「ねぇ一夏、またあの女のお見舞いに行くの?」

「鈴……? 当たり前だろ、千冬姉からの頼みなんだし。 
 それにナターシャのこと、知ってるだろ?
 これだって記憶回復のリハビリなんだよ」


それは…分かってるけど。
先の銀の福音の暴走、今千冬さんを筆頭にIS学園がその原因究明に乗り出している。
分かったことはIS『銀の福音』は外部からのハッキングによって暴走したということ。
それがいつ為されたかについては不明、だけど……。
未だ謎が多く核たるコアの製造法すら明らかになっていない兵器をハッキングして
暴走させるなど、どの国にだってできることじゃない。
可能性はたった一つ、ISを作った、製作者のみ…。
一般生徒には知らされてない、あの作戦に関わった私たちにだけ、千冬さんが
こっそり教えてくれた。

だからそれについて搭乗者ナターシャ・ファイルスに非はない。
むしろISの暴走によって強制的に意識を封じられたせいで記憶障害を患うことに
なったのだから、一番の被害者と言ってもいいだろう。
そりゃ私も福音に散々痛めつけられたし一夏たちも怪我する羽目になったんだから
心中は穏やかじゃないけど、そんな人のことを責められるわけないじゃん。
だからそれはいいの。いいんだけど……。
何でアンタが毎日彼女の見舞いに行くことになるのよ!
それだったら私だって一緒に……!


「ナターシャが俺以外の人間を怖がるんだから仕方ないだろ。
 今彼女になるべく刺激を与えず接することができるのは俺だけなんだから。
 何だよ鈴、お前俺がナターシャの見舞いに行くのに反対なのかよ。
 駄目だぜ病人にそんなこと言ったら」

「そんな事言うつもりはないわよ。
 ただ……強制されてる割にはやけに嬉しそうだったからつい、ね。
 さっきだって道すがら鼻歌歌ってたでしょ。
 端から見ても気持ち悪いくらいの浮かれっぷりだったわよ」


ジトっと横目で睨む私の視線を躱しながら、「そ、そんな事ないぞ!?」等の
白々しい台詞をまくし立てる一夏。
赤面しながら狼狽する一夏の姿にズキズキ心が痛む。
いつも女の子に囲まれながらも落ち着いた物腰を失わなかった一夏が、
こんなに初心な反応するなんて……。
私にだって、こんな反応してくれたことないのに……。


「それに持ってるその包み……ケーキでしょ?
 早起きして調理室で作ってるの…知ってるんだから」

「うっ……!? こ、これはだな、ナターシャがずっと病院食ばかりで
 甘いものが食べたいってねだるから仕方なくだな…。
 もちろん主治医の先生にも許可は貰ってるし、窮屈な入院生活の中での
 ストレス発散の為にしょうがないというか……」

「……ていうかさ、アンタいつから彼女のこと「ナターシャ」って
 呼び捨てするようになったのよ。
 ほんの数日前まで「さん」付けだったくせにさ」


いよいよ返答に詰まったらしい一夏は曖昧に言葉を濁しつつ、逃げるように
医療施設の方へ去っていった。
私は……追わなかった。


「……何やってんだろ私。今の…どう見ても嫌味な女じゃない」


分かってる。今自分がどれだけ陰鬱に言葉を投げかけていたのか。
まるで重箱の隅をつつくようにネチネチネチネチ…いつもの私には考えられない。
でも、分かっていても止められなかった。
この心の底に溜まったコールタールのような暗い嫉妬が言葉になって、
自制も聞かずに、口をついて出た。


「………でも…………」


それでも、我慢できなかった。
ずっと想い続けていたのに、何で私よりそんなポッと出の女にデレデレするのよ。
千冬さんに頼まれたから? 仕方なく?
ナターシャ・ファイルス……彼女が絶世の美女だから?
…嘘だよね、一夏。私分かるんだよ、そういうの。
女だからね、そういうの勘で察知しちゃうんだよ。
好きな男のことだから、余計にね。


「……ううん、何馬鹿な事考えてるのよ凰 鈴音。
 あんた、そんなねちっこい事考えるような女じゃないでしょ!」


自分自身に言い聞かせるように、人目も憚らず大声を張り上げる。
その場にいた数人の生徒が奇異の目で私を見ているけど、気にしない! 
くよくよだってしない!
一夏ってばいつだってこっちの気持ちには気づきもしないで振り回してくれちゃって、
少しぐらい困らせたってバチなんて当たらないわよ、ふんっ!
……とは言ったものの……。


「……明日の予定、ぽっかり空いちゃったな」


明日は夏休み前の最後の土曜日。
午前中授業だけで午後からは完全フリータイム。
来たるサマーバケーションに向けてショッピングに、あるいはこの間に
他の生徒に差をつけようと訓練にと各々の目的の為に躍起になる。
私の場合は、恋する男の子との甘いデート……、よしんば街に繰り出して
少しでもライバルに差をつけられたらと思っていたけど…完全に失敗だったな。
こんな事ならティナの有名スイーツ店食べ歩きについて行けばよかった。
もう食べ放題予約も入れちゃったらしいし、飛び入りは難しいよね…。


「……もーーー! 何でこんなに上手くいかないのよぉーーーー!」


途方に暮れて、またも声を響かせる。
この学園に来た当初は一夏に想いを伝えるチャンスだと、また逢えて
嬉しいと、バラバラになった絆が戻ったと舞い踊っていたのに。
その想い人との距離は「幼馴染」から一向に進まない。
さらにいつの間にか恋を競っていた箒も、セシリアも、もう一人の男性操縦者
シンに入れ込んでたし。
強力なライバルの予感がしていたシャルロットとラウラもシンの虜になってた。

私は一人、置いてきぼり。
ライバルは減ったはずなのに、一夏とも最近距離を感じる始末。
……置いてきぼりっていうより、のけ者っていう感じ?
そう気づいてしまった瞬間体中から力が抜けて、がっくり肩を落としながら
とぼとぼ来た道を引き返したのだった。































俺は、いつも闇の中にいた。
絶え間なく襲いくる悪夢、過去に感じた絶望をリアルに感じ、
燃え盛るオーブを彷徨い歩いた時の熱気で肌が焼ける傷みを肌で感じ、
心の軋む音に耐え切れず跳ね起きては寝ての繰り返しで。
そのせいで周りにも、箒たちにも多大な迷惑をかけて。
…本当、どうしようもなくて。

でも、今は違う。
もう昔の俺じゃない。昔って言っても一か月前程度だけど。
だってそんな煩わしくて重いものは、ここにはもうない。
心の中にずっとわだかまっていた暗い感情は、重荷は、すっかり消えてしまった。

何もない、ここには。
俺の心を騒がせるものは、何も。
何も……何も………ないはず、だよな?
だって奴の存在は、もうない。
あの実体を持った絶望は、慟哭は、虚無は、いなくなったはずじゃないか。
感じないのだから。話しかけられないのだから。そうに決まっている。

暗いものは…怖いものは…重いものは…なくなったはず。
ならば、その逆……暖かいものは……明るいものは?
………………………ない。
どこにも、ない。四方八方、天地左右見回しても、どこにも。

白い。白、白。白白白白白白。
どこまでいっても雪景色。
……………あれ? 
おかしいな、一切の汚れのない積雪のはずなのに……汚れが。
………赤い。赤いな。
赤い…赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い
赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い
赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い紅い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い
紅い赤い赤い赤い赤い赤い紅い赤い赤い赤い赤い赤い紅い赤い赤い赤い赤い
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤




「忘れるの……………………………………?」



















「お兄ちゃん……忘れるの? なかったことにするの? 重荷だったって、私を……………」







           ・

 



           ・




           ・





           ・





           ・





「うわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!?????」



はぁ……はぁ…………はぁ………………。
くっ………かはぁ…………何だ……。
何だ、今のは…………ぐっ…………!


「くそ……ちくしょう!! そんなはずないだろ!! 俺は……俺はぁ!!!」


頭痛が収まらない。
ハンマーで殴られたような鈍痛に突き動かされるように、枕元に置いてあった携帯電話を
手に取り、喚き散らす。
違う、違うっ! 忘れてなどいない! 逃げてなどいない!!
今までのあれは、うなされていたのは、ヴェスティージのせいでっ!!
奴が出てこなくなって、過剰な悪夢を見なくなっただけだ!
くそ……くそっ!!


「はぁ……はぁ…………? ……ああ、もう、朝か………」


気付けばカーテンの隙間から眩いばかりの光が差し込んでいる。
時計を見る、もうすぐ午前六時を回るところ。
医療施設のベッドの上じゃない。寮の、自分にあてがわれた部屋での久々の目覚め。
やっとのことで退院し、悪夢からも遠ざかっていたのに何で今頃……。


「…チッ、大丈夫ちゃんと六時間以上睡眠は取れたんだ。
 もう、前とは違う。俺は誰にも迷惑はかけない。
 ……そろそろ箒たちが来る時間か。用意、しなくちゃな」


しっかり睡眠はとったはず、なのに。何だこの気だるさは?
よ………っと。ふう、やっぱり自分の力で起き上がれるって素晴らしいことだな。
この世界に来て自分がコーディネイターだったことに一番感謝したのは、力以上に通常を
超えた自然回復力の高さかもしれない。
あれだけの怪我、普通なら一か月やそこらで治るものじゃないから。

…実はそれ以前に俺は父さんたちがこんな紅い目にコーディネイトしてくれたお蔭で殺人鬼のように
見られることも多々あったから、コーディネイターであること自体に少なからず不満も
持っていたんだ。だけど……結果オーライ。
草葉の陰から見守ってくれているはずの父さん母さんありがとう。
二人のお蔭で俺はあの怪我にも関わらず元気に今日を生きています。

さっさと着替えを……と、その前にまず歯磨きを……。
ったく……今までずっと箒たちに身の回りのことを世話してもらってたからな。
…いつか言われたけどちょっと甘え過ぎだったよな、実際。
もう箒たちに夜看病してもらうことはなくなったんだし、ちゃんと一人でできるように
なっておかないと。
……発想が駄目男のような気がする。気にしないでおこう。

え〜っと、歯ブラシ歯ブラシ、それに歯磨き粉をつけて………あ。
危なっ、この赤いやつ箒のじゃないか!
回収し忘れた私物か、もう少しで間接キスするところだった。
後で返しておかないと。
あ、これだこれだ。これにいちご味のお気に入り歯磨き粉を……。



ツルッ  カラ――――ン



…手から、歯ブラシが滑り落ちた。
いや、滑り落ちたというよりも………。


「…本当、ままならないものだよな。実際」


……大丈夫、俺の傷はもうすっかり癒えたんだ。何も問題はない。
この手の震えだって、すぐ治まるさ。
…止まれよ、ちくしょう……。































「アスカくん! もう大丈夫なの!? かなりの重傷だって聞いてたけど…」

「ああ、もうすっかり治ったし、食欲も結構戻ってきたんだぜ。
 全く問題ないよ」

「そういえばどことなく血色も良いよね。
 良かった……すっごく心配してたんだからね!」


まだSHRまで二十分以上あるにも関わらず、教室には女子たちの歓声が響く。
教室にできた人だかり、その真ん中には照れくさそうながらも嬉しそうに微笑むシンの姿が。
まあ仕方がない、あの臨海学校以来ベッドの上に逆戻り、ずっと学園に顔を出せて
いなかったシンがようやく登校を許可されたのだから。
銀の福音との戦闘に参加しなかった皆はシンが重傷を負って入院したとしか
聞かされていなかったのだから、この感激も頷けるというものだ。
…あれからもうそんなに経つのか、本当にシンの看病をしていると時間が
怒涛の如く過ぎていく。

あの事件から随分経ち、あと一週間でIS学園も遅めの夏休みに突入する。
先の戦闘で負傷したシャルも、そして一番の重傷だったシンもこうして復帰した
ことだし、ようやく1年1組の生徒が勢ぞろいしたわけだ。

…昨日ようやく医療施設を退院したシン。
約一か月ぶりの教室、クラスメート。自然と声も弾む。
彼の体調は以前の最悪の状態に比べれば目覚ましい程に回復し、
食欲も戻り体力も徐々に戻ってきている。
私の一番の心配はシンの体力の問題だったのだけど、夜にうなされることが
ほとんどなくなった為か、杞憂に終わった。

……あれだけ眠れなくなるほど、幻覚が見えるまで追いつめられるほどに
酷かった悪夢を見なくなったのか、それは分からない。
ただシンは私のお蔭で悪夢を見なくなったと言っていた。
…シンがただリップサービスで言ったわけでないのは分かってる。
私のIS『良妻賢母』、その唯一仕様の特殊能力『比翼連理の絆』…シンが
悪夢を見なくなったのはそれを使用したためだろう。
あの事件が起きて学園に戻ったあと、突如現れた姉さんが教えてくれたから。
 


― んっふっふ〜流石は私の見込んだ箒ちゃんだね!
  あそこまで『汚染』されたあっくんを助けちゃうなんて!
  まあそれもウルトラスペシャルマイティストロングスーパー研究者
  束さんの創造した『比翼連理の絆』があってのことなんだけどね! ―

― …やはりあの能力は姉さんが故意に仕込んだものだったのですね。
  でも…ありがとうございました。
  あの力がなければアス……シンを助けることは叶いませんでした ―

― ふふふ、箒ちゃんにそう言われるのは何か新鮮でいいね!
  本来ISがその取得した経験値に応じて自己進化する際発現する能力
  『唯一仕様の特殊能力』…。しかしこの束さんにかかれば
  自分のプログラムしたデータを経験値としてISに取り込ませることで
  狙った能力を発現させることが可能なのさ! もちろん全部はめんどいので
  やらないけどね〜。
  …でも、本当にお手柄だったよ箒ちゃん。
  お蔭で、あっくんは自分を取り戻すことができた ―

― それなんだが…姉さん。シンは何故突如あんな凶暴に変貌したんだろう。
  いつものシンとは違う…そう、まるで別人だった。
  あれは一体………? ―

  

……結局姉さんははぐらかして答えてくれなかったな。
まあ、姉さんの秘密主義は今に始まった事じゃない。肝心要な事は教えてくれないのは昔からだ。
それより姉さんが立ち去り際に言ったあの言葉……。




― 箒ちゃん。君は確かに『比翼連理の絆』の力であっくんを正気に戻した。
  でも覚えておいて。
  『比翼連理の絆』は確かに対象の心を癒すことができる唯一の能力だけど、
  それを上回る心の闇には、抗えないこともある。
  心の傷、闇は表面的なものじゃない。もっと根深い、果てのない底なし沼のように
  延々と続いているものなのさ。
  あっくんは今は落ち着いている、でもね。
  彼の心は一筋縄ではいかないよ。たとえ『比翼連理の絆』でそれを抑え込んだとしても、
  ゆめゆめ忘れちゃ駄目。彼の闇は、傷は、隙あらば彼の全てを飲み込もうと、
  虎視眈々と狙ってるってことに。
  束さんに今言えることは、これくらいさ。
  じゃあ箒ちゃん、あっくんを、頼んだよ… ―




……分かっているさ。
私はあの時初めて、モッピーが言うには一番表層だったのかもしれないけど、
シンの心と心で触れ合った。
モッピーはあの花畑はシンの幸せの記憶だと言っていた。
あの、まるで生き物のように荒れ狂う炎に焼き尽くされたあの場所が、幸せの記憶だというのか?
そうだとしたらそれは…とても、辛いことなんだろうと思う。
あそこにいたからこそ分かる、幸せの記憶と呼ぶにはあの光景はあまりに、凄惨に過ぎていたから。

だからこそ…あれを見たからこそ。
より強く決意をするに至ったのだ。
シンの傍にいる、その決意を。
と、もうすぐ始業のベルが鳴るということでようやく教室中央に出来上がっていた密集地帯が
解除され、揉みくちゃにされたシンが髪の毛をわしゃわしゃ掻き毟りながら戻ってくる。

…………髪の毛といえば。
シンの髪の毛、血を流しすぎたせいか、全体的に色が薄まってきた。
明らかに白髪も増えたし。
…それだけ壮絶な戦いだったし、怪我だったんだ。痛々しくて見てられないのが正直な気持ちだ。
シンも色を失い始めた髪を見られるのは嫌らしく、入院中から髪を染めてくれと頼まれていたな。
授業が全て終わったらやってやらないとな。やっと本格的に学園に復帰したのだし。
ずっとそのままじゃ辛いだろう。



「よぉシン、お疲れ。予想はしてたけどやっぱり皆に捕まっちまったな。
 でもまぁ、皆嬉しそうで何よりじゃないか」

「そうですわね、一時期は本当に幽霊か何かと勘違いするくらいに
 ヘロヘロでしたものね、うふふ」

「もう、セシリア。そんないじわる言ったら駄目だよ。
 でも確かに今は前と比べたら、見違えるほどだもんね」

「しかし『前と比べたら』確かに回復したが、本調子には程遠い。
 なるべく無理はしないでくれ、旦那様」


もはやお馴染みになったメンバーが口々に明るく話しかける。
皆シンがいる日常が嬉しくて仕方ないのだろう。
初めてこの教室で自己紹介した日が懐かしい。
あの時はまさかシンが入退院を繰り返す生活を送ることになるなんて思いもしなかったから。
それに……私がシンを好きになるとも、想像もしてなかった。
私のシンに対する第一印象は、「変態」だったからな…ふふ。
……あれ? 入り口……少しだけ飛び出ている茶髪のツインテールは……。


「おい、鈴音。どうしたんだ、そんな所から窺って…。何か用なら入ってくれば…」


…えっ、逃げた!? ……早い、もういないぞ。一体どうしたんだ?


「……………………」


……一夏?


「……凰のやつどうしたってんだ? …まあ、後で聞いてみるか。
 あっと…無理なんてしてないよ。むしろ今までにないくらい調子がいいんだ。
 それに医療施設でも筋力が衰えないようにリハビリはしていたし……。
 今日は本当に久々に、実技の授業に出ることにもなってるし」

「…本当に分かっているのだろうなシン? 
 先生はISを皆の手本として軽く動かすだけという条件で参加を許可したのだ。
 張り切って無理するんじゃないぞ」

「わ、分かってるよ。そんなにきつめに釘刺さなくても。
 ちぇっ……………」


シンのふて腐れた顔も久しぶりに見た。
皆も懐かしかったのだろう、声を出して笑ってしまった。
……ああ、帰ってきたんだな。この日常に。
できれば、こんな普通の日常がずっと続けばいいのに。
戦いなどない、大切な人たちと笑いあえる日々が続けば…………きぱっ!!?


「ぐはっ!!?」

「ひぐっ!!?」

「きゃぷっ!!?」

「へばっ!!?」

「……爽やかな青い青春真っ盛りのティーン諸君。
 楽しそうなところ悪いが、もう始業のベルはなってしまったのだぞ。
 さっさと席につけ馬鹿者」


ち、千冬さんっ………!
くはぁ………こ、これも久々の出席簿の一撃、まるで頭蓋骨が陥没するかもという
ほどの衝撃………痛いぃ………!

い、一夏たちも喰らったのか……ってあれ!?
シャルの奴、あまりの痛さに頭を押さえてしゃがんでいる。
…ああ、そうか。そうだな。
シャルは初めてだものな、千冬さんの「出席簿の一撃(ブリュンヒルド・インパクツ)」。
…はっ! そ、そういえばシンは!?
いくら調子が良いとはいえこの一撃を貰ったら……!!


「……ぐぐぐぐっ……」


……額を押さえて唸っている。体をくの字に曲げて。
なるほど、千冬さんも流石にシンには手加減してくれたみたいだ。
でも、痛そうだな。千冬さんのデコピン。


「さあさあはしゃぐのもいいが、せめて昼までは気を引き締めていろ!
 余暇を楽しむのはそれからだ。では出席を取るぞ!!」


千冬さんの鋭い一言でクラスメートの顔が一気に引き締まる。
シンのことは気になるが、私も自分の脳細胞は惜しいから真剣に受けないとな。

………それでも気になってもう一度ついっとシンの様子を窺う。
…誰かが血色が良いって言ってたが、そんなこともないと思う。
どことなく、沈んだ顔をしていて、逆に体調が優れないようにも見受けられる。
眠れてない、ということはないはずなのだか、どうして…………っ!?


ぶるるっ。な……何だ今のは?
悪寒……しかも強烈な。 
風邪か? 夏風邪? でも体調は特に…。
それに気のせいか、すぐ傍から暗いプレッシャーを感じたような……。
…気にし過ぎだな、そんなことあるわけはない。
さあ、授業に集中せねば。
また出席簿は嫌だ。

































「よーし、では今から1組と2組の合同訓練を始める!
 全員整列しろ!」


本日最後の授業。練習試合を交えた合同訓練が始まる。
皆がそれぞれ際どいパツパツピチピチのISスーツを着て姿勢正しく整列する。
……俺や一夏のスーツも例に漏れずパツパツなので、若干居心地が悪い。
着心地ではなく居心地だ。
これを着ると女子たちが俺たちをチラチラ盗み見しやがるんだ。
主に、下半身の膨らんだ一部分について。

ったく、気が散るったらないぜ……うん?
凰の奴、何かやけに元気がないような……。
一夏の方を横目で窺って…いや、今に始まったことじゃないけど。
…落ち込んでる? あいつが? まさかな……。


「ではまず各クラスの専用機持ち同士で軽く模擬戦闘してもらおう。
 篠ノ之、凰! お前たち二人だ、前に出ろ!」

「はいっ!」

「…はい」


おっ、最初は箒と凰か……。
1組の皆は別として、やっぱり2組の女子たちはかなり驚いてるな。
そりゃ箒は代表候補性でもないし、専用機持ってるなんて普通は
考えられないもんな。
箒の話によると1組ではすぐに周知の事実になったらしいけど。
基本うちのクラスの女子たちは大らかだからな。
箒か、もしくは他の誰かがそれを漏らしたところで、すぐに受け入れてくれそうだしな。

箒の専用機『良妻賢母』。
攻撃よりもむしろ防御、とりわけ仲間を守ることに特化した機体。
戦闘では少し攻撃に走りすぎるきらいのある箒だけど、思いの外完璧に
乗りこなしているらしい。
流石はISの製作者、篠ノ之束謹製の第四世代だ。
箒が乗ることを想定して徹底的に調整されてるんだろうな。
だからといって俺はあの束が製作したISなんかに乗ってほしくはないけどな。

『良妻賢母』の待機形態は左手の薬指にはまった銀色のシンプルな指輪だ。
まるで婚約指輪のようでもあるけど、それすら束が何かを意図して作ったのか?
…考えすぎだな、きっと。

箒は目を閉じて口元まで持ってきた左手の指輪にそっと口づけする。
すると一瞬の発光の後、その体には見目鮮やかな撫子色の機体が装着されている。
その儚くも見るものを釘付けにする優しげなプレッシャーに、
その場にいる誰もが息を呑む。
…本当に、分からない女だ束ってやつは。
俺にはこんな機体をあてがったくせに。
やはり実の妹だから、奴も見た目に気を使ったのかもしれないな。

そんな箒を凰はじっと見つめ、顔の前まで右手を持ってくる。
そこに付けられた黒のブレスレットが淡く光り、収まるころには
全体を赤みがかった黒でカラーリングされた鋭角的なフォルムの機体、
『甲龍』が装着されていた。

二人は一呼吸の後に天高く加速し、急停止。
真正面から相対する形、互いに目線を反らさず相手を見据えている。
誰もがもはや言葉を発せず、始まるであろう戦いを見逃すまいと、集中。


「では、試合開始だ!!」


織斑先生の合図が響き渡ると同時、箒の右手に光の粒子が集まり、収束。
その手に細身の日本刀が握られている。
あれが近接用の武器か。…ふうん。
鍔はついてない、柄に可愛らしい紐が結えつけてある。
その刀身はほんのり桜色に発光している。

対する凰は両手にそれぞれ大型の青竜刀を展開する。
俺と戦った時に使用した『双天牙月』だ。
凰はそれを軽々と振り回す。巻き起こされた風が凰を包みこむ。
まるで凰自身が一本の竜巻にでもなったかのような錯覚。

先に仕掛けたのは箒。
刀を腰だめに構え、一気に加速。間合いを詰める。
音もなく抜き放たれた一太刀。それは凰の胴を正確に捉える。
しかし凰はスラスターを逆噴射、後方に下がりそれを落ち着いて躱す。

だが箒はふっと口元を緩める。
次の瞬間その刀身から薄桃色のエネルギー刃が発生し、足りないリーチを
余裕で補う。
ヒットする、そう思った瞬間だった。
凰は体を後ろに倒し、伸びてきた光の刀身を絶妙なタイミングで躱す。
一瞬の虚を突かれ箒は慌てて伸ばした腕を戻そうと引く。

凰はまるで獲物を狙う猛禽のように目を光らせる。
後ろに倒れる動きのまま、半回転。
スラスターを全開、箒に急迫。
箒はすぐさま抜刀、迎撃に入る。
だが刀身が完全に勢いに乗る前に左手の双天牙月で押さえこみ、
右手の双天牙月を縦横無尽に振り回す。
一瞬の攻防ののち、三太刀も攻撃を入れられた箒は吹っ飛ばされる
勢いを利用して距離を開ける。
対して凰も無理に追撃はせず、双天牙月を構え、油断なく箒を見据える。

…すごいな。箒もなかなかやるけど凰のやつ、俺と戦った時より
確実に腕を上げている。
何より箒を相手にしてあの落ち着きよう…どうしたんだ一体。


「くっ……やるな鈴音! だが私とて、むざむざやられはせんぞ!」

「分かってるわよ、あんたとその機体相手に油断なんかするわけないじゃない」


そうしてまた高速でそれぞれの武器を打ち鳴らせる二人。
箒は苛烈を極める凰の猛攻に桜の花びらみたいなものや光の膜みたいな
もので何とか防いでいたけど…。
三分ほど経った頃だろうか。いよいよ幾重もの防御の隙間をすり抜けた
凰の重い一撃が、『良妻賢母』を捉えた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


悲鳴を上げながら地面に勢いよく激突する箒。
もちろん『良妻賢母』には傷一つないが、多分シールドエネルギーは
大分削られたことだろう。
結局箒は凰に有効打を入れられないまま戦闘不能に追い込まれてしまった。
肩に双天牙月を担ぎながらゆったりと降りてくる凰。


「勝負ありね。あんたも腕を上げたみたいだけど、まだそのISを
 完全に乗りこなせていないわね。
 クリーンヒットを恐れるあまり防御に専念し過ぎたのも敗因よ」

「ぐっ………ふふっ。ああ……負けてしまった。
 ここまでの完敗だと悔しくもならないな。
 ありがとう鈴音、参考になった」

「もっと腕を上げて出直してきなさいよ。
 まっ、その時には私もさらに強くなってるけどね」


すがすがしい顔で握手する二人を讃えるように拍手が巻き起こる。
織斑先生も満足そうに二人を見つめている。
山田さんなんかその爽やかすぎる好敵手同士のやり取りに涙など流している。


「ご苦労だったな、二人とも。
 皆、よく見ていたか。
 いきなりここまでの戦いをしろとは言わんが、IS戦闘を向上させる秘訣は
 まず自分の纏っている機体の特性を理解し、乗りこなすことだ。
 凰は篠ノ之よりも自身の機体を理解し、完全にその主となることで
 最も効率の良い戦いをしたのだ。
 今日はお前たちも機体の動かし方に慣れてきたことだし、
 少々難しいかもしれんが飛行に挑戦してもらおうと思う」


女子たちから不安の声が上がる。
まあ、最初は搭乗するのでさえ四苦八苦してたんだから無理もないか。
最近は剣を振るまでは授業が進んでいたそうだけど、飛行はまた別次元だからな。


「そう怯えることもない。
 ISにはシールドバリアーがあるから怪我の心配はないし、
 基本的な操作はPICがしてくれる」


そこで一旦言葉を切ると、織斑先生は俺に向き直った。
その視線から言わんとすることを感じ取った俺は、言われる前に
ずいっと前に出る。


「ふっ……ではまずアスカに軽く手本を見せてもらうとしよう。
 アスカ、アリーナの上空をゆっくりと飛んでみろ。
 別に飛ばす必要はない」

「軽く動かすだけ、ですよね織斑先生。
 了解しましたよ」


まあ、最初は仕方ないだろう。
いくら搭乗者保護機能があるといっても、いきなり最大加速など
しようものなら筋肉痛で動けなくなる可能性もある。
無理はしないように…。

俺は首に下がっている、何故かいつの間にか真っ黒に染まった貝殻のネックレスを手に持つ。
何なんだろうな、これ。
ISの待機形態がこんな風に変化するなんて聞いたことないけど。
……ヴェスティージ、俺に様々な悪夢を見せ、俺を喰らおうとした悪魔の化身。
でもそいつは箒が…『良妻賢母』が封じ込めてくれて…理屈は分からないけど。
とにかくもう、奴の姿を見ることも、声を聞くこともない。
こいつの能力さえ使えれば、俺は文句もないんだ。
…ステラや皆にも、逢えなくなっちゃったけどさ。
いや、今は考えないでおこう。

俺はぎゅっとネックレスを握りしめて、心の中で呼びかけた。


( 来いよ…ヴェスティージ。お前の力、俺が使役させてもらう!)


………………………………………………。
………………あれ?


「…おい、アスカ。さっさとヴェスティージを展開しろ。
 時間が押してるんだ」

「えっ!? あ、ああすいません。今すぐに……」


(ヴェスティージ…来い。………ヴェスティージ!!)


何度も何度も念じる、語り掛ける、今までしていたように。
でもどれだけ強く念じても、ヴェスティージが展開することはなかった。
あまりのことに、思考がフリーズする。


「…ヴェス……ティージ……?」

「……おい、アスカ。何故ISを展開しない?
 ………………。まさか………………」


織斑先生はたったこれだけのやり取りで察したらしい。
すぐさま俺に駆け寄る。
一夏たちも、どうしたことかとざわつき始める。
でも俺はそれも気にならないほどに、動揺していた。



俺の力が………ヴェスティージが。
皆を守る為の力が……………『封印』された。



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