じめじめとした梅雨が過ぎ、涼やかな、なのにうだるような初夏の日差しが
照りつけるある休日。
炎天下の中をジッパー式の長袖ポロシャツにジーンズ、スニーカーといった
出で立ちで、のそのそと亀のように歩いている。

あ、暑い……いくらなんでもまだ六月の下旬でこの暑さは異常ではないのか?
プラントでは気候は全て管理されていたから、これは我が身に堪える。
それに今は…尚更それが酷い。
視界が揺らぐ。
頭がボーッとして意識が徐々に遠のいていく。
やはり篠ノ之かシャルロットに付いてきてもらった方が良かったか…?

…いや、たかが学園内の医療施設に通院するくらい一人で十分だ。
いつも俺の看病なんかのために自分の時間を削ってくれてるんだ。
たまの日曜、教室の皆と臨海学校に持っていく水着選び。
わざわざ学園外の街まで足を運んでいるのだから楽しんでもらわないと
申し訳が立たない。

ちなみに俺も誘われたが断った。
毎日通院しなければいけないということもあるが、俺が今現在置かれている立場を
考えると迂闊に学園から出るのは危険だ。
拠るべき国もなく、未だ世間に存在を公表されていない人類二人目のIS操縦者である俺。
篠ノ之束の牽制によってある程度の安全は保障されたとはいえ、万が一ということもある。
何の警戒もなしにノコノコ学園から出たくはなかった。
もし何か起こって傍に居る篠ノ之やシャルロットが危険な目に遭いでもしたら…。
想像しただけでも心臓が止まりそうになる。

と、そんな陰気なことを考えているうちにようやく医療施設に到着する。
ぜぃ…ぜぃ……三十分以上かかってしまった。
普通に歩けば十分もかからない道のりなのに…。
カラカラに乾いた喉を少し鳴らして、ふらつきながらも自動扉をくぐる。
そして受付に向かって一歩踏み出したところで、視界が突然暗転した。





            ・





            ・




            ・





「……あ、れ………?」


………っ…………。お………お…………?
重い頭痛とともに意識が緩やかに覚醒してくる。
ゆっくりと瞼を開けると、見慣れた白い天井が広がっていた。
朦朧としながら首を動かすと、そこはいつも点滴をしている処置室。
その一番奥のベッドで、俺は寝かされていた。
これは…どうしたことだ…?
霞がかかったような頭でぼんやりと考えていると、視界の中に見慣れた人物が入ってくる。
白んだ総髪をグシャグシャとかきむしりながら、大きな黒縁の瓶底眼鏡をくいっと上げながら。


「舛田、先生……? 俺は、一体……?」

「…全く、毎度のことながら君にはヒヤヒヤさせられる。
 32℃を超えるこの真夏日に帽子もかぶらずにやってくるなんて。
 しかも一人でとは……。今の自分の状態は分かっているでしょう。
 君は体の傷を隠す為にただでさえ長袖長ズボンっていう格好なのに…。
 篠ノ之さんかデュノアさんがいれば、日傘くらい差してあげたでしょう。
 とにかく、君は熱中症で受付前で倒れたんですよ。
 どうして一人で来院するなんて無茶を……」

「あ、篠ノ之やシャルロットは、友達と水着を買いに出ていて……」


その苦言に耐えかねて、声を何とか振り絞って答える。
先生は最初「水着?」と訝しげに呟いたが、すぐに何か思い当たったらしく、
おでこに手をやってやれやれとばかりに首を振る。


「…そういえば、もうすぐ臨海学校でしたね。
 ええ……なるほど。得心がいきました。
 君ならば篠ノ之さん達に買い物に行くよう勧めるはずだね。
 まあ、篠ノ之さん達が君を一人でここまで来させるようなことを了承することは
 ないだろうけど…アスカ君?
 もしかしてもないだろうけれど君、今日の通院が午後からだとかなんだとか言って
 彼女らを買い物に行くように仕向けたりしていないかい?」


まるでテレパシーで心の中を読まれているかのように言い当てられて、
思わず唸ってしまった。
確かに篠ノ之達には今日は夕方からの通院だと言いくるめて納得してもらった。
…二人とも訝しげに俺を見ていたけど、気にしないようにしていた。


「君のことになると異常に鋭い彼女らが君の言に騙されたとは考えにくいけれど…。
 まあ、これは今日の診察時間をきちんと伝えていなかった、僕のミスだね」


深く息を吐くと先生は近くにいた看護師に二、三の指示をすると、足早に部屋を出て行く。
その間際、振り返って言う。


「その点滴が終わったら、八番診察室に来てね。
 今日はいよいよ、手の包帯を外すのだから」


俺はくたびれた白衣が消えていくのを見送ると、大きく息を吐いてベッドに沈み込んだ。
いくら今日が真夏日だからって、学園の自室からここに来るだけで熱中症で倒れるとは…。
悔しい。 そして何より、情けない。
今すぐ壁なり床なりを殴りつけたい気分だったが、熱中症のせいか手に力が入らない。
起き上がる力も気力もなく、ただ仰向けのまま、白地の天井を見つめる。
いつもと同じ、ただ自分の無力さを呪いながら、点滴が終わるまで瞼を閉じた。































「……それじゃ、包帯を取るよ」


点滴を終えた後に案内された診察室の中に、シュルシュルと包帯を取る音だけが響く。
全ての包帯が取り除かれ、露になる醜悪な肉の造形。
ところどころがいびつに歪み、黒ずんだ手のひら。
もはや指紋も判別できないほどにただれた皮膚。
大火傷を負う前についていた無数の傷も、そこに見ることはできなくなっていた。
ふと顔を上げると、後ろに控えていた若い看護師が顔を歪めて手を凝視している。
少し苦笑してしまう。やはり医療に携わる人間でも、グロイものはグロイのか。


「…うん、ケロイドも出来てないね。
 痛みはもうないって言ってたよね。 流石に圧巻の自然治癒力だよ。
 これからはいつも君がはめている手袋を装着するといい。
 あれは君の手にフィットするように作られているし、手を固定する意味でも丁度いい。
 さて、少し手を動かしてみてくれるかな。
 握ったり開いたりして、痛みが出ないか最終確認してみて」


俺は言われるままに手を開閉させてみる。
少し違和感はあるけれど、大丈夫。
これならISのブレードも差し障りなく扱えるはず。
次にライフルを持っていると仮定して手の形を作る。
…よし、グリップは握れる、引き金も引ける。
そこまで確認して小さく頷く。
良かった、手が使えさえするならば、俺はまた戦える。
日常生活に支障が出るほどの障害が残ったらどうしようと危惧していたけど、
取り越し苦労に終わって本当に良かった。
と、確認が終わって先生を見ると、何故か顔を曇らせていた。


「…先生? 手は問題なく動かせました。 痛みもありませんでした、けど…」

「…ああ、それについては大変重畳なのだけどね。
 普通の人間はその手を見てそこまで嬉しそうにはできないよ。
 君が何を思ってそんな表情をしたのかは、手の形を見て容易に想像できたけどね」


先生はとても複雑な表情をしていたけど、すぐに真剣な顔に戻ると、俺を見据えて
言葉を続ける。


「さて、通常ならば数ヶ月は完治にかかる怪我を僅か一月足らずで回復したわけだけど、
 しばらくはあまり手を酷使しないようにね。
 …それからもう一つ、かねてから君が希望していた皮膚移植についてなんだけど…」

「……! どうでしょうか、先生。 俺の手、元通りになるんですかね?」


俺は椅子から腰を浮かせて、詰め寄った。
以前から先生にはこの手が少しでも元の状態に戻す方法はないか相談していた。
見た目が悪いということもあるし、そんな手に包帯を巻いてくれる篠ノ之やシャルロットに
申し訳なくて、どうにかならないか模索していたんだ。
ネットや本で調べてみて皮膚移植に辿り着き、俺もそれができないか検討してもらってたんだ。
でも、先生のあの渋面を見る限り、良い話にはならないようだ。


「皮膚科の先生とも相談したのだけどね。
 まず君の手の皮膚は広範囲に渡って壊死している。
 移植をするとしたらまずそれらを取り除いてからになる。
 しかしその場合、君自身の皮膚は移植に使えない。
 君の肌は全身がズタズタで、健康な皮膚など皆無に等しいからね」


最初からスパートをかけたような難色の言葉に、眩暈を起こしそうになる。
もう熱中症は治ったんだからと何とか自分に言い聞かせて続きを待つ。


「であれば他人の皮膚か君の皮膚組織を培養して用いるか、だけど。
 それらをするにしても治療には相当の時間がかかるんだ。
 君の『なるべく早期で治したい』という希望にそぐわない回答で申し訳ないけれど。
 そもそもが火傷の治療は長期戦だ。 君ほどの重傷ならば特にね。
 移植をしてもそれが癒着するとは限らないし、猛烈な痒みを伴うこともある。
 それに移植をしたとしたらしばらくは入院、その後は通院と投薬を行う必要もあるね」
 

きっぱりと言い放たれたその言葉が、俺を打ちのめす。
フラフラと後ずさって、ドッシと椅子に腰を下ろした。
…そうか、早期での治療は無理、か。
仮に移植を受けたとして長期間の入院、その後の通院、投薬…。
それは困る。もし入院したとしてその間にこの前のような事件が起きでもしたら…。
いや、あんな事人生の中でも滅多に起きないんだろうけど。


「そんな死にそうな顔をしないでください。
 君のためだとあえて厳しい物言いになってしまいましたが、相応の治療を施せば、
 その手もある程度改善できるのですから。
 何故そこまで早期での治療にこだわるのかは知りませんが、ここは療養も兼ねて、
 腰を据えて治療に望まれたら……」

「……先生、今『ある程度改善』と仰いましたけど、治療に専念しても『完全』には
 元通りにならないんですか?」

「…もちろん実際に移植手術をしてみないと何とも言えませんが…。
 少なくとも言えることは、『完全』に元通りの手に戻すことは、難しいでしょう。
 通常は移植をしてもアザはある程度残るし、逆に手術によって汚くなることもあります。
 そして君の重症度を考えれば……」


俺は「もういいです」と先生の言葉を遮り、大きく息をついて手のひらを見つめる。
結局、この手はもう元の姿には戻らないのか。
それに改善するにしても相当の期間はかかるというし…。
それは、困るんだ。
だって俺はいつまでも『この』世界にいるつもりなんてないのだから。
本当は一刻も早くこんな世界からは……。



「……アスカ君?」

「あ、いえ……少し考え事してただけで…。
 先生、移植の件なんですけど……一旦保留ってことにしておいていいですか?
 ただ少しでも可能性があるならって聞いただけですし、現時点では支障もありませんし」

「いいのですか? 余計なお世話かもしれませんが…君は本心からその手を元通りに
 したいと思っていたように感じていたのですが…」


先生の言葉に対して、俺は首を横に振って応える。
…別にそのことを本心から望んでなんかいない。
この手を見る人に不快な気分になってもらいたくなかっただけだ。
ただ、それだけだから。
それに……。


「手のことは、そんなに気にしてないですよ。
 もう痛みもないし、普通に動かせるんですから。
 …それに、そんなことは本当は些末な問題なんですよ。
 だって………」


そう、手が元に戻らないことなんて些細なことだ。
一番重要なことは、それじゃないんだ。
俺にとって、一番重要なことは……。


「だって俺、生きてますから」


死んだら全てが終わりだ。
誰も守れないし、誰も救えない。
生きてなんぼのこの世界、俺はあの苛烈な戦いを生き延びた。
そして、誰かが命の危機に瀕することがあっても、また戦うことができる。
最も重視すべきそれが達成されているんだ。
悔いなんて、何もない。

診察室を出た後、ロビーで一週間分の薬を受け取る為に待つよう言われる。
半ば放心状態でフラフラとそこへ向かうと、ふいに声をかけられた。
透き通るような力強く、それでいてとても優しい響きのそれは、俺の意識をここに
呼び戻すのに十分な力があった。
読んでいた雑誌を小柄な手提げ鞄にしまうと、白いワンピースを纏った彼女は俺の元に
小走りで駆け寄ってきた。
チャームポイントであるポニーテールを揺らしながら、不安に瞳を揺らしながら。


「アスカっ! お前という奴はまったく……。朝から通院だと何故言わない!
 しかもお前、ここで倒れたっていうじゃないか! 私やシャルや一夏がどれだけ
 心配したと思ってるんだ!?」

「し、篠ノ之……お前、なんでここに……」


思わず口からそんな疑問が漏れてしまうが、そんなの分かりきったことだ。
舛田先生が篠ノ之達に連絡を入れたに決まってる。
余計なことをしてくれたもんだ、黙っていれば無用な心配をさせることはなかったってのに…。


「言っておくがドクターを責めるのは筋違いだぞ。
 そもそもお前が私たちにきちんと今日のことを伝えていれば、私たちは何も
 心配することはなかったのだから。
 シャルたちももうすぐここに到着するだろうから、存分に叱ってもらえ」


……ぐうの音も出ない。
と、押し黙った俺を見据えていた篠ノ之が、ふいに優しく微笑んでみせる。
そして座っていた席に置いてあった紙袋を見せてくる。


「……でも、それも私たちのことを考えてしてくれたことだから。
 心配したし怒りもしたけど、それでも嬉しかった。
 ほら、この通り水着もちゃんと買えたんだ。
 また後で、見せてやるからな。本当は一番に、お前に見て欲しかったんだから、な」


うっすら頬を上気させながら、もじもじしながら、それでも俺を真正面から見つめて
そんなことを言うものだから、思わず視線を逸らしてしまう。
お、お前よくそんなことを平気で言えるな……。
もし俺以外の男にそんなこと言ったら、絶対勘違いされちまうぞ。
それに一夏にこんなところ見られてみろ、どんな糾弾を受けることになるか……。
と、冷や汗をダラダラ流している俺を見ながら、篠ノ之はどこかホッとしたように
表情を和らげていた。
疑問に思っていると、俺の顔を見て考えていることを理解したのか、笑みを深くして
言葉を続けた。


「いや、な。お前が少しでも元気になったみたいで、安心しただけだ」

「元気って、そりゃ点滴受けた後だからいつもより快調だけど…」

「…分からなければそれでいいさ。
 私はただ、そんなに沈み込んだお前の顔なんて見たくなかった。
 ほら、もっと笑え。男前が台無しだ。だから……。
 そんな辛そうな顔を、私に見せないでくれ」


目に涙を溜めながら、俺の顔を両手で優しく包んで、目一杯の笑顔を浮かべてみせる篠ノ之。
俺は篠ノ之が何を言っているのか分からなかったが、彼女に釣られて、微笑んで見せた。
篠ノ之はまだ俺の顔をじっと見つめていたけど、ふいに手を離すと置いてあった荷物を持つ。
そして俺の傍に寄ってきて小さく呟いた。


「いいさ、そんな顔をさせないために傍に居ると決めたのだから……」


彼女の言葉の意味は結局その時は分からなかったけど、俺はふっと体が軽くなったような
錯覚を受けた。
それは篠ノ之の優しさのお蔭なのだろうか。多分、そうなのだろう。
だってさっきまで心の中に充満していたヘドロのような瘴気が、薄まったように感じたから。

そうさ、こんなに優しい篠ノ之が、俺の心配をしてくれている。
それだけで、こんなに心が満たされるんだ。
十分じゃないか、何を悲しむ必要があるんだ。
怪我のことなんてただのあぶくと同じだ。
ただ、それだけのことなんだ。






























どこまでも続く無明の闇を、人が人を殺す為に放った業火が照らし出す。
いつまでも止まない絶望をとみに含んだ叫びが木霊する瓦礫の山に腰掛けて、
俺はただただ、前だけを見つめている。

目の前には小さな花畑、そこで楽しそうにはしゃぎ回る俺の妹と、それを優しく見守る両親。
心がぽかぽかと温かくなるその光景は、突如天空から降りそそいだ一筋の光が消し飛ばした。
後に残ったクレーターの周りに、三つの肉塊が無残に打ち捨てられている。
それを俺は、瓦礫の山に腰掛けて、見つめていた。

そこから立ち昇る黒煙の中から、ザフトの赤服を纏った青年が歩いてくる。
オレンジ色の髪が特徴の彼は気さくに笑いながら俺の肩をポンポンと叩いて、そのあと
真剣な眼差しで俺を見つめていた。
と、その彼の胸元に唐突に大穴が開く。
彼は俺を見つめながらニヒルに笑いかけ、爆炎の中に消えていった。
それを俺は、瓦礫の上に腰掛けて、見つめていた。

と、ふいに一切の炎が消え去り、虚空の中から誰かが歩いてくる。
一人は肩までかかる黒髪をなびかせ、その鋭く冷たく、なのに熱く滾る双眸で俺を射抜く。
一人は円熟した美貌と肢体を兼ね備えた美熟女。少々厳しい目つきをしているが
その瞳は慈愛に溢れていた。
一人はその淡い水色の瞳を俺に向け、ふっと柔らかく微笑む。そのつややかな髪と相まって、
まさに高貴な貴族を思わせる佇まい。
でも俺にとっては、大切な友人。唯一無二の親友だ。
彼らは互いに寄り添いあい、幸せそうに笑っている。
まるで本物の家族のように、笑っている。
そんな彼らの頭上から突如巨大な岩が落ちてくる。
彼らは笑みを湛えたままそれに潰され、地面に赤い花が咲いた。
それを俺は、瓦礫の上に腰掛けて、見つめていた。

ふと目を開けると、俺は水の中にいた。
どこまでも深く落ちていく蒼と黒のたなびく底から、うっすらと人影が浮かび上がっていく。
フワッとゆらめく金髪、眠たげに伏せられた瞳、その無邪気な笑顔。
彼女は俺の前までやってくると、嬉しそうに微笑んで、その小さな口を動かした。


『シン………好き……………』


直後彼女は背後から襲いきた炎に取り込まれ、次に目を開けた時にはどこにもいなかった。
それを俺は、瓦礫の上に腰掛けて、見つめていた。

また俺の周りを無明の絶望が覆い、辺りが炎に包まれる。
それを俺は、瓦礫の上に腰掛けて、見つめていた。
するとその炎の中から見慣れた顔がやってくる。
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるその男に向かって、俺は今日初めて視線を動かし見つめる。
そんな俺を、奴は愉快そうに見つめていた。


『よお、ご主人サマ。俺様のさらなる力のためにシコシコとご苦労なこった。ヒヒヒヒ………』

「……何の用だ。お前の目論見どおり、悪夢を見てやってるんだ。
 用事がないのならさっさと去ね。鬱陶しい」

『おいおいつれねぇなぁご主人サマよぉ。俺様のためにしっかりお勤めしてくれてる
 アンタに、今日はご褒美をくれてやろうと思ってきたのによぉ』


ご褒美だと? 俺に散々悪夢を見せておいて、何がご褒美だ。
もし現実に奴が存在していたら散々に痛めつけてやるところだが、奴は
俺のISに取り憑いた意思のようなもの。
奴をどうにかしたいと切実に願うが、もしそれでヴェスティージが使えなくなったら
笑えないどころではすまない。
ヴェスティージは俺が戦うための力だ。
戦うための力を奪われるなど、今の状態では想像もしたくない。
だからこそ俺は必死に歯を食いしばって毎晩襲い来る悪夢に耐えているんだ。
いつか元の世界に帰る事ができる、それだけを信じて。


『元の世界に戻る、ねぇ…。ご主人サマよぉ、それ本当にできるとでも思ってんのかぁ?』

「………あ? どういうことだよ」

『どういうこともなにも、そのまんまの意味だよ。
 俺様が知らないとでも思ってんのか?
 空いた時間に図書館に通い詰めては異世界だの何だののファンシーな
 ジャンルの本を読み漁ったり、インターネッツでサーフィンしたりしてよぉ。
 果てはタイムマシンの研究してる妖しげな部活に顔出したりしてよぉ。
 結局大した成果もないままそこの女どもとティータイムする羽目になって
 苦笑いしてたじゃねぇか。
 あの時は腹の中で笑い転げてたぜ、ヒヒヒヒヒ………』


痛い所を突かれて押し黙る。
それは、確かに今まで何も手をこまねいていたわけじゃない。
俺に出来る方法は全て使って元の世界に帰る方法を調べていた。
でもそんなもの、見つけることはできなかった。
見当も付かなかった。
でも、それも当然なのかもしれない。
こんな荒唐無稽なこと、戦士畑の俺の頭で分かるわけがないのだから。


『そんなこと考えててもまだ元の世界に帰ることは諦めてねぇみたいだな。
 しかしな、俺様にはテメェの悩みや葛藤も手に取るように分かるのさ。
 「どうすれば元の世界に戻れるんだ」
 「どれだけ戦い続ければ先が見えるんだ」
 テメェはその悩みをさして重視していないようだがな、その実結構なストレスに
 なってテメェに圧し掛かってんだぜ?
 テメェから力をもらっている、俺様が証拠であり証人だ』

「………黙れ」

『まるで雲を掴むような話だ。しかしテメェはそれに縋りつくしかねぇ。
 テメェには命を賭してでも叶えなくてはいけない願いがあるから。
 ……馬鹿みたいな話だよなぁご主人サマよぉ!
 テメェの頭の上のハエすら追えねぇ野郎に、どうして他人の願いが
 叶えられるっつうんだよなぁ!?
 ホントおかしな話だよなぁご主人サマよぉヒィーーーヒヒヒヒヒィ!!!』

「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


弾かれたように飛び出して奴に向かって拳を振るう。
しかし俺の拳は空しく宙を貫き、その直後背後から陰鬱な笑い声が聞こえてくる……二つ。
………二つ?
全身が総毛立ち、嫌な汗が滲み出てくる。
聞こえてくる笑い声は、二つ。
一つは聞き馴染んだ奴のジトリとした笑い声。
そしてもう一つは…これまたつい最近聞いたことのある、ネットリとした陰鬱な声。
男のものとは違う、一オクターブほど高い、女の声。
俺は跳ね上がる心臓を抑えつつ、ゆっくりと振り向いた。
そこにいたのは爛々と赤い目を光らせる二人の悪魔。
一人はボサボサの黒髪を掻きむしりながら。
一人は豊かな銀髪をなびかせながら。


「なん……なん、で……。何でお前が、『ここ』にいるんだよ……」

『別に? 私がどこに居ようがさしておかしくはないだろう?
 私は現実には存在しない人格、人間なんだ。
 ならば他人の「夢」の中にいたって、別に構わないだろう?
 単純に寄生する宿主が、変わっただけの話しだ』

『すげぇ良い女だろ? この前の戦い、テメェがコイツをやったあと、
 その情報を含んだコアの粒子がまだ空中を漂ってたから俺様がサルベージ
 してやったんだ。それをシコシコと再構成してやった結果が、この
 俺様の愛人第一号ってわけだ。
 おら、自己紹介してやんな』

『ああ旦那様。私の名はトゥーリ。旦那様が私につけてくれた名だ。
 改めて、これからよろしくな、新しい宿主様?』
 

一歩、また一歩と後ずさる。
悪い冗談だ、酷い夢だ。
こんなものが、現実なものか。


『現実なんだよご主人サマよぉ。あ、ここはテメェの「夢」の中だから現実じゃねぇのか?
 まぁどっちでもいいや。それよりご主人サマよぉ。
 さっきの言葉通り、テメェには良いもん見せてやるよ。
 ほら、目を開いて、存分に見ていてくれや……ヒヒヒヒヒ……』


ふと俺は体に違和感を感じる。
ハッとして視線を落とすと、自分がいつの間にか木製の椅子に縛り付けられ、
身動きが取れない状態になっていることに気付いた。
どうして、こんな気付かないうちに……!?

と、ふと目の前からパンパンという何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
それとともに流れてくる甘く鼻にかかった女の喘ぐ声。
震えながら視線を上げると、そこで男と女の情事が繰り広げられていた。
奴の剛直が一突きするごとに飛び散る汗と体液。
髪を振り乱しながらだらしのない顔を俺に向けるトゥーリ。
俺はガチガチと歯を鳴らしながら、呻いた。


「や、やめろ………………」

『どうしてっだよ、ご主人サマよぉ! せっかく俺様とイーリの濃厚種付け交尾を
 見せつけてやってるってのによぉ!
 オラッオラッ!! テメェこの世界に来てから全く抜いてなかっただろがっ!
 いつも俺様と悪夢とに追い詰められて気を抜く暇もなかったからなぁ!
 だからこうして俺様が…ぐっ!? トゥーリ、テメェ中々やるじゃねぇか……。
 負けねぇぞ………オラァ!!!!!
 こうして夢の中で抜かせてやろうとしてんじゃねぇか!
 おら、もっと見ろよ!! テメェの見知った顔の女がテメェ自身にコマされて
 よがってる姿をよぉ!!!』

「やめて、くれ………」

『うぁっ!? うぐぅぅぅぅぅぅ!! 
 はぁっ、はぁっ!!
 宿主様見ていてくれ! 私が旦那様に貫かれて、女にされるところを!
 おうっ!? おうっ、オグゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!???』


こんなこと、嘘だ。
現実じゃない、冗談じゃない。
今すぐ消えろ、消えてくれ、消えてくれよ。
やめろ、やめて、やめろやめろやめろやめろやめろ。
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ






「もう、止めてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!?????」





          ・





          ・





          ・





          ・





「アスカっ!? 大丈夫かアスカっ!!?」

「シンっ! シンっ!!? 起きてよ、ねえってばぁ!!?」

「旦那様っ! 頼むから私の声に応えてくれ! 旦那様ぁ!?」


…………………………。
目の前に映るのは、血相を変えて俺の顔を覗き込んでいる篠ノ之とシャルロット。
そして、ボーデヴィッヒ。
一瞬硬直するけど、その赤い瞳は優しい光を湛えていて、ホッと息をつく。
ここは……? ゆっくり顔を動かすと、見慣れた自室が視界に入る。
…ああ、目が覚めたのか。
俺はゆっくりと体を起こそうとして、全身から力が抜けていることに気付く。
三人に体を起こしてもらって、ぐったりとうなだれた。

ここで一つ解説だ。
シャルロットが女だと皆に明かされた後、当然俺とシャルロットの同室は解除された。
後から聞いた話だとシャルロットが皆の間では半ば女だとバレていたらしい。
篠ノ之に至っては初対面から僅か三日ほどで薄々感づいていたとか。
女の勘は恐ろしいと、戦々恐々としたものだ。
そして薄々感づいていた皆からすれば、俺とシャルロットの同室は旨くなかったらしい。
それだけは不満が出ていたとかなんとか。
そんなこと言ったら一夏だって篠ノ之と同室だったんだけど。
そしてシャルロットが正式に女として学園に転入したのを機に部屋替えが行われた。
その結果シャルロットと篠ノ之が同室。
ボーデヴィッヒと布仏さんが同室。
そして俺は一夏と……と思いきや。
俺と一夏はそれぞれが一人で二人部屋を使うということになった。
この謎采配は織斑先生の指示であり、何の意図があるのかは不明だ。

俺はようやく篠ノ之達に負担をかける心配がなくなったと喜んだんだけど。
それからも篠ノ之やシャルロット、果てはボーデヴィッヒまでもが夜、俺の部屋に
来るようになった。
まあ、ボーデヴィッヒは最初夜這い目的だったらしいけど。
俺が毎晩うなされると知ってからは、軍隊で培った応急処置技術で、俺の看病に
力を尽くしてくれている。
俺からすれば、心苦しい限りなんだけど。

と、皆が俺の顔を不安そうに覗き込んでいる。
俺は一息つけると、精一杯に笑んでみせる。
そんな悲しそうな顔、しないでくれ。
俺なんかの……こんな俺なんかのために。


「おいおい三人とも、どうしたんだよ。そんな暗い顔してさ。
 俺ならもう目も覚めたし、しばらくは大丈夫だよ。
 だから……そんな顔するなって。ほらっ、スマイルスマイル」

「何言ってるのだ旦那様! あんなうなされ方、今まで見たことないぞ!?
 日の浅い私でも分かる、今日のうなされ方が異常だと!
 一体……一体何があったというんだ……。
 心配だ、胸が張り裂けそうだよ、旦那様………」

「シン……一体どうしたのさ?
 今にも死にそうな顔、してるよ……? 
 何で、こんな……。寝る前はいつもと変わらなかったのに……」

「…………アスカ、お願いだから話してくれ……………。
 一体、お前が見ている悪夢は何なのだ…?
 日に日にうなされ方が酷くなっていくが、今のは明らかに常軌を逸していた…。
 それは常日頃のことだが、今日のは何か違った…。
 もう、心配で、どうにかなりそうだ…。
 だから、アスカ……頼むから…………………」


三人が三人とも目に涙を溜めながら詰め寄ってくる。
切羽詰ったような、縋るような顔をしながら。
でも、もちろん内容なんて言えるはずもなく、俺は指で彼女らの涙をなるだけ優しく
ふき取ってやると、精一杯努めて明るく振舞う。
少しでも皆に笑顔でいてほしくて、俺自身、さっきの夢を少しでも忘れたくて。


「別にいつもの夢となんら変わりないし、口に出すような大層なもんでもないよ。
 ただちょっといつもより疲れてたからオーバーアクションになっただけだと思うぜ?
 あ、篠ノ之ミネラルウォーターくれるか?
 ……ふぅー、旨いな。寝起きの一口がこの上なく美味だよな。
 …お、濡れ布巾か。サンキュー、シャルロット。
 もう汗だくだくで気持ち悪くてな……………ひっ!!!???」

「えっ!? ど、どうしたのシン!? …手に、何かついてるの?」


な、何かついてるって、見えないのか!?
手に、俺の手に血が……。血がべったりと………あれ!?


「何も、ついてないように見えるが……。
 …もしかしてアスカ、寝起きだからその黒ずんだ手を見て驚いた、とか?
 それは、無理もないことだと思うけど…」


ち、違う! 今更そんなことで驚きはしない!
でも、何で………!?
確かに今、俺の右手……血で真っ赤に染まっていたのに……!?
瞬きした後には、それが跡形もなく消えているなんて……!?
と、混乱している俺のその手を、そっと優しい温もりが抱きかかえてくれる。
顔を上げると篠ノ之が両手で俺の右手を包んで、そして俺を見つめていた。
まるで何かに耐えるように、俺を勇気付けるかのように、強い笑みを湛えて。


「…もう、いい。話さなくていいから…手がどうしたのか分からないけど、
 今は言わなくていいから………。
 ……なるべく、私たちが支えるから。だから、せめて…………。
 そんな作り笑いだけは、やめてくれ…。
 私たちのことを考えてくれてるのは分かるけど、見てるほうが辛いから……」


まるで心が解きほぐされるようなその言葉を受けて、俺は笑みを作るのを止める。
ふっと体から力が抜けて、ぐったりとうなだれた。
三人はそんな俺に何も言わず、ただ黙って寄り添ってくれた。
……ああ、そうだな。意味は分からないが、とても安心した。
せっかく皆がこう言ってくれてるんだ。
せめてこの三人の前では、作り笑いは止めてみるか。

……何だろう、安心しきったら、酷く疲れた。
篠ノ之達の優しさに、思わず全てをさらけ出したくなる。
…言ってしまおうか、俺が抱えている悩みの全てを。
俺自身の問題だけど、せっかくこんなに優しいことを言ってくれてるんだし…。
この三人にだけは洗いざらいぶちまけて、楽になってもいいのかも…。
そうだよ、皆だってきっと、受け入れてくれるはずだよ。
きっと……きっと………。

俺は何かに取り憑かれたようにフラフラと顔を上げる。
そこで、俺の中の時が、一瞬で凍結した。


「ひっ………ひゃああああああ!!!!!?????」

「えっ!!? 旦那様、どうしたのだ旦那様!!??」

「シンっ!? どうしたのさシンっ!? ほ、箒!」

「私にも分からないっ! アスカ、何をそんなに怯えてるんだ!?
 おい、アスカ!? アスカっ!!??」


皆が何か叫んでいるようだが、耳に全く入ってこなかった。
俺の意識は、視線の先に佇む一人の男に注がれていた。
見慣れたザフトの赤服を纏った、白金の髪を汚く乱した、血まみれの男。
彼は何も言わなかったけど、ただ恨めしそうな目で、俺を見つめていた。
と、次の瞬間には彼は跡形もなく霧散して消えていった。
あまりの出来事に茫然自失になってしまう。


「レ、イ………? そんな、どうして……………っ!!??
 あ、ああぁぁぁぁぁぁ………うっ! うげぇぇぇぇ………!!」


視界の端に映ったあるものを見て、その日食べた全てのものを戻してしまった。
柔らかいカーペットの上に突如出現した血溜まり。
そこに無造作に転がっている三つの肉塊。
既に人の形をしていないそれらが、一斉に目だけをこちらに向けてくる。
……父さん、母さん、マユ。
と、それも次の瞬間にはまるで霞のように消えてしまった。
なんだ、何なんだこれは………!!??
篠ノ之達が涙を流しながら俺を介抱してくれているが、俺の混乱は止まらない。
と、口元を袖で拭いつつふと顔を上げると、そこに見慣れた男が立っていた。
いつも通りに、下卑た笑みを浮かべながら。


『よーぅご主人サマよ。また盛大にゲボってるねぇ、エンガチョエンガチョ。
 どうだい、楽しんでくれてるかい?俺様特製の「ご褒美」をよぉ』

「ご……褒美? それって、あの女との情事のことじゃ……」

『あーあれもだけどよぉ。本命はこっちなんだよな実は。
 俺様も順調に力を蓄えててよぉ。少しならご主人サマの体に干渉することが
 できるようになったのよ。
 ただ悪夢を見せたり話したりするだけじゃねぇ。俺様の意思で、
 テメェを乗っ取ることができるようになったってことよ。
 でだ。今テメェに見せてやってるのがテメェが「逢いたくて止まない人物」の
 情報を再生して、幻覚として見せてやってるんだ。
 ま、俺様好みにアレンジはしているけどな……ヒヒヒヒヒ……』


幻覚、だと……?
布団の上に身を乗り出して、俺の間近に血まみれの顔を見せつけている
議長が、グラディス艦長が、ハイネが……これが幻だというのか?
確かめようと手を伸ばすが、議長達に触れる寸前で、彼らは虚空に溶けて消えてしまった。


『まだまだ数秒間幻覚を見せるくらいしかできねぇがな。
 しかし俺の任意でそれを見せることが可能になった。
 これからは四六時中、いつでも「大切な人たち」に逢えるぜご主人サマよぉ…
 ヒィーーーーーーーーヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィ!!!!!!
 ……ふう、さてとメインディッシュの登場だ。
 ほらご主人サマ、後ろ後ろ。テメェの事を熱い目で見てる女がいるぜぇ。
 よっ、この色男っ☆』


何が何だか分からなくなって、その言葉に従って後ろを振り向く。
そして、『彼女』と目が合って………。
笑いが、こみ上げてきた。


「か……かかか………。カハハハハハハ………………。
 ……ああ、そうか。そうだよなぁ……………」

「あ………アス、カ………?」


血で濡れた金髪の間から覗く眠たげな双眸が、冷たく俺を睨めつける。
分かってたんだ、本来なら彼女はこういう顔を俺に向けるべきだって。
あんな温かい笑みを向けるなんて、本来なら有り得ないんだ。
俺は彼女を、守れなかったんだから。
だから、きっとこれが、この表情が、彼女がするべき本当の表情なのだと、
どこかで納得してしまい。
でも彼女に対する愛おしさは変わらず手を伸ばすけど、やっぱり届く前に消えてしまって。
何故か、ただただ、悲しかった。
そして、現実で彼女に再び逢えたことが、嬉しかった。


「シ…………ン……………」

「旦那、様……。どうして……………そんな…………」

「何でそんなに、悲しそうなんだ……。何で、なの……アスカ………」


悲しそう? 何言ってるんだ三人とも?
俺は今天にも昇るくらいに嬉しいのに、お前らの方が悲しそうじゃないか。
ほら、俺の顔をよく見てみろよ。
いなくなってしまったと思っていた皆に囲まれて、俺は今、最高に幸せなんだから。



シアワセなんだからさ。































七月に入り、ついに皆が待ちに待った臨海学校の日がやってきた。
俺達はそれぞれが用意されたバスに乗り込み、目的地に向かうことになる。
まあ俺は暑いし、体調の関係で泳げないしでさして楽しみにもしていなかったけど。
皆が嬉しそうにしているから、俺も嬉しかったりする。
と、遠巻きに皆を見ていた俺の傍に、篠ノ之とシャルロットがやってくる。
ボーデヴィッヒも、駆け足でこちらにやってきた。


「こんなところで一人でいないで、一緒に行くぞアスカ。
 ちなみにバスの席は公平なくじ引きの結果、私が隣になったからな。
 車酔いとかしても、すぐに対処してあげられるからな」

「くぅ……でも悔しくないよ!
 僕とラウラは一つ前の席で、椅子を回転させれば向かい合って座れるんだしね!
 さすがはIS学園の用意したバスだよ。配慮が行き届いてるというか。
 何にせよ、そんな得意げな顔したって無駄だよ箒っ」

「まったく、五月蝿いな二人とも。
 ほら、旦那様。二人は放っておいて私と行こう。
 ふふ……こうしているとまるで新婚旅行にでも行くみたいだな。
 ね、旦那様?」

「「 それは単なる妄想 」」


三人とも相変わらず平常運転だな。
俺の傍より一夏の傍の方が楽しいだろうに。
まあ、そのお蔭で俺は色々と救われてるわけだけど。

と、三人と一緒にバスに向かうと、途中で見知った顔がこちらを見ていた。
またそんな陰気な面してさ、まあ俺に向けるにはその表情が妥当なのだけど。
俺は溜息一つ、彼に向かって声をかけた。


「よっ、おはよう」


彼は………レイは一瞬血走った目を俺に向けたかと思うと姿を消してしまった。
………まあ、いいさ。どうせまたすぐに出てきてくれるだろうし。
俺達の絆はまだ途切れていない、それでいいさ。

ふと服の端を引っ張られて視線を向ける。
篠ノ之たちが顔を歪めて、俺を見つめていた。
だからそんな顔するなって、全く大丈夫なんだから。
彼女らを安心させるように頭を撫でると、ようやくバスに乗り込む。

臨海学校か、どうなるかな。
泳げはしないけど、まあ精一杯楽しませてもらうとしよう。




………ステラたちは何回出てきてくれるかな。
楽しみだなぁ。



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