機動戦艦ナデシコ

〜The alternative of dark prince〜








第二十二話 残される者の『憂鬱』














……なん、だって?


聞こえませんでしたか? それではもう一度言いましょう。……今回の任務にあなたは必要ない、と、そう言ったんです。


そんな、急にどうして?


別に急じゃありませんよ。前から決めていたことですし。今回は私とオモイカネとナデシコCが揃えば十分なんです。パイロットも補充しましたので、あなたが パイロットをする必要はありませんから。


でもっ! 俺にも何か……。


ハーリーくんにも言われたでしょう? あなたが出ていったところですぐに撃墜されてしまいます。あの操縦で今まで死ななかったことが奇跡なんですよ。


ルリ……ちゃん。


あ、それと、勿論護衛も不要です。ナデシコの中なら襲われる心配もないでしょうし。ゴートさんもいますから。


…………。


仕事のことなら大丈夫です。ちゃんと軍の食堂にお願いしておきました。


…………。


そういうわけで、あなたは必要ありません。お留守番です。


…………。


何か質問はありますか? なければ私はもう行きます。出発の準備をしなければなりませんので。


…………ひとつだけ、教えてくれ。


何ですか?


それはルリちゃんの意思なの? ルリちゃん自身が俺は必要ないって、本当にそう思ってるの?


はい。


もしかして、アイツに、テンカワ・アキトに何か言われたんじゃないのかい?


質問がふたつになってます。


どうしてあんなヤツを庇おうとするんだよ。


アキトさんは関係ありません。


でも、変だよルリちゃん。


変? 私がですか? 何も変なところなんてありませんよ。いつもどおりです。


じゃあ何で、そんなこと。


……あなたのためを思って、です。















「くそっ」


昨日の会話を思い出す。

留守番。

置いてけぼり。

俺だけが蚊帳の外。

……畜生、なんでだよ。なんでなんだよ。

間違っちゃいない。ルリちゃんは事実を述べたまでだ。

だけど、だけど、やっぱり納得なんて出来るかよ。

ルリちゃんはあんなこと言わない。今まであんなことは言わなかった。

あんなこと、言うはずが――――

……。

……。

……。

いや、違う。そうじゃないだろ。

そうだよ……俺が何を知っているっていうんだ。俺がルリちゃんの何を知ってるっていうんだ。

ルリちゃんと出会って、まだたったの一ヶ月。それなのに俺は、彼女の総てを知った気にでもなっていたのだろうか。

馬鹿が。分をわきまえろ。

ルリちゃんはあくまで俺の護るべき対象であって、こちらからは何も望んではいけない。

ルリちゃんはナデシコの艦長であって、俺はナデシコのクルーの一人。俺は艦長の命令に従わなくてはならない。

ルリちゃんは料理を食べてくれるお客さんであって、俺はただのコック。そこにはしっかりと線を引かなきゃダメだ。

それでいいじゃないか。私情を挟むな。感情的になるな。熱くなるな。冷静になれ。欲するな。求めるな。何かを期待するんじゃない。

ルリちゃんは俺の後ろにテンカワ・アキトを見ていただけなのだから。

俺がでしゃばっちゃいけないんだ。

――――だけど。


「……なんだ、考えようによってはゆっくり出来るいいチャンスじゃないか」


俺は。


「あ、そうだ。久しぶりにソウさんに稽古でもつけてもらおうか」


どうして。

どうしてこんなところで。


「んー、ナデシコ食堂の新商品のために創作料理作るってのもいいな。銃の練習もしなきゃいけないし、やることはたくさんあるぞ」


こんなところで何をやっているんだ。


「やり終えるころにはルリちゃんたちが全部片付けて戻ってくるだろうから、そしたら祝勝会だ。料理をたくさん作らなきゃ」


俺は――――誰だ?


「盛り上がるだろうなぁ。いやー、楽しみ楽しみ」


俺は――――


「たの、しみ……」


悔しい。


「…………」


悔しいんだ。


「……嫌だ。こんなのは、嫌だ……」


悔しくて悔しくて、堪らない。


「嫌だ…………。あああぁぁっ! くそっ! くそっ! くそっ! くそっ! 畜生ぉぉっ!」


壁に拳を叩きつける。

何度も何度も何度も。

壁が砕けた。拳が裂けた。血が滲んだ。傷が広がった。血が飛び散った。知るもんか。

壊れろ。何も出来ない拳なんていらない。そんなもの……壊れてしまえ。

だが、跳ね返ってくる音は鈍く重く、まるで俺の心情を表しているようで。少しも気は晴れなかった。





俺は頭に血が上ってはいた。

それでも、近くに人がいれば必ず気付いたはずだ。

それなのに、声を掛けられるまではまったく気付くことが出来なかった。

その人物の来訪を。





「大事な身体をそんなに痛めつけないでくれないかしら?」





真後ろ。

恐らく1メートルくらいしか離れていないだろうその位置に、いつの間にかその人物は存在していた。

呼吸が停止する。煮えきった頭は瞬時に冷却。

考えろ。

ここは俺の部屋だ。出入り口はたったひとつ、ドアしかない。そのドアには鍵がかけられているはずで、そのカードキーはルリちゃんを除けば俺しか持っていな い。

それら総てを回避して背後の人物はこの部屋への侵入を果たしたのだ。

思い浮かべるのは墓地で対峙した奴等。

――――ボソンジャンプ。

このタイミングで現われたとなると、俺を狙ってきたのか?

あの時は、テンカワ・アキトだけが目当てみたいだったけど……。

殺気も感じない。

駄目だ。油断するな。落ち着いて。

呼吸を、ひとつ。


「ふっ!」


身体を反転させると同時にジャケット裏のホルスターから銃を引き抜き、その人物に向かって構えた。


「え?」

「あら」


銃をつきつけられた方より、つきつけた俺の方が驚いてしまった。

女性だった。

白衣を身に着けて、金髪を後ろで束ね、テンカワ・アキトのそれとはまた違うバイザーで目を覆っている。

明らかに昨日の奴等とは違っていた。


「…………」

「…………」

「アンタ……何者だ?」


やっとのことでそう問うた俺に対し、その女性は『ニヤリ』と不適な笑みを湛える。まるで俺の反応のひとつひとつを観察し、楽しんでいるかのようだ。

そして、少しの間を空けて口を開いた。余裕のあるオトナの女性の声だった。


「そうね……。『何者だ?』と訊かれたら、『イイモノだ』とでも答えておこうかしら。まぁ、それはキミが判断することだけど」

「…………」

「そんなに構えないでほしいわね」

「無断でヒトの部屋に上がりこんで背中をとるような人間を、警戒するなって方が無理だと思うが」

「うふふ、それもそうね」


可笑しそうに笑う。

……なんだか馬鹿にされているような気分になってきたぞ。


「まして、ボソンジャンプしてくる人間なんて」

「へぇ、頭の回転はなかなかね」

「む」


さらに馬鹿にされた感じ。というか、子ども扱い?


「って、質問に答えろよ。アンタが誰なのかわからなきゃ、『イイモノ』かどうかなんて判断できないだろ」

「ま、それは置いといて」


置いとくのかよ。

置いとくなよ、重要だろ。


「ちょっと私に協力してくれないかしら? テンガ・アキくん」

「……」


名前を知られていることくらい、この部屋にボソンジャンプしてきた時点で予想はつく。だけど、目的が全く不明だ。ルリちゃん目当てならまだしも、俺を目当 てで来るだなんて。

当然、警戒する。


「協力しろって、何をだよ?」

「今はまだ言えないわ」

「言えないって……、それで協力しろって言うのか!?」

「ええ」


言い切られた。にべもない。

交渉とかする気ないのか。


「ダメ? ……そう。んー、じゃあ今すぐホシノ・ルリたちに合流させてあげる、と言ったら?」

「!」


ボソンジャンプなら今すぐルリちゃんのもとへ行くことも可能だろう。

そうまでして俺に協力させようとすることって……。

ちょっと待て。

俺はまだこの人の名前も知らないんだぞ。そんなことで動揺してどうする。


「ダメ、か。……ところで、私はキミの敵じゃないんだから、その物騒な物を下ろしてくれないかしら」

「あ、すみません」


突きつけていた銃を降ろ――


「だからアンタが敵かどうかまだわからないってーの!」


マズイ、完全に向こうのペースに嵌ってしまっている。


「意外と強情ねぇ。……ん? あ、それ」


白衣の女性は俺の持つ銃を指差す。


「アキトくんのじゃない」

「え!?」


アキトって、あのテンカワ・アキトか。

あの男に関しては謎だらけだ。そのテンカワ・アキトの所持品を知っているこの人物。……本当に、何者なんだ?


「確か『カグツチ』とかって呼んで大事にしてたけど、キミにあげちゃったのね」

「『カグツチ』……」


火の神『加具土』、か。破壊と生成を併せ持つ、母神殺しの神。大層な名前だ。でも、あの男にとってその名は相応しいのかも知れない。


「うーん、困ったわね。こんなに強情だとは思ってなかったわ」

「そりゃどうも」


困った顔が滅茶苦茶嘘臭い。全然困ってなさそう。というより、余裕を持っているといった感じ。そう、まだ何か、切り札、ジョーカーみたいなものを隠してい るような……。


「それじゃあ、これでどう?」





その言葉を待っていたような気がする。

言わないでほしかったような気がする。

それは、今まで俺を縛り続けていた鎖であり、同時に、苦悩から解き放ってくれるはずの鍵でもあったのだから。

だけどこの時、俺はその言葉が呪詛のようにさえ感じられた。

なぜなら――





「キミが誰なのか、そして、キミとアキトくんの関係性について、教えてあげるわ」

「……っ!?」

「あら、驚いたの? もしかして、キミとアキトくんが無関係だなんて、そんな能天気なことを考えていたわけじゃないでしょう? それとも考えないようにし ていたのかしら? でも、キミはアキトくんに会った。その時に何も感じなかったはずがないものね」

「それ、は……」


誤魔化すことなど出来るはずがない。この人は確信している。いや、誤魔化してどうする? 知りたかったことを教えてくれると言っているんだ。素直に喜べば いいじゃないか。

でも、俺の中の『何か』が、『誰か』が聞いてはならないと、そう囁いている気がしてならない。


「もう一度言うわ。私達はキミを必要としている。協力、してくれるわよね?」


そう言って、白衣の女性は俺に右手を差し出してきた。


「…………」

「キミに、拒むことは出来ないわ」

「……っ!」


俺は、俺は――――





俺は差し出された手を、掴んだ。















「…………」

「コロニーの連続襲撃事件、知ってるわよね? よろしい。つまり、ここはアマテラスを含め今までに破壊された五つのコロニーのうちのひとつなの。ええと、 順番で言うと、二番目に破壊されたコロニー、ね。で、どうしてその破壊されたはずのコロニーの内部でこの区域だけが残っているかというと、この壁。分か る? この壁は特殊な合金で出来ていて、その成分は…………」

「…………」

「だから、ここはそれだけ重要な場所だった、ということ。なにしろあのアキトくんのブラックサレナやユーチャリスですら破壊し尽せず、今もこうやって残っ ているんだからね。それで、そのブラックサレナの基本スペックだけど…………」

「…………あの」

「はい! ソコ黙る! ええと、何だったかしら。そうそう、私とアキトくんの出逢いまでは話したわよね? え? 話してない? そう、じゃあ始めから。あ れは木蓮が火星に攻めて来た時…………」

「…………」

「ここまでで何か質問は? ないわね? はい、以上がここが宇宙なのにも関わらず、呼吸が出来、そして重力があるのか、という質問に対する説明でした。良 い子のみんな、わかったかしら?」

「……誰に向かって言ってんスか」


着いてきて早々、俺は後悔した。

どうしてこんなことになっちまったんだ? いや、答えは明確だ。それは俺が『アノ言葉』を言ってしまったから。そうに決まってる。

以下回想。





『着いたわ。もう目を開けてもいいわよ』

『ここは……』

『宇宙よ』

『はぁ!?』

『少なくとも地球じゃないわ。それにどこかの星でもない。だったら宇宙でしょう?』

『宇宙って、息できないじゃないか! いや、その前に死ぬわっ!』

『死なないわ』

『何故っ!?』

『何故かしら?』

『説明しろよっ!』

『キュピーン!! 言ったわね? 今、説明って言ったわねぇ? ゴゴゴゴゴ……』





以上、回想終わり。

冷静に状況を判断すれば、息は普通に出来るし足場はあるし、あの時はよっぽど混乱してたんだなぁ。

ああ、腰が痛い。流石に数時間も同じ体勢は辛かった。それ以上に体力をごっそり持っていかれた感じだ。

この人の前で二度と『アノ言葉』は言わない。俺はそう誓った。

……っていうか、この椅子とそのホワイトボードはどこから取り出したんだ?


「冗談はここまでにしておきましょうか。時間がないわ」


……冗談だったのか。それと、時間がなくなったのは100%アンタのせいだぞ。

ん、時間って?


「さ、着いて来て」


そう言って白衣の女性は歩き出した。

言ってやりたいことは沢山あるが、今は従う他ないか。

だが、譲れないことがひとつある。


「ところでアンタ、一体誰なんだ? そろそろ正体を明かしてもいいんじゃないのか?」


何となく、どこかで見たような気がするのだが……。


「あら? 言ってなかったっけ?」

「言ってません」


この人、ボケてんのか確信犯なのか判断がつかない。対応に困る。


「それじゃあ自己紹介」


女性は立ち止まって俺の方を向く。そして、眼を覆っていたバイザーを外した。


「なっ!? アンタ……」

「私はイネス・フレサンジュ。ナデシコ医療班並びに科学班担当。それと、一応A級ジャンパーでもあるわ」


バイザーを外したその顔は、あの墓地で見た写真と一致していた。……若干老けた気がしないでもないが。


「死んだはずじゃ」

「失礼ね。ちゃんと生きてるわよ」

「え、でも、どうして……」

「フェイクよ」

「フェイク?」

「そう。キミもA級ジャンパーたちが誘拐されていたことは聞いているわよね? アキトくんもミスマル・ユリカも攫われてしまった。となると、私が狙われる のも時間の問題。だから戸籍上死んだことにしておいたのよ」

「…………」


イネス・フレサンジュ博士は生きていた。

テンカワ・アキト、ミスマル・ユリカも生きていた。

これであの遺影に写っていたの人物――ルリちゃんの大切な人たちは全員生きていることになる。しかし、全員が全員、立場や姿形が変ってしまってい て…………何となく、思うところがないじゃない。


「急ぎましょ」


そう言って、白衣の女性――イネスさんはまた歩き始めた。

俺はその後に着いて行く。

まるで病院のようなリノリウムの廊下がどこまでも続いているように感じられる。

廊下は前に進むほどに薄暗くなってゆく。

そして同時に、またあの頭痛が俺を苛み始めた。

『誰か』の声が頭に響く。

これ以上進んではならない、と。

早く早く、前に進まなきゃ、と。

行きたくない。

行きたい。

見たくない。

確認したい。

やめろ!


「…………っ!」


いつの間にか俺は、淡い緑色の廊下にいた。










『――――逃げ切れると思うたか?』










「……あ、ぐうぅッ!」


ズクン! と、頭に衝撃が奔った。

視界がぐるりと回る。

気持ちが、悪い。意識が遠のく。


「く……はっ、あぁ」


自分の身体を支えることが出来なくなって壁に手をついた。

その壁を見る。





■の血潮が迸っていた。





「うわあああぁぁぁっ!! あ、あぁ、ああああぁぁぁっ!!」

「アキトくんっ! 落ち着いて、これを!」


イネスさんが差し出した掌の上にはカプセルの薬剤がのっていた。


「大丈夫、毒は入っていないわ」

「う……あぁ、くっ!」

「早く! 飲みなさい!」


カプセルを受け取り、飲み込む。


「んぐっ、かっ、はあ、はぁ、ふ、はあ……」


即効性の薬なのか、じわり、とすぐに体中に広がっていくのを感じる。


「はっ、はっ、はっ…………ふぅ」

「どう? 落ち着いた?」

「……はい」


どうやら本当に毒は入っていなかったみたいだ。


「ソレの正体も教えてあげるわ」

「どういう、ことです?」

「もう少しだから頑張って歩いて頂戴。それとも、肩、貸してあげましょうか?」

「……いりません」

「あらそう残念」


さっきの心配そうな顔は何処へやら、イネスさんは先に歩いて行ってしまう。

……肩、借りた方が良かったかな?

薄暗い廊下を、淡い緑色の光だけを頼りに歩き続ける。どうやらここは、まだかろうじて電気が生きているみたいだ。

そして、恐らく一番奥に位置するであろう扉の前で立ち止まった。


「…………」

「どうしたんスか?」

「今から半年くらい前の話よ」

「え?」


イネスさんは扉の中に入ろうとはせず、俺に背を向けたまま語りだした。

俺はイネスさんが何を言わんとしているのかをわかるはずもなく、ただ黙って聞くしかなかった。


「ここは『ある研究』の中枢を担っていたラボだった。それは研究なんて生易しいものじゃない。『彼等』は非人道的な、ヒトを対象とした人体実験を行ってい た。それらは外部に漏れることなく順調に推し進められていた」


淡々と、事実だけを語るイネスさん。


「しかし、およそ七ヶ月前、事件が起きた。半ば奴隷的な、いえ、それよりももっと残虐な扱いを受けていた実験体たちが暴動を起こしたの。彼らはひとつの部 屋に立て篭もり、自由を求めた。だけど、その願いが叶うことはなかった。なぜなら、その実験体たちは『彼等』によって生み出された、いるはずのない存在。 『彼等』が逃がすはずはなかった。『彼等』は実験体たちの感情に対して盲目だったのね。それ故悲劇は起こった。いっそのこと、感情なんてものは総て排除し ておけば良かったのに……」


どこか悲しそうで。


「そして、実験体たちからこれ以上の利は得られないと判断した『彼等』は……」


辛そうだった。


「惨殺した。実験体たちを。全員」


ゴクリと自らの喉が鳴るのが聞こえた。

遮ろうと思った。遮らなくては、と、思った。


「それが、俺に、何の関係があるって言うんだ」


俺は苦し紛れに言葉を紡ぐ。

だけど、そんなものに何の意味も効果もありはしない。


「AT−013P」


イネスさんは聞きなれない英数字を口にした。


「……なんだよ、ソレ」

「あなたの本名よ、テンガ・アキくん」

「はぁ?」


間抜けな声を出す俺を無視して、イネスさんは続ける。


「『彼等』は実験体たちを皆殺しにしたわ。――――たったひとりの例外を除いて、ね」


イネスさんは素早く扉の横についたスリットにカードキーを通した。


「『ある研究』、それはA級ジャンパーを使ったA級ジャンパーの増産。そして、『彼等』とは火星の後継者たち」


扉が――開く。










「テンガ・アキくん――――キミは火星の後継者によって作られた、テンカワ・アキトのクローンなのよ」










突きつけられた真実になのか、その部屋の中の光景になのか、俺は戦慄を覚えた。

それは、地獄絵図、だった。

部屋の中を縦横無尽に這い回るコード類。まるで意思を持つ触手のように総てを覆い尽くしている。

何台ものドでかいコンピューター類。原型を留めているものなど皆無。

そして、人間一人が入れるくらいの大きさの試験管が何十本も、それらは総て割れている。

さらには――――血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。血。

おびただしい量の血液が、先ほどの廊下の血痕など取るに足らないと主張するかのような血潮が、部屋中の壁に床に天井に降り注ぎ、飛び散り、溢れている。

七ヶ月前、とイネスさんは言ったが、あの、血液独特の鉄の匂いが、いまだ強烈に残っている。





発狂してしまえたならば、どんなに楽だろう、と思う。

総てが予想外だ。

こんなはずじゃなかった。こんな、こんなモノを見るために着いて来たんじゃなかったのに。

そう思う一方、俺は懐かしさと悔しさと恐怖とが混ざり合った、何とも言えない感情を抱いている。

そして、思い浮かべるのは心の片隅に残るミスマル・ユリカの姿とルリちゃんの悲しそうな金色の瞳。

処理しきれない。

情報が多すぎて、脳がパンクしそうだ。


「理解できた?」

「……」

「否定は、出来ないでしょう? むしろ、確信に近いものを感じているはずよ。まずは、その髪と眼鏡で隠している瞳。それが、キミが遺伝子操作を受けた人間 であることを証明している。そして、キミがホシノ・ルリと出逢ってからの出来事を思い返せば答えは明白。でしょ?」


俺はテンカワ・アキトのクローンだった。

確かに、否定は…………出来ない。持ち得るはずのない記憶。ミスマル・ユリカに対する情。そして――――ホシノ・ルリへの想い。

それらは総て、テンカワ・アキトのもの。借り物の感情だったんだ。

悔しくはない。怒りでもない。俺は、悲しんでいるのだろうか?


「アキくん、混乱するのも当然だけど、気絶したりはしないで頂戴ね。本題はこれからなんだから」


混乱させている張本人が無茶なことを言う。

体調が万全なら突っ込んでいただろう。


「……本、題?」

「そうよ。協力して、って言ったでしょう? 何の利益もなしにキミに真実を話したりはしないわ」


くそう、既に頭はいっぱいいっぱいだってのに、まだ何かあるって言うのか。


「重大なことよ。キミにとって。そして、アキトくんにとってね」

「なん、ですか?」

「キミが作られた理由は、さっきも言ったように人工的にA級ジャンパーを増やすことだったわけだけど、火星の後継者たちの最終的な目的は、キミたちA級 ジャンパーのクローンをさらに強化し、最強の兵士を作ることだったの。具体的に言うと、ジャンプ能力に加えて身体能力、機動兵器の操縦能力、そしてオペ レート能力を強化した、言わば『強化人間』を作ろうとしていたわけ」


好きな場所にボソンジャンプして、即座に奇襲をかけられる。そんな軍隊が出来たのなら、まさに最強だろう。想像するだけでゾッとする。


「ただ……」

「?」

「作られたクローンたちは試作で、その試作型には半年の命しか与えられていなかった」

「な!?」

「キミのその瞳、どうして片方だけ金色なのかわかる? それはね、言い方は悪いけど、キミは出来損ないの欠陥品だからよ。遺伝子操作の際に何かを失敗した のか、詳しいことはわからないけど、キミのIFSが上手く作動しないのもそのせいなんじゃないかしら」


出来損ない……半年の命? 俺は半年しか生きられないって、そういうことなのか?


「アキくん、キミのその頭痛、始まったのはいつだった?」


それは、確か、一ヶ月前。そう、ルリちゃんと出逢ったころからだ。

つまり、それは――――


「そう、つまりキミの寿命は本来なら一ヶ月前に終わっているはず。そして、キミはそれを超えて生きている。身体に何の異常も出ないはずがないわ」

「それが、あの頭痛だって言うのか?」

「そうよ。寿命を越えて生きている影響が、キミにはあの発作という形で現われていたわけ。キミはね、もういつ死んでもおかしくないのよ。でも、キミの場 合、死ぬって言うのは適切な表現ではないわね。……んー、キミの場合、意識が停止するとでも言うのかしら」

「……どういうことですか?」

「それは私にもわからないわ。火星の後継者たちにどんな意図があったのかは不明だけど、キミは肉体的な生命活動が停止するのではなくて、意識が停止する の。でも、それは私達にとって好都合」

「好都合?」

「アキトくん。彼もね……もう、長くないの」

「!」

「ヤツらの実験で体中弄くり回されて、それだけでもうボロボロのはずなのに、何度も何度も、闘って闘って、傷ついて…………それでもまだ、闘って」


この人は……ずっとずっと診てきたんだ。テンカワ・アキトの傷ついた身体を。

でも、あの男は止まらないんだ。絶対に。


「そこで、キミの出番」


イネスさんは妙に明るい声で言う。悲しみを隠すように、強いてそうしているように見える。


「俺に、どうしろって?」

「キミの身体を頂戴」

「は……」

「アキトくんの意識をキミの身体に移すの。そうすれば、彼は死なずにすむわ」

「俺の身体を……。え? でも、そんなこと」

「出来るわ」


イネスさんは強い口調で言う。


「キミはアキトくんの遺伝子から出来ているんだもの。必ず、とは言えないけど、確立は五分ってとこかしらね」

「そんな……」

「どのみちこのままでは二人とも助からない。だったら被害は最小限の方が良いとは思わない?」

「…………」


そんなこと急に言われても、割り切れって言う方が無理だ。

だけど……俺が身体を差し出せば、テンカワ・アキトは助かるかも知れない。そうすれば……。


「そーよねー。割り切れないのもわかるわ」


イネスさんが俺の肩に手を置いて言う。

いや、そんな楽しそうな声で言われても、説得力ゼロなんスけど。ていうか、今までのシリアスさはどこへ行った?


「アキくん、アキトくんに嫉妬してるんだものねぇ。ルリちゃんが取られてしまうんだものねぇ」

「んな!?」

「でもね」


イネスさんは真面目な口調に戻して言う。


「ルリちゃんたちは火星の後継者たちには勝てない。そして、彼らに打ち勝つためには、アキトくんの力が必要なの」

「そんな馬鹿な! ルリちゃんは『私とオモイカネとナデシコCが揃えば』って」

「ルリちゃんはそう信じているでしょうね。でも、彼らだって『電子の妖精』と称されるホシノ・ルリを警戒している。秘密裏に、電子戦の対策は万全に整えて いるわ。キミがあのお墓で会った奴等もそれを見越して訓練されているはずよ」

「っ!」

「キミには辛い選択だけど……お願い」


俺はどうすればいい? 俺の身体をテンカワ・アキトに渡すのか? ……きっと、それが一番良いのだろう。イネスさんにとって、ルリちゃんにとって、皆に とって。だけど、そんなのってアリかよ。理不尽じゃないのか? 認めてもいいのか?


「あ」

「今度はなんスか?」


これ以上ややこしくしないでもらいたい。


「そういえば、そろそろルリちゃんたちの乗ったシャトルが攻撃される頃だわ」

「なにィ!?」

「忘れてた」

「『忘れてた』、じゃあるか! 助けに行かなきゃ!」


ていうか、そういう大事なことは先に言えよ!


「そうね。でも私、今日何度もジャンプして疲れちゃったから、キミがナデシコCを跳ばしてね」

「そう、ボソンジャンプでパパッと……て、え? 俺が?」

「そう、キミが」















そのころ……


「なぁ〜、ハリ。新しいハリガンスーツ作ったんだが着てみねぇか?」

「ウリバタケさん、真面目に仕事してください。もうすぐ発進ですよ」

「そんなこと言わずによぉ」

「イヤです」

「つれねぇな。この前は泣いてすがってきたのにな」

「あ、あの時は、ちょっと、いえ、いろいろ誤解してましたし、緊急事態でしたから……ってそもそもよく考えてみたら、あの格好ってもの凄く恥ずかしいです よ!」

「そうか?」

「そーですよ! あんな姿艦長に見せられませんっ!」

「……もう見られてるだろうに」

「はうっ! そうだったぁぁぁああああ!」




















<あとがき……か? これ>

こんにちは、時量師です。お久しぶりです。

段々更新のペースが落ちています。駄目駄目です。自己嫌悪。

ええと、今回について言うことはひとつだけです。



説明おば……ん、んんっ。説明お姉さんの言葉を総て真に受けてはいけません。



以上です。

では、よろしければ次回も読んで下さい。




感想

時量師さんより作品を頂きました〜♪

毎回凄いボリュームですね〜

アキさん…とうとう自分の事を知ってしまいましたね。

説明オバ…いえ、イネスさんの責任もありますが…

でも、アキトさんの死とアキさんの存在を天秤にかけろという今回の話は少しアキさんには酷ですね。


ん〜確かに、でも、アキ君が主人公なら多分精神の死を免れる方法もあるんじゃないかな?

でも、それでアキトが死んだら問題外だしね、多分そうなると…

ええ、クローンの方面で来た以上多 分、決着にはそっちに話を振るのが順当でしょう。

ですが、時量師さんは別の抜け道を用意しているかも知れませんね。

その辺りも期待です。


だねぇ、でもさ、シノさんも気になるね(爆)

アキ君専用ヒロインじゃないか、彼女。

でも、最近出番ないし。

…べつに無くてもいいじゃないです か。

彼女のキャラは美味しいから私と同じだけ出てきたら、話題を持っていかれちゃいます!

美人さや知性では上回っていても個性という意味では、彼女のようなインパクトのあるキャラにはなかなか勝てないんです。

いや、十分インパクトあると思うけどね…(汗)

どういう意味ですか?(ニコリ)

いや…あの(汗) なんでもないです。



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