心のどこかでそう望んでいた。
虚空を彷徨う指が、この身を救い上げてくれるか細い糸を捜すように。
いつか憧れたあの光を、もう一度だけ自分に見せてくれるように。
その姿は地獄に落ちようとも思い出せた。
月光を受けて金砂のように零れ落ちる髪を、凛々しき佇まいを、心を溶かして胸に響いた清涼なる声を。
撃鉄を落とすたびに朧になる世界の中で、磨耗して消えていく理想の前で、それでもその姿は瞼に焼きついて離れることはなく。
今、あの時と同じく光に包まれた土蔵を見て、屹度自分は笑みを浮かべているだろう。
心のどこかでそう望んでいた。
もう一度、彼女に会いたいと。
たとえその時に彼女が自分のことを知らなくとも。
たとえその時に彼女と自分が敵同士であったとしても。
たとえその時に自分が――変わり果てていたとしても。
その姿は、地獄に落ちようとも思い出せた。
なぜなら彼女は憧れだったから。人として憧れて、その美しさに惹かれた。
ただその直さに焦がれた――その時にはもう、自分が壊れていることにさえ気づかずに、
白煙をたなびかせた右拳を突き出し、仁王像の如く屹立する主の面前に降り立つ。
あの時と同じ。ランサーはセイバーと闘い、そして退くだろう。
運命は、変わらない。まだ、変わっていない。
だが――。
一目でいい。
一目見たら、屹度変わる。
この残酷な世界は180度転換していく。
この身は英霊。
この身に敗北も敗走もなく、あるのは雲母の如き勝利のみ。
剥がしても剥がしてもずっと続く輝かしい勝利があるだけだ。
100の犠牲の上に成り立つのは、常に我が栄光。貴女と同じ、否、担い手ですらなく、この身こそ約束された勝利の剣。
我が身はただ一事に特化した回路。
故にこの身は人でなく。
我と我が身は生れ落ちたその瞬間より、一振りの剣であった。
故に我と我が剣は運命を切り裂き、貴女をも切り裂くだろう。
「―――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。
―――ここに契約は完了した」
今ここに、契約を破棄する。我が運命は我に委ねられた。
貴女の剣は貴女の新たなる主に預けるがいい。
一目でいい。
一目見たら、もう未練はない。
貴女に憧れた。その姿に焦がれた。その直さを夢見た。
しかし、今や……それも全て過去のこと。
全霊を以って排除しよう。
結果など既に見えている。
常に最善を選び、小径を駆けるこの身には敗北の二文字は存在しない。
そうだ。それこそが生涯をかけて辿りついた境地ではなかったのか。
だから、この身が此度の闘いを勝ち残り聖杯を得るのは既に確定された事実。
覆ることはない。聖杯が汚毒されていたとして、何だというのか。
聖杯が万能の杯であるのならば、そんなことは関係がない。
なぜならばこの闘いは我が身だけのためにある、そのための聖杯戦争。
生まれて初めて完遂する自分のためだけのわがままなのだから。
触れ合うことすらなく、理解し合うことなど夢のまた夢。
ずっと抱き続けた理想すらも破却した自分には、貴女に答えを見せることなどできはしまい。
見せるべき答えもない。
貴女が得ようと願うべき、かつての自分の理想は確実に磨耗する。
そんなものに何の意味がある?
自身から零れ落ちることのない理想に、意味などない。
決意は鈍る。
願いは曇る。
ただ理想だけはずっと胸に輝き続け、それゆえに理想は磨耗した。
理想が叶わぬと――手足を投げ出し心を捧げて、永劫の時をかけても届かぬと知ってしまったその時に、心が死んだ。
あの日の誓いを、覚えている。
だから、あの理想も覚えている。
他の全ての記憶が擦り切れても、二つのことだけは決して忘れない。
だが――。
覚えているけれど――最早、求めない。
それはもう――理想に過ぎないのだから。
理想は求めるものではなく、ただ夢見るモノに過ぎないのだから。
白煙からランサーが飛び出してくるのが見えた。
背後にマスターを庇う。セイバーはあの時と同様マスター相手に躊躇しないだろう。
彼女を守るのは自分の役目だ。
遠坂凛を守り、この闘いに勝ち残る。
白煙の向こうに人影が見えた。
歓喜と諦観と、そして淡く輝く願いを抱いて、鷹の目を向ける。
必殺の一撃は既に我が赤土にある。
一目貴女を見たら――決意の鈍らぬうちに貴女を討ち果たそう。
憎悪でもなく、嫌悪でもなく、羨望のうちに――――。
そして、運命の歯車は初めて狂い始める……茶番を終わらせるために……。
masked justice.
<土蔵>
「さよならだ、坊主」
それは、絶望に値した。獣染みた双眸を煌めかせる蒼い男――。その手の延長には真紅の穂先。
穂先は確かに心臓の前にある。分かる。
避けられない。死がここにある。無理だ。吐き気がする。
飄々と抜かす男に嫌悪を覚える。畜生、圧倒的な死の気配がする、告げている、お前はここで死ぬのだと……
穂先が、心臓を狙っている。
ふざけている。理解できない。
衛宮士郎はただ死ぬわけにはいかない。
何故か渾身の右ストレートを放ち俺を助けてくれた遠坂凛を助けるまでは死ぬわけにはいかない。
助けられたんだ。右ストレートに。
助けてもらったからには、俺には義務があるはずだ。
あの赤い世界で俺を助けてくれた切嗣から貰った義務もまだ果たしていないのに。
生きて義務を果たさなきゃいけないのに死んでしまっては義務を果たせない。
助けてもらったからには誰かを助ける義務がある、そうあの時も紅い世界で自分を助けて泣いた切嗣のように自分を誰かを助けて泣ける人間になると誓ったその誓いさえも守れずにこのまま死ぬのはふざけてる。
何も出来ずに理不尽にただ殺されるなんて、許されるはずがない。
不条理に虐げられる人を助けたいのに自分が不条理に殺されるなんてふざけてる。
ふざけてる。
いや
ふざけるな。
衛宮士郎は、正義の味方にならなければいけないのだ。俺が死ぬ?許容しない。峻拒する。
怒りがどこからかふつふつと湧き上がってくる。
義務を果たさないままこのまま果てるなんて、衛宮士郎には絶対許されないのだ。
だから。
だから……!
だからこんな所で、お前のようなやつに、殺されてたまるものか―――!
そう思った瞬間、視界が白に染まった―――!
―――そして最初にみた光景を、俺は決して忘れないだろう。
その光景だけは、地獄に落ちようとも思い出せると。
心の中に、砂漠に水が吸い込むように、すっと入り込んで、消して零されずに。
染みこんで包まれて、決して離されずに――。
「おぉぅ、うぇ」
白い光が過ぎた後、最初に見た光景は――男の半ケ……否、全ケツだった。
<土蔵・凛>
最近うまくいかないこととか不可解なこととか多すぎて、一応助けるためだったのだけど渾身の右をあいつに叩き込んでいた。
反省はしているけど、後悔はしてない。
魔術で筋力を上げて思いっきり殴ったのだけど、骨大丈夫かな……。
体を走査するわたしの前に、アーチャーが降り立つ。
その両手には、中華風の短剣が握られていた。
先ほどまでランサーと幾合斬り合っていたのかは理解できないが、その身に傷らしい傷跡はない。
「アーチャー、ランサーを!」
はっきりいってここまでしてやる義理はない。だけど……。
アイツのために……だけにってわけじゃないけど、令呪を使ったし、今だって魔術を行使して助けた(つもり)。
そこまでしてやって、はい残念、死にました。じゃ、割りにあわない。
あいつには、何としてでも生き残って貰わなきゃいけない。
ここまでしてあの子の涙を見せられた日には……ああ、想像したくもない。
「いや、その必要は無いぞ」
「どういうこと?」
何故か余裕綽々で腕を組んだりしているわたしのサーヴァント。
いつの間にやら両手にあった短剣は消えている――こいつの宝具がこいつの工房だというのなら、収納は自在というわけか。
しかも同じ宝具を――おそらくは蒐集されたオリジナル以外なら――複数同時に現界させることも出来るというチート機能付き。
もっとも、複製された宝具はオリジナルに比べて能力が劣るらしいけど、それでも十分に凶悪だ。
アーチャーの視線の先には古い物置がある。物置にしては確りした造りをしている。
その戸は開かれている――ふっとんだあいつが突き破ったためだ。
「………!」
薄明が、月夜を染めた。
この感じは知っている。
知っているなんてもんじゃない。これは――――!
「セイバー……」
どこか寂しげに、アーチャーは呟いていた。
セイバー?
全サーヴァント中最良と言われるクラスのサーヴァント?
来たか、ってことはつまり召喚されたわけで召喚したのは――アイツってこと?
白煙の中からランサーが飛び出してくる。その双眸は信じられないものを見たかのごとく開ききっていた。
わたしも慌てて白煙に目を向ける。
その中には微かに人影が見えた――。
(あれが、セイバー……?)
曰く、最良のサーヴァント。
わたしが召喚しようとして――……失敗したサーヴァント。
白煙が晴れていく。
わたしは息を呑んだ。鼓動がいやに大きく聞こえる。
――そして。
その光景をわたしは生涯忘れないだろうと、確信した。
鍛え上げられ、練り上げられた生まれたままの躯。
女性物の下着の合間から覗く鋭い双眸。
そして、激しく自己主張をする股間。
「……………ぎゃぁ。」
セイバーは、変態だった。
あとがき
やっと出ました。
短くしても更新はやめたいところです。
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