ある日突然、不細工が細工になった

                    プロローグ




ある昼下がり。

頬杖をつきながら、外をぼんやりと見つめる青少年がいた。

視線の先には、昼食を終えた高校生たちが一時の開放感に任せて運動に明け暮れている。


(楽しそうに遊んでるねぇ……)


なんとも、ひねりの無い感想を心の中でボソリと呟いた彼は、高倉 宗司(たかくらそうじ)。

御年16才のしがない草野(くさの)高校一年生である。

入学して、早くも三ヶ月が経つ。

そろそろ生活のパターンが決まって、高校生活にも慣れてきた頃である。

友人は出来たが、みんな体育派のようで、昼休みになると皆一斉にグラウンドに駆け出して行き、残った彼は教室でぼんやりとしているわけだ。

季節は初夏。

鬱陶しい湿気が薄れて、爽やかな陽光が気持ちのいい季節だ。

しかし、彼は暑いのは苦手であった。

ジッとしているだけで、汗が体中から滲み出て来る。

特に肥満体ではなく逆に線の細い体つきなのになぜにこんなにも汗が出てくるのだろうと、毎年のように愚痴っている。

出ないと出ないで不味いのだが、出すぎている彼にとってはただ単に忌まわしいだけ。

ハンカチが一枚では足りないので、二枚も三枚も用意している彼にとって運動は禁忌してしかるべきものなのだった。

同時に四季の中で一番嫌いなのは無論、夏である。


(はぁ〜…鬱になりそうだ……)


めまぐるしく遊びまわる級友達を羨ましそうに見ながら、ハンカチで一生懸命顔を拭っていると横から声をかけられた。


「何だ、相変わらずか宗司?」

「うるせぇよ、史彦!」


不機嫌さを隠しもせずに怒鳴られたにも関わらず、ニヤニヤと笑いながら宗司を見ている彼は、牧野 史彦(まきのふみひこ)

宗司の友人であり、中学からの腐れ縁の親友でもある。


「おいおい、何も怒鳴ることは無いだろ?」

「今、機嫌が悪いのはわかるだろ?」

「まあな、中学からそうだったしな?」

「だったら、その面白そうな物を見ているような表情を止めろ。」

「いや、だってよ……」


クク……と声を押し殺しながら笑う文彦。

その理由は宗司の、世間一般で言う「ブサイク」と呼称されるルックスにあった。

汗だらだらを除いても宗司の容姿は、美形とは程遠いものだった。

天然パーマのかかった髪の毛に、不釣合いな眉毛、太い唇。

遠くから見ても、暑っ苦しさ爆発である。

夏に視界に入れたくない人ランキングがあったとしたら、一位確定とクラスの誰もが認めるだろう。

逆に牧野は、万人に受け入れられるような容姿なのに、中学の頃から何故か寄って来てはこうして宗司に絡むのだった。


「なんで、お前は俺にかまってくるんだ……そこらの奴と外へ遊びに行けばいいだろう……」

「俺は他の奴と遊ぶより、お前とだべってる方が有意義だからな。」

「本当かよ…」


気だるさを隠そうとせずに、ボソッと呟いたセリフに本気なのか分からない返事をよこす史彦。

大体、クラスの連中から疎遠されている俺に絡む意味などないだろうに…

それに俺とだべってなきゃ、とっくに彼女の一人や二人作って青春を謳歌出来ただろう?

現に今、周りを見渡せば史彦に熱い視線を送っている娘は片手じゃ足りない。

それに俺は、視線が嫌いだった。

特に女子の視線は。

唯でさえルックスの悪さで奇異の視線に晒されることが多かったのだ。

例え視線の先が俺では無いとしても、今までの経験を思い出すと嫌でも被害妄想が頭をよぎるのだ。

男子と喋るときは何でもないが、女子と喋るときなんぞ余程仲の良い友達以外は、目を合わせることが出来ないぐらいだ。

……すごい居心地が悪い。

ため息をひとつ落とすと、椅子から立ち上がって廊下に行く。


「お〜い、どうした…トイレか?」

「もっと涼しい場所を求めて、旅をする。」

「旅って、そんな大げさなことでもないだろ…。」


そういって、追って来ようとする史彦を手で止める。

怪訝そうな表情を浮かべた史彦にもう一度ため息をつくと、周りを見るように促した。


「……?」

「お前、気づかないのか!」

「何がだ?」

「〜〜〜〜〜!」


せめて、自分に向けられている光子力ビームぐらいには気づいて貰いたい。

寧ろ気づけ。

……これは、遠回しに俺に対して嫌味を言っているのか?

そうなのか!?

今まで、女子に好意なんぞ向けられたことの無い俺に対して態度で嫌味を言っているわけかっ!?


「急に頭を掻き毟ったりして……どうした、暑さで頭がやられたか?」

「うるせぇ……何でお前はそんなにも鈍感なんだよ……」

「なにいってんだお前?」


なにいってんだときましたか、フ○ッキンフレンド?

ああ、そこらで衝動的に人を殺してしまった人もこういう気持ちだったのだろうか……

今、無性に目の前の男が憎いよ……


「とにかく、俺にかまうな……」

「友達にそれは無いんじゃないねぇか?」

「……マジで気づけないお前に、鈍感キングの称号を授けよう。それと俺の気持ちの一欠けらでもいいから察してもらいたい。」

「はぁ?」

「分からなきゃいい……とにかく、ついてくるな。」


そういい捨てると、脱兎のごとく走り去る。

後ろのほうから聞こえる黄色い声を聞きながら……







走ったお陰で、余計に汗が出た。

にしても、鈍いにも程がある。

どうしてあの視線の山に気づけないのだ文彦。

ため息をつきながらやってきた場所は、ちょうどいい感じに斜面になっている芝生。

直射日光はなかなか辛いが、風が気持ちのいい宗司にも過ごし易いお気に入りスポットだった。

教室での鬱憤を晴らすかの如く、勢い良く芝生の上に寝っ転がる。


「ふぅ……」


やはり、此処は落ち着く。

周りに人の姿は無く、此処だけゆっくりと時間が流れているようだ。

耳を澄ませば、風でなびく芝生たちの音、鳥たちの歌、すべてが生命の証。

教室内で、鬱憤の溜まるような人間関係を続けるよりこっちのほうがよっぽどいい。

しばし、自然に身を委ねながら現実を忘れようと思った。

いざ、休憩という時に少し遠くの方からサクサクという芝を踏む心地よい音が近づいてきた。


「あれ、宗司じゃない?」

「うあ……?何だ、香乃か。」


杵島 香乃(きしま かの)。

史彦と同じく中学からの知り合いで、数少ない女友達。

面と向かって話せる貴重な女の子でもある。


「珍しいね、晴れているときに外に出てくるなんて。」

「まあ……ちょっとな。」

「ふ〜ん……?」

「史彦だよ、史彦。」

「あ〜…なるほど。」


といって、クスクスと忍び笑いを漏らした。

中学からの俺たちを知っている香乃にはこれだけでも会話が成立する。

史彦関係の愚痴は、大抵、香乃に言っていたからだ。


「中学から変わらないね……二人とも。」

「はは……本当にな。」


そういって、図らずも同時に空を見上げる。

本当に変わっていなかった。

文彦のモテ具合。

それから逃げる俺。

高校生活はもう三ヶ月過ごしているが、まだまだ中学の延長のような気分が消えないでいる。


「……変わらないと言えば、どうだ?」

「……?……何が?」

「告白だよ。」

「……うん……」


少し顔を赤らめながら顔を俯かせる。

香乃には、意中の男性がいる。

最初に会ったときに相談を持ちかけられたのだった。

最初は男であり、恋愛なんぞ経験したことも無い俺に聞くのはお門違いだろうと思ったが、相手が文彦なら話は別だ。

一応、親友であるため他の奴よりは詳しい。

そう思ったのだろう。

ココで、特筆したいのは香乃が鵬山中学(ほうざん)<俺の母校だ>の中でも一、二を争う美少女であったことだ。

初めて相談を持ちかけられた時には、半ば本気で文彦を殺してやろうかと思ったが今は違う。

香乃と接している内に、その本気具合と、健気な態度が嫌でも分かったからだ。

今では、率先して応援している。

……嫉妬が無いかと言えば嘘になるが、香乃を見ているとそういった気持ちが薄れて自然と応援したくなるから不思議だ。

なにより、素直に香乃には幸せになってもらいたい。……我ながらお節介が過ぎると思うが。


「……まだ、踏ん切りがつかないか?」

「…………。」(コクリ)

「余り時間を空けるのは良くないぞ……あいつは時間が経てば経つほど、ライバルが増えていくからな。」

「そう……なんだけど……」

「まあ、急かしているわけじゃないけれど……速いに越したことは無いだろう?」

「うん……」

「それに、香乃程の可愛い子が振られるわけ無いって。」

「…………。」(ぽっ)


顔を真っ赤にして照れている。

素直な性格なため、こうしたちょっとした言葉にもすぐ反応してしまうのだろう。

多分、中学まで箱入りで育てられてきた影響なのだと思う。

香乃の実家は、少しの動きで国の傾きが決まるほどの大富豪だ。

杵島 香乃と言う少女を言葉で表すならば、文武両道、才色兼備、炊事洗濯何でも御座れのパーフェクトウーマン。

そんな令嬢がこんなド田舎のチンケな学校に通っているかは甚だ疑問ではあるが、香乃が言うにそれが両親の教育方針なのだそうだ。

そのお陰かは知らないが、綺麗な心の持ち主である。


「でも……」

「うん?」

「それでも、まだ怖いから……」

「そうか。」


香乃は特に男性恐怖症と言う訳ではない。

いざ、告白しようと考えたときにどうしても振られてしまうビジョンが頭をよぎるのだそうだ。

それで、最後の一歩を踏み出すことを恐れている。


「大丈夫だ。あいつ、何故かは知らんが、告白を受けてもみんな断ってるからまだ、チャンスは残ってる。」

「…………。」

「もしかしたら、待ってるのかもしれないな。」

「…………!」

「誰かが告白してくるのをさ……。」

「う〜……」


いじらしい表情で、唇に人差し指を当てながら考える仕草はなんとも似合う。

神様に愛されて生まれてたのであろう、その容姿はどんな仕草も似合うのだ。

つくづく、世の中って不公平だと思う。

そのとき、後ろから声がかかる。


「香乃〜!何やってんの〜!遊ばないの〜!?」

「あ……すっかり忘れてた。…ごめんなさ〜い!少し待っててくださ〜い!」

(相変わらず…か?)


香乃は、親しい者ではない人には、敬語を使って話す。

その親しい者に俺も入っているのかは分からないが、随分と砕けた口調で話しかけてくる。

少し、誇らしい気分だ。

そういえば、初めて話しかけられたときから、敬語じゃなかったような…?

気のせいか?


「それじゃ……また午後の授業の時に」

「ああ……またな。」


まだ、少し悶々とした表情で遠ざかって行く香乃を見送り、もう一度寝っ転がる。

今度こそ、誰も居なくなった芝生の上で休み時間を堪能しよう。

大きく息を吸って、溜まった空気を吐き出す。


「すぅ〜…はぁ〜…」


ささくれ立った、心を癒す自然の営み。

それは、俺にとって最も重要かつ、必要な物。

ただでさえ、授業や、家でやっている空手のせいで疲れているのだ。

こういう時ぐらい休ませて……くれないようだ。

下手糞な鼻歌を、バックミュージックに俺が学校中で最も会いたくない奴ぶっちぎりナンバーワンが近づいてきた。


「…誰かと思えば、ブサイケン宗司ではないか。」

「……うるせぇ、真性香乃ストーカー。」

「人聞きの悪い……せめて追っかけといいたまえ。」

「どっちも一緒だろ……」


このやたら高慢な口調の馬鹿は、富士瓦 英一(ふじがわらえいいち)。

物凄い金持ち(自称)で、超カッコいい(マジで自称)ナイスガイ(死ぬ程自称)。

といっても、金持ちなのは本当だ。

香乃の実家である、杵島家程では無いけどな。

コイツは、高校で知り合ってしまった俺の天敵だ。

別に弱点ではない。

絶対に相容れることの無い存在と言う意味だ。


「何故、香乃ちゃんは貴様のようなカスに話しかけるのだ?…私には話しかけてもくれないのに…」

「日ごろの行いだろうが……あと、間違っちゃいないかもしれんが、カスは止めろ。」

「ふん……自覚はあるんだな、すばらしいぞブサイケン宗司。」

(死ねばいいのに……!)


香乃に一目惚れをしてから、執拗にアプローチを掛け続け、あまつさえ俺に難癖つけて突っかかってくる迷惑極まりない存在。

大方、相手にされていないことの鬱憤晴らしなのだろうがされているほうは鬱陶しいことこの上ない。


「貴様に一つおこう!香乃ちゃんにはもう近づくんじゃない!」

「香乃の方から近寄ってくるんだが?」

「じゃあ離れろ!後、貴様なんぞが香乃ちゃんを呼び捨てにするんじゃない!」

「両方とも却下だ。中学からの友人を無下には出来ないし、呼び捨てにして欲しいといったのは香乃だ。」

「何を生意気に…平民風情がぁ!」

「喚くな、犯罪者予備軍(ストーカー)。」

「キサマァァッ!!」

(あ〜五月蝿い…)


まあ、ストーカーと言うのは言い過ぎではある。

しかし、いつもこんな調子で絡んできては、言いたい放題……

皮肉の一つも言いたくなるって物だ。

鼻の下を伸ばしながら、携帯のカメラで香乃の撮影をし続けるこいつは、正真正銘ストーカーなのかもしれないがな?


キ〜ン…コ〜ン…カ〜ン…コ〜ン…

(ああっ!俺の休み時間がっ!!)


半分以上聞き流しながら、再び空を見上げていると、無情にも昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。

結局、全然休んだ感の無いまま、貴重な昼休みを浪費したことになる。

とりあえず、教室に戻る前に休息が取れなかった原因となった、馬鹿一人に復讐を噛ます事にした。


「おい、変態ストーカー。」

「違うっ!私のは、おっか……」


ドスッ!


皆まで言わせずに、素早く正拳突き(親父直伝)を水月(人体急所)に直撃させる。

音も無く崩れ落ちる変態ストーカー。


「放課後まできっちり睡眠が取れるぞ。よかったな、犯罪者一歩手前変態ストーカー?」


しっかりと捨て台詞は忘れずにその場を去った。

後は、骸を晒す馬鹿が一人。

それでいいのである。









ココで少し補足しておくが彼、高倉 宗司はルックス以外は全てに置いて平均以上の成績を残している。

特に、空手に置いては全国でも十本の指に入るだろう。

学校では、そんなに知られていないが……

勉強に置いても両親の文武両道主義により、本人の意思に関係なく厳しいスパルタ教育が施されてきた。

よって今、彼の頭の標準値は大学であり高校の問題など問題であって問題でなかった。

多分、才能にルックスの良さを根こそぎ持っていかれたのだろうとは両親の談。

その才能が、遺憾なく発揮されている午後の授業中は大変暇なのだった。


(つまらない……)


退屈しのぎに周りに目をやればあくびをする史彦に、熱心にノートを取る香乃、そして一つの空き椅子。

史彦、お前あんまり余裕じゃないだろ?

テスト近いぜ?

香乃、それ以上点を上げてどうする?

阿呆、お前は一生戻ってこなくていい。

それぞれに、コメントをつけた後に、適当に取ったノートの内容を確認する。


(よし、これならごまかせる。)


そして、うつ伏せの体制になると、目を閉じて眠りにつくのだった。











そして、HRを終えて放課後になる。

実家がやっている空手はやっているが、部活には入っていない宗司は早々に帰り支度を済ませる。

帰りが待ち遠しかったのか、口笛を吹きながら帰り支度を済ませた文彦がやたら輝きながらこっちを向く。


「宗司!帰ろうぜっ!」

「いつも思うんだが、帰る時になると、どうして急に元気になるかねお前は…」

「当たり前だろ!帰るときのこの開放感が溜まらなく嬉しいんだ!このために学校に通っているといっても過言ではない!」

「そうかい…」


呆れたようにため息をつく宗司を、気にも留めずに笑う史彦。

だが、このさっぱりとした性格が史彦のいい所だ。

史彦の女性関係では、何かと不満が多い宗司だがこういうところがあるからこそ憎めないのだった。


「あれ……そういえば、富士瓦はどうした?いつもだったら、この時間になったらお前に突っかかってくるのに…」

「さあな、あらかた香乃のストーカーでもしてるんだろう?」

「え〜…富士瓦くんまだ、私の追っかけやってたの?」

「あの香乃接着剤がそう簡単に諦めると思うのか……って何時から会話に混ざったんだ香乃?」

「最初から聞いていたけれど……?」

「……いや、良いんだけどさ。」


普通思い人が居るところに首を突っ込んだ場合、もっとこう……恥らうというか自分をアプローチしようとか無いのか?

っていうか、史彦が目の前に居るのに俺と喋ってていいのか?

だから、進展が無いんだぞ。

そのことを暗に指摘しようと口を開きかけた時、廊下から荒々しい足音が聞こえてきた。


ドスドスドス……


(チッ!!もう起きたか…!)


せめて、俺が校門をくぐるまで寝ていて欲しかった。

そうすれば、平和に下校できたのに……。


「香乃……噂の富士瓦が来たから、お前はもう部活にいけ。」

「う、うん……。」


ちなみに、香乃はテニス部に所属している。

何でもこなせるが、テニスが一番面白いらしい。

音の震源地より、離れた扉を指差して、香乃を急かす。

微妙に不満そうな表情をしていたが、おとなしく非難してくれた。

結局のところ、史彦と一言も喋られなかったからだろうか?

それだったら俺に文句言うな。

お前の、追っかけ(自称)に言え。


ガラララ……ピシャン!!


「ブサイケン宗司ぃぃぃぃっ!!!貴様、よくもぉぉぉぉっ!!!」


うむ、見事な噴火っぷりだ。

予想通りだったが、ココまで憤怒の表情を向けられると逆に心地良いな。

クラス中の視線を独り占めだぞストーカー?


「……お前、何やった?」

「大したことはしていない。耳元で五月蝿かったから水月に正拳突きを見舞っただけだ。」

「いや……そりゃ怒るだろ……」


呆れたように突っ込んでくる史彦に対して、俺は涼しい顔だ。

そんなもん、俺の心の安らぎを奪ったあいつが悪い。


「ブサイケン!貴様のせいで、私の成績に傷がついたではないかっ!」

「知らん。第一、誇れるほどの成績じゃないだろ?」

「ぐっ!?」


そうなのだ、こいつの成績の順位は下から数えたほうが速い。

今回、欠席になったとしてもそう大したマイナスにはならないはずだ。


「そ、そんなのは関係ない!」

「いや、大いにあると思うぞ?」

「わ、話題をすり替えるな!問題は貴様が私を殴ったということだ!」

「問題でも何でもない。」

「何だとっ!?」

「寧ろ、こっちが迷惑料を貰いたいほどだ。」

「何を訳の分からんことをっ!」

「自覚が無いのか?脳外科に行って来い。」

「貴様ぁっ!」


鬱陶しい。

実に鬱陶しい。仕方が無い、奥の手を使うか。


「あれ、香乃じゃないか。」

「なっ……香乃さん聞いてくださいよ、こいつが私の腹に……っていないっ!?」


当たり前だ、嘘なんだから。

ついでに言うと、俺と文彦はすでに教室の扉を跨った状態にあることも報告しておく。


「んなっ!?ブサイケン、何処へ行くっ!」

「帰る。じゃあな、ストーカー。」

「私のは追っかけだぁっ!っていうか逃げるなぁ!」


後ろがギャーギャー五月蝿かったが、どうせ明日になれば忘れてるのだし、さっさと逃げるに限る。

じゃあな、凡愚(ぼんぐ)!








無事、富士瓦から逃げ出すことに成功した俺たちは、商店街を横切りながら帰宅していく。

商店街……越雲(こしぐも)商店街と言うのだが、ココには大抵のものが揃っている。

生活必需品は勿論、食品から、服飾品、果てはオタク御用達グッズまで様々だ。

下校時には、文彦と馬鹿話をしながらここで色々見ていくのが日課となっている。

お気に入りコースである、CDショップ〜ゲームショップ〜本屋の順で周っていると途中で見知った顔を見つけた。


「うん?…なんだ、菘(すずな)じゃないか?」

「あれ?兄さんじゃない、それに……牧野さんも。」

「やあ、菘ちゃん」


高倉 菘(たかくらすずな)。俺の妹だ。

俺には、下に二人の「双子」の妹が居る。

菘はその姉に当たる。

現在中学三年生で容姿的特長は、ストレートの艶やかな髪に、神様でさえ個々まで綺麗に創造できないであろう端麗なルックス。

俺には勿体無いほどの自慢の妹だ。


「久しぶりですね、牧野さんとあうのは」

「そうかもしれないなぁ……」


苦笑をしながら答える文彦。

確か、俺の記憶でも半年前に家に来て以来と言うことになる。

中学と高校では、接点が無くて当然かもしれないが……


「ところで兄さん、こんな時間まで寄り道?」

「ああ、まあな。」

「部活も無いのに、駄目じゃない……」

「家に帰っても今は誰も居ないからな。それまでの時間つぶしだ。」

「もう、珠洲美(すずみ)が帰ってるはずよ?」

「そっか……じゃあ、俺も帰ろうかな。」

「そうだな、帰った方がいいぞ……シスコン兄貴っ!」

「うるせぇぞ。」


むう……シスコンか。

何故かは知らないが、文彦からはこう言われる事が多い。

いや、文彦と違って少しは自覚はあったが、それ程妹にかまけているつもりは無い。


「ふふ……そうね、珠洲美も待ってるんじゃない?」

「ブサイク兄貴なんぞ、待ってるはず無かろうが……」

「そんな事無いわよ……少なくとも、私だったら兄さんに早く帰ってきて顔を見せて欲しいかな?」

「……いい妹もって幸せだな、宗司君?」

「……うるせー……(真っ赤)」

「…………。」(クスクス……)


まずい。

素で真っ赤になってる。

ええい、恥ずかしいことを事も無げに言ってくれやがって。


「か、帰るぞ!菘っ!」

「ハイハイ、帰りましょう兄さん。」

「くくっ……じゃあな、照れ屋のお兄ちゃん!」

「……明日、覚えてろや。」


笑いながら去っていく文彦の背中を睨みつけながら見送る。

あ〜…何でだろう。

なんか、敗北感がある。


「面白い人よね……牧野さんは。」

「俺で遊んでるだけだろう……」

「そうね……でも、兄さんで遊べるのは牧野さんぐらいよ。」

「どういう意味だ……?」

「さあね?」


と言って、舌を出して惚ける菘。

ニコッと笑った顔にドキッとしてしまう。

そのせいか、さっきの照れがぶり返して来た。


「どうしたの、兄さん?顔、真っ赤よ?」

「……何でも無いよ、帰ろう。」


小さく笑いを漏らしながら聞いてくる妹に顔を背けながら、ぶっきらぼうに言い放つ。

照れた顔を見せないように先に歩き出す俺に、クスクスと笑いながら後ろを着いて来る菘。

凄まじく恥ずかしかったが、こういう時の過ごし方も嫌いではなかった。














その後は軽い世間話をしながら歩いていると、あっという間に家の門前に着いていた。

楽しい時間ほど速く過ぎるというが、実際速く感じると思う。

家のインターホンを押し、鍵を開けてくれるのを待つ。

家の玄関に備え付けられているドアはオートロックで、出かけると自動で鍵が掛かってしまう。

そのため、鍵を使うか中に居る家族空けて貰うしかないのである。

鍵は俺か母さんが持っているのだが、俺が一番に帰る事は殆ど無く俺の鍵が使われた回数なんて片手で足りる。


「は〜い…どなたですか〜?」

「宗司だ。開けて欲しい。」

「あ、兄ちゃん?今開けるね〜」


がちゃっと言う扉の開く音と共に俺たちを出迎えてくれたのは、珠洲美だった。

姉そっくりなその容姿は、他人には髪型以外(ツインテール)に相違点を見出すことが出来ないほどだ。

まあ、俺には例え同じ髪型だろうと、見分けることが出来る。

何故かは、自分でもわからないが。


「お帰り〜…あれ、姉ちゃんも一緒だったの?」

「ただいま、ええ……途中で出会ったから一緒に帰ってきたの。」

「そういうこと。」

「へぇ〜…珍しい組み合わせだね。」

「ふふ……そうね。いつもは兄さんに会うことなんて殆ど無いし……。」

「でも、だからかな?」


珠洲美は意味深な表情(といってもいいエガヲである)をして、からかう色を隠さずにこういった。


「な〜んか二人とも、とっても幸せそうな顔をしているからね〜」

「なっ!?」

「ふふ……わかる?」

「ってなにいってんだ、菘!?」

「だって、兄さんの事好きだもの。」

「……!?」

「あははっ!やっぱり、そうなんだ?」


す、好きぃっ!?

な、何言ってんだお前はぁっ!

俺はこういう言葉に耐性が無いんだっ!

だってそうだろ、今まで異性に言われたことが無い言葉なんだぞ……

例え、妹でも言われたら動転しちまうよっ!


「くく……兄ちゃん顔真っ赤だよ?」

「本当ね、おかしい……」(クスクス)

「やかましいっ!大体、菘も簡単に好き等と他人に言うんじゃない!」

「あら、他人じゃないわよ?兄さんなんだし。」

「俺が、そういった言葉に弱いことは知ってるだろうが……」

「本当なんだからいいじゃないの。」

「んがっ!?」

「だって、私にとっては兄さんほど信用できる人なんてこの世に居ないもの。」

「〜〜〜〜〜!」

「……姉ちゃん、私は?」

「珠洲美は兄さんの次ね……」

「ん〜…まあ仕方ないか。兄さんだしね。」


と言いながら、柔らかい笑顔を向けてくる妹二人。

どういったアクションを起こせばいいか分からず、ただただ凍りつく俺。

実に対照的なシーンである。

そのうち、気恥ずかしさに耐えられなくなった俺は靴を脱ぎ捨てて、自分の部屋に向かって猛ダッシュを掛けたのだった。










「ったく……。」


先ほどまでの哀れなほどの自分の慌てっぷりを情けなく思いながら、ベッドに身を預ける。

盛大にため息を吐くと、しばし目を閉じる。

眠るわけでないが、こうしていると凄く落ち着くのだ。

さっきまでの頬の火照りを冷ます為でもあるが、精神統一の意味合いもある。

これから、空手の稽古があるからだ。

だから、今日のようなハプニング無くてもいつものようにこうして目を閉じている。

大抵のことは程々で済ます俺だが、空手だけは手を抜くつもりは無い。

やっていて楽しいのもあるが、それなりに誇りを持ってやっているのだ。

サボるのはもちろん、遅刻なんぞしたことも無い。

ついでに言うと、風邪を引いていても稽古場には顔をだす。

先生は二人居て、一人は俺の親父 高倉 宗馬(そうま)と千葉山 猶雅(ちばやま なおまさ)先生だ。

親父はともかく、猶雅先生はとてもまじめで、親身になって稽古をつけてくれるので尊敬している。

親父は腕は確かだが、如何せん女子好きで男なんぞ見向きもしない。

ゆえに、俺は親父が大っ嫌いだ。

しかも、息子の俺とはちがって美形と来たもんだ。

ウザさ倍増、好感度最低値、下手したら富士瓦よりも低い位置づけだ。

しかも、自分の娘にも手をつけようとする外道だ。

未遂に終わっているが、「成功」させた日には……その日が奴の命日になるだろう。

例え、菘や珠洲美が許して、神が許そうとも俺が許さん。

存在自体を完全に消滅させて、魂すら二度と輪廻転生しないようにありとあらゆる手を尽くしてやるとココに宣言する。

……とまあ、どうでもいい話は置いといて。

ウチでやっている道場は、基本的に毎日やっている。

だが、年齢によって稽古をやる曜日が違う。

小学生、中学生は、火・木曜日で、高校〜社会人は、月・水・金曜日、ちびっ子が土・日曜日だ。

門下生は割と多く、全員で約70余名ぐらい居る。

だから、いつも道場が狭く感じてしまう。

……実際、人とぶつかって怪我をしてしまう門下生も少なくない。

俺も何回かぶつかっていて、酷いときにはぶつかった拍子に足を捻って捻挫してしまったこともある。

そんな道場だが、俺は楽しく稽古をしている。

最近では、大人の人にも劣らないぐらいのレベルにはなってきた。

力では劣ることがあるが、一本を取れる時もある。

ま、普段は「技あり」止まりなんだけどな。(因みにウチはフルコンタクトカラテルールを採用している)

でも、一本を取られることは殆ど無い。

だが、親父には勝てない。

苦惜しいが、まだ奴には力が及ばない。

何時か……いや、必ず近いうちに奴は倒す。

俺の宿敵だ。どれだけの宿敵かと言えば、某劇場版の復讐人と自称外道の間柄と考えてもらえると分かりやすいだろう。


ガチャ……バタン!


うん?

母さんでも帰ってきたかな?

しかし、聞こえてきた声は厭らしさに満ちていた……


「お〜…またオッパイでかくなったんじゃないか、菘〜?」

「ちょ……!お父さん止めて……!」


……頭の中で何かが切れた音が聞こえた気がした。プチッではない。ブチッと。

自室の扉を蹴飛ばすように開けると、階段を駆け下りる。

疾風の如く居間に駆けつけ目標を発見、捕捉した。

……娘の乳房を揉み砕いている外道を。


「「……殺す」」


なにやら声がハモッた気がしたが気にしない。

素早く、奴の背後に回りこみ脊髄に向かって肘打ちを繰り出す!(反則技です)


「チェストッ!」

「ぐぼらっ!?」


直撃。

奴の上体が仰け反り、菘の身体から手が離れる。

その隙に足捌きを上手く使って菘を救出して距離をとった。

親父は痛みに打ち震えていたが、体勢を立て直すと俺を睨み付ける。


「宗司……貴様、俺様と菘のスキンシップに水を差すとはどういう了見だぁ!」

「明らかに嫌がっていただろうが、変態クソ親父がっ!」

「恥ずかしがっていただけに決まっているだろう?」

「どうしたらそう見えるかっ!精神科と眼科に行って来いっ!」


菘を背中に庇いながら、不毛な言い争い。

いかん、このままではコイツと同レベルになってしまう。

菘たちにそう思われるのは、かなり遠慮したい。


「菘も嫌じゃ無かったよな〜?」

「…………。」(ブンブンッ)

「ほら見ろっ!嫌じゃないって言ってるぞ!」

「誰がどう見ても、嫌悪感を最大に表現しているだろがっ!!」

「…………。」(こくこく)


母さん……

何でこんな馬鹿と結婚したんだ……?

理解が出来ないよ。


「ともかく、其処をどけぇ!俺様は男に用は無い!」

「俺もてめぇなんぞに用は無いわっ!さっさと部屋に戻れ!」

「ふんっ!スキンシップが済んだら戻ってやろう。」

「……!……」


厭らしい目つきで、菘を一瞥する親父。

怯える菘。

……あれ?

珠洲美は?

そのことを疑問に思った瞬間、答えは返ってきた。


「流派……高倉真極流奥義「極彩獅鋼衝」(ごくさいしこうしょう)」


説明しよう!

極彩獅鋼衝とは、書いて字の如く

{獅子の如き猛々しさを持って、鋼の如き衝撃を放ち、敵(かたき)を極彩色に染める}

という、高倉家の我流奥義の一つである。(フィクションですので、現実にはありません。)

型は懐に潜り込み、両手に拳を作ってアバラに叩き込み……(獅)


メキッ……!


「がはっ!」


続いて上段蹴りを、顎に放つ。(鋼・衝)


ガゴッ!


「フガッ!?」


そして、トドメに全身の力を振り絞った正拳突きを腹部に見舞うのだ!(極・彩)


ゴキンッ!!


「ゴブファッ!!!???」


いい声で泣きおるわい……

断末魔の叫びを上げながら倒れ伏す親父。

因みにこの技は、当然ながら実戦では使えません。

反則技です。(っていうか空手は基本的に単発の技しかありません。)

そして、珠洲美は親父を見下ろしながら一言。


「そのまま、死ね」


ガスッ!


「!!!!!」


声も無く悶絶……いや、刈り取られるように意識を失った親父。

男としての尊厳が危ぶまれる親父にちょっと同情……

俺は思わず股間を押さえながら、珠洲美は決して怒らせないようにしようと心に誓ったのだった……















「菘、大丈夫か?」

「う、うん……」


痙攣しながら、血の海に沈む親父を出来る限り視界に入れないようにしながら菘を気遣う。

少し青い表情ではあったが、微笑みながら答えてくれたことにホッとする。

そして、珠洲美の方へと視線を向けると何かをゴミ袋に詰めている真っ最中だった。


「……珠洲美、何してるんだ?」

「生ごみを処分しようと思ってさ。腐ってもらっても困るし……」

「そ、そうか……」


容赦の欠片も無い対応に、冷や汗が滲み出る。

しかも、今だかつて見たこと無いぐらいに嬉しそうだ。


「……?どうしたの、兄ちゃん。」

「いや、何でもないよ……続けてくれ。」

「うん♪」


さらば、親父。

あの世ではしっかり更生するんだぜ?

ゴミ一つで、パンパンになったゴミ袋を引きずりながら持って行く珠洲美を見送る。


「ご飯に……しようか?」

「そう……だね?」


二人で頷き合って、キッチンに入ると何事も無かったかのように夕飯の支度をするのだった。















ありあわせの材料で適当に作った晩御飯を済ませた俺と菘たちは、家の近くにある空手道場で準備運動をしていた。

この道場は、過去に曾御爺さんの時代に建てられたもので、少し年季の入った造りになっている。

現在はフルコンタクト空手ルールを採用しているのだが、当時は正統空手だったようだ。

何故、フルコンタクトに成ったのかと言うと、親父が「そっちのほうがカッコいいから」といって勝手に変えたのだ。

本当に身勝手な親父である。

しかし、一番分かりやすく、親しみやすいルールのため門下生が増えやすくなった。


「さて、稽古を始めようか。」


俺達と一緒に準備運動を済ませた、猶雅先生がそう言った。

因みに親父のことは、俺達兄弟と一緒に来なかった時点でどうなったか分かったらしい。

流石、伊達に何年もウチの道場の師範をしているわけではない。


「じゃあ、いつもの通り最初は、<拳>の型の確認から行こうかな。」

「オスッ!」


掛け声を大きく出しながら、右拳、左拳を突き出す。

曜日、つまり門下生の部門によって違うが、今日は高校生、社会人の人々の稽古のため30回程連続で繰り返す。

それが終わると、次は蹴りの型の練習をする。

下段、中段、上段と、一つ一つ、基本を忠実になぞりながら、やはり蹴りも30回同じことを繰り返す。(上中下全てやって一回だ)

それが終わると、一回休憩を10分間取る。

それで合わせて大体、一時間ぐらいだ。

いつもは二時間ほどの稽古なので、残り一時間は全て組み手に当てられる。

先生に掛かっていくのはもちろん、門下生同士でもやりあう。

無論男女別だが、菘と珠洲美は違う。

自分から率先して、男性とも稽古をする。

故に、ウチの道場の中でも屈指の強さだ。

下手したら、俺でも一本を取られてしまうかも知れない。

ちなみに、菘と珠洲美がやりあった場合は珠洲美のほうが強い。

性格が災いしてか、イマイチ攻め切れない菘に対して珠洲美はガンガン攻める。

そのために、どうしても判定で珠洲美が押し切って判定勝ちするのだ。

俺の見解としては、実力では二人には殆ど差は無いと思う。

積極的に攻めるか、そうでないかが決定的な実力差かもしれないが技量は変わらない。

……まあ、菘には似合わないスタンスだ。無理に変える必要は無い。

っていうか、頼むから変わるな。

笑いながら相手をボロボロにしていくのは珠洲美だけでいい。

そうこうしているうちに、俺が猶雅先生と稽古する番になったらしい。

よしっ!気合入れていくか!


「……次は、宗司君か?こりゃあ、全力でやらないと稽古にならないね。」

「買い被りですよ、先生。……お願いします。」

「お願いします……さあ、やろうかっ!」

「オスッ!」


まずは、挨拶代わりにと中段に蹴りを放つ。

左横腹を狙った単調な蹴りだ。簡単に止められる。

即座に足を引っ込めると、続いて右足を軸にした左回し蹴りを上段に向けて放った。


バシッ!


軽い打撃音が聞こえると同時に俺の渾身の一撃を左腕一本で防いでいる猶雅先生が其処に居た。


「鋭い蹴りだ。」

「……そうは見えませんよ?」

「いやいや、この蹴りが鋭くなかったら世の中の大半の足がナマクラということになるよ。」


俺の蹴りを抑えていた左腕を一閃させて、足を弾く。

そして、即座に拳を正面に突き出してくる!

俺は両腕を交差させるように防御の体勢に入る。

しかし、眼前まで迫った拳はいきなり引っ込められた。


(しまった、フェイク!?)


そう思ったのと、頭の横っ面に衝撃が走ったのはほぼ同時だった……


「勝負有りかな?」

「……参りました。」

「宗司君は、勝負に置いて素直すぎるよ。だから見切りやすく、嵌め易い。」

「はい。」

「素直なのもいいけど、勝ちたかったらもっと卑屈になってもいいと思うよ?」

「分かりました、ありがとうございました!」

「ありがとうございました。……っと、もう時間だな宗司君みんなを集めてくれないか?」

「オスッ!」


ちぇ……また負けたか。

結局、先生に一回たりともまともな一撃を食らわせることの出来ないまま今日の稽古は終了した。












稽古を終えて、菘たちと家に帰ってくると、くたばっているはずの親父が母さんに介抱されていた。

まあ、害が無いなら放って置こうかとそのまま無視をして、菘たちを風呂に入れる。

二人一緒に入ってくれる為、大体30分くらいで俺も風呂に浸かることが出来る。

そうすると、10:00くらいには自分の時間が取れるわけだ。

宿題を一時間で終わらせ、残り一時間が貴重な自由時間というのが基本サイクル。

最低でも、12時には絶対に寝るようにしている。

寝ないと、疲れも取れないし健康を害しやすい。

武闘家として、健康管理は当然の義務と教えられている。


「くぁ……。なんか、妙に眠気を感じる。」


不意な眠気に少し戸惑いを覚える。

時間を見上げると丁度11時。

宿題は、とうに終わり今から音楽でも聴こうかとプレイヤーに手を掛けた時である。


「疲れているのか……?サッサと寝てしまった方が良いのかも知れないな。」


ベッドに向かおうと、立ち上がると急に気だるくなり、目眩を催した。


「うわ……マジで、やばいかも知れん。」


もしかして、今、流行の麻疹ですか?

だとしたら、不味い。

予防接種は受けているはずだが、それでも5%の人々は抗体が出来ずにかかってしまうらしい。

その5%に俺が入っているかは知らないが。

フラフラとベッドに歩み寄ると、布団を被って目を瞑る。

あっと言う間に、意識が掻き消えて次の瞬間には、夢の世界であった。















俺、高倉宗司にとって、今日7月10日は人生の転機であったに違いない。

今まで、冴えなかった毎日が……

そう、曇りがちだった毎日が、梅雨から明けるように。

しかし、これは波乱の毎日の始まりの日でもあった。

幸か、不幸か。

様々な出来事に巻き込まれていく。

とりあえず、その始まりは、急な眠気に襲われて、誘われる様に眠った翌日の洗面台から始まる……





























「……これは誰だっ!?」


























洗面台に備え付けられた鏡に映っていたのは、まるで女になってしまったかのように変わり果てた自分の素顔であった……。

















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