー!」
「な、なに!?」
「炎を……食べた!?」
ぱっくりと開けた口で、迫ってきた炎を、文字通り飲み込んでしまった。
しかも、美味しそうに咀嚼までしているではないか。
「…ふぅ。こいつは美味い」
食べきってしまったヤツは、満足そうな表情を浮かべる。
「ものすごく上質な魔力だ…。そっちのは少し違うようだが、変わっていて美味い。
ほれ、もっとご馳走してくれぬのか? グッフフフ…」
「魔力を、エネルギーを、食べるというのですか…」
「く、なんて規格外なヤツ!」
さすがに驚いて、呆然と呟く環。
苛立ちげに叫ぶユナ。
種類を問わず、エネルギーの類を、口から吸収する。
ユナが言ったとおり、前代未聞の、とんでもない能力だった。
「魔法や霊波攻撃の類は通用しないようです」
「悔しいけど、私の出る幕は無いわね…」
ユナの攻撃は、魔法がメイン。
しかも、なまじ魔力が多く威力も高いだけに、ヤツにとっては、格好の獲物というだけだ。
「任せるわ」
本当に悔しそうに、ユナは後方に下がった。
「とはいえ、任されたとはいっても…」
「どうしたもんかねえ」
前衛に留まる御門兄妹は困惑顔。
ヤツを倒すには、それなりにエネルギーのチャージをしなければ不十分だと思われるが、
その溜めたエネルギーを喰われてしまってはたまらない。
「なんだ、来ないのか。では、こちらから行くぞ!」
「…!」
「ガァッ!!」
再び大口を開けるヤツ。
刹那、口の中が光り輝いて…
閃光が瞬いた。
それは一瞬にして室内を照らし出し、勇磨たちをも飲み込む。
…かと思われた。
「お任せを」
「メディア!?」
瞬時に前へと躍り出たメディア。
驚く皆を尻目に、素早く術式を完成させる。
「『護』」
「ぬっ?」
お得意の結界術を展開。
危ういところで難を逃れた。
「助かった」
「いえ」
勇磨から礼を言われると、メディアは再び後方へ下がる。
その早業に苦笑しつつ、勇磨は前を見据えた。
「…フン、まあよいわ。先ほど食ったエネルギーは膨大。
これなら何発でも撃てるばかりか、向こう何十年は暮らせるぞ。グッフフフ」
「ああそうかい」
「…兄さん?」
前では、ヤツが得意そうにほざいているが、それは気にしないとばかり、
勇磨は颯爽と抜刀した。
「何か手でも?」
「手、ってほどでもないけどな」
良い作戦を思いついたのかと環が尋ねるが、勇磨は苦笑を返すだけ。
「ご武運を」
「おう」
だが、兄の実力には、全幅の信頼を寄せている環である。
時にはどうしようもないバカをやることもあるにはあるが、基本的にそれは変わらない。
微笑を浮かべて送り出した。
「ちょっ、環! いいの!?」
「そうだよ! みんなでかかったほうが…!」
1人で前に出て行く勇磨の姿に、水色姉妹が声を荒げるものの。
「大丈夫ですよ」
環は一笑に付す。
「兄さんはバカでは……時にはバカもやりますけど、大丈夫です」
「なら、いいんだけど…」
バカではないと言いかけて、数々の奇行馬鹿行を思い出し、コホンと訂正。
何はともあれ、今は勇磨を信じるしかない。
「…ほう? 1人で来るのか」
「おまえを倒すくらい、俺1人で充分だよってね」
「随分な自信だな」
1人で向かってくる勇磨に、ヤツは小馬鹿にしたような声をかける。
しかも、返ってきた返事が返事だから、ぐふふと笑って。
「その自信、オレ様が叩き潰してやるわ!」
両手の鎌を振り下ろす。
「遅いね」
それを、ひらりとかわした勇磨は。
「はああっ!!」
空中で霊力を解放。
青白いオーラが、手にしている刀へと伝わって行く。
「御門流奥義、迅雷ッ!!」
電撃を纏った一撃。
バリバリと音を立てながら、ヤツへと炸裂させる。
しかし…
「グッフフフ……おお、ご馳走してくれるのか」
やはり、ヤツはダメージを受けない。
そればかりか、受け止めた腕先の鎌から、技のエネルギーを吸収している。
「美味い……美味いぞ。これほどの美味は初めてだ!」
「そうかよ」
勇磨も顔色ひとつ変えず、技を継続させる。
「貴様の力、残らず喰らい尽くしてくれるわ!」
「出来るものならな」
「なに?」
このままではヤツの言うとおり、力をすべて吸い尽くされておしまいだろう。
が、勇磨はニヤリと笑みを見せて。
「ハアアッ!!」
ドンッ!!
さらに力を解放。
黄金のオーラが荒れ狂った。
「ご馳走してやるから、食えるものなら食ってみな!」
「んむ…?」
「食い切れるんならなっ!!」
ドォンッ!!
「んぐっ…!?」
黄金の輝きが光度を増す。
もう直視していられないくらいだ。
やがて、ヤツの表情に変化が出た。
相変わらず、エネルギーの吸収を続けているようだが、次第に苦しそうな顔になっていき。
「ゴァァァァ……ッ!」
刹那、ヤツの肉体が限りなく膨らんだ。
次の瞬間には――
パァァアンッ!!
風船が破れたかのごとく、弾け飛ぶ。
そこにはもう、ヤツの姿は見る影もない。
「なるほど…」
「考えたわね」
「え…」
「な、何が起こったの?」
頷いている環とユナの横で、水色姉妹は首を傾げている。
「ヤツの、食べられる許容量を超えたんですよ。
空気を入れすぎた風船が、破裂してしまうのと同じことです」
「あ…」
「兄さんの、類稀なるパワーが成せる技。さすがは兄さん。
あそこまでの瞬間的な最大値は、私には出せません」
「決めるときは決めるわね、さすがに。
やろうと思えば可能だけど、通用しなかったときのリスクを考えるとねえ。
あれほどの思い切りの良さは、私には無いわ」
環から説明を受けて、ようやく納得できた。
ユナからもお褒めの言葉が出るあたり、見事な策だったのだろう。
徐々に輝きを失っていく勇磨の背中を見ながら、改めて、彼の強さを実感した。
第21話へ続く
<あとがき>
とりあえず、ここまでがリリースゼロで掲載していた分になります。
続きは鋭意製作中ですが、気長にお待ちください。